金峰山〜瑞牆山(日帰りピストン)
- GPS
- --:--
- 距離
- 13.8km
- 登り
- 1,747m
- 下り
- 1,747m
コースタイム
- 山行
- 11:30
- 休憩
- 2:30
- 合計
- 14:00
第38座目 金峰山 2599m
第39座目 瑞牆山 2230m
天候 | 曇り時々晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
スノーピーク キャンプテントでおっさん3人 甲府に4泊 1日目 金峰山、瑞牆山 縦走 2日目 甲武信ヶ岳 ピストン 3日目 大菩薩嶺 最短ルート周回 4日目 甲府駅でほうとうを食べて岡山へ戻る 4月26日 19時 岡山を出発 4月27日 2時 みずがき湖ビジターセンター到着 車中泊 4月27日 6時30分 瑞牆山荘 無料駐車場 到着 4月27日 11時40分 金峰山頂 4月27日 16時40分 瑞牆山頂 4月28日 13時00分 甲武信ヶ岳山頂 4月29日 13時30分 大菩薩嶺山頂 4月30日 12時00分 甲府出発 20時岡山帰宅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
瑞牆山荘に登山届ポストあり 瑞牆山山頂手前は岩登り箇所あり |
その他周辺情報 | 増富ラジウム温泉 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
昼ご飯
行動食
非常食
飲料
地図(地形図)
ヘッドランプ
予備電池
GPS
ガイド地図(ブック)
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ストック
カメラ
モンベル枕
着替え
サンダル
ガスカートリッジ
調理器具
テント
テントマット
シェラフ
ヘルメット
|
---|
感想
岡山を19時に出発し、みずがき湖ビジターセンターに2時に到着
仮眠のみで出発したこともあり、かなりハードな縦走になってしまいました。
反省点は無理をせず、早めに出発するか早めに下山することが事故が発生しない安全第一と改めて認識させられた山旅となりました。
金峰山 特にほかの百名山より優れている点はなく、富士山が綺麗に見えることぐらいです。
瑞牆山 百名山として大いに特徴があり、富士見平からのコースタイムは短いが、とても登りごたえあり見どころの多い山でした。要塞のような城のような岩々がまさに山の漢字になぞられたかっこいい山でした。最後の岩登りもとても楽しい山でした。
お薦めの百名山です。
Wikiより
金峰山特徴[編集]
奥秩父の主脈に位置し、1950年(昭和25年)7月10日に指定された秩父多摩甲斐国立公園の区域に含まれている[3]。日本百名山、新日本百名山、花の百名山および山梨百名山のひとつ。山梨県側では「きんぷさん」、長野県側では「きんぽうさん」と呼ぶ。
北側から日本海側河川の千曲川の支流、南側から太平洋側河川の釜無川の源流(支流)を発する中央分水嶺である。古くから信仰の対象となり、蔵王権現を祀る。古くは金峯山と表記した[4]。
金峰山周辺は良水晶に恵まれ、山梨県側中巨摩郡(現甲府市)には明治初頭まで水晶鉱山が存在した[5]。
山頂部は開けていて360度の展望があり、「五丈岩」という大きな岩がある。山頂には三等三角点(点名「金峰」、標高2,595.03 m)が設置されている[6]。西側山麓の金山平(かなやまだいら)に、奥秩父を歩き本に著わした田部重治と木暮理太郎のレリーフがある。登山ルートは山梨県北杜市のみずがき山荘経由が多く親しまれている。長野県川上村の金峰山荘付近には、平安時代の修験者の宿坊跡もある。瑞牆山方面からの景観がよい。ピークのみならば県境の大弛峠から登るのもよい。
金峰山信仰[編集]
山頂には金櫻神社の本宮があり、古くから修験者の奉賽品や経塚など、金峰山信仰に関わる考古遺物の表面採集が報告されている。刀子や釘などの鉄製品や灰釉陶器などの土器・陶磁器類、古銭や水晶製の数珠玉、土馬、装飾円盤など、平安時代からの出土品があり、出土遺物は甲府市教育委員会の所有で、笛吹市の山梨県立博物館において常設展示されている。
瑞牆山
地理的・歴史的景観[編集]
「瑞牆」とは神社の周囲の垣根(玉垣)のことだが、山名の由来は山稜を三分割する「みつなぎ」の転訛説や、崖を意味する「がき」に由来する説などがある。江戸時代後期に成立した『甲斐国志』では、玉塁と呼ばれる金峰山に対し、瑞塁を呼び習わしたとする説が紹介されている。古くからの信仰の山で、洞窟には修験者の修行跡や刻字が残り、山頂の西峰には弘法岩があり、空海開山伝説も伝わる。
全山が黒雲母花崗岩で形成される。南西部は風化や浸食の影響を受け、独特の岩峰が聳える景観を作っており、地元ではコブ岩と呼ばれる。
近くに黒森鉱泉(含炭酸食塩泉)、増富温泉(信玄の隠し湯とする伝承をもつ、増富ラジウム温泉郷)がある
瑞牆山に関係する文学として、俳人の前田普羅(1884年 - 1954年)が1937年(昭和12年)1月17日に『東京日日新聞』紙上に発表した「甲斐の山々」の五句があり、その中に瑞牆山を詠んだ「茅枯れてみづがき山は蒼天に入る」の句がある。前田は山梨県を数多く訪問しており、1938年(昭和13年)に「甲斐の山々」を回顧した「一句の誕生」によれば1917年(大正6年)頃に山梨を訪れたときに、五句を着想したという。
詩人の尾崎喜八(1892年 - 1974年)は1935年(昭和10年)に刊行された随筆集『山の絵本』に収録されている随筆「花崗岩の国のイマアジュ」において八ヶ岳や金峰山など北巨摩(北杜市域)の山岳について触れ、瑞牆山についても言及している。
また、深田久弥(1903年 - 1971年)は、1964年(昭和39年)に刊行された『日本百名山』において瑞牆山を取り上げ、山名の考察を行っているほか「針葉樹の大森林からまるでニョキニョキと岩が生えているような」と表現した。
鋸岩、大ヤスリ岩など、岩々に名前が付けられている。
tenjinyamaさん、こんばんは。
山行、ご一緒できて楽しかったです。ありがとうございました。
なかなかキツい山行でしたね〜。いい経験になりました。瑞牆山のあの山容、景色は忘れられないですね
yo-shaさんのレコも楽しみにしてます!
瑞牆山は印象的でしたね
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する