野坂岳《関西百名山》
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- GPS
- 05:09
- 距離
- 9.7km
- 登り
- 866m
- 下り
- 885m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2010年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 タクシー
下山口:JR小浜線粟野駅からタクシー |
写真
感想
今回は山岳会に入会したばかりの二人と体験山行二人を含むフレッシュなメンバー(年齢は別として)で京都駅8:15発JR新快速“湖西レジャー号”に乗り込んだ。湖西線の新快速も敦賀まで直通するようになり便利になった。敦賀駅では舞鶴から来たO崎さんと合流しタクシーに乗り込んだ。黒河川(くろこがわ)に沿って進み“山”集落の外れに「野坂岳登山口」と云う標識を見つけタクシーを降りた。
T春さんとT博さんは共に歩荷ポイントに挑戦、計量で荷重20圓鬟リアし、N田リーダー訓示の後歩き始めた。黒河川を離れ支流の谷沿いの道を遡り出発時点からミッション1:「稜線までの歩行ルートの地図への書き込み」が始まっており、周りの地形を確認しながら進んだ。すぐに一本南の谷に移り林道を進むと左手の樹林越しに見えていた送電線はいつの間にか右手に移っていた。右岸に渡渉し、沢の分岐を左側へと進んで行くとやがて谷筋を離れの左岸の斜面に取り付いた。
この辺りまで来るとT春さんの足が止まりだした。暑くもあり歩荷の負担が堪えているようだ。行程は余裕があり少々遅れても大丈夫、それでも耐えられなかったら歩荷を中止しても一向に差し支えない。あくまでも自己判断だ。その後も苦しいながらもやり遂げ歩荷ポイントをしっかりGETされた。
標高400mを越えた辺りで尾根に乗り、送電鉄塔の処で皆に追いつき一息入れた。ここからは送電線下の尾根を忠実に登ると2番目の鉄塔では展望が利き、北西方向の谷越しに目指す野坂岳が姿を現した。送電線は北側の谷間に反れて行き尾根の上空はスッキリした。標高700mで稜線に乗りあがると時刻は12時を過ぎていた。皆のお腹の空き具合を考慮してN田Lは休憩を宣した。山毛欅の木陰で丁度良く空腹を満たした。
鞍部に下り、登りに転じたところに送電鉄塔があり西へと跨ぎ去った。P797は南東側から敦賀・美浜市町界に沿って回り込むようにしてピークに達した。ここでミッション2:「野坂岳までの所要時間を予想」する。距離は1.2辧⊂し下った後はずっと登りで標高差は120mほど、皆の予想は20〜35分で、先頭を行くN田Lの歩行ペースでカウントすることになる。最初なだらかに進み少しの間は急勾配で、山頂域に達すると草原状になった。市町界は南端の稜線から西へ行ってしまい完全に敦賀市内の山となってしまったのに「関西百名山」にカウントされている。
野坂岳(914m)山頂の方向指示板には白山など遠方の山々が描かれているが、霞んで遠望は利かなかった。傍らには1等三角点「野坂岳」があり、標石が真新しく調べてみると昭和59年に交換されたものだった。さてミッション2の結果は「19分」、皆長い目に予想してしまいT博さんとT堂さんが20分で最も近かった。約束の“皆で拍手喝采”して讃えた。
そしてミッション3は「乗鞍岳を山座同定」で、コンパスの使い方をレクチャーし黒河川を隔てた尾根のずっと先にぽっかり飛び出したピークを乗鞍岳(865m)と特定した。ついでに先月行った同じ野坂山地の三十三間山も同定したが雲が出ていて姿は見えなかった。山頂から30m北に避難小屋がありなんとその中に野坂嶽大権現の祠が入っていた。麓の案内板に依ると弘法大師が開いた山とされ、平重盛が「見るたびに 富士かとぞ思う 野坂山 いつも絶やさぬ 峰の白雪」と詠んだことから敦賀富士の名が冠されたようだ。
北への縦走路を歩きだすと歌にある「いつも絶やさぬ 峰の白雪」を象徴するように根の曲った木が目に入った。900m程度の山ながら冬の厳しさを現しているようだ。野坂山地は前回の三十三間山でも感じたが山毛欅林が清々しく、新緑が心を和ませてくれる。野坂岳は4つのピークからなり三ノ岳(約820m)、二ノ岳(約810m)となだらかな所にしっかりと山頂標識が現れた。展望もなく通過していくと一ノ岳の標識を見た。これは全くピーク性のないところでおかしい。地形図の電波塔のあるところが一ノ岳の筈で皆は行ってしまったので、Y本TCだけ少し引き返して分岐を見つけピークを極めた。その一ノ岳(746m)山頂は電波塔があるだけで展望はなく、山頂標識すらなかった。
北東尾根に踏跡がありそのまま進むと踏跡は薄れ、トチの木地蔵の谷へトラバースし対岸の道に一行の歩く姿が見えたのでコールを交わした。谷“道”を進みトチの木地蔵で正規の登山道に出た。ほぼ同時にN田Lに率いられた一行も到着したがO崎さんがいない! N田Lが携帯をかけると、T本TCが一ノ岳へ行ったので戻ってくると思い待っているという! 責任を感じてO崎さんの追いつくのを待ち皆の後を追った。
谷筋の快適な道を進み広くなって来ると、いこいの森登山口で、旧式のバンガローが10数棟あり下の方にはテントサイト、団体の利用か、沢山のテントが張られていた。後は車道歩きで建設中の舞鶴若狭道の高架をくぐりJR小浜線粟野駅へと向かった。1時間に1本程の電車は15分前に行ったばかり、時間短縮のためタクシーを呼んで敦賀駅へと向かった。車で来たO崎さんと別れ往路と同じ“湖西レジャー号”に乗り帰路に着いた。京都駅前での反省会には3名が参加し山談義に花を咲かせた。
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