取付地点に直近の駐車ポイントがよく分からなかったので、"道の駅どまんなかたぬま"からスタート。
3
1/28 6:28
取付地点に直近の駐車ポイントがよく分からなかったので、"道の駅どまんなかたぬま"からスタート。
薄曇りの天候ながら、皇海も奥白根も日光連山もよく見える。
1
1/28 6:36
薄曇りの天候ながら、皇海も奥白根も日光連山もよく見える。
県道16号線(佐野田沼線)を歩いて、取付点を目指す。
今日歩く尾根を同定。
16号線南岸の尾根先まで、とことこ歩く。
1
1/28 6:39
県道16号線(佐野田沼線)を歩いて、取付点を目指す。
今日歩く尾根を同定。
16号線南岸の尾根先まで、とことこ歩く。
尾出山に思いを馳せながら、秋山川を渡る。
3
1/28 6:43
尾出山に思いを馳せながら、秋山川を渡る。
尾根先の堀米八幡宮に到着。
鳥居の先に、厳島神社の小さなお宮がありました。
1
1/28 6:58
尾根先の堀米八幡宮に到着。
鳥居の先に、厳島神社の小さなお宮がありました。
堀米八幡宮(佐野八幡宮)からスタート。
佐野氏が唐沢山城から移った、佐野城(佐野城山公園)の鬼門封じに祀られたのが起こりだという。
2
1/28 6:58
堀米八幡宮(佐野八幡宮)からスタート。
佐野氏が唐沢山城から移った、佐野城(佐野城山公園)の鬼門封じに祀られたのが起こりだという。
慶長19年の佐野氏改易以降は、郷社として存続したようです。
拝殿前の"長屋門のような籠屋"に、尾出山神社のような古格を感じる。
2
1/28 7:01
慶長19年の佐野氏改易以降は、郷社として存続したようです。
拝殿前の"長屋門のような籠屋"に、尾出山神社のような古格を感じる。
この場所の性格がよく表れている。
2
1/28 7:03
この場所の性格がよく表れている。
奥の院の向こうは、(またしても)配水タンクだった。
フェンス沿いに迂回してみる。
2
1/28 7:04
奥の院の向こうは、(またしても)配水タンクだった。
フェンス沿いに迂回してみる。
そのまま「こどもの国」の敷地際を歩くことになるようだ。
画面奥の林との間には、県道16号線の高々とした切通しが横たわっている。
1
1/28 7:07
そのまま「こどもの国」の敷地際を歩くことになるようだ。
画面奥の林との間には、県道16号線の高々とした切通しが横たわっている。
切通しと公園施設のフェンス間を歩くが、繁茂する木本性つる植物のため直に詰んだ。
申し訳ないが、左のフェンスを越させていただいた。
1
1/28 7:08
切通しと公園施設のフェンス間を歩くが、繁茂する木本性つる植物のため直に詰んだ。
申し訳ないが、左のフェンスを越させていただいた。
フェンス沿いに建つ、関川線26号棟鉄塔。
0
1/28 7:16
フェンス沿いに建つ、関川線26号棟鉄塔。
フェンス沿いを歩いて県道へ。
1
1/28 7:16
フェンス沿いを歩いて県道へ。
県道16号線、対岸の取付。
画面中央の私道を入るとすぐに、尾根に向かう踏跡が始まる。
1
1/28 7:17
県道16号線、対岸の取付。
画面中央の私道を入るとすぐに、尾根に向かう踏跡が始まる。
今歩いてきた尾根側。
かつての尾根筋を懸垂下降してたら、通報されちゃうかなあ…
1
1/28 7:18
今歩いてきた尾根側。
かつての尾根筋を懸垂下降してたら、通報されちゃうかなあ…
ともかく無事、対岸の尾根に乗る。
1
1/28 7:20
ともかく無事、対岸の尾根に乗る。
すぐに作業道が始まった。
ちょっとの間これを歩く。
1
1/28 7:25
すぐに作業道が始まった。
ちょっとの間これを歩く。
稜線に残っていたアカマツ。
嬉しいねえ。
尾根筋を探りながら軽めの藪を直行した。
1
1/28 7:29
稜線に残っていたアカマツ。
嬉しいねえ。
尾根筋を探りながら軽めの藪を直行した。
畑道を歩いて、74P手前の軽車道に出る。
0
1/28 7:32
畑道を歩いて、74P手前の軽車道に出る。
軽車道を横断。
画面左から来て、右に進む。
1
1/28 7:34
軽車道を横断。
画面左から来て、右に進む。
なだらかなピークの中で、74Pはそこだけポコッと飛び出していた。
1
1/28 7:39
なだらかなピークの中で、74Pはそこだけポコッと飛び出していた。
74Pを越えたところで、初めてマーキングらしいものを見かける。
知らずに歩いていたので驚いたのだが、登山道が通っているようだ。
明瞭な踏跡あり。
2
1/28 7:42
74Pを越えたところで、初めてマーキングらしいものを見かける。
知らずに歩いていたので驚いたのだが、登山道が通っているようだ。
明瞭な踏跡あり。
ただし、使われなくなってから時間が経っている感じ。
荒れた個所もある。
唐沢GCの西側を抜けるように道は続いている。
0
1/28 7:50
ただし、使われなくなってから時間が経っている感じ。
荒れた個所もある。
唐沢GCの西側を抜けるように道は続いている。
鞍部で、奈良渕町方面から延びている作業道終点を通過する。
2
1/28 7:54
鞍部で、奈良渕町方面から延びている作業道終点を通過する。
お助けロープまであった。
0
1/28 7:57
お助けロープまであった。
標高100mを過ぎると、視界が開けてくる。
2
1/28 8:00
標高100mを過ぎると、視界が開けてくる。
ベンチの跡あり。
1
1/28 8:04
ベンチの跡あり。
ベンチあたりから三毳山を望む。
画面右端に___
0
1/28 8:05
ベンチあたりから三毳山を望む。
画面右端に___
あ、気球だ。
気球とスカイツリー。
1
1/28 8:02
あ、気球だ。
気球とスカイツリー。
気球たち。
2
1/28 8:05
気球たち。
浅間山へのみち。
1
1/28 8:07
浅間山へのみち。
鳥居と出合う。
浅間山の正規の参道に出合ったらしい。
鳥居の真ん中に八ヶ岳。
3
1/28 8:12
鳥居と出合う。
浅間山の正規の参道に出合ったらしい。
鳥居の真ん中に八ヶ岳。
なんだかもう、すごいとこだった、浅間山は。
2
1/28 8:14
なんだかもう、すごいとこだった、浅間山は。
浅間山頂上に到着。
東屋というより、拝殿っぽい。
1
1/28 8:20
浅間山頂上に到着。
東屋というより、拝殿っぽい。
まずは、この日の筑波山。
2
1/28 8:23
まずは、この日の筑波山。
浅間山山頂からの眺望。
1
1/28 8:32
浅間山山頂からの眺望。
甲武信ヶ岳あたりから、西。
アルプスは、ここからは見えない。
2
1/28 8:22
甲武信ヶ岳あたりから、西。
アルプスは、ここからは見えない。
赤岳・横岳・硫黄岳。
2
1/28 8:21
赤岳・横岳・硫黄岳。
蓼科。
2
1/28 8:21
蓼科。
浅間・榛名・草津白根。
3
1/28 8:27
浅間・榛名・草津白根。
大岩山の左に遠望できる榛名山。
西峰・耳岩と三ッ峰山との間に見える雪山は、四阿山。
一番手前に見える尾根は、3等三角点「樺崎」の稜線。
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1/28 8:26
大岩山の左に遠望できる榛名山。
西峰・耳岩と三ッ峰山との間に見える雪山は、四阿山。
一番手前に見える尾根は、3等三角点「樺崎」の稜線。
浅間山方面を同定。
広々とした風景の中で、浅間山って富士山に似てるなあ、と思った。
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1/28 8:16
浅間山方面を同定。
広々とした風景の中で、浅間山って富士山に似てるなあ、と思った。
手前左が行道山、右が鳩ノ峰。
奥に見える雪山は、尖ったピークが逢ノ峰、その右が白根山地蔵岳。
2
1/28 8:26
手前左が行道山、右が鳩ノ峰。
奥に見える雪山は、尖ったピークが逢ノ峰、その右が白根山地蔵岳。
赤城から奥日光までの眺め。
手前左のピークは、この後向かう3等三角点「大久保」
2
1/28 8:24
赤城から奥日光までの眺め。
手前左のピークは、この後向かう3等三角点「大久保」
袈裟丸と皇海。
1
1/28 8:26
袈裟丸と皇海。
皇海と庚申山。
皇海の前に立ちふさがっているのは丸岩岳。
2
1/28 8:26
皇海と庚申山。
皇海の前に立ちふさがっているのは丸岩岳。
笠ヶ岳・三俣・錫・奥白根・大平・ 白根隠・前白根・外山・社山。
手前中央にあるのは丘ノ山と大鳥屋山の稜線。
2
1/28 8:25
笠ヶ岳・三俣・錫・奥白根・大平・ 白根隠・前白根・外山・社山。
手前中央にあるのは丘ノ山と大鳥屋山の稜線。
奥白根。
3
1/28 8:25
奥白根。
横根と日光連山。
手前に横たわるのは3等三角点「出流」あたりの稜線。
3
1/28 8:25
横根と日光連山。
手前に横たわるのは3等三角点「出流」あたりの稜線。
そして、今日の富士山。
3
1/28 8:27
そして、今日の富士山。
富士山はこの浅間山の尾根筋の、真っ直ぐ先に見えるのだ。
神がかってる。
1
1/28 8:27
富士山はこの浅間山の尾根筋の、真っ直ぐ先に見えるのだ。
神がかってる。
山頂のお宮から唐沢山城を望む。
2
1/28 8:24
山頂のお宮から唐沢山城を望む。
ぼちぼち、3等「大久保」に向かってスタート。
1
1/28 8:34
ぼちぼち、3等「大久保」に向かってスタート。
唐沢山城に向かう車道を横断。
対岸の踏跡(画像左端)に取り付く。
0
1/28 8:38
唐沢山城に向かう車道を横断。
対岸の踏跡(画像左端)に取り付く。
今下りて来た、浅間山への取付。
廃業したラブホがある。
0
1/28 8:38
今下りて来た、浅間山への取付。
廃業したラブホがある。
取付の踏跡は「大久保」のあるピークまで続いている。
1
1/28 8:43
取付の踏跡は「大久保」のあるピークまで続いている。
細長いピーク北端に___
1
1/28 8:45
細長いピーク北端に___
3等「大久保」
標石はモルタル補修痕あり。
1
1/28 8:46
3等「大久保」
標石はモルタル補修痕あり。
「大久保」からみた浅間山。
1
1/28 8:50
「大久保」からみた浅間山。
適当にショートカットしながら車道へ戻る。
車道は起伏を巻きながら伸びる。車道に乗ったり尾根に乗ったりを繰り返した。
尾根筋には基本的に踏跡があり、驚いた。
0
1/28 8:54
適当にショートカットしながら車道へ戻る。
車道は起伏を巻きながら伸びる。車道に乗ったり尾根に乗ったりを繰り返した。
尾根筋には基本的に踏跡があり、驚いた。
電柱3本に書かれた「後藤新平 自治三訣」あり。
ボーイスカウト日本連盟を設立したときに、初代総長後藤が掲げた訓辞だそうだ。
・人の世話にならぬよう
・人のお世話をするよう
・そしてむくいを求めぬよう
1
1/28 8:57
電柱3本に書かれた「後藤新平 自治三訣」あり。
ボーイスカウト日本連盟を設立したときに、初代総長後藤が掲げた訓辞だそうだ。
・人の世話にならぬよう
・人のお世話をするよう
・そしてむくいを求めぬよう
駐車された登山口に到着。
221P(イモリ山)へはここから取付く。
1
1/28 9:04
駐車された登山口に到着。
221P(イモリ山)へはここから取付く。
ほどなく221Pに到着したが、古い標石が据えられており驚いた。
これは…
1
1/28 9:15
ほどなく221Pに到着したが、古い標石が据えられており驚いた。
これは…
やはり御料局標石、しかも三角点。
マズイ。
この先何本の御料局標石が据えられているのか分らないが、今日のスケジュールだとこれらを調べながらは歩けない。今日は「気付いた分だけ位置記録」に留めます。
2
1/28 9:15
やはり御料局標石、しかも三角点。
マズイ。
この先何本の御料局標石が据えられているのか分らないが、今日のスケジュールだとこれらを調べながらは歩けない。今日は「気付いた分だけ位置記録」に留めます。
山名板もあった。イモリ山というらしい。
それにしても県内で、日光以外にも御料局標石があることを知らなかった。
1
1/28 9:16
山名板もあった。イモリ山というらしい。
それにしても県内で、日光以外にも御料局標石があることを知らなかった。
同じく221Pにあった「唐沢山城跡3級基準点 2010-01 佐野市」
唐沢山城は詳しく測量されているようで、この標石はいたるところで見かけた。
2
1/28 9:16
同じく221Pにあった「唐沢山城跡3級基準点 2010-01 佐野市」
唐沢山城は詳しく測量されているようで、この標石はいたるところで見かけた。
ちょっと歩いたら、また見つけた。
帰宅後知ったのだが、唐沢山の御料局境界標についての情報も、山部藪人さんはまとめておられた。
氏のHPによれば、これは「界町田二一」と思われる標石。
彼の資料を見ると、僕はこの日の山行でいくつかの標石を見落としている。
2
1/28 9:18
ちょっと歩いたら、また見つけた。
帰宅後知ったのだが、唐沢山の御料局境界標についての情報も、山部藪人さんはまとめておられた。
氏のHPによれば、これは「界町田二一」と思われる標石。
彼の資料を見ると、僕はこの日の山行でいくつかの標石を見落としている。
イモリ山の次の小ピークに登りだすと、岩の上に祠の跡のような基部が見えた。
1
1/28 9:21
イモリ山の次の小ピークに登りだすと、岩の上に祠の跡のような基部が見えた。
が、祠の造りではない。
灯篭か、標識か何かの基部だと思う。
上面全面がハツられていて、痕跡が消されていた。
0
1/28 9:22
が、祠の造りではない。
灯篭か、標識か何かの基部だと思う。
上面全面がハツられていて、痕跡が消されていた。
そのすぐ脇にあった日本道路公団2級基準点TI-4。
ここは唐沢山城址トンネルの直上にあたるようだ。
1
1/28 9:21
そのすぐ脇にあった日本道路公団2級基準点TI-4。
ここは唐沢山城址トンネルの直上にあたるようだ。
さらにその先にベンチとテーブル。
ここは権現堂の跡らしい。
1
1/28 9:22
さらにその先にベンチとテーブル。
ここは権現堂の跡らしい。
権現堂のピークを下ったところにあった御料局標石。
これも三角点らしい。
1
1/28 9:26
権現堂のピークを下ったところにあった御料局標石。
これも三角点らしい。
そのすぐ先に堀切。
僕でも城跡だと分かる、初めての物件。
2
1/28 9:27
そのすぐ先に堀切。
僕でも城跡だと分かる、初めての物件。
唐沢山城址を望む。
2
1/28 9:28
唐沢山城址を望む。
見晴らしの良い高台に到着した。ここが屏風岩らしい。
1
1/28 9:29
見晴らしの良い高台に到着した。ここが屏風岩らしい。
残留ピトンあり。
測量時のもの?
それともゲレンデ?
0
1/28 9:29
残留ピトンあり。
測量時のもの?
それともゲレンデ?
鏡岩を通過し、この道を入る。
左手に登ればレストハウスがあるが、右に上ってしまった。
虎口への道筋は、レストハウスに向かうのが正解だった。
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1/28 9:36
鏡岩を通過し、この道を入る。
左手に登ればレストハウスがあるが、右に上ってしまった。
虎口への道筋は、レストハウスに向かうのが正解だった。
天狗岩に向かう途中にあった石祠。
安政4年(1857)銘、北北西向き。
母屋内に「○神宮(○は欠字)」の刻字あり。
栃本尾町って地名、栃本にあります?
2
1/28 9:38
天狗岩に向かう途中にあった石祠。
安政4年(1857)銘、北北西向き。
母屋内に「○神宮(○は欠字)」の刻字あり。
栃本尾町って地名、栃本にあります?
天狗岩に到着。
物見櫓の跡だという。
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1/28 9:43
天狗岩に到着。
物見櫓の跡だという。
天狗岩から、ピトンのあった屏風岩あたりを振り返る。
案内板にあった清水城の写真は撮り忘れた。
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1/28 9:45
天狗岩から、ピトンのあった屏風岩あたりを振り返る。
案内板にあった清水城の写真は撮り忘れた。
天狗岩にあった石祠。
明治16年銘、北北西向き。
「参(?)導職試補 渡辺源行」など、一面に人名が彫られている。母屋には「天祖參神」の刻字。
碑伝あり。
1
1/28 9:46
天狗岩にあった石祠。
明治16年銘、北北西向き。
「参(?)導職試補 渡辺源行」など、一面に人名が彫られている。母屋には「天祖參神」の刻字。
碑伝あり。
天狗岩から下りたら、唐突に喰違虎口に出た。
以後、昼頃まで城跡を見物して回る。
1
1/28 9:51
天狗岩から下りたら、唐突に喰違虎口に出た。
以後、昼頃まで城跡を見物して回る。
武者溜にて、にゃんこまみれのお兄さん。
いいなー。
すんごい数のねこさんがいました、唐沢山には。
捨て猫に関する注意書きも多数あり。
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1/28 9:51
武者溜にて、にゃんこまみれのお兄さん。
いいなー。
すんごい数のねこさんがいました、唐沢山には。
捨て猫に関する注意書きも多数あり。
大炊の井。
1
1/28 10:02
大炊の井。
避来矢山権現にあった、碑伝。
平成22年唐沢山入峯 那智山青岸渡寺。
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1/28 10:14
避来矢山権現にあった、碑伝。
平成22年唐沢山入峯 那智山青岸渡寺。
避来矢山をうろついていたら、御料局標石を見つけた。
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1/28 10:20
避来矢山をうろついていたら、御料局標石を見つけた。
「界三七」でした。
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1/28 10:20
「界三七」でした。
避来矢山にあった、古い厠。
好きなんすよね、こういう物件。
0
1/28 10:24
避来矢山にあった、古い厠。
好きなんすよね、こういう物件。
四つ目堀。
1
1/28 10:25
四つ目堀。
三の丸下の曲輪部分。
画面右の石垣を見ると__
2
1/28 10:29
三の丸下の曲輪部分。
画面右の石垣を見ると__
石垣が古い。当時の造成かな。
2
1/28 10:29
石垣が古い。当時の造成かな。
三の丸。
佐野人形協会の人形供養塔があった。
0
1/28 10:34
三の丸。
佐野人形協会の人形供養塔があった。
石垣を楽しみながら歩いております。
飽きないっす。
2
1/28 10:37
石垣を楽しみながら歩いております。
飽きないっす。
二の丸から見た本丸。
2
1/28 10:40
二の丸から見た本丸。
本丸下の石垣。
2
1/28 10:41
本丸下の石垣。
本丸西面。
石の積み方が不自然だなー。
1
1/28 10:42
本丸西面。
石の積み方が不自然だなー。
修復中なんですかね。
1
1/28 10:42
修復中なんですかね。
本殿下の階段。
右手の石垣を見るとオリジナルっぽいけど、当時からこの姿だったのかなあ?
2
1/28 10:46
本殿下の階段。
右手の石垣を見るとオリジナルっぽいけど、当時からこの姿だったのかなあ?
南城の標高八百尺碑。
面白れー、と思ってよく見たら、「大正3年11月7日 青島陥落記念」との刻字あり。
奥はにゃんこだらけである。
1
1/28 10:50
南城の標高八百尺碑。
面白れー、と思ってよく見たら、「大正3年11月7日 青島陥落記念」との刻字あり。
奥はにゃんこだらけである。
堀をのぞき込もうとすると、にゃんこたちがハッとしてこちらを見てた。
2
1/28 10:52
堀をのぞき込もうとすると、にゃんこたちがハッとしてこちらを見てた。
南城からの眺め。
右手が今日歩いてきた尾根。
左奥に見えるのは三毳山。
1
1/28 10:52
南城からの眺め。
右手が今日歩いてきた尾根。
左奥に見えるのは三毳山。
ああ、いいな、これ。
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1/28 10:57
ああ、いいな、これ。
接合部の処理が気になる。
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1/28 10:58
接合部の処理が気になる。
野面積みが、格別に好きなのだ。
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1/28 11:00
野面積みが、格別に好きなのだ。
なおも散策中。
この文章が面白かった。
1
1/28 11:02
なおも散策中。
この文章が面白かった。
さくらの馬場。
多度大社の上げ馬神事のような助走路はない。
1
1/28 11:03
さくらの馬場。
多度大社の上げ馬神事のような助走路はない。
(さくらの馬場を上から見たところ)
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1/28 11:28
(さくらの馬場を上から見たところ)
助走路を探して馬場の下を見下ろしたら、また目が合う〜。
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1/28 11:04
助走路を探して馬場の下を見下ろしたら、また目が合う〜。
さくらの馬場について。
「裂く+ら」「さ+鞍」ではどうだろう。
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1/28 11:03
さくらの馬場について。
「裂く+ら」「さ+鞍」ではどうだろう。
甘酸っぱい顔して、子猫が付いてくる…。
1
1/28 11:05
甘酸っぱい顔して、子猫が付いてくる…。
こっち見んな。
連れて帰っちゃうぞ。
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1/28 11:05
こっち見んな。
連れて帰っちゃうぞ。
南城南側。
1
1/28 11:09
南城南側。
気付けば昼飯時になっていた。
昭和チックなここで食べよう。
自販機が伊藤園、てところも好感が持てるし。
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1/28 11:15
気付けば昼飯時になっていた。
昭和チックなここで食べよう。
自販機が伊藤園、てところも好感が持てるし。
藤棚の造りが、前日三毳山中の藪の中で見かけた造作と一緒だったので、おお〜!…となった。
…が後日、僕の通勤ルートで見かけるナシ園の梨棚がすべてこの造りだったことを知る。ごく普通の様式らしい。意識して見ないと、風景っていうのは目に入らないモンですなあ。
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1/28 11:30
藤棚の造りが、前日三毳山中の藪の中で見かけた造作と一緒だったので、おお〜!…となった。
…が後日、僕の通勤ルートで見かけるナシ園の梨棚がすべてこの造りだったことを知る。ごく普通の様式らしい。意識して見ないと、風景っていうのは目に入らないモンですなあ。
カウンターもあります。
カウンターのなかは、今はにゃんこの寝床になってるみたいです。
2
1/28 11:34
カウンターもあります。
カウンターのなかは、今はにゃんこの寝床になってるみたいです。
社務所で本、買っちゃった。
ここで昼食。
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1/28 11:20
社務所で本、買っちゃった。
ここで昼食。
食事中のスナップ。
石垣の左側は近代の造りだけど、右側も古そうに見えて、意外と時代が降るんじゃないかなあ、などと思ったり。
噂通り、唐沢山城の石垣はとても面白かった。
2
1/28 11:33
食事中のスナップ。
石垣の左側は近代の造りだけど、右側も古そうに見えて、意外と時代が降るんじゃないかなあ、などと思ったり。
噂通り、唐沢山城の石垣はとても面白かった。
城山に2時間ほど滞在(歩き回り)してしまった。
先へ進む。
二股杉のその洞に___
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1/28 11:44
城山に2時間ほど滞在(歩き回り)してしまった。
先へ進む。
二股杉のその洞に___
碑伝あり。
この人、フリーダムな入峯してんなー、と思った。
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1/28 11:43
碑伝あり。
この人、フリーダムな入峯してんなー、と思った。
杉曲輪、かな?
0
1/28 11:49
杉曲輪、かな?
平とや丸、かな?
0
1/28 11:51
平とや丸、かな?
キャンプ場に入っていく。
関ふれ道は、鳩の峰を巻いている模様。
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1/28 11:52
キャンプ場に入っていく。
関ふれ道は、鳩の峰を巻いている模様。
唐沢教育キャンプ場、とのこと。
1
1/28 11:52
唐沢教育キャンプ場、とのこと。
鳩の峰を通過。
0
1/28 11:54
鳩の峰を通過。
鳩の峰の大営火場を通過。
野音みたいだぜ。
1
1/28 11:55
鳩の峰の大営火場を通過。
野音みたいだぜ。
鳩の峰から、堀切を挟んで北に続く尾根を進む。
0
1/28 11:56
鳩の峰から、堀切を挟んで北に続く尾根を進む。
2等「栃本」が見えてきた。
1
1/28 11:59
2等「栃本」が見えてきた。
この辺りは東京農工大の演習林になる。
関ふれ指導標のとおりに、電信柱右側の尾根を登る。
(画面中央の作業道も、ピークを巻いてこの先で関ふれ道と合流します)
2
1/28 12:01
この辺りは東京農工大の演習林になる。
関ふれ指導標のとおりに、電信柱右側の尾根を登る。
(画面中央の作業道も、ピークを巻いてこの先で関ふれ道と合流します)
尾根の肩にあった御料局標石「町口二〇」
1
1/28 12:06
尾根の肩にあった御料局標石「町口二〇」
先ほどの作業道と再び出合う。
正面の尾根を登り、2等「栃本」へ。
1
1/28 12:09
先ほどの作業道と再び出合う。
正面の尾根を登り、2等「栃本」へ。
「栃本」に到着。
諏訪岳側から登ってこられた男性二人連れが、このピークに僕と同時刻に到達しました。
しばしお話しする。
2
1/28 12:13
「栃本」に到着。
諏訪岳側から登ってこられた男性二人連れが、このピークに僕と同時刻に到達しました。
しばしお話しする。
このピークは「高鳥屋山」という名があるらしい。
(唐沢山城のパンフレットでは栃本山となっていた)
2枚の山名板と、「唐沢入」と同じタイプの三角点銘板があった。
山名板は手の届かないような梢に掲げてある。
2
1/28 12:14
このピークは「高鳥屋山」という名があるらしい。
(唐沢山城のパンフレットでは栃本山となっていた)
2枚の山名板と、「唐沢入」と同じタイプの三角点銘板があった。
山名板は手の届かないような梢に掲げてある。
男性に話しかけた。
「雪もないだろうに、どうしてあんな場所に付けたんですかね」
「面白がって、よじ登って高いところに縛るんだよ」
「なるほど〜」
2
1/28 12:20
男性に話しかけた。
「雪もないだろうに、どうしてあんな場所に付けたんですかね」
「面白がって、よじ登って高いところに縛るんだよ」
「なるほど〜」
すると男性は
「おれが付けたのも、まだ大丈夫だな」などと、とんでもないことをつぶやきながらこの銘板をいじりだした。
「これ、付けられた方ですか?」
「はい」
「唐沢入も、付けられました?」
「うん」
「えーーっ!!」
2
1/28 12:20
すると男性は
「おれが付けたのも、まだ大丈夫だな」などと、とんでもないことをつぶやきながらこの銘板をいじりだした。
「これ、付けられた方ですか?」
「はい」
「唐沢入も、付けられました?」
「うん」
「えーーっ!!」
いろいろ伺うと、彼はこれまで数多くの山名板を取り付けておられたことが分かった。
彼の作品には大きく分けると3つのパターンがあって、そのいずれも僕は知っていたのだ。
僕はそれら山名板のファンだった!
7
1/28 12:21
いろいろ伺うと、彼はこれまで数多くの山名板を取り付けておられたことが分かった。
彼の作品には大きく分けると3つのパターンがあって、そのいずれも僕は知っていたのだ。
僕はそれら山名板のファンだった!
3つそれぞれが同じ作者であることは分っていたけど、ただ一人の人物がそれを作っていたとは気づかなかった。
彼 ━ Shimoさんの作品を、僕が撮って置いた写真で振り返る。
まずこれは、唐沢入の三角点銘板。
2
11/20 9:24
3つそれぞれが同じ作者であることは分っていたけど、ただ一人の人物がそれを作っていたとは気づかなかった。
彼 ━ Shimoさんの作品を、僕が撮って置いた写真で振り返る。
まずこれは、唐沢入の三角点銘板。
そして、このタイプもShimoさんの作品だった。
大好きな三角点銘板「木浦沢」
焼板にオイルを含ませてある。
2
2/12 10:38
そして、このタイプもShimoさんの作品だった。
大好きな三角点銘板「木浦沢」
焼板にオイルを含ませてある。
先日訪れた「ハナント山」もこのタイプ。
3
1/3 11:47
先日訪れた「ハナント山」もこのタイプ。
焼板銘板として同じカテゴリー「白根隠」
お話を伺う中で思い出していただいた山名板のうち、僕は2枚の山名板をまだ見ていないのだが、いずれもこのカテゴリーのものだ。
白桧山の山名板はネット上でその画像も見られるのだが、僕が昨夏に歩いた時は残念ながら気づかなかった。
もう一枚、袈裟丸最高点に2枚あるうちの1枚はShimoさんの作だが、僕は袈裟丸未踏。
袈裟丸に登る楽しみが、また一つ増えました。
2
6/16 6:10
焼板銘板として同じカテゴリー「白根隠」
お話を伺う中で思い出していただいた山名板のうち、僕は2枚の山名板をまだ見ていないのだが、いずれもこのカテゴリーのものだ。
白桧山の山名板はネット上でその画像も見られるのだが、僕が昨夏に歩いた時は残念ながら気づかなかった。
もう一枚、袈裟丸最高点に2枚あるうちの1枚はShimoさんの作だが、僕は袈裟丸未踏。
袈裟丸に登る楽しみが、また一つ増えました。
【追記】2018.3.25確認
東蓬莱山(3等三角点「秋山」)
0
3/25 8:12
【追記】2018.3.25確認
東蓬莱山(3等三角点「秋山」)
【追記】2018.3.25確認
3等三角点「陣地」
0
3/25 13:40
【追記】2018.3.25確認
3等三角点「陣地」
【追記】2018.3.25確認
氷室山(標高点1123)
0
3/25 11:59
【追記】2018.3.25確認
氷室山(標高点1123)
【追記】2018.04.23確認
発光山(3等三角点「大久保」)
0
4/23 9:04
【追記】2018.04.23確認
発光山(3等三角点「大久保」)
【追記】2018.7.22確認
白檜岳(標高点2394)
0
7/22 10:26
【追記】2018.7.22確認
白檜岳(標高点2394)
3つ目のカテゴリーは、山座同定タイプ。
この日の前日に登った、晃石山の山名板。
2
1/27 12:48
3つ目のカテゴリーは、山座同定タイプ。
この日の前日に登った、晃石山の山名板。
二股山展望地の山名板も、彼の作品。
2
8/20 13:25
二股山展望地の山名板も、彼の作品。
そして、お天気山山名板。
これは傑作と言っていい出来栄え。
3
12/29 15:00
そして、お天気山山名板。
これは傑作と言っていい出来栄え。
「おれのやつには、後ろに"SHIMO"って書いてあるから」
はい、存じ上げていますとも!
3
12/29 14:59
「おれのやつには、後ろに"SHIMO"って書いてあるから」
はい、存じ上げていますとも!
木浦沢山名板の作り方を教えていただいた。
撮影した動画よりキャプチャ(笑)
「歳とったから、もう雪山登れないと思ってさ」このジャケットのフードは取去ってしまったそうです。
漢だな。
2018年02月01日 12:31撮影
6
2/1 12:31
木浦沢山名板の作り方を教えていただいた。
撮影した動画よりキャプチャ(笑)
「歳とったから、もう雪山登れないと思ってさ」このジャケットのフードは取去ってしまったそうです。
漢だな。
Shimoさんと一緒に歩かれてたSさんも、只者じゃない。
ザックに施された、Sさん手製のベンチレーター。
2018年02月06日 23:16撮影
3
2/6 23:16
Shimoさんと一緒に歩かれてたSさんも、只者じゃない。
ザックに施された、Sさん手製のベンチレーター。
2等「栃本」
彼らはこの辺りの御料局境界標も訪ねて歩いたことがあるそうで、短い時間にとにかくいろいろな話を伺いました。
後髪引かれながら、僕から先に出立させていただきました。
感謝です。ありがとうございました。
2
1/28 12:14
2等「栃本」
彼らはこの辺りの御料局境界標も訪ねて歩いたことがあるそうで、短い時間にとにかくいろいろな話を伺いました。
後髪引かれながら、僕から先に出立させていただきました。
感謝です。ありがとうございました。
次の小ピークにアンテナ。
アンテナの名前を記録し忘れた。
1
1/28 12:42
次の小ピークにアンテナ。
アンテナの名前を記録し忘れた。
分岐を関ふれ標識通りに直進。
0
1/28 12:44
分岐を関ふれ標識通りに直進。
次の小ピークに「界一四六」があるのだが___
0
1/28 12:46
次の小ピークに「界一四六」があるのだが___
古い町界標だった。
「田沼町」
1
1/28 12:46
古い町界標だった。
「田沼町」
「犬伏町」
日光山王尾根の県境界標「界甲五二八」を思い出させる。
3
1/28 12:47
「犬伏町」
日光山王尾根の県境界標「界甲五二八」を思い出させる。
次のピークは細長く、起伏を持ちながら奥に長い。
ここで多くの御料局境界標石を目にした。
最初に目にしたのは「界一四五」
2
1/28 12:52
次のピークは細長く、起伏を持ちながら奥に長い。
ここで多くの御料局境界標石を目にした。
最初に目にしたのは「界一四五」
すぐ近くに岩舟町地籍図根三角点。
1
1/28 12:53
すぐ近くに岩舟町地籍図根三角点。
さらに「界一四四支四」
3
1/28 12:54
さらに「界一四四支四」
さらに「界一四四支一」
2
1/28 12:56
さらに「界一四四支一」
ピークにたどり着いた。
崩れた石祠と山名板がある。
2
1/28 13:02
ピークにたどり着いた。
崩れた石祠と山名板がある。
梢にぶら下がった山名板「貝吹鳥屋 (梵天) 292m」
(唐沢山城のパンフレットでは貝吹山となっていた)
2
1/28 13:02
梢にぶら下がった山名板「貝吹鳥屋 (梵天) 292m」
(唐沢山城のパンフレットでは貝吹山となっていた)
さくらの根元に、母屋だけ原型をとどめた石祠あり。
安政3年(1856)などの銘が残る。
願主 飯塚平作 尾嶋與十郎。
ほぼ西向き。
1
1/28 12:57
さくらの根元に、母屋だけ原型をとどめた石祠あり。
安政3年(1856)などの銘が残る。
願主 飯塚平作 尾嶋與十郎。
ほぼ西向き。
貝吹鳥屋ピーク北端にある「界一四四」は、郡境界標だった。
「安蘇郡」
2
1/28 13:00
貝吹鳥屋ピーク北端にある「界一四四」は、郡境界標だった。
「安蘇郡」
そして、やや削れているが「都賀郡」
1
1/28 13:00
そして、やや削れているが「都賀郡」
貝吹鳥屋の次のピークにも山名板が掛けられていた。
2
1/28 13:06
貝吹鳥屋の次のピークにも山名板が掛けられていた。
「南見明岳」
1
1/28 13:07
「南見明岳」
しばらく歩くと「北見明岳」
ここは地形図ではピークとしては書かれていない、尾根の肩にあたる地点。
向こうに見えるのが京路戸山。
2
1/28 13:10
しばらく歩くと「北見明岳」
ここは地形図ではピークとしては書かれていない、尾根の肩にあたる地点。
向こうに見えるのが京路戸山。
関ふれ道を外れ、京路戸山への踏跡を登る。
1
1/28 13:12
関ふれ道を外れ、京路戸山への踏跡を登る。
このピークに関して、u-junpeiさんのブログによれば、宗教団体が「神山」として信仰の対象にしているとのことだった。
2
1/28 13:15
このピークに関して、u-junpeiさんのブログによれば、宗教団体が「神山」として信仰の対象にしているとのことだった。
京路戸山山名板。
先の記事を書かれた方はこのピークを「京路戸山」と呼ぶことを疑問視しており、その見解はとても説得力がある。
2
1/28 13:18
京路戸山山名板。
先の記事を書かれた方はこのピークを「京路戸山」と呼ぶことを疑問視しており、その見解はとても説得力がある。
参拝方法、だそうです。
1
1/28 13:18
参拝方法、だそうです。
注連縄はナイロン製。
奥白根・男体山方向を向いていて、見晴らしはいい。
1
1/28 13:18
注連縄はナイロン製。
奥白根・男体山方向を向いていて、見晴らしはいい。
箒もある。
現役の信仰対象らしい。
1
1/28 13:19
箒もある。
現役の信仰対象らしい。
京路戸山から諏訪岳を望む。
ピークに名前が付いていると、記事が書きやすい。
そこが困る。
2
1/28 13:20
京路戸山から諏訪岳を望む。
ピークに名前が付いていると、記事が書きやすい。
そこが困る。
京路戸山から北東への稜線は、整備されていた。
宗教団体によるものだと思われる。
1
1/28 13:27
京路戸山から北東への稜線は、整備されていた。
宗教団体によるものだと思われる。
稜線を下り、関ふれ道と合流する地点には「この先行き止まり」の看板あり。
今のピーク、私有地だったのかな。
こそばゆい。
2
1/28 13:29
稜線を下り、関ふれ道と合流する地点には「この先行き止まり」の看板あり。
今のピーク、私有地だったのかな。
こそばゆい。
そこから下れば京路戸峠に到着。
テーブルとベンチあり。
2
1/28 13:34
そこから下れば京路戸峠に到着。
テーブルとベンチあり。
峠にあった案内標識。
1
1/28 13:35
峠にあった案内標識。
関ふれ指導標は別途設けられている。
指導標の向こうに見えるのが古い峠道だと思われる。
1
1/28 13:36
関ふれ指導標は別途設けられている。
指導標の向こうに見えるのが古い峠道だと思われる。
峠の道型が明瞭に残っていた。
指導標も案内標識も、この地点を三差路として扱っているが、峠の道型はちゃんと四差路になっている。
1
1/28 13:36
峠の道型が明瞭に残っていた。
指導標も案内標識も、この地点を三差路として扱っているが、峠の道型はちゃんと四差路になっている。
歩を進め、諏訪岳の取付に到着。
ここで関ふれ道から離れる。
1
1/28 13:41
歩を進め、諏訪岳の取付に到着。
ここで関ふれ道から離れる。
諏訪岳へのみちは明瞭な登山道。
道中眺望が良かった地点からの眺めを同定。
足利の山々から栃木市満願寺付近まで一望できた。
赤城山から日光連山までの眺望も、バッチリ。
1
1/28 13:45
諏訪岳へのみちは明瞭な登山道。
道中眺望が良かった地点からの眺めを同定。
足利の山々から栃木市満願寺付近まで一望できた。
赤城山から日光連山までの眺望も、バッチリ。
諏訪岳山頂に到着。
3
1/28 13:50
諏訪岳山頂に到着。
2枚の山名板とメロンパンナちゃんあり。
2
1/28 13:50
2枚の山名板とメロンパンナちゃんあり。
諏訪岳の三角点は亡失しているため、点の記も閲覧できない。
ここに立っている石柱は境界標かなにかで、三角点ではない。
ちなみに基準点名「京路戸」の4等三角点だった。
2
1/28 13:52
諏訪岳の三角点は亡失しているため、点の記も閲覧できない。
ここに立っている石柱は境界標かなにかで、三角点ではない。
ちなみに基準点名「京路戸」の4等三角点だった。
諏訪岳には中村富士という別名もあるという。
前日、桜峠から見た諏訪岳。
2
1/27 12:29
諏訪岳には中村富士という別名もあるという。
前日、桜峠から見た諏訪岳。
諏訪岳からの眺望は、範囲が限られている。
登頂中の眺めが良かった。
2
1/28 13:51
諏訪岳からの眺望は、範囲が限られている。
登頂中の眺めが良かった。
下山開始。藤坂峠を目指す。
1
1/28 14:04
下山開始。藤坂峠を目指す。
途中、簡単な標識のある分岐が2つある。
1
1/28 14:08
途中、簡単な標識のある分岐が2つある。
1つ目の3差路。
画面左の矢印部に、山頂にあったものと同然の標石がある。
2
1/28 14:09
1つ目の3差路。
画面左の矢印部に、山頂にあったものと同然の標石がある。
その標石。
2
1/28 14:09
その標石。
2つ目の分岐標識。
2
1/28 14:11
2つ目の分岐標識。
僕はそのまま尾根筋を進む。
1
1/28 14:13
僕はそのまま尾根筋を進む。
途中落ちていた標識を、地点的にふさわしい場所に挿しておいた。
見にくいかな、ごめんなさい。
2
1/28 14:18
途中落ちていた標識を、地点的にふさわしい場所に挿しておいた。
見にくいかな、ごめんなさい。
藤坂峠手前にある小ピークに差し掛かる前の鞍部に、峠道の道型があった。
北側は明瞭。
2
1/28 14:19
藤坂峠手前にある小ピークに差し掛かる前の鞍部に、峠道の道型があった。
北側は明瞭。
南側はこんな感じ。
テープマークがあった。
0
1/28 14:19
南側はこんな感じ。
テープマークがあった。
小ピークに登りながら、諏訪岳を振り返る。
2
1/28 14:25
小ピークに登りながら、諏訪岳を振り返る。
藤坂峠手前の小ピークに到着。
踏跡はここまでで、あとは不明瞭になる。
1
1/28 14:29
藤坂峠手前の小ピークに到着。
踏跡はここまでで、あとは不明瞭になる。
本日最後のピークです。
せっかくだから、コーヒー飲んでいこう。
3
1/28 14:37
本日最後のピークです。
せっかくだから、コーヒー飲んでいこう。
では、藤坂峠に向けて下山開始。
1
1/28 14:46
では、藤坂峠に向けて下山開始。
切通しを避けるように尾根を選んで___
1
1/28 14:51
切通しを避けるように尾根を選んで___
最後は茨の獣道。
1
1/28 14:52
最後は茨の獣道。
画面中央に下りて来た。
2
1/28 14:54
画面中央に下りて来た。
藤坂峠。対岸の取付を探すが、画面左の2枚の看板のあたり(佐野市側)には鉄条網が張ってある。
1
1/28 14:55
藤坂峠。対岸の取付を探すが、画面左の2枚の看板のあたり(佐野市側)には鉄条網が張ってある。
次回のために、対岸の取付を探してみた。
市境西斜面。
1
1/28 14:57
次回のために、対岸の取付を探してみた。
市境西斜面。
市境東斜面。
1
1/28 14:57
市境東斜面。
栃木側の斜面を見に行ったら、隧道竣工記念碑なるものがあり、驚いた。
2
1/28 14:58
栃木側の斜面を見に行ったら、隧道竣工記念碑なるものがあり、驚いた。
随行竣工記念碑。
現状切通しとなっているこの区間には、かつて昭和10年竣工のトンネルがあったのだ。
後に現在の道幅に拡張するにあたって、トンネルをこわして露天の車道としてしまったようだ。
2
1/28 14:58
随行竣工記念碑。
現状切通しとなっているこの区間には、かつて昭和10年竣工のトンネルがあったのだ。
後に現在の道幅に拡張するにあたって、トンネルをこわして露天の車道としてしまったようだ。
殉職者之碑。
5名の方の名が刻んである。
裏書きによれば隧道施工中の昭和10年に、茨城県多賀郡助川町・群馬県勢多郡富士見村・栃木県下都賀郡静和村の方が各1名、栃木県都賀郡小野寺村の方が2名亡くなられたとのこと。
2
1/28 14:58
殉職者之碑。
5名の方の名が刻んである。
裏書きによれば隧道施工中の昭和10年に、茨城県多賀郡助川町・群馬県勢多郡富士見村・栃木県下都賀郡静和村の方が各1名、栃木県都賀郡小野寺村の方が2名亡くなられたとのこと。
一緒に建つ3つの石碑。右端の馬頭観音碑(明治26年銘)以外は風化が激しく、詳細不明。
左端の石造物は、峠の地蔵尊に見える。
3
1/28 14:59
一緒に建つ3つの石碑。右端の馬頭観音碑(明治26年銘)以外は風化が激しく、詳細不明。
左端の石造物は、峠の地蔵尊に見える。
埃っぽい道をてくてくと、デポ地点まで歩いた。
2
1/28 15:08
埃っぽい道をてくてくと、デポ地点まで歩いた。
チドリアン回収。
2
1/28 15:20
チドリアン回収。
お疲れ様でした〜〜〜。
にゃん子たちも元気そうで何よりです。唐沢山城は避来矢の伝説とか、佐野昌綱による唐沢山城の戦いとか、関東の山城にしては珍しい石垣とか、楽しさ満載の山城だと僕も思います。特に猫がいい!そして下山後のラーメンも楽しみだったりします。
もしかして絹ヶ岳まで向かうのか!とちょっとどきどきしながらレコアップされるのをお待ちしておりました。絹ヶ岳は採石場?で山頂は消滅、昔あった登山道も消滅でもう登るのは無理かな〜と僕は諦めています。
今回のレコ、もうちょっと時間のあるときにじっくりと拝見させて頂きます。Shimoさんのお話も詳しく拝見させて頂きます。
ではまた〜。
おはようございます。
唐沢山城は、にゃんこ祭り状態だったにゃー。
堀や土塁とねこのマッチングがすごかったです。
ねこ飼いたくなっちゃいましたよ〜 (=・ω・=)
佐野昌綱をwikiで読むと、何をしたかった人かさっぱり分らないですね(笑)
この日唐沢山神社社務所で買ってきた本を読んだら、おぼろげながら実態が分かってきました。(出居博『戦国唐沢山城 ―武士たちの夢の跡―』は、佐野ロータリークラブが出版したごく小さな本だったのですが、先日の山城サミットを機に再販されたようです。虚実入り乱れた中世の情報を、公平な扱いで整理されている、いい本です) 佐野昌綱や関東武士の当時の振る舞いは、自治権をめぐる攻防だったのだなあ、と思いました。
こうやって調べものをしていると、そろそろ中世史をちゃんと勉強しなきゃならんのかなあ、と思うようになった今日この頃なのですが、登場人物の名前が似てるから、捗らんのですよ(笑)
絹ヶ丘の名前は、グーグルマップで知りました(笑)
どなたかが地名登録したようですね。最初の計画だと会沢トンネルまで縦走でしたが、唐沢山城を通過するので距離を落としました。採石場を回り込むかたちではありますが、いずれ通過すると思います。絹ヶ丘の写真が合ったら見てみたいなあ。
僕としては「尾根の先っちょから日光まで歩きたいなー」という子供っぽい動機を実行しているだけなのです。ゴルフ場だとか採石場の並ぶこのあたりの情勢は、歩くにもストレスを感じます。お腹痛いっす。スバルのテストコースあたりもお腹痛そうです。毎度毎度、グーグルアースで現場を凝視してから出かけて行って、あとは現地で行き当たりばったりですね。しかたないです。
世間に迷惑を掛けたいわけではないので、「ごめんなさいね、ごめんなさいね」という感じで歩いてます。
尾根の神様、僕をお守りくださいー(笑)
こんにちは。
今回も、楽しい記録をありがとうございます!
木浦沢の点名板、素敵ですよね〜。
私も、一目惚れでした。
今度、ゆっくり話を聞かせて下さいね。
近所の山ですが、「そーなの?」という
発見がたくさんありました。
素晴らしい記録を発信してくださり、
ありがとうございました!
こんにちは。
北海道お疲れさまでした。
いい気分転換になったんじゃないでしょうか。
佐野、いいっすねえ
「足利よりちょっと近いし、これからは佐野の時代だな」っていう、意味不明の感想を抱いた次第です。
唐沢城はかなり詳細に調べられた地図があるので、いろんなルート(つーか、全部)で歩いてみたいと思わされました。
またどっか、ご一緒しましょう。
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