母なる山・二王子岳、足を伸ばして二本木山
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- GPS
- --:--
- 距離
- 12.4km
- 登り
- 1,343m
- 下り
- 1,343m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
ふるさとの山というと、真っ先に思い浮かぶのが、二王子岳だ。決して形のいい山ではない。秀麗とは程遠いが、ずんぐりとして、量感に満ちている。母のような優しさと、どっしりとした体格の大関のような貫禄を、同時に感じさせる。そして、この大関の背後には飯豊という横綱が控えている。
数えてみたら、二王子岳にはこれまで35回登っている。おそらく、一番多く登っているのが、この山だと思う。春と秋に行くことが多いが、木々の葉が芽吹き始め、その萌え出る緑と、豊かな残雪の白のコントラストが、眼と心に沁みる、春が特にいい。山頂にたどり着けば、ようやく雪化粧を解き始めた飯豊連峰の全貌が、静かに、夢のように迎えてくれる。
36回目となる二王子岳だが、稜線に連なる二本木山にまで足を伸ばしたことが一度もないことに、今さらながら気がついた。今日は、二王子岳経由、二本木山で行くことにした。
ところが、登り始めから体が重く、調子が出ない。気温が上がるにつれ、暑さも手伝って、足取りがますます重くなる。二本木まで行くかどうか、迷いが出始めた。
それにしても、今年は雪が少ない。この時期、定高山を越えてからは、雪道となるのに、油こぼしの手前あたりでも、夏道が出ている。
二王子の山頂に着くと、天気はいいのだが、春霞がかかって、残念ながら飯豊は薄っすらとしか見ることができない。福島から来たという3人の女性に、杁差はどれですかと尋ねられたので、かろうじて見える頂きを指さして、お教えする。女性達は、昨日は焼峰に登ったとのことで、きのうの方が、飯豊はよく見えたとのことだった。
少し休憩してから、やはり予定通り二本木山に向かうことにする。二王子山頂から眺めると、直ぐ近くのように見えるが、歩いてみると、一つ山を越え、いったん下ってから、二本木山への登り返しがあって、疲れた足には案外きつかった。
山頂には三角点の標柱と、「二本木山 一四二四M」の標識がぽつんと立っている。二王子岳から1km少々来ただけなのだが、飯豊の懐にぐっと近づいた感じがする。特に、北股岳の姿が大きく見えている。
今から84年前、昭和7年6月の初旬、新潟の山の開拓者である藤島玄が山仲間3人と、二王子岳そして、この二本木山を経て、赤津山、二ッ峰、門内岳、北股岳、飯豊本山、川入に至る困難な山旅を決行した。5泊6日に及ぶ熾烈を極めた山行の記録が、藤島玄によって書かれ、「二王子岳より飯豊本山」というタイトルで、「忘れえぬ山機紛田孫一・編、旺文社文庫)」に収録されている。
当時の登山は、装備、登山道、アプローチ、ルートの開拓度合いのどれをとっても、今とは比較にならない困難さがあったに違いない。藤島の記録は、詳細を極め、しかも臨場感に満ちた素晴らしい文章によって記されている。
藤島はその記録の付記に、こう書いている。「飯豊は越後の山である。飯豊は越後の山として登らねばならない」。飯豊を愛し、越後の山の開拓に心血を注いだ男の矜持が、この一文にあらわれている。新発田・赤谷から北股岳に至る道さへ半ば閉ざされている現状を、今は亡き藤島はどう感じるだろう。
二ッ峰の頂に立ち、かつて読んだ記録の、その足跡を辿るように眺めていると、何か果てしない感じがわいて来た。今度、二王子に登る時は、できるだけここまで足を伸ばそう、体力の続く限り。そう思った。
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