熊野古道小辺路・果無山脈《関西百名山》


- GPS
- 16:20
- 距離
- 42.9km
- 登り
- 2,696m
- 下り
- 2,764m
コースタイム
- 山行
- 9:15
- 休憩
- 1:41
- 合計
- 10:56
- 山行
- 4:02
- 休憩
- 1:22
- 合計
- 5:24
過去天気図(気象庁) | 2019年04月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
復路:熊野本宮から奈良交通バスで十津川温泉、あと自家用車 |
コース状況/ 危険箇所等 |
小辺路は整備の行き届いた世界遺産の道 果無山脈はアップダウンの少ない歩き易い稜線 越前タワ〜ブナノ平の巻道は整備されず危険箇所あり |
その他周辺情報 | 熊野本宮、大斎原参拝 十津川温泉庵の湯入浴(\500) |
写真
感想
1日目(4/27)
10連休スタートの日とあって渋滞が予想されたが、深夜2時に出発すると何の問題もなく、2時間50分で十津川温泉に到着することができた。村営の駐車場に車を止めて果無(はてなし)峠登山口へ1.5匱崙擦鯤發い拭F鹹徒逎瀬爐捻瓩止められた十津川はダム湖となり支流の山手川、西川を長い橋で渡った。果無集落への林道に入り果無峠登山口に達した。熊野古道の案内板や水場があり急登の登山道が始まった。標高175mの登山口から200m程登ると“天空の郷”と呼ばれる果無集落に達した。尾根上の僅かな平地に寄り添うように生活されている様は何とも浮世離れした長閑さと厳しさが伝わって来る。小辺路の古道は民家の軒先を通っている。
村営バスは月曜日に2往復だけこの集落まで来るようで、最低限の生活は保障されているようだ。最後に林道と交差する処に“小辺路登山口上”と云うバス停があった。終点ではなく2つ先の「奥果無」が終点となっている。果無峠越の道には西国三十三所観音の石仏があり櫟砂古(いちざこ)から登って来た道が出会う果無集落の入口に第30番竹生島宝厳寺の石仏から始まる。31番〜33番は櫟砂古への道沿いに祀られているそうだ。
主に稜線を通っていた登山道が西側を巻き出す処から古道を逸脱し斜面の微かな踏み跡を辿り3等三角点「中山」のピーク(554m)に立ち寄った。P632は北側を巻き進路が南西方向になりP694、P719,P788と連続して標高点があるが特段ピーク性がなく現在地の確認にも使えない。一寸した平地に到ると観音堂があり、導かれた水がホースから流れ落ちていた。傍らには第20番善峯寺の石仏もあった。
此処からは傾斜が急になり果無山の北尾根を逸れて南東にトラバースして果無峠に到った。標識に「1,060m」と標高が記されているが地形図では1,070mの標高線に乗っている。峠の西は果無山だが東側にもピークがあり登って見たが何もないが此の辺りの木に「出口山」と白ペンキで書かれているので恐らく出口さん所有の山と云う意味だろうが、山名として頂いた。
峠から僅か5分で果無山(1,114m)に到るとローマ字入りの山頂標識が設置されていた。稜線道は風が強く寒い、シャツ1枚で歩いていたが寒くて我慢できない。山頂の展望は得られず先に進むと稜線は比較的なだらかで、20分足らずで石地力山(いしちりきやま1,139m)に達した。2等三角点「桑畑」が置かれ西方の展望が素晴らしい。この先に連なる果無山脈が見通せ、ブナノ平、カヤノダン、冷水山まで確認できた。今日行く冷水山は遥か彼方、その先のヤマセミの郷へは将に果無しの山脈だ。山脈の北側を流れる上湯川の対岸の山に以前登った牛廻山(1,207m)が確認できたが、その他幽邃な十津川村の山並みが連なっていた。
緩やかに南西に進むとブナノ平(1,121m)に到った。今日の宿泊地だ。と云ってもまだ泊まる訳ではなく、7.6卆茲領篆綮海泙妊團好肇鵑垢詬縦蠅澄先ずはテントを立てて不要なものはテントにデポし、55ℓザックはおいて行こうと目論んでいたが、サブザックを持ってくるのを忘れてしまった。仕方がないので中身ガサガサで天蓋が垂直になるような感じの55ℓザックで冷水山を目指した。低気圧は去ったが北風を残していったので強風の中テント設営は大変だった。山頂から南側に僅かに展望があり奥駈道の稜線や熊野川の蛇行した流れ、先の方にはこの山行の終点、熊野本宮大社大斎原の大鳥居も望むことができた。
南東の谷から上って来た奈良和歌山県境が尾根に乗りこの先は県境尾根となる。ブナノ平の西鞍部は複雑な地形で谷の源頭のようだが水はなく、水場の場所は示されていない。持参の水は3.5ℓ、明日は午前中の早い時間に下界に下りるので節約すれば何とか持つだろう。百前森山への尾根が南に分岐した。小辺路を下るかこの尾根を下るか明日の下山路を直前まで迷っていたが、登る時に手を合わせてきた西国三十三所観音の石仏に全部会いたく小辺路を歩くことにした。
鞍部は1,080m程度登り返すとP1158で前衛峰を含めても大したアップダウンはなく25分程で達した。しっかりしたピークだが山名はなく、展望も利かないのでそのまま通過した。下った所はミョウガタワで小壁に下る道が地形図には描かれているがはっきりしなかった。P1117を越えると越前タワ(1,019m)で、公門崩ノ頭(こうもんつえのかしら1,156m)への登り返しは結構ある。越前タワ付近の北側は崩壊地で笠捨山(1,352m)を始め奥駈道の山々が望めた。少し行くと壊れた鹿除けネットがありその向こうに十津川村市原へ下る道跡らしきものがあった。
公門崩ノ頭山頂には3等三角点「公門谷」があり山頂標識には「公門谷の頭」とされたものもあったが三角点名と混同しているようだ。南に進路を変え稜線の横から下る感じになり3重の稜線が夫々谷を発し鞍部で一つに収束される感じの複雑な地形を示していた。P1132手前の崩壊地の南尾根に樫尾森山(929m)への登山道が地形図には記されているが、下山口はよくわからなかった。
70m余り登り返す登山道の途中に「カヤノダン(1,178m)」の標識があった。ピークは北に20m程行った処にあるので行ってみると此処にも手製の標識に「カヤノ壇」と漢字交じりで表記されていた。展望は得られないがお腹が空いた。山頂の強風の中で食事する気にもならず登山道に戻り山頂標識の前で休憩した。
果無山脈もあと2辧P1234の手前で県境尾根が南へと下って行き再び奈良県十津川村の単独山域となった。最後の登りで果無山脈最高峰の冷水山(1,262m)に達した。平成25年の記憶は殆ど蘇らない。其れもその筈あの日は雨で展望は得られなかった。今日は晴れて素晴らしい眺めだ。山脈はこの先黒尾山や安堵山等がある。山頂近くまで林道が来ているので前回復路は林道を歩いた。山頂には1等三角点「果無山」があり、近畿百名山に指定されている。時刻は12時、ブナノ平から3時間足らずで来ることができた。
来た道を引き返し越前タワの手前の崖に達すると来るときは雲が掛かっていた奥駈道の山々の写真を撮りカメラをザックの天蓋に入れた。越前タワを過ぎると地形図にあるP1117を巻く道が分岐した。巻道の方が険しそうな気がしたが時間も余裕が出たことなので、同じ道よりも初ルートの巻道経由で行くことにした。P1117の南を巻き殆ど歩く人がいないのは明白で谷の通過は崩壊著しく神経を使った。稜線の風からは逃れることができホッとした。同じルートのピストンでないのも気に入った。ミョウガタワ鞍部の直下に到ると水溜りに蟾蜍とその卵がどっさりとあった。ほんの水溜りで「轍鮒の急」とはならないものだろうか?
P1158の南下を通ったが地形図よりかなり下を通っているようだ。殆どの源頭部は涸れ沢だったが水流のある谷に到り、持参のタンクに2ℓ程給水した。GPSを見ると巻道は地図の位置より100m近く下で道なりに進み百前森山の尾根に達した。後は尾根歩きでブナノ平山頂に戻るが、再び北風も戻って来た。山頂に到着するとカメラの代わりにスマホで風景を撮ったが一眼レフには敵わない出来栄えだった。テントに潜り込み風の音を聞きながら日暮れ前に寝に就いた。
2日目(4/28)
ブナノ平の夜は寒かった。一晩中北風がテントを揺さぶった。この日の十津川村の最低気温が5.6℃だったので、1,100mの山頂は0℃位まで冷え込んだようでテントを撤収する手が凍えた。ご来光は石地力山へ向かう稜線で樹林の隙間から辛うじて見ることができた。カメラを無くしたので昨日撮った山頂写真などをスマホで取り直しながら進み果無峠に戻ると第17番六波羅蜜寺の石仏が迎えてくれた。出口山の西側を巻いて南尾根に乗ると果無山脈を吹いていた北風が遮られ一息つくことができた。
西国三十三所観音の石仏に手を合わせ乍ら進むが寺名が薄れて読めないものが多く相当古いものかと思ったが大正年代の寄進の名が刻まれていた。P831は地形図ではピークを通っているが小辺路は西側を巻いている。忠実に稜線を歩いたがピークには地籍杭があるだけだった。次のP765も西側を大きく巻いている。奥駈道と違って行場を目指す道でない小辺路は当然のように巻いている。標高線3本分あるが立ち寄り西尾根を下り小辺路に戻った。
P765南稜線に出会う頃に30丁石があり展望が開けた。奥駈道の稜線や山間を蛇行する熊野川のゆったりした流れ、八木尾谷川を挟んで西側の尾根の百前森山(783m)等を望むことができた。稜線東側にある七色に下る道が分岐する前後で初めて登山者に出会った。結構大きなザックだったので小辺路を縦走するのだろう。直下を国道168号線の土河屋トンネルが越える三角点峰は地形図ではピークを通っているが小辺路は大きく東側を巻いている稜線の分岐を通り過ぎてしまったので尾根の先端からピークに上がり4等三角点「東谷垣内」を確認してきた。
比較的軽装の男女が登って来た。十津川温泉まで行くという。第2番の観音石仏は紀三井寺で第1番が現れないまま八木尾登山口に達してしまった。案内地図によると小辺路を少し離れた所にあるようで探しに行ったが見つけることができなかった。後で調べてみると公民館の傍らにあるそうだったが全部お参りしてきたのに最後の青岸渡寺に手を合わせられず残念だった。
此処からは国道168号線を歩く、八木尾橋を渡ると八木尾谷川の東側に連なる小辺路の稜線、奥にはブナノ平と石地力山も望め感慨一入だった。熊野川沿いの道を歩くと悠久の流れに熊野に坐す神々を感じさせてくれた。三里橋で立越川を渡ると道の駅“奥熊野ほんぐう”がありトイレ休憩をした。向い側の郵便局の横から伏拝王子へ行く道があるようだが今日は小辺路を極めようと国道を進んだ。林道が分岐し三軒茶屋跡に到ると休憩舎があり国道を跨ぐ橋から中辺路が現れ小辺路は吸収された。九鬼ヶ口関所の門を入り本宮へ向けて最後の山道に入った。
中辺路になると道幅が広く石畳もしっかりしてパンフレットによく登場する風景となった。「ちょっとよりみち 見晴台」と書かれた分岐から左に入って行くと大斎原の大鳥居が眼前に見えた。大斎原は熊野川と音無川の中州にあった嘗ての熊野本宮大社の社地で明治22年の大水害で流され現在の高台に遷座されるまで2,000年の歴史がある聖地だった。墓地が現れ祓戸登山口に達すると“祓殿石塚遺跡”があり河原の丸石が出土している。祓戸団地を過ぎると祓殿王子跡があった。裏口から熊野本宮大社に入り小辺路の旅を終えた。
伊勢神宮もそうだったが歩いて達した終着点の神社は日常に無い神々しさを感じ身が震える。先ずは拝殿から参拝し、門を潜って3棟ある社殿の一番右から順に参拝したが、正式には真ん中の素戔嗚尊を祀る証誠殿が最初で2番目に中御前の速玉大神、3番目に西御前の夫須美大神、4番目に東御前の天照大神を参拝するそうだ。ややこしいのは西御前と中御前は同じ社殿にあり3棟で4つの社殿となっている。300円出して宝物殿を参観し参道の石段を下り大斎原に行った。大鳥居は平成12年5月11日に建てられたもので高さ34m、幅42mと日本一の大きさであると云う。嘗ての社殿のあった場所には石祠があり中四社、下四社、境内末摂社の神霊が祀られている。
備崎が見える河原で休憩した。奥駈道を縦走して来ると対岸に下りてきて最後は熊野川を渡渉して感激を胸に大斎原に到る。渡って来る人がいれば拍手で迎えたいところだが・・・ 水の涸れた音無川を渡り熊野本宮バス停に行き山行を終えた。新宮から来る大和八木行の日本一長い路線バスに乗って十津川温泉に戻った。バス停で会った福岡から来た70代男性は2泊で小辺路を全部歩いたそうで昨夜は果無峠手前の観音堂でテントを張ったそうだ。十津川温泉まで一期一会の会話を楽しんだ。
庵の湯で汗を流し帰路に着いた。来るときは3時間足らずだったが帰りは5時間弱を要した。
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