前夜は普段は使わない市販の風邪薬を飲んでこちらで車中泊。5時ぐらいに起きると目の前に冬の大三角が輝いていました。
0
9/30 6:39
前夜は普段は使わない市販の風邪薬を飲んでこちらで車中泊。5時ぐらいに起きると目の前に冬の大三角が輝いていました。
米山登山道下牧口ある下村ベース993、噂通りの快適なスペースです。宿泊施設ではないそうです。
1
9/30 6:40
米山登山道下牧口ある下村ベース993、噂通りの快適なスペースです。宿泊施設ではないそうです。
体調不良につき今回はご勘弁を!
1
9/30 6:41
体調不良につき今回はご勘弁を!
薬が効いているのかゆっくりならいけそうです。
3
9/30 6:42
薬が効いているのかゆっくりならいけそうです。
いきなり御堂があるようです。旗立石には「大正十一年四月二十日立(1922)」施主銘の他「世話人 青年(団?)」とあります。
1
9/30 6:45
いきなり御堂があるようです。旗立石には「大正十一年四月二十日立(1922)」施主銘の他「世話人 青年(団?)」とあります。
御假堂でした。
2
9/30 6:47
御假堂でした。
冬の間は山頂の御本尊をこちらに移したそうです。
1
9/30 6:47
冬の間は山頂の御本尊をこちらに移したそうです。
石燈籠「文化四丁卯六月吉日(1807)施主當村中/世話人仙蔵」
0
9/30 6:49
石燈籠「文化四丁卯六月吉日(1807)施主當村中/世話人仙蔵」
境内の隅に石造物と六地蔵
2
9/30 6:50
境内の隅に石造物と六地蔵
<パク>に真言?の石塔「于時元禄十二年己卯八月日(1699)」
2
9/30 6:51
<パク>に真言?の石塔「于時元禄十二年己卯八月日(1699)」
「御假堂造作供養塔」
1
9/30 6:54
「御假堂造作供養塔」
「文化(十)二乙亥年八月吉祥日(1815) 牧村若衆中」とあります。どうやら御堂は若者組のお籠り堂にもなっていたと妄想しました。
1
9/30 6:54
「文化(十)二乙亥年八月吉祥日(1815) 牧村若衆中」とあります。どうやら御堂は若者組のお籠り堂にもなっていたと妄想しました。
六地蔵には「嘉永七年寅七月(1854)」とありました。
2
9/30 6:56
六地蔵には「嘉永七年寅七月(1854)」とありました。
登山道に戻る所に無縫塔
0
9/30 6:58
登山道に戻る所に無縫塔
道しるべがありました。
0
9/30 7:08
道しるべがありました。
「右 米山道 左 山みち 施主多左エ門」
2
9/30 7:09
「右 米山道 左 山みち 施主多左エ門」
今度は道の両側で石仏が対峙しているようです。
0
9/30 7:12
今度は道の両側で石仏が対峙しているようです。
石標には「施主當村講中 世話人 透宗/弘化三丙午年閏五月吉日(1846)」そして隣には
1
9/30 7:12
石標には「施主當村講中 世話人 透宗/弘化三丙午年閏五月吉日(1846)」そして隣には
ハナコ岡〇似の薬師様
3
9/30 7:14
ハナコ岡〇似の薬師様
石標には道標銘「(右)米山みち (左)やまみち/天保十三寅年(1842)」、そして
3
9/30 7:15
石標には道標銘「(右)米山みち (左)やまみち/天保十三寅年(1842)」、そして
「施主當邑薬師講中 同 水野村三左エ門 世話人 透宗」とあります。やはり何か呼ばれた感じですね(笑)
2
9/30 7:18
「施主當邑薬師講中 同 水野村三左エ門 世話人 透宗」とあります。やはり何か呼ばれた感じですね(笑)
水野登山口分岐には、
0
9/30 7:38
水野登山口分岐には、
御顔が自然石の石仏がありました。
3
9/30 7:38
御顔が自然石の石仏がありました。
植林帯からブナ林の気持ちの良い登山道に。
1
9/30 7:52
植林帯からブナ林の気持ちの良い登山道に。
ほどなく駒ヶ岳、標高580m、山頂まで約1.9km
2
9/30 7:54
ほどなく駒ヶ岳、標高580m、山頂まで約1.9km
「こまのこや」の中には五躰の石仏が鎮座、
2
9/30 7:55
「こまのこや」の中には五躰の石仏が鎮座、
そのうち二躰が馬頭観世音、こちらは三面六臂坐像の馬頭尊、
3
9/30 7:56
そのうち二躰が馬頭観世音、こちらは三面六臂坐像の馬頭尊、
そして山歩きの途中でよく見かけるシンプルな立像の馬頭尊
3
9/30 7:56
そして山歩きの途中でよく見かけるシンプルな立像の馬頭尊
三十三観音の豆知識、「多分、四国の三十三観音を再現…」は“西国”の誤字ですね。
0
9/30 8:00
三十三観音の豆知識、「多分、四国の三十三観音を再現…」は“西国”の誤字ですね。
「西國三十三ヶ所観世音菩薩 発願人 水野村 布施(壱…) 中村(…)」側面には石工銘もあったようですが「石工」の下が欠損。
2
9/30 8:02
「西國三十三ヶ所観世音菩薩 発願人 水野村 布施(壱…) 中村(…)」側面には石工銘もあったようですが「石工」の下が欠損。
欠け落ちた石標の上部は隣にあります。
2
9/30 8:05
欠け落ちた石標の上部は隣にあります。
「(弘)化二乙巳八月吉日(1845)」
1
9/30 8:07
「(弘)化二乙巳八月吉日(1845)」
前列最左が十一番、中列最左が十二番、後列最左は三十三番です。
1
9/30 8:08
前列最左が十一番、中列最左が十二番、後列最左は三十三番です。
前列最右が一番、中列最右が二十二番、後列最右は二十三番です。
2
9/30 8:08
前列最右が一番、中列最右が二十二番、後列最右は二十三番です。
「一番」如意輪観世音菩薩
3
9/30 8:12
「一番」如意輪観世音菩薩
「十一番」あまりお見掛けしない方だと思ったら准胝観音、私の記憶が正しければ…こちらを本尊とするのは此処と秩父札所五番のみ。
3
9/30 8:16
「十一番」あまりお見掛けしない方だと思ったら准胝観音、私の記憶が正しければ…こちらを本尊とするのは此処と秩父札所五番のみ。
「廿九番」こちらの馬頭観音は三面八臂の坐像、私の記憶が正しければ…こちらを本尊とするのは此処と秩父札所廿八番のみ。
4
9/30 8:21
「廿九番」こちらの馬頭観音は三面八臂の坐像、私の記憶が正しければ…こちらを本尊とするのは此処と秩父札所廿八番のみ。
お馬さんの彫りも細かく、米俵のようなものがあります。どの像を見ても敏腕な石工さんによるものでありことが推察されます。つくづく「石工銘」が残念ですね。
3
9/30 8:22
お馬さんの彫りも細かく、米俵のようなものがあります。どの像を見ても敏腕な石工さんによるものでありことが推察されます。つくづく「石工銘」が残念ですね。
三十三観音だよ!全員集合!
7
9/30 8:24
三十三観音だよ!全員集合!
ブナ林に陽がさしこんで、お天気が良くなってきました。
3
9/30 8:29
ブナ林に陽がさしこんで、お天気が良くなってきました。
薬師様?には「三十丁目」!えっ?聞いてないよ〜。ここにきて初めて丁目石があることがわかりました。
3
9/30 8:38
薬師様?には「三十丁目」!えっ?聞いてないよ〜。ここにきて初めて丁目石があることがわかりました。
久しぶりにぶら下がりの山繭
4
9/30 9:00
久しぶりにぶら下がりの山繭
御顔が自然石の薬師様?
3
9/30 9:02
御顔が自然石の薬師様?
こちらはレコなどでお馴染みにお方
3
9/30 9:05
こちらはレコなどでお馴染みにお方
やっと山頂部が望めました!
2
9/30 9:07
やっと山頂部が望めました!
水野林道分岐、ここも米山薬師の重要ポイントです。
1
9/30 9:11
水野林道分岐、ここも米山薬師の重要ポイントです。
泰澄禅師(大師)は白山を開山後、全国を行脚し弟子沙弥と当山(当時は五輪山)を訪れた時、「之、薬師如来の浄土なり」と悟り修行を重ねる。沙弥は飛鉢の術を持ち、それに因んで「米山」と呼ぶようになった。
0
9/30 9:11
泰澄禅師(大師)は白山を開山後、全国を行脚し弟子沙弥と当山(当時は五輪山)を訪れた時、「之、薬師如来の浄土なり」と悟り修行を重ねる。沙弥は飛鉢の術を持ち、それに因んで「米山」と呼ぶようになった。
説明板の近くには「四十丁目」の石仏。願主銘らしきものもあります。ここをちょっと登った所に、
3
9/30 9:14
説明板の近くには「四十丁目」の石仏。願主銘らしきものもあります。ここをちょっと登った所に、
二基の石造物がひっそりと。
1
9/30 9:17
二基の石造物がひっそりと。
左が「開山 泰澄大師尊塔」です。
1
9/30 9:19
左が「開山 泰澄大師尊塔」です。
「于時明和三戌天(1766)依回向」米山開山の大師千年忌に際して別當の密蔵院米山寺の暢信が建てたものと思われます。
0
9/30 9:24
「于時明和三戌天(1766)依回向」米山開山の大師千年忌に際して別當の密蔵院米山寺の暢信が建てたものと思われます。
「千年忌法印暢信造(立)」とあります。「暢信」の名は密蔵院入口の寺号標にも見られました。
1
9/30 9:25
「千年忌法印暢信造(立)」とあります。「暢信」の名は密蔵院入口の寺号標にも見られました。
登山道に戻り、暫く行くと小ピークに「しらば避難小屋」があります。「しらば」は女人結界
3
9/30 9:34
登山道に戻り、暫く行くと小ピークに「しらば避難小屋」があります。「しらば」は女人結界
近くには主のいない台座と台石のも残っていました。
1
9/30 9:35
近くには主のいない台座と台石のも残っていました。
手前が城山、奥が尾神山?
4
9/30 9:39
手前が城山、奥が尾神山?
野田コースの尾根かな。
5
9/30 9:42
野田コースの尾根かな。
この辺りが女しらば?
2
9/30 9:43
この辺りが女しらば?
いよいよですね!
2
9/30 10:12
いよいよですね!
そうか!こういう位置関係になるのね。避難小屋の中を経由します(笑)、ホントは泊まりたかったな。
3
9/30 10:15
そうか!こういう位置関係になるのね。避難小屋の中を経由します(笑)、ホントは泊まりたかったな。
小屋の出入口から外に出ると石段、その両脇に
1
9/30 10:18
小屋の出入口から外に出ると石段、その両脇に
右には「五拾丁目」のお地蔵様
2
9/30 10:20
右には「五拾丁目」のお地蔵様
左は「<パイ:薬師如来種子>石段供養塔」(…十五…)
2
9/30 10:21
左は「<パイ:薬師如来種子>石段供養塔」(…十五…)
石段を昇ると、「米山 標高九九三m」の標柱、そして
3
9/30 10:24
石段を昇ると、「米山 標高九九三m」の標柱、そして
石祠があります。絶景ですね。
5
9/30 10:24
石祠があります。絶景ですね。
現在に三角点の位置関係はこんな感じ。
3
9/30 10:25
現在に三角点の位置関係はこんな感じ。
「米山」992.5 m一等三角点、日本三百名山の一座にも名を連ねます。
3
9/30 10:25
「米山」992.5 m一等三角点、日本三百名山の一座にも名を連ねます。
お馴染みのお地蔵様にご挨拶、♪やめてケレって歌いだしそう。
3
9/30 10:28
お馴染みのお地蔵様にご挨拶、♪やめてケレって歌いだしそう。
原三角点は相変わらずの隅っこぐらし、大正、昭和の登拝碑にはさまれ、お隣は壊れかけの宝篋印塔
5
9/30 10:32
原三角点は相変わらずの隅っこぐらし、大正、昭和の登拝碑にはさまれ、お隣は壊れかけの宝篋印塔
「原三角測點
7
9/30 10:33
「原三角測點
「内務省地理局」
7
9/30 10:34
「内務省地理局」
「明治十五年八月」ということは現在確認沙されている三點の中で一番古いのかな。白髪岩(同年十月)雲取山(同年十二月)
6
9/30 10:34
「明治十五年八月」ということは現在確認沙されている三點の中で一番古いのかな。白髪岩(同年十月)雲取山(同年十二月)
薬師如来の豆知識
2
9/30 10:37
薬師如来の豆知識
今回は此処に来る前に武州、上州の米山薬師を参詣してからいよいよ本家にやって参りました!授与品,白札(500円)黒札(400円)
2
9/30 10:39
今回は此処に来る前に武州、上州の米山薬師を参詣してからいよいよ本家にやって参りました!授与品,白札(500円)黒札(400円)
原三角点の後ろに宝篋印塔の部材が転がっていました。
3
9/30 10:41
原三角点の後ろに宝篋印塔の部材が転がっていました。
現在の立派なログハウス風の避難小屋の前は、プレハブ、そしてその前は茅葺の小屋があり、一泊10円だったそうです。
2
9/30 10:46
現在の立派なログハウス風の避難小屋の前は、プレハブ、そしてその前は茅葺の小屋があり、一泊10円だったそうです。
薬師堂のお掃除をされに来た方に、貴重な昔の写真を見せていただきました。
2
9/30 10:47
薬師堂のお掃除をされに来た方に、貴重な昔の写真を見せていただきました。
雪の山頂はこんな感じになるみたいです。
2
9/30 10:48
雪の山頂はこんな感じになるみたいです。
これも貴重な資料を拝見しました。
1
9/30 10:48
これも貴重な資料を拝見しました。
「次回はこちらを」と話したら「長いし、草刈りもしていないからやめた方がいい」とおしゃっていました。
2
9/30 10:52
「次回はこちらを」と話したら「長いし、草刈りもしていないからやめた方がいい」とおしゃっていました。
クワガタ君も米山さんに参詣に来たみたいですよ!
7
9/30 10:54
クワガタ君も米山さんに参詣に来たみたいですよ!
バナスぺがなかったのでイチスペでおやつです。
3
9/30 10:58
バナスぺがなかったのでイチスペでおやつです。
本日は新潟繋がりで能生谷で作られた菅笠をかぶって来ました。作製の仕上げに雪に晒すそうです。また、かつて作っていた饅頭笠は瞽女さんが愛用したそうです。
4
9/30 11:05
本日は新潟繋がりで能生谷で作られた菅笠をかぶって来ました。作製の仕上げに雪に晒すそうです。また、かつて作っていた饅頭笠は瞽女さんが愛用したそうです。
さて下山します。何とか登ることができましたが、行きはよいよい帰りは…にならないように気を付けます。
1
9/30 11:14
さて下山します。何とか登ることができましたが、行きはよいよい帰りは…にならないように気を付けます。
向こうの峰がしらば避難小屋のある所
0
9/30 11:34
向こうの峰がしらば避難小屋のある所
大平口方面の尾根、『米山ガーデン』ってまだやっているのかな?
3
9/30 11:36
大平口方面の尾根、『米山ガーデン』ってまだやっているのかな?
帰りはこちらにしましたが…
0
9/30 11:43
帰りはこちらにしましたが…
めちゃ階段が多いです。
0
9/30 11:44
めちゃ階段が多いです。
でもブナ林には癒されますね。
1
9/30 11:54
でもブナ林には癒されますね。
駐車場のある水野登山口、ここからの林道歩きが長かった。
4
9/30 12:09
駐車場のある水野登山口、ここからの林道歩きが長かった。
1
9/30 12:15
こんな感じ
3
9/30 12:16
こんな感じ
キフネツリソウ
3
9/30 12:34
キフネツリソウ
石宮の神社がありました。石燈籠は何となく御假堂にあった物と似ている様に見えました。
2
9/30 12:57
石宮の神社がありました。石燈籠は何となく御假堂にあった物と似ている様に見えました。
「信州 石工 (亘)蔵」とあります。高遠石工かなぁ?
1
9/30 12:59
「信州 石工 (亘)蔵」とあります。高遠石工かなぁ?
石造の扁額がありました「(奥)尾大明神 天狗大権現」、奥尾?
1
9/30 13:02
石造の扁額がありました「(奥)尾大明神 天狗大権現」、奥尾?
下牧ベースに戻ってゴールです。
2
9/30 13:19
下牧ベースに戻ってゴールです。
密蔵院米山寺
2
9/30 14:01
密蔵院米山寺
見事な彫刻があるそうです。護摩堂の再建が「十四世暢亜」だそうなので「暢信」はその数代前のお方ですね。
2
9/30 14:04
見事な彫刻があるそうです。護摩堂の再建が「十四世暢亜」だそうなので「暢信」はその数代前のお方ですね。
護摩堂にはきらびやかな薬師三尊像が鎮座
3
9/30 14:07
護摩堂にはきらびやかな薬師三尊像が鎮座
こちらが古道の入口、本来はここから登るつもりでした。
1
9/30 14:08
こちらが古道の入口、本来はここから登るつもりでした。
金網越しですが、精巧な彫刻が見られます。
4
9/30 14:10
金網越しですが、精巧な彫刻が見られます。
寺号標?の背面「安永二癸巳四月吉日(1773) 法印暢信代 □□村 若者中」、
1
9/30 14:17
寺号標?の背面「安永二癸巳四月吉日(1773) 法印暢信代 □□村 若者中」、
表は「米山 別當」以下は草でよく見えませんでした。
1
9/30 14:18
表は「米山 別當」以下は草でよく見えませんでした。
医王山密蔵院米山寺参道入口の地蔵尊、台石には地蔵真言の梵字と「文化九歳壬申歳六月廿四日(1812)」
3
9/30 14:18
医王山密蔵院米山寺参道入口の地蔵尊、台石には地蔵真言の梵字と「文化九歳壬申歳六月廿四日(1812)」
ベースで紹介されていた手拭い(700円)を柿崎観光協会でゲット!
2
9/30 14:45
ベースで紹介されていた手拭い(700円)を柿崎観光協会でゲット!
米山さんにお別れ、またじっくり来ますね!
4
9/30 15:10
米山さんにお別れ、またじっくり来ますね!
yamaonseさんら御一行の山行レコを拝見して、再び米山に登ってみたいと思いました。私も大平口からしか登ったことなかったので、今回はより信仰の足音が残っていそうな下牧口からにしました。結果思う存分石分を補給できました(笑) お薦めいたします。それでは! godohan
雲取山と白髪岩の原三角点より米山が一番古かったんですね!
米山はまだ未踏なので行ってみたいです。
私の調べが正しければ…そうなりますがいずれにしても今にして思うと「よく残ってくれた!」という感じですね。やはり風情があるのは白髪岩ですかねぇ。米山は隅っこに追いやられている感もありますが、以前に比べたら認知度もあがっているようです。本来なら廃棄される運命だったものが、どうにかあそこに留まったのも、薬師様のお力だったりして、と妄想すると楽しいです(笑)
これから素晴らしい紅葉のお山になると思いますので是非お訪ねくださいませ。
追伸:mikaboさん ならワンデイで全コース制覇しちゃいそうですね!それでは。 godohan
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する