ホテルで目覚めて気付くと8時を過ぎていた。京都駅近くでは外は晴れていた。歩けると見て愛宕山へのバスを調べる。まずはJR山陰線で京都駅から嵯峨嵐山駅に移動。
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12/30 9:17
ホテルで目覚めて気付くと8時を過ぎていた。京都駅近くでは外は晴れていた。歩けると見て愛宕山へのバスを調べる。まずはJR山陰線で京都駅から嵯峨嵐山駅に移動。
嵯峨嵐山駅から天龍寺前まで歩いてきた。
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12/30 9:28
嵯峨嵐山駅から天龍寺前まで歩いてきた。
天龍寺前からのバスの時刻まで15分ほど余裕があるので天龍寺の境内を歩いてみた。天龍寺の裏山の木の枝は雪がついて白くなっている。ここ2,3日の寒波で京都でも雪が降ったようだ。
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12/30 9:33
天龍寺前からのバスの時刻まで15分ほど余裕があるので天龍寺の境内を歩いてみた。天龍寺の裏山の木の枝は雪がついて白くなっている。ここ2,3日の寒波で京都でも雪が降ったようだ。
世界遺産としての天龍寺の説明板
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12/30 9:35
世界遺産としての天龍寺の説明板
天龍寺の庫裏
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12/30 9:35
天龍寺の庫裏
天龍寺の総門前に天皇陵を示す石標がある。御嵯峨天皇嵯峨南陵や亀山天皇亀山陵は天龍寺の裏手にあるようだ。
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12/30 9:40
天龍寺の総門前に天皇陵を示す石標がある。御嵯峨天皇嵯峨南陵や亀山天皇亀山陵は天龍寺の裏手にあるようだ。
天龍寺総門脇の天龍寺についての説明板
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12/30 9:40
天龍寺総門脇の天龍寺についての説明板
天龍寺前の道路と土産物屋。行きかう人は外国人も多く,バスを待っている間にも東洋系(英語に慣れていそうだったのでシンガポールあたりか)の夫婦からスマホの写真撮影を頼まれた。
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12/30 9:42
天龍寺前の道路と土産物屋。行きかう人は外国人も多く,バスを待っている間にも東洋系(英語に慣れていそうだったのでシンガポールあたりか)の夫婦からスマホの写真撮影を頼まれた。
天龍寺前の「釈迦堂 北へ約七丁」と彫られた石標。嵯峨釈迦堂は清凉寺。
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12/30 9:43
天龍寺前の「釈迦堂 北へ約七丁」と彫られた石標。嵯峨釈迦堂は清凉寺。
嵐山天龍寺前のバス停から京都バス94番系統の嵯峨釈迦堂前経由大覚寺・清滝行きのバスに乗る。時刻表では9:46発。ほぼ時刻表通りにバスが来た。
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12/30 9:42
嵐山天龍寺前のバス停から京都バス94番系統の嵯峨釈迦堂前経由大覚寺・清滝行きのバスに乗る。時刻表では9:46発。ほぼ時刻表通りにバスが来た。
清滝のバス停に着(10:03)。バスはここが終点。私の他に山に登りそうな感じの単独の男の人が2人バスから下りた。
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12/30 10:13
清滝のバス停に着(10:03)。バスはここが終点。私の他に山に登りそうな感じの単独の男の人が2人バスから下りた。
清滝バス停の清滝付近の案内板。清滝のバス停に着いたら激しくはないが,雨が降ってきた。帽子をかぶり,眼鏡を外して使い捨てコンタクトを使う。ソフトシェルを羽織って出発。
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12/30 10:13
清滝バス停の清滝付近の案内板。清滝のバス停に着いたら激しくはないが,雨が降ってきた。帽子をかぶり,眼鏡を外して使い捨てコンタクトを使う。ソフトシェルを羽織って出発。
清滝バス停。バス停のあるところの標高は約100m。
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12/30 10:13
清滝バス停。バス停のあるところの標高は約100m。
清滝バス停近くの清滝についての説明板。清滝は愛宕参りの宿場として開けた。
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12/30 10:14
清滝バス停近くの清滝についての説明板。清滝は愛宕参りの宿場として開けた。
清滝のバス停から左の坂を下りてゆく。
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12/30 10:14
清滝のバス停から左の坂を下りてゆく。
歩き始めは細くはあるが舗装道路
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12/30 10:14
歩き始めは細くはあるが舗装道路
舗装道路の坂道脇の石標。現場で文字を見る努力をしなかったが,愛宕山参りのための古い板碑型の丁石。
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12/30 10:15
舗装道路の坂道脇の石標。現場で文字を見る努力をしなかったが,愛宕山参りのための古い板碑型の丁石。
道路脇のオトメツバキ(乙女椿)。オトメツバキは江戸時代から栽培されているという。
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12/30 10:15
道路脇のオトメツバキ(乙女椿)。オトメツバキは江戸時代から栽培されているという。
清滝川へと細い舗装道路を下りてゆく。
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12/30 10:16
清滝川へと細い舗装道路を下りてゆく。
清滝川についての説明板。愛宕神社まで約4.4km。
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12/30 10:16
清滝川についての説明板。愛宕神社まで約4.4km。
清滝川の生物として,ゲンジボタル,カジカガエル,オオサンショウウオについての説明。
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12/30 10:17
清滝川の生物として,ゲンジボタル,カジカガエル,オオサンショウウオについての説明。
清滝川を渡る渡猿橋
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12/30 10:17
清滝川を渡る渡猿橋
渡猿橋
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12/30 10:17
渡猿橋
渡猿橋脇の説明板。字が薄くなって読めない。
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12/30 10:17
渡猿橋脇の説明板。字が薄くなって読めない。
渡猿橋より清滝川の上流側を見下ろす。
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12/30 10:17
渡猿橋より清滝川の上流側を見下ろす。
渡猿橋より清滝川の下流側を見下ろす。
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12/30 10:17
渡猿橋より清滝川の下流側を見下ろす。
渡猿橋を渡った向こう側にあるお堂。「清瀧幸福延命地蔵尊」とある。
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12/30 10:18
渡猿橋を渡った向こう側にあるお堂。「清瀧幸福延命地蔵尊」とある。
清滝の集落内を歩いてゆく。
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12/30 10:18
清滝の集落内を歩いてゆく。
愛宕神社の二の鳥居
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12/30 10:19
愛宕神社の二の鳥居
愛宕神社の二の鳥居の近くにケーブル清滝川駅跡の説明板。ケーブルは昭和4年に敷設されたが,戦時中の昭和19年に鉄供出のため撤去された。
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12/30 10:19
愛宕神社の二の鳥居の近くにケーブル清滝川駅跡の説明板。ケーブルは昭和4年に敷設されたが,戦時中の昭和19年に鉄供出のため撤去された。
愛宕神社の二の鳥居。鳥居の本柱の前後に短い控え柱を立て,本柱とつないだ両部鳥居となっている。
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12/30 10:20
愛宕神社の二の鳥居。鳥居の本柱の前後に短い控え柱を立て,本柱とつないだ両部鳥居となっている。
愛宕神社二の鳥居前の道標
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12/30 10:20
愛宕神社二の鳥居前の道標
清滝の集落内にある愛宕神社の鳥居(二の鳥居)。この鳥居をくぐって愛宕山の山頂を目指す。
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12/30 10:20
清滝の集落内にある愛宕神社の鳥居(二の鳥居)。この鳥居をくぐって愛宕山の山頂を目指す。
愛宕神社鳥居左側奥に一丁ごとのお地蔵さんの説明板がある。山頂の愛宕神社まで一の鳥居から五十丁だという。一の鳥居は,清滝のバス停から1kmほど清滝トンネルをくぐって戻ったあたり。
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12/30 10:20
愛宕神社鳥居左側奥に一丁ごとのお地蔵さんの説明板がある。山頂の愛宕神社まで一の鳥居から五十丁だという。一の鳥居は,清滝のバス停から1kmほど清滝トンネルをくぐって戻ったあたり。
二の鳥居をくぐり,その先の坂を登ってゆく。
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12/30 10:20
二の鳥居をくぐり,その先の坂を登ってゆく。
民家の間の細いコンクリート舗装の道をゆく。
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12/30 10:20
民家の間の細いコンクリート舗装の道をゆく。
このあたりが最後の民家
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12/30 10:21
このあたりが最後の民家
「登山者の皆様への」注意看板
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12/30 10:22
「登山者の皆様への」注意看板
嵯峨消防分団による100mごとに設置されている看板(1/40)。
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12/30 10:22
嵯峨消防分団による100mごとに設置されている看板(1/40)。
登り始めはコンクリート舗装の道
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12/30 10:22
登り始めはコンクリート舗装の道
道脇の丁石。十四丁とある。
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12/30 10:22
道脇の丁石。十四丁とある。
本日の靴。安物だがスノーブーツ。山上に雪があっても雪が溶けて水が浸みるのを防ぐ意味で選択。
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12/30 10:23
本日の靴。安物だがスノーブーツ。山上に雪があっても雪が溶けて水が浸みるのを防ぐ意味で選択。
道脇の木に,「神社まで四○○○です」と記されている。
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12/30 10:23
道脇の木に,「神社まで四○○○です」と記されている。
愛宕山は往復5時間以上かかるという注意書き。ゆっくり歩けば5時間はかかりそう。
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12/30 10:23
愛宕山は往復5時間以上かかるという注意書き。ゆっくり歩けば5時間はかかりそう。
一丁ごとのお地蔵さん。前掛けと花で飾られている。供えられた花は新しく,常に取り替えてくれる人がいるようだ。
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12/30 10:24
一丁ごとのお地蔵さん。前掛けと花で飾られている。供えられた花は新しく,常に取り替えてくれる人がいるようだ。
倒れた木の下を歩いてゆく。
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12/30 10:24
倒れた木の下を歩いてゆく。
お助け水
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12/30 10:25
お助け水
お助け水の先,嵯峨消防分団の看板(3/40)。
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12/30 10:26
お助け水の先,嵯峨消防分団の看板(3/40)。
道端にシダ類のイノモトソウの仲間。イノモトソウ,セフリイノモトソウ,オオバノイノモトソウのそれかだが,オオバノイノモトソウか。
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12/30 10:26
道端にシダ類のイノモトソウの仲間。イノモトソウ,セフリイノモトソウ,オオバノイノモトソウのそれかだが,オオバノイノモトソウか。
オオバノイノモトソウ(大葉井許草)と思われる常緑のシダ。オオバノイノモトソウはイノモトソウ科イノモトソウ属。
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12/30 10:26
オオバノイノモトソウ(大葉井許草)と思われる常緑のシダ。オオバノイノモトソウはイノモトソウ科イノモトソウ属。
お助け水の先を登ったところのお地蔵さん
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12/30 10:27
お助け水の先を登ったところのお地蔵さん
また石の階段が現れる。
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12/30 10:27
また石の階段が現れる。
石の階段の途中に祠。祠の後ろに「嵯峨小学校 清滝分教場跡」の説明板。
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12/30 10:28
石の階段の途中に祠。祠の後ろに「嵯峨小学校 清滝分教場跡」の説明板。
「嵯峨小学校 清滝分教場跡」の説明板。明治15年この地で嵯峨小学校清滝分教場が開設された。大正11年に火災により焼失。その後,第2分教場が表参道13丁目登り口に開設されたとある。
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12/30 10:28
「嵯峨小学校 清滝分教場跡」の説明板。明治15年この地で嵯峨小学校清滝分教場が開設された。大正11年に火災により焼失。その後,第2分教場が表参道13丁目登り口に開設されたとある。
嵯峨消防分団の看板(4/40)
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12/30 10:29
嵯峨消防分団の看板(4/40)
嵯峨消防分団の看板(4/40)から先の表参道
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12/30 10:29
嵯峨消防分団の看板(4/40)から先の表参道
十七丁目のひとつ前にあるお地蔵さん。お顔のないお地蔵さんか。
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12/30 10:29
十七丁目のひとつ前にあるお地蔵さん。お顔のないお地蔵さんか。
この先の石段を登れば十七丁目
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12/30 10:29
この先の石段を登れば十七丁目
十七丁目の大杉の根元に河勝大明神の社。河勝とは聖徳太子の時代に活躍した秦河勝であろうか。
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12/30 10:30
十七丁目の大杉の根元に河勝大明神の社。河勝とは聖徳太子の時代に活躍した秦河勝であろうか。
十七丁目の大杉が焦げているのは落雷の跡か
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12/30 10:30
十七丁目の大杉が焦げているのは落雷の跡か
十七丁目の燧権現跡の碑。「燧乃社」と彫られている。
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12/30 10:30
十七丁目の燧権現跡の碑。「燧乃社」と彫られている。
十七丁の丁石
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12/30 10:30
十七丁の丁石
「燧権現跡」の説明板。明治12(1879)年に,この地より燧権現は,銅鳥居(あかがねのとりい)上の神門横へ「燧神社」として移されたようだ。
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12/30 10:31
「燧権現跡」の説明板。明治12(1879)年に,この地より燧権現は,銅鳥居(あかがねのとりい)上の神門横へ「燧神社」として移されたようだ。
一丁目ごとのお地蔵さんの説明がここ十七丁目にもある。
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12/30 10:31
一丁目ごとのお地蔵さんの説明がここ十七丁目にもある。
嵯峨消防分団の看板(5/40)
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12/30 10:32
嵯峨消防分団の看板(5/40)
このお地蔵さんもきれいな花と青々とした杉の枝が供えられている。
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12/30 10:33
このお地蔵さんもきれいな花と青々とした杉の枝が供えられている。
十七丁目と十八丁目の間の表参道の様子
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12/30 10:33
十七丁目と十八丁目の間の表参道の様子
歩き始めは上着(ソフトシェル)を着ていたが,スピードを出して歩いていると体が温まってきたのでここで脱いだ。頂上まで長袖シャツの軽装で歩くことができた。
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12/30 10:34
歩き始めは上着(ソフトシェル)を着ていたが,スピードを出して歩いていると体が温まってきたのでここで脱いだ。頂上まで長袖シャツの軽装で歩くことができた。
ここにもお地蔵さん
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12/30 10:35
ここにもお地蔵さん
嵯峨消防分団の看板(6/40)
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12/30 10:36
嵯峨消防分団の看板(6/40)
壺割坂のお地蔵さん。燧権現跡(十七丁目)と壺割坂(十八丁目)とのお地蔵さんとの間に2体のお地蔵さんがあった。このあたりは一丁以内ににお地蔵さんがたくさんあることになる。
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12/30 10:36
壺割坂のお地蔵さん。燧権現跡(十七丁目)と壺割坂(十八丁目)とのお地蔵さんとの間に2体のお地蔵さんがあった。このあたりは一丁以内ににお地蔵さんがたくさんあることになる。
十八丁目壺割坂の説明板
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12/30 10:36
十八丁目壺割坂の説明板
壺割坂
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12/30 10:37
壺割坂
壺割坂
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12/30 10:37
壺割坂
急な斜面をジグザグにつけられた壺割坂を登る。
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12/30 10:37
急な斜面をジグザグにつけられた壺割坂を登る。
この日初めて見る道端の雪
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12/30 10:37
この日初めて見る道端の雪
嵯峨消防分団の看板(7/40)
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12/30 10:38
嵯峨消防分団の看板(7/40)
二十丁目にある大きな木
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12/30 10:39
二十丁目にある大きな木
「20丁目 一文字屋跡」(茶屋跡)の説明板。愛宕ケーブルが開通した後は,ケーブル愛宕駅の駅舎の2階で営業していた。一文字屋は現在も清滝のバス停に近接して営業。
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12/30 10:39
「20丁目 一文字屋跡」(茶屋跡)の説明板。愛宕ケーブルが開通した後は,ケーブル愛宕駅の駅舎の2階で営業していた。一文字屋は現在も清滝のバス停に近接して営業。
二十丁目の一文字屋跡に「バラ科カナメ○○」と根元に書かれた木。バラ科カナメモチ(要黐)と書かれているのであろう。扇の要に使われる,モチノキ(黐)に似た木という意味のようだ。
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12/30 10:40
二十丁目の一文字屋跡に「バラ科カナメ○○」と根元に書かれた木。バラ科カナメモチ(要黐)と書かれているのであろう。扇の要に使われる,モチノキ(黐)に似た木という意味のようだ。
根元にカナメモチというタグがついている木を見上げたつもりで撮った写真。カナメモチはバラ科の常緑小高木ということなので,冬でも葉がついているはずだが...枯れている?
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12/30 10:40
根元にカナメモチというタグがついている木を見上げたつもりで撮った写真。カナメモチはバラ科の常緑小高木ということなので,冬でも葉がついているはずだが...枯れている?
二十丁目の倒木にも少し雪が残る。
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12/30 10:40
二十丁目の倒木にも少し雪が残る。
二十丁目から先の表参道
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12/30 10:40
二十丁目から先の表参道
表参道の脇の石垣
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12/30 10:41
表参道の脇の石垣
表参道脇の木が根こそぎ倒れているところ。この時点では空は晴れて青い。
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12/30 10:42
表参道脇の木が根こそぎ倒れているところ。この時点では空は晴れて青い。
写真をよく見ると,電信柱に「二合目」の札がぶら下がっている。
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12/30 10:43
写真をよく見ると,電信柱に「二合目」の札がぶら下がっている。
二合目のところにあるお地蔵さん
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12/30 10:43
二合目のところにあるお地蔵さん
二合目から先の表参道
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12/30 10:43
二合目から先の表参道
嵯峨消防分団の看板(9/40)
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12/30 10:44
嵯峨消防分団の看板(9/40)
嵯峨消防分団の看板(9/40)から先の表参道。
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12/30 10:44
嵯峨消防分団の看板(9/40)から先の表参道。
二十丁目のお茶屋跡は過ぎたが,ここに再び二十丁目であることを説明する看板。
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12/30 10:45
二十丁目のお茶屋跡は過ぎたが,ここに再び二十丁目であることを説明する看板。
嵯峨消防分団の看板(10/40)
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12/30 10:46
嵯峨消防分団の看板(10/40)
嵯峨消防分団の看板(10/40)から先の表参道
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12/30 10:46
嵯峨消防分団の看板(10/40)から先の表参道
足元の雪が少しずつ目立つようになってきた。
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12/30 10:47
足元の雪が少しずつ目立つようになってきた。
標高は370mほどのところ
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12/30 10:49
標高は370mほどのところ
このお地蔵さんは光背部の色が違うので修復されたものなのだろう。
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12/30 10:50
このお地蔵さんは光背部の色が違うので修復されたものなのだろう。
光背部が修復された感じのお地蔵さんからすぐ先にもお地蔵さんが並んでいるのが見える。
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12/30 10:50
光背部が修復された感じのお地蔵さんからすぐ先にもお地蔵さんが並んでいるのが見える。
ここには4体のお地蔵さん
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12/30 10:50
ここには4体のお地蔵さん
嵯峨消防分団の看板(12/40)
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12/30 10:51
嵯峨消防分団の看板(12/40)
二十五丁目のあずまやが見えてきた。
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12/30 10:51
二十五丁目のあずまやが見えてきた。
板碑型と地蔵型の丁石。ここは二十五丁目。現在確認できているのは,板碑(いたび)型が32基,地蔵型が40基という。
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12/30 10:51
板碑型と地蔵型の丁石。ここは二十五丁目。現在確認できているのは,板碑(いたび)型が32基,地蔵型が40基という。
「愛宕神社表参道の丁石」の説明板。表参道には板碑型と地蔵型の2種類の丁石があり,建立年代はわからないが,江戸時代からあるようだ。説明板には「ちょうせき」と振り仮名されている。
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12/30 10:51
「愛宕神社表参道の丁石」の説明板。表参道には板碑型と地蔵型の2種類の丁石があり,建立年代はわからないが,江戸時代からあるようだ。説明板には「ちょうせき」と振り仮名されている。
25丁目のあずまや。ここが三合目のようだ。
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12/30 10:52
25丁目のあずまや。ここが三合目のようだ。
二十五丁目の石碑と「茶屋跡」の説明板。石碑には「奈可屋」を「なかや」の変体仮名で記されている。
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12/30 10:52
二十五丁目の石碑と「茶屋跡」の説明板。石碑には「奈可屋」を「なかや」の変体仮名で記されている。
「茶屋跡」の説明板。ここには茶屋兼宿屋の「なかや」があったが,茶屋は昔は一丁ごとにあったと言われるくらいで,明治初めには19軒あったという。
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12/30 10:52
「茶屋跡」の説明板。ここには茶屋兼宿屋の「なかや」があったが,茶屋は昔は一丁ごとにあったと言われるくらいで,明治初めには19軒あったという。
25丁目なかや跡の標識
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12/30 10:52
25丁目なかや跡の標識
25丁目なかや跡の標識。「なかや」は愛宕ケーブルが開通した昭和初期に渡猿橋の近くに移り,現在も営業。
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12/30 10:52
25丁目なかや跡の標識。「なかや」は愛宕ケーブルが開通した昭和初期に渡猿橋の近くに移り,現在も営業。
25丁目のイロハモミジ
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12/30 10:53
25丁目のイロハモミジ
25丁目から先の道
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12/30 10:53
25丁目から先の道
徐々に雪が増えてくるが,まだ足元に雪が目立つわけではない。
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12/30 10:53
徐々に雪が増えてくるが,まだ足元に雪が目立つわけではない。
嵯峨消防分団の看板(13/40)
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12/30 10:53
嵯峨消防分団の看板(13/40)
足元の岩石。愛宕山はほぼチャートでできていると言われる。愛宕山の地質は古生代から中生代にできた丹波層群に属するらしい。
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12/30 10:54
足元の岩石。愛宕山はほぼチャートでできていると言われる。愛宕山の地質は古生代から中生代にできた丹波層群に属するらしい。
足元の岩石。これもチャートなのであろう。チャートは放散虫などの化石を起源とする硬い珪質岩。
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12/30 10:54
足元の岩石。これもチャートなのであろう。チャートは放散虫などの化石を起源とする硬い珪質岩。
足元の岩石。写真の石も少し変成を受けているように見えるが,やはりチャートなのだろう。
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12/30 10:54
足元の岩石。写真の石も少し変成を受けているように見えるが,やはりチャートなのだろう。
標高約420m
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12/30 10:55
標高約420m
清滝のバス停に着いたときは小雨がパラついたが,歩き始めると雨は止み,日が差してきた。
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12/30 10:55
清滝のバス停に着いたときは小雨がパラついたが,歩き始めると雨は止み,日が差してきた。
嵯峨消防分団の看板(14/40)
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12/30 10:57
嵯峨消防分団の看板(14/40)
標高約450m
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12/30 10:58
標高約450m
標高約480m
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12/30 11:00
標高約480m
整備された道は歩きやすい。
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12/30 11:00
整備された道は歩きやすい。
二十八丁目の丁石。二十八丁の上の文字は地蔵菩薩を表す種子字(しゅじじ)[梵字]。
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12/30 11:00
二十八丁目の丁石。二十八丁の上の文字は地蔵菩薩を表す種子字(しゅじじ)[梵字]。
標高500−510m
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12/30 11:02
標高500−510m
表参道沿いにはこの季節でも葉が青々とした照葉樹もある。
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12/30 11:03
表参道沿いにはこの季節でも葉が青々とした照葉樹もある。
標高約520m
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12/30 11:04
標高約520m
ここも木が倒れたところをくぐる。
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12/30 11:04
ここも木が倒れたところをくぐる。
このあたりでやや風を感じてこれから寒くなる予感がした。しかし風を感じたのはここだけで,この後雪が多くなってくるが,この後はほぼ無風であった。
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12/30 11:05
このあたりでやや風を感じてこれから寒くなる予感がした。しかし風を感じたのはここだけで,この後雪が多くなってくるが,この後はほぼ無風であった。
五合目休憩所まで登ってきた。標高約530m。
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12/30 11:06
五合目休憩所まで登ってきた。標高約530m。
「三十丁目 水口屋(みなくちや)跡」の説明板。お茶屋の水口屋は,昭和4年の愛宕ケーブル開通後は愛宕駅(山頂駅)の南側に移転し,昭和19年の敗戦まで営業していた。
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12/30 11:06
「三十丁目 水口屋(みなくちや)跡」の説明板。お茶屋の水口屋は,昭和4年の愛宕ケーブル開通後は愛宕駅(山頂駅)の南側に移転し,昭和19年の敗戦まで営業していた。
五合目休憩所。ここでも数人が休んでおられた。
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12/30 11:06
五合目休憩所。ここでも数人が休んでおられた。
三十丁目から先の道
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12/30 11:06
三十丁目から先の道
三十丁の丁石とお地蔵さん
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12/30 11:07
三十丁の丁石とお地蔵さん
嵯峨消防分団の看板(19/40)
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12/30 11:07
嵯峨消防分団の看板(19/40)
嵯峨消防分団の40分の19の看板から先の道
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12/30 11:07
嵯峨消防分団の40分の19の看板から先の道
三十一丁目付近から左側に眺望
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12/30 11:08
三十一丁目付近から左側に眺望
一丁ごとのお地蔵さん。三十一丁目にあたる位置にある。このあたりが大杉権現があったところであろう。平成29年10月の台風21号で大杉が倒れてしまったようだ。
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12/30 11:08
一丁ごとのお地蔵さん。三十一丁目にあたる位置にある。このあたりが大杉権現があったところであろう。平成29年10月の台風21号で大杉が倒れてしまったようだ。
このあたりは平坦な道
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12/30 11:08
このあたりは平坦な道
嵯峨消防分団の看板(20/40)
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12/30 11:09
嵯峨消防分団の看板(20/40)
しばらく平坦な道が続く。雪が溶けて足元はややぬかるんでいる。
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12/30 11:09
しばらく平坦な道が続く。雪が溶けて足元はややぬかるんでいる。
嵯峨消防分団の看板(21/40)
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12/30 11:10
嵯峨消防分団の看板(21/40)
三十二丁と書かれた丁石
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12/30 11:10
三十二丁と書かれた丁石
このあたりも平坦
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12/30 11:11
このあたりも平坦
「愛○○」と彫られた古そうな板碑。愛は愛宕山の愛か。
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12/30 11:11
「愛○○」と彫られた古そうな板碑。愛は愛宕山の愛か。
嵯峨消防分団の看板(22/40)
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12/30 11:12
嵯峨消防分団の看板(22/40)
平坦な道がしばらく続く。
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12/30 11:12
平坦な道がしばらく続く。
三十三丁
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12/30 11:12
三十三丁
若干勾配があるが,ほぼ平坦な道。
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12/30 11:12
若干勾配があるが,ほぼ平坦な道。
標高は630m前後まできている。地形的には左側が斜面を下る側となる。
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12/30 11:14
標高は630m前後まできている。地形的には左側が斜面を下る側となる。
三十四丁目のお地蔵さん
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12/30 11:15
三十四丁目のお地蔵さん
三十四丁目のお地蔵さんから先の表参道
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12/30 11:15
三十四丁目のお地蔵さんから先の表参道
雪が徐々に多くなる。
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12/30 11:15
雪が徐々に多くなる。
嵯峨消防分団の看板(24/40)
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12/30 11:15
嵯峨消防分団の看板(24/40)
右に山,左に谷という地形をトラバースしてゆく道が続く。
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12/30 11:16
右に山,左に谷という地形をトラバースしてゆく道が続く。
お地蔵さん
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12/30 11:16
お地蔵さん
寒いこの時期でも愛宕山を歩く人が思った以上に多い。私は単独で歩いていてスピードが出やすいので歩いているグループを時々追い越してゆく。
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12/30 11:16
寒いこの時期でも愛宕山を歩く人が思った以上に多い。私は単独で歩いていてスピードが出やすいので歩いているグループを時々追い越してゆく。
三十七丁の丁石。すぐ向こうにお地蔵さん。
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12/30 11:19
三十七丁の丁石。すぐ向こうにお地蔵さん。
雪が多くなったきたがまだこのあたりは足元が真っ白ではない。
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12/30 11:19
雪が多くなったきたがまだこのあたりは足元が真っ白ではない。
嵯峨消防分団の看板(27/40)
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12/30 11:20
嵯峨消防分団の看板(27/40)
五合目からほぼ平坦な道が続いていたが,このあたりで勾配が緩やかなところがいったん終わる。
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12/30 11:21
五合目からほぼ平坦な道が続いていたが,このあたりで勾配が緩やかなところがいったん終わる。
「カワラケ投げ」の説明板。愛宕山の参道の眺望のよいところには茶屋があり,昭和初期まではカワラケ投げを楽しむことができた。
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12/30 11:21
「カワラケ投げ」の説明板。愛宕山の参道の眺望のよいところには茶屋があり,昭和初期まではカワラケ投げを楽しむことができた。
カワカケ投げの説明板があるところの簡易休憩所
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12/30 11:21
カワカケ投げの説明板があるところの簡易休憩所
カワラケ投げの説明板があるところから先の表参道
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12/30 11:22
カワラケ投げの説明板があるところから先の表参道
木の桟で階段状に整備された道を登ってゆく。坂の先に嵯峨消防分団の看板の一つが見えている。
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12/30 11:22
木の桟で階段状に整備された道を登ってゆく。坂の先に嵯峨消防分団の看板の一つが見えている。
嵯峨消防分団の看板(28/40)。ツツジ尾根方面分岐はこのあたりのようだが,分岐には全く気付かなかった。
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12/30 11:23
嵯峨消防分団の看板(28/40)。ツツジ尾根方面分岐はこのあたりのようだが,分岐には全く気付かなかった。
標高は650mを越えた。
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12/30 11:23
標高は650mを越えた。
かわらけ投げのあたりの坂を登ってから水尾分かれまでのほんの少しの間,比較的勾配がゆるやかなところがある。
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12/30 11:25
かわらけ投げのあたりの坂を登ってから水尾分かれまでのほんの少しの間,比較的勾配がゆるやかなところがある。
水尾分かれが近い。
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12/30 11:26
水尾分かれが近い。
嵯峨消防分団の看板(30/40)
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12/30 11:27
嵯峨消防分団の看板(30/40)
ここを登ると水尾分かれ
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12/30 11:27
ここを登ると水尾分かれ
水尾分かれまで来た。標高約700m。
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12/30 11:28
水尾分かれまで来た。標高約700m。
水尾分かれにはあずまやがあり,数人の方が休んでおられた。水尾山陵参道と彫られた石柱もある。
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12/30 11:28
水尾分かれにはあずまやがあり,数人の方が休んでおられた。水尾山陵参道と彫られた石柱もある。
水尾分かれから愛宕山山頂方向への道
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12/30 11:28
水尾分かれから愛宕山山頂方向への道
道脇に「○○陵参道」の石柱。雪が着いて見えない部分はやはり「水尾山」だろうか,比較的近いところにある天皇陵と言えばやはり清和天皇水尾山陵か。
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12/30 11:28
道脇に「○○陵参道」の石柱。雪が着いて見えない部分はやはり「水尾山」だろうか,比較的近いところにある天皇陵と言えばやはり清和天皇水尾山陵か。
ケーブル愛宕(山頂)駅跡はこのあたりから右に入り,300mちょっと行ったところにある。
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12/30 11:29
ケーブル愛宕(山頂)駅跡はこのあたりから右に入り,300mちょっと行ったところにある。
水尾分かれから初めてのお地蔵さん
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12/30 11:29
水尾分かれから初めてのお地蔵さん
四十丁目にあたる丁石? 雪をどけると四十三丁目と書かれているらしい。このあたりは当初置かれていた丁石の位置が入れ替わったのか,数字が混乱しているようだ。
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12/30 11:30
四十丁目にあたる丁石? 雪をどけると四十三丁目と書かれているらしい。このあたりは当初置かれていた丁石の位置が入れ替わったのか,数字が混乱しているようだ。
ハナ売場。愛宕さんの火伏の神花・樒の売場。水尾地区の女性が毎日,樒を背負って愛宕神社まで登り,神前に供えてから販売したという。参詣人は火災を除く神符としてお土産にした。
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12/30 11:30
ハナ売場。愛宕さんの火伏の神花・樒の売場。水尾地区の女性が毎日,樒を背負って愛宕神社まで登り,神前に供えてから販売したという。参詣人は火災を除く神符としてお土産にした。
「ナハ売場」の説明板。愛宕神社まで約1.1kmという。
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12/30 11:31
「ナハ売場」の説明板。愛宕神社まで約1.1kmという。
ハナ売場の前に何か石造りの記念碑あり
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12/30 11:31
ハナ売場の前に何か石造りの記念碑あり
ハナ売場。ハナ売場の標高はだいたい730m。
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12/30 11:31
ハナ売場。ハナ売場の標高はだいたい730m。
ハナ売場前の嵯峨消防分団の看板(32/40)
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12/30 11:31
ハナ売場前の嵯峨消防分団の看板(32/40)
ハナ売場から先の表参道
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12/30 11:31
ハナ売場から先の表参道
標高740m付近
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12/30 11:32
標高740m付近
標高750m付近。ここにも折れた木がある。これも去年の秋の台風21号による被害の可能性が高い。
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12/30 11:33
標高750m付近。ここにも折れた木がある。これも去年の秋の台風21号による被害の可能性が高い。
標高750m付近はゆるやかな勾配が少しのあいだ続く。
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12/30 11:34
標高750m付近はゆるやかな勾配が少しのあいだ続く。
足元が本格的に雪で白くなってきた。
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12/30 11:35
足元が本格的に雪で白くなってきた。
表参道脇に「登山者の皆様へ」の注意書き看板
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12/30 11:35
表参道脇に「登山者の皆様へ」の注意書き看板
「登山者の皆様へ」看板の先に2体のお地蔵さん。この先の階段の坂はがんばり坂と呼ばれているようだ。
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12/30 11:35
「登山者の皆様へ」看板の先に2体のお地蔵さん。この先の階段の坂はがんばり坂と呼ばれているようだ。
嵯峨消防分団の看板(35/40)。がんばり坂の左側にある。ちょっと面白い表現。
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12/30 11:36
嵯峨消防分団の看板(35/40)。がんばり坂の左側にある。ちょっと面白い表現。
がんばり坂を登る。
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12/30 11:36
がんばり坂を登る。
がんばり坂を登り切ったところにある記念碑
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12/30 11:37
がんばり坂を登り切ったところにある記念碑
がんばり坂を登り切ったあたりにある2体のお地蔵さん
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12/30 11:37
がんばり坂を登り切ったあたりにある2体のお地蔵さん
倒木の下をくぐってゆく。
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12/30 11:38
倒木の下をくぐってゆく。
周囲は雪で真っ白になってきたが,風がないので体を動かして登っていると寒くはない。
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12/30 11:39
周囲は雪で真っ白になってきたが,風がないので体を動かして登っていると寒くはない。
木の枝にしっかり霧氷が着いている。
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12/30 11:39
木の枝にしっかり霧氷が着いている。
ちょうど標高が800mくらいのところ
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12/30 11:39
ちょうど標高が800mくらいのところ
標高約820m付近
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12/30 11:41
標高約820m付近
黒門が見えてきた。
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12/30 11:43
黒門が見えてきた。
黒門手前のお地蔵さん。一丁ごとのお地蔵さんとしてはこれが最後のものか。
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12/30 11:44
黒門手前のお地蔵さん。一丁ごとのお地蔵さんとしてはこれが最後のものか。
黒門
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12/30 11:44
黒門
黒門の右脇の灯篭と嵯峨消防分団の看板(39/40)
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12/30 11:44
黒門の右脇の灯篭と嵯峨消防分団の看板(39/40)
黒門についての説明板。黒門は江戸時代までは京口惣門とも呼ばれた。愛宕山は神仏習合の山で,神宮寺の白雲寺が実験を握っていたが,1868年の神仏分離令で白雲寺は破却された。
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12/30 11:44
黒門についての説明板。黒門は江戸時代までは京口惣門とも呼ばれた。愛宕山は神仏習合の山で,神宮寺の白雲寺が実験を握っていたが,1868年の神仏分離令で白雲寺は破却された。
黒門に「式年造替記念大祭斎行」の断幕。2026年に丙午の大祭に合わせて本殿の屋根葺き替えを始め,境内を整備する計画。1929年に現社殿を改修造営して以来,大規模な補修工事なしという。
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12/30 11:44
黒門に「式年造替記念大祭斎行」の断幕。2026年に丙午の大祭に合わせて本殿の屋根葺き替えを始め,境内を整備する計画。1929年に現社殿を改修造営して以来,大規模な補修工事なしという。
黒門をくぐって先へすすむ。黒門のあるところの標高は約850m。
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12/30 11:44
黒門をくぐって先へすすむ。黒門のあるところの標高は約850m。
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