< 今回の周回ルート >
[七尾城跡めぐり]と[城山登山]の両方を味わえる『城山周回コース』です。
仝鮑硬澄崗觧魁=(矢田郷81号線と城山線の交差点)
◆ー携城本丸
城山展望台
ぁ仝鮑硬澄崋携城山IC口」
銑い犯浸計方向に巡りましたが、逆方向もOKです。
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< 今回の周回ルート >
[七尾城跡めぐり]と[城山登山]の両方を味わえる『城山周回コース』です。
仝鮑硬澄崗觧魁=(矢田郷81号線と城山線の交差点)
◆ー携城本丸
城山展望台
ぁ仝鮑硬澄崋携城山IC口」
銑い犯浸計方向に巡りましたが、逆方向もOKです。
< 周回コースのグラフ >
総歩行距離:約8.6km、累積標高差(+):約440m、所要時間:約2時間30分。
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< 周回コースのグラフ >
総歩行距離:約8.6km、累積標高差(+):約440m、所要時間:約2時間30分。
< 「大谷川」の土手から >
〜七尾城山を見ました。「大谷川」の源は、七尾城本丸跡の後方の山域にあります。
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12/1 9:20
< 「大谷川」の土手から >
〜七尾城山を見ました。「大谷川」の源は、七尾城本丸跡の後方の山域にあります。
< 交差点「城山」 >
七尾城下に住まいする私は、自宅から、ここまで歩いて来ました。今回の周回登山は、この交差点からスタートしてここでお終いとします。
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12/1 9:35
< 交差点「城山」 >
七尾城下に住まいする私は、自宅から、ここまで歩いて来ました。今回の周回登山は、この交差点からスタートしてここでお終いとします。
< 「七尾城史資料館」口 >
〜と素通りして、旧『大手道』に進みます。
※:資料館に隣接する『飯田家』の裏側を通り抜けて、『大手道』に入ることも可能です。
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12/1 9:36
< 「七尾城史資料館」口 >
〜と素通りして、旧『大手道』に進みます。
※:資料館に隣接する『飯田家』の裏側を通り抜けて、『大手道』に入ることも可能です。
< 「大手道」を進むと >
〜発掘調査の現場に遭遇しました。
0
12/1 9:47
< 「大手道」を進むと >
〜発掘調査の現場に遭遇しました。
< 発掘調査の現場 >
〜を横から眺めました。同じような現場があと2つありました。
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12/1 9:47
< 発掘調査の現場 >
〜を横から眺めました。同じような現場があと2つありました。
< 「高屋敷」跡 >
〜の前で右折してすぐにまた左折します。「高屋敷」跡 でも発掘調査しています。
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12/1 9:50
< 「高屋敷」跡 >
〜の前で右折してすぐにまた左折します。「高屋敷」跡 でも発掘調査しています。
< プロジェクトと講演会 >
〜のポスターですが、いずれも終了しています。
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12/1 9:51
< プロジェクトと講演会 >
〜のポスターですが、いずれも終了しています。
< 赤坂口から山道 >
〜を登ります。
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12/1 9:58
< 赤坂口から山道 >
〜を登ります。
< 30分ほど歩いた所 >
〜からの眺めです。交差点「城山」=標高45mから、標高200mの場所に上がって来ました。手前から奥へ〜旧城下町(七尾市内)、七尾湾(南湾)、能登島、能登半島(能登北部=奥能登)〜と望めます。
1
12/1 10:06
< 30分ほど歩いた所 >
〜からの眺めです。交差点「城山」=標高45mから、標高200mの場所に上がって来ました。手前から奥へ〜旧城下町(七尾市内)、七尾湾(南湾)、能登島、能登半島(能登北部=奥能登)〜と望めます。
< 「安寧寺」跡手前 >
〜のベンチから眺めました。本日は快晴です。紅葉が終わりかけていたのが残念でした。
1
12/1 10:12
< 「安寧寺」跡手前 >
〜のベンチから眺めました。本日は快晴です。紅葉が終わりかけていたのが残念でした。
< 三の丸(跡) >
〜に上がりました。七尾城址では、いずれの曲輪に上がる手前部分では、急階段になっています。
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12/1 10:19
< 三の丸(跡) >
〜に上がりました。七尾城址では、いずれの曲輪に上がる手前部分では、急階段になっています。
< 三の丸から「大堀切」 >
〜を見下ろしました。
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12/1 10:19
< 三の丸から「大堀切」 >
〜を見下ろしました。
< 「大堀切」 >
〜を通過します。
0
12/1 10:21
< 「大堀切」 >
〜を通過します。
< 二の丸(跡) >
この曲輪の紅葉は綺麗なのですが、すでに紅葉が散っていました。
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12/1 10:25
< 二の丸(跡) >
この曲輪の紅葉は綺麗なのですが、すでに紅葉が散っていました。
< 「九尺石」 >
いわゆる[鏡石]に相当するものです。「大手道」が作られる以前は、この場所([二の丸]と[西の丸]の間)が、大手口(正面玄関)だったかもしれません。
実は、ここ「九尺石」から下ると、2本の道=[龍の尾道]+[虎の尾道]があります。以下のリンク先にレポートしています。
● あゝ七尾城 (その二)〜城域を囲むように一周〜
https://yamare.co/916536
1
12/1 10:27
< 「九尺石」 >
いわゆる[鏡石]に相当するものです。「大手道」が作られる以前は、この場所([二の丸]と[西の丸]の間)が、大手口(正面玄関)だったかもしれません。
実は、ここ「九尺石」から下ると、2本の道=[龍の尾道]+[虎の尾道]があります。以下のリンク先にレポートしています。
● あゝ七尾城 (その二)〜城域を囲むように一周〜
https://yamare.co/916536
< 本丸に上がる階段 >
ここの三段になった石垣が綺麗です。
1
12/1 10:31
< 本丸に上がる階段 >
ここの三段になった石垣が綺麗です。
< 本丸正面 >
〜の石垣をガン見しました。
2019年12月01日 10:32撮影
0
12/1 10:32
< 本丸正面 >
〜の石垣をガン見しました。
< 七尾城本丸(跡) >
2
12/1 10:32
< 七尾城本丸(跡) >
< 七尾の街 >
〜を見下ろしました。七尾湾には「能登島」が浮かんでいます。
2
12/1 10:33
< 七尾の街 >
〜を見下ろしました。七尾湾には「能登島」が浮かんでいます。
< 能登島大橋 >
〜をズーム。後方には「ツインブリッジのと」=中能登農道橋が見えています。
3
12/1 10:33
< 能登島大橋 >
〜をズーム。後方には「ツインブリッジのと」=中能登農道橋が見えています。
< 城山神社 >
天守台であった所に、神社が祀られました。
1
12/1 10:34
< 城山神社 >
天守台であった所に、神社が祀られました。
< 七尾城址の碑 >
後方に見えているピークには、「城山展望台」があります。本丸から下りたら、車道を歩いて「展望台」に移動します。
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12/1 10:35
< 七尾城址の碑 >
後方に見えているピークには、「城山展望台」があります。本丸から下りたら、車道を歩いて「展望台」に移動します。
< 「桜馬場」下の石垣 >
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12/1 10:40
< 「桜馬場」下の石垣 >
< 本丸の方向 >
〜を振り返りました。
1
12/1 10:40
< 本丸の方向 >
〜を振り返りました。
< 見事な「野面積み」 >
〜の石垣です。
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12/1 10:41
< 見事な「野面積み」 >
〜の石垣です。
< 後ずさり >
〜するようにして、撮影しました。
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12/1 10:41
< 後ずさり >
〜するようにして、撮影しました。
< 下にある「調度丸」 >
〜に下ります。
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12/1 10:41
< 下にある「調度丸」 >
〜に下ります。
< 国指定史跡「七尾城跡」の由緒 >
本丸、桜馬場、西の丸、二の丸、三の丸〜が主曲輪群になります。実は、七尾城の城域は、かなり広範囲に及んでいます。詳細は、麓にある資料館で学べます。
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12/1 10:42
< 国指定史跡「七尾城跡」の由緒 >
本丸、桜馬場、西の丸、二の丸、三の丸〜が主曲輪群になります。実は、七尾城の城域は、かなり広範囲に及んでいます。詳細は、麓にある資料館で学べます。
< [本丸]と[長殿丸]の間 >
〜に位置する「堀切り」です。[長殿丸(跡)]=「長屋敷跡」は、『第二次七尾城の戦い』では、最後の戦いの場となった所(写真の左手上方)です。
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12/1 10:44
< [本丸]と[長殿丸]の間 >
〜に位置する「堀切り」です。[長殿丸(跡)]=「長屋敷跡」は、『第二次七尾城の戦い』では、最後の戦いの場となった所(写真の左手上方)です。
< かっては「関東橋」 >
〜が架けられていたと云う。ひょとしたら、関東管領であった『上杉謙信』が架けた橋であったのか(私の妄想です)?
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12/1 10:44
< かっては「関東橋」 >
〜が架けられていたと云う。ひょとしたら、関東管領であった『上杉謙信』が架けた橋であったのか(私の妄想です)?
< 二代『畠山義忠』公御歌の碑 >
野も山も みなうづもるる
雪の中に しるしばかりの 杉の村立
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12/1 10:45
< 二代『畠山義忠』公御歌の碑 >
野も山も みなうづもるる
雪の中に しるしばかりの 杉の村立
< 本丸北駐車場から >
〜の眺めです。古来この谷は、「烏帽子谷」と呼ばれていました。谷下には大谷川の支流である「蹴落川(けおちがわ)」が流れていています。
本丸北駐車場の位置で『県道城山線』が終点しています。ここから上の道路は、[市道南大吞1号線(通称:黒崎線)]になります。約1.2km登ると「展望台駐車場」があり、さらに遊歩道を歩いて600m登ると「城山展望台」があります。
1
12/1 10:46
< 本丸北駐車場から >
〜の眺めです。古来この谷は、「烏帽子谷」と呼ばれていました。谷下には大谷川の支流である「蹴落川(けおちがわ)」が流れていています。
本丸北駐車場の位置で『県道城山線』が終点しています。ここから上の道路は、[市道南大吞1号線(通称:黒崎線)]になります。約1.2km登ると「展望台駐車場」があり、さらに遊歩道を歩いて600m登ると「城山展望台」があります。
< テレビ番組でも紹介 >
〜されることが多くなりました。『笑点』司会者として有名な『春風亭昇太』さんもここ七尾城跡を訪れています。
※:公衆トイレの入り口に掲示されていた記事です。
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12/1 10:48
< テレビ番組でも紹介 >
〜されることが多くなりました。『笑点』司会者として有名な『春風亭昇太』さんもここ七尾城跡を訪れています。
※:公衆トイレの入り口に掲示されていた記事です。
< 全国屈指の「要塞都市」 >
〜であったと云う。発掘調査には、航空レーザー測量などの最新技術が役立っています。
※:公衆トイレの入り口に掲示されていた記事です。
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12/1 10:49
< 全国屈指の「要塞都市」 >
〜であったと云う。発掘調査には、航空レーザー測量などの最新技術が役立っています。
※:公衆トイレの入り口に掲示されていた記事です。
< 南大呑1号線(黒崎線) >
〜を歩いて来ました。城山展望台遊歩道を600mほど進むと「展望台のある広場」に出ます。
※:遊歩道口と道を挟んで反対側に、城山展望台駐車場(トイレあり)があります。また、遊歩道を登った先の展望台広場にも、駐車スペースとトイレがあります。
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12/1 11:04
< 南大呑1号線(黒崎線) >
〜を歩いて来ました。城山展望台遊歩道を600mほど進むと「展望台のある広場」に出ます。
※:遊歩道口と道を挟んで反対側に、城山展望台駐車場(トイレあり)があります。また、遊歩道を登った先の展望台広場にも、駐車スペースとトイレがあります。
< 展望台広場 >
〜にある方位盤(兼円卓付のベンチ)です。敵将の本拠地『春日山城』まで105km離れています。
往時、ここの広場は『百間馬場』と呼ばれていたと云う。
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12/1 11:13
< 展望台広場 >
〜にある方位盤(兼円卓付のベンチ)です。敵将の本拠地『春日山城』まで105km離れています。
往時、ここの広場は『百間馬場』と呼ばれていたと云う。
< 天正の昔をしのび >
〜興亡の歴史を伝えています。
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12/1 11:14
< 天正の昔をしのび >
〜興亡の歴史を伝えています。
< 城山展望台 >
〜は、七尾の七つの尾根に因んだ七角形の城砦のような形になっています。展望台のそばには、三等三角点「小松原」=(標高379.47m)があります。
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12/1 11:14
< 城山展望台 >
〜は、七尾の七つの尾根に因んだ七角形の城砦のような形になっています。展望台のそばには、三等三角点「小松原」=(標高379.47m)があります。
< 本丸(跡) >
〜が見下ろせます。こちらと向こう(本丸)とには、標高差が約80mあります。
2
12/1 11:15
< 本丸(跡) >
〜が見下ろせます。こちらと向こう(本丸)とには、標高差が約80mあります。
< 本丸跡をズーム >
およそ450年前、『七尾城の戦い』の主戦場でした。
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12/1 11:16
< 本丸跡をズーム >
およそ450年前、『七尾城の戦い』の主戦場でした。
< 城下を見渡 >
〜せます。本丸よりも広範囲を見通せます。戦国時代、城山展望台があるこの場所には「物見櫓」が建てられていたのでしょう。
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12/1 11:16
< 城下を見渡 >
〜せます。本丸よりも広範囲を見通せます。戦国時代、城山展望台があるこの場所には「物見櫓」が建てられていたのでしょう。
< 七尾の街 >
〜をズーム。街の中心部分は、旧・所口村でした。能登畠山氏が、『七尾』と名付けていたものが、明治になり七尾町として[七尾]の名が復活しました。そして、現・七尾市につながっています。
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12/1 11:17
< 七尾の街 >
〜をズーム。街の中心部分は、旧・所口村でした。能登畠山氏が、『七尾』と名付けていたものが、明治になり七尾町として[七尾]の名が復活しました。そして、現・七尾市につながっています。
< 東に眼を向ける >
〜と、「日本海(富山湾)」があり、海の向こうには、後立山連峰が聳えています。ちなみに、杉の植林がされている手前のピーク(画面の右手)が、城山の最頂点(最高所)になっています。ここ展望台(城山山頂)の標高は380mですが、向こうの城山最頂点は413mです。
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12/1 11:17
< 東に眼を向ける >
〜と、「日本海(富山湾)」があり、海の向こうには、後立山連峰が聳えています。ちなみに、杉の植林がされている手前のピーク(画面の右手)が、城山の最頂点(最高所)になっています。ここ展望台(城山山頂)の標高は380mですが、向こうの城山最頂点は413mです。
< 後立山連峰 >
〜をズームしました。後立山連峰の前に位置する『立山連峰』は[城山最頂点]の影になっていて見えません。
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12/1 11:18
< 後立山連峰 >
〜をズームしました。後立山連峰の前に位置する『立山連峰』は[城山最頂点]の影になっていて見えません。
< 白馬岳 >
〜には、[タップリの雪]が載っかているように見えています。
2
12/1 11:18
< 白馬岳 >
〜には、[タップリの雪]が載っかているように見えています。
< [小松原道] >
〜に入ります。この先、約1.7km下ると、七尾市矢田町「大門」の集落に出ます。
1
12/1 11:19
< [小松原道] >
〜に入ります。この先、約1.7km下ると、七尾市矢田町「大門」の集落に出ます。
< 紅葉の名残 >
1
12/1 11:34
< 紅葉の名残 >
< ハウチワカエデ(羽団扇楓) >
ムクロジ科カエデ属〜の紅葉。
1
12/1 11:38
< ハウチワカエデ(羽団扇楓) >
ムクロジ科カエデ属〜の紅葉。
< 舗装道路 >
〜に出ました。この地点が、[小松原道]の登り口になります。一段上を通る車道は「能越道」です(※:画像が白飛びしています)。
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12/1 11:47
< 舗装道路 >
〜に出ました。この地点が、[小松原道]の登り口になります。一段上を通る車道は「能越道」です(※:画像が白飛びしています)。
< 八幡(はちまん)神社 >
〜の奥宮の参道口です。里宮は、「大門(だいもん)」の集落に所在します。
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12/1 11:48
< 八幡(はちまん)神社 >
〜の奥宮の参道口です。里宮は、「大門(だいもん)」の集落に所在します。
< マンポ >
〜をくぐります。「マンポ」という呼び方は、鉱山の坑道を意味する『間府(まぶ)』という言葉が語源になっています。建築用語では、「ボックスカルバート」といいます。
※:[能越道]の下をくぐり抜けました。
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12/1 11:49
< マンポ >
〜をくぐります。「マンポ」という呼び方は、鉱山の坑道を意味する『間府(まぶ)』という言葉が語源になっています。建築用語では、「ボックスカルバート」といいます。
※:[能越道]の下をくぐり抜けました。
< 「大門」の集落 >
〜に出ました。七尾市矢田町の中の「大門」という集落です。
1
12/1 11:51
< 「大門」の集落 >
〜に出ました。七尾市矢田町の中の「大門」という集落です。
< 矢田郷81号線 >
〜に向かいます。細い道を通り、信号の所に出ました。
※:右手の道を進むと、八幡神社(里宮)のある辺りに出ます。
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12/1 11:55
< 矢田郷81号線 >
〜に向かいます。細い道を通り、信号の所に出ました。
※:右手の道を進むと、八幡神社(里宮)のある辺りに出ます。
< 交差点「七尾城山IC口」 >
ここを左折し、市道「矢田郷81号線」を西に進みます。
1
12/1 11:59
< 交差点「七尾城山IC口」 >
ここを左折し、市道「矢田郷81号線」を西に進みます。
< 来し方を >
〜振り返りました。[小松原道]のある方向です。さて、市道を800mほど歩きます。
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12/1 12:00
< 来し方を >
〜振り返りました。[小松原道]のある方向です。さて、市道を800mほど歩きます。
< 交差点「城山」 >
〜に戻ってきました。ここが、今回の山行の[出発点かつ終点]でした(周回しました)。
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12/1 12:09
< 交差点「城山」 >
〜に戻ってきました。ここが、今回の山行の[出発点かつ終点]でした(周回しました)。
< 城山を振り >
〜返りました。城山に近すぎて、本丸跡が見えません。冬が近くなりました。雪山に変身した「城山(じょうやま)」も、また楽しみです。
〜スライドは以上です。
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12/1 12:09
< 城山を振り >
〜返りました。城山に近すぎて、本丸跡が見えません。冬が近くなりました。雪山に変身した「城山(じょうやま)」も、また楽しみです。
〜スライドは以上です。
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