会津那須ロングトレイル-完走率55%の中の完走-
- GPS
- 23:15
- 距離
- 88.6km
- 登り
- 5,671m
- 下り
- 5,740m
コースタイム
- 山行
- 3:57
- 休憩
- 0:03
- 合計
- 4:00
- 山行
- 17:43
- 休憩
- 0:49
- 合計
- 18:32
天候 | 9月21日:くもり 9月22日:午前 晴れ 午後 曇り→雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
会津那須越県ロングトレイル2019 ◯日程 スタート : 大内宿 9月21日(土) 20:00 小白森登山口エイド:給水 観音沼エイド:給食・給水 観音沼エイド到着制限時間 9月22日(日) 9:00 音金エイド:給水 三斗小屋宿跡エイド: 給水 ゴール : 板室温泉 上の原園地 ゴール制限時間 9月22日(日) 20:00 表彰パーティー:2019年9月23日(月・祝)11:00 ◯参加定員 300名 → 参加者 135名 ◯大会参加費 25,000円(ココヘリ加入者) 26,000円(ココヘリ未加入者) ◯距離 92km ◯参加資格 ・大会当日に20歳以上の男女で、コースを迷うことなく制限時間内に完走できること。 ・大会当日から過去3年以内に距離が50km以上のトレイルランニング大会を完走していること ・山岳地帯での夜間走行に習熟していること 【必携装備について】 出走前に、全員の装備チェックを実施します。大会途中のエイドステーション等で、抜き打ちのチェックを実施することもあります。 ‐楮戰魁璽好泪奪 ▲魁璽GPSデータをダウンロートしたGPS機器 スマートフォン等のアプリも可 エントリーの際に番号を届け出た携帯電話 救護本部の電話番号を登録し、番号非通知にせず十分に充電し、主催者からのSMSによる緊急連絡を受けられる状態にしておいてください。 携帯電話が36時間稼働させるための予備バッテリー。 し搬咼灰奪 タ スタートおよび各エイドステーション、ウォーターステーションを出発するときには1L以上持っていなければいけません。 Ε灰鵐僖 Х鈴 ┸料(完走に必要なもの) ライト2個、それぞれの予備電池。 点滅ライト サバイバルブランケット(130cm以上×200cm以上)。 ホイッスル。 テーピング用テープ(80cm以上×3cm以上)。 携帯トイレ 雨天に備えてフードつきレインジャケットとレインパンツ。 哀侫 璽好肇┘ぅ疋ット 永欷云據淵灰圈爾鷲垈弔任后法 殴灰灰悒衄信器(契約者は持参、未契約者は有償貸与) 【コース状況】 ・板室温泉に下る沢沿いの道は、トラバース道や崩落箇所もあって、走行に注意を要する。 |
その他周辺情報 | ONSEN RYOKAN YAMAKI 〒325-0111 栃木県那須塩原市板室844 tel.0287-69-0011 お料理も温泉も良いです。 |
写真
装備
MYアイテム |
Norizo
重量:-kg
|
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備考 | ・事前の天気予報だと雨との予報に、防寒対策のため長袖とロングタイツを着用したら、それが失敗。暑すぎて、発汗が多くなり、足攣りが多発した。 |
感想
1.会津那須越県ロングトレイルへの想い
那須高原は1年1回は必ず訪れるお気に入りの場所だ。特に那須連山は那須に行った際は必ず登るし、山の雄大さにはいつも心躍るところがある。特に三本槍岳から先の三倉山へ続く稜線はいつ行っても素晴らしい。また、下山後、どこに行っても必ず温泉があるのがいい。
2014年この山域で「NASUロングトレイル」(NASUロング)というレースが開催された。福島県の天栄村をスタートし、ゴールの板室温泉にゴールする総距離100kmのレースだった。当時はまだ70km超のレースも完走したことがなかったまだ”トレイルひよっこ”の自分にとっては、とてもハードルの高いレースだった。天候は雨、悪天候の中、残念ながら自分の旅は62km地点の那須湯本で終了となった。那須連山に入ってからは終始雨で立ち止まれば低体温症にでもなりそうな過酷なレースだった。終ってみれば、完走率23%の伝説のレースだった。2回目以降はレースは開催されず、板室温泉へ行くことは叶わなかった。
そして2019年、このエリアでレースが開催されると聞いて、エントリー開始初日にはエントリーを完了した。
2.スタート 大内宿 −ウェア選択の失敗−
レースのスタート地点は福島県の大内宿だった。江戸時代の宿場町を体験できる情緒ある町並みだ。岐阜県の白川郷に比べると街がコンパクトにまとまっていて、観光しやすい印象だった。ネギで蕎麦を食べるネギ蕎麦が有名だ。
午後12時から受付開始だったので、早めに受付を済ませ、午後6時からの説明会まで、大内宿の観光をしたり、受付会場の体育館で仮眠をしたりしてスタート時間まで過ごした。
午後8時スタート、夜間出発のレースは今回が初めてだ。体育館で2時間弱は仮眠したので眠気はない。カフェイン断ちも約1週間やっているので、眠気の心配は今回もないだろう。
今回は135人の選手がエントリー。スタート付近はいつもの大会に比べ明らかに人数が少ない。
スポンサーのジープの車に先導され、まずは大内宿内を一周、約2キロ走ってから小野岳へ向かう。人数が少ないからあっという間に後ろの方に位置することになった。
小野岳へ行くまでは林道を走る。走れないほどの傾斜ではないが、序盤なので、時々早歩きしたり体力を温存しながら進む。そしていよいよ小野岳の登山道に入る。
トレイルの登りが始まった。この段階でウェアの選択ミスだったのだろう。登りに入ってしばらくすると発汗量が多くなり、他の人に比べ明らかにペースダウンしていった。序盤の山とはいえ、小野岳の登りは自分にとっては結構しんどかった。ここでこんなんじゃ、先行きやばいかも…。
発汗量が多くなったのには理由があり、事前の予報では雨であり、当然、夜間稜線を走るとなれば、気温はかなり低くなることが予想された。このため長Tシャツ、ロングタイツなど低温時のウェアで臨んでいたからだ。
3.林道区間 – 走れるかどうかがカギ−
小野岳をやっと下山、湯野上温泉に入る。ここまで約10kmで約2時間かかった。湯野上温泉に入ると、夜なのに沿道に人が出て応援してくれている。声援で元気が出るので本当にありがたい。まだ序盤なのにすでにヘトヘトだが、遅いながらもロードは走り続けた。
このレースが他のレースと違うところは、コースマーキングが最低限しかなく、GPSデータや地図を見ながら進まなければなないところだ。また、エイドも湧水や水のエイドが主であり、食料が提供されるエイドは52km地点の観音沼エイドのみ、装備は全て自分で背負って行くというハセツネ(※)のような心構えが必要なところが、自分にとっては魅力的だった(ただし、観音沼エイドで妻のサポートを受けたけど。)。
なので、水は1.5リットル程度背負っていたが、水場ごとには必ず給水をした。
※ハセツネCUP(日本山岳耐久レース)…世界的クライマー長谷川恒男氏の功績を讃え、「ハセツネCUP」の別称を持つ。ヒマラヤを目指す若きクライマーの登竜門として、夜間行動を含めた安全な山行を訓練する場を兼ねた競技として始まった山岳レース。山での行動は、自己責任・自己管理が鉄則。エイド1箇所、給水のみのサポート。走距離 71.5km、制限時間24時間、累積標高4582m。
小野岳を下ると約12kmのロード・林道区間となる。ロード区間序盤7kmくらいはなんとか走り続けられたが、雑根地区の集落を抜けるあたりからの登り基調になるため、徐々に走れなくなってきた。おまけに脚に疲労が出てきており、ムサシNI(アミノ酸)や塩熱サプリを必死に飲むが、あまり改善されなかった。続々と後続選手に抜かれていく有様で、挙げ句の果てには初のコースロストをしてしまう。おかげで500mくらい多く走ってしまったか。ギリギリ気持ちだけが途切れなかったことが唯一の救いだった。ここの林道をいかに走れるかがコースタイム短縮のカギだと思った。
4.二岐山 −漆黒の地獄坂−
林道を過ぎると今コースで一番ロストしやすいトレイルに入る。前後に選手は見当たらない。完全な単独走だ。平坦な雑木林のトレイル、ピンクリボンと反射テープを頼りに進むが、時折、ガサガサっと音がするとドキッとする。その都度、笛を吹き鳴らしながら、怯えながら進む。単独走でおまけに秘境感たっぷりの山域なので注意せねばと思った。再び林道に出た時はほんとにホッとした。
次のピーク、二岐山は地獄坂と呼ばれるコース屈指の急登だった。ロープを使って四つん這いになり登るような急登だ。
登りになりさらに発汗量が増えたため、ここでは脚攣りが続発した。その都度、脚攣りに効く芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)やジェルなどを摂取するが、現状維持が精一杯だった。
遥か後方から話し声が聞こえ、ヘッドライトがチラチラ見えて、落ち着かなかったが、抜かれまいという気持ちが出たせいか、終始ヘロヘロの状態でも歩みを止めず登り続けられた。
この区間1kmで560m登るのに1時間を費やした。この区間が一番疲れた。時刻は午前2時を過ぎようとしていた。
二双耳峰である二岐山は、女岳(東岳)、男岳(西岳)と進む。男岳の山頂でやっと前の女子選手に追いついた。「先に行きますか」と言われたが、無理せず後について行った。この区間は先行者が多くなり、気持ち的に落ち着いてきた。二岐山から大白森山まではNASUロングのコースと同じであり、ある程度コースを知っていること、また小白森山登山口までは下り基調なので、精神面も体力面も一息つけたので良かった。
二岐山山頂は午前2時過ぎに通過、計画では小白森山登山口到着には3時20分を予定しており、少し飛ばさないと間に合わない。先ほどの女子選手には道を譲ってもらい林道に入った段階でさらにペースアップした。
これは計画通り行けそうだと思ったその時、登山口のエイドまで後わずか500mくらいのところで、石に蹴つまずいて派手に転んでしまった。”やばい、やっちまったか”、左肩から倒れ込んでしまった。幸い起き上がって走ってみると大丈夫、落し物もなさそう。打ち身・擦り傷程度で済んで良かった。その後、なんとか、エイドは3時17分には通過した。この時点でエイドを通過した選手は90人。結構、後ろの方じゃないか…。
5.小白森山・大白森山−ここが勝負どころ−
小白森山登山口で順位は90位。いつものレースだと、順位的にはほぼ中間に位置しているので、結構後ろの方で正直驚いた。このレース、結構な猛者ばかり走ってるんだなと思った。これからまた登りが始まるので、二岐山の轍を踏まないよう、水分とジェルをしっかり摂ってエイドを後にした。ここが踏ん張りどころだ。水だけのエイドとは聞いていたけど、水の他にミナト製薬のライスピュレが置いてあった。米などで作られた甘いジェル・ライスピュレは意外とイケた。
小白森山への登りは、NASUロングの時のイメージだとあまり苦労した記憶がなく、比較的稜線は緩やか、あわよくば走れる感じのコースの印象。もちろんこの時点で走れるような体力はないので、結構頑張って早歩きで登った。登山口で数人を抜いて、小白森山まではほとんど1人旅、山頂はまだかまだかと思い、小白森山に到着するところでやっと先行者とあった。その後、また後ろから1人来たので、自分も含めて合計3人の最後尾で付かず離れず進んだ。
午前5時を過ぎ、そろそろ空が白んできた。日が出てくると元気がでてくるから、夜明けのトレイルは好きだ。周囲の山々も雲海に包まれてとても綺麗だった。写真を撮る余裕がなかったのがとても残念だった。
この頃になると、観音沼エイドの9時の関門に間に合うかどうかが気になってきた。9時以降に到着すると三倉山の稜線には行けず、大峠経由のショートコースを行くことになってしまう。今は大白森山の手前の一杯山から観音沼まで残り16kmくらいある。この時点で午前5時過ぎ、この先、途中林道で下り基調であってもロードのようには速く走れないだろうから、余裕を持って4時間で行くには結構頑張らないといけない。先ほどから前の2人とは少し距離が離れてしまった。
大白森山を目前にしてまた登りが始まった、ペースはあまり上がらない。”これ時間的に無理だわ、今回もDNFか”なんて半ば、諦め気味なっていたが、しばらく登っていると頂上にスタッフがいた。「あとはここを下るだけです」と言われあっさり登りが終わってしまった。”ラッキー!”、あともうワンピークあると思っていたから、嬉しい誤算だ。あとは涸れ沢を下るだけだ。
6.甲子峠・観音沼エイド−林道疾走、そして幻覚−
大白森山からの下りは、涸れ沢をロープを使ったりして降りる急なルートだ。NASUロングで下ったことがあるので、気持ち的に楽だ。すぐに先行者に追いついた。
ここの涸れ沢の下りは急なので、夢中になって下りロストした人が多かったんじゃないかなと思う。途中で脇道にそれるのだが、夢中になって下りているとそのまま、延々と涸れ沢を降り過ぎてしまう人もいたみたいだ。自分の前の人も、あわやロストというところを自分が呼び止めて、ことなきを得た。
しばらく走りやすい下りのトレイルを下る。林道が始まる甲子峠には午前6時前に到着した。次のエイドまで残り14km、時速7kmで2時間進んだとしても、8時にはゴールできる。少し安心、でも下りなので、ここでしっかり貯金を作る。自分には珍しくキロ5分台で下っていた。
人気がない林道、前方左側に応援の人がいる。とても嬉しい。日が出てきたので、気分はハイだ。ハイタッチしたい気分で走り寄る。それはススキだった。”アレッ”おかしいな、また左側に人がいる。今度こそ、ボランティアの人かな、またススキだ。どうやら幻覚を見たみたいだ。
今回は今までになく、幻覚を多く見たレースだった。ロングトレイルにはよるあることで、トレラン雑誌とかでは読んでいたけど、本当にあるんだなぁと思った。これ以外だと、先にある岩や木の模様が、動物に見えるとか、いろいろ見た。
なんやかんやで、おかげでなんとか8時過ぎには観音沼のエイドに到着した。
観音沼エイドに入る手前、一人の選手に声をかけられた。インスタでつながっている人からだった。初めての経験だったので嬉しかった。
観音沼エイドでは、妻が待っていてくれた。けんちん汁、蕎麦などいろいろな食べ物があったらしいが、疲れていて蕎麦しか食べれなかった。ほんとエイドはありがたい。”温かい食べ物最高!”
あと早速、半袖、半パンにウェアの着替えをした。この日は晴れ間も見え始めていたので、暑くなりそうだった。快適なったので、ラスボス三倉山へGoだ。エイドには20分ほど滞在した。
7.三倉山へ−いよいよ稜線へ−
エイドでゆっくりしたせいか、この間、多くの選手に先に行かれた。それでも観音沼の9時の関門をクリアしたので、一安心。でも、先ほどの林道下りで足を使ったせいか、走るといってもゆっくりペースでしか走れない。もどかしい。周りにいた選手はあっという間に先に行き、また一人となった。でも、この間のトレイルは昔の街道だったらしく、とても雰囲気が良かった。
三倉山登山口の手前にはもれなくエイドがある。ここの手前、しばらくロードが続くのだが、辛いエイドで通過する車から声援を送られると嬉しい。普通は声援なのだが、ここですれ違った車からはコーラの差し入れがあった。「稜線を楽しんでください」という言葉を残し、彼女らは去っていった。とてもありがたかった。レース前のコース説明会で”那須連山最大の急登”と言われた登りに恐れおののきながらも、気持ちを奮い立たせた。
三倉山登山口の手前の音金のエイドには、多くの人が仮眠をとっていたその数20人弱、時刻は午前10時過ぎ、”仮眠なんてとっている余裕はあるんだろうか”と思いながらも、そそくさとエイドを出る。山頂の天候も気になるし、午後遅くからは雨との予報もある。後になって、この判断は自分にとっては吉と出た。
三倉山へは、まず唐沢山(空沢山)標高1691.9mを経て行くのだが、ここの登りは登っても、登っても終わらないほど急で長かった。やっとピークに着いたと思っても、偽ピークが多くあり、心砕かれる。間違いなく今まで登った山の中で一番しんどい登りだった。あまりにもしんどすぎて、”こんなトレイルレースは金輪際止めよう、平地を走るマラソンに転向しよう”と考えながら、黙々と登っていた。
8.三倉山-大峠−稜線からの生還−
唐沢山へは午後12時19分に到着、コースタイム(CT)3時間のところ、約2時間、CTの60%で登ったのでいい方だ。唐沢山の山頂はほぼ360度の展望だった。しかし、景色を楽しむ余裕もなく、次の三倉山を目指す。標高1600mまで登ったので、ここからの稜線は登りといってもこれまでの急登に比べたらだいぶ楽だった。それより標高が上り、森林限界を超えつつあったので、吹く風が肌寒く感じ、午後からの天候の悪化がとても気になった。遮蔽物のない稜線で風雨に曝されたら、とても危険だからだ。好天の稜線は大好物だけど、悪天の稜線はまっぴらごめんだ。
三倉山(標高1888m)には午後1時過ぎに到着。本コースの最高峰に到達したので、あとは大峠まで下り基調だが、稜線を楽しむ余裕はない。西側からの風が稜線を越えて、東側へ注ぐのが雲の流れで一目でわかる。風が強くなり、急速に天候が悪化してきているのがわかった。一刻も早くこの稜線から下山しないとやばそうだった。
三倉山からは大倉山(標高1831m)、流石山(ながれいしやま 標高1812.6m)、大峠山(標高1750m)を経て大峠へ下山するが、風は大倉山を過ぎたあたりから急速に強くなった。
これまで歩くにはちょうど良かったので、レインジャケットは羽織らずに来たが、流石山の手前であまりの強風に命の危険を感じたので、今回初めて頭からすっぽりジャケットを羽織った。
三倉山から先は先行者が二人見えたが、一人はその後ペースアップしたのか、いつの間にか先行者は一人だけになっていた。一刻も早く下山したかったので、先行者も抜けそうな感じだったが、この強風、もしものことがあるといけないので、大峠までは付かず離れずで進んだ。
流石山手前で、前方からスイーパーらしき男女二人が来た。三倉山方面へ行くようだ。後続者の安否確認だろうか。お互い気をつけてと声がけしながらすれ違った。
その後、後続の選手の動向を心配しつつ、這々の体で大峠に到着した。大峠にはボランティアの人が4、5人いた。久々に人に会ってホット胸をなでおろした。精神的にとても疲れた区間だった。
9.三斗小屋宿跡・麦飯坂
大峠からは三斗小屋宿跡へは沢を3箇所横断するコースだ。事前の説明会では大峠付近に水場があるとのことであったが、わかりづらそう。大峠でボランティアの人からの情報で、3箇所の沢のうち、最初の沢の水だけは飲用できるとのこと(あとの2箇所は上流に温泉が湧いており飲めないとのこと)。過去の山行でこのコースを通った時、水切れを起こし、沢の水を飲んだことがあったのだが、それは運よく間違っていなかったのだ。沢の水は冷たくて美味しい。今回も沢でしっかり水を補給していった。ハセツネでいつも思うけど、ジェルなど甘いものばっかり食べてるから、最後は水が一番美味しく感じてくるんだよな。
ここから先のコースは、熊に出くわす可能性が高いので、熊鈴を鳴らしながら進んだ。大峠からは再び単独になっており、また日も暮れつつあったので、非常に心細かった。
観音沼のエイドでメガネからサングラスに変えており、メガネを置いてきてしまったので、日暮れになるととても見辛かった。疲れているとライトをつければ、サングラスでも大丈夫と思っていたところが、疲労で思考回路が働いていない証拠だ。行動時間も20時間を経過し、人や鳥などの幻覚もこの頃になるとまた見るようになっていた。
三斗小屋宿跡までは下り基調なので、走りやすいかと思いきや、所々、石が転がっていて、決して走りやすくはなかった。下りなのでかろうじて走っている感じ。三斗小屋宿跡手前で、ボランティアのランナー一人とすれ違うが、余裕な感じで逆方面に走っていった。羨ましい。
三斗小屋宿跡へは、沢を橋で渡るが、そこからは林道になる。三斗小屋宿跡に到着すると広場みたいになっているが、肝心のエイドがない。勘違いかと思い、水場から水を汲んで進んだが、暫く行くとちゃんとした水のエイドがあった。水を汲んだばかりなので、エイドはスルーして、最後の登り、麦飯峠を進む。今思えば、脚が残っていれば、決して大変な坂ではないと思うのだが全歩き。坂を登り切って、平坦になってくると沼原湿原が近い。この頃になると辺りは真っ暗、遥か先にヘッドライトが見える。先行者に追いつきそう。そうこうしているうちに沼原の駐車場に到着した。スタッフの人がおり、あとは板室温泉まで下りとのこと。この先は試走しているので、わかっている。やった完走はできそうかもと思った。
10.板室温泉へ
沼原の駐車場には、先行者二人がいた。彼らより先に行こうかと思ったが、サングラスのせいで視界が悪いので、三人で一緒に下ることにした。この区間は試走していたけれど、夜になると道がわかりづらかった。ロードとトレイルを交えたコースを暫く進むと、向こうからまたボランティアのランナーが走ってきた。どうやら、板室温泉へ下る分岐を間違って進む選手が多く、そこまで案内してくれるとのこと。終盤になりペースメーカーの役割を果たしてもらい、これがとても心強かった。試走した時は、結構長く感じたコースもあっという間に走破できた。
案内してくれたランナーとは、板室温泉への分岐でお別れ、ここから先は、沢沿いの道を進む。このルート、試走した時もわかりづらかったが、おまけに夜間、崩落している箇所もあり、コースは非常にわかりづらかった。試走したことのある自分を先頭に、踏み跡、マーキングを慎重に三人で確認しながら進んだ。
板室温泉に近づくと、ボランティアの人がおり、この先のポンプ小屋の脇を通って橋を渡れば、もうすぐ板室温泉だと教えてくれた。しばらく行く街並みと人の気配がしてとても安心した。
最後はゴールの上の原園地まで階段を登れば、ゴール。階段を登りきるとゲートがあるが、園地を一周してからゴールゲートへ向かうとのこと。なんだが最後はあっけなくゴールした。
大峠から先は携帯電話が通じず、妻には事前に連絡が取れなかったため、今回は一人静かなゴールでした。完走賞はキャップと木のメダル。ゴール後、おにぎりやラーメンのサービスもあったみたいだけど、宿の夕飯を食べるので、一人寂しく会場を後にしたのであった。
ゴール後、完走証の発行もなかったので、正式な記録もわからなかったが、後に大会のフェイスブックで、完走者75人(完走率55%)で順位が68位ということを知り、本当に過酷なレースだったんだなと思った。こんな過酷なレース、金輪際出ないと思ったけど、時が経つと、記憶が薄れ、また出たいと思ってしまうから不思議だ。
今回、5年前にはたどり着けなかった板室温泉にたどり着けて、とても灌漑深い大会となった。
誰にでもお勧めできるレースではないけど、福島県と栃木県をまたいだこんな広大な山域を走れる大会はそうそうないので、大会を開催してくれた大会運営者、ボランティアの方々には、本当に感謝したいと思う。
そして、最後に献身的にサポートしてくれた妻には、ありがとうと言いたい。
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