初めはイチリンソウとサクラソウの見物を考えていましたが、結局石分補給になってしまいました(笑)「草刈りの碑」スタート、ですがGPSの電源が入っておらず…
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4/14 10:48
初めはイチリンソウとサクラソウの見物を考えていましたが、結局石分補給になってしまいました(笑)「草刈りの碑」スタート、ですがGPSの電源が入っておらず…
旧岩淵水門
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4/14 10:48
旧岩淵水門
「月を射る」本日は荒川対岸の川口界隈をマリンちゃんでウロウロします。エルザタワーが見えます。
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4/14 10:49
「月を射る」本日は荒川対岸の川口界隈をマリンちゃんでウロウロします。エルザタワーが見えます。
新荒川大橋を渡り始めると、荒川土手の「KITA CITY」芝桜、桜も何とか残っています。川口本町のレトロパン屋の『吾妻屋』さんが閉店していてショックでした。
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4/14 10:55
新荒川大橋を渡り始めると、荒川土手の「KITA CITY」芝桜、桜も何とか残っています。川口本町のレトロパン屋の『吾妻屋』さんが閉店していてショックでした。
まずは飯塚氷川神社。社殿右側の御嶽塚には「八海山神王」と「三笠山刀利天」の石塔と頂上の覆屋には、
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4/14 11:10
まずは飯塚氷川神社。社殿右側の御嶽塚には「八海山神王」と「三笠山刀利天」の石塔と頂上の覆屋には、
ブロンズの御嶽山座王大権現像、よく見ると講紋の「三」の字が縦になっています。
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4/14 11:11
ブロンズの御嶽山座王大権現像、よく見ると講紋の「三」の字が縦になっています。
社殿の左、天神社との間にもう一つの御嶽塚があります。八海山、三笠山の石塔に御嶽山の祠。
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4/14 11:12
社殿の左、天神社との間にもう一つの御嶽塚があります。八海山、三笠山の石塔に御嶽山の祠。
飯塚氷川神社御由緒。室町末期は岩付太田氏の家臣平柳蔵人の領有地、江戸時代は宝永期より根津権現社領に。明治維新以後、恵美寿社から氷川社に変更、明治六年村社に、同四十年に近隣の神社が合祀された。御嶽塚もその一環で移築されたのかな。
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4/14 11:13
飯塚氷川神社御由緒。室町末期は岩付太田氏の家臣平柳蔵人の領有地、江戸時代は宝永期より根津権現社領に。明治維新以後、恵美寿社から氷川社に変更、明治六年村社に、同四十年に近隣の神社が合祀された。御嶽塚もその一環で移築されたのかな。
通りすがりにたまたま見つけた川口氷川神社。オートレース場近くにあります。参拝の方も多かったです。
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4/14 11:32
通りすがりにたまたま見つけた川口氷川神社。オートレース場近くにあります。参拝の方も多かったです。
やけにフレンドリーな狛犬さん(嘉永四年辛亥、1851)
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4/14 11:34
やけにフレンドリーな狛犬さん(嘉永四年辛亥、1851)
鎮守氷川神社(川口市青木)御由緒
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4/14 11:36
鎮守氷川神社(川口市青木)御由緒
末社の不動尊堂に祀られた不動三尊像。
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4/14 11:41
末社の不動尊堂に祀られた不動三尊像。
同じく末社の弁天社石祠の傍らに琵琶弾きの弁天様、「妙音」が聴こえてきそうですぅ。
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4/14 11:42
同じく末社の弁天社石祠の傍らに琵琶弾きの弁天様、「妙音」が聴こえてきそうですぅ。
富士塚(月三講が万延元年、1860に築造)の登拝口にあった手水鉢、その月三講の奉納のようですが、「天保七丙辰年(1836)」と塚の築造よりは少し前のもの。こちらは三合目。
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4/14 11:43
富士塚(月三講が万延元年、1860に築造)の登拝口にあった手水鉢、その月三講の奉納のようですが、「天保七丙辰年(1836)」と塚の築造よりは少し前のもの。こちらは三合目。
登拝口から少し離れた所に「<月三講紋>同行 一合目」がありました「文久三癸亥年六月…(1863)」。ここからは登れません。塚に沿って横移動(笑)です。
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4/14 11:45
登拝口から少し離れた所に「<月三講紋>同行 一合目」がありました「文久三癸亥年六月…(1863)」。ここからは登れません。塚に沿って横移動(笑)です。
ここに浅間神社の案内板と石祠、里宮かな?その後方には
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4/14 11:46
ここに浅間神社の案内板と石祠、里宮かな?その後方には
冨士の線刻に「浅間神社 天下静謐 風雨順寺<剥落してますが明治>四辛未三月吉日(1871) 下青木邑 宮前 若者中」
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4/14 11:46
冨士の線刻に「浅間神社 天下静謐 風雨順寺<剥落してますが明治>四辛未三月吉日(1871) 下青木邑 宮前 若者中」
冨士に月三講紋「冨士 遥拝所 万延元庚申年六月朔日(1860)」
先達(岩田徳兵衛、牛田七郎兵衛)発起人先達(安藤与左衛門)など
当冨士塚築造時のものでしょう。旧暦六月朔日は山開きの日ですね。
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4/14 11:46
冨士に月三講紋「冨士 遥拝所 万延元庚申年六月朔日(1860)」
先達(岩田徳兵衛、牛田七郎兵衛)発起人先達(安藤与左衛門)など
当冨士塚築造時のものでしょう。旧暦六月朔日は山開きの日ですね。
二合目「新曽村 長谷川…」。まだ登れません!
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4/14 11:47
二合目「新曽村 長谷川…」。まだ登れません!
烏帽子岩
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4/14 11:47
烏帽子岩
そして三合目、ここが登拝口になります。
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4/14 11:48
そして三合目、ここが登拝口になります。
入口には鳥居と先程の手水鉢があります。
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4/14 11:48
入口には鳥居と先程の手水鉢があります。
四合目「新曽村 長谷川彦吉」
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4/14 11:48
四合目「新曽村 長谷川彦吉」
小御嶽石尊大権(現)もありました。剥落していますが、両脇に「大天狗 小天狗」、もちろん近くには
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4/14 11:49
小御嶽石尊大権(現)もありました。剥落していますが、両脇に「大天狗 小天狗」、もちろん近くには
五合目石がありました。
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4/14 11:49
五合目石がありました。
六合目、登拝ロ脇の下方に七合目、八合目石もあります。
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4/14 11:50
六合目、登拝ロ脇の下方に七合目、八合目石もあります。
六合目石の側面に「新曽村 石田庄蔵」、どうやら合目石は新曽村の講員の方々の奉納のようです。
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4/14 11:50
六合目石の側面に「新曽村 石田庄蔵」、どうやら合目石は新曽村の講員の方々の奉納のようです。
ほぼ頂上に九合目「新曽村 井原茂右衛門」
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4/14 11:51
ほぼ頂上に九合目「新曽村 井原茂右衛門」
奥宮かな。山頂の一画には「撫で犬」のワンちゃんがいます。
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4/14 11:52
奥宮かな。山頂の一画には「撫で犬」のワンちゃんがいます。
下山後、塚を見上げます。登拝ロはピストン、黒ボクもあります。こちらの祠は?
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4/14 11:56
下山後、塚を見上げます。登拝ロはピストン、黒ボクもあります。こちらの祠は?
題目塔もありました。
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4/14 11:57
題目塔もありました。
社殿参道左の石燈籠「文政八乙酉年九月吉日」
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4/14 11:57
社殿参道左の石燈籠「文政八乙酉年九月吉日」
台石に「當村 日下喜右衛門 石工紋太郎」
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台石に「當村 日下喜右衛門 石工紋太郎」
右の石燈籠「慶應三丁卯年九月吉日(1867)」
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4/14 11:58
右の石燈籠「慶應三丁卯年九月吉日(1867)」
「當村 日下喜惣治 同性種治之□ 川口宿石工礒吉」
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「當村 日下喜惣治 同性種治之□ 川口宿石工礒吉」
以前よく通っていた『パン・ピジョン』(鳩ケ谷駅近く)、こちらにマイベストカレーパンがあります。
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4/14 12:13
以前よく通っていた『パン・ピジョン』(鳩ケ谷駅近く)、こちらにマイベストカレーパンがあります。
鳩ケ谷の氷川神社にも立ち寄りましょう。
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4/14 12:29
鳩ケ谷の氷川神社にも立ち寄りましょう。
「維持寛政十戊午歳六月吉辰日(1798)?谷宿」の手水鉢が現役バリバリです。
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4/14 12:33
「維持寛政十戊午歳六月吉辰日(1798)?谷宿」の手水鉢が現役バリバリです。
御神水が湧いています。「念のため煮沸してからお召し上がりください」とありました。
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4/14 12:34
御神水が湧いています。「念のため煮沸してからお召し上がりください」とありました。
「鳩ケ谷八景之其一 氷川神社夜雨」(昭和三年十一月)の石標。夜雨の景色ってどんなん? 他の八景の石標も探せばあるみたいです。
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4/14 12:35
「鳩ケ谷八景之其一 氷川神社夜雨」(昭和三年十一月)の石標。夜雨の景色ってどんなん? 他の八景の石標も探せばあるみたいです。
「冨士仙元道 右江三丁…/文化二乙丑歳四月吉日(1805)當宿 宿坂/世話人銘列刻」
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4/14 12:35
「冨士仙元道 右江三丁…/文化二乙丑歳四月吉日(1805)當宿 宿坂/世話人銘列刻」
須賀神社 御鎮座壹百年祭紀念碑
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4/14 12:40
須賀神社 御鎮座壹百年祭紀念碑
黒ボクの岩屋には琵琶弾きの辨才天様がいらっしゃいました。
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4/14 12:41
黒ボクの岩屋には琵琶弾きの辨才天様がいらっしゃいました。
その後方には、ぬわんと先代の弁天様のお顔が…
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4/14 12:43
その後方には、ぬわんと先代の弁天様のお顔が…
境内社の稲荷社前の手水鉢「慶應二丙寅年十二月吉日(1866)発願主谷中屋富五郎」
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4/14 12:43
境内社の稲荷社前の手水鉢「慶應二丙寅年十二月吉日(1866)発願主谷中屋富五郎」
「出雲講参拝紀念」碑
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4/14 12:44
「出雲講参拝紀念」碑
笑う少女(北村西望作) 終戦五十周年記念、平成七年
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4/14 12:45
笑う少女(北村西望作) 終戦五十周年記念、平成七年
境内社の古峯神社の狛犬さん
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4/14 12:47
境内社の古峯神社の狛犬さん
御神木の夫婦楠 よい香りが漂っています。
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4/14 12:48
御神木の夫婦楠 よい香りが漂っています。
「猿田彦大神」庚申塔がありました。正面下部に三猿、側面には
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4/14 12:49
「猿田彦大神」庚申塔がありました。正面下部に三猿、側面には
「寛政十二庚申歳十一月吉祥日(1800)/鳩ケ谷講中 講員銘列刻」
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4/14 12:50
「寛政十二庚申歳十一月吉祥日(1800)/鳩ケ谷講中 講員銘列刻」
続いて赤井氷川神社にやって来ました。まずは腹ごしらえをば。
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4/14 13:05
続いて赤井氷川神社にやって来ました。まずは腹ごしらえをば。
先程買ったマイベストのカレーパンと人気1のクリームパン、久しぶりなので超楽しみ!
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4/14 13:09
先程買ったマイベストのカレーパンと人気1のクリームパン、久しぶりなので超楽しみ!
パン生地はサクサクでビッシリあんが詰まっています。相変わらずの美味しさでした!
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4/14 13:10
パン生地はサクサクでビッシリあんが詰まっています。相変わらずの美味しさでした!
こちらの狛犬さんは「明治二十四年九月吉日(1891)」
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4/14 13:18
こちらの狛犬さんは「明治二十四年九月吉日(1891)」
潰れちゃった石燈籠の台石には、
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4/14 13:21
潰れちゃった石燈籠の台石には、
「鳩ケ谷町 石工武内半造」
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4/14 13:21
「鳩ケ谷町 石工武内半造」
石段に向かって右に二棟の覆屋があり、一つは白山大権現。
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4/14 13:22
石段に向かって右に二棟の覆屋があり、一つは白山大権現。
もう一つは不動明王と一童子が祀られています。
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4/14 13:23
もう一つは不動明王と一童子が祀られています。
石段を昇ると、彫りの良い狛犬さんがいます。奉納は
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4/14 13:26
石段を昇ると、彫りの良い狛犬さんがいます。奉納は
「江戸南傳馬町三丁目 海老屋文蔵/天保六年乙未三月吉日(1835)」お江戸の方のようです。
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4/14 13:26
「江戸南傳馬町三丁目 海老屋文蔵/天保六年乙未三月吉日(1835)」お江戸の方のようです。
氷川神社御由緒 寛文期には飛鳥白山神明三社、別当明音寺。化政期の『風土記稿』には飛鳥山権現社、春日・白山を合祀、聖動寺持。弘化元年(1884)に、名主平野家が大宮氷川神社を分祀。明治四十年に近隣の神明社、白山社などが合祀される。
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4/14 13:27
氷川神社御由緒 寛文期には飛鳥白山神明三社、別当明音寺。化政期の『風土記稿』には飛鳥山権現社、春日・白山を合祀、聖動寺持。弘化元年(1884)に、名主平野家が大宮氷川神社を分祀。明治四十年に近隣の神明社、白山社などが合祀される。
この辺りに明音寺があったのかな。
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4/14 13:29
この辺りに明音寺があったのかな。
ズラリと並んだ境内社。その後方に別棟であったのが、
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4/14 13:30
ズラリと並んだ境内社。その後方に別棟であったのが、
何と御嶽神社でした。この時はまだ「おんたけ」か「みたけ」か分かりませんでしたが、中を拝見すると、
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4/14 13:31
何と御嶽神社でした。この時はまだ「おんたけ」か「みたけ」か分かりませんでしたが、中を拝見すると、
「御嶽山座王大権現 八海山提頭羅神王 三笠山刀利天」の石塔が祀られていました!「おんたけ」でした!
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4/14 13:32
「御嶽山座王大権現 八海山提頭羅神王 三笠山刀利天」の石塔が祀られていました!「おんたけ」でした!
台石には「<山〇三>講中」、建屋ががっちりガードされていて、紀年銘などは確認できず。ただ、
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4/14 13:33
台石には「<山〇三>講中」、建屋ががっちりガードされていて、紀年銘などは確認できず。ただ、
その隣の霊神碑には「御嶽山末廣万人講社 昭和二年卯四月建立」とあります。
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4/14 13:34
その隣の霊神碑には「御嶽山末廣万人講社 昭和二年卯四月建立」とあります。
こちらにも別の御由緒がありました。
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4/14 13:46
こちらにも別の御由緒がありました。
このトトロちゃんは以前からいるやつかなぁ。
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4/14 13:48
このトトロちゃんは以前からいるやつかなぁ。
安行原の蛇造り
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4/14 14:02
安行原の蛇造り
出羽三山(湯殿山 月山 羽黒山)供養塔
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4/14 14:04
出羽三山(湯殿山 月山 羽黒山)供養塔
「天保二辛卯年三月吉祥日(1831) 谷古田領原村」
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4/14 14:05
「天保二辛卯年三月吉祥日(1831) 谷古田領原村」
青面金剛庚申塔(享保十六辛亥年、1731)とお地蔵様
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4/14 14:06
青面金剛庚申塔(享保十六辛亥年、1731)とお地蔵様
そして大蛇さんはあちら。
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4/14 14:10
そして大蛇さんはあちら。
密蔵院にやって来ました。先日、安行桜を見に来たばかりですが、その時の忘れ物を見つけに来ました。枝垂れ桜が楽しめました。
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4/14 14:16
密蔵院にやって来ました。先日、安行桜を見に来たばかりですが、その時の忘れ物を見つけに来ました。枝垂れ桜が楽しめました。
前回、散々探しても見つからなかった三角点。まさかこんな所に!tomoshige様に教えていただきました!
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4/14 14:30
前回、散々探しても見つからなかった三角点。まさかこんな所に!tomoshige様に教えていただきました!
「密蔵院」16.63 m四等三角点
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4/14 14:31
「密蔵院」16.63 m四等三角点
♪ここまで来たら〜、お隣の九重神社(ここも元は氷川社)にある御嶽山にも登拝。
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4/14 14:38
♪ここまで来たら〜、お隣の九重神社(ここも元は氷川社)にある御嶽山にも登拝。
安行原自然の森のシャガ
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4/14 14:50
安行原自然の森のシャガ
一面に咲いています。その上方にはヤマブキが凄いことになっていました。
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4/14 14:54
一面に咲いています。その上方にはヤマブキが凄いことになっていました。
分かされの青面金剛庚申塔、主尊の両脇に「天下泰平」、右側面には「奉建立庚申塔 領家村中 安永三甲午天三月吉祥日(1774)」、左側面には「講中」と多数の講員銘が列刻。
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4/14 15:01
分かされの青面金剛庚申塔、主尊の両脇に「天下泰平」、右側面には「奉建立庚申塔 領家村中 安永三甲午天三月吉祥日(1774)」、左側面には「講中」と多数の講員銘が列刻。
への字口?のショケラさん。
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4/14 15:01
への字口?のショケラさん。
邪鬼と三猿もなかなか味があります。
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4/14 15:02
邪鬼と三猿もなかなか味があります。
昨日と本日が一輪草まつりだったようです。すでに後片付け中でした。
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4/14 15:05
昨日と本日が一輪草まつりだったようです。すでに後片付け中でした。
万葉植物苑
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4/14 15:07
万葉植物苑
会場に咲いていたイチリンソウはホントに僅か一輪とこちらの蕾だったそうです。
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4/14 15:10
会場に咲いていたイチリンソウはホントに僅か一輪とこちらの蕾だったそうです。
かつてはこんなに咲いていた時もあったようです。
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4/14 15:13
かつてはこんなに咲いていた時もあったようです。
その先の自生地にも10輪ほどが点々と咲いているだけでした。
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4/14 15:21
その先の自生地にも10輪ほどが点々と咲いているだけでした。
花梨の花だそうです。十数年前に造ったカリン酒が手つかずであるはずですが、どうなっているだろう?
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4/14 15:29
花梨の花だそうです。十数年前に造ったカリン酒が手つかずであるはずですが、どうなっているだろう?
名前に魅かれて立ち寄ってみました。
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4/14 15:46
名前に魅かれて立ち寄ってみました。
女郎仏の由来
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4/14 15:46
女郎仏の由来
女郎物の櫻
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4/14 15:48
女郎物の櫻
こちらが女郎仏?
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4/14 15:51
こちらが女郎仏?
青面金剛庚申塔、ショケラ持ちです。「明和七庚寅十一月吉日(1770) 石神村 願主言入 世話人孫右衛門 芳右衛門/講中<多数の講員銘が列刻>」
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4/14 15:53
青面金剛庚申塔、ショケラ持ちです。「明和七庚寅十一月吉日(1770) 石神村 願主言入 世話人孫右衛門 芳右衛門/講中<多数の講員銘が列刻>」
風化や潰されたお顔が多いですが、こんなに綺麗なお顔の青面金剛はなかなかないと思います。
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4/14 15:53
風化や潰されたお顔が多いですが、こんなに綺麗なお顔の青面金剛はなかなかないと思います。
ショケラさんも覚悟を決めている感じ。石香炉に隠れていますが、邪鬼、三猿も良さげでした。
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4/14 15:54
ショケラさんも覚悟を決めている感じ。石香炉に隠れていますが、邪鬼、三猿も良さげでした。
お堂の裏手には無縫塔や数枚の奉納額『女郎仏』がありました。最右「越谷 新屯家石屋」、その隣「吉川町木賣 鳶職 林□明 最左「弘化三午歳二月(1846) 盖彗 深井氏」
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4/14 15:55
お堂の裏手には無縫塔や数枚の奉納額『女郎仏』がありました。最右「越谷 新屯家石屋」、その隣「吉川町木賣 鳶職 林□明 最左「弘化三午歳二月(1846) 盖彗 深井氏」
手水鉢には「石神村 上組中 戒誉代/天保二辛卯十月吉祥日(1831)」
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4/14 15:56
手水鉢には「石神村 上組中 戒誉代/天保二辛卯十月吉祥日(1831)」
石神御嶽塚。「とりけらさんのブログ」で拝見し、やっと来れました。そのブログによると左中段は白山社、写真にはありませんが、右手前は三峯社とのこと。
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4/14 16:04
石神御嶽塚。「とりけらさんのブログ」で拝見し、やっと来れました。そのブログによると左中段は白山社、写真にはありませんが、右手前は三峯社とのこと。
そして最上部の覆屋には三座神像が揃い踏み。まず右に八海山提頭羅神王像、虎冠はないようです。
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そして最上部の覆屋には三座神像が揃い踏み。まず右に八海山提頭羅神王像、虎冠はないようです。
横から
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4/14 16:06
横から
三笠山刀利天宮像、こちらも象冠はないもようですが、瑞雲には乗っていますね。ちょっと斜めっています?
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三笠山刀利天宮像、こちらも象冠はないもようですが、瑞雲には乗っていますね。ちょっと斜めっています?
そして中央には御嶽山座王大権現 像
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4/14 16:08
そして中央には御嶽山座王大権現 像
アップで
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4/14 16:09
アップで
横から
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4/14 16:09
横から
台石に「世話人 橋本権六 石井豊太郎 喜兵エ四代目杉浦徳治郎 慶應元乙丑五月吉日(1865)」
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台石に「世話人 橋本権六 石井豊太郎 喜兵エ四代目杉浦徳治郎 慶應元乙丑五月吉日(1865)」
最後に三座神の御尊顔を拝して帰ります。八海山
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最後に三座神の御尊顔を拝して帰ります。八海山
三笠山
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三笠山
御嶽山
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4/14 16:14
御嶽山
ホントはこの近くにあった赤羽のサイケなマネキンさんをゴールにしようと思いましたが、無くなっていました!
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ホントはこの近くにあった赤羽のサイケなマネキンさんをゴールにしようと思いましたが、無くなっていました!
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