「ちちぶの水」本日は秩父、水巡りとも銘打っているので道の駅ちちぶの此処からスタートです。
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9/23 7:25
「ちちぶの水」本日は秩父、水巡りとも銘打っているので道の駅ちちぶの此処からスタートです。
埼玉県下で最初に建設された橋立浄水場からの安全でおいしい水道水!薬品のろ過処理をしていない全国的にも稀有な水とのこと。水源は浦山川と武甲山の地下水とあります。
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9/23 7:25
埼玉県下で最初に建設された橋立浄水場からの安全でおいしい水道水!薬品のろ過処理をしていない全国的にも稀有な水とのこと。水源は浦山川と武甲山の地下水とあります。
ありがとう!武甲山
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9/23 7:27
ありがとう!武甲山
続いて1月の縁日にはダルマ市も立つ虚空蔵寺の湧水へ。
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9/23 7:39
続いて1月の縁日にはダルマ市も立つ虚空蔵寺の湧水へ。
手水鉢の奥、丘陵のハケからチョロチョロ湧いていました。
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9/23 7:44
手水鉢の奥、丘陵のハケからチョロチョロ湧いていました。
土曜日の山行で汗が冷えたのか、珍しく風邪気味で昨日は完全休養、本日もあまり食欲がありません。
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9/23 7:47
土曜日の山行で汗が冷えたのか、珍しく風邪気味で昨日は完全休養、本日もあまり食欲がありません。
御堂の裏手に「愛宕山」が祀られていました。
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9/23 7:54
御堂の裏手に「愛宕山」が祀られていました。
秩父市街地、長尾根の向こうに城峯方面の山並み。よく見るとその手前、皆野アルプスの小峰山下の反射板も確認できます。
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9/23 7:55
秩父市街地、長尾根の向こうに城峯方面の山並み。よく見るとその手前、皆野アルプスの小峰山下の反射板も確認できます。
秩父公園橋と長尾根の向こうには両神山。本日は終始雲に取り付かれていました、ミューズパークの展望台が見えています。
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9/23 7:58
秩父公園橋と長尾根の向こうには両神山。本日は終始雲に取り付かれていました、ミューズパークの展望台が見えています。
坂をのぼった角地には「武州奥山半僧坊」(石標だけ?)と石塔、覆屋の地蔵尊(寛延三年,1750)そして神社がありました。
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9/23 8:01
坂をのぼった角地には「武州奥山半僧坊」(石標だけ?)と石塔、覆屋の地蔵尊(寛延三年,1750)そして神社がありました。
馬頭観世音「享和元辛酉九月吉祥日(1801)當所講中」、右後方にある馬頭観世音供養塔の石柱には「享和元辛酉年ヨリ今大正十三年ニ至ル百二十四年目ニ正當建設」(1924)とあります。
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9/23 8:02
馬頭観世音「享和元辛酉九月吉祥日(1801)當所講中」、右後方にある馬頭観世音供養塔の石柱には「享和元辛酉年ヨリ今大正十三年ニ至ル百二十四年目ニ正當建設」(1924)とあります。
巳日待供養「寛保二壬戌龍集三月吉旦(1742) 宮地臺村講中<願主銘>」
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9/23 8:03
巳日待供養「寛保二壬戌龍集三月吉旦(1742) 宮地臺村講中<願主銘>」
その隣に「武州奥山半僧坊頂上」の小石柱がありましたが、その先は民家が建っています。
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9/23 8:04
その隣に「武州奥山半僧坊頂上」の小石柱がありましたが、その先は民家が建っています。
お社には「稲荷大神、大山祇大神、海祇大神」が祀られているようです。“海祇”は初めてかな。
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9/23 8:06
お社には「稲荷大神、大山祇大神、海祇大神」が祀られているようです。“海祇”は初めてかな。
民家の裏手に半僧坊のお宮がありました。
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9/23 8:08
民家の裏手に半僧坊のお宮がありました。
その佇まい、市街地、長尾根方面の良い展望地になっています。
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9/23 8:09
その佇まい、市街地、長尾根方面の良い展望地になっています。
半僧坊の隣には「豊川稲荷大神分神」も勧請されています。
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9/23 8:11
半僧坊の隣には「豊川稲荷大神分神」も勧請されています。
丘陵地の上、農園ホテル前を通り過ぎて、御嶽神社の一画に。横っちょから入っちゃったみたいです。鳥居はあちらに見えます。
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9/23 8:18
丘陵地の上、農園ホテル前を通り過ぎて、御嶽神社の一画に。横っちょから入っちゃったみたいです。鳥居はあちらに見えます。
御嶽神社社殿、その前方に
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9/23 8:18
御嶽神社社殿、その前方に
不動三尊像、主尊の不動明王は線刻(昭和四十一年一月二十八日 奉納秩父織物商事株式会社)、元々は刻像があったのかな?
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9/23 8:18
不動三尊像、主尊の不動明王は線刻(昭和四十一年一月二十八日 奉納秩父織物商事株式会社)、元々は刻像があったのかな?
二童子像が素晴らしい!何か“生”を感じとても魅かれました。
矜羯羅(コンガラ)童子、幼さの中に芯の強よそうな眼差しが印象的。
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9/23 8:19
二童子像が素晴らしい!何か“生”を感じとても魅かれました。
矜羯羅(コンガラ)童子、幼さの中に芯の強よそうな眼差しが印象的。
こんな柔和な表情の制多迦(セイタカ)童子は見たことありません。
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9/23 8:19
こんな柔和な表情の制多迦(セイタカ)童子は見たことありません。
しかも、イケメンさんです!背面に「童子二基 西山欽治郎」
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9/23 8:19
しかも、イケメンさんです!背面に「童子二基 西山欽治郎」
扁額「御嶽神社」
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9/23 8:20
扁額「御嶽神社」
拝殿前に三座神碑が立てかけられていました。「御嶽山座王大権現 武尊山大権現 意波羅山大権現 木食 普寛」
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9/23 8:22
拝殿前に三座神碑が立てかけられていました。「御嶽山座王大権現 武尊山大権現 意波羅山大権現 木食 普寛」
神楽殿もあります!
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9/23 8:26
神楽殿もあります!
秩父普寛教会を創設し、当神社を中興した大先達野上東岳翁の霊神碑。昭和五十七年五月、教会創設三十五周年記念で建設。
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9/23 8:27
秩父普寛教会を創設し、当神社を中興した大先達野上東岳翁の霊神碑。昭和五十七年五月、教会創設三十五周年記念で建設。
明治二十九、三十年に疫病が大流行した際、関根久兵衛らが御嶽大神を勧請、大島辰吉先達を迎え日夜信心して疫病を退散、人々はその神徳に感銘しここを「東ヶ岳」と命名し祭祀を続けた。
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9/23 8:27
明治二十九、三十年に疫病が大流行した際、関根久兵衛らが御嶽大神を勧請、大島辰吉先達を迎え日夜信心して疫病を退散、人々はその神徳に感銘しここを「東ヶ岳」と命名し祭祀を続けた。
ところが大正十二年大島先達が没すると後継者がなく、信仰は衰退した。戦後の世相頽廃人心混乱に際し野上東岳先達は当地御嶽山の復興に挺身し、普寛教会を開設して人心の安定を念じた。
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9/23 8:28
ところが大正十二年大島先達が没すると後継者がなく、信仰は衰退した。戦後の世相頽廃人心混乱に際し野上東岳先達は当地御嶽山の復興に挺身し、普寛教会を開設して人心の安定を念じた。
鳥居前の平地の脇に、「養蚕大神 秩父神社宮司薗田武男敬書/昭和二十八年再建 中下養蚕農業協同組合」
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9/23 8:28
鳥居前の平地の脇に、「養蚕大神 秩父神社宮司薗田武男敬書/昭和二十八年再建 中下養蚕農業協同組合」
「日御大神 / 明治参拾二年三月吉日(1899)女人講中」御嶽勧進当初のものですね。
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9/23 8:29
「日御大神 / 明治参拾二年三月吉日(1899)女人講中」御嶽勧進当初のものですね。
立派な石積の上に御嶽三座神碑
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9/23 8:30
立派な石積の上に御嶽三座神碑
「御嶽大神 八海大神 三笠大神 秩父神社社司権中教正□□□敬書/明治三十一年八月吉日(1898)當所講中」こちらも御嶽勧進当初のもの。
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9/23 8:30
「御嶽大神 八海大神 三笠大神 秩父神社社司権中教正□□□敬書/明治三十一年八月吉日(1898)當所講中」こちらも御嶽勧進当初のもの。
表参道の降り口に先述の大島先達の霊神碑がありました!「御嶽山先達 少講義 大嶋辰吉碑 七十八翁」背面には多数の寄附者銘と「大正十二年八月十八日(1923)」。この後信仰は一時衰退したようです。
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9/23 8:32
表参道の降り口に先述の大島先達の霊神碑がありました!「御嶽山先達 少講義 大嶋辰吉碑 七十八翁」背面には多数の寄附者銘と「大正十二年八月十八日(1923)」。この後信仰は一時衰退したようです。
表参道は九十九折のかなりの急傾斜です。その途中に霊神碑などが建っています。
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9/23 8:38
表参道は九十九折のかなりの急傾斜です。その途中に霊神碑などが建っています。
昭和の中興期、「昭和廿九年四月十八日 先達 野上東岳代 當所世話人」銘の霊神碑が多いですが、その中に
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9/23 8:40
昭和の中興期、「昭和廿九年四月十八日 先達 野上東岳代 當所世話人」銘の霊神碑が多いですが、その中に
普寛霊神碑がありました。背面には「明治廿八年八月吉日(1895)講元 関根氏建之」先述の由来より若干早いですが、元々普寛行者を信仰していたということですね。
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9/23 8:41
普寛霊神碑がありました。背面には「明治廿八年八月吉日(1895)講元 関根氏建之」先述の由来より若干早いですが、元々普寛行者を信仰していたということですね。
「不動尊」背面「…参十(三)年」、おそらく明治でしょう。
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9/23 8:43
「不動尊」背面「…参十(三)年」、おそらく明治でしょう。
車道に面した「御嶽山表参道」石標、取付は石段になっています。この道は何度も車で行き来していますが、全然気づきませんでした。
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9/23 8:48
車道に面した「御嶽山表参道」石標、取付は石段になっています。この道は何度も車で行き来していますが、全然気づきませんでした。
その車道(花見坂)をのぼった左手に大山祇神社。反対の右手には
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9/23 8:53
その車道(花見坂)をのぼった左手に大山祇神社。反対の右手には
レストラン『にぐるまやダイニング』、秩父駅地場産センターの荷車屋のカレーは食べたことがあります。今度夕日の綺麗な時にお訪ねしましょう。
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9/23 8:56
レストラン『にぐるまやダイニング』、秩父駅地場産センターの荷車屋のカレーは食べたことがあります。今度夕日の綺麗な時にお訪ねしましょう。
宮地高篠線道路新設工事の竣工記念碑、昭和40年代、自衛隊によるものらしい。
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9/23 9:01
宮地高篠線道路新設工事の竣工記念碑、昭和40年代、自衛隊によるものらしい。
聖地公園の一画から高篠山
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9/23 9:10
聖地公園の一画から高篠山
同じく武甲山
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9/23 9:12
同じく武甲山
子育て観音のレプリカ?
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9/23 9:15
子育て観音のレプリカ?
江戸太郎の墓(世田谷慶元寺の五輪塔を模したもの)江戸太郎重長、畠山重忠らとともに初めは源頼朝に敵したが、後にその陣営に加わり重用され、「関東の大福長者」と呼ばれた。
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9/23 9:18
江戸太郎の墓(世田谷慶元寺の五輪塔を模したもの)江戸太郎重長、畠山重忠らとともに初めは源頼朝に敵したが、後にその陣営に加わり重用され、「関東の大福長者」と呼ばれた。
「秩父と江戸氏」桓武平氏の流れをくむ平将常が秩父氏と称す。その曽孫重継が江戸平河に進出して江戸氏と改姓、重継の長男が江戸太郎重長。江戸氏による江戸支配は太田道灌の進出まで長きに及ぶ。
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9/23 9:18
「秩父と江戸氏」桓武平氏の流れをくむ平将常が秩父氏と称す。その曽孫重継が江戸平河に進出して江戸氏と改姓、重継の長男が江戸太郎重長。江戸氏による江戸支配は太田道灌の進出まで長きに及ぶ。
巨大な「聖徳太子奉崇欽敬□碑」(大正九年,1920)、元々は秩父の建築関係者が秩父公園に建立したものであるが、昭和43年にこちらに移設された。
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9/23 9:27
巨大な「聖徳太子奉崇欽敬□碑」(大正九年,1920)、元々は秩父の建築関係者が秩父公園に建立したものであるが、昭和43年にこちらに移設された。
旧秩父駅舎が移築復元されています。地場産センター建設に伴い昭和59年にこちらへ。
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9/23 9:33
旧秩父駅舎が移築復元されています。地場産センター建設に伴い昭和59年にこちらへ。
秩父鉄道の前進上武鉄道は明治34年熊谷を起点に操業、大正3年大宮町(現秩父市)に延長され秩父駅が開設された。
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9/23 9:33
秩父鉄道の前進上武鉄道は明治34年熊谷を起点に操業、大正3年大宮町(現秩父市)に延長され秩父駅が開設された。
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9/23 9:34
♪改札口で君のこと いつも待ったものでした〜
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9/23 9:36
♪改札口で君のこと いつも待ったものでした〜
現在の和同大橋近くにあった「招木の渡し」の船のようです。
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9/23 9:40
現在の和同大橋近くにあった「招木の渡し」の船のようです。
聖地公園から「ふるさと歩道」を行きます。
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9/23 9:51
聖地公園から「ふるさと歩道」を行きます。
通行するのは初めてです。
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9/23 9:55
通行するのは初めてです。
巡礼道にもなっているようです。
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9/23 9:56
巡礼道にもなっているようです。
北の樹窓から秩父公園橋と長尾根、その向こうに毘沙門山と小鹿野二子山
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9/23 10:06
北の樹窓から秩父公園橋と長尾根、その向こうに毘沙門山と小鹿野二子山
南には武甲山が目前に迫ります。
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9/23 10:12
南には武甲山が目前に迫ります。
突然、夏草のジャングル地帯となりました。
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9/23 10:13
突然、夏草のジャングル地帯となりました。
そして忽然と現れる赤い建物
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9/23 10:16
そして忽然と現れる赤い建物
上之台稲荷神社縁起
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9/23 10:18
上之台稲荷神社縁起
こちらも初めてです。なかなか立派な稲荷社ですね。
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9/23 10:19
こちらも初めてです。なかなか立派な稲荷社ですね。
丘陵部から参道を下ると斜面に井戸がありました。少量の水がありました。
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9/23 10:21
丘陵部から参道を下ると斜面に井戸がありました。少量の水がありました。
坂道の途中に琴平神社
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9/23 10:23
坂道の途中に琴平神社
参道を下りきるとそこが秩父札所十一番常楽寺、「坂氷観音」の扁額があります。
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9/23 10:27
参道を下りきるとそこが秩父札所十一番常楽寺、「坂氷観音」の扁額があります。
中世板碑と一寸気になった観音様。何処が?台石にウサちゃんいるように見えます(笑)、それともお猿さん?庚申塔?
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9/23 10:29
中世板碑と一寸気になった観音様。何処が?台石にウサちゃんいるように見えます(笑)、それともお猿さん?庚申塔?
「辨財天」もありました。
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9/23 10:30
「辨財天」もありました。
R140坂氷を横断して、羊山丘陵に登ります。
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9/23 10:38
R140坂氷を横断して、羊山丘陵に登ります。
坂氷(R140)の延長上に城峯山。右は下ってきた丘陵部
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9/23 10:40
坂氷(R140)の延長上に城峯山。右は下ってきた丘陵部
高篠山(大棚山)から丸山方面の眺め
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9/23 10:43
高篠山(大棚山)から丸山方面の眺め
柿原萬蔵翁、秩父鉄道創業者で初代社長。1929年供出されたが、同じ作者の北村西望氏に依頼して1954年再制作。
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9/23 10:48
柿原萬蔵翁、秩父鉄道創業者で初代社長。1929年供出されたが、同じ作者の北村西望氏に依頼して1954年再制作。
恥ずかしがり屋の両神山、もうちょっとなのに!
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9/23 10:51
恥ずかしがり屋の両神山、もうちょっとなのに!
「大宮」282.59 m三等三角点
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9/23 10:53
「大宮」282.59 m三等三角点
羊山の三角点と武甲山
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9/23 10:54
羊山の三角点と武甲山
「羊」
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9/23 10:55
「羊」
「秩父用水」の碑がありました。
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9/23 10:59
「秩父用水」の碑がありました。
丘陵部から秩父市街地方面に下る途中に牧水の滝、先日のTVドラマでも紹介されていましたね。
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9/23 11:02
丘陵部から秩父市街地方面に下る途中に牧水の滝、先日のTVドラマでも紹介されていましたね。
上方にある滝は枯れていました(笑)
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9/23 11:04
上方にある滝は枯れていました(笑)
そのドラマで“聖地巡礼”のカップルが写真を撮っていたベンチ。バックに城峯山
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9/23 11:04
そのドラマで“聖地巡礼”のカップルが写真を撮っていたベンチ。バックに城峯山
こちらの滝は稼働していました!
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9/23 11:06
こちらの滝は稼働していました!
若山牧水は大正年間に数回秩父を訪れているそうです。
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9/23 11:06
若山牧水は大正年間に数回秩父を訪れているそうです。
こちらでランチにしようと思いましたが臨時休業でした。
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9/23 11:15
こちらでランチにしようと思いましたが臨時休業でした。
西武秩父駅前、最近こういうのがはやりなのかな?
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9/23 11:16
西武秩父駅前、最近こういうのがはやりなのかな?
件のTVドラマの番宣ポスターがありました。けっこうマニアックな所を歩いていたので聖地巡礼しようかな。
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9/23 11:17
件のTVドラマの番宣ポスターがありました。けっこうマニアックな所を歩いていたので聖地巡礼しようかな。
ポテくまめんまとツーショット
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9/23 11:21
ポテくまめんまとツーショット
野坂地蔵「安永三星舎甲午八月社日(1774)」、巳待塔(文化十五戊寅年,1818)その奥に野坂堀記念碑(昭和二十八年)。“龍舎”は時々見かけますが“星舎”というのもあるんですね。
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9/23 11:39
野坂地蔵「安永三星舎甲午八月社日(1774)」、巳待塔(文化十五戊寅年,1818)その奥に野坂堀記念碑(昭和二十八年)。“龍舎”は時々見かけますが“星舎”というのもあるんですね。
頭上を 特急ラビューが通り過ぎていきます。
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9/23 11:46
頭上を 特急ラビューが通り過ぎていきます。
秩父札所十二番野坂寺、「開創当時は野坂堂と称する観音堂で現在の本堂の裏山の中腹にありました」
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9/23 11:52
秩父札所十二番野坂寺、「開創当時は野坂堂と称する観音堂で現在の本堂の裏山の中腹にありました」
野坂寺本堂、立派な龍がいますね。
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9/23 11:53
野坂寺本堂、立派な龍がいますね。
本日はここを目的に訪ねてきました。「野坂寺の湧水」武甲山の伏流水らしい。
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9/23 11:54
本日はここを目的に訪ねてきました。「野坂寺の湧水」武甲山の伏流水らしい。
大谷カラーの辨財天様がいらっしゃいました。
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9/23 11:55
大谷カラーの辨財天様がいらっしゃいました。
オプションで野坂堂跡地へ。たぶんこのあたりかな。地蔵尊(昭和十八年)が鎮座しています。
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9/23 12:08
オプションで野坂堂跡地へ。たぶんこのあたりかな。地蔵尊(昭和十八年)が鎮座しています。
ベンチのある小平地からの眺め。長尾根がいいですね!
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9/23 12:11
ベンチのある小平地からの眺め。長尾根がいいですね!
墓地の裏手を這い上がって丘陵部に乗りましたが、主要道は谷をはさんで一つ向こうのようです。
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9/23 12:19
墓地の裏手を這い上がって丘陵部に乗りましたが、主要道は谷をはさんで一つ向こうのようです。
何かの建造物跡がありました。
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9/23 12:21
何かの建造物跡がありました。
さらに進んで、
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9/23 12:24
さらに進んで、
乗馬クラブ辺りにでました。
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9/23 12:29
乗馬クラブ辺りにでました。
発破がなりました。ありがとう、武甲山!
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9/23 12:30
発破がなりました。ありがとう、武甲山!
琴平ハイキングコースを歩きます。
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9/23 12:35
琴平ハイキングコースを歩きます。
何かの赤い実ははぜています。
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9/23 12:38
何かの赤い実ははぜています。
ツリフネソウ、何かメフィラス星人っぽい
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9/23 12:47
ツリフネソウ、何かメフィラス星人っぽい
案内図の看板、何回か歩いていますが今回はじっくり見分しながら歩きます。
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9/23 12:48
案内図の看板、何回か歩いていますが今回はじっくり見分しながら歩きます。
「武甲山入口 従是五十丁」『武甲』と『武甲正宗』がいいですね。
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9/23 12:50
「武甲山入口 従是五十丁」『武甲』と『武甲正宗』がいいですね。
思ったよりも古いものだったんですね。「安永七戊戌秋(1778) 野坂村」
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9/23 12:51
思ったよりも古いものだったんですね。「安永七戊戌秋(1778) 野坂村」
押堀川を渡ると、
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9/23 12:53
押堀川を渡ると、
地蔵尊、
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9/23 12:55
地蔵尊、
続いて山神社と
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9/23 12:55
続いて山神社と
愛宕大神のお宮、石祠には「大正四年十一月吉日(1915)」。この後ハイキング道は鋭角に折り返して急登となります。残念ながら三角点までのログが取れていません。
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9/23 12:57
愛宕大神のお宮、石祠には「大正四年十一月吉日(1915)」。この後ハイキング道は鋭角に折り返して急登となります。残念ながら三角点までのログが取れていません。
「影森」398.78 m三等三角点
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9/23 13:13
「影森」398.78 m三等三角点
「竹田宮殿下台臨碑」(明治四十三年,1910)。竹田宮恒久王、日露戦争に際し武甲山下で行われた軍事演習で本部の大宮町に来たみたい。戦後、明治39年竹田宮の称号を賜る。
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9/23 13:18
「竹田宮殿下台臨碑」(明治四十三年,1910)。竹田宮恒久王、日露戦争に際し武甲山下で行われた軍事演習で本部の大宮町に来たみたい。戦後、明治39年竹田宮の称号を賜る。
またまた大山祇神のお社がありました。武甲山登山者と山仕事の村人の守護神として、当初は武甲山の峰続き奥橋立飯盛平に下影森共有山と市有林の境界近くに鎮座、
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9/23 13:27
またまた大山祇神のお社がありました。武甲山登山者と山仕事の村人の守護神として、当初は武甲山の峰続き奥橋立飯盛平に下影森共有山と市有林の境界近くに鎮座、
秩父セメント鉱区開発に伴い遷宮、武甲山の眺望、下影森登山道の分岐点、箪笥岩に面する景勝地の当地が選ばれた。残念ながら現在は眺望なし。“タンス岩”は案内図にありましたね。
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9/23 13:31
秩父セメント鉱区開発に伴い遷宮、武甲山の眺望、下影森登山道の分岐点、箪笥岩に面する景勝地の当地が選ばれた。残念ながら現在は眺望なし。“タンス岩”は案内図にありましたね。
お社の佇まい。右の石祠には「昭和卅九年八月吉日/八幡町有志一同建之」左は「明治廿七年旧十一月吉祥日(1894)/影森氏子中」
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9/23 13:31
お社の佇まい。右の石祠には「昭和卅九年八月吉日/八幡町有志一同建之」左は「明治廿七年旧十一月吉祥日(1894)/影森氏子中」
馬頭観世音「丁(未) 弘化四年 願主 新井友(四)郎」
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9/23 13:35
馬頭観世音「丁(未) 弘化四年 願主 新井友(四)郎」
頬のこけた地蔵尊、その御顔と赤い衣装が一寸似合ってない気がするのですが…
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9/23 13:36
頬のこけた地蔵尊、その御顔と赤い衣装が一寸似合ってない気がするのですが…
長者屋敷跡には東屋が建っています。下山後、主のお墓に参る予定ですが見つかるかな?
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9/23 13:42
長者屋敷跡には東屋が建っています。下山後、主のお墓に参る予定ですが見つかるかな?
「長者屋敷 琴平神社林木園 下影森共有山賛助 紀元2630年」
武甲山山頂下の長者屋敷の頭もここに由来するのかな。
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9/23 13:42
「長者屋敷 琴平神社林木園 下影森共有山賛助 紀元2630年」
武甲山山頂下の長者屋敷の頭もここに由来するのかな。
暫し休憩しました。
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9/23 13:45
暫し休憩しました。
大岩には頑丈は鉄製階段が設けられています。これがなかった時代は巻いていたんでしょうね。
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9/23 14:06
大岩には頑丈は鉄製階段が設けられています。これがなかった時代は巻いていたんでしょうね。
天狗の飛び石、上に何かある様です。
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9/23 14:06
天狗の飛び石、上に何かある様です。
「大(天狗) 小天狗」の石塔がありました。
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9/23 14:07
「大(天狗) 小天狗」の石塔がありました。
さらに階段を昇った岩場には秩父修験堂が再建されています。設計は秩父夜祭の笠鉾屋台でも知られる名工・坂本才一郎氏によるものだそうです。
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9/23 14:08
さらに階段を昇った岩場には秩父修験堂が再建されています。設計は秩父夜祭の笠鉾屋台でも知られる名工・坂本才一郎氏によるものだそうです。
「大天狗 小天狗」の石祠と円板には各々、金比羅大権現、熊野弎所大権現そして秩父卅四ヶ所観世音菩薩とあります。
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9/23 14:09
「大天狗 小天狗」の石祠と円板には各々、金比羅大権現、熊野弎所大権現そして秩父卅四ヶ所観世音菩薩とあります。
「象頭山大権現」の額がありました。この辺りは斎所山と呼ばれ琴平神社の元宮があったようです。
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9/23 14:09
「象頭山大権現」の額がありました。この辺りは斎所山と呼ばれ琴平神社の元宮があったようです。
斎所山と護国観音の間は約一粁は岩伝いの道になり行者たちは武甲山、両神山を遥拝しながら何往復もしたそうです。
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9/23 14:11
斎所山と護国観音の間は約一粁は岩伝いの道になり行者たちは武甲山、両神山を遥拝しながら何往復もしたそうです。
斎所山、琴平神社の痕跡がわずかに残っています。石燈籠(文化元甲子,1804)と
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9/23 14:13
斎所山、琴平神社の痕跡がわずかに残っています。石燈籠(文化元甲子,1804)と
石柱には「奉納 金刀比羅大神/于時明治十八年三月十日(1885) 願主 松本仲)
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9/23 14:16
石柱には「奉納 金刀比羅大神/于時明治十八年三月十日(1885) 願主 松本仲)
こちらの正観音坐像も行者たちが観音講を広めながら喜捨を集めてこちらに寄進したそうです。大勢の江戸の方の戒名銘があります。
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9/23 14:18
こちらの正観音坐像も行者たちが観音講を広めながら喜捨を集めてこちらに寄進したそうです。大勢の江戸の方の戒名銘があります。
300年以上も続く優しい御尊顔ですね。それにしてもここまで運び上げるのは大変だったでしょうね。半面、それで供出を免れたのかな。
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9/23 14:18
300年以上も続く優しい御尊顔ですね。それにしてもここまで運び上げるのは大変だったでしょうね。半面、それで供出を免れたのかな。
「奉納 正観音 秩父二十六番下影森 正徳四甲午歳七月十八日(1714)」
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9/23 14:18
「奉納 正観音 秩父二十六番下影森 正徳四甲午歳七月十八日(1714)」
「武江神田住 御鋳物師 木村将監藤原安成」
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9/23 14:19
「武江神田住 御鋳物師 木村将監藤原安成」
こちらにも弘法大師像があったそうですが、勝手に売り払われてしまったそうです。
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9/23 14:21
こちらにも弘法大師像があったそうですが、勝手に売り払われてしまったそうです。
岩井堂に下る岩場の途中に会った道しるべ。「おくのゐん道」
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9/23 14:28
岩井堂に下る岩場の途中に会った道しるべ。「おくのゐん道」
岩井堂裏の岩陰にある石造物群。左の宝筐印塔には「宝永二年己酉四月吉辰(1705) 円融比丘範疇叟士洪代」とありました。
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9/23 14:29
岩井堂裏の岩陰にある石造物群。左の宝筐印塔には「宝永二年己酉四月吉辰(1705) 円融比丘範疇叟士洪代」とありました。
閻魔王像、台石に「奉納 秩父二十六番岩谷堂 /施主江戸 慶道 寛渓 大□ 大□ 石屋守兵衛 寛延元戊辰十月吉日(1748)」
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9/23 14:30
閻魔王像、台石に「奉納 秩父二十六番岩谷堂 /施主江戸 慶道 寛渓 大□ 大□ 石屋守兵衛 寛延元戊辰十月吉日(1748)」
岩井堂の“井”は枯れているようです。
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9/23 14:33
岩井堂の“井”は枯れているようです。
石塔、色んな銘があります。「金毘羅宮、熊野宮、(あたご)、・禅師ごぜん、弘法大師ごぜん、三十、…通」道標?
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9/23 14:37
石塔、色んな銘があります。「金毘羅宮、熊野宮、(あたご)、・禅師ごぜん、弘法大師ごぜん、三十、…通」道標?
舞台造りの岩井堂、石燈籠は「願主新井半兵衛/文政七年甲申年二月吉旦(1824)/當山現住梅叟代」
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9/23 14:39
舞台造りの岩井堂、石燈籠は「願主新井半兵衛/文政七年甲申年二月吉旦(1824)/當山現住梅叟代」
ハイキング道から一寸逸れた展望峰からの眺め、小鹿野二子山と毘沙門山が重なって、私の目には“チチブサワラ”に見えた(笑)
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9/23 14:52
ハイキング道から一寸逸れた展望峰からの眺め、小鹿野二子山と毘沙門山が重なって、私の目には“チチブサワラ”に見えた(笑)
同じくハイキング道から一寸逸れて護国観音の直下に来ました。外国のカップルの方が休まれていました。パッと見開いた瞳で眼下をご覧になっています。
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9/23 15:00
同じくハイキング道から一寸逸れて護国観音の直下に来ました。外国のカップルの方が休まれていました。パッと見開いた瞳で眼下をご覧になっています。
足元の岩場には瞳を閉じた御尊顔の線刻像もあります。江戸末期に消失した月影堂はこの辺りにあったようです。
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9/23 15:01
足元の岩場には瞳を閉じた御尊顔の線刻像もあります。江戸末期に消失した月影堂はこの辺りにあったようです。
赤い巴橋と長尾根、御荷鉾山から城峯山の眺め
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9/23 15:03
赤い巴橋と長尾根、御荷鉾山から城峯山の眺め
こちらは秩父市街と秩父公園橋、遠景は左、皆野アルプスから宝登山、北武蔵、そして右に蓑山
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9/23 15:03
こちらは秩父市街と秩父公園橋、遠景は左、皆野アルプスから宝登山、北武蔵、そして右に蓑山
護国観音建立記念碑(昭和十年亥十一月十八日開眼)、本来蓮華を持つはずが、ご時勢からか剣を持つことになり“護国”観音になったそうな。
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9/23 15:05
護国観音建立記念碑(昭和十年亥十一月十八日開眼)、本来蓮華を持つはずが、ご時勢からか剣を持つことになり“護国”観音になったそうな。
ハイキング道はここで右折して下りますが、尾根伝いに石段が見えたので行ってみました。
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9/23 15:07
ハイキング道はここで右折して下りますが、尾根伝いに石段が見えたので行ってみました。
これは絶対何かありそう!
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9/23 15:08
これは絶対何かありそう!
ピークは平場になっており、やはり何かの建物跡(月影堂はここだったんじゃないの?と妄想)がありました。さらに尾根伝いに道がありましたが、本日はここまで。
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9/23 15:09
ピークは平場になっており、やはり何かの建物跡(月影堂はここだったんじゃないの?と妄想)がありました。さらに尾根伝いに道がありましたが、本日はここまで。
いかにも祠でもあった感じの石積。ハイキング道へ戻り二十七番に下ります。
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9/23 15:10
いかにも祠でもあった感じの石積。ハイキング道へ戻り二十七番に下ります。
あまり威圧感のないお不動様
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9/23 15:19
あまり威圧感のないお不動様
さらに覆屋の中にも二体の不動明王像がありました。何か町奴風のお不動様。
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9/23 15:20
さらに覆屋の中にも二体の不動明王像がありました。何か町奴風のお不動様。
こちらはさらにユーモラスなお不動様ですね。『忍たま』にでも出て来そうな感じ。
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9/23 15:21
こちらはさらにユーモラスなお不動様ですね。『忍たま』にでも出て来そうな感じ。
不動尊の下に水場があったので、はじめこれが延命水だと思っちゃいました。月影堂の観音様を詣でてから下に行くと、
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9/23 15:23
不動尊の下に水場があったので、はじめこれが延命水だと思っちゃいました。月影堂の観音様を詣でてから下に行くと、
何とここにホントの「観音山延命水」がありました。
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9/23 15:27
何とここにホントの「観音山延命水」がありました。
三十三か月長生きできるそうですよ。
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9/23 15:28
三十三か月長生きできるそうですよ。
父親の寿命まであと5年なので一寸微妙ですが、一応いただいておきました(笑)
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9/23 15:28
父親の寿命まであと5年なので一寸微妙ですが、一応いただいておきました(笑)
影森用水の説明板
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9/23 15:31
影森用水の説明板
これかな?
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9/23 15:31
これかな?
長福寺参道入口、左から「巳待塔」(文政十一丁亥年、1827)、「千部供養塔」(延享三丙寅龍舎,1746)、「大勢至」(元文三戊午年,1738) 対面には青面金剛と地蔵尊クール5
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9/23 15:46
長福寺参道入口、左から「巳待塔」(文政十一丁亥年、1827)、「千部供養塔」(延享三丙寅龍舎,1746)、「大勢至」(元文三戊午年,1738) 対面には青面金剛と地蔵尊クール5
札所二十六番円融寺参道入口の「延命地蔵尊」(天明元辛丑歳、1781)
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9/23 15:50
札所二十六番円融寺参道入口の「延命地蔵尊」(天明元辛丑歳、1781)
こちらが長者屋敷の主、滋𠛬部のお墓だと思います。
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9/23 15:54
こちらが長者屋敷の主、滋𠛬部のお墓だと思います。
さて残るはメインミッションの御嶽探しです。八坂神社は簡単に見つかりましたが、近くにはなさそう。
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9/23 16:01
さて残るはメインミッションの御嶽探しです。八坂神社は簡単に見つかりましたが、近くにはなさそう。
ウロウロしていると26番の結界石の所まできてしまいました。「不許葷酒入山門/安永六酉歳六月吉日(1777)内手講中」戻ります。
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9/23 16:04
ウロウロしていると26番の結界石の所まできてしまいました。「不許葷酒入山門/安永六酉歳六月吉日(1777)内手講中」戻ります。
路傍の覆屋に石造物、左から「大勢至菩薩/元文五庚申四月十五日(1740)講中拾×」「庚申塔/明和四丁亥八月吉日(1767)」、右は謎の石塔、宿題にします!
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9/23 16:08
路傍の覆屋に石造物、左から「大勢至菩薩/元文五庚申四月十五日(1740)講中拾×」「庚申塔/明和四丁亥八月吉日(1767)」、右は謎の石塔、宿題にします!
ご近所の方に尋ねても御存知ないようで、適当に山に向かう道に入ってみました。突然シュウカイドウの群生地、うれしいサプライズ。
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9/23 16:14
ご近所の方に尋ねても御存知ないようで、適当に山に向かう道に入ってみました。突然シュウカイドウの群生地、うれしいサプライズ。
その先に案内がありました!グッジョブです!「きたえ」みち?
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9/23 16:14
その先に案内がありました!グッジョブです!「きたえ」みち?
内出山藤袴の丘 フジバカマが植栽されているようでした。それぞれに名札があります。お花は咲いていない感じでした(これから?)
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9/23 16:19
内出山藤袴の丘 フジバカマが植栽されているようでした。それぞれに名札があります。お花は咲いていない感じでした(これから?)
この建物の少し下までは園路があります。これも小屋にしては床が高いので、かつてはお社でもあったのでしょうか。
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9/23 16:21
この建物の少し下までは園路があります。これも小屋にしては床が高いので、かつてはお社でもあったのでしょうか。
さらに草をかき分け進むと神社の建物がありました!
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9/23 16:23
さらに草をかき分け進むと神社の建物がありました!
かろうじて建っていますが、朽ちかけています。扁額も手前に落ちています。
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9/23 16:24
かろうじて建っていますが、朽ちかけています。扁額も手前に落ちています。
「御嶽山/影森町長 㐂翁 松本(多…)謹書」よい文字です。周辺に石造物は見つからず、唯一のエビデンス!
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9/23 16:27
「御嶽山/影森町長 㐂翁 松本(多…)謹書」よい文字です。周辺に石造物は見つからず、唯一のエビデンス!
一応、屋内に入れておきました。神様の降ろされたお宮が残っていました。
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9/23 16:28
一応、屋内に入れておきました。神様の降ろされたお宮が残っていました。
神社の裏手が岩峰になっていたので、期待を込めて登ってみましたが、残念ながら何も無し!
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9/23 16:33
神社の裏手が岩峰になっていたので、期待を込めて登ってみましたが、残念ながら何も無し!
隣の峰にも行ってみましたが、ここも何も無し。
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9/23 16:37
隣の峰にも行ってみましたが、ここも何も無し。
下山はこちらから26番方面へ。
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9/23 16:39
下山はこちらから26番方面へ。
御嶽のあった内出山から今朝歩いた東ヶ岳御嶽あたりの丘陵地、農園ホテルも見えますね。その向こうには蓑山。背丈ほどのススキ野で道は不明に。
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9/23 16:41
御嶽のあった内出山から今朝歩いた東ヶ岳御嶽あたりの丘陵地、農園ホテルも見えますね。その向こうには蓑山。背丈ほどのススキ野で道は不明に。
この時間帯にこの藪に入るのは気が重いですが、もうすぐなのでいざ突入です!円融寺裏の墓地の一画に降りました。
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9/23 16:43
この時間帯にこの藪に入るのは気が重いですが、もうすぐなのでいざ突入です!円融寺裏の墓地の一画に降りました。
帰り道、こんな看板がありました。お花はこれからなんですね。
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9/23 17:00
帰り道、こんな看板がありました。お花はこれからなんですね。
御顔を隠してしまいましたが、ありがとう!武甲山!
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9/23 17:04
御顔を隠してしまいましたが、ありがとう!武甲山!
道の駅に戻ってゴールです。
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9/23 17:38
道の駅に戻ってゴールです。
御嶽神社のニ童子にメロメロ、これは是非会いにいきたいです✨
すごいですね。これを作られた方の他の作品も拝見したいものです。お不動様も以前は線刻でない像があったのであれば、どんな像だったのでしょうね。ニ童子から、勝手にイケメンのお不動様を妄想してしまいました(^_^;)
最後の御嶽神社は、朽ちかけていて石像物も見つからず残念でしたが、立派な扁額が出迎えてくれてよかったですね。また、扁額を中に入れていただけて、よかったです。これで、扁額が朽ちるのが、ずっと先に延びたと思います。
秋海棠の群落、秩父の札所をまわりはじめたときは、まだあちこちにあって、励ましてもらったのをおもいだしました。また、私も行ったことがある場所が沢山出てきて、いろいろ思い出して楽しかったです。
風邪気味で、20キロも歩かれるとは恐るべしなのですが、お身体も大切になさってください。
早く絶好調になりますように✨
先程、米山遠征から帰って来たのでご返事が遅くなって申し訳ありません。
ホントあの二童子は今まで出逢った中でも一番のイケメンさんです。お顔の感じが今風のような気もするし、石の感じから明治物のような気もするしで、はっきりしませんが、石仏好きなら一見の価値はあるとおもいます。もし親分の像があったらどんなお顔だったんでしょうね。
最後の御嶽神社はたまたまG地図で見つけました。何の情報もなかったので石碑があるくらいかなと踏んでいたら、立派なお社(半壊状態でしたが)があってビックリしました。逆に石造物がなかったので、きれいに片づけられたのか、夕刻がせまっていたので見逃していたにかもしれません。
両社ともいつでもご案内いたしますので、その際はご連絡くださいませ!
米山は体調不良の中の強行軍でしたが、お陰様でまあまあの収穫がありました!
それでは。 godohan
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