記録ID: 21380
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沢登り
道東・知床
ラサウヌプリ、海別岳
1986年06月05日(木) ~
1986年06月08日(日)
イグルスキー米山
その他2人
- GPS
- 80:00
- 距離
- 31.3km
- 登り
- 2,290m
- 下り
- 2,232m
コースタイム
6月5日金山川口C0(5:40)→標高290C1(11:45)
6月6日C1(5:40)→ラサウヌプリ(13:40ー14:10)→ラサウヌプリ南面沢標高460C2(16:00)
6月7日C2(5:35)→植別川出合(8:20ー9:00)→標高580二股C3(14:00)
6月8日C3(5:30)→海別岳(9:30ー10:30)→峰浜14:30)
6月6日C1(5:40)→ラサウヌプリ(13:40ー14:10)→ラサウヌプリ南面沢標高460C2(16:00)
6月7日C2(5:35)→植別川出合(8:20ー9:00)→標高580二股C3(14:00)
6月8日C3(5:30)→海別岳(9:30ー10:30)→峰浜14:30)
アクセス | |
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コース状況/ 危険箇所等 |
【ルート】 峰浜→金山川→ラサウヌプリ→サマッキヌプリ川→植別川→海別岳→峰浜 峰浜の金山川から登った。初めてのリーダーをやった。オバケ屋致の黄色の車で金山川の橋のたもとに乗りつけ、ツェル卜で寝た。翌朝はこの川を登る。途中、蛇の出たナメ床を越え、雪渓のバックリあいた函が出た。この中をへつってぬけたところでよいところに倒木の丸木橋。融雪期のため水量が多く、渡渉もたいへんなのでこれを利用して渡った。ところが2番目に渡った愛宕が滑っておちてズブ濡れになった。これを見たじじいが馬乗りで渡った。すぐ後の広い川原で泊まる。 2日目、知床らしい広大な樹林帯をぬけると雪渓のつまった狭い函状の迷路のような源頭になった。山頂直下では登るべき沢を間遠えたようだがそこは残雪期、残雪に助けられてさしたるヤブ漕ぎもなく、強引にトラバースして予定の沢の源頭に戻った。ラサウヌプリの肩からハイマツをひとこぎで尖ったピークへ。山頂は四方に切れ落ち、解放感のあるところだった。知床の山旅はまだ続く。もっと奥地へ入るのだ。南側の急なルンゼを降りて、植別(ウエンベツ)川へ向かった。 水の音が聞こえ、そろそろ沢が開いて水が飲めると思っていた矢先、熊がでた。50mほど先の沢筋で水を飲んでいたが我々のコールに気がいて道を開けてくれた。小熊だったが寄ってこなくて助かった。気持ちの良い場所なのでここらで泊まろうと思っていたのだが、気昧が悪いのでもう少し下って今ひとつの狭い所に泊まった。植別川との二又には届かずに日が暮れた。 翌日はアプザイレンもして植別川の二又についた。植別川の源頭、海別岳の東面は広大なカール状になっていて集水域が広いため、この川は水量が多い。しかも融雪期のこの季節だから渡渉をするにも結構やばい。浅そうなところを選んでも、腰までつかると目が回る。完全にそれまでの経験の範囲を超えていた。沢を遡るにつれ支流の二又をいくつか越えて、水が減ってようやく息をつく。 この植別川から海別岳を目指す。出発まえに聞いたOBの話では、この川の源頭は桃源郷のように素晴らしい雪原だということだ。 二泊目は温泉印のある二又に天場を設けて日向ぼっこする。流木がジャカスカあるので座ったままで薪が集められる。昨日下ったラサウヌプリの雪渓が一筋、急降下しているのが丸見えだ。愛宕の誕生日のお祝いに晩飯の雑炊を大盛りサービスする。川からは硫黄の臭いがする。岩に肌をあてると温かい。火山活動がある。この近くには戦前の硫黄採拙場があり、その道もあったらしいが今やもとの秘境に戻った。こんな山奥までよくもまあ。昔の人の方が山の中までよく歩いていたのだ。 翌日、天場の大量の流木から察せられたように、上部はナダレのためか沢の中が著しく崩壊していた。その倒木帯を抜け、雪渓がベッタリの標高になると、雪原のようになる。沢の開いたところには黄色い花があちこちに顔を見せていた。ここがカール状地形の底の部分だ。山頂までの雪面は登るにつれ知床半島の先端部の山が見えてくる。海に突き出す半島の、印象的な風景だ。一列に行儀良くならんだ山並みだ。突然、西の斜里岳が見えて、頂上に着いた。振り返った植別川は、森の中を滔々と流れる大河だった。 |
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