北ノ俣岳(飛越新道から往復)

- GPS
- --:--
- 距離
- 30.6km
- 登り
- 2,462m
- 下り
- 2,447m
コースタイム
4/29 避難小屋6:00――8:40北ノ俣岳山頂12:00――12:50避難小屋
4/30 避難小屋4:27――6:25北ノ俣岳山頂6:40――7:45避難小屋8:15――9:50 1842m峰 10:05――11:10飛越トンネル11:18――12:15和佐府地区
| 天候 | 4月28日 雨のち雪、夕方から夜は晴れ 4月29日 早朝晴れ、朝からガスのち雪、夕方から晴れ 4月30日 朝高曇り、稜線風強く、午後から雨一時雷。 |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2011年04月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
| コース状況/ 危険箇所等 |
高山から登山口へは、国道158号線から丹生川村を抜けて県道(?)89号線、旧上宝村、双六谷、山吹峠を経由する最短コースをとった。時間的にはおそらく最短ルートだったが、県道89号線は冬季通行止めがまだ解除になっておらず、通れはしたが、落ち葉の散り敷いた一車線の道、危うげな砂利道などがあった。天気が悪いときは、古川から神岡を経由して双六谷に入ったほうがよい。 神岡町山之村から飛越トンネルまでの「大規模林道」はこの時期まだ雪に閉ざされており、トンネル入り口まで通行可能になるのは5月下旬以降と思われる。林道入り口に簡単なゲートはあるが、避けて通ればゲートから1-2劼論茲泙覇れた。飛越トンネルには登山ポストがある。夏道は登山ポストのところからトンネル左手へと取り付くが、積雪期にはトンネル右の小沢を隔てた尾根に直接取り付き、途中でトンネルからの尾根に合流して距離を縮める人が多いようで、私もそのようにした。 飛越トンネルから先は、私が入山した4月28日には全くトレースがなかったが、翌29日および30日には多くの人が入山し、林道にも車が20台ほど停まっていた。 北ノ俣岳頂上まで、特に問題となる危険個所はなかったが、4月28日は新たに積もった新雪があり、登りには時間を要した。特に1842m峰から寺地山への登りは、緩やかながら距離があるため、降雪後の登りには手間取った。私はワカンを使ったが、翌日以降入ってきた他の入山者はスキーを履いている人が多かった。 飛越新道からのルートは、傾斜がゆるく距離がある分だけ、新雪があると通過に時間がかかる場合があるようで、2009年―10年の年末年始には、「足を踏み出すと頭まで潜る」降雪で身動きが取れなくなったパーティーが富山県警に救助されている。(http://www.big.or.jp/~arimochi/info.01.01.10.01.html)私の行った後、2011年の5月12日にも、寺地山付近で男性が救助される事案が発生している(http://www2.knb.ne.jp/news/20110512_28075.htm)。注意するに越したことはない。しかし、私の訪れた2週間後の記録では山の様相はガラッと変わり、初夏の山に近くなっている(http://yama-kioku.blog.so-net.ne.jp/2011-05-15)。季節の移り変わりは早いものである。 北ノ俣岳避難小屋は、寺地山から一旦鞍部におりて小さな登りを2,3度繰り返し、北ノ俣岳に向けて大登りが始まる手前、樹林帯が尽きる直前の場所の平坦地にある。最大で16人が泊まったことがあるとの話を聞いたが、それは非常の場合で、快適に泊まれるのは6人くらいが限度だろう。多くのパーティーは小屋の周りでテントを張っていた。ゴールデンウィークに入る2,3人以上のパーティーは、テントを持って行ったほうがよい。 私が着いたときは小屋の表口、裏口ともに雪で埋まっていたが、裏口の雪はわずかだったので、スコップで取りのけて扉を開けた(表側には実は高い場所に冬期入口があったが気づかなかった)。この避難小屋は冬場でも使える水場が特徴だが、4月28日には水場は深い雪に埋まっており、使えなかった。翌日避難小屋の常連さんが到着して水場を掘り出したので水が使えるようになった。トイレはこの水場から流れる水を利用した「水洗」式になっている。 小屋から北ノ俣岳へは広い尾根で、下るときにガスに巻かれると迷う危険性がある。北ノ俣岳頂上まで、アイゼンやピッケルは一切不要であった。 山之村や、最も近い町である神岡の中心部には日帰り温泉が見当たらなかった。神岡から国道41号線を古川方面に向かう途中にあった流葉温泉に入浴した。 |
写真
感想
今年のゴールデンウィークの計画は欲張り気味で、飛越新道から入山して1日目北ノ俣岳避難小屋に宿泊、2日目には黒部五郎岳を往復して太郎平小屋泊、3日目早朝に薬師岳を往復してその日のうちに下山というものだった。
実際には、今年の春山は雪も多く気温も低く、天候が思ったように好転せず、北ノ俣岳避難小屋に2泊して、黒部五郎にも薬師にも登らず帰ってきた。北アルプスで相次いだ遭難については降りてきてから知った。
4月28日に入山したが、ゴールデンウィークが始まる前の入山で、1日間はたった一人の山を満喫した。ただし、林道歩きではかなり強い雨に降られ、くたびれたパーカでは雨を防ぎきれなかった。トンネルから上へ登るとこれが吹雪となり、体温を奪われたが、当然下着は着替えていたので大丈夫だった。荷物もやたらと重く、(25坩)バテたため、北ノ俣岳避難小屋に到着したのは日没近くの18時20分だった。
もともとの予報では、4月29日から30日にかけては好天が期待できそうだったし、少なくとも地表天気図のようすは悪くなかった、。実際この両日には下界(高山や富山)の天候は悪くなかったようだ。だから多くの登山者が、好天を期待して北アルプスに入ったのだろう。私もそうだったが、山の天候は思うように回復しなかった。
29日は早朝こそ快晴だったものの、北ノ俣岳の頂上につくころにはガスが出て、おまけに風があり、ちょっと目出帽がほしいほど寒かった。黒部五郎を往復するのは無理と判断し、展望を期待して、頂上でツェルトをかぶり、3時間以上も待機したが、天候は一向に回復せず、風も次第に強まってきた。やむを得ず小屋へ戻ったが、途中ガスに巻かれ、磁石で慎重に方向を見定めながら下った。午後は雪になり、夕方ようやく晴れた。この日の小屋宿泊者は私と3人パーティーと2人パーティー、合計6人だった。
30日は天候がよくなるかと思ったが、朝から高曇りだった。早朝の頂上からは槍ヶ岳や水晶岳、笠ヶ岳、御嶽などが見えた。しかし風は早朝から前日以上に強く、風速にして15m位だった。寒いのでパーカの内側にフリースを着ようとしたが、風が強すぎてなかなか思うに任せなかった。フリースは着込んだものの、調子が良ければ、と考えていた黒部五郎への往復をあっさり断念してスタコラと下ってきた。
昼過ぎに車に戻り、走り出してしばらくで雨が降り出し、午後1時前には本格的な雨となって雷も鳴った。運がよかったというべきだろう。稜線の状況が厳しかったので、遭難の話を聞いた際にも驚きはしなかった。
今回の山行での反省点は、食料と衣服がむやみと多く、荷物が重くなりすぎたこと。学んだ点は、天候の難しさと風の恐ろしさだった。地上天気図だけでは山の天気は予測がつかない。高層天気図も事前には多少見ていた(http://www.hbc.co.jp/pro-weather/)が、理解するのに十分な知識がなく、また山に入ってからは高層天気の情報は入ってこない。地上の天気も、ラジオで天気予報を聞くのがせいぜいで、午後10時の気象通報も寝ていて聞けず、山中で天気図はつけられなかった。
防寒着をもっていても、風が強いと着替えは自由にならない。最初から着込んで出発するわけにもいかないが、稜線の風を見込んで稜線に出る前に着替える、といった対策をしてもよかった。
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