磐梯山(裏磐梯から山頂に届かず)
- GPS
- 06:58
- 距離
- 7.2km
- 登り
- 488m
- 下り
- 505m
コースタイム
- 山行
- 6:50
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 6:50
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
磐梯山は会津富士とも称され民謡会津磐梯山とともに全国的に有名な山である。民謡に出てくる小原庄助さんは、朝寝朝酒が大好きとなっていて、会津は酒の里としても知られている。私が、いわゆる登山として登った山は磐梯山が初めてである。冬山として初めて登ったのも磐梯山である。このことは磐梯山の殆どのルートを登ったことと合わせて、私の密かな自慢なのだ。しかし、最近の記録を目にすると、イエローフォールという単語が頻繁に出てくる。これは見たことが無い。一度行ってみなくてはと思い始める。
昨年、磐梯山に登ったのは翁島口からだった。アイゼン登行訓練の後、南八ヶ岳の権現岳を登るためだ。翁島ルートは急登には違いないが、岩がゴロゴロしていて一枚バーンの、アイゼン訓練には向いていないと思った。アイゼン訓練はやっぱり東尾根であろう。ここは私が雪山として初めて登ったルートである。靴の底厚が2センチもあるようなオーバーシューズを履いて、鉄製のアイゼン。今も使っている木製のピッケル。そんなことはどうでもよいが、アイゼン訓練かイエローフォールか二者択一を迫られる。いろいろ考えた結果、イエローフォール経由で櫛ヶ峰脇から東尾根始点まで下り、東尾根経由で磐梯山に登り環状登行という結論に至る。
朝暗いうちに目覚め4時前出発。天候は晴れの気配。磐越自動車道はあまり好きではない。トンネルと二車線区間が多いからだ。猪苗代インターで降り、一路裏磐梯を目指す。と、なんと郡山へ向かっているではないか。ナビ誘導しているにもかかわらずだ。そのあとも標識を二度も読み違えてしまって、プチ修正。嫌な予感。登山口の裏磐梯スキーに着くと、2、3センチの新雪があった。問題は上部でどの位降っているかだ。おそらく30センチは越えているに違いない。模様見として持参したスノーシュー携行とする。
スキー場は、物音ひとつしない。人の気配が感じられないのだ。今日は休業なのだろうか。裏磐梯スキー場には回数は忘れたが、間違いなく一回は来たことが有る。こじんまりしたスキー場だ。スキー場上部まで進むと新雪が5cmは越えた。トレースは無いが周りより少し雪面が下がっているのでルートを外すことは無い。その下の雪は固まっているのでスノーシューは必要ない。分かりづらいところもあるが注意深く見ればそれと分かる。広い平坦地に出たところが銅沼(あかぬま)だ。冬は沼の上を歩くことが出来るのだ。
右手の斜面からシューシューと蒸気(ガス)が立ち昇る。少し硫黄くさい。私は、イエローフォールというのはここに有ると思っていた。しかし、いくら寒くても火山の蒸気で凍るだろうかと思ってもいたのである。私は、一切経山の小さな噴火口から噴き出すガスに手を出してしまったことが有る。その時、火傷したと思うほどの熱気を感じたからだ。地図にイエローフォールと記入されているわけではないので、私の完全な位置の勘違いか、融けてしまったのであろう。それとは別に実に気持ちのいい風景が広がっている。眼前には、櫛ヶ峰から天狗岩への稜線が連なる。いかにも爆裂火口壁だという荒々しい景色である。稜線から雲が千切れては沸き上がる。振り返れば雪の白と針葉樹の緑のコントラストが映える。夏の茫漠とした風景とは対照的である。
今日のルートの核心、稜線への登路は一番左、夏道ルートである。眺めてみれば、登攀は別にして、そこしかないといっても過言では無い。新雪は、約30cm。重馬場のようになってスノーシューを履く。広い沢状地形に出るとイグルーの残骸が残っていた。そこからさらに進むと夏道に突き当たるはずだ。しかし、判然としない。私は直近で3年前の夏に往復しているルートだ。たしか立木の中を行く階段の道だった。地図では判然としないが、立木の中を東側に進めば踏み跡は有るはずだと進んでみる。幸いなことに笹竹に切跡を見つけた。上部へ道らしい空間が続いていてそこを進む。地図上のルートに乗っかったのだ。
あとはひたすら登る。雪はますます増えてスノーシューの潜りは30cm程度。それでも気持ちのいい登りに余裕さえ感じた。出掛けにMさんのレコで読んだ、片手にピッケル、もう一方にストックというアルペンスタイルを試しながら余裕である。もう、稜線は見えている。あそこまで登れば後は楽勝だ。しかし、徐々にヒド状地形となり傾斜が強まってきた。雪の下には不安定な岩礫が積み重なっている。絶え間なく冷たい風が吹き付ける。
これはルートを外したと思った。ナビで確認すると画面が表示されていない。スイッチを入れて画面が出たと思ったらすぐに消える。何度やっても同じ。気温低下で電池の電圧が低下してしまうようだ。計画の夏道ルートは、もっと東側だったに違いない。これは想定外。稜線は目前なのだが遅々として進めない。急にふくらはぎが攣った。無駄な力を使い過ぎるのだ。そのうち腿の筋肉まで攣ってしまった。これでは遭難へと向かうパターンそのものだ、と思った。
撤退するしかない、と振り返ると、えっ、こんなに急だったのか、とマジで思った。ボーッと登ってんじゃね〜よ、とチコちゃんに叱られるパターンだ、これは。下るのも難儀なら登るしかない。登るとすれば、手は一つ。スノーシューからアイゼンに替えることだ。幸いなことに標高が上がって雪は軽い。アイゼンの爪だと小さな支点での確保が可能だ。しかし、スノーシューをアイゼンに交換するスペースも心の余裕もない。攣ったふくらはぎと腿のダメージもある。一度登ったルートだ。足がかりや手がかりは分かっている。それを思い起こしながら小刻みに安全を確認しながらの下降となる。こういう時はザイルパートナーがいればなあ、とつくづく思う。それは無いものねだり。慎重にヒドを脱して大休止。取りあえず危機は脱した。やれやれ。
イエローフォールを見て稜線に出て、東尾根先端に下って磐梯山に登って下るという“壮大”な計画は呆気なく頓挫した。ルートを読み違える初歩的なミスに傷心の気持ちで尾根先端に戻る。ふと、右手に目をやれば、なんとイエローフォールらしきものが見えた。えっ、まさか、というほど小さい。そこに続くトレースも出来ており間違いない。こんなところにあったのだ。今回の山行計画は、東尾根のアイゼン訓練が主である。イエローフォールは「一粒で二度おいしい」というグリコのコピーから思いついたものだ。二兎を追う者は一兎をも得ず。まあ、かろうじて一兎は得たので良し、としよう。
銅沼で石に腰をかけ休んでいると、中年の男性が今は廃止になった中の湯の方からやって来た。どこから来たのか不思議だったので聞いてみると、中の湯だという。中の湯は廃業したはずだが、懐かしさを感じて行って見たのかもしれない。聞けば地元の方だった。私は福島出身なので、山行域を共有するところがあり、直ぐにあれこれ山談議が始まる。磐梯山を眺めながら見ず知らずの人間が繫がっている。非日常の世界。ぐるりと櫛ヶ峰から天狗岩とつながる峨峨たる稜線。銅沼の雪原。静まり返った世界。至福の一時。
あれこれ山談議しながら二人一緒に下る。振り返ると、今まで見ることの出来なかった磐梯山が、青空に大きな姿を見せていた。
コメント
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最初、イエローフォールに行くとお聞きした時は、てっきり奥様とトレッキングかと思ったのですが、実は東尾根を経由と壮大な計画を考えていらしたんですね。
私が登った日曜の後、雪も降ったみたいで、難易度は増していた感じです。
人気の山でも、さすが、平日はかなり静かな様子、冒険も存分に楽しまれましたね。
銅沼で、ゆったりと至福の一時と味わえたなら、最高の山行だったと思っていいのではないでしょうか?
日曜より白い雪を被った美しい景色を見せて頂きました。
お疲れ様でした。 (*^。^*)
minkさん こんにちは〜
”壮大”とは言ってみたけれど、正確には大言壮語ですね(笑) 力が無いのに話がでかすぎました。でも、あと少しで稜線に乗れたんですね。まあ、そこが正念場なんですが・・・・。力不足です。それにしても静かでしたね〜。平日でしかも冬ですからね。それもありなんですが、のんびりできた山行でした。
早く下山出来たので、帰りは喜多方市高郷の「カイギュウランド」に寄り道して地質と化石の勉強しました。前々から行きたいと思っていたので、やっとこれたと満足できました。
後は高速に乗って一路新潟へとICのパーキングでETCカードを挿入して、出発しようとしたらエンジンが始動せず。キーも抜けなくなって、お手上げ状態。JAFに連絡して来てもらうことに。
待ってる間に、なんか音がしたような気がしたので、カギを回してみると何とエンジンがかかったんです。JAFの方が来て復帰を確認してくれて一時間くらいのロスで帰ることが出来ました。
原因は、パーキングスイッチの不具合とのことでした。良く分かりませんが、パーキングギヤに入れる時とエンジンを切るときのタイミングのズレだとか言ってました。たまに有るらしいです。念のため下道で帰りました。ほんといろいろ有った山行でした。
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