《南安曇山地》餓鬼岳 乳川・マムシ平より
- GPS
- 56:00
- 距離
- 20.1km
- 登り
- 1,936m
- 下り
- 1,930m
コースタイム
- 山行
- 0:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:30
- 山行
- 5:50
- 休憩
- 1:25
- 合計
- 7:15
- 山行
- 8:30
- 休憩
- 1:55
- 合計
- 10:25
7/14駐車場所発(1655)堰堤上着(1725)
7/15発(500)再入渓(645)馬羅尾山支流出合(750-810)南沢出合(850-905)中沢出合(1120-1210)泊(1215)
7/16発(550)餓鬼岳(1100-50)大凪山(1250-1310)水場(1340-1415)登山口(1530-40)駐車場(1545)駐車場所着(1610)
天候 | 連日晴天 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
乳川林道はマムシ平1060mの右岸から左岸に渡る橋が落ちている手前まで行けるみたい。釣りの車が停まっていた。 |
ファイル |
(更新時刻:2018/07/22 13:07)
(更新時刻:2018/09/22 14:04)
|
写真
装備
MYアイテム |
イグルスキー米山
重量:-kg
|
---|---|
個人装備 |
フェルト地下足袋
防寒具
カッパ
シュラフカバー
マット
水筒
その他沢個人基本装備(ナイフや灯り地図磁石)
簡易ハーネス+メット
シュリンゲ+ビナ+ 確保器
|
共同装備 |
ツエルトかタープ
鍋
焚き付け+ライター
ロープ50m
|
感想
松本から見える山脈のうち、未だ未踏の餓鬼岳に沢から。東面乳川は地形図ではクネクネ。記録見当たらず。国鉄大糸線安曇沓掛駅無人待合所で松っちゃんと合流。先ほど穂高町で乗り降りした美しい女子高生二人組には目を奪われた。連休初日猛暑の夕暮れで、首都圏からの登山者と高校生で列車はいっぱいだった。
下山のルートの近くに車を置き、乳川本流の中洲で前夜泊C0の焚き火。降雨の可能性無く、焚き火でごろ寝。防寒肌着くらいは着ればよかった。明け方少し冷える。家では寝苦しい気温なのに。
本流右岸の林道を進む。マムシ平過ぎたとこの橋が落ちていて、その手前に車デポあり。なお林道を進み、地図上でも道が切れたあたりで入渓。
標高1180付近で泳ぎの淵付きの4m滝があり、その奥もいろいろありそうな所で左岸を巻く。草付き岩壁で嫌な感じ。釣り師設置ロープあり。ついでに上の滝も巻いて降りる。その先で釣り師二人に会う。沢の記録は無いようだったが、釣ではガイド本にも出ている沢らしい。8年前に来た事があり、1540二股までは、さっきの巻き以上に問題な箇所は無いよ、と、答えを聞いてしまって、ほっとしたようなつまんないような。何が出るかわからないという感じは、山のエッセンスとも言えるから。
花崗岩の渓谷は美しく、ナメ滝も続いて、どれもノーザイルで粘れる手頃な滝ばかり。外界の猛暑を想像しながら水しぶきを上げて冷水の滝を登る。・1408周りの屈曲部には6mほどの滝が連発。1400m前後には5連段の美しいトイ状20mが出現。中を前身突っ張りで行きたかったが、行ったら後半でタッパ足らずで落ち振り出しに戻るところだった。右岸笹掴んでまく。1500m、沢が南→西に向きを変えるあたりでこの日一番のすごい滝。10m二段。ヒョングって対岸の岩壁を穿つホトバシリ。松っちゃんが下をくぐってドシャ降りになる。時間に余裕もあり、美しい木陰で30分も腰を降ろしていたり。3日間の日程は頼もしい限り。昼過ぎには予定天場について木陰で至福の昼寝。暑くて火をつけるのもエラい。夕方になってから点火。
ごろ寝焚き火で一夜明けて、ここからは未知、情報無し。1860左岸から支流を受けたあたりから雪渓と滝が連続する。地形図にもある右岸2150付近からの崩落ドシャが谷を埋め、雪渓を埋め、不安定この上なし。滑る氷の上の落石の山の中を崩落避けてスタコラ登る。50mほど通過した後、後ろから重低音の崩壊音を聞きゾッとする。1940mに2段40m滝。二段目の詰め、右岸の濡れたスベスベ岩を、アンザイレンで登る。松っちゃんが一個だけ持ってきたカムがピシャリと決まり、ランニングが一本取れた。セカンドはザック釣り上げ、グリグリスタンスでネバって抜ける。これ以外はノーザイルで行ける滝多数。源流はシダの茂る涸れルンゼを快適に登ってそのまま夏道行ければよかったけど、少し左の稜線に上がり、ハイマツと花の盛りのシャクナゲのヤブを30分ほど漕ぐ。槍ヶ岳やケンズリが見え、餓鬼岳山荘南のテント指定地広場に出た。道をたどって山頂へ。岐阜からの単独ご婦人含め数人の登山者と話す。ケンズリと乳川源流はガスが立ち上がってしまった。でも西側はすべて見える。2月に辿った弓折岳から鷲羽までの稜線も全て見えた。
餓鬼岳登山道は長く、大凪山から下は特に悪かった。ハシゴは段が外れたのも多く、釘の頭出まくり。鎖場の足元はかなりヤバい感じで、フラフラして手を離したら助からない箇所が10回くらいはあった。整備の大変そうなルート取りだった。実際疲労と暑さで頭くらくらして、気を抜けないなと思った。魚止ノ滝は見事なものだった。ここから下の夏道も危険箇所が多かった。沢登りで滝を巻いているときみたいな緊張感あり。
先にスッタカ下った松っちゃんが車をとって、あるきで30分分くらい迎えに来てくれた。沢の後の乾き登山道で、腿付け根の股擦れがひりついている。豊科の池松食堂でラーメン食べて豊科駅で別れた。大糸線は登山帰りの首都圏人でいっぱい。みんな松本で特急に乗り換えて帰って行った。僕は松本駅からバスで帰宅して日が暮れる前に家族で晩ごはん食べた。きょうは一日暑かったって言ってる。松本に住んでいると、帰宅が早くてうれしい。夕焼けがすごくきれいだった。夕方には家から餓鬼岳が見えた。
「餓鬼岳へのもう一つの登路、乳川谷」
餓鬼岳へは2004年秋に、高瀬川支流の滝ノ沢ツバメ沢に登路を採って登頂している。高瀬川支流群の中でもとりわけ強い興味を持っていたし、登りたかった沢だけあって下降に採った東沢二ノ沢含めて会心の山行だった。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-32681.html
餓鬼岳の北面、西面はトレースした。餓鬼周辺の地図を見やると、次にその南東面を集水域とする乳川谷が否が応にも目に入ってくる。流域にはマムシ平という意味ありげな地名まで付されており、花崗岩盤の綺麗な谷と想像される。唐沢岳に続く稜線といい、南西のケンジリいやケンズリ、大凪山に連なる尾根といい、登路への様々な想像を膨らますことのできる意味に於いて餓鬼岳という山は、二百名山であるかはここではさておき、私にとっての名山である。
結果、その名山に対する認識を更に深めた遡行であった。
花崗岩の保護色で白い岩魚の釣れる乳川の上流はこうなっているのですね。
人物なしだと大きな滝に見えませんが、人物が入るとその大きさに圧倒されます。花
ほとんどの写真に人物入ってますけど、ウオーリーを探せみたいですね。イワナ白いんですか。乳川は花崗岩で白、隣の烏川は安山岩で黒いので、合流点は白黒です。長野県の子供用地質教科書にその合流点の航空写真がありました。
yoneちゃん、macchan90殿、おはようございます。やっぱプロですわ、登山も、写真も
ちなみにお足元、普通の足袋でしょうか?気になる〜
イトゥー様
おはようございますありがとうございます。足袋は足袋でも「男の足袋」で、フェルト地下足袋という札幌の特産品です。
お久しぶりです。
先週、秀岳荘に行ったところ、フェルト地下足袋がまだ売ってました。よく覚えてないけど4千円弱くらいだったかな。わらじは1,400円くらいだったかと。
私も、一昨日、13年ぶりに履きました。
フェル地下、無くなっては困りますよ。秀岳荘から取り寄せて履いています。昔は2300円くらいだったけど、今時作っている人のことも思えば仕方ないですね。
取り寄せですか、流石です。
私は、店頭に置いてあるのを見て「まだ売っていた!」と少し驚いてしまいました。
他の沢靴に比べたら全然安いと思います。
シェイク様
三枚コハゼで軽くて最高、逸品です。
シェイクさんと1991年夏に眺めた鹿島槍に、先日ようやく登ってきましたヨ。
三の窓をベースにして八ツ峰やチンネに登ったっけ。雨ばかり降って大変だったけど、面白かったね。自分は翌年もK山岳会の合宿で行く羽目になったけど 。
北沢上部は険しかったようですが、焚火でゆっくり沢登り、たのしそうです。
1981年7月にマムシ平まで車で送ってもらい、中沢を遡行。旧道をケンズリ経由で餓鬼岳に登ったことを思い出します。
足元は、3枚コハゼの黒底の地下足袋。北沢と違いロープを出さずに済んでいます。
しげさんは中沢遡行していたんですね。旧道というのは稜線の道のことですか?乳川中沢に以前は沢伝いの登山道があったのですか?
ケンズリ格好いいですねえ。
シゲさま
おお、行かれてますか。清潔度の極めて高い沢で、北沢源頭部を除外すれば難度のそう高くない遡行になるようですので、もっと皆さんに歩いて頂きたい思いです。ケンズリは、餓鬼岳と3mと違わない高度の格好の決まったピークです。
稜線に出てからの縦走路です。
今は西側のまき道になっていますが、昔(1970年代)は稜線でした。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-83030.html
南沢は、部の先輩が1981年8月に遡行していますが
ロープを使っています。
旧道は、稜線にあったのですね。高山だといえど手入れをしなければ道はまもなく廃れるのですね。
剣吊と書くのですね。知らなかったです。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する