蓼科山、北横岳、縞枯山、天狗岳、硫黄岳、横岳、赤岳、権現岳、編笠山
- GPS
- 130:00
- 距離
- 44.2km
- 登り
- 3,902m
- 下り
- 4,731m
コースタイム
8月13日蓼科山頂ヒュッテ→大河原峠→北横岳→雨池山
8月14日雨池山→黒百合ヒュッテテント泊
8月15日黒百合ヒュッテ→赤岳石室
8月16日赤岳石室→編傘山青年小屋前 テント
8月17日編傘山→小淵沢
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
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感想
高校二年の夏。遠い広い世界に行きたいと思っていた。本当は西ドイツに行きたかったが、山登りなら自力でやり遂げることができそうだった。早朝の新聞配達と部活後のビル掃除をして、だいたい月に一品ずつ、ショイナードのザック、ダンロップのテント、ドロミテの登山靴を、松本飯田町のブンリンで買った。
オートバイ(ヤマハMR-50)を先輩から安く買った。夏の初めのバイトの帰り道、バイクでガードレールにぶつかり、救急車で運ばれる怪我をした。後ろに運んでいたカブトムシに気を取られて伊勢町の角の牛つなぎ石に激突。捻挫擦り傷打撲で2〜3週間横になって、二年五組の上高地キャンプはパスして傷を治した。横になって、ワグナーやマーラーを聴いていた。
夏休み後半になってから、八ヶ岳の全山単独縦走に出かけた。この前の5月に霧ヶ峰の車山でテントを張り、八ヶ岳の夕映えをひとり陽が落ち星空になるまで歎賞したとき、次に登る山はこれだと思っていた。八ヶ岳のあとは、そこから見た南アルプス。秋の甲斐駒、仙丈へと連続した。
一日目:蓼科山頂小屋まで登る
電車とバスを乗り継いで蓼科山の登山口へ。途中、塩尻駅で偶然、壮一おじさんに会った。「八ヶ岳に行くだかい、いいね」って感じだったか。おじさんも山登り好きだったな。
一週間分の食べもの(キャベツやじゃがいもや米)とテント寝袋を入れたパンパンの赤いショイナードザックを背負って、山頂小屋まで登ると、小屋の御主人がタダでいいから泊まっていけという。ええ、いいんですか?お金ないですよ。タダ酒、タダ飯をいただいた。なぜ泊めてくれたのかわからないが、僕がたくさん荷物を背負っていたのをしきりに感心してくれていた。埼玉県から来たという 20代前後の姉妹と小屋の主とウイスキーをもらって楽しく過ごす。ほかに客は無し。蓼科山はガラガラの火山岩だらけの広い山頂だった。
二日目:間違えて尾根を降り、雨池山あたりで適当に泊まる
蓼科山からの下りを間違えて北尾根を降りて自動車道路にでる。磁石なんか使えない頃だものね。ヒッチハイクで大河原峠まで。広島から来たという老夫婦が乗せてくれた。大きなザックを持っていると、一目置いてくれるのが少し得意だった。
大きな岩がごろごろしていた北横岳周辺を通過、雲が垂れ込めてきて、どこに泊まろうか結局決めかねて優柔不断に歩き続けた。人気のない雨池山のあたりで暗くなってきたので登山道脇に適当にテントを張った。山登りを人に教わっていないから、好きなところを歩いて好きなところに泊まった。ストーブはキャンピングガスの青い缶。尖ったチューブで穴を開けるタイプで、一度バーナーを缶に差し込むと抜いてしまえない代物。家にあったもの。残量を特に考えず煮炊きする。雨が夜、静かに降った。日記を書く。
三日目:黒百合ヒュッテまで北八ヶ岳の樹林帯を抜ける
翌日は北八ヶ岳の森を抜け、丸い山々と湖を通り過ぎてゆく。縞枯山、茶臼山、麦草峠を越え丸山を超えるうち、埼玉から来たという大工の二人連れと顔見知りになる。みんなに話しかけられるのは、ザックの後ろに下駄を縛ってあるからかもしれない。子供のころから高校時代まで、下駄ばきを愛用していたのでテントシューズ代わりにごく素直に下駄を持参したのである。下駄の裏には、当時密かに心を寄せていた女生徒の名前を、武井君に黒々と書き込まれてしまっていた。もちろんザックには名前は裏返してはさんである。テントは幕営地で張るものだと大工二人連れに諭されたのか、中山峠の黒百合ヒュッテ前で隣にテントを張る。
四日目:眺望の効く山へ
天狗岳を越えると山の雰囲気が変わった。樹林限界から上に出た。硫黄岳の山頂あたりで日が当たってきたので塗れたテントを広げて干した。霧が流れ、日が射し込み山はみるみる明るくなっていった。横岳を越えて赤岳の麓につくと、石室のおやじが素泊まりの小屋に泊まっていけという。山頂小屋に泊まると赤岳が見えなくなっちゃうよという。話し込んでしまったので泊まることにした。確かにここからの赤岳は抜群の眺めだ。松本から来たというとおじさんは原村だという。石室でまた自炊。もってきたキャベツが、古い匂いを放ち始めている。大工の兄さんにビールをおごってもらった。
五日目:赤岳を越える
赤岳を越え、権現岳、編笠山へ。展望は抜群。諏訪盆地、松本盆地や南北アルプスの位置関係を目で知った。住んでいた町が山並みの中のどの辺りにあるのかを確かめた。「僕は今まで17年間あの盆地の中にいたのだなあ」などと知った。
赤岳の稜線からは甲府盆地の対面に南アルプスの大きな山塊が圧倒的だった。次は南アルプスに登りたいと印象を強くした。
毎晩帳面に日記を書く。一人の山登りで日記に書くのは下界の人たちに思い巡らしたことばかりだ。これであっさり降りてしまって終わってはつまらないので編笠山の青年小屋の前でもう一泊した。
六日目:小淵沢への緩い下り坂を帰る。
顔馴染みになっていた、大工の二人連れにはご飯をもらったり、足りなくなってしまったガスをもらったりでお世話になった。炊事の時ストーブの回りに銀紙のついたて(揚げ物用のアルミついたて)をくるりと囲んで洗たくバサミで留めて、風避けにしていたのはなるほどと思った。山の話、クラシック音楽の話、いろいろと話した。
下山の日も晴天。小淵沢駅までの緩い斜面をのんびり降りていった。大工の兄さんは若くてかわいいお姉さん登山者にしきりに話しかけてどこか先に行ってしまった。
山から下りた初めての田舎町というのはのんびりした気分だった。一人の長い山旅は何もかも初めて。秋のとんぼ際の演奏会でやるので練習中の、ボロディンの「韃靼人の踊り」を鼻歌しながら、小淵沢駅で汽車を待つ。
(1992年頃/記)
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