奥秩父主稜
- GPS
- 16:04
- 距離
- 39.3km
- 登り
- 2,715m
- 下り
- 2,738m
コースタイム
- 山行
- 6:16
- 休憩
- 1:05
- 合計
- 7:21
- 山行
- 7:33
- 休憩
- 1:10
- 合計
- 8:43
天候 | 1日目(3/21):晴れ 3日目(3/22):晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
下山口:日原鍾乳洞から西東京バスでJR青梅線奥多摩駅 |
写真
感想
1日目(3/21): 晴れ
2日目は単独行で奥秩父主稜線に入った。立川から青梅線に乗り奥多摩駅で西東京バスに乗り換えた。土曜休日は9時30分発の丹波行はないが、今日は平日で7時発がある。青梅街道(R411)は多摩川を遡り、奥多摩湖を過ぎると山梨県となり丹波山(たばやま)村に入った。丹波バス停で降り、徒歩となるがこの先延々8.6劼論椎潦稿擦鯤發。この道は柳沢峠を越えて大菩薩嶺の登山口裂石温泉を経て塩山に繋がる道だ。地形図では川に沿って道が付けられているがトンネルでショートカットし付け替えられてた区間が2箇所あった。一ノ瀬川の合流点で青梅街道を離れ一ノ瀬林道へと入って行った。
この辺りの谷は深くオイラン淵と云われる。徳川家康に重用された武田の遺臣大久保石見守長安が甲州金山採掘を行い当時鉱山の取り分は「四分六」と決められ、勿論その経費も含めてだが六分は長安のものとなった。本田正信と大久保忠隣の確執や家康の六男で越後高田城主の松平忠輝失脚事件もからみ、不正蓄財として死後暴かれた人物だ。生前「金の産出量が減った」と偽って閉鉱した際、秘密を守るためこの淵に掛けられた特設の舞台の蔓を切り、呼び込まれていた花魁たちもろとも谷に落とし、口封じをしたと云う伝説があり、オイラン淵の名が残る。悲しい霊が今も彷徨うらしい。
車道歩きは林道へと入り二ノ瀬まで合計13.3辧2時間30分も歩くことになった。本来の登山口は三ノ瀬だが最初の山、三ノ輪頭(みのわのあたま1,537m)へは北から回り込むようにして登頂するが石楠花橋を渡ってからショートカットできないかと物色したながら進んで来た。二ノ瀬まで来ると谷筋に踏み跡があり取り付くことにした。踏み跡は直ぐに無くなり急だが広い谷筋は下草もなくそのまま登り続けた。標高差200m余りを上がると稜線に達し微かな踏み跡(獣道か?)が現れ、傾斜が緩くなり踏み跡が段々しっかりしてきて三ノ輪頭に到着した。3等三角点「市ノ瀬」があり古びた山頂標識が転がっていた。残念ながら樹林帯で展望はなかった。ツインピークのようになった次のピークにはソーラーパネルの付いたアメダス雨量計があり北に下ると将監小屋まで続く林道に飛び出した。この山域は東京都の水源林として東京都水道局が管理しており、水道局の看板に「ここは背中あぶり」と書かれていた。樹林の中なのに何故・・・
草原を分けて七ッ石尾根に取り付くとしっかりした登山道に飛び出した。淡々と登り標高が1,700mを過ぎた辺りから所々に雪を見た。山頂域に達しなだらかになると牛王院平、ピークの1,860mの標高点が牛王院平の頭、樹林越しに西御殿岩(2,075m)等を望むことができた。歩を進めると奥秩父主稜線に達した。登山道があるがアイスバーンになっていた。歩き難いので防火帯なのか切り開かれた稜線を進むとそのピークでこれから行く主稜線の竜喰山(りゅうばみやま)や南には雁ヶ腹摺山、大菩薩嶺も見ることができた。昨日の甲府は霞んでいたが今日は遠望が利いた。
将監峠を少し下ると将監小屋がある。過去2回泊った古びた小屋だが小じんまりして土間の薪ストーブを囲んで他の登山者と談笑した想い出が懐かしい。営業は4月下旬からで今は冬季小屋として解放されている。壁の掲示に宿泊料3,500円とあった。予定では此処でテントだったが行程が捗り未だ14時だ。水を補給してもう少し進もう。主稜線の縦走路は竜喰山、大常木山、飛龍山の西山麓を巻いている。登山地図にはルートは記されていないが稜線上には踏み跡があるので今回は稜線を歩くことを目的にした。将監峠に戻り尾根に取り付くのがセオリーだが縦走路を飛龍山方面に進み峠に到る道を通ることにした。地図の感覚では直ぐの筈だったが心配になる程進んでやっと分岐に辿り着いた。右側は草付の斜面で取り付けそうだ。峠に戻るのも芸がなくその斜面を斜めに登りP1883に直登した。
登ってみるとビックリする程素晴らしい展望だ。富士山がバッチリ! 大菩薩嶺を従えて鎮座する姿は、関東の山でしか見ることができない絶景、此れが見たさに毎年関東の山に来る。そして雪を纏った南アルプスは聖、赤石、荒川、塩見と懐かしい山が連なっていた。奥秩父主稜線は北奥仙丈、国師岳まで見え堪能できた。竜喰山稜線は険しい部分もあり整備はされていない。斜面のアイスバーンには危険を感じる部分もあったがこの日はアイゼンなしで通した。竜喰山(2,012m) 山頂には2等三角点「大常木」があるが展望はなく大きな山頂看板が置かれていた。昨年は“2012年”で“辰年”の山として登った人が多かったことだろう。
時刻は15時を過ぎ平らな所があればテン場にしようと探しながら南東に下った。大常木山との鞍部にほぼ平らな1テンの張れる位のスペースを発見、15時13分早々と行動を停止した。
2日目(3/22): 晴れ
夜になると風がビュンビュン吹きだした。未明から雪になったようで朝テントを這いだすと辺りが白くなりテントにも積もっていた。ガスっぽく未だ降り続いているので今日のご来光は望めそうになく日の出の時刻(5:38)を少し過ぎた頃、歩き始めた。すると稜線の木々に雪が付き素晴らしい光景を見せてくれた。今日一つ目の山は大常木山(おおつねぎやま1,960m)、雲が段々上がり展望良く、薄い雲のベールを被った和名倉山(2,036m)が輪郭を現した。飛龍山の方は未だ頭を雲に隠し中々姿を現さない。今朝の気温は氷点下で今日は最初からアイゼンを装着、雪のないところも結構あるがシャキシャキと氷の上が気持ち良い。飛龍山の鞍部“大タル”に達する頃、山頂部に纏わり付いていた雲が取れ大きな山体が眼前に現れた。
主稜線登山道は飛龍山の南を巻き南端の飛竜権現からピストンで山頂に達するのが順路だが、今日の冒険は道のない北西尾根にアタックすることだ。2.5万図では相当等高線が詰っているので大変そうだが何んとなくあった踏み跡に釣られて入って行くが直ぐに踏み跡は途切れてしまった。やがて石楠花の林に雪と岩、傾斜が強まり、石楠花の枝にアイゼンが引っかかり、掴んだ木は根元から折れたりの悪戦苦闘、しかし露岩の上に立つと素晴らしい展望が得られた。雲が取れた南アルプスは昨日より澄んで見えた。和名倉山も朝日を浴びて優雅な山体を完全に表した。飛龍山山頂は展望がないので北西尾根の展望は苦労の甲斐があったと云うものだ。しかし道は未だ続く、50分の戦いで漸く飛龍山(2,077m)山頂に到着した。0.7辧標高差250mに随分時間が掛ったものだ。時間だけで云うと急がば回れだったようだ。3等三角点「比竜」(2,069m)は山頂よし少し東にありこの地点に山梨百名山の山頂標識が設置されている。木の間越しに富士山が見えるがまともに見えないのが残念だ。
下山は飛龍権現に行くのがこれまた正当だが、そのまま北東尾根を進んだ。巻道が稜線に近くなって来た処に飛び出した。北東尾根は微かな踏み跡があり余り苦労はなかった。三ッ岩の麓に北天ノタルがあり、三条の湯への道が分岐していた。展望が良く早くも栄養補給の休憩を取った。雲取山や鷹ノ巣山、大岳山、御前山等を楽しむことができた。縦走路は三ッ山(1,949m)の麓を巻くが平成21年に来た時は三ッ山本峰に登った。恐らく3つのピークからなるのでそう呼ばれているのだろう。今日は西峰と思われるピークに取り付いた。こちらも登路は全くなく、石楠花、岩、雪の中でさっきと同じだ。突然アイゼンが外れた。良く見るとアイゼンの留め金具が外れて飛んでしまったようだ。以前に男鹿岳で外れたことがあり、それ以来予備を持つようにしたので今日は修理可能だ。然し面倒なのでアイゼンを外した。谷間の吹き溜まりもあるが、雪が緩みだしたので大丈夫だろう。
巻道が直ぐ下に見えたので這い下りて縦走路に戻った。三ッ山本峰の下を巻きなだらかな稜線に出るとそこは狼平、標識が立ち、ヌタ場になっているようだ。P1826の南を巻くと三条ダルミ、此処からも三条の湯へ下りることができる。東へ進むに連れて姿を現した富士山が此処まで来るとしっかり見えた。雁ヶ腹摺山と黒岳、大菩薩嶺を従えやっぱり素晴らしい。雲取山(2,017m)へは歩いたことのない巻道を通り雲取小屋に立ち寄って北から山頂を目指そうかと思っていたが分岐点に「道悪く通行止め」と表示があった。どう云う状況か全く分からず、小屋立寄りは断念して縦走路に従い西尾根を直登することにした。標高差280m程あり、やはり所々に雪がある程度で雪の量は飛龍山と比べると全然少ない。
雲取山(2,017m)は埼玉・東京・山梨の3都県境にあるが最ピークの1等三角点「雲取山」のある地点は埼玉・東京都県境だ。東京都と埼玉県が別々に山頂標識を立てている。山梨県のエリアは南側の避難小屋の所まででその地点に山梨百名山の標識が立っていた。
山頂の1等三角点の傍らに「原三角測點」が残っている。台形の標石で、ここ雲取山の他には新潟県の米山、群馬県の白髪岩の3箇所にだけ残っている歴史的なものだ。明治政府は内務省に地理局を置き三角測量を開始した。その時に設置した標石がこの台形の“原三角測點”であった。明治17年になると陸軍が業務を引き継ぎ陸地測量部という部署を設置して1等三角点の設置を始めた。このときバッティングする「原三角測點」は次々に引っこ抜かれてしまい、撤去し忘れたのかどうか日本中で先の3つだけが残ったものである。
昨日丹波を歩き出してから雲取山までは人には全く会わなかった。此処に来て初めて3人組の男性に出合った。鴨沢から登って来たと云う。コースタイムは4時間45分なので結構早い。雲取山は東京都の最高峰で日本百名山、流石に人気の山だ。小雲取山までの間に4組7人の登山者と出合ったがシーズンに入ればこんな静かな山ではない。防火帯の稜線はずっと展望が良く、富士山や南アルプスを見ながら歩くことができ、将に天上の散歩という爽快さがあった。小雲取山(1,937m)山頂は縦走路を少し外れ草の中の踏み跡を辿った。山頂標識などはなくピークに立って自己満足に浸った。
小雲取山からは石尾根縦走路と分れ野陣尾根の富田新道へと分れて行った。再び全く人気がなくなり鈴の音だけが樹林に響いた。P1845の次のピークが権衛ノ頭(約1,840m)だが樹林帯の中で山頂標識はなかった。サワラノ平(1,708m)まではなだらかに下ってきたが、此処からは唐松谷に向けて激下りとなった。落ち葉の深く積もった登山道を標高差800m近く下り続けた。直登はとても無理な傾斜でジグザグに付けられた登山道を辿った。標高1,120mで七ッ石山北西の石尾根稜線から下って来る唐松谷登山道と合流し更に急斜面を下り右から唐松谷が迫って来て日原川と合流する地点の深い渓谷を古い吊橋で渡った。手すりが低くおっかない。渡り終えると日原林道に向けて登り返しとなり標高1,005mで林道に飛び出した。
この先は日原林道を6.6卻發い鴇疇洞BSに向かう。林道は日原川を高巻き八丁山や石尾根の日陰名栗山や高丸山、天祖尾根が迫力を持って見ることができた。八丁橋では天祖尾根への登山道が分岐する。これも平成21年に歩いた道だ。右岸に渡り日原鉱山の施設を対岸に見て日原街道と合流し再び日原川を渡ると鍾乳洞BSだ。このバス停、日原鍾乳洞に行く最寄バス停であるのに平日しかバスが来ない。土曜休日は1厖召蠎蠢阿療貽原で折り返しとなる。周りに民家はなく観光客・登山客のためには休日こそ走るべきなのに・・・
バス停でコーヒーを入れて寛ぎ30分後のバスを待った。奥多摩から立川に戻り駅前のビジネスホテルに泊った。
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