記録ID: 656390
全員に公開
ハイキング
富士・御坂
三ツ峠山
2015年06月07日(日) [日帰り]
![情報量の目安: A](https://yamareco.info/themes/bootstrap3/img/detail_level_A2.png)
- GPS
- --:--
- 距離
- 14.8km
- 登り
- 1,324m
- 下り
- 1,083m
コースタイム
天候 | 曇り時々晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
三ツ峠山登山口辺りの川沿いに「ぶよ」がいます。噛まれると腫れますので、防虫スプレーやかゆみ止めを持参した方がよいです。 |
写真
愛染明王塔
愛染明王の碑は、三ツ峠中興の祖・空胎上人の後継者、二世豊恭和尚によって建てられた。高さ190センチ、巾90センチの自然石文字塔である。
愛染明王とは、縁結びの神様で良縁を願う人達の信仰が厚く、また愛染が藍染と同音のため、染物業者の信仰も集めた。(西桂町HPより)
愛染明王の碑は、三ツ峠中興の祖・空胎上人の後継者、二世豊恭和尚によって建てられた。高さ190センチ、巾90センチの自然石文字塔である。
愛染明王とは、縁結びの神様で良縁を願う人達の信仰が厚く、また愛染が藍染と同音のため、染物業者の信仰も集めた。(西桂町HPより)
右は三ツ峠中興の祖・空胎上人の墓。
左は八十八大師。文久年間(1861〜1863)に近郷の信者によって八十八体の石仏を祀ったという。弘法大師42才の厄年に四国の修行地を回り定めたといわれる。四国八十八ヶ所巡りを遠くでできない人々のために写しが各地で造られ、その中には、ここで見られるように八十八体の弘法大師像を当てたものもある。(西桂町HPより)
左は八十八大師。文久年間(1861〜1863)に近郷の信者によって八十八体の石仏を祀ったという。弘法大師42才の厄年に四国の修行地を回り定めたといわれる。四国八十八ヶ所巡りを遠くでできない人々のために写しが各地で造られ、その中には、ここで見られるように八十八体の弘法大師像を当てたものもある。(西桂町HPより)
一字一石供養塔
経王一字一石供養塔といい、天保6年(1835)空胎上人によって造られたと思われる。自然石の文字塔である。
空胎上人によって書写されたのは「法華経」「仁王護国般若経」「金光明最勝王経」だといわれている。小石に一字ずつ経文を書写し、地に埋めて石塔を建てたものが一字一石塔である。(西桂町HPより)
経王一字一石供養塔といい、天保6年(1835)空胎上人によって造られたと思われる。自然石の文字塔である。
空胎上人によって書写されたのは「法華経」「仁王護国般若経」「金光明最勝王経」だといわれている。小石に一字ずつ経文を書写し、地に埋めて石塔を建てたものが一字一石塔である。(西桂町HPより)
感想
三ツ峠山は奈良時代に役行者小角により開かれ、その後善應空胎上人が入山して信仰を広めた山であり、史跡がそれぞれパワースポットとなっているらしいです。名前の通り山頂が3つあり、開運山(1,785m)、御巣鷹山(1,775m)、木無山(1,732m)の総称ですが、今回は最高峰の開運山を目指しました。名前がいいでしょ!
しかし今回は、車にカメラを忘れ、ほかの方が撮った写真を載せました。記憶と記録がうまく合わず、コースタイムはおおざっぱです。
コースは富士急行・三つ峠駅からとこの山では標高差1100mのハードなコース。初めての登山の方を含め、親父11人のパーティでの山行となりました。本人たちは非常に楽しく歩きましたが、うるさくて周りの方にはご迷惑だったかもしれませんね。スミマセン。
三ツ峠山は私にとっては遠い山で、16歳で初の挑戦・退却から5度ほどの山行機会を逃し、30年以上掛かってようやく三ツ峠山に登ることができました。
富士山がよく見えればよかったのですが、この時期に雨に会わず涼しい気候の中を歩けたことは良しとすべきですね。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:388人
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する