どんぐり〜ず 涸沢から奥穂高岳・前穂高岳・岳沢へ(事故発生)
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- GPS
- 48:45
- 距離
- 25.8km
- 登り
- 2,083m
- 下り
- 2,082m
コースタイム
15:30横尾山荘(泊)
22日 横尾山荘6:30‐7:40本谷橋7:52-9:55涸沢ヒュッテ10:30‐
11:20見晴岩11:40‐12:20ザイデングラード12:30‐14:
10穂高岳山荘14:50‐15:05涸沢岳15:25‐15:45穂高岳山荘(泊)
23日 穂高岳山荘4:50-5:45奥穂高岳6:10‐7:55紀美子平8:05‐8:40
前穂高岳8:50-9:22紀美子平9:30‐10:25岳沢パノラマ10:35‐
11:20カモシカ立場‐13:00岳沢小屋跡13:20‐15:50上高地BT
(解散)
天候 | 21日 曇のち雨 22日 曇のち晴 23日 晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2009年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
集合時間:21日(金)12時予定 新宿バスT7:26発ー松本IC10:32-上高地バスT着11:45 |
コース状況/ 危険箇所等 |
上高地‐本谷橋 登山道は問題ありません。 本谷橋‐涸沢 ガレ場は左山側からの落石に注意。 涸沢‐穂高岳山荘 ザイテングラードは落石(上から、自分で起す)に 注意し転倒、転落には注意の事。 穂高岳山荘‐奥穂高岳 落石、転倒、転落には注意の事。 奥穂高岳‐吊尾根‐重太郎新道‐岳沢 一番緊張する岩場の下り道です。 クサリ場、ハシゴは三点確保、前の人との間隔を考え 慎重に下ることです。やたらと話をしながらの歩行は 事故のもとです。 登山ポスト バスターミナル横の臨時派出所にあります。 必ず提出する習慣をつけましょう。 |
写真
感想
21日
新宿BTを定刻より早く出発、中央高速で2回(双葉SA・みどり湖SA)休憩して、バスの渋滞もなく予定より早く上高地11時45分到着。
乗用車組も到着していて合流する。天気は予報通り上高地に近くなるほど雨が降りだした。上高地BTは天気が悪く観光客が少ない。Y氏を除く11名で出発する。雨具を着用するか迷うが、少し雨が切れたことと横尾山荘まで森林地帯のため各自に任せた。山容はガスで見えず手前の明神岳が辛うじて見える。道中時々雨がパラついたが濡れるほどではない。
明神館で休憩、徳沢園では雨が本降りとなったが休憩で時間をとり小止みで出発。ほぼ時間とおり横尾山荘に到着。木造の新館に一部屋と合部屋一部を割り当てられる。すべての施設が整って理想的な山小屋だ。入浴施設もすばらしい。二段ベットもザック置き場が板になっており棚もある。しかし料金は一番高いが仕方がない。入浴後ビール。5時前にYさんが到着する。夕食がまた良い。
22日
朝食5:20、天気予報は曇りのち晴れで翌日は晴れで心配なし。雨は早朝降っていたが止み、みるみる晴れ間が広がってきた。全員12名揃いゆったり出発である。昨年は穂高に拒否された。「まだお前達には1年早すぎる。1年修業して来年来なさい」と、「お言葉の通り1年修業してやってまいりました。」
本谷橋まで約1時間で到着。ここから登りに入る。天気は完全に晴れ渡った。岩の登山道を休憩を取りながら進むと谷川の音が大きくなり周りが開けると、北穂高岳の岩峰が見えた。沢伝いになると前方に涸沢ヒュッテが見え雪渓があった。昨年はなかったはずだ。雪渓はボランテァの人たちが歩きやすいように削って階段にしていた。お礼を言いやがて涸沢ヒュッテに到着。昼食だ。涸沢カール、昨年とは違い正面の奥穂高、前穂高が暖かく迎えてくれる。そして何より暑くないことだ。雲も秋の雲だ。昨年は風雨の中、今年は暑さの中と思いきや、実に爽やかな日和である。各人食事をとりいよいよ本格的な登りである。高山植物もまだ咲き誇っている。休憩を取りながらザイデングラードに取り付く。高度を増すに従い常念岳、蝶ヶ岳が見え出した。疲れは昨年とは雲泥の差だ。普通なら急登に汗がダラダラとキツさにヘバるところだが、全員歩調は快調だ。やがて山荘の電線が見え2時10分到着。宿泊手続きと休憩後、目の前の涸沢岳の登攀だ。I氏が辞退するが40分で登頂。やあ!すごい眺望だ。北の方は槍ヶ岳から大キレットと北穂高、北穂からの涸沢岳の難航の鋭い岩峰、反対側は奥穂高、前穂高、ジャンダルム、明日あそこを登るのお〜とため息一つ。そして笠ヶ岳から後立山連峰(黒部五郎、薬師岳など)、立山も遥かに、南に表銀座(蝶ヶ岳、常念岳、大天井岳)と、来た甲斐があった。
ビールを飲み癒しの時間だ。小屋は混雑を極め、私達は6畳に12人。お盆明けは天気が安定したためか登山者が一気に増えたとか。眠られない一夜となった。
23日
朝食は弁当で早めに出発、天気は最高だが飛騨側からの風が冷たく強い。いきなり急登だ。梯子の連続と風の強さに気を使いきつい登りだ。30分で稜線に着きようやく一息つける。後ろに槍ヶ岳、昨日登った涸沢岳が見えた。さらに稜線の足元を見ながら淡々と歩くとみるみる奥穂高の頂上が近づく。遂に目的の奥穂高岳山頂に着いた。日本第3位の高峰である。私達どんぐりーずは、第1位の富士山から北岳、奥穂高岳、間ノ岳、槍ヶ岳と第5位まで高峰を制覇したのだ。頂上は狭く円錐の標識と離れて祠があった。記念写真をとるのに次から次と登頂者が来ていたが全員でおさめることができた。まさに360度の大パノラマである。言葉はいらない。これが登山者の願望であり、重荷を背負ってでも登る気概である。そしてそれが登った者への報酬である。
私達は、20分の休憩で次の前穂高岳に向かう。稜線を降り登りながら紀美子平に到着。そしていよいよ今山行の最終目的の前穂高へ登攀である。Kさん,Iさんは、以前登っていることで 辞退し、私に先頭で行くよう指令した。目の上に頂上が見えるが急な岩場である。目印に従い登ってまもなくIさんがリタイヤした。35分で登頂。頂上は以外であった。平で広かった。
前日見た鋭角に尖った頂上から想像もできない平だった。それもキヤッチボールができるくらいの広さだ。遠望の富士山が笠をはずししっかり見ることができた。再度紀美子平に下山。韓国チームが登攀にこれから挑む。休憩して、さてこれから岳沢小屋跡まで急な下りである。いきなり鎖の連続だ。これからが私達のほんとうの序奏の始まりだったとは知る由もなかった。
岩場の連続した急斜面を下りに下る。これでもかこれでもかと続く。息が抜けない。梯子、鎖と、ようやく岳沢パノラマに到着。岳沢小屋跡がもう目視できる。あと30分で全行程の95%二段梯子を降りたその時だ、「Kさん〜」と後方から呼ぶ声がした。全員後方を見る。「来てください〜」事情が飲み込めずどうしたのだろうと足を止めていると、「Oさんが足を痛めてました。挫いたようです。来てください」、先頭にいたKさんからは戻るには少し距離が離れ登り勾配のため、後方の方に様子を見るように指示をしたが、「足が腫れて動けないそうです。骨折しているかも知れません」と、一瞬、全員沈づまった。とりあえず応急措置をとるべく方々が向かい手当てを施す。「腫れて動くのは無理です」、即、Kさんは携帯で救助の連絡をするため110番に事故届けの連絡をした。幸い連絡が取れ事故場所、負傷者名、負傷箇所、パーティ名、登山届けの有無など必要事項を話し一応完了した。あとはどのくらいの時間で救助に来るか。すると10分しないうちに下からヘリコプターがやってきた。みるみる近づいて最短の登山道にロープで一人救助者が降り、すぐに事故現場に登って行った。ヘリコプターは引き返した。Kさんは、バス組(6名)は帰りのバス時間の関係上、そのまま下山するよう指示し、乗用車組4名と女性:Sさんが介護として残ることとなった。私達バス組は下山し始め数分して、再びヘリコプターがやってきて事故現場に着くとロープが下り救助者とOさんがあっという間に引き上げられヘリコプターに乗るとたちまち上高地方面に下降していった。私達は一部始終を見届けた。わずか事故から20分の出来事である。こんなに迅速に救助が完了されるとは想像もできなかった。これも天気よし、風もなし、場所もよし、Kさんの的確な行動をはじめ皆さんの御協力の賜物である。
負傷者を除く11名が合流して下山する。1時過ぎ岳沢小屋跡に到着。売店はなかった。昼食と休憩後、各自それぞれ上高地まで下山することとなった。
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