吾妻連峰(奥羽本線峠駅→磐越西線猪苗代駅)
- GPS
- 20:36
- 距離
- 65.4km
- 登り
- 2,428m
- 下り
- 2,540m
コースタイム
- 山行
- 11:50
- 休憩
- 0:45
- 合計
- 12:35
過去天気図(気象庁) | 2024年11月の天気図 |
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アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
西大嶺から早稲沢に降りるルートはテープで通せんぼしてあり、少なくとも今シーズンは刈り払わなかった模様。まあまあ笹薮が被っていて、ピンクテープがあるが間隔が長く、道標にはならない。答え合わせ用ピンテ。ヘッデンで下るには集中力が必要だった。 |
その他周辺情報 | 早稲沢の民宿に泊まる。80年代に新しく掘り当てたと云う温泉付きで頗る快適。 |
写真
装備
個人装備 |
チェーンスパイク(未使用)
防寒テムレス(未使用)
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感想
吾妻連峰は東北にあって2000m級の広大な山域という点だけ見れば飯豊朝日と並べても良さそうなものだが、雰囲気が全然違う。前2者に比べれば技術的にかなり易しく、入山者自体は多い筈なのに、通しで縦走する人が少ないのはちょっと不思議だ。福島市に住んでるうちに縦走しなきゃと思っていたのだが、車2台使う計画に付き合ってくれる人がいない。そうこうしているうちに走力が上がってきて、山を1日で済ませて駅まで歩くのも悪くないと思えるようになった。雪も積もり始めたのでそそくさと実行に移す。
今回は豪華に民宿利用である。昨今キャンプがブームであったが、私見を述べればキャンプは目的でなく手段であり、日帰り不可能かつ宿泊施設の無いルートを踏破する為に仕方なく行うもので、快適ではないのだ。可能であれば宿をとりたい。
登山に於いても近年交通網の発達により日帰りできてしまう山が多く、元来ケチでなまじ体力がある登山者がピャッと来てピャッと登って帰るもんだから、地元にお金を落とさないのは問題だと思う(そういう人はリフト等の運賃という形でお金を落としているとも言えるが)。
山と里が入り乱れている我が国において、生活の為に利用していた里山とは別物である奥山の登山史は、宗教的な動機から始まったと語られがちである。しかし宗教は方便であったと考える。普段の活動圏から遠く望む高嶺への、純粋な探検的興味が無かったはずが無い。そうした古人の心情を擬似的に追体験できると云う点で、ヒトの生活圏から山頂まで連続して踏破することは、山を丸ごと愉しむことだと言えよう。
そういう訳で、麓の民宿を利用するなどした里を含む長距離山行はマイブームであるし、流行れば良いのにと思う。
金曜日の残業中に宿に予約を入れ、帰宅後ばばっと準備。仮眠の後ちょっと寝坊して峠駅に向かい、車をデポして歩きだす。
滑川温泉の辺りでランニングシューズから半年ぶりの重登山靴に履き替え、出だしは重登の歩き方を身体が思い出すまで調子悪い。1100辺りから雪を見る。霧ノ平は予想に反してほぼ無風。有名な遭難事故の現場を見分しつつ進む。体力のある少人数パーティーなら切り抜けられたのではと思う。
家形山への急登は北斜面なので部分的に40cmぐらい吹き溜まってたりする。テムレスを使うほどの気温では無いが、急斜面で雪に手を着くのは億劫なので、ストックを持ってくれば良かったと後悔。
主脈に上がると積雪10cmぐらい。雪があっても判るぐらい泥濘んでいる。この先木道もあってソールの硬い靴だと歩きにくいので、厳冬期以外はゴムの長靴が最適解だと思う。
雪の着いた笹薮が道に倒れ込んでいて、漕いでるうちに全身ずぶ濡れになった。気温が低ければカッパを着るのだが、スピードを出したいので濡れたまま動き続けた。そうしたら指先が一度の凍傷になったようで下山後もちょっと痺れている。樹林帯と時々ゴーロが出てくる感じは奥秩父や北八ツっぽい。
東大巓からは見事な湿原を進む。花の時期にも来たいものである。
天元台からの道を合わせて初めて人の足跡が出てくるが、もう夕方なので誰にも会わなかった。西吾妻山荘の分岐の木道で派手にコケた。木道は危ない。
西大嶺から展望を楽しむ。北はずっと雲海だが南西はかなり遠くまで見えた。朝寝坊1時間分のロスを遂に取り返せなかったので宿に到着時刻訂正の電話。
早稲沢への下りは封鎖されていた。ここまで来て通せんぼされても迂回する気にはならないので突っ込む。藪の経験が無い人は入らない方がいいレベルだった。
宿で英気を養った後、2日目は再びランニングシューズに換装して裏磐梯の湖沼を巡る。桧原湖畔探勝路は無人。五色沼探勝路は観光客で大賑わい。どちらも紅葉がまだまだ綺麗でフォトジェニックだった。普段写真は余り真面目に撮らないのだが、ついつい構図とかを考えて撮ってしまった。
昼食のため入ったラーメン屋で予想外のタイムロスが発生。お婆ちゃんがせっせと調理しているのだが何故か全然客がはけず、1時間以上待った。その後は狙っていた汽車の1本後を目指して走ったり歩いたりする。ほぼぴったりの時間に猪苗代駅着。嘗ては舗装路を15kmも走れば足の裏が痛くて嫌になったものだが、まだまだ余裕がある、と感じていたが汽車を降りるとやっぱり疲れてた。
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