< 駅からハイキング >
〜しました。『金沢駅』−武蔵(近江町市場)−『尾山神社』−『兼六園』回遊−『金沢城公園』遊歩−『お堀通り』周回−香林坊−武蔵−『金沢駅』=電車で帰宅。
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< 駅からハイキング >
〜しました。『金沢駅』−武蔵(近江町市場)−『尾山神社』−『兼六園』回遊−『金沢城公園』遊歩−『お堀通り』周回−香林坊−武蔵−『金沢駅』=電車で帰宅。
< 金沢駅に到着 >
七尾線七尾駅から始発5:00に乗り、6:20に到着しました。金沢駅の東口(進行方向)と西口(金沢港口)方向の写真を1枚にしました。
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< 金沢駅に到着 >
七尾線七尾駅から始発5:00に乗り、6:20に到着しました。金沢駅の東口(進行方向)と西口(金沢港口)方向の写真を1枚にしました。
< 金沢駅東口(兼六園口) >
〜から出ます。
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11/23 6:29
< 金沢駅東口(兼六園口) >
〜から出ます。
< 鳥かごの中? >
東口を出ても、傘(ドーム)の中です。
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11/23 6:30
< 鳥かごの中? >
東口を出ても、傘(ドーム)の中です。
< もてなしドーム >
3,019枚のガラスで出来た大傘です。
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11/23 6:30
< もてなしドーム >
3,019枚のガラスで出来た大傘です。
< 金沢駅東口(兼六園口) >
〜を振り返りました。
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11/23 6:31
< 金沢駅東口(兼六園口) >
〜を振り返りました。
< 門をくぐります >
この先に噴水があり、その水が駅のほうに流れていています。この流は、「犀川・辰巳用水」が源流です。
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11/23 6:31
< 門をくぐります >
この先に噴水があり、その水が駅のほうに流れていています。この流は、「犀川・辰巳用水」が源流です。
< 鼓門(つつみもん) >
「加賀宝生(能楽)」の鼓をイメージした門です。
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11/23 6:32
< 鼓門(つつみもん) >
「加賀宝生(能楽)」の鼓をイメージした門です。
< 金沢駅通り >
〜を進みます。辰巳用水から金沢駅まで水が引かれています。
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11/23 6:43
< 金沢駅通り >
〜を進みます。辰巳用水から金沢駅まで水が引かれています。
< 55本もの用水があります >
用水の源は、犀川と浅野川(男川と女川に喩えられる)です。
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11/23 6:43
< 55本もの用水があります >
用水の源は、犀川と浅野川(男川と女川に喩えられる)です。
< 西門口前交差点 >
〜の西門とは、写真の「本願寺金沢別院」の西門です。
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11/23 6:49
< 西門口前交差点 >
〜の西門とは、写真の「本願寺金沢別院」の西門です。
< スカイビル >
正式名称は「ANAホリデイ・イン金沢スカイ」です。以前は石川県で最も高いビル(18階)でしたが、現在は5番目です。駅前にある、ホテル日航金沢(30階)が最高層ビルです。
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11/23 6:52
< スカイビル >
正式名称は「ANAホリデイ・イン金沢スカイ」です。以前は石川県で最も高いビル(18階)でしたが、現在は5番目です。駅前にある、ホテル日航金沢(30階)が最高層ビルです。
< イロハモミジ(いろは紅葉) >
ムクロジ科カエデ属。石川県では、「イロハモミジ」の自生は少なくいです。主に、庭園や公園に植樹されています。日本海側では、よく似た「ヤマモミジ」が「イロハモミジ」より優位に自生しています
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11/23 6:52
< イロハモミジ(いろは紅葉) >
ムクロジ科カエデ属。石川県では、「イロハモミジ」の自生は少なくいです。主に、庭園や公園に植樹されています。日本海側では、よく似た「ヤマモミジ」が「イロハモミジ」より優位に自生しています
< 作品「岬」 >
金沢は、用水の街、伝統工芸の街〜などと言われますが、芸術の街でもあります。この写真のような女性の裸像がいたるところに、展示されています。男性の像の場合は、なぜかしら、ほとんどパンツを履いています。
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11/23 6:53
< 作品「岬」 >
金沢は、用水の街、伝統工芸の街〜などと言われますが、芸術の街でもあります。この写真のような女性の裸像がいたるところに、展示されています。男性の像の場合は、なぜかしら、ほとんどパンツを履いています。
< 金箔雪吊りイルミネーション >
「武蔵」交差点です。
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11/23 6:55
< 金箔雪吊りイルミネーション >
「武蔵」交差点です。
< 武蔵辻(むさしがつじ) >
〜と古来より、呼び親しまれています。三角錐の金箔雪吊りの中に、碧色のお嬢さんが、座っています。
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11/23 6:56
< 武蔵辻(むさしがつじ) >
〜と古来より、呼び親しまれています。三角錐の金箔雪吊りの中に、碧色のお嬢さんが、座っています。
< 「金箔きらら」 >
〜という作品のようです。
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11/23 6:56
< 「金箔きらら」 >
〜という作品のようです。
< 金の結晶? >
加賀金箔は400年の歴史があります。全国の99%のシェアを占めています。50年に1度、張り替えられる「金閣寺」の金箔も、加賀金箔が使用されています。
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11/23 6:56
< 金の結晶? >
加賀金箔は400年の歴史があります。全国の99%のシェアを占めています。50年に1度、張り替えられる「金閣寺」の金箔も、加賀金箔が使用されています。
< 百万石通りに入ります >
「尾山神社」を経由して、「兼六園」の真弓坂口に向かいます。
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11/23 6:57
< 百万石通りに入ります >
「尾山神社」を経由して、「兼六園」の真弓坂口に向かいます。
< 誰もいない地下道 >
〜を通り、スカイビル側から近江町市場側に渡りました。
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11/23 6:58
< 誰もいない地下道 >
〜を通り、スカイビル側から近江町市場側に渡りました。
< 金沢駅の方向 >
〜を振り返りました。「金箔きらら」と「スカイビル(スカイホテル+めいてつエムザ)」のコラボです。
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11/23 7:00
< 金沢駅の方向 >
〜を振り返りました。「金箔きらら」と「スカイビル(スカイホテル+めいてつエムザ)」のコラボです。
< 碧の女性 >
〜が、「金箔雪吊り」に守られています。
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11/23 7:00
< 碧の女性 >
〜が、「金箔雪吊り」に守られています。
< 近江町市場 >
市場広場の入口の天井部分です(近すぎて写真に全体が収まりません)。現在時刻は、AM7:01です。AM9:00頃にならないと開かない店がほとんどです。
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11/23 7:01
< 近江町市場 >
市場広場の入口の天井部分です(近すぎて写真に全体が収まりません)。現在時刻は、AM7:01です。AM9:00頃にならないと開かない店がほとんどです。
< 市場広場 >
もともと、市場は日曜祭日(本日は勤労感謝の日)が休業でしたが、数年前から、日曜祭日も営業するお店が増えました。
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11/23 7:01
< 市場広場 >
もともと、市場は日曜祭日(本日は勤労感謝の日)が休業でしたが、数年前から、日曜祭日も営業するお店が増えました。
< ケヤキ(欅) >
ニレ科ケヤキ属。百万石通り(国道157号線の部分)の街路樹になっています。同科他属の「ハルニレ」と似ています。鑑別は〜
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11/23 7:07
< ケヤキ(欅) >
ニレ科ケヤキ属。百万石通り(国道157号線の部分)の街路樹になっています。同科他属の「ハルニレ」と似ています。鑑別は〜
< 落ち葉 >
〜で判定しました。
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11/23 7:06
< 落ち葉 >
〜で判定しました。
< 尾山神社前交差点 >
角にあるお店は、九谷焼の「黒田龍華堂」さんです。
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< 尾山神社前交差点 >
角にあるお店は、九谷焼の「黒田龍華堂」さんです。
< 尾山神社を参拝します >
「尾山神社」の西側(正面)から入り、境内を東に抜け、金沢城の横を通り、「兼六園」の真弓坂口に向かいます。
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11/23 7:12
< 尾山神社を参拝します >
「尾山神社」の西側(正面)から入り、境内を東に抜け、金沢城の横を通り、「兼六園」の真弓坂口に向かいます。
< 尾山神社の参道 >
ギヤマンの「神門」の下です。神さまの門は、2つあります。境内の東側にあるのが、「東神門」です。
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11/23 7:11
< 尾山神社の参道 >
ギヤマンの「神門」の下です。神さまの門は、2つあります。境内の東側にあるのが、「東神門」です。
< 神門の由緒 >
明治八年(1875年)に、建造されました。この場所は、海岸線から8kmほど離れていますが、当時は、船を守る灯台としての役目も務めていたようです。
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11/23 7:16
< 神門の由緒 >
明治八年(1875年)に、建造されました。この場所は、海岸線から8kmほど離れていますが、当時は、船を守る灯台としての役目も務めていたようです。
< 門をくぐり >
〜見上げました。御祭神は「利家公」と「おまつの方」です。加賀前田家の家紋である『幼剣梅鉢』が付けられています。
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11/23 7:17
< 門をくぐり >
〜見上げました。御祭神は「利家公」と「おまつの方」です。加賀前田家の家紋である『幼剣梅鉢』が付けられています。
< お手水と導水管 >
手水(ちょうず、てみず)は、洗心(せんしん)とも呼ばれます。こちらで使う水は、兼六園から流れて来ています。昔は、導水に木管や石管が使われていました。
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11/23 7:18
< お手水と導水管 >
手水(ちょうず、てみず)は、洗心(せんしん)とも呼ばれます。こちらで使う水は、兼六園から流れて来ています。昔は、導水に木管や石管が使われていました。
< 逆・サイフォン >
〜の原理です。正確には、サイフォンの原理の管を逆さまにしたもので、『伏越しの理(ふせこしのことわり)』と呼ばれています。
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11/23 7:18
< 逆・サイフォン >
〜の原理です。正確には、サイフォンの原理の管を逆さまにしたもので、『伏越しの理(ふせこしのことわり)』と呼ばれています。
< 尾山神社拝殿 >
「本殿」は拝殿の奥(後方)にあります。
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11/23 7:19
< 尾山神社拝殿 >
「本殿」は拝殿の奥(後方)にあります。
< 拝殿前から見た「神門」 >
この位置からだと、ギヤマン(色ガラス)がよく見えます。高層建築のない時代(明治期)では、大野湊(金沢港)からも、このギヤマンの中で灯された火が見えていたのでしょうか。
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11/23 7:20
< 拝殿前から見た「神門」 >
この位置からだと、ギヤマン(色ガラス)がよく見えます。高層建築のない時代(明治期)では、大野湊(金沢港)からも、このギヤマンの中で灯された火が見えていたのでしょうか。
< イスノキ(蚊母樹) >
マンサク科イスノキ属。材質が硬いので、櫛(クシ)を作るのに使われていたらしい。一説によると、「クシの木」と呼ばれたいたものが、「イスの木」に転訛したのだと言う。
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11/23 7:20
< イスノキ(蚊母樹) >
マンサク科イスノキ属。材質が硬いので、櫛(クシ)を作るのに使われていたらしい。一説によると、「クシの木」と呼ばれたいたものが、「イスの木」に転訛したのだと言う。
< 別称は「ヒョンノキ」 >
葉っぱに、アブラムシが取りつき、大きな虫癭(むしこぶ、ちゅうえい)ができます。空洞のある虫癭になるので、笛として吹いて遊んでいたらしい。ヒョ〜ンと鳴るので、「ヒョンの木」と呼んでいたらしい。
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11/23 7:20
< 別称は「ヒョンノキ」 >
葉っぱに、アブラムシが取りつき、大きな虫癭(むしこぶ、ちゅうえい)ができます。空洞のある虫癭になるので、笛として吹いて遊んでいたらしい。ヒョ〜ンと鳴るので、「ヒョンの木」と呼んでいたらしい。
< ガラスの授与所 >
左後方には「おまつの方座像」。右手には「金鯰尾兜(きんなまずおのかぶと)」です。
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11/23 7:21
< ガラスの授与所 >
左後方には「おまつの方座像」。右手には「金鯰尾兜(きんなまずおのかぶと)」です。
< 利家公の兜 >
〜のレプリカ(モニュメント)です。「金鯰尾兜」と言われていますが、正式には『金小札白糸素懸威胴丸具足(きんこざねしろいとすがけおどしどうまるのぐそく)』と呼ばれる甲冑の「兜」です。
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11/23 7:22
< 利家公の兜 >
〜のレプリカ(モニュメント)です。「金鯰尾兜」と言われていますが、正式には『金小札白糸素懸威胴丸具足(きんこざねしろいとすがけおどしどうまるのぐそく)』と呼ばれる甲冑の「兜」です。
尾山神社庭園(旧金谷御殿庭園)
金沢城金谷出丸の金谷御殿の一部として、江戸時代末期から明治初年頃に作庭されたと考えられています。
辰巳用水から水を引き入れた池泉回遊式庭園で、書院庭園の形式を伝える貴重な庭園です。
雅楽にちなむ意匠から「楽器の庭」ともよばれています。
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11/23 7:23
尾山神社庭園(旧金谷御殿庭園)
金沢城金谷出丸の金谷御殿の一部として、江戸時代末期から明治初年頃に作庭されたと考えられています。
辰巳用水から水を引き入れた池泉回遊式庭園で、書院庭園の形式を伝える貴重な庭園です。
雅楽にちなむ意匠から「楽器の庭」ともよばれています。
< 「おまつの方」座像 >
厳密には、「像(statue)」ではなく「レリーフ(relief)」です。
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11/23 7:24
< 「おまつの方」座像 >
厳密には、「像(statue)」ではなく「レリーフ(relief)」です。
< 神苑 >
神社の庭園もしくは境内そのものを「神苑」と呼びます。ここ尾山神社庭園は、旧金谷御殿庭園でもあります。明治六年(1873年)、金谷御殿(加賀藩主の別邸)があったこの地に、尾山神社が創建されました。
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11/23 7:24
< 神苑 >
神社の庭園もしくは境内そのものを「神苑」と呼びます。ここ尾山神社庭園は、旧金谷御殿庭園でもあります。明治六年(1873年)、金谷御殿(加賀藩主の別邸)があったこの地に、尾山神社が創建されました。
< 落ちる前のイロハモミジの葉 >
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11/23 7:24
< 落ちる前のイロハモミジの葉 >
< 落ちた後のイロハモミジの葉 >
ヤマモミジの落葉も混ざっています。
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11/23 7:25
< 落ちた後のイロハモミジの葉 >
ヤマモミジの落葉も混ざっています。
< 鳥兜島 >
池には3つの島が浮かんでいます。鳥兜島、琵琶島、笙(しょう)島。島の間に架かる橋の名前は、琴橋、図月(とげつ)橋、八ツ橋です。「雅楽」を象徴していて。『楽器の庭』とも言われます。
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11/23 7:26
< 鳥兜島 >
池には3つの島が浮かんでいます。鳥兜島、琵琶島、笙(しょう)島。島の間に架かる橋の名前は、琴橋、図月(とげつ)橋、八ツ橋です。「雅楽」を象徴していて。『楽器の庭』とも言われます。
< 噴水 >
辰巳用水から水が引かれています。築山からの落差を利用し、噴水しています。
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11/23 7:26
< 噴水 >
辰巳用水から水が引かれています。築山からの落差を利用し、噴水しています。
< 池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)庭園 >
元々、金谷御殿がありましたので、書院庭園でもありました。池の対岸は築山になっていて、遊歩道が通っています。
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11/23 7:28
< 池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)庭園 >
元々、金谷御殿がありましたので、書院庭園でもありました。池の対岸は築山になっていて、遊歩道が通っています。
< 櫨紅葉(はぜもみじ) >
〜の紅い落葉が、たくさん浮いています。ハゼノキ(櫨の木)は、ウルシ科ウルシ属で、ムクロジ科(モミジ)の紅葉よも目立つ紅葉になります。
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11/23 7:28
< 櫨紅葉(はぜもみじ) >
〜の紅い落葉が、たくさん浮いています。ハゼノキ(櫨の木)は、ウルシ科ウルシ属で、ムクロジ科(モミジ)の紅葉よも目立つ紅葉になります。
< 島巡りをします >
名前のある橋が3本あります。琵琶島と笙島の間に1本の橋(八ツ橋)、琵琶島と鳥兜島の間に2本の橋(図月橋/琴橋)
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11/23 7:31
< 島巡りをします >
名前のある橋が3本あります。琵琶島と笙島の間に1本の橋(八ツ橋)、琵琶島と鳥兜島の間に2本の橋(図月橋/琴橋)
< サクラツツジ(桜躑躅) >
ツツジ科ツツジ属。本来、春に咲く花です。早咲きしたのか、遅咲きしたのか〜分かりません。狂い咲きとは呼ばないでください。「二度咲き」だと信じたいです。
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11/23 7:32
< サクラツツジ(桜躑躅) >
ツツジ科ツツジ属。本来、春に咲く花です。早咲きしたのか、遅咲きしたのか〜分かりません。狂い咲きとは呼ばないでください。「二度咲き」だと信じたいです。
< 図月橋(とげつきょう) >
17世紀に中国人によって作られたと言われています。長崎市の「眼鏡橋」と同じ時代のものらしい。こちらのは橋は、湖面に浮かぶ月をイメージしたものですが、「眼鏡橋」と似た感じがします。
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11/23 7:33
< 図月橋(とげつきょう) >
17世紀に中国人によって作られたと言われています。長崎市の「眼鏡橋」と同じ時代のものらしい。こちらのは橋は、湖面に浮かぶ月をイメージしたものですが、「眼鏡橋」と似た感じがします。
< 渡橋禁止です >
もし渡れたら、「図月橋」が「渡月橋(京都にある)」になってしまう?
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11/23 7:33
< 渡橋禁止です >
もし渡れたら、「図月橋」が「渡月橋(京都にある)」になってしまう?
< コメツツジ(米躑躅) >
ツツジ科ツツジ属。
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11/23 7:33
< コメツツジ(米躑躅) >
ツツジ科ツツジ属。
< 「琴橋」と「図月橋」 >
『笙(しょう)島』〜からを眺めました。池泉の奥にある滝を「響音瀑」と名付けられています。滝の音を「笙」と「琴」の音色にみたて雅楽を奏でているのでしょうか。
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11/23 7:34
< 「琴橋」と「図月橋」 >
『笙(しょう)島』〜からを眺めました。池泉の奥にある滝を「響音瀑」と名付けられています。滝の音を「笙」と「琴」の音色にみたて雅楽を奏でているのでしょうか。
< 利家公の像 >
「槍の又左」という異名で、勇猛を馳せました。
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11/23 7:27
< 利家公の像 >
「槍の又左」という異名で、勇猛を馳せました。
< 母衣(ほろ) >
〜を背負っています。利家公は、織田軍団の母衣衆の頭を務めていました。母衣は、流矢を防ぐ布で、母衣衆は、戦場での連絡係でした。
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11/23 7:27
< 母衣(ほろ) >
〜を背負っています。利家公は、織田軍団の母衣衆の頭を務めていました。母衣は、流矢を防ぐ布で、母衣衆は、戦場での連絡係でした。
< 築山の遊歩道 >
〜に上がりました(回遊しました)。遊歩道は、150mほどの長さですが、道ばたに、いくつもの記念碑が建てられています。
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< 築山の遊歩道 >
〜に上がりました(回遊しました)。遊歩道は、150mほどの長さですが、道ばたに、いくつもの記念碑が建てられています。
< 遥拝所 >
境内の南西端に位置します。南南西に拝む「皇大神宮(伊勢市)」の遥拝所と東南東に拝む「明治神宮(東京)」の遥拝所です。
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11/23 7:36
< 遥拝所 >
境内の南西端に位置します。南南西に拝む「皇大神宮(伊勢市)」の遥拝所と東南東に拝む「明治神宮(東京)」の遥拝所です。
< 境内に戻りました >
もう一度、「おまつの方」と「槍の又左」の前を通り、東神門に向かいます。
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11/23 7:37
< 境内に戻りました >
もう一度、「おまつの方」と「槍の又左」の前を通り、東神門に向かいます。
< 金谷神社を見てから >
〜東神門に向かいます。これで、池泉の島々と築山の遊歩道を巡った事になります。
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< 金谷神社を見てから >
〜東神門に向かいます。これで、池泉の島々と築山の遊歩道を巡った事になります。
< さし石(力石) >
力比べに使った石らしい。「重量あげ大会」みたいなものがあったのでしょうか。
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< さし石(力石) >
力比べに使った石らしい。「重量あげ大会」みたいなものがあったのでしょうか。
< 金谷神社 >
レンガ塀に囲まれた「本殿」の横にあります。金谷神社は、「尾山神社」の摂社(せっしゃ=枝やしろ)になります。
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11/23 7:29
< 金谷神社 >
レンガ塀に囲まれた「本殿」の横にあります。金谷神社は、「尾山神社」の摂社(せっしゃ=枝やしろ)になります。
< 東神門 >
境内側からの眺めです。門を出たところが「お堀通り」です。通りの向こうの崖の上に「玉泉院丸」があります。
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11/23 7:39
< 東神門 >
境内側からの眺めです。門を出たところが「お堀通り」です。通りの向こうの崖の上に「玉泉院丸」があります。
< 旧金沢城二の丸の門 >
〜とあります。かって、尾山神社(金谷出丸:かなやでまる)と玉泉院丸(二の丸の続)の間に、堀(外堀)があり、鼠多門橋(ねずみたもんばし)でつながっていました。つまり、「東神門」は二の丸への入口であったわけです。
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11/23 7:39
< 旧金沢城二の丸の門 >
〜とあります。かって、尾山神社(金谷出丸:かなやでまる)と玉泉院丸(二の丸の続)の間に、堀(外堀)があり、鼠多門橋(ねずみたもんばし)でつながっていました。つまり、「東神門」は二の丸への入口であったわけです。
< 境内の略図 >
東神門のそばに掲示されていました。神門(正面口)側にも掲示して欲しかったです。
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11/23 7:39
< 境内の略図 >
東神門のそばに掲示されていました。神門(正面口)側にも掲示して欲しかったです。
< 城を一周する「お堀通り」 >
〜に出ました。向かいの石垣の上に玉泉院丸庭園があります。左上には、鼠多門(ねずみたもん)の発掘現場があります。もし、鼠多門橋が再建されれば、尾山神社(金谷出丸)と玉泉院丸がつながることになります。
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11/23 7:39
< 城を一周する「お堀通り」 >
〜に出ました。向かいの石垣の上に玉泉院丸庭園があります。左上には、鼠多門(ねずみたもん)の発掘現場があります。もし、鼠多門橋が再建されれば、尾山神社(金谷出丸)と玉泉院丸がつながることになります。
< 「お堀通り」を進み >
〜兼六園の真弓坂口に向かいます。「お堀通り」は、城の外堀でした。ここが、城の西側の通りですが、東側の「お堀通り」には、『百間堀通り』と『白鳥路(はくちょうろ)』で構成されています。
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11/23 7:40
< 「お堀通り」を進み >
〜兼六園の真弓坂口に向かいます。「お堀通り」は、城の外堀でした。ここが、城の西側の通りですが、東側の「お堀通り」には、『百間堀通り』と『白鳥路(はくちょうろ)』で構成されています。
< 「石川門」までの経路 >
私が、このあと、歩いた順路をマークしてみました。兼六園と金沢城を巡った後に、お堀(通り)を一周してみます。金沢城は、幾十もの濠(堀)に囲まれていました。内堀+お堀(外堀)+内惣構(うちそうがまえ)+外惣構〜です。
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11/23 7:41
< 「石川門」までの経路 >
私が、このあと、歩いた順路をマークしてみました。兼六園と金沢城を巡った後に、お堀(通り)を一周してみます。金沢城は、幾十もの濠(堀)に囲まれていました。内堀+お堀(外堀)+内惣構(うちそうがまえ)+外惣構〜です。
< 玉泉院丸口 >
〜です。左手に50mほど上がれば、「玉泉庵」があり、庭園への入口になっています。また、城内の「二の丸」からも庭園に下りて来れます。
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11/23 7:41
< 玉泉院丸口 >
〜です。左手に50mほど上がれば、「玉泉庵」があり、庭園への入口になっています。また、城内の「二の丸」からも庭園に下りて来れます。
< クロガネモチ(黒鉄黐) >
モチノキ科モチノキ属。見ての通りの常緑樹です。
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11/23 7:42
< クロガネモチ(黒鉄黐) >
モチノキ科モチノキ属。見ての通りの常緑樹です。
< クロガネモチの実 >
葉っぱで樹の鑑別が出来ないときは、果実で判断出来ることがあります。実の形だけでなく、果柄の長さなどが参考になります。
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11/23 7:42
< クロガネモチの実 >
葉っぱで樹の鑑別が出来ないときは、果実で判断出来ることがあります。実の形だけでなく、果柄の長さなどが参考になります。
< エノキ(榎) >
ニレ科エノキ属。幹に名札(樹種名)が掲げられていました。ありがたいです。なんにしろ、まず、名前を知らなければ、その物に対する愛着が湧きません。
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11/23 7:43
< エノキ(榎) >
ニレ科エノキ属。幹に名札(樹種名)が掲げられていました。ありがたいです。なんにしろ、まず、名前を知らなければ、その物に対する愛着が湧きません。
< エノキの落葉(落果) >
落とし物も、参考にさせて頂きます。
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11/23 7:43
< エノキの落葉(落果) >
落とし物も、参考にさせて頂きます。
< 2本の木に導かれて >
「玉泉院丸口」の前に来ました。左手に行くと、入園できます。上に通っている道は、「二の丸」に上がる道です。途中にある「薪(たきぎ)の丸」から『三十三間堂』にも行けます。
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11/23 7:44
< 2本の木に導かれて >
「玉泉院丸口」の前に来ました。左手に行くと、入園できます。上に通っている道は、「二の丸」に上がる道です。途中にある「薪(たきぎ)の丸」から『三十三間堂』にも行けます。
< 文化施設マップ >
観光の要所がよく分かります。私は、これから「いもり堀」の横を通過して、「兼六園」に向かいます。
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11/23 7:45
< 文化施設マップ >
観光の要所がよく分かります。私は、これから「いもり堀」の横を通過して、「兼六園」に向かいます。
< いもり堀 >
お堀の周りには、季節外れの紅い花が咲いています。「兼六園」の開園時間(8:00)に間に合うように先を急ぎます。
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11/23 7:46
< いもり堀 >
お堀の周りには、季節外れの紅い花が咲いています。「兼六園」の開園時間(8:00)に間に合うように先を急ぎます。
< クルメツツジ(久留米躑躅) >
ツツジ科ツツジ属。江戸時代に久留米藩で、品種改良されたツツジです。春に咲く花ですが、今年、金沢では、「狂い咲きした」とマスコミが報じています。『今年は、二度も咲いてくれた』と思いたいですね。
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11/23 7:47
< クルメツツジ(久留米躑躅) >
ツツジ科ツツジ属。江戸時代に久留米藩で、品種改良されたツツジです。春に咲く花ですが、今年、金沢では、「狂い咲きした」とマスコミが報じています。『今年は、二度も咲いてくれた』と思いたいですね。
< 黄緑色の世界 >
「いもり堀」の水面も黄緑に光っています。先を急ぐので「いもり堀園地」は、後で回ることにします。
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11/23 7:47
< 黄緑色の世界 >
「いもり堀」の水面も黄緑に光っています。先を急ぐので「いもり堀園地」は、後で回ることにします。
< 石川県政記念しいのき迎賓館 >
2002年に県庁が、鞍月に移転した時に、迎賓館としてリニューアルしました。裏面(反対面)が、大正時代の建物のままで、表が『ガラスの御殿』に作り替えられました。
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11/23 7:47
< 石川県政記念しいのき迎賓館 >
2002年に県庁が、鞍月に移転した時に、迎賓館としてリニューアルしました。裏面(反対面)が、大正時代の建物のままで、表が『ガラスの御殿』に作り替えられました。
< 城の南端から振り返りました >
「いもり堀」の端で、広坂北交差点の近くになります。遠くにみえるビルは、20階建ての「北國新聞会館」です。
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11/23 7:51
< 城の南端から振り返りました >
「いもり堀」の端で、広坂北交差点の近くになります。遠くにみえるビルは、20階建ての「北國新聞会館」です。
< 城郭の南の角 >
〜になります。「兼六園」を巡った後に、こちらのお城を攻めに参ります。
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11/23 7:52
< 城郭の南の角 >
〜になります。「兼六園」を巡った後に、こちらのお城を攻めに参ります。
< 広坂交差点 >
「百万石通り」が目の前を横切り、広坂を登っています。
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11/23 7:53
< 広坂交差点 >
「百万石通り」が目の前を横切り、広坂を登っています。
< 青(緑)信号になったら >
〜「真弓坂」を登ります。ちょうど、料金所の方(女性)が門を開いているとこでした。
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11/23 7:53
< 青(緑)信号になったら >
〜「真弓坂」を登ります。ちょうど、料金所の方(女性)が門を開いているとこでした。
< 懸社「石浦神社」 >
先ほどの位置のはす向かいになります。気になるお社でしたが、8時に入園したかったので、諦めました。
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11/23 7:55
< 懸社「石浦神社」 >
先ほどの位置のはす向かいになります。気になるお社でしたが、8時に入園したかったので、諦めました。
< アブラツバキ(油椿) >
ツバキ科ツバキ属〜でしょうか?あるいは、「サザンカ」か「ユキツバキ」の白花種かもしれません。
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11/23 7:55
< アブラツバキ(油椿) >
ツバキ科ツバキ属〜でしょうか?あるいは、「サザンカ」か「ユキツバキ」の白花種かもしれません。
< もうじき開門です >
AM8:00ですが、3分前に開けてもらえました。
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11/23 7:55
< もうじき開門です >
AM8:00ですが、3分前に開けてもらえました。
< 「真弓坂」口 >
20m奥にある料金所から、係の方(女性)が、こちらに向かって歩いてきています。
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11/23 7:56
< 「真弓坂」口 >
20m奥にある料金所から、係の方(女性)が、こちらに向かって歩いてきています。
< 入園の案内 >
〜が掲示されています。冬期間はAM8:00から開園です。AM6:00〜7:45の間は、早朝無料開放(時期により時間が変更されます)されています。
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< 入園の案内 >
〜が掲示されています。冬期間はAM8:00から開園です。AM6:00〜7:45の間は、早朝無料開放(時期により時間が変更されます)されています。
< 「真弓坂」を登ります >
料金所で、310円を支払います。
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11/23 7:57
< 「真弓坂」を登ります >
料金所で、310円を支払います。
< 真弓坂料金所 >
係の方に、「マユミ(檀、ニシキギ科ニシキギ属)」が、『真弓坂』のそばにあるのかを尋ねました。兼六園には「マユミ」ではなく「コマユミ」があるとのこと、この坂道には、そのコマユミはありません。
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11/23 8:01
< 真弓坂料金所 >
係の方に、「マユミ(檀、ニシキギ科ニシキギ属)」が、『真弓坂』のそばにあるのかを尋ねました。兼六園には「マユミ」ではなく「コマユミ」があるとのこと、この坂道には、そのコマユミはありません。
< キササゲ(木大角豆) >
ノウゼンカズラ科キササゲ属。中国原産です。日本の山野に帰化しています。
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11/23 8:03
< キササゲ(木大角豆) >
ノウゼンカズラ科キササゲ属。中国原産です。日本の山野に帰化しています。
< 種子は生薬 >
〜になります。しかし、採取する時期が過ぎています。櫺漫覆気か)なので、長細い実が避けて、種子が飛び出してしまっているはずです。
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11/23 8:03
< 種子は生薬 >
〜になります。しかし、採取する時期が過ぎています。櫺漫覆気か)なので、長細い実が避けて、種子が飛び出してしまっているはずです。
< 瓢池(ひさごいけ) >
池の中の出島に「海石塔」と呼ばれる石灯籠、塔の後方には、三芳庵(みよしあん)の「水亭」があります。対岸に「唐傘」が建っていて、傘の後方には「翠滝(みどりたき)」と呼ばれる滝が流落ちています。
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11/23 8:04
< 瓢池(ひさごいけ) >
池の中の出島に「海石塔」と呼ばれる石灯籠、塔の後方には、三芳庵(みよしあん)の「水亭」があります。対岸に「唐傘」が建っていて、傘の後方には「翠滝(みどりたき)」と呼ばれる滝が流落ちています。
< カンツバキ(寒椿) >
ツバキ科ツバキ属。「カンツバキ」は、「ツバキ(椿・ヤブツバキ)」と「サザンカ(山茶花)」の交雑種です。このツバキは、瓢池の「蓮地門路」側に咲いていました。
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11/23 8:05
< カンツバキ(寒椿) >
ツバキ科ツバキ属。「カンツバキ」は、「ツバキ(椿・ヤブツバキ)」と「サザンカ(山茶花)」の交雑種です。このツバキは、瓢池の「蓮地門路」側に咲いていました。
< 八重咲き >
〜になっている「カンツバキ(寒椿)」です。
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11/23 8:05
< 八重咲き >
〜になっている「カンツバキ(寒椿)」です。
< 夕顔亭(改装中) >
「三芳庵(みよしあん)」の別館の「夕顔亭」は改装中でした。「三芳庵」の名の由来は、本館−水亭−滝上の別荘(撤去)の三つの芳しい建物があったことからです。
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11/23 8:05
< 夕顔亭(改装中) >
「三芳庵(みよしあん)」の別館の「夕顔亭」は改装中でした。「三芳庵」の名の由来は、本館−水亭−滝上の別荘(撤去)の三つの芳しい建物があったことからです。
< 瓢池の翠滝 >
滝の上に、三芳庵の別荘がありましたが、老朽化のため、平成20年に撤去されました。
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11/23 8:06
< 瓢池の翠滝 >
滝の上に、三芳庵の別荘がありましたが、老朽化のため、平成20年に撤去されました。
< ヒョウタン(瓢箪)の形をした >
〜池なので、瓢池(ひさごいけ)になったといいます。しかし、ここからは、『瓢箪形』には見えません。滝の上にあった別荘からならば、ヒョウタン池に見えていたのかもしれません。
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11/23 8:06
< ヒョウタン(瓢箪)の形をした >
〜池なので、瓢池(ひさごいけ)になったといいます。しかし、ここからは、『瓢箪形』には見えません。滝の上にあった別荘からならば、ヒョウタン池に見えていたのかもしれません。
< 海石塔(かいせきとう) >
ユニークな石灯籠です。行灯(あんどん:Lantam)部分が、二段になっています。
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11/23 8:07
< 海石塔(かいせきとう) >
ユニークな石灯籠です。行灯(あんどん:Lantam)部分が、二段になっています。
< 三芳庵「水亭」の玄関 >
入り口以外の部分は、池の上に立っています。本館と同じように『三芳庵』の看板(表札)が、掛けられています。
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11/23 8:08
< 三芳庵「水亭」の玄関 >
入り口以外の部分は、池の上に立っています。本館と同じように『三芳庵』の看板(表札)が、掛けられています。
< 三芳庵「本館」の玄関 >
隣の別館「夕顔亭」は、暗幕(黒色のネット)に覆われています。暗幕の館の後方に、「水亭」と池が位置しています。
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11/23 8:11
< 三芳庵「本館」の玄関 >
隣の別館「夕顔亭」は、暗幕(黒色のネット)に覆われています。暗幕の館の後方に、「水亭」と池が位置しています。
< 茶店街の方向 >
〜です。蓮地門の横から、桂門口のある方向を眺めています。料金所を出ないと、茶店街(ちゃみせがい)には行けません。ここか、右手の坂道に進みます。
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11/23 8:11
< 茶店街の方向 >
〜です。蓮地門の横から、桂門口のある方向を眺めています。料金所を出ないと、茶店街(ちゃみせがい)には行けません。ここか、右手の坂道に進みます。
< ここでオリエンテーション >
〜を付けておきます。この場所は、蓮地門(れんちもん)を過ぎた所でで、「松濤坂」で立ち止まっています。
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11/23 8:11
< ここでオリエンテーション >
〜を付けておきます。この場所は、蓮地門(れんちもん)を過ぎた所でで、「松濤坂」で立ち止まっています。
< 松濤坂(しょうとうざか) >
訓読みにすると「まつなみざか」??この後の経路は、常磐ヶ岡(ときわがおか)−桜ヶ岡−千歳台−山崎山−梅林−栄螺山(霞ヶ池)−桂坂口(出園)〜となります。
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11/23 8:11
< 松濤坂(しょうとうざか) >
訓読みにすると「まつなみざか」??この後の経路は、常磐ヶ岡(ときわがおか)−桜ヶ岡−千歳台−山崎山−梅林−栄螺山(霞ヶ池)−桂坂口(出園)〜となります。
< 噴水 >
〜です。ただ噴水としか呼ばれていません。作られた当時、日本には、この噴水しかなかったから、『噴水』が固有名詞になったのかもしれません?
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11/23 8:13
< 噴水 >
〜です。ただ噴水としか呼ばれていません。作られた当時、日本には、この噴水しかなかったから、『噴水』が固有名詞になったのかもしれません?
< 日本最古の噴水 >
19世紀中頃につくられたそうです。となりにある「霞ヶ池」が水源です。
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11/23 8:13
< 日本最古の噴水 >
19世紀中頃につくられたそうです。となりにある「霞ヶ池」が水源です。
< 兼六亭 >
園内にある茶店の一つです。お店の方が、開店の準備をしてるところでした。「兼六亭」の背後には、茶店通り(園外)が通っていて、7軒の茶店が建ち並んでいます。
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11/23 8:13
< 兼六亭 >
園内にある茶店の一つです。お店の方が、開店の準備をしてるところでした。「兼六亭」の背後には、茶店通り(園外)が通っていて、7軒の茶店が建ち並んでいます。
< 雪吊りされた「オンツツジ(雄躑躅)」 >
ツツジ科ツツジ属。葉の大きさからすると、「雄ツツジ」でしょう。『大ツツジ』と呼びたいくらいです。
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11/23 8:14
< 雪吊りされた「オンツツジ(雄躑躅)」 >
ツツジ科ツツジ属。葉の大きさからすると、「雄ツツジ」でしょう。『大ツツジ』と呼びたいくらいです。
< 三ツ葉 >
〜です。落葉しかかっているので3輪生(三ツ葉)には見えませんが、紅葉する前は、ミツバツツジと同じような形の葉のはずです。
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11/23 8:14
< 三ツ葉 >
〜です。落葉しかかっているので3輪生(三ツ葉)には見えませんが、紅葉する前は、ミツバツツジと同じような形の葉のはずです。
< サンザシ(山査子) >
バラ科サンザシ属。樹の根元に、赤い実が落ちています。
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11/23 8:15
< サンザシ(山査子) >
バラ科サンザシ属。樹の根元に、赤い実が落ちています。
< 落ちていないサンザシの実 >
「サンザシ(山査子)」は、バラ科ですが、よく似た「ヤブサンザシ(藪山査子、スグリ科スグリ属)」は、全く別の科の植物です。
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11/23 8:15
< 落ちていないサンザシの実 >
「サンザシ(山査子)」は、バラ科ですが、よく似た「ヤブサンザシ(藪山査子、スグリ科スグリ属)」は、全く別の科の植物です。
< 桂坂出口 >
反対から見ると「桂坂口」です。「百間堀通り」越しに『石川門』が見えています。
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11/23 8:17
< 桂坂出口 >
反対から見ると「桂坂口」です。「百間堀通り」越しに『石川門』が見えています。
< 「桂坂」 >
〜を出口側から見上げました。「桂坂」ですから、近くに桂の木があるはずです。
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11/23 8:17
< 「桂坂」 >
〜を出口側から見上げました。「桂坂」ですから、近くに桂の木があるはずです。
< 世代交代した「桂の木」 >
大木(古木)の蘖(ひこばえ)から、若木が生まれているようです。
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11/23 8:18
< 世代交代した「桂の木」 >
大木(古木)の蘖(ひこばえ)から、若木が生まれているようです。
< カツラ(桂) >
カツラ科カツラ属。落葉してしまっているので、樹形を見ただけでは「桂の木」かどうか、判かりません。
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11/23 8:19
< カツラ(桂) >
カツラ科カツラ属。落葉してしまっているので、樹形を見ただけでは「桂の木」かどうか、判かりません。
< 落ちたカツラ >
〜の葉。この木の根元に、葉っぱが落ちていたので、カツラ属のカツラで間違いありません。
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11/23 8:19
< 落ちたカツラ >
〜の葉。この木の根元に、葉っぱが落ちていたので、カツラ属のカツラで間違いありません。
< 桜ヶ岡 >
桂坂出口の近くです。春は、桜の花で、入園者を迎えてくれる場所です。
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11/23 8:21
< 桜ヶ岡 >
桂坂出口の近くです。春は、桜の花で、入園者を迎えてくれる場所です。
< ヤブツバキ(藪椿) >
ツバキ科ツバキ属。一般的に「ツバキ」と呼ばれるものです。兼六園では、別の名で呼ばれています。
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11/23 8:20
< ヤブツバキ(藪椿) >
ツバキ科ツバキ属。一般的に「ツバキ」と呼ばれるものです。兼六園では、別の名で呼ばれています。
< 『ことじ椿』 >
〜と呼ばれています。兼六園名物「徽軫灯籠(ことじとうろう)」にちなんでいます。
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11/23 8:20
< 『ことじ椿』 >
〜と呼ばれています。兼六園名物「徽軫灯籠(ことじとうろう)」にちなんでいます。
< ヤマモミジと桜の紅葉 >
左側の1本=ヤマモミジ、右の2本=桜、後方の数本=松〜です。鑑別は、落ち葉です。
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11/23 8:20
< ヤマモミジと桜の紅葉 >
左側の1本=ヤマモミジ、右の2本=桜、後方の数本=松〜です。鑑別は、落ち葉です。
< 紅葉(黄葉)の落ち葉 >
桜の葉、ヤマモミジの葉、松の葉〜です。
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11/23 8:21
< 紅葉(黄葉)の落ち葉 >
桜の葉、ヤマモミジの葉、松の葉〜です。
< 寄観亭(きかんてい) >
桜ヶ岡料金所(桜ヶ岡口)のそばにあります。後ろに通っている「上坂(かみさか)」の道路は、観光バスを横付けして、乗客の乗せ降ろしが出来るので、便利です。
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< 寄観亭(きかんてい) >
桜ヶ岡料金所(桜ヶ岡口)のそばにあります。後ろに通っている「上坂(かみさか)」の道路は、観光バスを横付けして、乗客の乗せ降ろしが出来るので、便利です。
< 徽軫灯籠(ことじとうろう) >
いつの間にか、兼六園のシンボル(あるいは、石川県のシンボル)になってしまいました。
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11/23 8:23
< 徽軫灯籠(ことじとうろう) >
いつの間にか、兼六園のシンボル(あるいは、石川県のシンボル)になってしまいました。
< 「琴柱」の形 >
琴の糸を支える琴柱の形をしていることから、『徽軫』灯籠と呼ばれています。
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11/23 8:22
< 「琴柱」の形 >
琴の糸を支える琴柱の形をしていることから、『徽軫』灯籠と呼ばれています。
< 虹橋(にじばし) >
「ことじ灯籠」とのペアは、お似合いです。虹橋の別称を『琴橋』と言います。今朝、お参りしてきた「尾山神社庭園(旧金谷御殿庭園)」にも「琴橋」と呼ばれる橋があります。
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11/23 8:22
< 虹橋(にじばし) >
「ことじ灯籠」とのペアは、お似合いです。虹橋の別称を『琴橋』と言います。今朝、お参りしてきた「尾山神社庭園(旧金谷御殿庭園)」にも「琴橋」と呼ばれる橋があります。
< 水道の遺構 >
往時は、園内に流れ込んできた「辰巳用水」の水を、逆サイホンの原理(伏越しの理=ふせこしのことわり)を利用して、水道管が『百間堀り』の下をくぐり抜け、「金沢城二の丸」に導かれていました。
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< 水道の遺構 >
往時は、園内に流れ込んできた「辰巳用水」の水を、逆サイホンの原理(伏越しの理=ふせこしのことわり)を利用して、水道管が『百間堀り』の下をくぐり抜け、「金沢城二の丸」に導かれていました。
< 虹橋から見た「霞ヶ池」 >
今朝から小雨が降り注いでいますが、湖上は水鳥たちの楽園です。池に浮かぶ「蓬莱島(ほうらいじま)」、池に突き出した「内橋亭(うちはしてい)」〜きっと朝霞がかかれば、幽玄な『霞ヶ池』になることでしょう。
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11/23 8:23
< 虹橋から見た「霞ヶ池」 >
今朝から小雨が降り注いでいますが、湖上は水鳥たちの楽園です。池に浮かぶ「蓬莱島(ほうらいじま)」、池に突き出した「内橋亭(うちはしてい)」〜きっと朝霞がかかれば、幽玄な『霞ヶ池』になることでしょう。
< 唐崎松(からさきのまつ) >
150年ほど前、琵琶湖の畔にある「唐崎の松」から、種を取り寄せて育てた松だそうです。
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11/23 8:25
< 唐崎松(からさきのまつ) >
150年ほど前、琵琶湖の畔にある「唐崎の松」から、種を取り寄せて育てた松だそうです。
< 眺望台 >
「唐崎松」の前から、180度振り返ると、「卯辰山(うたつやま)」が展望できます。金沢大野庄からら東南東(卯辰の方角)に位置する山なので『卯辰』山になりました。
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11/23 8:25
< 眺望台 >
「唐崎松」の前から、180度振り返ると、「卯辰山(うたつやま)」が展望できます。金沢大野庄からら東南東(卯辰の方角)に位置する山なので『卯辰』山になりました。
< 卯辰山(標高140.93m) >
山頂は奥のようにあるので、手前に位置する「玉兎ヶ丘(ぎょくとがおか)約130m」の辺りが最高所のように見えます。「玉兎ヶ丘」からこちら側突き出した尾根部分に『見晴らし台』と呼ばれる広場があります。そこからは、「金沢の奥座敷にある山々」がよく見渡せます。
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11/23 8:25
< 卯辰山(標高140.93m) >
山頂は奥のようにあるので、手前に位置する「玉兎ヶ丘(ぎょくとがおか)約130m」の辺りが最高所のように見えます。「玉兎ヶ丘」からこちら側突き出した尾根部分に『見晴らし台』と呼ばれる広場があります。そこからは、「金沢の奥座敷にある山々」がよく見渡せます。
< ここからも「奥座敷」 >
〜の方向(東南東)が見渡せました。ここから13kmほど先にある山々です。
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11/23 8:25
< ここからも「奥座敷」 >
〜の方向(東南東)が見渡せました。ここから13kmほど先にある山々です。
< 医王山(いおうぜん) >
富山県との県境(金沢市と南砺市)に跨がる峰々を総称が「医王山」です。奥医王山(939.07m)が最高峰です。
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11/23 8:26
< 医王山(いおうぜん) >
富山県との県境(金沢市と南砺市)に跨がる峰々を総称が「医王山」です。奥医王山(939.07m)が最高峰です。
< 「戸室山(とむろやま)」と「キゴ山」 >
〜で摂れた戸室石(安山岩の一種)を使って、金沢城の石垣は造られました。戸室山の麓からこちらまで続く細長い台地の上を引いて運搬しました。その台地のことを『小立野台地(石引台地)』と呼び、「石引町」の町名も残されています。
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11/23 8:26
< 「戸室山(とむろやま)」と「キゴ山」 >
〜で摂れた戸室石(安山岩の一種)を使って、金沢城の石垣は造られました。戸室山の麓からこちらまで続く細長い台地の上を引いて運搬しました。その台地のことを『小立野台地(石引台地)』と呼び、「石引町」の町名も残されています。
< 旭桜(あさひざくら) >
白山に咲くヤマザクラの1種です。周りのソメイヨシノの葉はほとんど落葉していますが、「旭桜」の葉は、まだ多くが枝先で頑張っています。後方の曲水には「雁行橋」が架かっています。
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11/23 8:28
< 旭桜(あさひざくら) >
白山に咲くヤマザクラの1種です。周りのソメイヨシノの葉はほとんど落葉していますが、「旭桜」の葉は、まだ多くが枝先で頑張っています。後方の曲水には「雁行橋」が架かっています。
< 雁行橋(がんこうばし) >
V字隊列を組んで飛んいる「雁(がん=カモ科の鳥の総称)」をかたどっている石橋です。11枚の赤戸室石でアレンジされています。
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11/23 8:28
< 雁行橋(がんこうばし) >
V字隊列を組んで飛んいる「雁(がん=カモ科の鳥の総称)」をかたどっている石橋です。11枚の赤戸室石でアレンジされています。
< ことぶき亭 >
「上坂料金所」のすぐ隣にあります。「寄観亭(桜ヶ岡料金所そば)」と同じく、上坂の道路からのアクセスが便利です(観光バスが停車できる)。
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11/23 8:29
< ことぶき亭 >
「上坂料金所」のすぐ隣にあります。「寄観亭(桜ヶ岡料金所そば)」と同じく、上坂の道路からのアクセスが便利です(観光バスが停車できる)。
< 上坂料金所 >
上坂(かみさか)は、この階段のことではなく、料金所の外を通る道路(坂道)のことです。兼六坂(百万石道路の一部)の一段上(兼六園の外周沿い)に位置する坂道です。
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11/23 8:30
< 上坂料金所 >
上坂(かみさか)は、この階段のことではなく、料金所の外を通る道路(坂道)のことです。兼六坂(百万石道路の一部)の一段上(兼六園の外周沿い)に位置する坂道です。
< マユミ(檀・真弓) >
ニシキギ科ニシキギ属。上坂料金所そばのトイレの入口付近で見つけました。
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11/23 8:32
< マユミ(檀・真弓) >
ニシキギ科ニシキギ属。上坂料金所そばのトイレの入口付近で見つけました。
< 果実は4裂します >
ネットで検索すると、兼六園の「梅林」エリアには、同属のコマユミ(小檀・小真弓)が見られるらしいです。
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11/23 8:32
< 果実は4裂します >
ネットで検索すると、兼六園の「梅林」エリアには、同属のコマユミ(小檀・小真弓)が見られるらしいです。
< イロハモミジの紅葉 >
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11/23 8:34
< イロハモミジの紅葉 >
< 黄葉ぽい紅葉 >
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11/23 8:35
< 黄葉ぽい紅葉 >
< モミジをズーム >
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11/23 8:34
< モミジをズーム >
< 紅葉を拡大 >
ほとんど、虫食いのない状態です。
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11/23 8:34
< 紅葉を拡大 >
ほとんど、虫食いのない状態です。
< 氷室跡 >
兼六園小立野口の近くです。山崎山の後ろに位置します。加賀藩政期、ここに貯蔵されていた氷を二重の長持に詰め、江戸の加賀屋敷に運びました。将軍様に献上するためでした。現在、氷室は、金沢の奥座敷の「湯涌温泉」に所在します。
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< 氷室跡 >
兼六園小立野口の近くです。山崎山の後ろに位置します。加賀藩政期、ここに貯蔵されていた氷を二重の長持に詰め、江戸の加賀屋敷に運びました。将軍様に献上するためでした。現在、氷室は、金沢の奥座敷の「湯涌温泉」に所在します。
< 沈砂池(ちんさち) >
兼六園南端の小立野口のすぐ横にある池です。犀川の上流で取水された「辰巳用水の水」は、まず、この『沈砂池』で土砂を落としてきれいになってから、兼六園の曲水になって流れ出ています。
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11/23 8:37
< 沈砂池(ちんさち) >
兼六園南端の小立野口のすぐ横にある池です。犀川の上流で取水された「辰巳用水の水」は、まず、この『沈砂池』で土砂を落としてきれいになってから、兼六園の曲水になって流れ出ています。
< モミジの絨毯 >
左奥50mの所に「落ち葉掃き」の方が、作業しながら、こちら側に進んできています。おそらく、30分後には、通路のモミジが掃くかれてしまうでしょう。
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11/23 8:38
< モミジの絨毯 >
左奥50mの所に「落ち葉掃き」の方が、作業しながら、こちら側に進んできています。おそらく、30分後には、通路のモミジが掃くかれてしまうでしょう。
< 山崎山 >
〜に登山します。兼六園内での最高峰(標高60m位)です。山崎の庄(やまざきのしょう)という集落がったので『山崎』山になりました。山頂手前に建つ石塔は、御室の塔(おむろのとう)と呼ばれます。京都の御室御所の五重塔を模したものだそうです。
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< 山崎山 >
〜に登山します。兼六園内での最高峰(標高60m位)です。山崎の庄(やまざきのしょう)という集落がったので『山崎』山になりました。山頂手前に建つ石塔は、御室の塔(おむろのとう)と呼ばれます。京都の御室御所の五重塔を模したものだそうです。
< 御亭(おちん) >
〜と言います。御亭とは、中国語であずま屋のことだそうです。御亭に付いている額の文字は、篆書体(てんしょたい)のような漢字で書かれていて読めません。『木然(きぜん)』?という文字でしょうか?
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< 御亭(おちん) >
〜と言います。御亭とは、中国語であずま屋のことだそうです。御亭に付いている額の文字は、篆書体(てんしょたい)のような漢字で書かれていて読めません。『木然(きぜん)』?という文字でしょうか?
< 芭蕉の句碑 >
元々は、兼六園の北東方向にある「卯辰山」にあったものを移設したそうです。
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11/23 8:43
< 芭蕉の句碑 >
元々は、兼六園の北東方向にある「卯辰山」にあったものを移設したそうです。
《 あかあかと
日は難面(つれなく)も秋の風 》
〜今朝の気温が5℃しかありませんでした。厳しかった残暑が懐かしいです。
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11/23 8:43
《 あかあかと
日は難面(つれなく)も秋の風 》
〜今朝の気温が5℃しかありませんでした。厳しかった残暑が懐かしいです。
< イヌガヤ(犬榧) >
イヌガヤ科イヌガヤ属〜たぶん。イヌガヤの葉っぱ、他科の樹木である「カヤ(榧、イチイ科カヤ属)」と「モミ(樅、マツ科モミ属)」の物に似ています。鑑別するなら、葉裏にある気孔帯を調べないと行けません。
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11/23 8:43
< イヌガヤ(犬榧) >
イヌガヤ科イヌガヤ属〜たぶん。イヌガヤの葉っぱ、他科の樹木である「カヤ(榧、イチイ科カヤ属)」と「モミ(樅、マツ科モミ属)」の物に似ています。鑑別するなら、葉裏にある気孔帯を調べないと行けません。
< サンシュユ(山茱萸) >
ミズキ科ミズキ属。江戸時代、朝鮮半島から渡来しました。
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11/23 8:44
< サンシュユ(山茱萸) >
ミズキ科ミズキ属。江戸時代、朝鮮半島から渡来しました。
< 実の中の種は漢方薬 >
〜になります。生薬は、強精薬ですが、八味地黄丸等の漢方方剤にも使われています。
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11/23 8:44
< 実の中の種は漢方薬 >
〜になります。生薬は、強精薬ですが、八味地黄丸等の漢方方剤にも使われています。
< ヒノキ(檜) >
ヒノキ科ヒノキ属〜としましたが、同属の「サワラ(椹)」かもしれません。
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11/23 8:45
< ヒノキ(檜) >
ヒノキ科ヒノキ属〜としましたが、同属の「サワラ(椹)」かもしれません。
< ヒノキの葉? >
〜はたまた、サワラの葉か?〜葉裏にある気孔帯の文様が鑑別のポイントになりますが、今回は調べていません。なんとなく、イトヒバ(ヒヨクヒバ)の様な気もします?
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11/23 8:45
< ヒノキの葉? >
〜はたまた、サワラの葉か?〜葉裏にある気孔帯の文様が鑑別のポイントになりますが、今回は調べていません。なんとなく、イトヒバ(ヒヨクヒバ)の様な気もします?
< 鶺鴒(せきれい)島 >
曲水(川)の中に取り残されたような小島です。千代台と山崎山の中間に位置します。
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11/23 8:46
< 鶺鴒(せきれい)島 >
曲水(川)の中に取り残されたような小島です。千代台と山崎山の中間に位置します。
< 竜石 >
看板の前からでは、『竜』がイメージされません。
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11/23 8:47
< 竜石 >
看板の前からでは、『竜』がイメージされません。
< 竜の頭? >
〜のような感じに見えます。後方には「鶺鴒島」が見えます。
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11/23 8:48
< 竜の頭? >
〜のような感じに見えます。後方には「鶺鴒島」が見えます。
< 伝統工芸産業館 >
兼六園内部にある出入口です。正面玄関は、兼六坂上交差点(小立野口)のそばにあります。小立野方面からは、小立野口料金所と、伝統工芸産業館の受付の2箇所から兼六園に出入りできます。伝統工芸産業館は、1階部分は無料で、2階の展示室は260円です。
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11/23 8:47
< 伝統工芸産業館 >
兼六園内部にある出入口です。正面玄関は、兼六坂上交差点(小立野口)のそばにあります。小立野方面からは、小立野口料金所と、伝統工芸産業館の受付の2箇所から兼六園に出入りできます。伝統工芸産業館は、1階部分は無料で、2階の展示室は260円です。
< 花見橋 >
この橋を渡ると、「千代台」です。渡って左手に、「根上松」、右手に「明治紀念之標」があります。
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11/23 8:49
< 花見橋 >
この橋を渡ると、「千代台」です。渡って左手に、「根上松」、右手に「明治紀念之標」があります。
< 根上松(ねあがりのまつ) >
十三代の前田斉泰(まえだなりやす)公が、お手植えし徐々に土を除いて根をあらわした〜と記されています。
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11/23 8:49
< 根上松(ねあがりのまつ) >
十三代の前田斉泰(まえだなりやす)公が、お手植えし徐々に土を除いて根をあらわした〜と記されています。
< 幹のような根 >
言うなれば、わざと根の部分を露出させた『巨大な植木』です。
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11/23 8:50
< 幹のような根 >
言うなれば、わざと根の部分を露出させた『巨大な植木』です。
< 明治紀念之標 >
日本武尊の銅像が建っていて、両側には「手向松(たむけまつ)」と呼ばれる赤松が植えられています。
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11/23 8:50
< 明治紀念之標 >
日本武尊の銅像が建っていて、両側には「手向松(たむけまつ)」と呼ばれる赤松が植えられています。
< 日本武尊(やまとたけるのみこと) >
銅像の身長は5.5mです。1880年(明治13年)、日本で最初に建てられた銅像だそうです。
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11/23 8:50
< 日本武尊(やまとたけるのみこと) >
銅像の身長は5.5mです。1880年(明治13年)、日本で最初に建てられた銅像だそうです。
< 石川県戦士尽忠碑 >
西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰める文章です。漢文で書かれています。私には読めません。
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11/23 8:51
< 石川県戦士尽忠碑 >
西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰める文章です。漢文で書かれています。私には読めません。
< 二枚の板の橋 >
凍結防止用のムシロが巻き付けられています。私はなぜかしら、「生八ツ橋(ニッキ味)」のようなイメージを持ってしまいました。
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11/23 8:52
< 二枚の板の橋 >
凍結防止用のムシロが巻き付けられています。私はなぜかしら、「生八ツ橋(ニッキ味)」のようなイメージを持ってしまいました。
< 成巽閣(せいそんかく) >
13代藩主前田斉泰(※)が母『真龍院』の隠居所でした。入館料は700円です。※:斉泰公は前田家として13代ですが、藩祖を利家公、初代藩主を利長公とすると、藩主としては12代目になります。
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11/23 8:53
< 成巽閣(せいそんかく) >
13代藩主前田斉泰(※)が母『真龍院』の隠居所でした。入館料は700円です。※:斉泰公は前田家として13代ですが、藩祖を利家公、初代藩主を利長公とすると、藩主としては12代目になります。
< 以前は「巽御殿」 >
〜と呼ばれていました。金沢城から見て東南の方向にあるので、『巽(そん・たつみ=東南方向)』御殿と名付けられました。昭和時代になり、重要文化財「成巽閣」、平成になり、公益財団法人「成巽閣」と変遷してきました。
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11/23 8:54
< 以前は「巽御殿」 >
〜と呼ばれていました。金沢城から見て東南の方向にあるので、『巽(そん・たつみ=東南方向)』御殿と名付けられました。昭和時代になり、重要文化財「成巽閣」、平成になり、公益財団法人「成巽閣」と変遷してきました。
< 随身坂(ずいしんざか)出口 >
この先を出て、左手に「金澤神社」があります。前田家の祖先である『菅原道真』を祀っています。金澤神社の鳥居は、普通の神社と違って、北西方向(金沢城のある方向)を向いています。
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< 随身坂(ずいしんざか)出口 >
この先を出て、左手に「金澤神社」があります。前田家の祖先である『菅原道真』を祀っています。金澤神社の鳥居は、普通の神社と違って、北西方向(金沢城のある方向)を向いています。
< ツツジの紅葉 >
種は判りませんでした。サツキツツジ(皐月躑躅)かもしれません?
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11/23 8:57
< ツツジの紅葉 >
種は判りませんでした。サツキツツジ(皐月躑躅)かもしれません?
< 梅林 >
〜のエリアに入ります。「梅林」を抜け、「時雨亭」−「栄螺山」−「常盤ヶ岡」−「桜ヶ岡」−「桂坂出口」〜と進行します。
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< 梅林 >
〜のエリアに入ります。「梅林」を抜け、「時雨亭」−「栄螺山」−「常盤ヶ岡」−「桜ヶ岡」−「桂坂出口」〜と進行します。
< 白加賀(シラカガ) >
ウメ(梅、バラ科サクラ属)の品種の1つです。『兼六園』の姉妹関係にある『高岡古城公園(※)』にも、同様の「梅林」があります。※:第2代(初代藩主)前田利長公が築いた高岡城の城趾に整備された公園です。
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11/23 8:58
< 白加賀(シラカガ) >
ウメ(梅、バラ科サクラ属)の品種の1つです。『兼六園』の姉妹関係にある『高岡古城公園(※)』にも、同様の「梅林」があります。※:第2代(初代藩主)前田利長公が築いた高岡城の城趾に整備された公園です。
< 摩耶紅(マヤコウ) >
紅色をした八重咲きの品種です。花も実も葉もない状態ですが、幽玄な樹形に咲いた紅い花を想像してください。
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11/23 8:59
< 摩耶紅(マヤコウ) >
紅色をした八重咲きの品種です。花も実も葉もない状態ですが、幽玄な樹形に咲いた紅い花を想像してください。
< 陸揚げされた屋形船? >
舟をかたどった東屋(休憩所)のようです。
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11/23 9:01
< 陸揚げされた屋形船? >
舟をかたどった東屋(休憩所)のようです。
< 舟之御亭(ふねのおちん) >
この舟からおちても、溺れることはありません。
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11/23 9:00
< 舟之御亭(ふねのおちん) >
この舟からおちても、溺れることはありません。
< ナンテン(南天) >
メギ科ナンテン属。中国原産で「南天燭(なんてんしょく)」が本名です。日本では、「南天」と呼ばれるようになりました。
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11/23 9:00
< ナンテン(南天) >
メギ科ナンテン属。中国原産で「南天燭(なんてんしょく)」が本名です。日本では、「南天」と呼ばれるようになりました。
< 南天の実 >
〜鳥たちの食糧ですが、人間には、咳止めの生薬になります。また、「南天の木」は縁起ものでもあります。ナン・てん=『難を転ずる』に通じます。
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11/23 9:00
< 南天の実 >
〜鳥たちの食糧ですが、人間には、咳止めの生薬になります。また、「南天の木」は縁起ものでもあります。ナン・てん=『難を転ずる』に通じます。
< 松の傷 >
1945年(昭和20年)6月、政府の命令で航空機の燃料にするため、松脂(まつやに)を採取したときに付けられたものだと記されています。
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11/23 9:02
< 松の傷 >
1945年(昭和20年)6月、政府の命令で航空機の燃料にするため、松脂(まつやに)を採取したときに付けられたものだと記されています。
< 悲しげなハートマーク >
〜です。松脂を蒸留して「テレビン油」を抽出していたのでしょう。藩政期には、兼六園から金沢城側に引かれた水道管のつなぎ目に、漏水止めとして松脂が塗られていたはずです。
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11/23 9:02
< 悲しげなハートマーク >
〜です。松脂を蒸留して「テレビン油」を抽出していたのでしょう。藩政期には、兼六園から金沢城側に引かれた水道管のつなぎ目に、漏水止めとして松脂が塗られていたはずです。
< 銅像の台座石 >
1991年に、明治紀念之標の大修理が行われた時、ひび割れがひどく再使用できなかった日本武尊像の台座をここに設置したと記されています。
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< 銅像の台座石 >
1991年に、明治紀念之標の大修理が行われた時、ひび割れがひどく再使用できなかった日本武尊像の台座をここに設置したと記されています。
< 赤備え(あかぞなえ) >
〜の甲冑軍団をイメージさせるような「ツツジ族(属)」です。
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11/23 9:05
< 赤備え(あかぞなえ) >
〜の甲冑軍団をイメージさせるような「ツツジ族(属)」です。
< ヒサカキ(柃)の実 >
モッコク科ヒサカキ属。同属の「サカキ(榊)」と似ていますが、ヒサカキの葉には鋸歯(ギザギザ)があるのに対して、サカキにはないので区別は容易です。
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11/23 9:06
< ヒサカキ(柃)の実 >
モッコク科ヒサカキ属。同属の「サカキ(榊)」と似ていますが、ヒサカキの葉には鋸歯(ギザギザ)があるのに対して、サカキにはないので区別は容易です。
< 「ことじ椿」の花 >
花柱(雄しべと雌しべ)が、花びらに隠れているほうが、上品に見えますね。
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11/23 9:06
< 「ことじ椿」の花 >
花柱(雄しべと雌しべ)が、花びらに隠れているほうが、上品に見えますね。
< 時雨亭(しぐれてい) >
ムスリムの女性が、「ヒシャブ」か「ニカーブ」をまとっている様なイメージを感じました。開亭中(抹茶が頂けます)ですが、改装中のため見学は出来ません。
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11/23 9:08
< 時雨亭(しぐれてい) >
ムスリムの女性が、「ヒシャブ」か「ニカーブ」をまとっている様なイメージを感じました。開亭中(抹茶が頂けます)ですが、改装中のため見学は出来ません。
< 元は「蓮地御亭(れんちおちん)」 >
〜でした。兼六園の前身である『蓮地庭(かって、噴水のあたりに所在)』にあつた御亭が「時雨亭」と名を変えました。明治期に取り壊された御亭を、2000年(平成12年)に、この場所で再建されました。
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11/23 9:08
< 元は「蓮地御亭(れんちおちん)」 >
〜でした。兼六園の前身である『蓮地庭(かって、噴水のあたりに所在)』にあつた御亭が「時雨亭」と名を変えました。明治期に取り壊された御亭を、2000年(平成12年)に、この場所で再建されました。
< 次は、栄螺山ですが >
〜真弓坂料金所に立ち寄り、「コマユミ」の存在を教えて頂いた料金所の方に、見つけることが出来たことを報告してきました。
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11/23 9:09
< 次は、栄螺山ですが >
〜真弓坂料金所に立ち寄り、「コマユミ」の存在を教えて頂いた料金所の方に、見つけることが出来たことを報告してきました。
< クマノミズキ(熊野水木) >
ミズキ科ミズキ属。まだ落ちていない『落葉高木』です。同属の「ミズキ(水木)」と似ています。
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11/23 9:09
< クマノミズキ(熊野水木) >
ミズキ科ミズキ属。まだ落ちていない『落葉高木』です。同属の「ミズキ(水木)」と似ています。
< 熊野水木の黄葉 >
葉柄が比較的長く、うな垂れるような黄葉です。クマノミズキの葉は対生していますが、「ミズキ」は互生です。
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11/23 9:09
< 熊野水木の黄葉 >
葉柄が比較的長く、うな垂れるような黄葉です。クマノミズキの葉は対生していますが、「ミズキ」は互生です。
< 栄螺山(さざえやま) >
〜に登ります。兼六園では、第二の峰になります。この他、「山崎山(最高峰)」と「七福神山(今回は素通り)」があります。
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11/23 9:17
< 栄螺山(さざえやま) >
〜に登ります。兼六園では、第二の峰になります。この他、「山崎山(最高峰)」と「七福神山(今回は素通り)」があります。
< 築山です >
自然の山ではありません。霞ヶ池を掘り広げたときの残土を盛り上げて造られました。
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11/23 9:17
< 築山です >
自然の山ではありません。霞ヶ池を掘り広げたときの残土を盛り上げて造られました。
< 栄螺山の麓に >
〜「霞ヶ池」の水面が広がっています。画面左手は、「内橋亭(うちはしてい)」の玄関先です。
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11/23 9:17
< 栄螺山の麓に >
〜「霞ヶ池」の水面が広がっています。画面左手は、「内橋亭(うちはしてい)」の玄関先です。
< 栄螺山を登頂します >
しかし、この『栄螺』には大きな誤りがあります。登り道の巻く方向が、貝のサザエと逆です。
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11/23 9:17
< 栄螺山を登頂します >
しかし、この『栄螺』には大きな誤りがあります。登り道の巻く方向が、貝のサザエと逆です。
< ムラサキシキブ(紫式部) >
シソ科ムラサキシキブ属。同属の「コムラサキ」と「ヤブムラサキ」との鑑別は、葉の比較で行います。葉の形状だけでなく、葉脈や葉柄の状態がポイントになります。
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11/23 9:18
< ムラサキシキブ(紫式部) >
シソ科ムラサキシキブ属。同属の「コムラサキ」と「ヤブムラサキ」との鑑別は、葉の比較で行います。葉の形状だけでなく、葉脈や葉柄の状態がポイントになります。
< ヒサカキ(柃)と「霞ヶ池」 >
「ヒサカキ」は仏壇に、同属の「サカキ(榊)」は神棚にお供えられます(地方によってはヒサカキも神棚に供えられるらしい)。
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11/23 9:19
< ヒサカキ(柃)と「霞ヶ池」 >
「ヒサカキ」は仏壇に、同属の「サカキ(榊)」は神棚にお供えられます(地方によってはヒサカキも神棚に供えられるらしい)。
< 栄螺山の山頂 >
〜に石塔が立っています。「三重宝塔(さんじょうのほうとう)」と呼ばれています。第12代の『斉広公』を供養するために建立されました。
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11/23 9:21
< 栄螺山の山頂 >
〜に石塔が立っています。「三重宝塔(さんじょうのほうとう)」と呼ばれています。第12代の『斉広公』を供養するために建立されました。
< 栄螺山から「霞ヶ池」 >
〜を見下ろしました。栄螺山の標高はたぶん58m位です。下の水面からの高低差は7mくらいでしょうか。
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11/23 9:22
< 栄螺山から「霞ヶ池」 >
〜を見下ろしました。栄螺山の標高はたぶん58m位です。下の水面からの高低差は7mくらいでしょうか。
< 常磐ヶ岡(ときわがおか) >
〜の側に下山しました。蓬莱島と内橋亭が、湖上(霞ヶ池)にあります。「常磐ヶ岡」の名の由来は、常緑樹が多く、一年中青々としているので『常磐(ときわ=永久不変)』の丘になりました。
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11/23 9:24
< 常磐ヶ岡(ときわがおか) >
〜の側に下山しました。蓬莱島と内橋亭が、湖上(霞ヶ池)にあります。「常磐ヶ岡」の名の由来は、常緑樹が多く、一年中青々としているので『常磐(ときわ=永久不変)』の丘になりました。
< 虎岩(とらいわ) >
どうみても、虎には見えません。虎岩を囲むように笹がアレンジされていますので、雰囲気が少しあるかも(水墨画の世界では、笹に虎は付きもの)?
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11/23 9:24
< 虎岩(とらいわ) >
どうみても、虎には見えません。虎岩を囲むように笹がアレンジされていますので、雰囲気が少しあるかも(水墨画の世界では、笹に虎は付きもの)?
< シンボルマーク >
〜に再び参りました、二本脚の「徽軫灯籠(ことじとうろう)」です。
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11/23 9:25
< シンボルマーク >
〜に再び参りました、二本脚の「徽軫灯籠(ことじとうろう)」です。
< ウメモドキ(梅擬) >
モチノキ科モチノキ属。「ウメ(梅、バラ科サクラ属)」に似ていると言うことで、『梅擬』になっていますが。昔の梅は、小梅ばかりだったのでしょうか?
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11/23 9:26
< ウメモドキ(梅擬) >
モチノキ科モチノキ属。「ウメ(梅、バラ科サクラ属)」に似ていると言うことで、『梅擬』になっていますが。昔の梅は、小梅ばかりだったのでしょうか?
< 黄門橋(こうもんばし) >
栄螺山の側から下りて来て振り返りました。このあと、噴水の前と通り、桂坂出口に向かいます。この橋は、1枚の青戸室石で出来た反橋(そりばし)です。私は、井筒の『堅焼き八ツ橋』を思い浮かべました。
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11/23 9:33
< 黄門橋(こうもんばし) >
栄螺山の側から下りて来て振り返りました。このあと、噴水の前と通り、桂坂出口に向かいます。この橋は、1枚の青戸室石で出来た反橋(そりばし)です。私は、井筒の『堅焼き八ツ橋』を思い浮かべました。
< 獅子巌(ししいわ) >
黄門橋の袂にあります。竜石、虎石と見てきましたが、『獅子』は、岩(巌)の上に上がるのが好きなのからか?
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11/23 9:34
< 獅子巌(ししいわ) >
黄門橋の袂にあります。竜石、虎石と見てきましたが、『獅子』は、岩(巌)の上に上がるのが好きなのからか?
< 日本初の噴水 >
〜の前に戻ってきました。明治期の初め頃まで、「時雨亭(旧蓮地御亭)」が、この場所にありました。
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11/23 9:34
< 日本初の噴水 >
〜の前に戻ってきました。明治期の初め頃まで、「時雨亭(旧蓮地御亭)」が、この場所にありました。
< 出園しました >
「桂坂料金所」を出ました。「桂坂口」から石川橋をわたり、「石川門」に向かいます。
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< 出園しました >
「桂坂料金所」を出ました。「桂坂口」から石川橋をわたり、「石川門」に向かいます。
< 茶店通り(茶店街) >
〜を眺めました。通りの先に「蓮地門(れんちもん)」があります。お店は7軒=見城亭−蓬莱堂−万清亭−東山−堤亭−清水亭−城山亭〜の順です。
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11/23 9:37
< 茶店通り(茶店街) >
〜を眺めました。通りの先に「蓮地門(れんちもん)」があります。お店は7軒=見城亭−蓬莱堂−万清亭−東山−堤亭−清水亭−城山亭〜の順です。
< 上坂(かみさか) >
道路の先に観光バスが止まっている位置が「桜ヶ岡口」です。桜ヶ岡料金所から入園するとすぐに、「寄観亭(きかんてい)」があります。同亭は、定期観光バス指定の休憩所になっています。
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11/23 9:38
< 上坂(かみさか) >
道路の先に観光バスが止まっている位置が「桜ヶ岡口」です。桜ヶ岡料金所から入園するとすぐに、「寄観亭(きかんてい)」があります。同亭は、定期観光バス指定の休憩所になっています。
< 桂坂口 >
〜を振り返りました。右手には、下の「百間堀通り」に平行して「蓮地門通り」が通っています。さらに一段上には「茶店通り」があります。
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11/23 9:38
< 桂坂口 >
〜を振り返りました。右手には、下の「百間堀通り」に平行して「蓮地門通り」が通っています。さらに一段上には「茶店通り」があります。
< 石川橋 >
〜を渡ります。この場所の横断歩道が、「蓮地門通り(れんちもんどおり)」と「紺屋坂(こんやざか)」の境目になっています。
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11/23 9:39
< 石川橋 >
〜を渡ります。この場所の横断歩道が、「蓮地門通り(れんちもんどおり)」と「紺屋坂(こんやざか)」の境目になっています。
< 横断途中で南北を見ました >
南方向に、「蓮地門通り」が広坂北交差点にまで伸びています。北方向には、「紺屋坂」が兼六園下交差点まで下っています。
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< 横断途中で南北を見ました >
南方向に、「蓮地門通り」が広坂北交差点にまで伸びています。北方向には、「紺屋坂」が兼六園下交差点まで下っています。
< 「石川橋」の中央 >
〜に来ました。ここでも南北に見下ろしてみます。
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11/23 9:40
< 「石川橋」の中央 >
〜に来ました。ここでも南北に見下ろしてみます。
< 「百間堀」の上空 >
〜に立っています。「石川橋」は元々、土橋でした。本当の橋ではなく、堀を左右に分ける土手の上に造られた(石川門に入る)通路でした。明治末期に堀を道路に造り替えられた時に、本当の橋(石川橋)になりました。
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11/23 9:39
< 「百間堀」の上空 >
〜に立っています。「石川橋」は元々、土橋でした。本当の橋ではなく、堀を左右に分ける土手の上に造られた(石川門に入る)通路でした。明治末期に堀を道路に造り替えられた時に、本当の橋(石川橋)になりました。
< 「広坂交差点」の方向 >
お堀通り(百間堀の部分)です。三の丸東面の石垣の下に「百間堀園地」があります。城内を見学した後、お堀通りを一周してみたいと思います。
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11/23 9:40
< 「広坂交差点」の方向 >
お堀通り(百間堀の部分)です。三の丸東面の石垣の下に「百間堀園地」があります。城内を見学した後、お堀通りを一周してみたいと思います。
< 「兼六園下交差点」の方向 >
正面約1.6km先に「卯辰山」が見えます。左下の小公園(白鳥路の入口)に金色の兜をかぶった利家公の銅像が建っています。
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11/23 9:40
< 「兼六園下交差点」の方向 >
正面約1.6km先に「卯辰山」が見えます。左下の小公園(白鳥路の入口)に金色の兜をかぶった利家公の銅像が建っています。
< 石川橋(桂坂口の方向) >
橋の上で振り返りました。正面が「上坂」、左が「紺屋坂」、右が「蓮地門通り」、右奥が「桂坂」〜になります。
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11/23 9:41
< 石川橋(桂坂口の方向) >
橋の上で振り返りました。正面が「上坂」、左が「紺屋坂」、右が「蓮地門通り」、右奥が「桂坂」〜になります。
< 登城します >
だいぶ雨が小降りになり、あがりそうな状態になりましたが、まだ、傘を差した方がおられました。城内では、唐傘か和傘の使用を義務付けてはどうでしょうか?
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11/23 9:42
< 登城します >
だいぶ雨が小降りになり、あがりそうな状態になりましたが、まだ、傘を差した方がおられました。城内では、唐傘か和傘の使用を義務付けてはどうでしょうか?
< 石川門(搦手門)の由緒 >
門の部分は『枡形門』になっています。上層部は、二重櫓・渡櫓・長屋〜からなっています。この「石川門」に「河北門」と「橋爪門」を併せて、『三御門』です。
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11/23 9:42
< 石川門(搦手門)の由緒 >
門の部分は『枡形門』になっています。上層部は、二重櫓・渡櫓・長屋〜からなっています。この「石川門」に「河北門」と「橋爪門」を併せて、『三御門』です。
< 左右の「二重櫓」 >
左右とも唐破風の「出し(出窓)」が付いています。もちろん、出窓の下部は『石落とし』になっています。
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< 左右の「二重櫓」 >
左右とも唐破風の「出し(出窓)」が付いています。もちろん、出窓の下部は『石落とし』になっています。
< 石川門の「一の門」 >
〜をくぐり、『枡形』に搦まれた所です。「二の門」もくぐり抜け、「三の丸」に入ります。
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< 石川門の「一の門」 >
〜をくぐり、『枡形』に搦まれた所です。「二の門」もくぐり抜け、「三の丸」に入ります。
< 入口休憩所 >
石川門の「二の門」から出ると、いきなりの休憩所です。休憩所内にはボランティアの案内係の人たちが待機しています。『総合案内所』と呼んだ方がいいような気がします。
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11/23 9:44
< 入口休憩所 >
石川門の「二の門」から出ると、いきなりの休憩所です。休憩所内にはボランティアの案内係の人たちが待機しています。『総合案内所』と呼んだ方がいいような気がします。
< 案内板を拡大しました >
「河北門二の門」の2階を見学してから、内堀に沿って進み、「橋爪門」をくぐり、二の丸から「五十軒長屋」に入ります。
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11/23 9:44
< 案内板を拡大しました >
「河北門二の門」の2階を見学してから、内堀に沿って進み、「橋爪門」をくぐり、二の丸から「五十軒長屋」に入ります。
< 石川門を振り返りました >
「石川門の二の門」になります。金沢城の『三御門』は3つとも、枡形門の形式になっていて「一の門(外側の門)」と「二の門(内側の門)」の二重構造になっています。
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11/23 9:45
< 石川門を振り返りました >
「石川門の二の門」になります。金沢城の『三御門』は3つとも、枡形門の形式になっていて「一の門(外側の門)」と「二の門(内側の門)」の二重構造になっています。
< 「鶴の丸」方向 >
〜を眺めました。見学ルートは、ポイントの位置関係が複雑なので、『八の字』を描くようなコースをとります。三の丸−二の丸−玉泉院丸−新丸広場〜と巡り、この場所に舞い戻った後に、『本丸』に攻め込みます。
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11/23 9:49
< 「鶴の丸」方向 >
〜を眺めました。見学ルートは、ポイントの位置関係が複雑なので、『八の字』を描くようなコースをとります。三の丸−二の丸−玉泉院丸−新丸広場〜と巡り、この場所に舞い戻った後に、『本丸』に攻め込みます。
< 三之丸北園地 >
この園地の北側には「新丸広場」、南側には「三の丸広場」が位置しています。
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11/23 9:48
< 三之丸北園地 >
この園地の北側には「新丸広場」、南側には「三の丸広場」が位置しています。
< 河北門(二の門) >
〜の後方に、菱櫓(ひしやぐら)−「五十軒長屋」−「橋爪門続櫓(ひしづめもんつづきやぐら)」が並んでいます。
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11/23 9:48
< 河北門(二の門) >
〜の後方に、菱櫓(ひしやぐら)−「五十軒長屋」−「橋爪門続櫓(ひしづめもんつづきやぐら)」が並んでいます。
< 河北門(二の門)の二階 >
〜に上がりました。入門する前に、北方向の眺望を楽しみました。
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< 河北門(二の門)の二階 >
〜に上がりました。入門する前に、北方向の眺望を楽しみました。
< 北西方向 >
新丸広場の西側です。内堀と外堀(大手堀)の間が「新丸広場」ですが、「湿生園(しつせいえん)」という別の堀(池)が造られています。下の広場には、後で立ち寄ります。
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11/23 9:51
< 北西方向 >
新丸広場の西側です。内堀と外堀(大手堀)の間が「新丸広場」ですが、「湿生園(しつせいえん)」という別の堀(池)が造られています。下の広場には、後で立ち寄ります。
< 北方向 >
広場の向こうにトイレがあり、その後ろの林の中に「大手門口」があります。北北東約28km先に、能登最高峰の「宝達山」が小さく見えています。
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11/23 9:51
< 北方向 >
広場の向こうにトイレがあり、その後ろの林の中に「大手門口」があります。北北東約28km先に、能登最高峰の「宝達山」が小さく見えています。
< 桜が咲いています >
11月ですが、咲いているのは『十月桜』です。後ろにあった「大手門」は、今はありません。本来、金沢城の表玄関なのですが、石垣だけで「大手門」本体は残されていません。
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11/23 9:51
< 桜が咲いています >
11月ですが、咲いているのは『十月桜』です。後ろにあった「大手門」は、今はありません。本来、金沢城の表玄関なのですが、石垣だけで「大手門」本体は残されていません。
< 北東方向 >
「卯辰山」の丘陵が見渡せます。山頂の南西部に「豊国神社」があります。その神社の参道上にある「日暮ヶ丘」からは、こちら側が見下ろせます。
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11/23 9:51
< 北東方向 >
「卯辰山」の丘陵が見渡せます。山頂の南西部に「豊国神社」があります。その神社の参道上にある「日暮ヶ丘」からは、こちら側が見下ろせます。
< 豊国神社参道「日暮ヶ丘」から >
〜の眺めです(2016年3月の撮影)。藩政期は、「卯辰山」に登ることは禁止されていました。上から、お城を見下ろす事は、不敬・不遜なこととされていたからです。
2016年03月16日 10:37撮影
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3/16 10:37
< 豊国神社参道「日暮ヶ丘」から >
〜の眺めです(2016年3月の撮影)。藩政期は、「卯辰山」に登ることは禁止されていました。上から、お城を見下ろす事は、不敬・不遜なこととされていたからです。
< 河北門二の門入口 >
南北にならんだ石垣台の上に、長屋型の櫓を渡した渡櫓の形式になっています。2階部分の長屋(渡櫓)の中に入ります。
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11/23 9:52
< 河北門二の門入口 >
南北にならんだ石垣台の上に、長屋型の櫓を渡した渡櫓の形式になっています。2階部分の長屋(渡櫓)の中に入ります。
< 東側に「二の丸」があります >
「五十軒長屋」が見えてます。眼下に、「河北門一の門」から出入りしている人を見下ろせます。一の門と二の門の間が『枡形』になっています。
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11/23 9:52
< 東側に「二の丸」があります >
「五十軒長屋」が見えてます。眼下に、「河北門一の門」から出入りしている人を見下ろせます。一の門と二の門の間が『枡形』になっています。
< 河北門の長屋(渡櫓)内部 >
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11/23 9:53
< 河北門の長屋(渡櫓)内部 >
< 工法・工程の説明 >
「海鼠壁(なまこかべ)」と「鉛瓦葺き(なまりがわらふき)」が写真付きで解説されています。『鉛瓦』は、普通の瓦のように粘土を焼いた物ではないようです。瓦型の材木に鉛板を貼り付けたものです。
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11/23 9:53
< 工法・工程の説明 >
「海鼠壁(なまこかべ)」と「鉛瓦葺き(なまりがわらふき)」が写真付きで解説されています。『鉛瓦』は、普通の瓦のように粘土を焼いた物ではないようです。瓦型の材木に鉛板を貼り付けたものです。
< 「二の丸」方向 >
〜を覗きました。下を覗くと、河北門の枡形の内部が見えます。
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11/23 9:56
< 「二の丸」方向 >
〜を覗きました。下を覗くと、河北門の枡形の内部が見えます。
< 石落とし >
〜です。「石落とし」は「鉄砲狭間」としても利用されました。この長屋では、出し(出窓)の構造にはなっていません。長屋その物が、門と石垣の台座から1mほど、はみ出しています。はみ出た部分に「石落とし」が造られています。
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11/23 9:53
< 石落とし >
〜です。「石落とし」は「鉄砲狭間」としても利用されました。この長屋では、出し(出窓)の構造にはなっていません。長屋その物が、門と石垣の台座から1mほど、はみ出しています。はみ出た部分に「石落とし」が造られています。
< 河北門長屋(渡櫓)から >
〜下りました。「二の丸」側に進みます。
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< 河北門長屋(渡櫓)から >
〜下りました。「二の丸」側に進みます。
< 河北門の裏(東側) >
内堀のそばまで来て、振り返りました。一の門は二の門より一段低くなっています。枡形の内部も低い位置になっていますので、敵が枡形に侵入したら、上から、矢や鉛の玉を撃ち込めます。
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11/23 9:59
< 河北門の裏(東側) >
内堀のそばまで来て、振り返りました。一の門は二の門より一段低くなっています。枡形の内部も低い位置になっていますので、敵が枡形に侵入したら、上から、矢や鉛の玉を撃ち込めます。
< 菱櫓 >
内堀が直角になっている位置に建っています。菱型に歪んだ形の櫓なのですが、ここからは、歪んだ感じ(菱型)には見えません。
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11/23 9:59
< 菱櫓 >
内堀が直角になっている位置に建っています。菱型に歪んだ形の櫓なのですが、ここからは、歪んだ感じ(菱型)には見えません。
< この先が「橋爪門」 >
〜です。後方の高くなった石垣の上には、「本丸」があります。
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11/23 9:59
< この先が「橋爪門」 >
〜です。後方の高くなった石垣の上には、「本丸」があります。
< 「橋爪門」の前 >
〜に進みます。
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11/23 10:01
< 「橋爪門」の前 >
〜に進みます。
< 一の門の前から >
〜振り返りました。
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11/23 10:01
< 一の門の前から >
〜振り返りました。
< 「二の丸」の正門 >
〜になります。
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11/23 10:01
< 「二の丸」の正門 >
〜になります。
< 橋爪門「一の門」 >
「一の門」は、守備陣の死角にならないように屋根が小振りになった『高麗門』になっています。「二の門」との間にある中庭のようになっている四角い部分は、『枡形』です。
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11/23 10:01
< 橋爪門「一の門」 >
「一の門」は、守備陣の死角にならないように屋根が小振りになった『高麗門』になっています。「二の門」との間にある中庭のようになっている四角い部分は、『枡形』です。
< 枡形 >
金澤城で最大の『枡形虎口(ますがたこぐち)』です。一の門が「高麗門」、二の門が「櫓門」〜の定型的なスタイルです。
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11/23 10:02
< 枡形 >
金澤城で最大の『枡形虎口(ますがたこぐち)』です。一の門が「高麗門」、二の門が「櫓門」〜の定型的なスタイルです。
< 橋爪門「二の門」 >
枡形のなかから見た外見です。頑丈な門です。もし私が攻め入った敵ならば、櫓門や橋爪門続櫓の上から攻撃されたことでしょう。
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11/23 10:02
< 橋爪門「二の門」 >
枡形のなかから見た外見です。頑丈な門です。もし私が攻め入った敵ならば、櫓門や橋爪門続櫓の上から攻撃されたことでしょう。
< 二の丸側から見た「二の門」 >
門には「番所」があり、門の上の櫓(長屋)に上がる階段があります。画面の右手に進んだ南東方向に「鶴丸」、南方向に「本丸」があります。
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11/23 10:07
< 二の丸側から見た「二の門」 >
門には「番所」があり、門の上の櫓(長屋)に上がる階段があります。画面の右手に進んだ南東方向に「鶴丸」、南方向に「本丸」があります。
< 二の丸案内所(発券所) >
二の丸広場に上がりました。「五十間長屋」の入場券(310円)を購入し、広場を横切って入口に向かいます。
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11/23 10:08
< 二の丸案内所(発券所) >
二の丸広場に上がりました。「五十間長屋」の入場券(310円)を購入し、広場を横切って入口に向かいます。
< 二の丸広場 >
千畳敷きともも呼ばれた「二の丸御殿」のあった場所です。殿様が日常政務を行う「御居間廻り(おいままわり)」、儀式の場である「表向(おもてむき)」、妻子や奥女中の生活の場である「奥向(おくむき)」という三つの空間に仕切られていたといいます。
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11/23 10:08
< 二の丸広場 >
千畳敷きともも呼ばれた「二の丸御殿」のあった場所です。殿様が日常政務を行う「御居間廻り(おいままわり)」、儀式の場である「表向(おもてむき)」、妻子や奥女中の生活の場である「奥向(おくむき)」という三つの空間に仕切られていたといいます。
< 「五十間長屋」の入口 >
長屋の中央にも入口がありますが、車椅子専用口になっています。長屋に入ると、南北にある「菱櫓と橋爪門続櫓」にも上がれます。
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11/23 10:34
< 「五十間長屋」の入口 >
長屋の中央にも入口がありますが、車椅子専用口になっています。長屋に入ると、南北にある「菱櫓と橋爪門続櫓」にも上がれます。
< 橋爪門続櫓−五十間長屋−菱櫓 >
〜の構造。展示物を拝借しました(撮影した物をズーム)。この図面では、北側の「菱櫓」の建つ部分が、本当に菱型になっています。
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11/23 10:14
< 橋爪門続櫓−五十間長屋−菱櫓 >
〜の構造。展示物を拝借しました(撮影した物をズーム)。この図面では、北側の「菱櫓」の建つ部分が、本当に菱型になっています。
< 80°×100° >
〜の菱型です。ひな人形にそえる『菱餅』みたいな感じがしました。
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11/23 10:15
< 80°×100° >
〜の菱型です。ひな人形にそえる『菱餅』みたいな感じがしました。
< 石落とし >
「菱櫓」の下にある『出し』の「石落とし」です。ここから、敵に向かって石を落とすだけでなく、「鉄砲狭間(てっぽうざま=銃眼)」としても利用可能でした。
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11/23 10:16
< 石落とし >
「菱櫓」の下にある『出し』の「石落とし」です。ここから、敵に向かって石を落とすだけでなく、「鉄砲狭間(てっぽうざま=銃眼)」としても利用可能でした。
< 三階にあがると >
〜菱櫓の内部に入ります。狭くて急な(梯子に近い)階段なので、一人ずつ登ったほうが良さそうです。「橋爪門続櫓」にも同じような階段が掛けられています。
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11/23 10:17
< 三階にあがると >
〜菱櫓の内部に入ります。狭くて急な(梯子に近い)階段なので、一人ずつ登ったほうが良さそうです。「橋爪門続櫓」にも同じような階段が掛けられています。
< 菱櫓 >
〜の内部です。「出し」は1つ。物見台が3つあります。窓の格子が太いので、眺望はあまり良くありません。
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11/23 10:18
< 菱櫓 >
〜の内部です。「出し」は1つ。物見台が3つあります。窓の格子が太いので、眺望はあまり良くありません。
< 医王山 >
〜が見えました。ここから東南東約13.5kmに位置します。築城時には、手前の「戸室山」から、切り出した石をこちらまで石引台地の上の引いてきました。
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11/23 10:19
< 医王山 >
〜が見えました。ここから東南東約13.5kmに位置します。築城時には、手前の「戸室山」から、切り出した石をこちらまで石引台地の上の引いてきました。
< 菱櫓を下りて >
〜長屋の二階を進みます。金澤城の模型が展示されています。
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11/23 10:17
< 菱櫓を下りて >
〜長屋の二階を進みます。金澤城の模型が展示されています。
< 城の模型の由緒 >
最盛期の姿が再現されているとのこと。
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11/23 10:21
< 城の模型の由緒 >
最盛期の姿が再現されているとのこと。
< ジオラマ風に撮影 >
〜させて頂きました。石川橋の部分が土橋になっています。今いる「五十間長屋」は、二の丸御殿の城壁みたいに見えます。
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11/23 10:21
< ジオラマ風に撮影 >
〜させて頂きました。石川橋の部分が土橋になっています。今いる「五十間長屋」は、二の丸御殿の城壁みたいに見えます。
< 「五十間長屋」はもっと長い >
1間 =約 1.818 mなので、五十間=91mです。長屋のサイズは、高さ10.08m/長さ98mとなっています。
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11/23 10:24
< 「五十間長屋」はもっと長い >
1間 =約 1.818 mなので、五十間=91mです。長屋のサイズは、高さ10.08m/長さ98mとなっています。
< 橋爪門続櫓 >
に上がりました。橋爪門の枡形が見下ろせます。屏の外の工事現場は、整備中の「鶴丸休憩所」です。
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11/23 10:26
< 橋爪門続櫓 >
に上がりました。橋爪門の枡形が見下ろせます。屏の外の工事現場は、整備中の「鶴丸休憩所」です。
< 医王山をズーム >
格子の間から撮影しました。「白兀山(しらはげやま)」と「蛇尾山(だおやま)」の山頂部分は雲の覆われています。
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11/23 10:27
< 医王山をズーム >
格子の間から撮影しました。「白兀山(しらはげやま)」と「蛇尾山(だおやま)」の山頂部分は雲の覆われています。
< 二階に戻りました >
「出しの石落とし」です。ここから、橋爪門の枡形に侵入した敵を攻撃します。この後、橋爪門の上にある長屋(番所の上)を見たから、外に出ました。
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11/23 10:32
< 二階に戻りました >
「出しの石落とし」です。ここから、橋爪門の枡形に侵入した敵を攻撃します。この後、橋爪門の上にある長屋(番所の上)を見たから、外に出ました。
< 「二の丸広場」に戻りました >
この後、「玉泉院丸庭園」に向かいます。
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11/23 10:34
< 「二の丸広場」に戻りました >
この後、「玉泉院丸庭園」に向かいます。
< 紳士たちが群がっています >
『振り袖』の撮影会です。肖像権があると思いますので、この写真には、ぼかしを入れました。
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11/23 10:35
< 紳士たちが群がっています >
『振り袖』の撮影会です。肖像権があると思いますので、この写真には、ぼかしを入れました。
< 北國フォトクイーン撮影会 >
『振り袖の美女』たちの写真をつまびらかに出来ないのが残念です。「北國写真連盟」のHPには、モデルさん達のお写真が公開されていまので、検索してみてください。
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11/23 10:35
< 北國フォトクイーン撮影会 >
『振り袖の美女』たちの写真をつまびらかに出来ないのが残念です。「北國写真連盟」のHPには、モデルさん達のお写真が公開されていまので、検索してみてください。
< 「蜂の巣」状に >
〜歩き回ります。この後、玉泉院丸庭園−旧第六旅団司令部−新丸広場−三の丸−石川門(内部見学)−鶴丸倉庫−本丸園地−三十三間長屋〜と城内を回り、城外のお堀通りを一周します。
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11/23 10:37
< 「蜂の巣」状に >
〜歩き回ります。この後、玉泉院丸庭園−旧第六旅団司令部−新丸広場−三の丸−石川門(内部見学)−鶴丸倉庫−本丸園地−三十三間長屋〜と城内を回り、城外のお堀通りを一周します。
< 「三十三間長屋」は後回しにします >
まずは、「玉泉院丸庭園」へ。
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11/23 10:36
< 「三十三間長屋」は後回しにします >
まずは、「玉泉院丸庭園」へ。
< 「極楽橋」のそば >
〜を通り過ぎたところで、振り返りました。
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11/23 10:37
< 「極楽橋」のそば >
〜を通り過ぎたところで、振り返りました。
< 松坂門跡 >
〜から下ります。坂道をまっすぐ行くと「玉泉院丸口/いもり堀園地」に出ます。坂の下り始めにある階段を下りると、「玉泉院丸庭園」です。
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11/23 10:38
< 松坂門跡 >
〜から下ります。坂道をまっすぐ行くと「玉泉院丸口/いもり堀園地」に出ます。坂の下り始めにある階段を下りると、「玉泉院丸庭園」です。
< モミジみ誘われて >
〜下ると、一風変わった石垣がありました。
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11/23 10:39
< モミジみ誘われて >
〜下ると、一風変わった石垣がありました。
< 色紙短冊積(しきしたんざくづみ)石垣 >
色紙や短冊をイメージさせる方形の石が組み込まれています。
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11/23 10:39
< 色紙短冊積(しきしたんざくづみ)石垣 >
色紙や短冊をイメージさせる方形の石が組み込まれています。
< 意匠がこらされています >
V字形の石樋(いしひ=トイ)から流落ちた水は、この石垣の下にある「段落ちの滝」に流れ込んでいました。
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11/23 10:40
< 意匠がこらされています >
V字形の石樋(いしひ=トイ)から流落ちた水は、この石垣の下にある「段落ちの滝」に流れ込んでいました。
< 「玉泉院丸庭園」全景 >
加賀藩第2代藩主(前田家3代)の前田利常(まえだとしつね)公が造りました。この庭園は、明治期に廃止されましたが、2008年から再建の準備が始まり、昨年(2015年3月)に再現されました。
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11/23 10:39
< 「玉泉院丸庭園」全景 >
加賀藩第2代藩主(前田家3代)の前田利常(まえだとしつね)公が造りました。この庭園は、明治期に廃止されましたが、2008年から再建の準備が始まり、昨年(2015年3月)に再現されました。
< ヒサカキ(柃) >
モッコク科ヒサカキ属。兼六園と同様に、ヒサカキが植樹されています。「兼六園」が公的な饗宴の庭であったのに対して、ここ「玉泉院丸庭園」は、藩主の私的な内庭だったらしい。
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11/23 10:41
< ヒサカキ(柃) >
モッコク科ヒサカキ属。兼六園と同様に、ヒサカキが植樹されています。「兼六園」が公的な饗宴の庭であったのに対して、ここ「玉泉院丸庭園」は、藩主の私的な内庭だったらしい。
< 池のそばに下りました >
池の中に3つの中島が浮かんでいます。中央が「一の島」で、左手に、二と三の島が前後にならんでいます。
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11/23 10:42
< 池のそばに下りました >
池の中に3つの中島が浮かんでいます。中央が「一の島」で、左手に、二と三の島が前後にならんでいます。
< カワセミ(翡翠) >
カワセミ科カワセミ属。一羽だけが、池のほとりでたたずんでいました。誰かを待っていたのでしょうか?オスかメスかはクチバシの色で判るらしいのですが、この写真の解像度では無理です。
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11/23 10:42
< カワセミ(翡翠) >
カワセミ科カワセミ属。一羽だけが、池のほとりでたたずんでいました。誰かを待っていたのでしょうか?オスかメスかはクチバシの色で判るらしいのですが、この写真の解像度では無理です。
< 段落ちの滝 >
四段の滝で落差7mです。往時は、V字形の石樋から落ちる水も、この滝に流れ込んでいたはずです。
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11/23 10:42
< 段落ちの滝 >
四段の滝で落差7mです。往時は、V字形の石樋から落ちる水も、この滝に流れ込んでいたはずです。
< 落差7mにプラス2m? >
色紙短冊積石垣の前面にあった滝壺から、水の流れがこの「段落ちの滝」水源だったらしい。
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11/23 10:42
< 落差7mにプラス2m? >
色紙短冊積石垣の前面にあった滝壺から、水の流れがこの「段落ちの滝」水源だったらしい。
< 「三の島」 >
〜の前から、対岸の『玉泉庵』を眺めました。右側の棟が、有料の座敷(茶室)で、左の棟が、無料の休憩室+案内所になったいます。
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11/23 10:43
< 「三の島」 >
〜の前から、対岸の『玉泉庵』を眺めました。右側の棟が、有料の座敷(茶室)で、左の棟が、無料の休憩室+案内所になったいます。
< ここには、戸室石ではない石 >
〜が使われています。黒みを帯びた「坪野石」です。金沢市南部の坪野町で産出されたものです。『倉ヶ岳』の麓の辺りになります。
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11/23 10:43
< ここには、戸室石ではない石 >
〜が使われています。黒みを帯びた「坪野石」です。金沢市南部の坪野町で産出されたものです。『倉ヶ岳』の麓の辺りになります。
< 「坪野石」を使った石垣 >
この石垣の石の大部には、武将たちが付けたと思われる『刻紋』が彫られています。石垣のそばに、季節外れの花を見つけました。
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11/23 10:43
< 「坪野石」を使った石垣 >
この石垣の石の大部には、武将たちが付けたと思われる『刻紋』が彫られています。石垣のそばに、季節外れの花を見つけました。
< バイカウツギ(梅花空木) >
アジサイ科バイカウツギ属。本来、初夏に咲く花ですが、気候変動のためか、二度咲きしています。
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11/23 10:43
< バイカウツギ(梅花空木) >
アジサイ科バイカウツギ属。本来、初夏に咲く花ですが、気候変動のためか、二度咲きしています。
< アジサイの仲間 >
〜ですが、お仲間の「ノリウツギ(糊空木)」=アジサイ科アジサイ属、「ウツギ(空木)」=アジサイ科ウツギ属〜で他属です。名の似ている「タニウツギ(谷空木)」と「ニシキウツギ(二色空木)」にいたっては、他科のスイカズラ科タニウツギ属です。
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11/23 10:44
< アジサイの仲間 >
〜ですが、お仲間の「ノリウツギ(糊空木)」=アジサイ科アジサイ属、「ウツギ(空木)」=アジサイ科ウツギ属〜で他属です。名の似ている「タニウツギ(谷空木)」と「ニシキウツギ(二色空木)」にいたっては、他科のスイカズラ科タニウツギ属です。
< ホンシャクナゲ(本石楠花) >
ツツジ科ツツジ属シャクナゲ亜属。常緑低木ですが、少し黄葉しかかっています。
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11/23 10:44
< ホンシャクナゲ(本石楠花) >
ツツジ科ツツジ属シャクナゲ亜属。常緑低木ですが、少し黄葉しかかっています。
< ムラサキシキブ(紫式部)の実 >
シソ科ムラサキシキブ属。兼六園でも見かけた果実です。作庭するときに、兼六園の花木に合わせるように、庭木を選んだのかもしれません。
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11/23 10:45
< ムラサキシキブ(紫式部)の実 >
シソ科ムラサキシキブ属。兼六園でも見かけた果実です。作庭するときに、兼六園の花木に合わせるように、庭木を選んだのかもしれません。
< 唐傘(からかさ) >
現代では、和傘のことを唐傘(中国から傘が伝来したから)と呼んでいます。旧・玉泉院丸庭園では、このような傘型の御亭(おちん)のことを『唐傘亭』と呼んでいました。
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11/23 10:47
< 唐傘(からかさ) >
現代では、和傘のことを唐傘(中国から傘が伝来したから)と呼んでいます。旧・玉泉院丸庭園では、このような傘型の御亭(おちん)のことを『唐傘亭』と呼んでいました。
< 1832年(天保3年) >
〜斉泰(なりやす)公が、設置を命じた『カラカサ亭』を、2015年(平成27年)、再現しました。
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11/23 10:46
< 1832年(天保3年) >
〜斉泰(なりやす)公が、設置を命じた『カラカサ亭』を、2015年(平成27年)、再現しました。
< コマユミ(小檀) >
ニシキギ科ニシキギ属。兼六園でお見かけした物より、実が赤くなっています。葉もすべて散っていますので、この場所のほうが寒かったのでしょう。
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11/23 10:48
< コマユミ(小檀) >
ニシキギ科ニシキギ属。兼六園でお見かけした物より、実が赤くなっています。葉もすべて散っていますので、この場所のほうが寒かったのでしょう。
< 休憩所『玉泉庵』 >
露地役所(庭の整備を担当する役所)のあった場所に建てられました。案内所・休憩所・茶室などがあります。抹茶だけなら720円(菓子付き)です。また、茶室を貸し切りにすることもできます(要室料)。
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11/23 10:48
< 休憩所『玉泉庵』 >
露地役所(庭の整備を担当する役所)のあった場所に建てられました。案内所・休憩所・茶室などがあります。抹茶だけなら720円(菓子付き)です。また、茶室を貸し切りにすることもできます(要室料)。
< 庭園内から入庵できません >
いったん、道路に出てから、休憩所に入り、ベランダに出てた上で、改めて、観庭しました。大小の中島が3つありますが、いずれも入島できません(渡橋禁止)。
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11/23 10:49
< 庭園内から入庵できません >
いったん、道路に出てから、休憩所に入り、ベランダに出てた上で、改めて、観庭しました。大小の中島が3つありますが、いずれも入島できません(渡橋禁止)。
< 「本丸」の方向を見上げました >
「三十三間長屋」が見えます。ここを出て、新丸広場と本丸園地を巡ってから「三十三間長屋」を訪問します。
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11/23 10:49
< 「本丸」の方向を見上げました >
「三十三間長屋」が見えます。ここを出て、新丸広場と本丸園地を巡ってから「三十三間長屋」を訪問します。
< 庭園のポイント3つ >
―藺緘夕隋柄暗腸2代)の前田利長の正室「玉泉院」の屋敷がルーツ、典型的な池泉回遊式庭園、石垣の高低差(22m)を利用した立体的な庭園
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11/23 10:54
< 庭園のポイント3つ >
―藺緘夕隋柄暗腸2代)の前田利長の正室「玉泉院」の屋敷がルーツ、典型的な池泉回遊式庭園、石垣の高低差(22m)を利用した立体的な庭園
< 旧・鼠多門(ねずみたもん) >
〜の古写真です。庭園の西側にありました。現在、発掘調査中です。ここ玉泉院丸と金谷出丸を結ぶ『鼠多門橋』が、外堀(現・お堀通り)の上に架かっていました。※2017年度、『鼠多門』の復元工事が始まる予定です。
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< 旧・鼠多門(ねずみたもん) >
〜の古写真です。庭園の西側にありました。現在、発掘調査中です。ここ玉泉院丸と金谷出丸を結ぶ『鼠多門橋』が、外堀(現・お堀通り)の上に架かっていました。※2017年度、『鼠多門』の復元工事が始まる予定です。
< フォトクイーンたちに追いつかれました >
〜が、私は、すでに庭園の周回(時計回り)を完了しました。「色紙短冊積石垣」の前で左に進み、「旧・第六旅団司令部」に向かいます。
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< フォトクイーンたちに追いつかれました >
〜が、私は、すでに庭園の周回(時計回り)を完了しました。「色紙短冊積石垣」の前で左に進み、「旧・第六旅団司令部」に向かいます。
< エノキ(榎) >
ニレ科エノキ属。樹形だけでは、判別できません。木の根元を見ます。
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11/23 11:00
< エノキ(榎) >
ニレ科エノキ属。樹形だけでは、判別できません。木の根元を見ます。
< 落とし物 >
〜を拝見します。エノキの黄葉と実です。下向きにあるこことの多い私は、落とし物(財布など)を見つけることがあり、何度か交番に届けています。経験的に言いますと、拾った財布の中身は、絶対に確認しないことです。拾ったそのままで届けましょう。
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11/23 11:00
< 落とし物 >
〜を拝見します。エノキの黄葉と実です。下向きにあるこことの多い私は、落とし物(財布など)を見つけることがあり、何度か交番に届けています。経験的に言いますと、拾った財布の中身は、絶対に確認しないことです。拾ったそのままで届けましょう。
< 旧第六旅団司令部 >
金沢の第六旅団と、第十八旅団(敦賀)の2旅団は、第九師団(金沢)の配下に所属していました。この司令部の建つ敷地は、元々、側室の住まいの『数奇屋敷』のあった場所でした。敷地の入口には「切手門」があります。
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11/23 11:00
< 旧第六旅団司令部 >
金沢の第六旅団と、第十八旅団(敦賀)の2旅団は、第九師団(金沢)の配下に所属していました。この司令部の建つ敷地は、元々、側室の住まいの『数奇屋敷』のあった場所でした。敷地の入口には「切手門」があります。
< 旧第九師団司令部もあります >
県立能楽堂の隣にある「石川県庁舎石引分室」の建物が上部組織の司令部でした。また、旧第九師団長官舎だった建物が、石川県立美術館「広坂別館」として利用されています。その旧官舎(美術館別館)は。「本多の森公園」広坂園地に所在します。
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11/23 11:01
< 旧第九師団司令部もあります >
県立能楽堂の隣にある「石川県庁舎石引分室」の建物が上部組織の司令部でした。また、旧第九師団長官舎だった建物が、石川県立美術館「広坂別館」として利用されています。その旧官舎(美術館別館)は。「本多の森公園」広坂園地に所在します。
< 土橋門(どばしもん)跡 >
旧第六旅団司令部の敷地を通り抜けました。土橋門跡を通り、新丸広場に向かいます。正面奥が「旧北の丸」の辺りになります。
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11/23 11:02
< 土橋門(どばしもん)跡 >
旧第六旅団司令部の敷地を通り抜けました。土橋門跡を通り、新丸広場に向かいます。正面奥が「旧北の丸」の辺りになります。
< 名もなき「北の丸」 >
〜の前で右に下ります。左の坂道を下ると「甚右衞門坂口」に出ます(一般は通行止め)。「北の丸」はマップ上には記されていません。管理事務所職員の駐車場になっている様です。金沢城公園の裏口(通用口)みたいな場所になっています。
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11/23 11:03
< 名もなき「北の丸」 >
〜の前で右に下ります。左の坂道を下ると「甚右衞門坂口」に出ます(一般は通行止め)。「北の丸」はマップ上には記されていません。管理事務所職員の駐車場になっている様です。金沢城公園の裏口(通用口)みたいな場所になっています。
< 新丸広場 >
〜に下って、まず、「湿生園(しっせいえん)」をパトロールます。
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11/23 11:05
< 新丸広場 >
〜に下って、まず、「湿生園(しっせいえん)」をパトロールます。
< 「コガモ」と「オオバン」 >
小型の「コガモ(小鴨、カモ科マガモ属)」と中型の「オオバン(大鷭、クイナ科オオバン属)」は、仲良しです。よく一緒にいるところを見かけます。
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11/23 11:07
< 「コガモ」と「オオバン」 >
小型の「コガモ(小鴨、カモ科マガモ属)」と中型の「オオバン(大鷭、クイナ科オオバン属)」は、仲良しです。よく一緒にいるところを見かけます。
< カルガモ(オス) >
カルガモ(軽鴨、カモ科マガモ属)。カモの仲間では、大型です。メスとの違いは、黒いリーゼントの髪型が目立ち、羽毛も全体的に黒っぽいことです。
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11/23 11:09
< カルガモ(オス) >
カルガモ(軽鴨、カモ科マガモ属)。カモの仲間では、大型です。メスとの違いは、黒いリーゼントの髪型が目立ち、羽毛も全体的に黒っぽいことです。
< 「ボスガモ」に威嚇されました >
このオス、何となく、怖い顔しているように見えるのは、目尻からクチバシにかけて、隈取りがあり、まるで、鼻先に黒い目が付いているように見えるからです。
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11/23 11:09
< 「ボスガモ」に威嚇されました >
このオス、何となく、怖い顔しているように見えるのは、目尻からクチバシにかけて、隈取りがあり、まるで、鼻先に黒い目が付いているように見えるからです。
< ハーレム >
このボスのハーレムです。ぜんぶメスです。メスの特徴は、頭頂部のリーゼントの黒さがやや薄く、首筋から胸にかけて白っぽく見えます。おしろいを塗った女郎さんのような感じです。
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11/23 11:09
< ハーレム >
このボスのハーレムです。ぜんぶメスです。メスの特徴は、頭頂部のリーゼントの黒さがやや薄く、首筋から胸にかけて白っぽく見えます。おしろいを塗った女郎さんのような感じです。
< 「大手門」に向かいます >
「大手門」は正面突き当たりを逆コの字に曲がった先にあります。右手の公衆トイレの前に咲いている桜を先に見てきます。
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11/23 11:15
< 「大手門」に向かいます >
「大手門」は正面突き当たりを逆コの字に曲がった先にあります。右手の公衆トイレの前に咲いている桜を先に見てきます。
< 十月桜 >
狂い咲きではありません、二度咲きの桜です。
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11/23 11:17
< 十月桜 >
狂い咲きではありません、二度咲きの桜です。
< 11月の桜 >
〜です。コヒガン (小彼岸 )の雑種で、春(4月)と秋(10月)に咲く事になっていますが、近年は気候の変動が激しく、どんな花がいつ咲くのか判らなくなってきています?
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11/23 11:18
< 11月の桜 >
〜です。コヒガン (小彼岸 )の雑種で、春(4月)と秋(10月)に咲く事になっていますが、近年は気候の変動が激しく、どんな花がいつ咲くのか判らなくなってきています?
< 大手門(尾坂門) >
大手門口を広場側から見ました。元々、西丁口(黒門口)にあった大手門を、『高山右近』の指導で、この場所に移したといいます。尾坂門(おざかもん)の名前は、小立野台地−兼六園−金沢城と長細い高台が続き、先っぽのこの辺りが、尾っぽにあたる場所の坂だから、『尾坂』になったのだと思います。「尾山神社」の名の由来も同様です。
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11/23 11:20
< 大手門(尾坂門) >
大手門口を広場側から見ました。元々、西丁口(黒門口)にあった大手門を、『高山右近』の指導で、この場所に移したといいます。尾坂門(おざかもん)の名前は、小立野台地−兼六園−金沢城と長細い高台が続き、先っぽのこの辺りが、尾っぽにあたる場所の坂だから、『尾坂』になったのだと思います。「尾山神社」の名の由来も同様です。
< 鏡石(かがみいし) >
左右の櫓台の石垣に、巨石が使われています。一般的に、城の正面玄関に鏡石が使われていましたので、この尾坂門が大手門であったことの査証です。
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< 鏡石(かがみいし) >
左右の櫓台の石垣に、巨石が使われています。一般的に、城の正面玄関に鏡石が使われていましたので、この尾坂門が大手門であったことの査証です。
< 大手門から大手町 >
〜を眺めました。道路を出たところが「大手堀交差点」です。常緑の黒マツと潔く散る紅のモミジが、対照的です。
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11/23 11:21
< 大手門から大手町 >
〜を眺めました。道路を出たところが「大手堀交差点」です。常緑の黒マツと潔く散る紅のモミジが、対照的です。
< 大手門口より >
〜城内の方向を眺めました。石垣の隣には、クロマツ(黒松)が似合っています。
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11/23 11:21
< 大手門口より >
〜城内の方向を眺めました。石垣の隣には、クロマツ(黒松)が似合っています。
< 早朝開園の案内 >
金沢城公園・兼六園では早朝無料開園されています。延長して滞在したい場合でも、一旦、有料開園時間の15分前に退園しなければ行けません。
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11/23 11:22
< 早朝開園の案内 >
金沢城公園・兼六園では早朝無料開園されています。延長して滞在したい場合でも、一旦、有料開園時間の15分前に退園しなければ行けません。
< 広場に戻りました >
このあと、河北門から、再び、三の丸に入ります。土日祝日のみ、一般公開されている「石川門」と「三十三間長屋」の内部を見学してきます。
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11/23 11:23
< 広場に戻りました >
このあと、河北門から、再び、三の丸に入ります。土日祝日のみ、一般公開されている「石川門」と「三十三間長屋」の内部を見学してきます。
< 案内マップ >
〜移動ルートをマークしました。灰色のラインが、ここ新丸広場までのルート。赤は、これから城内を再び縦走するルート。青は、城外のお堀通りを一周するルートです。
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11/23 11:20
< 案内マップ >
〜移動ルートをマークしました。灰色のラインが、ここ新丸広場までのルート。赤は、これから城内を再び縦走するルート。青は、城外のお堀通りを一周するルートです。
< 河北門 >
〜に進みます。「三の丸」の正門になります。石川門、橋爪門と並んで、金澤城『三御門』と称されてます。
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11/23 11:25
< 河北門 >
〜に進みます。「三の丸」の正門になります。石川門、橋爪門と並んで、金澤城『三御門』と称されてます。
< 河北門「一の門」 >
『枡形門』の形式になっています。升の中に敵を誘い込み、効率的に殲滅することができます。
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11/23 11:26
< 河北門「一の門」 >
『枡形門』の形式になっています。升の中に敵を誘い込み、効率的に殲滅することができます。
< 菱櫓 >
〜の方をニラミ(睨み)ました。手前に見える、出し(出窓)付きの土塀が、「ニラミ櫓台」です。河北門の隣に建っています。
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11/23 11:26
< 菱櫓 >
〜の方をニラミ(睨み)ました。手前に見える、出し(出窓)付きの土塀が、「ニラミ櫓台」です。河北門の隣に建っています。
< 河北門「二の門」 >
〜を見上げました。2階部分に長屋(渡櫓)の入口があります。今朝、私が入場して初めて入った長屋でした。
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11/23 11:26
< 河北門「二の門」 >
〜を見上げました。2階部分に長屋(渡櫓)の入口があります。今朝、私が入場して初めて入った長屋でした。
< 石垣に映える紅葉 >
頭上には、「紅い葉」、そして、足下のには、「紅い実」がなっていました。
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11/23 11:26
< 石垣に映える紅葉 >
頭上には、「紅い葉」、そして、足下のには、「紅い実」がなっていました。
< ヤブコウジ(藪柑子) >
サクラソウ科ヤブコウジ属。『十両』とも呼ばれます。同属には、「マンリョウ(万両)」、「センリョウ(千両)」、「ヒャクリョウ(百両)=カラタチバナ(唐橘)」があります。残りの「イチリョウ(一両)=アリドオシ (蟻通し)」だけが、アカネ科アリドオシ属です。
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11/23 11:27
< ヤブコウジ(藪柑子) >
サクラソウ科ヤブコウジ属。『十両』とも呼ばれます。同属には、「マンリョウ(万両)」、「センリョウ(千両)」、「ヒャクリョウ(百両)=カラタチバナ(唐橘)」があります。残りの「イチリョウ(一両)=アリドオシ (蟻通し)」だけが、アカネ科アリドオシ属です。
< 河北門「二の門」 >
「枡形」の中から、「三の丸北園地」を覗き込みました。
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11/23 11:27
< 河北門「二の門」 >
「枡形」の中から、「三の丸北園地」を覗き込みました。
< 河北門を抜けました >
「三の丸北園地」から、「枡形」の中を覗き込みました。
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11/23 11:28
< 河北門を抜けました >
「三の丸北園地」から、「枡形」の中を覗き込みました。
< 本丸を攻める前に >
「石川門」を偵察します。現在地は、三の丸広場と石川門の間を通る通路上です。
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11/23 11:33
< 本丸を攻める前に >
「石川門」を偵察します。現在地は、三の丸広場と石川門の間を通る通路上です。
< 三の丸広場 >
〜を見渡しました。改めての「五十五間長屋」です。さて、土日祝日のみ公開されている「石川門」に進みます。
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11/23 11:33
< 三の丸広場 >
〜を見渡しました。改めての「五十五間長屋」です。さて、土日祝日のみ公開されている「石川門」に進みます。
< 石川門 >
三の丸東端に位置し、『石川郡』の方向(東南方向)に向いていたので『石川』門になりました。旧石川郡は、手取川と浅野川に挟まれた間の地域でした。
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11/23 11:34
< 石川門 >
三の丸東端に位置し、『石川郡』の方向(東南方向)に向いていたので『石川』門になりました。旧石川郡は、手取川と浅野川に挟まれた間の地域でした。
< 南側の「二重櫓」 >
〜が入口になっています。外見は、鉛瓦と海鼠壁(なまこかべ)が、印象的です。2塔の「二重櫓」の間に「渡櫓」と「長屋」が通されています。
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11/23 11:38
< 南側の「二重櫓」 >
〜が入口になっています。外見は、鉛瓦と海鼠壁(なまこかべ)が、印象的です。2塔の「二重櫓」の間に「渡櫓」と「長屋」が通されています。
< 突き当たりが北側の「二重櫓」 >
〜です。この場所は、一の門から見ると、2階部分になります。南の二重櫓−長屋−渡櫓(二の門の上)−北の二重櫓〜までを往復しました。
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< 突き当たりが北側の「二重櫓」 >
〜です。この場所は、一の門から見ると、2階部分になります。南の二重櫓−長屋−渡櫓(二の門の上)−北の二重櫓〜までを往復しました。
< 枡形を見下ろしました >
石川橋の先が、兼六園です。
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11/23 11:36
< 枡形を見下ろしました >
石川橋の先が、兼六園です。
< ホトトギス(杜鵑草) >
ユリ科ホトトギス属。斑点のある花びらが、ホトトギス(鳥)のおなかにある模様と似ているもで、この名前が付けられました。
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11/23 11:34
< ホトトギス(杜鵑草) >
ユリ科ホトトギス属。斑点のある花びらが、ホトトギス(鳥)のおなかにある模様と似ているもで、この名前が付けられました。
< 夏から秋にかけて >
〜赤ぽい花を咲かせます。同属の「タマガワホトトギス(玉川杜鵑草)」は、夏に黄色の花を咲かせます。
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11/23 11:34
< 夏から秋にかけて >
〜赤ぽい花を咲かせます。同属の「タマガワホトトギス(玉川杜鵑草)」は、夏に黄色の花を咲かせます。
< 鶴丸土塀 >
の南側が、整備中の「鶴丸休憩所」です。
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11/23 11:39
< 鶴丸土塀 >
の南側が、整備中の「鶴丸休憩所」です。
< 鶴の丸の変遷 >
本丸・東の丸の下(北側)にある廓(くるわ)が、この「鶴の丸」です。金沢城は、明治の初期からは、旧陸軍が使用していました。戦後は、金沢大学が城内に置かれました。1996年に大学が移転してからは、現在のような整備が始まりました。
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11/23 11:39
< 鶴の丸の変遷 >
本丸・東の丸の下(北側)にある廓(くるわ)が、この「鶴の丸」です。金沢城は、明治の初期からは、旧陸軍が使用していました。戦後は、金沢大学が城内に置かれました。1996年に大学が移転してからは、現在のような整備が始まりました。
< 古地図 >
現場に展示されいたものを加工しました。左=江戸前期(18世紀前半)・右=金沢大学時代(1949−1996年)です。お得意の『伏越しの理(逆サイフォンの原理)』を使い「辰巳用水」が引き込まれていました。
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< 古地図 >
現場に展示されいたものを加工しました。左=江戸前期(18世紀前半)・右=金沢大学時代(1949−1996年)です。お得意の『伏越しの理(逆サイフォンの原理)』を使い「辰巳用水」が引き込まれていました。
< 東の丸の石垣 >
〜の手前で右折します。そして、「鶴丸倉庫」の所から、「本丸園地」に登ります。
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11/23 11:40
< 東の丸の石垣 >
〜の手前で右折します。そして、「鶴丸倉庫」の所から、「本丸園地」に登ります。
< 鶴丸倉庫→本丸園地 >
〜と進みます。直進すれば、「三十三間長屋」に至ります。向こうの石垣にトンネルが空いていますが、旧陸軍が弾薬庫として開けたものです。
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11/23 11:41
< 鶴丸倉庫→本丸園地 >
〜と進みます。直進すれば、「三十三間長屋」に至ります。向こうの石垣にトンネルが空いていますが、旧陸軍が弾薬庫として開けたものです。
< 鶴丸倉庫(金沢城土蔵) >
明治から終戦までの間、旧陸軍の被服庫になっていました。
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11/23 11:42
< 鶴丸倉庫(金沢城土蔵) >
明治から終戦までの間、旧陸軍の被服庫になっていました。
< 綺麗な「土蔵」 >
〜です。内部は非公開です。おそらく、鶴丸休憩所の整備(工事)が完了してから、公開されるのでしょう。
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11/23 11:43
< 綺麗な「土蔵」 >
〜です。内部は非公開です。おそらく、鶴丸休憩所の整備(工事)が完了してから、公開されるのでしょう。
< 本丸園地 >
〜に上りました。ほとんど、山道です。実際、山で見かける植物がたくさん見られました。
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11/23 11:45
< 本丸園地 >
〜に上りました。ほとんど、山道です。実際、山で見かける植物がたくさん見られました。
< ウバユリ(姥百合) >
ユリ科ウバユリ属。この「ウバユリ」の櫺未録個ですが、同属の「オオウバユリ」のは10−20個の実をつけます。
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11/23 11:45
< ウバユリ(姥百合) >
ユリ科ウバユリ属。この「ウバユリ」の櫺未録個ですが、同属の「オオウバユリ」のは10−20個の実をつけます。
< ヒメアオキ(姫青木) >
ガリア科アオキ属。青木(アオキ)の北方型変種です。本家の青木さんより小型で、鋸歯があまり目立ちません。
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11/23 11:46
< ヒメアオキ(姫青木) >
ガリア科アオキ属。青木(アオキ)の北方型変種です。本家の青木さんより小型で、鋸歯があまり目立ちません。
< ウラジロガシ(裏白樫) >
ブナ科コナラ属。常緑広葉です。樹撮影するのに距離をとれないの場所なので、木の上下で分けて撮影しました。
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< ウラジロガシ(裏白樫) >
ブナ科コナラ属。常緑広葉です。樹撮影するのに距離をとれないの場所なので、木の上下で分けて撮影しました。
< モミ(樅)の木 >
マツ科モミ属。常緑針葉樹です。
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< モミ(樅)の木 >
マツ科モミ属。常緑針葉樹です。
< 辰巳櫓(たつみやぐら)跡 >
城郭の南端の角に位置します。ここに櫓があり、南側に睨みを効かせていました。
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11/23 11:48
< 辰巳櫓(たつみやぐら)跡 >
城郭の南端の角に位置します。ここに櫓があり、南側に睨みを効かせていました。
< 前田家墓所の方を拝みました >
お城から直線距離で、南約4.3kmに位置する「野田山」の山頂近くに、墓所があります。眼下に見える『鯉喉(りこう)櫓台』には、後で上ります。
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11/23 11:49
< 前田家墓所の方を拝みました >
お城から直線距離で、南約4.3kmに位置する「野田山」の山頂近くに、墓所があります。眼下に見える『鯉喉(りこう)櫓台』には、後で上ります。
< 兼六園を見渡しました >
「百間堀(お堀通り)」の一段に「蓮地門(れんちもん)通り」が通っています。
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11/23 11:50
< 兼六園を見渡しました >
「百間堀(お堀通り)」の一段に「蓮地門(れんちもん)通り」が通っています。
< 三芳庵 >
〜をズームしました。「水亭」は、改装中の「夕顔亭」の後方にあります。
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11/23 11:50
< 三芳庵 >
〜をズームしました。「水亭」は、改装中の「夕顔亭」の後方にあります。
< 金沢は坂の街です >
今朝は、真弓坂から兼六園に入り、桂坂から出て、こちらに入城しました。
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11/23 11:50
< 金沢は坂の街です >
今朝は、真弓坂から兼六園に入り、桂坂から出て、こちらに入城しました。
< ノブキ(野蕗) >
キク科ノブキ属。この「ノブキ(野蕗)」も山菜になるらしい。似た名前の「ヤマブキ(山蕗)」=山に生える「フキ(蕗)」は、キク科フキ属です。
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11/23 11:52
< ノブキ(野蕗) >
キク科ノブキ属。この「ノブキ(野蕗)」も山菜になるらしい。似た名前の「ヤマブキ(山蕗)」=山に生える「フキ(蕗)」は、キク科フキ属です。
< セントウソウ(仙洞草) >
セリ科セントウソウ属。いかにも、セリの仲間ぽいです。他属のの「シャク(杓=コシャク、セリ科シャク属)とよく似ています。
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11/23 11:52
< セントウソウ(仙洞草) >
セリ科セントウソウ属。いかにも、セリの仲間ぽいです。他属のの「シャク(杓=コシャク、セリ科シャク属)とよく似ています。
< 本丸の南側を横走する道 >
遊歩道が綺麗に整備されています。まるで、樹林帯の山奥のような雰囲気です。
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11/23 11:53
< 本丸の南側を横走する道 >
遊歩道が綺麗に整備されています。まるで、樹林帯の山奥のような雰囲気です。
< 本丸 >
金沢城が出来る以前は、『金沢御堂(かなざわみどう)』という大阪本願寺の流をくむ「一向宗」の砦があったそうです。天正八年(1580年)、織田軍の柴田勝家によって、金沢御堂が陥落、その3年後に、前田利家は入城しました。
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11/23 11:53
< 本丸 >
金沢城が出来る以前は、『金沢御堂(かなざわみどう)』という大阪本願寺の流をくむ「一向宗」の砦があったそうです。天正八年(1580年)、織田軍の柴田勝家によって、金沢御堂が陥落、その3年後に、前田利家は入城しました。
< スダジイ(すだ椎) >
ブナ科シイ属。いわゆる『椎の木』です。後世、お城の南側に建てられた石川県庁は、現在、「しいのき迎賓館」として生まれ変わっています。
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11/23 11:54
< スダジイ(すだ椎) >
ブナ科シイ属。いわゆる『椎の木』です。後世、お城の南側に建てられた石川県庁は、現在、「しいのき迎賓館」として生まれ変わっています。
< 巨木というより老木 >
〜です。枝が柱で支えられています。しかし、まだまだ青々としています(常緑広葉樹)。
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11/23 11:54
< 巨木というより老木 >
〜です。枝が柱で支えられています。しかし、まだまだ青々としています(常緑広葉樹)。
< イヌマキ(犬槙) >
マキ科マキ属。よく似た「コウヤマキ(高野槙)」は、コウヤマキ科コウヤマキ属 です。
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11/23 11:54
< イヌマキ(犬槙) >
マキ科マキ属。よく似た「コウヤマキ(高野槙)」は、コウヤマキ科コウヤマキ属 です。
< コブシ(辛夷) >
モクレン科モクレン属。登山で見かける物より、比較的大きなコブシの木です。
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< コブシ(辛夷) >
モクレン科モクレン属。登山で見かける物より、比較的大きなコブシの木です。
< 戌亥櫓の横に出てきました >
本丸の前(北側)に、深い堀があります。トンネル(通路)かと思いましたが、旧陸軍が造った弾薬庫跡でした。今は、水道管のような物が通っています。
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< 戌亥櫓の横に出てきました >
本丸の前(北側)に、深い堀があります。トンネル(通路)かと思いましたが、旧陸軍が造った弾薬庫跡でした。今は、水道管のような物が通っています。
< 戌亥(いぬい)櫓跡のある一角 >
展望広場になっています。北西角にある台座の上に櫓がありました。戌亥の方角(北西)なので、『戌亥』櫓です。
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11/23 12:00
< 戌亥(いぬい)櫓跡のある一角 >
展望広場になっています。北西角にある台座の上に櫓がありました。戌亥の方角(北西)なので、『戌亥』櫓です。
< 二の丸広場が見渡せます >
画面右手は「五十間長屋」です。左手一段低い所をもう少し左に進むと、「三十三間長屋」があります。
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11/23 11:57
< 二の丸広場が見渡せます >
画面右手は「五十間長屋」です。左手一段低い所をもう少し左に進むと、「三十三間長屋」があります。
< 三の丸広場が見渡せます >
「卯辰山」が綺麗に見えます。逆に、卯辰山から、城内が丸見えになってしまうので、藩政期は、卯辰山に登ることが禁止されていました。
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11/23 11:57
< 三の丸広場が見渡せます >
「卯辰山」が綺麗に見えます。逆に、卯辰山から、城内が丸見えになってしまうので、藩政期は、卯辰山に登ることが禁止されていました。
< 戌亥櫓跡の石垣台 >
この画面は、真北を向いています。櫓の北面と西面に、攻撃用の「出し(出窓)」が付けられていたらしいです。
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11/23 11:58
< 戌亥櫓跡の石垣台 >
この画面は、真北を向いています。櫓の北面と西面に、攻撃用の「出し(出窓)」が付けられていたらしいです。
< 葉のない「ムラサキシキブ」 >
〜の実。同属の「ヤブムラサキ」かもしれませんが、鑑別出来ません。
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11/23 11:59
< 葉のない「ムラサキシキブ」 >
〜の実。同属の「ヤブムラサキ」かもしれませんが、鑑別出来ません。
< 本丸園地の遊歩道に戻ります >
ここ「戌亥櫓」と南端にある「辰巳櫓」との中間くらいの場所に『天守閣』があったのでしょうか?慶長7年(1602年)、落雷により天守閣が焼失した後、天守閣は再建されずじまいです。
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11/23 11:59
< 本丸園地の遊歩道に戻ります >
ここ「戌亥櫓」と南端にある「辰巳櫓」との中間くらいの場所に『天守閣』があったのでしょうか?慶長7年(1602年)、落雷により天守閣が焼失した後、天守閣は再建されずじまいです。
< 鉄門(くろがねもん)口 >
〜に出てきました。この先が、「本丸付段(ほんまるつけだん)」で、「三十三間長屋」があります。
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11/23 12:01
< 鉄門(くろがねもん)口 >
〜に出てきました。この先が、「本丸付段(ほんまるつけだん)」で、「三十三間長屋」があります。
< 鉄門跡 >
〜を振り返りました。二の丸から本丸に上がる正門でした。鉄板を貼った扉が付けられていたので『くろがね』門になりました。
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11/23 12:01
< 鉄門跡 >
〜を振り返りました。二の丸から本丸に上がる正門でした。鉄板を貼った扉が付けられていたので『くろがね』門になりました。
< 一度、焼けていました >
安政五年(1858年)に再建された「三十三間長屋」は、昭和三十二年(1957年)、国の重要文化財に指定されました。
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11/23 12:02
< 一度、焼けていました >
安政五年(1858年)に再建された「三十三間長屋」は、昭和三十二年(1957年)、国の重要文化財に指定されました。
< 土日祝日のみの無料公開 >
〜なのは、「石川門」と同じです。これは、休日しかボランティアの確保が出来ないからだと思います。では、「三十三間長屋(さんじゅうさんけんながや)」に入ります。
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11/23 12:01
< 土日祝日のみの無料公開 >
〜なのは、「石川門」と同じです。これは、休日しかボランティアの確保が出来ないからだと思います。では、「三十三間長屋(さんじゅうさんけんながや)」に入ります。
< 長屋の二階部分 >
一階の奥には、建材が積み上げられていました。窓枠などが修理中なのでしょう。有料開放の「五十五間長屋」と違って、素朴な感じがします。
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11/23 12:05
< 長屋の二階部分 >
一階の奥には、建材が積み上げられていました。窓枠などが修理中なのでしょう。有料開放の「五十五間長屋」と違って、素朴な感じがします。
< 長屋を出て北側にある広場 >
〜の紅葉が素晴らしいです。紅葉、黄葉、松葉〜のコントラストが雅です。
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11/23 12:06
< 長屋を出て北側にある広場 >
〜の紅葉が素晴らしいです。紅葉、黄葉、松葉〜のコントラストが雅です。
< 石垣の下に堀があります >
「二の丸」と「本丸付段(ほんまるつけだん)」を隔てる堀です。「極楽橋」が架かっています。
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11/23 12:08
< 石垣の下に堀があります >
「二の丸」と「本丸付段(ほんまるつけだん)」を隔てる堀です。「極楽橋」が架かっています。
< マメガキ(豆柿) >
カキノキ科カキノキ属。小さな柿がなる「柿の木」の一種です。
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11/23 12:09
< マメガキ(豆柿) >
カキノキ科カキノキ属。小さな柿がなる「柿の木」の一種です。
< 熟れすぎた柿 >
〜がなっています。直径1cmほどの果物です。
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11/23 12:09
< 熟れすぎた柿 >
〜がなっています。直径1cmほどの果物です。
< 本丸付段から出ます >
「薪の丸」を経由して、「いもり堀園地」に下ります。
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11/23 12:10
< 本丸付段から出ます >
「薪の丸」を経由して、「いもり堀園地」に下ります。
< 本丸付段〜薪の丸 >
〜の解説。
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11/23 12:10
< 本丸付段〜薪の丸 >
〜の解説。
< 「薪の丸の手前です >
右に折れると「玉泉院丸庭園」に出ます。ここは直進します。
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11/23 12:12
< 「薪の丸の手前です >
右に折れると「玉泉院丸庭園」に出ます。ここは直進します。
< 薪が置かれていた >
〜ので、『たきぎ』の丸です。
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11/23 12:12
< 薪が置かれていた >
〜ので、『たきぎ』の丸です。
< 薪の丸の石垣 >
〜の前は、「ウバユリ(姥百合)」の群生地のようです。
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11/23 12:13
< 薪の丸の石垣 >
〜の前は、「ウバユリ(姥百合)」の群生地のようです。
< はじけた櫺漫覆気か) >
すでに、来年の命の種が、飛び出しています。
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11/23 12:13
< はじけた櫺漫覆気か) >
すでに、来年の命の種が、飛び出しています。
< いもり堀園地 >
〜に出ていました。
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< いもり堀園地 >
〜に出ていました。
< 切石積み >
高度な技法です。
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11/23 12:16
< 切石積み >
高度な技法です。
< 四つの技法 >
ー然石積み、割石積み、A堂湛石積み、だ收仞僂
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11/23 12:17
< 四つの技法 >
ー然石積み、割石積み、A堂湛石積み、だ收仞僂
< 粗加工石積み >
2番目に高度な技法です。
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11/23 12:17
< 粗加工石積み >
2番目に高度な技法です。
< 角石(すみいし) >
石垣の角っこに用いられた特性の切石のことです。
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11/23 12:17
< 角石(すみいし) >
石垣の角っこに用いられた特性の切石のことです。
< 石垣づくりの工程 >
〃,襤割る→削る→す錣燿ケ燭屐舛5段階です。
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11/23 12:17
< 石垣づくりの工程 >
〃,襤割る→削る→す錣燿ケ燭屐舛5段階です。
< 本日2度目も迎賓館 >
〜です。「石川県政記念しいのき迎賓館」と申します。
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11/23 12:19
< 本日2度目も迎賓館 >
〜です。「石川県政記念しいのき迎賓館」と申します。
< 今朝、上がれなかった櫓台 >
〜に上がります。「鯉喉櫓台(りこうやぐらだい)」と申します。
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11/23 12:22
< 今朝、上がれなかった櫓台 >
〜に上がります。「鯉喉櫓台(りこうやぐらだい)」と申します。
< 鯉喉櫓台 >
この台は、「いもり堀」ののど元にあります。「蠑螈(イモリ)喉櫓台」にすれば良かったのに?
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< 鯉喉櫓台 >
この台は、「いもり堀」ののど元にあります。「蠑螈(イモリ)喉櫓台」にすれば良かったのに?
< 鯉喉櫓台に上がりました >
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11/23 12:24
< 鯉喉櫓台に上がりました >
< 辰巳櫓跡の角 >
〜を見上げました。先ほどは、辰巳櫓跡から、こちらを見下ろしていました。
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11/23 12:25
< 辰巳櫓跡の角 >
〜を見上げました。先ほどは、辰巳櫓跡から、こちらを見下ろしていました。
< いもり堀 >
外堀の一部で、隣の「百間堀」とつながっていたのでしょうか?
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11/23 12:25
< いもり堀 >
外堀の一部で、隣の「百間堀」とつながっていたのでしょうか?
< 車橋(くるまばし)門 >
〜で、隔てられていました。「百間堀」が増水した時、「いもり堀」に余水を落とす「水門」があったようです。
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11/23 12:27
< 車橋(くるまばし)門 >
〜で、隔てられていました。「百間堀」が増水した時、「いもり堀」に余水を落とす「水門」があったようです。
< 百間堀園地(旧沈床園) >
三の丸石垣の東側、石川門の南側に位置します。春の桜が綺麗な場所です。
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11/23 12:31
< 百間堀園地(旧沈床園) >
三の丸石垣の東側、石川門の南側に位置します。春の桜が綺麗な場所です。
< 皇太子殿下御結婚奉祝記念 >
兼六園の石垣からこちらを向いて建っています。接近できない場所なので、建立の年月日が確認出来ません。昭和天皇の御結婚を祝ってものでしょうか?
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< 皇太子殿下御結婚奉祝記念 >
兼六園の石垣からこちらを向いて建っています。接近できない場所なので、建立の年月日が確認出来ません。昭和天皇の御結婚を祝ってものでしょうか?
< アーチ型の石川橋 >
昔は、堀の間にある堤(土橋)でした。明治44年(1911年)、百間堀に道路を通した時、鉄筋コンクリート製の「石川橋」が造られました。老朽化が激しく、平成7年(1995年)に現在の橋に生まれ変わりました。たぶん。平成7年以前は、日本最古のコンクリート製の橋だったのでしょう。
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11/23 12:32
< アーチ型の石川橋 >
昔は、堀の間にある堤(土橋)でした。明治44年(1911年)、百間堀に道路を通した時、鉄筋コンクリート製の「石川橋」が造られました。老朽化が激しく、平成7年(1995年)に現在の橋に生まれ変わりました。たぶん。平成7年以前は、日本最古のコンクリート製の橋だったのでしょう。
< 兼六園下交差点の手前 >
〜で、「白鳥路(はくちょうろ)」に入ります。
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11/23 12:34
< 兼六園下交差点の手前 >
〜で、「白鳥路(はくちょうろ)」に入ります。
< 曲がり角に庭園があります >
名称が付けられていませんが、紅葉が綺麗な場所です。池の鯉は、ダイエット中だそうなので、エサを与えないでください〜と掲示されています。
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11/23 12:34
< 曲がり角に庭園があります >
名称が付けられていませんが、紅葉が綺麗な場所です。池の鯉は、ダイエット中だそうなので、エサを与えないでください〜と掲示されています。
< 前田利家公之像 >
後方に石川門の二重櫓が見えています。「金鯰尾兜(きんなまずおのかぶと)」をかぶっています。本来は、鎧も黄金色にすべきでした。『金小札白糸素懸威胴丸具足(きんこざねしろいとすがけおどしどうまるのぐそく)』と呼ばれる甲冑のはずですから。
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11/23 12:35
< 前田利家公之像 >
後方に石川門の二重櫓が見えています。「金鯰尾兜(きんなまずおのかぶと)」をかぶっています。本来は、鎧も黄金色にすべきでした。『金小札白糸素懸威胴丸具足(きんこざねしろいとすがけおどしどうまるのぐそく)』と呼ばれる甲冑のはずですから。
< 白鳥路 >
『芸術の小径』的な散策路になっています。
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11/23 12:36
< 白鳥路 >
『芸術の小径』的な散策路になっています。
< 金沢三文豪 >
3人並んだ銅像です。座しているのが、「室生犀星(むろおさいせい)」、ウサギを抱いているのが「泉鏡花(いずみきょうか)」、洋装なのが、「徳田秋聲(とくだしゅうせい)」です。金沢には、お三方それぞれの記念館があります。
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11/23 12:39
< 金沢三文豪 >
3人並んだ銅像です。座しているのが、「室生犀星(むろおさいせい)」、ウサギを抱いているのが「泉鏡花(いずみきょうか)」、洋装なのが、「徳田秋聲(とくだしゅうせい)」です。金沢には、お三方それぞれの記念館があります。
< 肉体美 >
金沢の街角に多くの『裸像』が見られます。こちらの男子はブリーフですが、女子は...
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< 肉体美 >
金沢の街角に多くの『裸像』が見られます。こちらの男子はブリーフですが、女子は...
< 大手堀通り >
〜に出ました。お城を一周する「お堀通り」の大手門側(北側)です。
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11/23 12:43
< 大手堀通り >
〜に出ました。お城を一周する「お堀通り」の大手門側(北側)です。
< 大手門口 >
〜でし。先ほど、城内の新丸広場からも見ています。門とその上に乗っていた「渡櫓」が残されていないのが残念です。
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11/23 12:43
< 大手門口 >
〜でし。先ほど、城内の新丸広場からも見ています。門とその上に乗っていた「渡櫓」が残されていないのが残念です。
< 大手堀 >
〜です。水面が黄緑に輝いています。
0
11/23 12:44
< 大手堀 >
〜です。水面が黄緑に輝いています。
< 尾坂門台の石垣の由緒 >
大手門口は、「尾坂」と呼ばれていました。ここから、河北坂を経ての「河北門」までの経路を『大手筋』と呼ばれていました。
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11/23 12:44
< 尾坂門台の石垣の由緒 >
大手門口は、「尾坂」と呼ばれていました。ここから、河北坂を経ての「河北門」までの経路を『大手筋』と呼ばれていました。
< 尾坂門台の石垣 >
ビックな台です。後方にある片側の台との間に、「渡櫓(長屋)」が乗っていたはずです。
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11/23 12:44
< 尾坂門台の石垣 >
ビックな台です。後方にある片側の台との間に、「渡櫓(長屋)」が乗っていたはずです。
< 堀の紅葉・黄葉・緑葉 >
0
11/23 12:45
< 堀の紅葉・黄葉・緑葉 >
< モミジ >
モミジ モミジ モミジ
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11/23 12:45
< モミジ >
モミジ モミジ モミジ
< 黒門口 >
〜のそばに来ました。「お堀通り」は、門の前で右折します。
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11/23 12:46
< 黒門口 >
〜のそばに来ました。「お堀通り」は、門の前で右折します。
< 黒門は残されていません >
この後、黒門前緑地の角、尾崎神社の角で曲り、お城の西側の「お堀通り」に入ります。
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11/23 12:47
< 黒門は残されていません >
この後、黒門前緑地の角、尾崎神社の角で曲り、お城の西側の「お堀通り」に入ります。
< 黒門前緑地 >
「黒門口」のそばです。お隣のお屋敷の敷地の一部が、緑地として開放されています。
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11/23 12:47
< 黒門前緑地 >
「黒門口」のそばです。お隣のお屋敷の敷地の一部が、緑地として開放されています。
< 豪姫住居遺址 >
この場所で、利家公の娘の「豪姫」が暮らしていたようです。「豪姫」の墓は、両親とともに、野田山墓地にあります。市内の「大蓮寺」には、豪姫の供養塔があり、分骨もされているようです。
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11/23 12:48
< 豪姫住居遺址 >
この場所で、利家公の娘の「豪姫」が暮らしていたようです。「豪姫」の墓は、両親とともに、野田山墓地にあります。市内の「大蓮寺」には、豪姫の供養塔があり、分骨もされているようです。
< 黒門口側から入り >
〜お屋敷側にでました。お屋敷も緑地も同じ土屏で囲まれています。
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11/23 12:48
< 黒門口側から入り >
〜お屋敷側にでました。お屋敷も緑地も同じ土屏で囲まれています。
< 旧高峰家・旧検事正官舎 >
玄関先と庭先です。たまたま、『高峰家』は貸し切りになっていて、内部の見学は出来ませんでした。
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< 旧高峰家・旧検事正官舎 >
玄関先と庭先です。たまたま、『高峰家』は貸し切りになっていて、内部の見学は出来ませんでした。
< 金沢地方検察庁の官舎跡 >
〜ということか?「検事正」の官舎の隣に、『高峰譲吉』博士の生家を移築したのだそうです。
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11/23 12:49
< 金沢地方検察庁の官舎跡 >
〜ということか?「検事正」の官舎の隣に、『高峰譲吉』博士の生家を移築したのだそうです。
< 城の西側の「お堀通り」 >
〜を南下します。『尾崎神社』のある角で左折しました。金沢城北の丸にあったこのお社が、明治期に陸軍の命令により、この地に移転させられました。
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< 城の西側の「お堀通り」 >
〜を南下します。『尾崎神社』のある角で左折しました。金沢城北の丸にあったこのお社が、明治期に陸軍の命令により、この地に移転させられました。
< 尾崎神社 >
元は、『東照三所大権現社(とうしょうさんしょごんげんしゃ)』でした。日光東照宮に対応して、「金沢東照宮」とも呼ばれていました。画面の右手方向(南方向)に進みます。
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11/23 12:54
< 尾崎神社 >
元は、『東照三所大権現社(とうしょうさんしょごんげんしゃ)』でした。日光東照宮に対応して、「金沢東照宮」とも呼ばれていました。画面の右手方向(南方向)に進みます。
< 甚右衞門坂 >
本願寺方(一向宗側)だった『甚右衛門』さんが勇敢に討ち死にされた場所らしい。この坂を上がると金沢城・兼六園管理事務所と職員駐車場があります。通用門になりますので、一般客は通れません。
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< 甚右衞門坂 >
本願寺方(一向宗側)だった『甚右衛門』さんが勇敢に討ち死にされた場所らしい。この坂を上がると金沢城・兼六園管理事務所と職員駐車場があります。通用門になりますので、一般客は通れません。
< 丸の内園地 >
この石垣の上に、「旧第六旅団司令部」があります。「お堀通り」のこの部分は『丸の内通り』とも呼ばれています。南方向に、もう150mほど進むと、尾山神社の「東神門口」の所に出ます。
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< 丸の内園地 >
この石垣の上に、「旧第六旅団司令部」があります。「お堀通り」のこの部分は『丸の内通り』とも呼ばれています。南方向に、もう150mほど進むと、尾山神社の「東神門口」の所に出ます。
< 旧・鼠多門橋(ねずみたもんばし) >
〜を発掘調査しています。庭園のある「玉泉院丸」と、別の庭園を持つ「金谷出丸」の間をつなぐ架け橋でした。今歩いている道路(お堀通り)は、かっては、外堀でした。
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11/23 13:00
< 旧・鼠多門橋(ねずみたもんばし) >
〜を発掘調査しています。庭園のある「玉泉院丸」と、別の庭園を持つ「金谷出丸」の間をつなぐ架け橋でした。今歩いている道路(お堀通り)は、かっては、外堀でした。
< 開放している所です >
閉塞されてしまった鼠多門の基礎部分を掘り起こしています。<<速報>>2016年12月31日の北國新聞の一面に載りました。鼠多門跡発掘現場で、海鼠壁に用いられていた『黒漆喰』の破片が見つかった〜ことを報じています。世にも珍しい黒の漆喰で壁が仕上げられていたので、全体の外観ががねずみ色になっていたらしい。
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11/23 13:02
< 開放している所です >
閉塞されてしまった鼠多門の基礎部分を掘り起こしています。<<速報>>2016年12月31日の北國新聞の一面に載りました。鼠多門跡発掘現場で、海鼠壁に用いられていた『黒漆喰』の破片が見つかった〜ことを報じています。世にも珍しい黒の漆喰で壁が仕上げられていたので、全体の外観ががねずみ色になっていたらしい。
< 「旧・金谷出丸」側部分 >
「現・尾山神社」の神苑(境内)に『鼠多門橋』が着いていた場所です。<<2017年>>いよいよ、『鼠多門』と『鼠多門橋』の復元工事が始まります〜乞うご期待。
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11/23 13:00
< 「旧・金谷出丸」側部分 >
「現・尾山神社」の神苑(境内)に『鼠多門橋』が着いていた場所です。<<2017年>>いよいよ、『鼠多門』と『鼠多門橋』の復元工事が始まります〜乞うご期待。
< 橋の次に門がなくなりました >
明治10年(1877年)に老朽化した『鼠多門橋』を撤去。明治17年(1884年)には『鼠多門』は消失。門のあった部分が閉塞されました。
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11/23 13:02
< 橋の次に門がなくなりました >
明治10年(1877年)に老朽化した『鼠多門橋』を撤去。明治17年(1884年)には『鼠多門』は消失。門のあった部分が閉塞されました。
< 東神門 >
「尾山神社」の東側の出入口です。神社の境内(神苑)は金沢城の「金谷出丸」でした。今朝は、金沢駅から歩いて来て、神苑を巡り「東神門」から出て、兼六園に向かっています。この時点で、私は外堀を一周したことになります。
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< 東神門 >
「尾山神社」の東側の出入口です。神社の境内(神苑)は金沢城の「金谷出丸」でした。今朝は、金沢駅から歩いて来て、神苑を巡り「東神門」から出て、兼六園に向かっています。この時点で、私は外堀を一周したことになります。
< 本日3度目の「玉泉院丸口」 >
上に、上がって、お手洗いをお借りしてきます。
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11/23 13:03
< 本日3度目の「玉泉院丸口」 >
上に、上がって、お手洗いをお借りしてきます。
< 玉泉庵 >
ここが、「玉泉院丸庭園」の入口になります。この建物は、左側が「庵(茶室)」、窓のある部分が「案内所」、右側が「休憩所」となっています。私が立っている位置の背後に、たいへん清潔なトイレがあります。スッキリしました。
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11/23 13:07
< 玉泉庵 >
ここが、「玉泉院丸庭園」の入口になります。この建物は、左側が「庵(茶室)」、窓のある部分が「案内所」、右側が「休憩所」となっています。私が立っている位置の背後に、たいへん清潔なトイレがあります。スッキリしました。
< 公園を抜けて香林坊 >
〜に向かいます。画面左手が「しいのき迎賓館」のある『広坂緑地』、右手が「四高記念文化交流館」のある『いしかわ四高記念公園(旧中央公園)』になります。
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11/23 13:10
< 公園を抜けて香林坊 >
〜に向かいます。画面左手が「しいのき迎賓館」のある『広坂緑地』、右手が「四高記念文化交流館」のある『いしかわ四高記念公園(旧中央公園)』になります。
< モミジバフウ(紅葉葉楓) >
フウ科フウ属。金沢城方向に振り返りました。別名「アメリカフウ」という紅葉した樹が綺麗です。大正期に、アメリカ大陸から渡ってきました。日本の道では、街路樹として利用されています。
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11/23 13:10
< モミジバフウ(紅葉葉楓) >
フウ科フウ属。金沢城方向に振り返りました。別名「アメリカフウ」という紅葉した樹が綺麗です。大正期に、アメリカ大陸から渡ってきました。日本の道では、街路樹として利用されています。
< かなり高木の落葉樹 >
〜です。『《モミジ葉》フウ』と言いますが、日本のカエデ属は『ムクロジ科』で、こちらの『フウ属』とは、縁もゆかりもありません。
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11/23 13:10
< かなり高木の落葉樹 >
〜です。『《モミジ葉》フウ』と言いますが、日本のカエデ属は『ムクロジ科』で、こちらの『フウ属』とは、縁もゆかりもありません。
< 大きなモミジ型の落葉 >
〜です。「ハルニレ」の落葉と混ざり合っています。モミジバフウの葉は、「オオモミジ」の葉と形が似ていますが、サイズがだいぶ大きいです。
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11/23 13:11
< 大きなモミジ型の落葉 >
〜です。「ハルニレ」の落葉と混ざり合っています。モミジバフウの葉は、「オオモミジ」の葉と形が似ていますが、サイズがだいぶ大きいです。
< 広坂緑地 >
『石川県政記念しいのき迎賓館』です。古い建物に、新しい建物が合成されています。漫画の『人造人間キカイダーマン』を想像してしまいました?
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11/23 13:12
< 広坂緑地 >
『石川県政記念しいのき迎賓館』です。古い建物に、新しい建物が合成されています。漫画の『人造人間キカイダーマン』を想像してしまいました?
< いしかわ四高記念公園 >
「旧・中央公園」でした。『四高記念文化交流館』のオープンに合わせて、「いしかわ四高記念公園」に変わりました。
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11/23 13:13
< いしかわ四高記念公園 >
「旧・中央公園」でした。『四高記念文化交流館』のオープンに合わせて、「いしかわ四高記念公園」に変わりました。
< 黄色い花目立っていました >
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11/23 13:14
< 黄色い花目立っていました >
< ユリオプスデージー >
キク科ユリオプス属。南アフリカ原産の常緑低木です。園芸用に、品種改良されています。
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11/23 13:14
< ユリオプスデージー >
キク科ユリオプス属。南アフリカ原産の常緑低木です。園芸用に、品種改良されています。
< 四高記念文化交流館 >
(しこうきねんぶんかこうりゅうかん)です。「旧・第四高等学校」の校舎でした。学校の略称は、「四高(しこう)」です。
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11/23 13:16
< 四高記念文化交流館 >
(しこうきねんぶんかこうりゅうかん)です。「旧・第四高等学校」の校舎でした。学校の略称は、「四高(しこう)」です。
< 四高記念+近代文学 >
〜です。建物の左側(西側)が、「石川四高記念館(無料)」。右側(東側)が、「石川近代文学館(360円)」〜に分かれています。
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11/23 13:17
< 四高記念+近代文学 >
〜です。建物の左側(西側)が、「石川四高記念館(無料)」。右側(東側)が、「石川近代文学館(360円)」〜に分かれています。
< 国指定の重要文化財 >
〜です。明治24年(1891年)に建てられたレンガ造りの校舎は、平成20年(2008年)に、「四高記念文化交流館」として再生しました。
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11/23 13:16
< 国指定の重要文化財 >
〜です。明治24年(1891年)に建てられたレンガ造りの校舎は、平成20年(2008年)に、「四高記念文化交流館」として再生しました。
< イチイ(一位) >
イチイ科イチイ属。昔、飛騨の位山(くらいやま)にあったこの木で「笏(しゃく)」を作り、朝廷に献上したところ『一位』の官位をこの木に賜った〜らしい。
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11/23 13:18
< イチイ(一位) >
イチイ科イチイ属。昔、飛騨の位山(くらいやま)にあったこの木で「笏(しゃく)」を作り、朝廷に献上したところ『一位』の官位をこの木に賜った〜らしい。
< イチイの実 >
「イチイ」は同属の「カヤ(榧)」、「イヌガヤ(犬榧)」とよく似ていますが、この紅い実がなっていれば、区別は容易です。
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11/23 13:18
< イチイの実 >
「イチイ」は同属の「カヤ(榧)」、「イヌガヤ(犬榧)」とよく似ていますが、この紅い実がなっていれば、区別は容易です。
< 香林坊(こうりんぼう) >
〜交差点の手前です。『香林坊』は、この地に移り住んできた「比叡山の僧」のお名前に由来していたそうです。公園側(広坂側)にあるのが、『香林坊アトリオ』です。香林坊を代表する複合商業施設で、キーテナントは、「大和デパート」です。交差点の向こう側(香林坊側)に見える施設は、『香林坊東急スクエア』です。東急グループのファッションビルです。
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11/23 13:20
< 香林坊(こうりんぼう) >
〜交差点の手前です。『香林坊』は、この地に移り住んできた「比叡山の僧」のお名前に由来していたそうです。公園側(広坂側)にあるのが、『香林坊アトリオ』です。香林坊を代表する複合商業施設で、キーテナントは、「大和デパート」です。交差点の向こう側(香林坊側)に見える施設は、『香林坊東急スクエア』です。東急グループのファッションビルです。
< 交差点を過ぎて振り返りました >
画面右手(西側)が、香林坊になります。『金沢東急ホテル』と『香林坊東急スクエア』が合体しています。画面左手(東側)が、広坂です。『香林坊アトリオ』があります。
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11/23 13:22
< 交差点を過ぎて振り返りました >
画面右手(西側)が、香林坊になります。『金沢東急ホテル』と『香林坊東急スクエア』が合体しています。画面左手(東側)が、広坂です。『香林坊アトリオ』があります。
< 尾山神社前交差点 >
モダンな神門です。今歩いている大通りが、『百万石通り』。尾山神社の裏の通りが、『お堀通り(丸の内通り)』です。
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11/23 13:26
< 尾山神社前交差点 >
モダンな神門です。今歩いている大通りが、『百万石通り』。尾山神社の裏の通りが、『お堀通り(丸の内通り)』です。
< 上堤町(かみつつみちょう) >
〜交差点です。奥に見える「尾崎神社」の前を、『お堀通り』が南下しています。
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11/23 13:31
< 上堤町(かみつつみちょう) >
〜交差点です。奥に見える「尾崎神社」の前を、『お堀通り』が南下しています。
< 近江町いちば館 >
「武蔵」交差点の手前に来ました。スカイビル(めいてつエムザ)のある「武蔵」で左折して、『金沢駅通り」に入ります。
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11/23 13:33
< 近江町いちば館 >
「武蔵」交差点の手前に来ました。スカイビル(めいてつエムザ)のある「武蔵」で左折して、『金沢駅通り」に入ります。
< 本願寺金沢別院 >
〜のはす向かいに来ました。「西門口前交差点」の場所です。
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11/23 13:40
< 本願寺金沢別院 >
〜のはす向かいに来ました。「西門口前交差点」の場所です。
< 鼓門 >
金沢駅に着きました。私は、お昼がまだでしたが、道すがら見かけた名店(飲食店)に、脇目も振らずに駅まで来ました。ある店で食事がしたかったからです。
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11/23 13:45
< 鼓門 >
金沢駅に着きました。私は、お昼がまだでしたが、道すがら見かけた名店(飲食店)に、脇目も振らずに駅まで来ました。ある店で食事がしたかったからです。
< 「もてなしドーム」の傘の下 >
〜に入りました。玉泉院丸庭園の『唐傘』も、このドームと同じ気持ち(おもてなし)で造られていると思いました。
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11/23 13:46
< 「もてなしドーム」の傘の下 >
〜に入りました。玉泉院丸庭園の『唐傘』も、このドームと同じ気持ち(おもてなし)で造られていると思いました。
< あんと >
金沢駅にあるショッピングモールを、「金沢百番街」と言います。お土産と飲食店のエリアが、『あんと』。有難う〜と言う意味の方言が、「あんと」です。一方。ファッション関係のエリアが、『Rinto』です。凛として生きる女性をサポートすると言う意味をこめた「リント」です。
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11/23 13:52
< あんと >
金沢駅にあるショッピングモールを、「金沢百番街」と言います。お土産と飲食店のエリアが、『あんと』。有難う〜と言う意味の方言が、「あんと」です。一方。ファッション関係のエリアが、『Rinto』です。凛として生きる女性をサポートすると言う意味をこめた「リント」です。
< おでんのお店 >
『あんと』には、おでんの名店が2軒あります。この日は、14時を過ぎても、食事処は混雑していましたが、私は、「おでんとおさけ」で大満足出来ました。
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< おでんのお店 >
『あんと』には、おでんの名店が2軒あります。この日は、14時を過ぎても、食事処は混雑していましたが、私は、「おでんとおさけ」で大満足出来ました。
< 宝達山 >
帰宅するため、ほろ酔い気分のまま《七尾線》に乗り込みました。「かほく市」と「宝達志水町」境界あたりで、『宝達山』を撮影しました。ちょうど、山の真西で、《七尾線》が宝達山に最接近している場所になります。
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11/23 16:10
< 宝達山 >
帰宅するため、ほろ酔い気分のまま《七尾線》に乗り込みました。「かほく市」と「宝達志水町」境界あたりで、『宝達山』を撮影しました。ちょうど、山の真西で、《七尾線》が宝達山に最接近している場所になります。
< 「宝達駅」の600mほど手間 >
〜で撮影。雲のかかっていない山の山頂には、各種の通信施設が林立しています。能登の最高峰(標高637.1m)です。
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11/23 16:14
< 「宝達駅」の600mほど手間 >
〜で撮影。雲のかかっていない山の山頂には、各種の通信施設が林立しています。能登の最高峰(標高637.1m)です。
< 宝達駅 >
列車がホームに泊まっているのに、ボケた写真になってしまいました。おでん屋の日本酒が、脳内に回り始めた?
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11/23 16:15
< 宝達駅 >
列車がホームに泊まっているのに、ボケた写真になってしまいました。おでん屋の日本酒が、脳内に回り始めた?
< 押水中学校美術部 >
〜により、宝達志水町マスコットキャラクター「ほっぴーさん」が描かれています。宝達山は、標高があまり高くありませんが、麓から登れば、『白山登山』並みの体力を要します。また、近隣にある「末森山」の『末森城趾』も見所です。
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11/23 16:15
< 押水中学校美術部 >
〜により、宝達志水町マスコットキャラクター「ほっぴーさん」が描かれています。宝達山は、標高があまり高くありませんが、麓から登れば、『白山登山』並みの体力を要します。また、近隣にある「末森山」の『末森城趾』も見所です。
< 薄ピンクに染まった雲 >
〜が宝達山」にのしかかってきました。横から夕陽が山上の雲を染めています。宝達駅から10分ほどで、羽咋市に入りました。
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11/23 16:24
< 薄ピンクに染まった雲 >
〜が宝達山」にのしかかってきました。横から夕陽が山上の雲を染めています。宝達駅から10分ほどで、羽咋市に入りました。
< 羽咋川(はくいがわ) >
邑知潟(おうちがた)から流れ出てきた「羽咋川」は、羽咋市中心部の北側を流れ、千里浜海岸に河口を開いています。この写真では、水門の後方に「碁石ヶ峰」が写っています。
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11/23 16:29
< 羽咋川(はくいがわ) >
邑知潟(おうちがた)から流れ出てきた「羽咋川」は、羽咋市中心部の北側を流れ、千里浜海岸に河口を開いています。この写真では、水門の後方に「碁石ヶ峰」が写っています。
< 千路駅(ちじえき) >
「邑知潟」の北西に位置する駅です。『拉致。必ず取り戻す!』〜拉致問題対策本部製作のポスターが、待合室に掲示されています。娘を誘拐されたことのある父親である俳優さんがポスターに起用されています。『ちじ駅』が、『ちち駅』のように思えました?
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11/23 16:32
< 千路駅(ちじえき) >
「邑知潟」の北西に位置する駅です。『拉致。必ず取り戻す!』〜拉致問題対策本部製作のポスターが、待合室に掲示されています。娘を誘拐されたことのある父親である俳優さんがポスターに起用されています。『ちじ駅』が、『ちち駅』のように思えました?
< 「宝達山」から「碁石ヶ峰」まで >
『宝達丘陵』の南側部分を見渡しています。列車は、行政境界を越え、「中能登町」に入りました。
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< 「宝達山」から「碁石ヶ峰」まで >
『宝達丘陵』の南側部分を見渡しています。列車は、行政境界を越え、「中能登町」に入りました。
< 「宝達山」をズーム >
もうすぐ、「金丸駅(かなまるえき)」に着きます。「宝達山」とは、お別れです。
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11/23 16:35
< 「宝達山」をズーム >
もうすぐ、「金丸駅(かなまるえき)」に着きます。「宝達山」とは、お別れです。
< 金丸駅 >
〜です。ホームの後ろに、「碁石ヶ峰(ごいしがみね)」が見えています。
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11/23 16:36
< 金丸駅 >
〜です。ホームの後ろに、「碁石ヶ峰(ごいしがみね)」が見えています。
< 「碁石ヶ峰」をズーム >
山頂部分が、周りより一段低くなって見えます。「神子原(みこはら)」地区側に伸びている尾根が、こちら側にせり出しているため、ピークになっているように見えているからです。
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11/23 16:37
< 「碁石ヶ峰」をズーム >
山頂部分が、周りより一段低くなって見えます。「神子原(みこはら)」地区側に伸びている尾根が、こちら側にせり出しているため、ピークになっているように見えているからです。
< 能登部駅(のとべえき) >
この駅で降車して、1kmほど北に歩くと、「眉丈山丘陵」の『雷ヶ峰(らいがみね)』への登山口(遊歩道)があります。
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11/23 16:40
< 能登部駅(のとべえき) >
この駅で降車して、1kmほど北に歩くと、「眉丈山丘陵」の『雷ヶ峰(らいがみね)』への登山口(遊歩道)があります。
< 景色の流が早くなりました >
普通列車は、踏切の少ない部分に来ると、速度をあげます。丘陵の少し奥側に「石動山(せきどうさん)」が見えています。
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11/23 16:41
< 景色の流が早くなりました >
普通列車は、踏切の少ない部分に来ると、速度をあげます。丘陵の少し奥側に「石動山(せきどうさん)」が見えています。
< 「石動山」をズーム >
「石動山(標高564m)」能登第3位の峰です。山深い所に位置しているため小さく見えています。かっては、一向一揆勢の『石動山天平寺』がありましたが、織田軍(前田利家ら)により、焼き払われてしまいました。
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11/23 16:42
< 「石動山」をズーム >
「石動山(標高564m)」能登第3位の峰です。山深い所に位置しているため小さく見えています。かっては、一向一揆勢の『石動山天平寺』がありましたが、織田軍(前田利家ら)により、焼き払われてしまいました。
< 良川駅(よしかわえき) >
ここから《七尾線》の残りの駅は〜能登二宮駅−徳田駅−七尾駅−和倉駅〜です。私は、七尾駅で降ります。金沢から《七尾線》に乗るときは、ぜひ、右側(東向き)のシートに座ってください。『口能登から中能登の峰々』を電車の中から眺望できます。 〜スライドは以上です。ご乗車有難うございました。
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11/23 16:45
< 良川駅(よしかわえき) >
ここから《七尾線》の残りの駅は〜能登二宮駅−徳田駅−七尾駅−和倉駅〜です。私は、七尾駅で降ります。金沢から《七尾線》に乗るときは、ぜひ、右側(東向き)のシートに座ってください。『口能登から中能登の峰々』を電車の中から眺望できます。 〜スライドは以上です。ご乗車有難うございました。
「【週刊ヤマレコ】みんなで作る山の記録集」のメールの下の方に載っていて、「山以外の記録もあるのか!金沢か、ちょっとのぞいてみよう」と思ったのですが、その情報量に圧倒されました。
「本荘山の会」http://honjoyama.fc2web.com/
を作成している66歳です。
1970年に石川門をくぐり、城内で学生生活を送った身なのに知らないことだらけで驚きました。
秋田県由利本荘市在住ですが、カミさんは大聖寺出身で2年に一度程度は一人で金沢に行ってます。兼六園は当時は無料開放されていましたが、現在は有料ですね。今年の9月、金沢市内に2泊したのですが、早朝が無料と知っていたら早起きしたものを。
そのうち、三部作の他のページも拝見したいと思います。
sitikousanさん、こんにちは
いつも長ったらしい記録をアップしている55歳です。
長編の記録などは、マウスのホイールをくるくる回して、『流し見る』方がほとんどだろうと思います。
わざわざ記録を『読んで』いただいてありがとうございます。
ウンチクばかりをたれ、枝葉末節にこだわすぎるきらいがありますので、私はヤマレコの精神に反ているのかも知れませんが、好きにさせていただいています。
登山にこだわらす、冒険に(?)出かけた先々での、自然、町並み、ご当地の歴史、(ご当地の美酒)〜などを楽しんでいます。ヤマレコは、自分のための思いでと備忘録にするために利用しています。
私は、秋田県には一度も脚を踏み入れたことはありませんが、いつかは訪れてみたいと思っています。由利本荘市には、本荘城跡(本荘公園)がありますね、出羽国に行ったらまず、城攻めを考えます。残念ですが、今の私は、手近にある山城を攻略することで手が回りませんが?
sitikousanさん、今度石川県にこられたら、能登の山やお城にも、気をかけてやってくださいませ。 ではまた
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