15回目の富士山【体力の衰えを痛感】
- GPS
- --:--
- 距離
- 10.5km
- 登り
- 1,467m
- 下り
- 1,464m
コースタイム
- 山行
- 9:58
- 休憩
- 1:32
- 合計
- 11:30
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
翌日10日からスカイラインの登山区間はマイカー規制され、水ヶ塚公園駐車場でシャトルバス(またはタクシー)に乗り換えとなる。 駐車場料金+バス(またはタクシー)料金+富士山保全協力金の支払いが発生する。 |
予約できる山小屋 |
八合目池田館
|
写真
感想
富士山に初めて登ったのは1989年8月20日(日)だった。
以来、1998年まで毎年7月か8月に10年続けて登った。
毎年、程度の差こそあるが高度障害に悩まされ、「もう今年限りでやめよう」と思いながらも、一年経てば富士山に惹かれるように登山口へ向かっていた。
まだ本格的な登山には”開眼”していない頃で、毎年登るのは富士山と両神山だけ。
当時、両神山の白井差は今のような入山制限はなく、梵天尾根へ周回しても午前中には帰宅できるほどの便利さだった。
1997年、日本百名山踏破を目指して全国の山々へ足を運ぶようになり、‛99年から2008年までの10年間は富士山から遠ざかっていた。
‛09年からは、毎年登り続けるのがしんどくなり、隔年で奇数の年に登っている。
再開した‛09年が11回目で、今年は15回目だった。
15回の多くが真夜中に自宅を出てのご来迎目的で、四つの主な登山口のほか、滝沢林道ゲートからのピストンや、上りの標高差3000mに拘って富士急・下吉田駅からスタートしたこともあった(下りはスバルライン五合目からバス&電車)。
毎回の記録は大学ノートに文字として残してあり、記憶ではすっかり忘れているが、記録を読み返せば『ああ、そうだったのか!』と思うこともある。
例えば、富士山頂上からの眺望が素晴らしかったという記憶はない。
富士山は、他の山へ登ってそこから富士山が見えれば喜びを感じる、いわゆる日本人の心の原点の山であって、眼下に広がる山岳景観を期待して登る山ではないと思う。
天皇が日本国民統合の象徴であるように、富士山は美しい日本の国の象徴である。
展望が良かったことは覚えていないが、御殿場口(※)から行った2009年7月20日の記録には、展望台(今はない)から『南ア、中ア、北アがよく見え、中アの後ろに御嶽山、ずっと左に恵那山、北アの右端に妙高方面の山々、浅間山の右に志賀高原の山々、更にずっと右には谷川連峰、日光連山らしい山々も微かに見えた』とある。
惜しむらくは写真が残っていないことだ。
富士山頂上から遠くの山々は雲が掛かって見えないという固定観念があり、当時使っていたキャノンのデジイチは重いので携行していなかった。
(※) 御殿場ルートの標高差は黒戸尾根や早月尾根より大きいが、実際にはそれらとは比較できないほど楽である。
今回と同じ富士宮口から初めて上がったのは‛91年8月だった。
五合目発0時45分で、剣ヶ峰着3時50分。途中の山小屋では全く休憩していない。
今年はスタートしてから2時間ほどはまずまずだったものの、その後は疲労感が激しく、山小屋へ着くたびにたとえ2〜3分でも腰を下ろさずにはいられなかった。
循環器系統の持病で飲んでいる薬の副作用で普段でも体がだるく、更に富士山の場合では必ず高度障害が出る。
前回(一昨年)も富士宮口からだったが、お鉢巡りをして休憩込みでの登山所要時間は7時間25分。今回より4時間も早かったことに愕然とし、詳しく比較してみた。
浅間大社奥宮までは3時間15分で休憩なし(‛91年8月より10分遅いだけ)。
お鉢巡り後、宝永山に寄るために御殿場ルートを下っている。
下りは宝永山頂上に立ちながら2時間35分しか掛かっていない。今回の下りより1時間半ほど早かった。
登山地図(昭文社)で下りの富士宮ルートと、御殿場ルートの途中から宝永山経由で下るルートとを比較すると、後者の方が30分ほど短時間である。
上りも下りも同じ道で、登山者が多いと渋滞する岩場の多い富士宮口ルートより、登山者が多くなく歩き易い宝永山経由の方が、時間的に早く下れるということである。
下りでは膝より腰の方が痛かった。膝はサポーターで固めてあり、一定角度以上は曲がらない。なので、足元をよく見て下らないとつまづき易い。
急な下りの岩場で転倒すると顔面や頭を打ち、軽傷では済まない。
腰をかがめてゆっくりゆっくり下る姿を見て、登山道脇の岩に腰を下ろして休んでいた若い単独行の男性から、「大丈夫ですか?」と気遣われた。
私を追い抜いて下る他の登山者の足取りが軽快に見える。
宝永山荘からの下りでは、登山者ばかりか観光客にも次々と抜かれる。
定年退職を機に生活環境が大きく変わった。
61、2の頃は60の頃と大して違わなかったが64、5になれば60の頃とは大きな違いを感じた。体力(=脚力)の衰えは、何かの持病がある者には年ごとに速まるようだ。
60代後半の今、山道を勇躍闊歩した昔日の情景が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
次回の富士山は行くとしたら再来年だが、もう日帰りでは行けないような気がする。
富士山に限らず、山への情熱だけは生涯灯し続けていたいと願う昨今である。
最後に、富士山愛好家には心に沁みる万葉集の一節を引用します。
天地の 分かれし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を
天の原 振りさけ見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず
白雲も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける
語り継ぎ 言い継ぎ行かむ 富士の高嶺は
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