《三遠南信の山》参道から【鳳来寺山、宇連山】四谷千枚田


- GPS
- 08:16
- 距離
- 19.4km
- 登り
- 1,751m
- 下り
- 1,707m
コースタイム
- 山行
- 7:22
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 8:17
天候 | はれ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
装備
個人装備 |
地下足袋+脚絆
焚き火セット
ノコギリ
弁当
水筒
軍手
ラテルネ
地図磁石
防寒具
雨具
|
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共同装備 |
ツエルト
6mm×10m
|
感想
三河一の古刹、鳳来寺を、正面からお参りして、そのまま名峰を繋いで千枚田下山の縦走計画。鞍掛山もと思ったが、時間が足りず、仏坂峠から降る。
水曜に休みを取ったので、新城あたりまで通学高校生だらけ。みんなスマフォゲームやっている。「お隣、失礼します」と言って座っても無反応。しょうがないねえ。本長篠駅からバス停は80m離れているので、駅員にきいてさっさと行かないと乗り遅れる。鳳来寺口へは10分足らずで着いた。山間だが、民家が続く。ここから石段までの通りの佇まいは、よく気を使っている。新しい家もあるけれど、風景に調和的な家が多い。空き家も多いけれど仕方ない。脇の家の石垣がまた、見事だ。朝の斜光と、昨日の雨が霧と立ち、美しく舞い上がっている中を進む。
石段が、見事だ。源頼朝が整備して以来の苔のむしかたが徹底的だ。杉の巨木、石段の組み、文句なし。鳳来寺最大の見所は、この石段と杉、苔、沢の参道だろう。まるで天国への階段みたいだ。真田丸イントロの石垣石段映像をはるかに凌ぐ美しさ。こんな石段、ウチにも欲しいなあ!
お堂は昭和時代に再建したとかで、風格なし。ここを過ぎると、東海自然歩道とかで、鉄の階段などで整備された、野暮な登りに変わる。この上もあの雰囲気で続けてくれればいいのだけれど。
山頂は岩峯の上で高度感がすごい。昇仙峡もそうだったが、標高は全く低く、あたりの山も森に埋もれているのだが、この高度感が、古刹を立地させる修験道思想なのだろうか。確かに死を予感するのに十分な場所だと思う。それにしてもここから見える樹林の山は、林道開発の傷跡がほとんど見えない。深々と山並みが続く。この絶壁の上で、アサギマダラを見た。ふわふわと優雅に、浅葱色のはねで。何千キロも渡りをするという蝶だ。なぜこんな特別な場所で会うのか。アサギマダラも山頂が好きなのか。
棚山、宇連山への道は、東海自然歩道という10年か20年ほど前の催しで「公園」として過剰に整備されたようだ。30分に一回は木のベンチと、歩きタバコ禁止の大きな看板と、防火用水の大きなポリ樹脂の水瓶と赤いバケツが延々設置してあるのには閉口した。木は朽ち、消えていくだろうが、他のものはもう片付けていただきたい。無神経な看板をつけるくらいなら、ここを横切るいくつかの峠道の歴史的由来や岩石の古い名前などをささやかな手のひらほどの小さな標識で書いてはどうだろう。山頂の東屋も床が抜け、手すりが緩み、使用禁止とされていた。山の中に景気の良い時だけ大きな物を作るのはもうやめにしてもらいたい。
宇連山を過ぎると、よく手入れされた杉林に変わる。両脇の斜面はかなり急で、一部は崖もある。一日中現れる看板に時間読みが書いてあり、それに振り回されて、なんだか急ぎ足で通り過ぎてしまった。仏坂峠に着くと、それでももう鞍掛山による時間は最終バスまでにはなさそうだ。ずっと歩き通しで、なんだかもう歩くのにも飽きてしまったし、ここから下山とする。水場をすぎて、すぐにトンネルの脇に降りる。
舗装道路は、ひと月前の土砂崩れで、通行止になっていた。現場にいた男によると、昨日から修復工事が始まったらしい。山間の村から山間の村へ通じるささやかな自動車道路だが、トンネル開通の喜びは、先のところの碑に刻んであった。1971年のことらしい。それまではこの峠、足で上がって荷を運んだのだ。あそこで水を飲み、峠でタバコを吸い。信玄が三河遠州を攻めたとき、はるばる甲斐からきて、この辺りを超えたろうか、長篠で破れた勝頼は、この峠を越えて帰ったのだろうか?調べればわかるだろうか?峠は無数にある。
千枚田は有名な景勝地で、見物人が多いようだ。田の真ん中に遊歩道が整備されている。両脇には牧場のように木の柵が続き、畦には来ないでねという風にしてある。ひっそりと、お百姓を無断で撮影しないでね、畦に入らないでね、お百姓に挨拶してね。と書いてある。できる限りの優しいメッセージだと思う。挨拶もしないで写真撮って騒いで帰るだけじゃ、心が酸に侵されるように蝕まれてしまう。見物に来る人があまりにも多くて無神経で、美瑛の丘の木は切り倒されてしまった。「癒されたかのん」「リフレッシュできたかのん」という割と大きい看板があって、見物客は一本取られている。まあ、歩道まで整備されているのだから、これは苦笑いするしかないね。しかし、この山奥で、今もよく農家が続いているものだ。
バス停まで歩く。稲刈りも終わり、日も暮れかけ、誰にも会わない。もう少し早い時間なら、誰かと話ができたかもしれない。
バス停は小学校で、今年3月に閉校になったところだった。この春までは子供がいたんだ。しかも明治五年創立なら、最も古い組みだ。おそらく文語の校歌を聞いてみたい。19世紀にここが重要な交易ルートで栄えていた証拠だ。
5時にチャイムがなると、どこかの犬が、オオカミのように念入りな遠吠えでいつまでも答えていた。バスが来て、一人で乗って、本長篠まで、暗い道を下りていく。途中のバス停の名前は、途中ですぎたいくつかの峠の名だった。海老、玖老勢・・・、一つ一つの部落から、それぞれ山越えルートがあったのか。皆、よく歩いていたのだなあ。
本長篠に来た列車は特急で、料金は倍、時間は半分だった。豊橋駅前でラーメンとビール。銭湯は行かず、家に帰った。日が短くなった。
今度は長篠の合戦場をゆっくり歩いてみたい。
コメント
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一番目のお地蔵は劔もってるからお不動さんか、明王さんのどなたかですよね。赤いよだれかけで座ってるからか、なんか柔らかい優しく見えますね。背負ってる火炎もなんか可愛らしいです。
暗くて、写真がぶれぶれですね。不動と明王って、二人べつなんスか?知らなかったス。
上手ですね、自撮り
ほとんどが、東海自然歩道でしょうか?私も歩いたと思います。千枚田から延々と長篠城までてくてく歩きました。雪が降っていて、足が冷たいなってそんな記憶です!基本的には足袋でしょうか??
そういえば、8月の終わりか、9月の頭に本宮山にいませんでした?何となくバス待ちのカッコ見かけた記憶が、誰かと足袋の話していた記憶が???私は結構記憶力いいんですよ、頭白いですが
イトーさんはよく歩きますね。
雪がなければ、基本、タビですよ。でも舗装道路はもっとクッションないと、辛そうですね。地面だったらいくらでも。舗装路用に、クッションワラジでも用意しようかな。
本宮さんはこれからです。暑かったんで、なかなかいけませんでした。ここもできれば一宮から歩いていきたいです。
もう最高!、私のレコ友も皆さん一宮から三社参りだって、おもしろい人が一杯いますよ!楽しく読まさせて頂いています
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