東海自然歩道#07 【’02秋 奥三河】
- GPS
- --:--
- 距離
- 84.0km
- 登り
- 4,319m
- 下り
- 4,331m
コースタイム
- 山行
- 9:55
- 休憩
- 0:35
- 合計
- 10:30
- 山行
- 10:35
- 休憩
- 0:25
- 合計
- 11:00
- 山行
- 9:35
- 休憩
- 1:20
- 合計
- 10:55
過去天気図(気象庁) | 2002年09月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
帰り:名鉄三河広瀬駅 |
写真
感想
●9月20日(金曜日)
本長篠駅の待合室で目が覚めました。本当なら、昨日のうちに三河大野駅に着いておいて、今日は早朝出発したかったのですが、ダイヤの乱れのおかげで予定の飯田線に乗れず、本長篠駅止まりとなってしまったのです。旅の始まりからして、何か嫌な予感がしました。
地元の高校生たちが通学で駅に集まって来る中、始発電車を待って一つ先の駅、三河大野駅を目指しました。駅を降りると、数人のおじさんがリュックを背負っていました。自然歩道ウォーカーでしょうか? 川を渡り、大通りを歩き、コンビニで朝食と昼食用の弁当を購入。そのままコンビニの駐車場で朝食を摂りました。大野の町外れのガソリンスタンドでコースに戻りました。7:30、いよいよ今回の‘旅’のスタートです。
しかし、スタートと同時に道がよくわかりません。吊り橋を使って川を渡るはずなのですが、「桐谷の不動・渡し跡」という道標はあるのですが吊り橋の気配がありません。坂を下りて行って、コースと違っていたらかないません。どうしたものかと思っていると、家の中からおばさんが出てきて、「渡し跡」に吊り橋がかかっていると教えてくださいました。不動明王を祭った社の横にある吊り橋を渡り、飯田線の踏切を渡ります。そこから、山に入っていきました。なだらかな道で、横には清流が流れ、とても気持ちのいい道です。時々「●丁」と刻まれた石柱がありました。頂上が「三十六丁」ということなので、数えながら行こうと思いました。
8:15に、ベンチがたくさんある所に出たので、小休止にしました。石柱は「十六丁」となっています。自然歩道の略絵図があり、このあと水場の無いこと、大まかなコースタイムが書かれていました。ここから先、急な登り道になります。息を切らしながら湯谷峠を越えて、少し歩くとパークウェイに出たので、8:40小休止にしました。
パークウェイは自動車専用道となっていて、横断歩道はありません。歩道橋を使って反対側へ渡ります。少し歩くと車のエンジン音が聞こえました。再びパークウェイに出ました。歩道橋を渡った所に「行者越え」のいわれを記した案内板があり、そのそばに腕章をしたおじさんが二人いました。どうやら自然歩道の整備員の方のようです。さっきのエンジン音もおじさんたちの乗ってきた車のものだったのでしょう。挨拶をして歩いていきました。そういえば、この辺りから「●丁」の石柱を見なくなりました。頂上まであるという話はどうなってしまったのでしょう。少し歩くと、見晴らしの良いベンチがありました。荷物を下ろして岩場から写真を撮っていると、先ほどの整備員さんたちがやって来て、(見回ったという証拠のためなのか)道標の写真を撮って下りて行ってしまいました。
9:15に、ベンチで小休止。そういえば、この辺りのベンチにはナンバーが振られていることに気がつきました。ここのナンバーは11でした。(さっきの見晴らしの良いベンチは10だったと思います。)12のベンチを過ぎると、ここがピークらしく道は下りになります。下の方には、宿坊の赤い屋根が見えます。宿坊の横を通ると、ほどなく東照宮の参道に出ました。しかし、東照宮は改築中とのこと。社殿には工事用の目隠しがされていました。
9:45に鳳来寺に着きました。休憩にします。大野の駅で会ったおじさんたち4人連れもいました。彼らも自然歩道ウォーカーで、今日は宇連山で泊まり、明日は田口まで行くという話でした。鳳来寺の境内には沿革の説明があり、「徳川家康の父・松平広忠が鳳来寺の本尊薬師如来に祈願して家康が生まれたことから東照宮を建立した」ことなどが書かれていました。傍には自販機があります。売店のような所もありましたが、シーズンオフなのか商品は何もありませんでした。(おじさんたちは、その売店のおばさんにお湯を沸かしてもらっていました。)左手から山道に入ります。裏手に寂れた本堂がありました。ここから、ずっと登りの階段が続きました。階段というのは、一気に高度を上げます。見る見るうちに鳳来寺が眼下になりました。階段が終わり、不動明王の社を通過する辺りでさっきの整備員のおじさんたちが前を歩いていました。車で先回りしていたのでしょう。
10:20に奥の院を通過して、すぐ近くの休憩所で小休止をしました。鳳来寺山の山頂には10:40に着きました。ここでも小休止を取りました。山頂は東照宮から回ってくる別の道(自然観察路)との分岐点になっていました。山頂を過ぎると岩山の上を通るような道が出てきました。両サイドに縄が張ってあるのでそんなには怖さを感じませんが、でもそれが無かったらちょっとした綱渡りをするような恐怖を感じたことと思います。クロ岩の横を過ぎると急な下り坂になりました。犬戻しの急な下り坂を過ぎ、11:30にベンチで小休止をしました。
この辺りからクモの巣にひっかかるようになりました。きっと、あまり人が通ってはいないのでしょう。適当な長さの枝を見つけて、クモの巣を払いながら進むことにしました。玖老勢峠に12:05に着いたので、ベンチ(20)で昼食にしました。コンビニで仕入れたお弁当です。12:40に再出発。今度はきつい登りが続きます。ゆっくりと登っていきました。後ろの鳳来寺山とだんだん同じ高さに近づいています。13:10には22のベンチ跡で、13:30には23のベンチで小休止を取りました。きつい登りが続きます。13:50にようやくピークにたどり着きました。棚山への尾根道との分岐点になっています。ここは、コース通りに左方向の下り坂を進みます。途中、瀬戸岩への分岐がありますがコースからは外れます。道標をよく見ると、瀬戸岩への矢印は白色で、愛知県の統一カラーである緑色をしていません。
14:00に棚山高原の休憩所に着き、小休止にしました。裏手が広い平地になっていてテントを張れそうですが、この辺りはヘリコプターの離着陸の練習場になっているということなので、注意が必要だと思います。キャンプ場はバンガローの廃墟が残っているだけでした。キャンプ場の中の道を進んでいくと、少し広い道になりました。少し進むと非舗装の林道にでました。歩いていくと、コースは右側の山道を指しています。林道にも、コースの方にも「大島の滝」という表示があり、どちらをいっても同じ所につくような感じです。コースを行くと、ほどなく大島の滝が見えました。そのそばに「棚山−宇連山一帯での伐採作業中につき、迂回路を通ること」という看板が出ていました。概念図を見ると、迂回路はここから尾根道に出て宇連山の山頂を通るコース設定で、距離として200m程長くなっているそうです。伐採作業の期間は「2002年12月まで」と書かれていて、作業の音も聞こえてはきません。ちょっと考えて、無謀かなとも思いましたが、本コースの方を行くことにしました。
本ルートは再び林道に出ました。この後、右側の山道に入るはずなので、注意しながら進んで行きました。木材を満杯に積んだ4台のトラックとすれ違いました。進んでいくと、作業場がありました。しかし人の気配はしません。すると、上の林の方から声をかけられました。「この道は行き止まりになっていたはずだ」と言われたのですが、「林道をずっと登ってきたので気づかなかった」ととぼけてしまいました。右側に山道がありました。よく見ると自然歩道の標識が裏返されています。その上、少し行った所には通行禁止のためのロープが張られていました。「これはちょっと危ないかな」とは思いましたが、ここまで来て戻るのも一苦労です。伐採作業をしている音は聞こえてきません。ということは、少なくとも倒れてくる木の下敷きになるということはないということです。なんとかなるだろうと前進しました。しかし、危険なのは倒れてくる木だけではないということをその後思い知ることになったのです。
しばらく進むと、伐採された杉の木が何本も川のように横たわっている所に出ました。幅は10mぐらいなのですが、山の上の方から下の方までずっと一直線に伐採されていて、迂回するというのもできなさそうです。木は何本も重なっていて、枝もついたままなので足の踏み場も見えません。そんな所を3ヶ所も、どうにかこうにか渡りました。もう半べそものです。人にはとてもお勧めできません。これが、旅の初めに感じた‘嫌な予感’の元だったのでしょうか。しかし、人の歩かない所を歩いたからなのでしょうか、途中でカモシカと遭遇しました。こちらがもの珍しいのか、目を合わせたまま動こうとしませんでした。<<私>>も珍しさの余り、しばらくその姿に見入っていました。
途中、1回小休止を取って、15:50に宇連山の山頂への分岐点(迂回ルートとの分岐点)に着きました。ベンチがたくさんあります。小休止を取りながら、この後のコースの確認をしました。宇連山頂にはあづまやがあって、鳳来寺で会ったおじさんたちが言っていた通り野宿も可能だと思います。この先には、どこまで行けばテントが張れる所に出るかは不明です。でも、少しでも先に進んでおいたほうがいいだろうと思い、先に進むことにしました。
道は険しいということはないのですが、時間との戦いです。なんとか日が暮れるまでにはテン場を確保したい。30分で小休止を入れて、17:00に海老峠に着きました。その後、5,6個のピークを越えぐんぐんと高度を下げます。遠くに集落が見えるようになりました。17:45に仏坂峠を通過しました。ここまで来れば、もう少しで車道に出ます。しかし、陽も今にも沈みそうです。急いで下りて、18:00に仏坂トンネルに着きました。広くなっていて、ベンチもあります。今夜のテン場はここにすることにしました。
●9月21日(土曜日)
6:00に目が覚めました。もうすでに、何台かの車が行き来しています。食事の用意をしていると、どこからか一羽の鶏(チャボ?)がやって来ました。人に慣れているのか、近づいてきて逃げようとしません。しかし、食糧を分けてあげるわけにはいかないので、可哀相だけど追いやりました。テントを片づけて、パッキングを済ませ、7:00に出発。歩きながらの朝食にしました。
四谷の案内板には7:20着。ここから鞍掛山まで約2時間の表示です。地図のコースタイムと大きな隔たりがあります。まぁ歩くしかない、ということで、右に進路を取り進みました。木々の間から棚田が見えます。水産試験場の跡地の横を通り、民家の庭の下を行ったところで、山道が始まりました。すぐに水場があったので、水を補給しておきました。
7:50にかしやげ峠着。小休止にしました。この峠は、かつて武田信玄が病に倒れて甲斐の国へ帰るときに通ったという謂われがあるということです。
急な登りを歩き、少し平らになったと思った所にベンチがありました。ここに、「東京まで392キロ」という表示がありました。ということは全行程踏破まであと1000キロ残っているということです。まだまだ先は長いなぁと思いながら、歩き始めました。また道は急になり、8:35に次のベンチで小休止。ふと気づくと小杭の表示が「鳳」から「設」に代わっていました。設楽町に入ったということなのでしょう。落石注意区間を通り過ぎ、少し行くとすぐに見晴らしの良い所に出ました。9:05、ここでまた小休止。どこからかマーチが聞こえてきます。麓のどこかで運動会が行われているのでしょうか。
9:25、鞍掛山に到着。山頂は林の中で、あまり見晴らしが良くありません。休憩所の横から下りに入ります。急な木段が続くのですが、反対側からきてこれを登るのはつらいなぁという程の勾配です。
下りきった所がびわくぼ峠で、10:00にベンチで小休止を取りました。後ろからハイカーが追いついてきました。でも、少し離れた所で休んでいます。むこうは空身だし、すぐに追い抜かれるだろうと思って歩き始めたのですが、いっこうに追いついてきません。どうやら峠から集落へ抜ける道に進路をとったようです。障子岩を通ったときにカモシカが目の前を駆け下りていきました。ものすごいスピードで落っこちたのではないかと目を疑ったほどです。10:25にピークで小休止。そのあと、3つ目のピークの途中で岩の上を通りました。3つ目のピークに10:45着、小休止。11:00に御殿岩を通過しました。その後、すごい急な階段を下り、すごい急な岩場を下りました。絶対、反対から来る人って大変そうっていう道でした。下りながら、右側に変わった形の山(明神山という山らしいです)が見えました。11:35に荒尾の集落への分岐まで下りて小休止を取りました。
そろそろお昼にしようかなぁ、でも岩古谷山までがんばろうかなぁと考えながら歩いていると、ニホンザルを数匹目撃しました。「猿だ!」と思って、「さる〜、さる〜」と呼んでみますが、警戒しているのかこちらへは来ません。かといってエサを与えるわけにはいかないので、離れた所から見ていました。すぐに開けた所に出ました。鉄塔があるのです。12:05にその鉄塔を通過するとき、そこでハイカーがお弁当を広げていました。和市から入って岩谷古山を通って来た、ここからUターンして帰るということをうかがいました。この方も猿を目撃していたようで、「この辺はサルが多いねぇ」と言っていました。12:25にピークにベンチを見つけて休憩にしました。岩谷古山の方から人の声がしてきます。ここからは1本で山頂まで行けそうだったので、アルファ米にお湯を入れて昼食の準備をしてザックにくくりつけました。これで、山頂に到着と同時にお昼にすることが出来ます。
途中でハイカーのおじさんが追いついてきました。おじさんと少し話をしながら歩きましたが、すぐに追い抜いて前を行ってもらいました。岩場を通ると、立派な鉄製の階段が出てきました。階段は岩を巻くように宙を通っていて、この階段が無かった頃はどうやって通ったのだろうと疑問に感じました。それと同時にこんな山の中にこんなすごい階段を作るなんて、スゴイ。スゴすぎます。階段を上っていると、岩場に以前使っていたであろう直登に近い鉄梯子が見えました。階段が出来る前はこの梯子を使っていたんだと思うと、使わずにすんで良かったという思いで一杯になりました。
13:15に岩古谷山頂に着きました。遠くの方は霞んでしまっていますが、なんともいい眺めです。先ほどのハイカーのおじさんと山頂でしばらくおしゃべりを楽しみました。そのあと、ベンチのある方へ移動し、お昼御飯。ベンチには、若い4人グループもいて、ビールで乾杯していました。案内板の軒の下に書き込み帳を見つけ、記入をしました。
さて、ここでこの先の行程を検討しました。このままルート通りに進むと、今日は田口止まりということになりそうです。しかしこの先のことを考えると、できることなら段戸湖まで行っておきたい。いっそのこと今回の旅を田口で切り上げてしまおうか。しかし、すでに買ってある帰りの切符は明後日にならないと使えない。今日田口止まりで、明日から行ける所まで行ったとしてアクセスが不便な所で時間切れになってしまうと、次回もアクセスで苦労することになります。しばらく、どうしようかと悩んでいました。しばし悩んだ結果、今回の旅程のゴール予定地である“三河広瀬駅”の変更はしない、旅程期間も明後日までで変更はしない、ということから不本意ながらここからコースを外れて田口へ向かい、今日のうちになるべく段戸湖の近くまで行くことにしました。
13:40に山頂を後にして、和市へ向けて下山を始めました。鎖場があるちょっと恐い急な下りを過ぎ、コンクリートの階段を膝をかばってゆっくりと下りました。涸れてしまっている男滝・女滝を過ぎ、しばらく歩くと14:15に車道に出ました。バス停があったので確認すると、平日に数本の便数しかなく、休日は1本もありませんでした。ハイキングコースとして勧められているのに、こんなにバスの本数がないのではなかなか利用する人もいないのではないかな…と思いました。
和市の外れで先に下りていたハイカーのおじさんに再会しました。おじさんはここまで車で来て、ハイキングをしたようです。すぐそばに堤石峠から下りてきて鹿島山へ登っていくコースがありました。山を見上げると岩古谷山程の高度があります。14:35に荒尾口のバス停で鳳来寺を出て以来の自販機を見つけたので小休止を取りました。てくてくと車道を歩いていると、車が横付けして止まりました。中から、さっきのハイカーのおじさんが途中まで乗せて行ってくれると言います。普段ならお断りするのですが、今回ばかりは先を急ぎたいために甘えさせていただくことにしました。14:50に車中の人となり、10分後には田口に着いてしまいました。文明の力、恐るべしです。
設楽町役場の前で下ろしてもらい、お礼を言っておじさんとお別れしました。スーパーでトマトと蜜柑とスポーツドリンクを買いました。水の補給もしたかったのですが、町中ではなかなか勝手に使える水道はありません。役場の入口に蛇口を見つけたので、使わせてもらおうと近づくと中からお姉さんが出てきました。「ここの水は飲んでも大丈夫ですか」と尋くと、「大丈夫だと思いますけど… どうぞ中の水道を使ってください」と案内してくださいました。
15:15に役場を出発し、コースに戻るべく福田寺を探しました。福田寺には武田信玄の亡骸を埋葬したという言い伝えがあるそうです。お寺でトイレを済ませて、コースに戻りました。山門をくぐり、町の方へ少し戻ります。道標に従って進むと石畳を歩く道になりました。散歩していたおじいさん二人とすれ違いました。車道に戻りコースを進むと、松戸橋の先で“工事中・車両通行禁止”の表示が出ていました。車両ではないから平気だろうと先へ進みました。川の右岸をさかのぼるように舗装道を歩きます。クリーンセンターを過ぎ、16:00にベンチのある所から道は分かれて林の中を進みました。しばらく非舗装道を行くと、突然のように林を抜けました。道の両脇にあまり高くはない石垣が続いています。これが田口森林鉄道の廃線跡でしょうか?
16:30に大名倉の集落に着きました。集落の中は舗装道を歩きます。トイレと案内板がありました。小休止を取ります。ここから道はまた細い非舗装道になりました。まっすぐで平らな道が続きます。苔も蒸していていい感じの道です。時々両脇に石垣があります。それにしても、こんな細い道なんだから、ここは廃線跡じゃあないんだろうなと思いながら進んでいくと、駅の跡地だったという所に田口森林鉄道の案内板がありました。かつて、ガソリン機関車が田口から宇連の先まで走っていたということです。ここから木段で少し高度を上げてから、また平らな道になります。寒狭川に沿って上流へ進みます。途中で2ヶ所、軌道の橋の跡もありました。17:00にベンチを見つけ、小休止を取りました。そろそろ日も暮れるので今晩の寝床を決めないといけません。でも、平らとはいえ山道でテントを張るのは避けたいものです。対岸には舗装道が走っていて、集落もすべてあちら側にあるので、どこかで対岸に渡って寝床を探そうと思いました。
17:15に「清流公園・吊り橋」への分岐がありました。ルートを外れて清流公園へ向かいました。清流公園へ着いたところ、駐車場はあるのですがテント場はありませんでした。それならと、宇連に向かってそのまま舗装道を歩いていきました。18:00に宇連の集落を過ぎましたがテントを張るのにいい場所が見つかりません。そろそろ暗くなりかけてきました。河原に狭い砂地を見つけたので、そこにテントを張って休むことにしました。
●9月22日(日曜日)
5:30に目が覚めました。寒狭川の水で顔を洗いました。水が冷たくて、とても気持ち良かったです。朝食を済ませて、6:40に出発しました。
集落には対岸へ渡る橋がひとつあります。しかし地図を見ると、この先でこちら岸に渡ってから裏谷見本林へ入るようになっています。そこで、このまま左岸の舗装道を歩いていくことにしました。対岸にコースが見えます。どのあたりで合流するのだろうと思いながら歩いていきました。ふと気づくと、対岸のコースが見えなくなっています。でも、地図ではこちら岸に合流するように描いてあるのだからと歩き続けました。時々電柱に「きららの里まであと*キロ」という看板が付いていました。道はつづら折りになって登っていきます。何やらおかしいということに気づきました。どうやら道を誤ったようです。地図に描かれているのが間違っていて、宇連の集落にあった橋が向こう岸に渡る最後のチャンスだったようです。何ということでしょう。遅くても10:00には段戸湖へ着いていないとその後の行程が狂ってしまいます。このまま行くか、かなり来てしまったけれど宇連の集落に戻るか悩みました。今回の旅はスタート前からつまずくことが多く‘嫌な予感’がしていたのですが、昨日のことだけではなくこのことをも暗示していたのでしょうか。
結局、行ける所までこのまま行ってみようと腹を括りました。時折、車が行き来しているのでどうやらこの先行き止まりというわけではなさそうです。寒狭川をどんどんさかのぼって行きます。本コースはどのあたりを通っているのだろうかと対岸の山々を見つめました。どこからかの林道と合流しました。登りはここまでのようです。高い木のない高原地帯を歩きました。丸まる木を伐採されてしまった山も近くに見えました。どうやらここから下りになるようです。ツーリングのバイクが下から上ってきました。ひたすら下ると、8:40に歩道と合流することが出来ました。そこから5分ほどで豊川市野外センターの「きららの里」に着きました。自販機を見つけ、小休止を取りました。
山道に入って10分程で、段戸湖に着きました。湖とはいうものの、そんなに大きくはありませんでした。多くの釣り人が糸を垂らせていました。湖の南側を歩いていくと、休憩所がありました。周りは広い空き地になっていて、キャンプ場になっているようです。9:10に登山口に着き、山道に入りました。
途中、段戸湖からの林道と交差しました。林道の方が近道になっているようでした。ここで、林道からきた若い5人組(男性3人・女性2人)のハイカーに出会いました。その後ろにくっついて歩かせてもらうことにしました。五六橋を過ぎた所に水場があったので、補給しておきました。道はなだらかで、とても歩きやすい道でした。10:15にベンチで休憩しました。そこから、先に行くことにしてグループと別れました。「山頂まであと1'10」という表示板を過ぎてすぐに水場がありました。その後も、3つ木の橋の架かっている一番手前の橋の所にも水場がありました。10:45にベンチを見つけたので小休止を取りました。見晴らしがとてもいい所でした。ここから、今までのなだらかな道から一転して急な登攀になりました。ずっと木段が続いています。息も絶え絶えに、やっとの思いで富士見峠にたどり着きました。11:10、あと10分で山頂との表示がありましたが、小休止にしました。峠にはトイレがありました。グループの人たちも登ってきました。ここからもう一回登って山頂ということです。また、グループの後ろにくっついて歩きました。
11:25、ついに寧比曽山頂に着きました。ここから自然歩道は犬山まで北コースと西コースに分岐します。山頂は広く、休憩所のほかに見晴らしの良いベンチがありました。休憩所で書き込み帳にひとことを書いて、ベンチの方で昼食の支度にかかりました。グループの人たちもお弁当を広げています。ここは、人気のあるハイキングコースらしく、すでに何組かの人たちがいました。昼食を食べている間にも何組かの人たちがやって来ます。グループの人たちは、伊勢神峠へ下りる予定だったそうなのですが、順調に来たので筈ヶ岳に寄ってくると先に出発していきました。
12:10、山頂を出発して西コースへ向かいます。12:35に林道へ出た所で小休止を取りました。反対側の山道から、おじさんの3人組がやって来ました。山道に入ると「防火線・筈ヶ岳北線」という表示がありました。また、林道に出ましたがすぐに山道に入ります。ここから、きつい登りになりました。13:05に筈ヶ岳の入口に着きました。筈ヶ岳は愛知県の百名山にもなっているということなので、空身で登ってみることにしました。ススキが伸びていて、ヤブ漕ぎならぬススキ漕ぎとなりました。すぐに先に行った5人グループとすれ違いました。山頂はすぐだとのこと。ホントに5分で着いてしまいました。
筈ヶ岳の山頂からは回りの木やススキで展望は望めませんでした。13:15に入口に戻り出発しました。ここからは「防火線・筈ヶ岳南線」を歩きます。ぐんぐん下りていくとベンチで昼食を摂っているご夫婦と会いました。非舗装の林道に出ました。標識にしたがって林道を歩きましたが道は登りです。山に戻っているのでは…と不安になりました。しばらく行くと標識が表れ、道も下りになったので安心しました。13:40に、林道から山道への分岐点で小休止を取りました。ここには「金蔵連峠まで40分」の標識がありました。その時、上の方からタイヤの音が聞こえてきました。車が来るのだろうと思っていたら、やって来たのは男の人と女の人の2人連れのマウンテンバイクでした。自転車を止めて、地図を眺めながら休憩しています。山道を歩き始めると、しばらくしてさっきの2人が追い抜いていきました。どこかで追い抜けるかなとも思いましたが、考えてみると平地と下りは自転車の方が数段速く、登りでの歩く速さはほぼ同じなので追いつけるわけのないことに気づきました。
非舗装の林道に出ました。そこから一つピークを超えるとガヤガヤ人の声が聞こえてきて、舗装林道との交差点に出ました。10人ぐらいのグループがいました。ここが金蔵連峠で、14:15に着きました。小休止を取ります。このあたりには武田信玄の隠し金山があり、それが地名の由来になっているとの案内板がありました。でも、本当に隠し金山だったら地名にもそのことがわかってしまう痕跡は残さないんじゃないかなぁとふと思いました。
その後、山道は何度か非舗装の林道と接触しては山道になるという具合で進んでいきました。やがて林道は右に分かれ、歩道は左に分かれました。平坦だった道がやがて登り道になりました。ピークが綾渡との中間地点でした。‘綾渡まであと40分’の標識を過ぎた所にベンチがあったので15:40に小休止を取りました。歩き始めるとすぐにガードレールのようなものが見えてきました。里に出るには早過ぎます。何だろうと思っていくと、信じられない光景が目に入りました。舗装道と交差しているのですが、一度舗装道のある谷まで下りて、また同じ高さまで登っているのです。何ということでしょう。ここに吊り橋でも架けてもらえるのならば、費用はいくらでも惜しまずに出したい気分になりました。下まで下りて、登りにかかったときに思わず「オニ!!」と呟いてしまいました。
15:45に山道を抜けて田圃の広がっている所に出ました。道標にしたがって舗装道を左の方へ針路を取ります。田圃の刈り入れを待つ稲穂がとてもキレイでした。
16:00に綾渡へ着きました。集落に入ると道が非舗装道に変わりました。かやぶきの民家も残っていて、いい雰囲気です。聖徳太子が開祖という平勝寺の正面にあったベンチで小休止。綾渡の案内があり、この辺りには石仏の多いことが書かれていました。
歩き始めるとコースは左側へと登るのですが‘工事中’の表示がありました。そのまま突っ切るとすぐに下りになり、先に十字路が見えました。この区間にも石仏がいくつかありました。十字路に出ると、100円ジュースの自販機があったので買おうとするとお札の使えないものでした。財布の中にはたまたま硬貨が入っていなかったので、買えずに悔しい思いをしました。この十字路、そのまままっすぐ行くのかと思ったら、角に倒れたままの道標があり、左の方を指していました。先の方をよく見ると、確かに標識が立っているのが見えました。こんな所で迷子にはなりたくないので、道標にしたがって歩いていきます。山道に入る所で民家の犬に吠えられました。山道に入るとクモの巣がいっぱいありました。きっとほとんど人は通っていないのでしょう。ピークを越えて下りると車道に出ました。さっきの十字路を直進するとどうやらここにたどり着くようです。車道を歩くうちに足が痛くなってきました。山道を歩けばクモの巣が多いと文句をいい、車道を歩けば足が痛いとケチをつける。なかなかわがままな<<私>>です。
舗装道をずっと歩き続けました。山ヶ谷にバスの待合所があって野宿もできるという情報を得ていたのですが、着いてみるとバスの停留所はなくゴミの集積所がありました。いくら<<私>>でもここで野宿する勇気はありません。先へ進むことにしました。17:00に山ヶ谷の里で小休止。途中道が分かれて左の少し寂しい方の道へ進みます。だんだんとすごい急な下り道になりました。車でこの道を登るのは大変ではないかというぐらい、急な坂です。有洞の集落を過ぎてなお、下りが続きました。安実京まであと10分の表示のある所から山道に入りました。
走るように駆け下りると、17:35に安実京(あじきょう)に着きました。橋のたもとにお店のような所がありましたが、遊漁証を扱っているだけで商品はありませんでした。前の自販機でジュースを買って一息つきます。あるといわれていたバス停も公衆電話もなくなっていました。テントを張れる場所を探しました。なかなかいい所が見つからず、しかたなく発電所の前の空き地に張ることにしました。たまたま目の前の民家の方がいらっしゃったのでお断りをして、テントを張りました。
●9月23日(月曜日)
5:30に目が覚めました。身支度を済ませて6:15に出発しました。もうこの時間から、車道にはツーリングらしき車が走っていました。橋を渡って、巴川の左岸に出ました。ここからずっと川べりに下っていきます。舗装道は遊歩道のように車も通らず、時折散歩やジョギングをしている人を見かけました。
一時間も歩かないうち川見茶屋にという所に着き、きれいなトイレに入りました。ここは、足助村という宿泊施設の一部だということが少し後にわかりました。ここには、自販機や五平餅を売っている売店などもありました。コースはこのまま左岸を行くのですが、案内図を見ると右岸を行った方が面白そうだったので、香嵐橋という吊り橋を対岸に渡りました。
7:00に香積寺に着きました。本堂の中ではご住職がお勤めの最中でした。昔の住職さんが巴川に沿ってモミジを植えて紅葉の名所となって香嵐渓という地名になったそうです。
続いて、川の方へ下りて足助屋敷という観光施設へ行きました。昔の家並みを移した施設なのですが、入館時間になっていなかったので中は見ることができませんでした。待月橋を渡って左岸に戻りました。まっすぐ歩いていくと国道に出ました。近くにコンビニがあったので立ち寄りました。お店の中には、部活でもあるのか中学生らしい子がいました。こちらは、数日おふろにも入れていないのでちょっと恥ずかしかったです。朝食と、お昼用のお弁当を買いました。足助八幡宮をビジターセンターの方へ歩きコースに戻りました。7:30にビジターセンターで朝食にしました。
7:50に出発し、広い駐車場の裏手を歩きました。しばらく行くと車道に戻りました。高校生らしい人と数人すれ違いました。巴川に沿って足助高校、足助病院、足助警察署、岩神の湯(岩風呂・温水プールなどのある施設)と過ぎていきます。太陽が照りつけて暑いぐらいです。途中見つけた保育園は北海道の美馬牛小学校のようにおしゃれな園舎でした。なんか、足助の町って映画の舞台になりそうな町だなぁと思いながら歩いて行きました。
8:15、小原橋で「この先工事・通行止め」の標識があり、東海自然歩道の歩行者も迂回するよう注意書きがありました。こうまで書かれていてはさすがに無視するわけにもいきません。橋を渡り、右岸に渡りました。追分の五差路を過ぎて、白鷺橋を渡り左岸に戻りました。そこが白鷺温泉の入口で、工事区間はここまででした。工事は10月31日までという表示がありました。ちょうど8:30だったので小休止にしました。
舗装道を歩いて行くと川に向かって右の方へ山道のコースが分かれていました。田圃の中に出たのですがまっすぐ行くのか、川の方へ出るのかコースがわかりません。対岸には国道が走っていて、あちらに渡るのかもしれないと思いました。標識を探してまっすぐ行ってみたら、少し行った所に標識を見つけました。竹林の中を進み、やがて広葉樹林の中を進むようになりました。舗装道に出るとそこから急な下り道になりました。大国橋に9:25に着き、小休止にしました。
橋を渡って対岸に出ると、そこが大島の集落でした。売店の脇を集落の中に入りました。住宅街の中を歩きます。この辺りは標識が無く迷いやすいという情報を得ていたので注意深く進みました。そのまま進んでしまうと巴川に戻ってしまいそうです。林さんと田村さんのお宅の間の道を行くとすぐに壁にぶつかります。右はうっそうとした道で、左はコンクリートの登り坂になっています。コースは左側の道でした。登り切ると正面に田圃が見えました。すぐに下りになり、下り切った所に右折するよう道標がありました。八坂神社を右横に見ながら坂道を上っていきます。
峠の入口で、道標が見方によっては民家の中を進むように指している様に見えるのですが、民家の脇を通って裏手に出ました。畑を抜けると山道になりました。沢のある所で道が二手に分かれていました。ここは左に進むと聞いていたので、そうしました。右の登りは、どうやら中部電力の作業道のようでした。少しきつい登りでしたが、難なく登り切りました。10:10、元山中峠に到着です。ベンチで小休止にしました。峠を渡る風がとても気持ち良かったです。さて、下りは気を付けて行かないといけません。なぜなら、この峠の下りで、東海自然歩道を完踏したシェルパ斉藤さんが足を滑らせて骨折しているのです。平坦になった頃、足元が少し悪くなっていて、足を捻りそうになりました。シェルパさんの事故はもしかするとこの辺りだったのかも知れません。
山中の集落に出ました。途中、右手の山道にコースが分かれているのですが、迂回するよう指示が出ていました。しかし、迂回のための標識は見当たりません。次の角を右折して少し行くとコースに合流することが出来ました。ここから山道に入りました。初めのうちは急な登りで、すれ違ったおばあさんに「エライねぇ」と声をかけられました。最初、誉められたのかなと思ったのですが、少し考えて「大変だねぇ」の意味だということに気がつきました。
少し行くとハイキングに適した平坦な道になりました。10:55に広くなっている所にたくさんベンチがあったので小休止にしました。歩き始めると右にゴルフ場、左に霊園が見えてきました。霊園の縁を歩くように左に回って、11:15に霊園の入口に出て車道に着きました。休憩舎がありました。山道に入り、下っていくと5分で下に着き、車道に出ました。
右の方に千鳥寺が見えたので、寄ってみることにしました。トイレもありました。ここから車道を歩いて行きました。霊園へ行くのか、車が頻繁にすれ違いました。道を下り、他の車道とぶつかった所から、コースは山道に入りました。初めは竹林だったのが、やがて森に変わっていました。けっこう見晴らしのいい所まで高度を上げました。こんな所に本当に牧場があるのかと不安になりました。12:00にベンチを見つけたので小休止にしました。
下って行くと砂利道になりました。ここが勘八牧場の入口でした。この牧場は豊田市営の牧場で、肉牛と乳牛を中心に飼育しているということです。乳牛の一団を見つけたので、ホーミーを試みてみたのですが、全く反応がありませんでした。牧場の中を歩いて行くと、ベンチでお昼にしている親子連れがいました。牛を見たからか、急に牛乳が飲みたくなってきました。直売所のようなものが無いか探したのですが、そういう施設はありませんでした。
牧場を出ると舗装の下り道になりました。すぐにきれいなトイレがありました。道を下って行くと、道標は車道を外れた駐車場の方向を指していました。従って歩いて行くと、畑に出ました。見晴らしが良くて、遠くの方に橋のようなものも見えました。(帰りの電車で、ここから見えていた光景は豊田市内のものだったということがわかりました。)細くて急な下り坂がありますが、標識がありません。自信がないので、一度分岐まで戻って標識の向きを確認しに行きました。ハイカーが牧場の方から下りてきたので尋ねてみました。しかし、「初めての道なのでよくわからない」とのこと。ハイカーは「標識に従って行ってみる」と先へ進んでいきました。少しすると、「おーぃ」と呼ぶ声がします。ハイカーが「こっちの道でいいんだ」と教えるために戻ってきてくれたのです。なんて親切な人でしょう。コースは、細くて急な下り道で良かったようです。下って行くとヤギがつながれていました。すぐに舗装道になりました。やがて車道に出ました。道なりに進みました。
急な下りを行くと、下から自転車を押してくる中学生ぐらいの男の子がいました。すれ違うときに「こんにちは」と挨拶をしてきました。自転車を押して歩いていて大変だろうに挨拶をしてくれるなんて、と嬉しくなりました。坂を下り切って少しで勘八渓に着きました。13:00になっていたので、道の端でお弁当にしました。その時、どこからか声が聞こえてきました。何だろうと耳を澄ませると「キャッチ、スロー、キャッチ、スロー」と聞こえます。え? ボート!? と思い川を見ました。
勘八渓はほとんど水の流れがなく、細長い湖のようになっています。そこで何艘かのボートが練習をしていました。映画『がんばっていきまっしょい』を彷彿とさせる光景が広がっていました。見ているだけで、感動してしまいました。しばらく、ボートの行き来する光景に見とれていました。
13:30に名残惜しさを感じながら、歩き始めました。集落を歩きながら、“オギヨディオラ”(映画『がんば…』のメインテーマ)を口ずさんでいました。足助の町並みと勘八渓のボートを結び付ければ、いい映画が撮れそうです。
グリーンロードの上を通るとすぐに自販機がありました。この辺りから民家が少なくなりました。下り道になりました。広瀬の町が近いのでしょうか。山道に入りましたが、道は下りでした。田圃に出て、あぜ道を歩き、しばらくで舗装道に出ました。指示にしたがって、住宅地の中を進みました。途中、車道に出たところで、道標は右を指しているのですが、左前方に「広瀬城跡」の標識が見える所がありました。どうやら道標が外れた時に間違えて直してしまったようでした。
山道を登って、広瀬城跡に着きました。城跡には広瀬神社が建っていました。元あった広瀬城は松平元康(後の徳川家康)によって落城したという案内板がありました。今回の旅の始まりの鳳来寺は家康誕生を祈願した寺で、終わりの広瀬神社は家康が落とした城跡にあるということに一興を感じました。
神社から石段を下りると、その目の前が三河広瀬駅でした。
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