2日分の水と食料を背負って、梵字飯場跡駐車場からスタート。
まずは前回見つけた軽石沢右岸の作業道から、野門道を目指す。
太郎林道と軽石沢の交点に到着。
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9/23 6:07
2日分の水と食料を背負って、梵字飯場跡駐車場からスタート。
まずは前回見つけた軽石沢右岸の作業道から、野門道を目指す。
太郎林道と軽石沢の交点に到着。
軽石沢右岸の作業道。
どこまで続いているのか案じていたが__
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9/23 6:08
軽石沢右岸の作業道。
どこまで続いているのか案じていたが__
100m強ほどで作業道は途絶えていた。
この先の踏跡はそれほど明瞭とも言えない感じ。
ここから野門道の起点となる飯場跡広場まで向かわなければならない。
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9/23 6:14
100m強ほどで作業道は途絶えていた。
この先の踏跡はそれほど明瞭とも言えない感じ。
ここから野門道の起点となる飯場跡広場まで向かわなければならない。
標高1790mあたりにある飯場跡広場と軽石沢との間の谷がとても深いことは、前回の山行で知っている。
ひとまず作業道終点に裾を伸ばしている小曾根に取付いたが__
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9/23 6:31
標高1790mあたりにある飯場跡広場と軽石沢との間の谷がとても深いことは、前回の山行で知っている。
ひとまず作業道終点に裾を伸ばしている小曾根に取付いたが__
途中できれいな踏跡が山腹をトラバースしていることに気付いた。
谷を巻けそうなので、これに乗って北西に進む。
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9/23 6:34
途中できれいな踏跡が山腹をトラバースしていることに気付いた。
谷を巻けそうなので、これに乗って北西に進む。
驚くほど歩きやすい踏跡を辿るうちに、飯場跡のある小曾根に取付いていた。
明瞭な踏跡が尾根筋の下から上まで続いている。
この踏跡が太郎山林道まで繋がっているのかどうかは未確認。
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9/23 6:39
驚くほど歩きやすい踏跡を辿るうちに、飯場跡のある小曾根に取付いていた。
明瞭な踏跡が尾根筋の下から上まで続いている。
この踏跡が太郎山林道まで繋がっているのかどうかは未確認。
辿ってきた踏跡は標高1700mを平行移動するようにまだ先に続いている。
このままタカノス沢に続いていたのか?
__いや、まさか。これも未確認です。
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9/23 6:40
辿ってきた踏跡は標高1700mを平行移動するようにまだ先に続いている。
このままタカノス沢に続いていたのか?
__いや、まさか。これも未確認です。
さて、小曾根を登り始めた。
しばらくは歩きやすい直登道が続くが__
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9/23 6:42
さて、小曾根を登り始めた。
しばらくは歩きやすい直登道が続くが__
飯場跡が近づくと少し藪る。
踏跡はわりとはっきりしているのでそれを辿ると__
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9/23 6:50
飯場跡が近づくと少し藪る。
踏跡はわりとはっきりしているのでそれを辿ると__
飯場跡の広場に着いた。
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9/23 6:53
飯場跡の広場に着いた。
ここからこの広場に飛び出してきた。
さて、一息入れてここから野門道に入る。
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9/23 6:53
ここからこの広場に飛び出してきた。
さて、一息入れてここから野門道に入る。
飯場跡広場からタカノス沢までの区間の野門道は、比較的踏跡が辿りやすい。
広場から歩きだして6分で徒渉地点が見えてきた。
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9/23 7:10
飯場跡広場からタカノス沢までの区間の野門道は、比較的踏跡が辿りやすい。
広場から歩きだして6分で徒渉地点が見えてきた。
タカノス沢徒渉地点に到着。
涸沢である。
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9/23 7:10
タカノス沢徒渉地点に到着。
涸沢である。
徒渉地点より、対岸(寒沢宿側)を望む。
画像中央にマーキングあり。
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9/23 7:11
徒渉地点より、対岸(寒沢宿側)を望む。
画像中央にマーキングあり。
徒渉地点より飯場跡広場側を望む。
画像上部右手にマーキングあり。
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9/23 7:11
徒渉地点より飯場跡広場側を望む。
画像上部右手にマーキングあり。
徒渉地点のすぐ下流に、特徴的な露岩がある。
タカノス沢の河床だ。
0
9/23 7:13
徒渉地点のすぐ下流に、特徴的な露岩がある。
タカノス沢の河床だ。
徒渉地点から上流を望む。
この地点が優れた徒渉地点であったろうことが分かる。
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9/23 7:15
徒渉地点から上流を望む。
この地点が優れた徒渉地点であったろうことが分かる。
徒渉後、テープマークを追いながら歩こうとするが__
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9/23 7:16
徒渉後、テープマークを追いながら歩こうとするが__
テープはあるのに見覚えのない風景の中に入ってしまった。
そのうちテープも見失い、コンパスで踏跡に復帰。
寒沢宿までの道、薄い踏跡や疑似踏跡が交錯し分かりにくい。
前回この道を辿れた、その時の自分の集中力に驚いた。
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9/23 7:28
テープはあるのに見覚えのない風景の中に入ってしまった。
そのうちテープも見失い、コンパスで踏跡に復帰。
寒沢宿までの道、薄い踏跡や疑似踏跡が交錯し分かりにくい。
前回この道を辿れた、その時の自分の集中力に驚いた。
寒沢宿に着いたら人がいた。
「わーい、人だ」声をかけさせていただいた。
「半顔ならいいよ」とおっしゃるosarusandaiさんを撮影。
ここから大真名子に登って周回なさるそうです。
ガンバです!!
1
9/23 8:26
寒沢宿に着いたら人がいた。
「わーい、人だ」声をかけさせていただいた。
「半顔ならいいよ」とおっしゃるosarusandaiさんを撮影。
ここから大真名子に登って周回なさるそうです。
ガンバです!!
寒沢宿の不動明王光背に遺された奉銘文。
このあとまさか、ここに名のある方に出合うことになろうとは___
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9/23 8:29
寒沢宿の不動明王光背に遺された奉銘文。
このあとまさか、ここに名のある方に出合うことになろうとは___
osarusandaiさんと分かれ、寒沢宿広場の外側に幕営した。
不要な水と食料をデポする。
『全踏査』268頁に「"宿ニ近付テ両部石有 行者石アリ"とある。この記述は、寒沢宿のある位置から東寄りに下って、野門道まで出たことを示している」とあるのだが、僕はまだこの2つの石躰を見つけられていない。
このあと寒沢宿周辺を1時間20分ほどうろついて、これを探した。
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9/23 8:57
osarusandaiさんと分かれ、寒沢宿広場の外側に幕営した。
不要な水と食料をデポする。
『全踏査』268頁に「"宿ニ近付テ両部石有 行者石アリ"とある。この記述は、寒沢宿のある位置から東寄りに下って、野門道まで出たことを示している」とあるのだが、僕はまだこの2つの石躰を見つけられていない。
このあと寒沢宿周辺を1時間20分ほどうろついて、これを探した。
小真名子山塊は寒沢宿のすぐ東側から立ち上がっていて、その間に涸沢が挟まっている。これは大事沢の源頭となるのだが、この沢沿いを野門側に向かって北上してみた。
標高1860m付近に露岩帯があった。
0
9/23 9:23
小真名子山塊は寒沢宿のすぐ東側から立ち上がっていて、その間に涸沢が挟まっている。これは大事沢の源頭となるのだが、この沢沿いを野門側に向かって北上してみた。
標高1860m付近に露岩帯があった。
露岩のうちの一。
うろついてみたが『全踏査』268・271頁掲載の写真と同じ岩は見当たらなかった。
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9/23 9:26
露岩のうちの一。
うろついてみたが『全踏査』268・271頁掲載の写真と同じ岩は見当たらなかった。
もう少し下って、太郎山体と小真名子山体作るこの鞍部の北東端あたりまで行ってみた。
氾濫原のような風景だった。
太郎山から寒沢宿に下る際ににここまで北上する意味もさすがに無かろうと思うので、今度は戻って、太郎山の山裾を歩いてみる。
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9/23 9:27
もう少し下って、太郎山体と小真名子山体作るこの鞍部の北東端あたりまで行ってみた。
氾濫原のような風景だった。
太郎山から寒沢宿に下る際ににここまで北上する意味もさすがに無かろうと思うので、今度は戻って、太郎山の山裾を歩いてみる。
太郎山側の沢。
先ほどの露岩帯を抜けると大きな露岩が見当たらない。
寒沢薙に出合うまで幾つもの沢を横断しながら南下した。
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9/23 9:32
太郎山側の沢。
先ほどの露岩帯を抜けると大きな露岩が見当たらない。
寒沢薙に出合うまで幾つもの沢を横断しながら南下した。
寒沢宿西側の踏跡も辿る。
寒沢薙と出合うまで、いくつかのルートでピストンしてみる。
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9/23 10:08
寒沢宿西側の踏跡も辿る。
寒沢薙と出合うまで、いくつかのルートでピストンしてみる。
寒沢宿東側の沢。
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9/23 10:14
寒沢宿東側の沢。
1879pはこのあたりか。
結局石躰を見つけらないまま、小真名子に登ることにした。
1879p南東の尾根裾を探して、そこから取り付く。
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9/23 10:19
1879pはこのあたりか。
結局石躰を見つけらないまま、小真名子に登ることにした。
1879p南東の尾根裾を探して、そこから取り付く。
カシミール3Dを使って作図したのだが、今回の山行で参考とした2つの境界線を挙げる。
青線が栗山村と日光町の旧町村境界線で、緑線が国有林の境界線となる。古い地図を基に僕が書き込んだものなので、誤りがあったらごめんなさい。
今回も池田さんの記述を基に小真名子山に登るが、抖悗琉戝弔どこを歩いていたのか、傾向が分かるのみで具体的なことは依然として判然としていない。池田さんに伺ったのだが『全踏査』291,361頁の地図に書き込まれたルート通りには、池田さんも小真名子に登ってはいないのだ。
御料局境界線のこともあるので、これら2つのルートを"考慮しながら"歩こうと考えたのが僕の計画だった。
赤線が今回僕の歩いたラインだが、山行は中途半端なルート取りに終わっている。僕が巧く歩けず、汚いログとなってしまった。
参考までに併記させていただくが、橙線がshige-ponさんが2016年6月に歩かれたログ。羨ましいほど美しい。
2018年10月05日 19:43撮影
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10/5 19:43
カシミール3Dを使って作図したのだが、今回の山行で参考とした2つの境界線を挙げる。
青線が栗山村と日光町の旧町村境界線で、緑線が国有林の境界線となる。古い地図を基に僕が書き込んだものなので、誤りがあったらごめんなさい。
今回も池田さんの記述を基に小真名子山に登るが、抖悗琉戝弔どこを歩いていたのか、傾向が分かるのみで具体的なことは依然として判然としていない。池田さんに伺ったのだが『全踏査』291,361頁の地図に書き込まれたルート通りには、池田さんも小真名子に登ってはいないのだ。
御料局境界線のこともあるので、これら2つのルートを"考慮しながら"歩こうと考えたのが僕の計画だった。
赤線が今回僕の歩いたラインだが、山行は中途半端なルート取りに終わっている。僕が巧く歩けず、汚いログとなってしまった。
参考までに併記させていただくが、橙線がshige-ponさんが2016年6月に歩かれたログ。羨ましいほど美しい。
登りだしから身体が重く、足が進まない。
薄めの藪に逃げるように歩いたため、ログがなにかと蛇行している。
先ずは、先人さんたちのいろいろなレポートに登場する広場を目指した。
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9/23 10:40
登りだしから身体が重く、足が進まない。
薄めの藪に逃げるように歩いたため、ログがなにかと蛇行している。
先ずは、先人さんたちのいろいろなレポートに登場する広場を目指した。
藪から飛び出すように大きな広場に出た。
画像下に写りこんでいるのは__
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9/23 10:54
藪から飛び出すように大きな広場に出た。
画像下に写りこんでいるのは__
山林境界標「乙13」
"乙"という表記が太郎山山中の国有林境界の御料局標識を思わせてドキッとした。
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9/23 10:56
山林境界標「乙13」
"乙"という表記が太郎山山中の国有林境界の御料局標識を思わせてドキッとした。
広場はかなりの広さがある。
ここを起点にした踏跡がいくつかあるように感じたのでそのうちの一つに入ってみたが__
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9/23 10:58
広場はかなりの広さがある。
ここを起点にした踏跡がいくつかあるように感じたのでそのうちの一つに入ってみたが__
踏み込むとすぐに踏跡は薄くなり、藪めいていた。
大型のボルトが打たれた角材が残置されていた。
索道の名残かもしれない。
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9/23 11:03
踏み込むとすぐに踏跡は薄くなり、藪めいていた。
大型のボルトが打たれた角材が残置されていた。
索道の名残かもしれない。
2034pに向かい、踏跡を見繕って分け入ったら、50mも進まないうちにまた小さな広場に出た。
広さ6畳ほどだろうか?
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9/23 11:08
2034pに向かい、踏跡を見繕って分け入ったら、50mも進まないうちにまた小さな広場に出た。
広さ6畳ほどだろうか?
広場の東面に大きな岩が立ちふさがっていたので乗り越えようとしたが、その先はニッチもサッチもいかないド藪だった。
あきらめて右に回り込む。
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9/23 11:09
広場の東面に大きな岩が立ちふさがっていたので乗り越えようとしたが、その先はニッチもサッチもいかないド藪だった。
あきらめて右に回り込む。
2034p北稜に取付いた。
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9/23 11:18
2034p北稜に取付いた。
__が、わりと岩っぽい。
出合うたびに巻く。
0
9/23 11:22
__が、わりと岩っぽい。
出合うたびに巻く。
正直、僕としては修験者が2034pを通ったことに懐疑的だ。
忍耐強くピークを目指す。
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9/23 11:29
正直、僕としては修験者が2034pを通ったことに懐疑的だ。
忍耐強くピークを目指す。
たどり着いた2034pに眺望は無し。
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9/23 11:34
たどり着いた2034pに眺望は無し。
2034pを下りながら小真名子を望む。
この角度から見ると小真名子は3つのピークがあるように見える。
真ん中が小真名子山頂。
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9/23 11:38
2034pを下りながら小真名子を望む。
この角度から見ると小真名子は3つのピークがあるように見える。
真ん中が小真名子山頂。
2034pと小真名子の間の鞍部を通過し__
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9/23 11:42
2034pと小真名子の間の鞍部を通過し__
小真名子の北西稜を詰める。
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9/23 12:03
小真名子の北西稜を詰める。
標高2150mほどで最初の岩場が出てきた。
左に巻いた。
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9/23 12:17
標高2150mほどで最初の岩場が出てきた。
左に巻いた。
20〜30m高度を上げたらまた次の岩場。
ここも左に巻いた。
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9/23 12:34
20〜30m高度を上げたらまた次の岩場。
ここも左に巻いた。
見上げる先の稜線が岩場になっている。
岩稜左端を目指すように登り上げたら、そこに思いがけないものを見つけてしまった。
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9/23 12:35
見上げる先の稜線が岩場になっている。
岩稜左端を目指すように登り上げたら、そこに思いがけないものを見つけてしまった。
標高2200m付近の岩屋で
日光修験の金剛堂を見つけた。
永く忘れられていた、新発見の祠であった。
6
9/23 12:43
標高2200m付近の岩屋で
日光修験の金剛堂を見つけた。
永く忘れられていた、新発見の祠であった。
石室右面に
「元文四巳未天
金剛堂一宇
八月吉日」
元文4年(1739)は夏峯が失われてからもう200年ほど時を経ており、この時代の峯修行で小真名子山を通過するのは五禅頂のみである。
『私記』や『秘密記』に小真名子山中の拝所の記録はあるが、この岩屋の金剛堂が拝所であったのかどうかはよく分からない。興雲律院の中川住職に伺ったところ「抖悗量椣ではあったと思う」との見解を述べられていた。
だとすれば、これまでぼんやりと「小真名子北西稜」とされていた抖悒襦璽箸琉貮瑤、この金剛堂によって点として示されたことになる。
4
9/23 12:41
石室右面に
「元文四巳未天
金剛堂一宇
八月吉日」
元文4年(1739)は夏峯が失われてからもう200年ほど時を経ており、この時代の峯修行で小真名子山を通過するのは五禅頂のみである。
『私記』や『秘密記』に小真名子山中の拝所の記録はあるが、この岩屋の金剛堂が拝所であったのかどうかはよく分からない。興雲律院の中川住職に伺ったところ「抖悗量椣ではあったと思う」との見解を述べられていた。
だとすれば、これまでぼんやりと「小真名子北西稜」とされていた抖悒襦璽箸琉貮瑤、この金剛堂によって点として示されたことになる。
石室左面に
「願主 櫻正坊 貞栄
正学坊 賢諄
本了坊 亮貞」
"櫻正坊 貞栄" の名は、寒沢宿の不動明王立像光背に刻まれた奉納者5名のうちの1名と同一である。
このことには本当に驚かされた。
4
9/23 12:44
石室左面に
「願主 櫻正坊 貞栄
正学坊 賢諄
本了坊 亮貞」
"櫻正坊 貞栄" の名は、寒沢宿の不動明王立像光背に刻まれた奉納者5名のうちの1名と同一である。
このことには本当に驚かされた。
金剛堂には石室の四隅にホゾが切られていて、かつて扉があった可能性を伺わせた。
あたりを見渡しても何も見つけられなかったけれど。
0
9/23 12:40
金剛堂には石室の四隅にホゾが切られていて、かつて扉があった可能性を伺わせた。
あたりを見渡しても何も見つけられなかったけれど。
金剛堂はほぼ西面して立っていた。
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9/23 12:51
金剛堂はほぼ西面して立っていた。
さて、この岩屋を金剛堂の右手から乗越して__
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9/23 12:52
さて、この岩屋を金剛堂の右手から乗越して__
小真名子の北西稜に登り詰めた。
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9/23 12:53
小真名子の北西稜に登り詰めた。
北西稜に立って太郎山を望む。
目の前に見える大岩は、先ほどの岩屋ではない。
方角が違う。
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9/23 13:00
北西稜に立って太郎山を望む。
目の前に見える大岩は、先ほどの岩屋ではない。
方角が違う。
北西稜から見た小真名山頂__かと思ったが、西稜のようだ。
山頂はもっと左。
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9/23 13:00
北西稜から見た小真名山頂__かと思ったが、西稜のようだ。
山頂はもっと左。
さて、北西稜を辿って山頂を目指す。
途中、木杭を打った簡便な境界標(?)を何本か見かけた。
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9/23 13:07
さて、北西稜を辿って山頂を目指す。
途中、木杭を打った簡便な境界標(?)を何本か見かけた。
まもなく標高2250m。
2250mを境にシャクナゲが出てくる。
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9/23 13:08
まもなく標高2250m。
2250mを境にシャクナゲが出てくる。
乙49、あり。
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9/23 13:12
乙49、あり。
濃い藪が波状に現れる。
身をよじりながら進む。
0
9/23 13:15
濃い藪が波状に現れる。
身をよじりながら進む。
写真はないけれど、山頂直下でosarusandaiさんと再会。
寒沢 → 大真名子 → 小真名子を経てこの斜面から寒沢に下るとのこと。
やるなあ!
2
9/23 13:24
写真はないけれど、山頂直下でosarusandaiさんと再会。
寒沢 → 大真名子 → 小真名子を経てこの斜面から寒沢に下るとのこと。
やるなあ!
藪の中に5寸角の角材が落ちていた。
あえぎながら進んでいたら__
0
9/23 13:26
藪の中に5寸角の角材が落ちていた。
あえぎながら進んでいたら__
思いがけないタイミングで反射板の裏に出た。
山頂に到着です。
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9/23 13:28
思いがけないタイミングで反射板の裏に出た。
山頂に到着です。
一息入れて、小真名子北東斜面の石祠を訪ねた。
0
9/23 13:42
一息入れて、小真名子北東斜面の石祠を訪ねた。
屋根だけを残した石祠である。(『全踏査』292,293,366頁)
碑伝は見当たらない。
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9/23 13:43
屋根だけを残した石祠である。(『全踏査』292,293,366頁)
碑伝は見当たらない。
丁寧な造りであったことが伺われる。
0
9/23 13:45
丁寧な造りであったことが伺われる。
頂上に戻ろう。
もうバテバテである。
0
9/23 13:45
頂上に戻ろう。
もうバテバテである。
3等三角点「小真子」のある地点には__
0
9/23 13:53
3等三角点「小真子」のある地点には__
山紀行さんの山名板がある。
0
9/23 13:53
山紀行さんの山名板がある。
小真名子山頂に到着。
1組の若い縦走者と暫しおしゃべりした。
0
9/23 13:54
小真名子山頂に到着。
1組の若い縦走者と暫しおしゃべりした。
山頂にある石祠の傍らに山名板が置かれていた。
"日光山紀行"と書かれた山名板はkatukatunさんによるものらしい。
1
9/23 13:55
山頂にある石祠の傍らに山名板が置かれていた。
"日光山紀行"と書かれた山名板はkatukatunさんによるものらしい。
石室右面。
"歳"や"龍(もしくは瀧)"の文字が読めるが、判読できない。
0
9/23 13:57
石室右面。
"歳"や"龍(もしくは瀧)"の文字が読めるが、判読できない。
右扉の内面には"小真名子山神社"の文字。
0
9/23 13:59
右扉の内面には"小真名子山神社"の文字。
石室に書かれた文字は地蔵菩薩の梵字"カ"に見えなくもない。
小真名子の本地は地蔵菩薩だという。
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9/23 14:00
石室に書かれた文字は地蔵菩薩の梵字"カ"に見えなくもない。
小真名子の本地は地蔵菩薩だという。
石室左面。
中央に"石社一宇"の文字。
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9/23 14:28
石室左面。
中央に"石社一宇"の文字。
では、藪を伝って寒沢宿に帰ろう。
反射板周辺の岩にある、小枝みたいなこれらの模様が以前から気になっているのだが、詳細は知らず。
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9/23 14:33
では、藪を伝って寒沢宿に帰ろう。
反射板周辺の岩にある、小枝みたいなこれらの模様が以前から気になっているのだが、詳細は知らず。
ここから藪に入って帰還した。
0
9/23 14:33
ここから藪に入って帰還した。
シャクナゲ藪を抜けたはいいが__
0
9/23 14:36
シャクナゲ藪を抜けたはいいが__
見えた岩尾根を往路通った箇所と勘違いして、道を誤る。
0
9/23 14:43
見えた岩尾根を往路通った箇所と勘違いして、道を誤る。
気付けば薙の東側に下ろうとしていた。
けっこう密な藪をトラバースして__
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9/23 14:57
気付けば薙の東側に下ろうとしていた。
けっこう密な藪をトラバースして__
なんとか薙の上を通過する。
復路もグダグダである。
0
9/23 14:59
なんとか薙の上を通過する。
復路もグダグダである。
道を誤ったが、予定していた国有林境の通る谷に進行方向を傾け__
0
9/23 15:04
道を誤ったが、予定していた国有林境の通る谷に進行方向を傾け__
谷に入った。
見渡したが、国有林境を感じるような明確な地形の変化はなかった。
0
9/23 15:17
谷に入った。
見渡したが、国有林境を感じるような明確な地形の変化はなかった。
__で、これもボヤボヤしているうちに下り過ぎ、国有林境を追うタイミングを逃す。
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9/23 15:24
__で、これもボヤボヤしているうちに下り過ぎ、国有林境を追うタイミングを逃す。
またしても進路を転換し、予定していた小ピーク際を目指して鞍部を北上した。
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9/23 15:27
またしても進路を転換し、予定していた小ピーク際を目指して鞍部を北上した。
このへんはもう国有林境あたりを歩いていると思う。
人の手が入った形跡はあるが、国有林と民有林の違いは感じない、相の薄い荒れた森だった。
0
9/23 15:34
このへんはもう国有林境あたりを歩いていると思う。
人の手が入った形跡はあるが、国有林と民有林の違いは感じない、相の薄い荒れた森だった。
いよいよ目指していた小ピークが見えてくるが__
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9/23 15:39
いよいよ目指していた小ピークが見えてくるが__
そこは岩稜帯だった。
国有林境はここを避けて通っているようだ。
今昔マップで古い地形図を見ると町村境界線がこの上を通っているように見える。
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9/23 15:43
そこは岩稜帯だった。
国有林境はここを避けて通っているようだ。
今昔マップで古い地形図を見ると町村境界線がこの上を通っているように見える。
岩稜帯を避け__
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9/23 15:57
岩稜帯を避け__
再び大広場に到着。
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9/23 16:03
再び大広場に到着。
広場に残る一升瓶のかけら。
古道といえば割れた一升瓶である。
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9/23 16:17
広場に残る一升瓶のかけら。
古道といえば割れた一升瓶である。
藪を伝って寒沢宿に戻った。
今夜はここに泊まる。
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9/23 16:31
藪を伝って寒沢宿に戻った。
今夜はここに泊まる。
2日目。
寒沢宿を発つ。
0
9/24 5:31
2日目。
寒沢宿を発つ。
1879pのすぐそばにあったヌタ場。
まだ見つけられていない石躰が心残りだが、大真名子に向けて野門道を南下する。
0
9/24 5:37
1879pのすぐそばにあったヌタ場。
まだ見つけられていない石躰が心残りだが、大真名子に向けて野門道を南下する。
最初は順調に道を辿っていたが__
0
9/24 6:08
最初は順調に道を辿っていたが__
(前回のレコでいうところの)新薙を離れられず、ずっと沢沿いを歩いてしまった。
明瞭な踏跡はあったので、しばらくそのことに気付かなかった。
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9/24 6:16
(前回のレコでいうところの)新薙を離れられず、ずっと沢沿いを歩いてしまった。
明瞭な踏跡はあったので、しばらくそのことに気付かなかった。
なんとか前回のルートに戻らなくては。
こんなザレ場を無理矢理渡って藪に入り__
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9/24 6:43
なんとか前回のルートに戻らなくては。
こんなザレ場を無理矢理渡って藪に入り__
なんとか予定していた分岐地点より手前で野門道に復帰できた。
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9/24 7:00
なんとか予定していた分岐地点より手前で野門道に復帰できた。
予定していた分岐点が標高1825mのこの辺り。
画像右に見えるテープマークが野門道。
ここでマーキングから離れ、コンパスを頼りに1909pの山体を登りながらタカノス沢に近づいていく。
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9/24 7:04
予定していた分岐点が標高1825mのこの辺り。
画像右に見えるテープマークが野門道。
ここでマーキングから離れ、コンパスを頼りに1909pの山体を登りながらタカノス沢に近づいていく。
だがこのルート、うっすらと途切れがちな踏跡があった。
マーキングも見つけたが、気づいたのはこの地点のみ。
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9/24 7:16
だがこのルート、うっすらと途切れがちな踏跡があった。
マーキングも見つけたが、気づいたのはこの地点のみ。
踏跡が明瞭な地点もある。
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9/24 7:18
踏跡が明瞭な地点もある。
1909p南稜を回り込むあたりで踏跡を見失う。
タカノス沢の支沢が見えてきたが、谷は深そう。
0
9/24 7:23
1909p南稜を回り込むあたりで踏跡を見失う。
タカノス沢の支沢が見えてきたが、谷は深そう。
岩壁の露出した地点で一応近づいてみたが、埒が明かないので__
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9/24 7:26
岩壁の露出した地点で一応近づいてみたが、埒が明かないので__
岩壁を登って藪に入り、1909p方向に登ってみる。
0
9/24 7:26
岩壁を登って藪に入り、1909p方向に登ってみる。
標高1870mあたりで割れた一升瓶と踏跡に出合う。
0
9/24 7:35
標高1870mあたりで割れた一升瓶と踏跡に出合う。
そのまま踏跡を辿ると__
0
9/24 7:37
そのまま踏跡を辿ると__
美しさすら感じる、おあつらえ向きの徒渉点が待っていた。
タカノス支沢の徒渉地点を通過。
2
9/24 7:39
美しさすら感じる、おあつらえ向きの徒渉点が待っていた。
タカノス支沢の徒渉地点を通過。
徒渉地点より上流を望む。
0
9/24 7:41
徒渉地点より上流を望む。
下流を望む。
実によくできた地点だ。
1
9/24 7:41
下流を望む。
実によくできた地点だ。
ここで踏跡は2つに分かれていた。
ほぼ真南に向かう道と__
0
9/24 7:41
ここで踏跡は2つに分かれていた。
ほぼ真南に向かう道と__
北東に向かう道。
先ずは南の踏跡を辿ってみたが__
0
9/24 7:41
北東に向かう道。
先ずは南の踏跡を辿ってみたが__
すぐにザレ場に出てしまい__
(画像は道を振り返りながら撮影)
0
9/24 7:46
すぐにザレ場に出てしまい__
(画像は道を振り返りながら撮影)
その先の道が分からないので引き返した。
0
9/24 7:46
その先の道が分からないので引き返した。
北東の道もすぐに不明瞭になったが、そのままこの左岸に上がり__
0
9/24 7:50
北東の道もすぐに不明瞭になったが、そのままこの左岸に上がり__
1909pのひとつ南の小曾根の先端めがけて斜面を登り上げていった。
0
9/24 7:53
1909pのひとつ南の小曾根の先端めがけて斜面を登り上げていった。
平坦部まで上がってきた。
タカノス沢はまだ見えないが、タカノス沢右岸に沿って歩いていくと__
0
9/24 8:03
平坦部まで上がってきた。
タカノス沢はまだ見えないが、タカノス沢右岸に沿って歩いていくと__
標高1940mにて登山道と言って差し支えのない踏跡に出合った。
0
9/24 8:12
標高1940mにて登山道と言って差し支えのない踏跡に出合った。
しばらくこれを辿る。
0
9/24 8:15
しばらくこれを辿る。
タカノス沢の屈曲点が近づくと、軽くザレた場所があった。
小真名子からタカノス沢に入る支沢はこのザレ斜面の下だ。
0
9/24 8:17
タカノス沢の屈曲点が近づくと、軽くザレた場所があった。
小真名子からタカノス沢に入る支沢はこのザレ斜面の下だ。
これを難なく超えてそのまま進むと__
0
9/24 8:25
これを難なく超えてそのまま進むと__
ついに眼下にタカノス沢が見えてきた。
『全踏査』276頁に「タカノス沢が大きく北に向きを変える蛇行地点がある」との記述があるが、タカノス沢を遡って歩く場合、タカノス沢は"南東に向かって"向きを変えている。
誤記だと思われる。
0
9/24 8:29
ついに眼下にタカノス沢が見えてきた。
『全踏査』276頁に「タカノス沢が大きく北に向きを変える蛇行地点がある」との記述があるが、タカノス沢を遡って歩く場合、タカノス沢は"南東に向かって"向きを変えている。
誤記だと思われる。
下り立った地点はここだった。
shige-ponさんが下りた地点より、ほんの少し上流にあたるのだろうか?
1
9/24 8:33
下り立った地点はここだった。
shige-ponさんが下りた地点より、ほんの少し上流にあたるのだろうか?
タカノス沢に下り立った地点より下流を望む。
1
9/24 8:33
タカノス沢に下り立った地点より下流を望む。
上流を望む。
『全踏査』376頁掲載の写真と同じ地点だと思われる。
タカノス沢を渡った。
0
9/24 8:35
上流を望む。
『全踏査』376頁掲載の写真と同じ地点だと思われる。
タカノス沢を渡った。
タカノス沢徒渉点から大真名子山北西稜を望む。
この尾根を登っていく。
2
9/24 8:39
タカノス沢徒渉点から大真名子山北西稜を望む。
この尾根を登っていく。
北西稜取付から小真名子山を望むとこんな形。
0
9/24 8:41
北西稜取付から小真名子山を望むとこんな形。
大真名子を望む。
ここからだとまだ小真名子山頂の方が近い。
0
9/24 8:41
大真名子を望む。
ここからだとまだ小真名子山頂の方が近い。
最初は軽めのシャクナゲ藪を巻きながら歩く感じだった。
0
9/24 8:44
最初は軽めのシャクナゲ藪を巻きながら歩く感じだった。
しばらく歩くと尾根筋のど真ん中で再び明瞭な踏跡に出合った。
踏跡の明度は濃淡を繰り返す。
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9/24 8:46
しばらく歩くと尾根筋のど真ん中で再び明瞭な踏跡に出合った。
踏跡の明度は濃淡を繰り返す。
標高2050m、すぐ右手に薙があるあたり。
0
9/24 8:56
標高2050m、すぐ右手に薙があるあたり。
さて、ここで地形図の標高2150mあたりにある岩場マークを避けて、右方向に登る向きを変えた。
(これは今回の山行の最大の失敗だと思う)
0
9/24 9:11
さて、ここで地形図の標高2150mあたりにある岩場マークを避けて、右方向に登る向きを変えた。
(これは今回の山行の最大の失敗だと思う)
__が、目的の地点が近づいても岩場の切れ目が見えない。
0
9/24 9:19
__が、目的の地点が近づいても岩場の切れ目が見えない。
めっちゃ、そそり立ってる。
0
9/24 9:21
めっちゃ、そそり立ってる。
遠い目をしてどうするべきか思案したが___
0
9/24 9:22
遠い目をしてどうするべきか思案したが___
歩くのが面倒くさくなっていたので、岩の割れ目から取付いてしまった。
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9/24 9:28
歩くのが面倒くさくなっていたので、岩の割れ目から取付いてしまった。
下は樹木の根付が良かったのだが、登るにつれ低く細いシャクナゲしかなくなった。苔生した表土はすぐ剥がれる。
オーバーハング気味の場所もあるし…
1
9/24 9:31
下は樹木の根付が良かったのだが、登るにつれ低く細いシャクナゲしかなくなった。苔生した表土はすぐ剥がれる。
オーバーハング気味の場所もあるし…
落ち着いた場所まで登った時には遠近両用メガネが無くなっていた。
予備の老眼鏡を取り出したものの、動揺の隠せないthoughtmay。
0
9/24 9:49
落ち着いた場所まで登った時には遠近両用メガネが無くなっていた。
予備の老眼鏡を取り出したものの、動揺の隠せないthoughtmay。
何度も休みながら大真名子北西稜の緩部に登ってきた。
タカノス沢を離れて初めてのテープマークがあった。
この後山頂までマークは見かけなかったように思う。
0
9/24 10:23
何度も休みながら大真名子北西稜の緩部に登ってきた。
タカノス沢を離れて初めてのテープマークがあった。
この後山頂までマークは見かけなかったように思う。
大真名子北西稜の肩を行く。
0
9/24 10:30
大真名子北西稜の肩を行く。
山頂に向けての最後の登り。
上方は__
0
9/24 10:40
山頂に向けての最後の登り。
上方は__
藪。
これを抜ければ__
0
9/24 10:53
藪。
これを抜ければ__
山頂稜線だ。
画像東端のピークが大真名子山頂。
0
9/24 11:06
山頂稜線だ。
画像東端のピークが大真名子山頂。
気付けば小真名子がこんなに美しく見える。
0
9/24 11:06
気付けば小真名子がこんなに美しく見える。
「一行は大真名子山山頂の北に張り出したピークの上に登り詰めたことを示している。ここにはアサマブドウやガンコウラン、コケモモ等が豊富に自生しているからである。(p.377)」
アサマブドウ(クロマメノキ)
0
9/24 11:11
「一行は大真名子山山頂の北に張り出したピークの上に登り詰めたことを示している。ここにはアサマブドウやガンコウラン、コケモモ等が豊富に自生しているからである。(p.377)」
アサマブドウ(クロマメノキ)
コケモモ。
ガンコウランは残念ながら気付かなかった。
0
9/24 11:11
コケモモ。
ガンコウランは残念ながら気付かなかった。
頂上稜線を西に向かって進むと、眺望の良いスペースがある。
0
9/24 11:13
頂上稜線を西に向かって進むと、眺望の良いスペースがある。
展望台より、小真名子と太郎山。
1
9/24 11:18
展望台より、小真名子と太郎山。
男体山。
0
9/24 11:14
男体山。
蛇行する御沢と3等「七曲」の丘。
0
9/24 11:16
蛇行する御沢と3等「七曲」の丘。
志津小屋。
0
9/24 11:15
志津小屋。
皇海と錫に、残念ながら雲がかかっているけど。
中禅寺湖と黒檜・三俣・前宿堂坊・宿堂坊の稜線。
あの風景の中からここまで巡り歩いてきたわけだ。
0
9/24 11:19
皇海と錫に、残念ながら雲がかかっているけど。
中禅寺湖と黒檜・三俣・前宿堂坊・宿堂坊の稜線。
あの風景の中からここまで巡り歩いてきたわけだ。
3等「大真子」
展望台から山頂までは低木に隠れて踏跡が繋がっている。
大きな段差もあるので踏み落ち注意です。
0
9/24 11:23
3等「大真子」
展望台から山頂までは低木に隠れて踏跡が繋がっている。
大きな段差もあるので踏み落ち注意です。
山頂から見ると、三角点のあたりはこう見える。
その中に__
0
9/24 12:06
山頂から見ると、三角点のあたりはこう見える。
その中に__
『全踏査』379頁「金銀ノ岩屋」を特定できた。
本では見切れて写っていないが、画像右側のチョックストーンが特徴的。
2
9/24 12:16
『全踏査』379頁「金銀ノ岩屋」を特定できた。
本では見切れて写っていないが、画像右側のチョックストーンが特徴的。
では、大真名子山頂に向かう。
山頂手前にあった"福田"印のある記念板。
0
9/24 11:30
では、大真名子山頂に向かう。
山頂手前にあった"福田"印のある記念板。
山頂に栃木百名山山名板あり。
0
9/24 12:35
山頂に栃木百名山山名板あり。
文久3年(1863)銘のある座生大権現像。
笏などに刀瑕があることが気になった。
"開眼導師 功徳林院前大僧正慈觀""當国足利郡小俣村 発願 大川繁右衛門""願主 木村半五郎"とある。
大真名子山への御嶽山勧請は、小俣村の真精講先達大川繁右衛門と鉢石の本陣・高野将監逵久とが親類関係であったことに端を発しているという。
0
9/24 12:04
文久3年(1863)銘のある座生大権現像。
笏などに刀瑕があることが気になった。
"開眼導師 功徳林院前大僧正慈觀""當国足利郡小俣村 発願 大川繁右衛門""願主 木村半五郎"とある。
大真名子山への御嶽山勧請は、小俣村の真精講先達大川繁右衛門と鉢石の本陣・高野将監逵久とが親類関係であったことに端を発しているという。
結城の御嶽講"巴講"によって奉納された地蔵菩薩像だという。
この巴講は高原山鶏頂山への御嶽山勧請にも関わっているようで、高原山山中の御嶽山石祠や八海山神社は彼らの手によるものらしい。
1
9/24 12:02
結城の御嶽講"巴講"によって奉納された地蔵菩薩像だという。
この巴講は高原山鶏頂山への御嶽山勧請にも関わっているようで、高原山山中の御嶽山石祠や八海山神社は彼らの手によるものらしい。
表面上は無銘に見えた。
0
9/24 12:03
表面上は無銘に見えた。
山頂社殿と石祠、そして屋根も石室も失った石祠の残骸。
0
9/24 11:31
山頂社殿と石祠、そして屋根も石室も失った石祠の残骸。
社殿の右側に建つ石祠を、池田さんは「日光修験に関わる金剛ではあるが、年号の判別ができないため特定できていない(p.277)」と書かれている。
「西向き」との記述もあるが、現状はほぼ南向きである。
0
9/24 12:33
社殿の右側に建つ石祠を、池田さんは「日光修験に関わる金剛ではあるが、年号の判別ができないため特定できていない(p.277)」と書かれている。
「西向き」との記述もあるが、現状はほぼ南向きである。
左側の銘は「□□十二丁未八月日(p.378)」とのことだが、それと読み取れるのは"二年""八月日"くらいになっていた。
"12年丁未"の干支と年が一致するのは慶長12年(1607)と享保12年(1727)のみである。
0
9/24 12:33
左側の銘は「□□十二丁未八月日(p.378)」とのことだが、それと読み取れるのは"二年""八月日"くらいになっていた。
"12年丁未"の干支と年が一致するのは慶長12年(1607)と享保12年(1727)のみである。
右側にはおそらく奉納者が書かれている。
飛び飛びにしか判読できなくなっている。
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9/24 12:34
右側にはおそらく奉納者が書かれている。
飛び飛びにしか判読できなくなっている。
その傍らの大石の上に置かれた、石祠の部材。
0
9/24 12:41
その傍らの大石の上に置かれた、石祠の部材。
社殿の左側にあるやや大振りの石祠には碑伝が収められていた。
無銘、南東向き。
屋根の宝珠を失ったのだろうか。
0
9/24 12:36
社殿の左側にあるやや大振りの石祠には碑伝が収められていた。
無銘、南東向き。
屋根の宝珠を失ったのだろうか。
石室の中には鍛造の鉄扉が片面だけ残されていた。
鍛冶屋の仕事である。
素晴らしい。
0
9/24 12:37
石室の中には鍛造の鉄扉が片面だけ残されていた。
鍛冶屋の仕事である。
素晴らしい。
山頂社殿は南南東向きに建つ。
山頂でお会いした方に水を分けていただいた。
助かりました、ありがとう。
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9/24 12:42
山頂社殿は南南東向きに建つ。
山頂でお会いした方に水を分けていただいた。
助かりました、ありがとう。
社殿扉に掛けられた錠前はブルドッグ社「A12」
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9/24 12:41
社殿扉に掛けられた錠前はブルドッグ社「A12」
あとは一目散に志津まで下る。
標高2350m付近の千鳥返しを下る。
ここを下る際に抖悗琉戝弔"難所ノ文"を唱え孔雀明王の印を結んでいるのだが、実際のところ現状の登山ルートは、鎖に捕まらなくても難しいクライムダウンではない。
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9/24 12:54
あとは一目散に志津まで下る。
標高2350m付近の千鳥返しを下る。
ここを下る際に抖悗琉戝弔"難所ノ文"を唱え孔雀明王の印を結んでいるのだが、実際のところ現状の登山ルートは、鎖に捕まらなくても難しいクライムダウンではない。
江戸期と明治期の鉄鎖。
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9/24 13:01
江戸期と明治期の鉄鎖。
1枚には弘化2年(1845)の銘が鮮やかに残る。
「奉納稲荷町行人」
御嶽山勧請より古いんだよなあ。
0
9/24 13:00
1枚には弘化2年(1845)の銘が鮮やかに残る。
「奉納稲荷町行人」
御嶽山勧請より古いんだよなあ。
「巳教会
先達 蓧正作
監督 𠮷田理平
明治三十一年八月」かな?
裏面は
「大願主
宇都宮市本郷町
小料理 福田常吉___
あとはちょっと読みにくい。
巴講に関わるものなのかどうか__。
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9/24 13:02
「巳教会
先達 蓧正作
監督 𠮷田理平
明治三十一年八月」かな?
裏面は
「大願主
宇都宮市本郷町
小料理 福田常吉___
あとはちょっと読みにくい。
巴講に関わるものなのかどうか__。
クサリの掛かっていないこの岩壁。
これが本来の千鳥返しなんじゃないだろうか?
1
9/24 13:06
クサリの掛かっていないこの岩壁。
これが本来の千鳥返しなんじゃないだろうか?
標高2250mあたりの三笠山刀利天像。
東向き。
これも文久3年銘「開闢発願真精講」とある。
基部正面のの右半分に書かれた院号房号は僕にはわかりかねるのだが、左半分に書かれた「金蔵坊・浄久坊・深教坊・教光坊・光蔵坊・櫻正坊」は山内の一坊八〇坊である。
左面には「高野盛三郎逵榮」の名もある。
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9/24 13:18
標高2250mあたりの三笠山刀利天像。
東向き。
これも文久3年銘「開闢発願真精講」とある。
基部正面のの右半分に書かれた院号房号は僕にはわかりかねるのだが、左半分に書かれた「金蔵坊・浄久坊・深教坊・教光坊・光蔵坊・櫻正坊」は山内の一坊八〇坊である。
左面には「高野盛三郎逵榮」の名もある。
三笠山刀利天像も顔や足元に刀瑕が残る。
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9/24 13:20
三笠山刀利天像も顔や足元に刀瑕が残る。
標高2190m、登山道脇の岩屋。
人工物かとも思われる石があった。
1
9/24 13:29
標高2190m、登山道脇の岩屋。
人工物かとも思われる石があった。
標高2100m、いわくありげな場所。
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9/24 13:37
標高2100m、いわくありげな場所。
標高1910m、大多和宿にまっすぐ下るには、このあたりからかなあ。
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9/24 13:55
標高1910m、大多和宿にまっすぐ下るには、このあたりからかなあ。
標高1850m、このあたりからかもしれないなあ。
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9/24 14:01
標高1850m、このあたりからかもしれないなあ。
庚申講話会による『日本石仏辞典』によれば「御嶽講には御嶽山内に霊神碑と呼ばれる碑を建てて講社の講祖や先達の霊を御嶽山に祀るという風習がある」という。
霊神碑の中心に建つこの"弘徳霊神"碑は、巴講2代目 中里守常のことを祀っているそうだ。
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9/24 14:26
庚申講話会による『日本石仏辞典』によれば「御嶽講には御嶽山内に霊神碑と呼ばれる碑を建てて講社の講祖や先達の霊を御嶽山に祀るという風習がある」という。
霊神碑の中心に建つこの"弘徳霊神"碑は、巴講2代目 中里守常のことを祀っているそうだ。
あとは僕には分らない。
"弘要霊神"
"清波月照命"
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9/24 14:25
あとは僕には分らない。
"弘要霊神"
"清波月照命"
"和真霊神"
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9/24 14:29
"和真霊神"
文久3年銘八海山神像。
3体の神像すべてに大川繁右衛門の名が刻まれている。
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9/24 14:33
文久3年銘八海山神像。
3体の神像すべてに大川繁右衛門の名が刻まれている。
やや下ったところにある"守久霊神"碑。
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9/24 14:40
やや下ったところにある"守久霊神"碑。
志津乗越から林道を歩いて梵字飯場駐車場まで戻った。
大真名子から大多和宿へ直通するルートに目星を付けつつ…。
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9/24 14:46
志津乗越から林道を歩いて梵字飯場駐車場まで戻った。
大真名子から大多和宿へ直通するルートに目星を付けつつ…。
後日、男体山から眺めた寒沢宿鞍部周辺の画像を挙げておく。
矢印を打った小さなピークが2034p。
中川住職に伺ったのだが、このピークには丸山という名前があるそうだ。
0
10/8 13:45
後日、男体山から眺めた寒沢宿鞍部周辺の画像を挙げておく。
矢印を打った小さなピークが2034p。
中川住職に伺ったのだが、このピークには丸山という名前があるそうだ。
がんばって取材してください!
岩屋のそばたぶんうろちょろしたけど気づかなかったです。
たぶん真上の岩場はちょっと面白くて右壁と左壁を登ってみました。
大真名子の壁は僕は真っ直ぐ上がりました。右も左も藪壁に見えて正面が一番藪無しで岩がでこぼこしてたように見えました。それと、あんだけ苔てると逆にグリップするのがわかりました。
できれば、夏峰もやってみて!
こんばんは。
大真名子の岩壁なんですけど、shige-ponさんもまっすぐ突っ込んでるんですよね。
shige-ponさんのあのレコを読みながら、僕は
「修験者がこんなとこを歩いてたとしたら、記録に残ってないはずないよなあ」
と考えてました。
その結果、今回のように地形図上の岩場の隙間を目指して歩いてみたんですけど、
何かと中途半端に終わってしまいました。
逆にもっと厳しい斜面を登る羽目になったという……。
じっさいに取付いた場所から先も少し偵察してるんですが、
岩壁の切れ目が見えなかったです。
陰に隠れてただけかもしれないけど__。
<<<あんだけ苔てると逆にグリップするのがわかりました
僕が登ったのはほとんど垂直に切り立った場所だったんで、
上部で樹木の根付きが悪くなると、苔土はヤバかったかもしれないです。
必死になって頑丈な根っこを探して爪を立ててました。
僕がやってるのがだいたい夏峯ルートですから!笑
水場のない寒沢宿周辺の夏は、けっこう厳しいっすよ。
今回osarusandaiさんが目にした水場は、やはり飯場の方たちが使ってた水場だそうです。
今水ノ宿(山王峠の近く)からそこまで、僕も水場を見つけられていません。
ヌタ場は目にしてるんでどこかにはあるはず、とぼんやり信じてマス。
植林した樹勢をもとに戻せばこのあたりの水巡りも変わるのかなあ、なんて妄想してしまうんですよね。
本文読み直して気がついたんですけど、2日目の大真名子はあの荷物担いで上がったんですね…すげー!!
自分の装備でも山頂手前の石楠花に押し戻されまくったのに…
壁だってどこ登ってもきついでしょう。
あ!修験道の箱笈とおんなじか。修行ですね。
osarusandaiさん、返事遅れてごめんなさい。
レコ書きあげるのに時間かかっちゃいました。
今回の山行は、僕の調整不足が大きかったんで
なんとも言えませぬ〜
あまりにも歩けなくって、自分では不甲斐なかったんですけどね。
osarusandaiさんが今回やった周回、面白そうですよね。
興味深い山域なので、
僕も何度か足を運んでみたいです。
水場も探したいし!!
ご無沙汰してます。
thoughtmayさんらしい記録だぁ〜!
興味深い山歩き流石だと思います。
続編楽しみに待ってまぁ〜す(^○^)
おはよ〜!!
久しぶりの山行でしたけど
こんなに身体が動かないとは思ってなかったよ >_<
いつもはテン泊山行前に必ずやってる歩荷練もサボったし、ちょっと鈍麻してますな。
イカンです、反省してます。
今回の金剛堂の発見について、池田正夫さんに連絡を取りました。
電話でお話しする機会を得て、感激しました。ホントの新発見だったようで、すごく喜んで下さいました。
恐縮しきりだけど、僕もすごく嬉しかったです。
では、お仕事頑張ってください。
新しいカメラ、今度見せてね(^^)v
はじめまして、AIKENと申します。
いつか歴史と浪漫を感じながら日光連山を周回する『日光修験三峯五禅頂の踏み跡をたどる日光連山縦走 改』なんて計画を妄想したりしてますが、とても不明瞭で厳しい修験の道程なのだと感想を抱きました。メガネ消失からのご無事な下山なによりであります。
『全踏査 日光修験 三峯五禅頂の道』を買いそびれ(汗)知識も浅い自分としては、shige-ponさん,thoughtmayさんの記録は興味深く、参考にさせて頂いております!
意欲的な活動が功を奏し、この度の新発見おめでとうございます!
今後益々のご活躍をお祈り申し上げます。
AIKENさん、はじめまして。
もったいないお言葉、恐縮です。
今日、池田さんと興雲律院の中川住職に、この金剛堂のデータを渡してきました。
現場はメチャクチャ盛り上がってますよ!!笑
皆さん、夢中です。「ああ、この尾根を歩いてたんだね」と呟くその顔がとても素敵でした。
これで全員若かったら、最高のパーティできるんじゃないかなあ、とか思っちゃいました。
日光周回、サイコーですよね。
コメントありがとうございました!
地図にない山行ルート
【池田正夫『全踏査 日光修験 三峯五禅頂の道』の記述を辿るシリーズ山行】
お疲れ様でした。勇気(度胸)と体力の要る登山の様でしたね!
私は今年7月に女峰山に登ってきました。
http://www.geocities.jp/washimizu8382/sankoukiroku2/kiroku30/30-10.html
その時に改めて日光連山を感動し、今度は隣の小真名子山&大真名子山を登ろうと
思い、早速ヤマレコを確認したら thoughtmay さんのレコが目にとまりました。
昭文社の地図をじっくりと見たのですが、寒沢宿などの地名がありませんでした。
コースタイムの下部に上記のシリーズ山行が記載されたのを見て初めて知りました。
私にはこのコースは無理だな・・・と思い地図上の標準コース(志津乗越〜大真名子山〜小真名子山〜富士見峠〜馬立)を山行したいと思います。
そこでお聞きしたいのですが、この地図上の標準コースでは道に迷うような、藪漕ぎとか山道が不鮮明の箇所はないでしょうか?
今持っている私のGPSが不調の為少し心配です。
アドバイス頂ければ幸いです。
来週、台風が通過した後にでも行って来ようかと思っています。
こんにちは。
ベテランさんですし、そのルートでしたら迷うような箇所はなかろうと思います。
志津から大真名子への取付は笹が繁茂していますが、踏跡は明瞭です。
山体に入ってしまえば、登山道としては日光連山のなかで一番明確なルートかもしれません。
小真名子から富士見平への下りは急斜面のザレ場となりますので足元注意です。また稜線下部は人によっては道を見失うような箇所があるかもしれませんが、基本的には分かりやすい道です。
馬立からは梵字飯場跡駐車場に下るんですよね?
だとしたら作業道を下るだけなので、心配ないと思います。
馬立 → 荒沢出合から寂光滝もしくは裏見滝に向かうルートは、道が笹に埋もれているためルーファイ要素がありますのでご留意ください。
大真名子山は日光連山の中心にあると言っていい、独特の風景を楽しむことが出来る山です。t0409276さんの山行が天候に恵まれますよう!!
thoughtmayさん 貴重な情報有難うございました。実は恥ずかしくて書けなかったのですが、前回の女峰山山頂から唐沢小屋下山中、道に迷ってしまいました。ガレ場を道なりに降りていたつもりが、ルートを外れて山道がなくなっていました。GPSナビを確認したが
不調で今一(涙・・・役立たずに苛立ちが)冷静になって付近を慎重に確認したがどうしても山道が見当たらないので3〜40m位戻った所で正規な山道が発見されました。
thoughtmayさんのアドバイス通り、小真名子から富士見平への下りは特に注意して行って
来ます。前日に梵字飯場跡駐車場で車中泊をし、翌朝5時ヘッドライトを点けて出発予定です。
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