黒戸尾根〜甲斐駒ヶ岳〜アサヨ峰〜鳳凰三山〜夜叉神峠(56代錬成合宿)
- GPS
- 78:33
- 距離
- 38.3km
- 登り
- 3,804m
- 下り
- 3,947m
コースタイム
6/4 4:57七丈第二小屋−7:56甲斐駒ヶ岳−11:33仙水峠−14:02栗沢山−15:36アサヨ峰−18:46早川尾根小屋(C2)
6/5 7:33早川尾根小屋−9:57高嶺−14:12観音岳−16:30南御室小屋(C3)
6/6 6:50南御室小屋−9:03夜叉神峠小屋−10:10夜叉神峠登山口−12:40山渓園
天候 | 6/3 曇、6/4 晴のち曇、6/5 雨のち曇、6/6 晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2005年06月の天気図 |
アクセス | |
予約できる山小屋 |
七丈小屋
|
写真
感想
6月2日(木) 新宿=日野春=横手駒ヶ岳神社C0
19時過ぎに新宿を発ち、日野春駅からタクシーに乗り込み、この日の幕場となる横手駒ヶ岳神社に着いたのは22時40分であった。
旅立つにあたって桃太郎が渡されたきび団子は、三匹の獣を懐柔する際に役立った。では、私たち先発隊が錬成合宿に旅立つにあたって渡された、缶詰(特大)・バナナ(生)・スイカは何の役に立つのだろうか。かろうじて食べられるものであるが、不謹慎にもその主な役割が文字通り「重荷」だと思えてしまう。鉢担ぎ姫の鉢といい勝負である。体力・気力の鍛錬として。これらをパッキングするときは慣性モーメントのことなどを考慮して詰め込まなければならない。仮に新人〜二年にそれができるかと自問してみても色好い回答は得られそうにないが、それらができるようになるためには、どこかでその試練に立ち向かわなければならず、それが今回かどうかはさておき、試練に対してぶっつけ本番でぶつからないためにも模擬訓練は必要だというのは確かである。そして、このようなことを合宿以降に気づいても遅いことも確かである。
最早、錬成合宿は始まっており、この夜の睡眠は翌日の行動力にとって重要である。(筋肉は脳の指令がないと動けないんだぜ?)この夜の寝床は神社にある建物の縁の下である。神社に泊まることは罰当たりといわないまでも無礼なことではあるかもしれない。これから新人、二年に起きることが果たしてここに泊まったことによる罰と、予定されていた試練のどちらの比率が高いかは、今以って不明である。
6月3日(金) 横手駒ヶ岳神社−五合目小屋―七丈第二小屋C1
5時起き、6時頃発。道端の鉄剣を振りかざす正真正銘罰当たりなことを二年栗原がやってくれた(やらされた)あと、早くも今合宿の試練が本領を発揮した。妖刀の類は身を滅ぼすと相場が決まっているのだが、身の丈を越える大剣の呪いは栗原だけではなく、新人池田に降りかかったようで、行程中盤あたりで池田の脚が攣り始めた。最終的には両脚とも。糖質補給は長時間運動の疲労の発現を遅延させるのだが、五合目で食べたバナナの効果がいかほどあったのか分からない。この頃が池田の脚にとって機能的に危険度マックシングであったからだ。梯子の途中で脚が攣ったりもするので、団配解除の選択肢も考慮に入れなければならなかった。しかし、解除することなくその後の行程を踏破できたことで、池田の底力が垣間見えた気もするのであった。
七丈第二小屋に着いたのは15時過ぎ。行動時間9時間(含む休憩70 分)。疲労困憊の栗原に対して「シャリバテだろ。」と淡然と接していた二年鳴海に試練が訪れるのは、この翌日の話である。
6月4日(土) 七丈第二小屋−甲斐駒ヶ岳−仙水峠−アサヨ峰−早川尾根小屋C2
3時起床。5時頃発。栗原がいきなり道を間違えるという失態の後は、甲斐駒をひたすら目指す行程となった。岩をまたぎ続けながら進む道のりは、決して楽とは言えない。池田の脚が心配なところ。この日の行動中の池田には取り立てて書くほどの問題はなかったが、明日以降への疲れの蓄積等を考えると、やはり心配ではある。
甲斐駒でパイナップルを食した後。「山頂まで行くときは紺碧を熱唱するのに、山頂から去るときに何も歌わないのは後味や名残的にどうだろう?」とういうL の独断で山頂から去るときにも紺碧を隊員に歌わせたりして甲斐駒を去りつつある、その時。肉体的な疲労か、花崗岩と白砂の下り坂で栗原が一回転した。前方(下方?)に。表現通りの危険な場面であったが、致命的な事態には至らなかった。場所が場所なので、無傷の失態ですんで僥倖といえる。試練到来。駒津峰から鳴海の足取りが重くなってくる。フラフラしていたかと思うと、たまにバランスを崩してコケかけ、非常に危なっかしい。その異常行動は疲れから直接来るものではなかったらしい。仙水峠での昼食時、本日は意外に元気そうな池田とは対照的に、鳴海は元気がない。「寒い」らしい。エスケープを使って降りる選択肢もあったのだが、結局、予定通り進むことにした。
隊員の歌曲発表数が増えたのは、単に自己を鼓舞するためだったのかも知れないが、鳴海を励ます効用があったようだ。ペースも上がってきた。しかし、まだ終わらない。最後に栗原が疲労困憊に至り、幕場到着目前で10分休み。この時の状況を端的に述べると、「疲れて一歩も動けない」である。すぐに行動を再開したが、彼には後続を確認する余裕は皆無であったらしく、幕場まで暴走していってしまった。その後、栗原は「歩いていたら体力がもたない」と弁明していた。
早川尾根小屋到着は18時46分。行動時間は、なんと13時間49分(含休憩118分)にもなる。その後、栗原はテント設営も儘ならない状態であった。本当に半日行動していたので仕方がないといえば仕方がない。
6月5日(日) 早川尾根小屋−高嶺−鳳凰三山−南御室小屋C3
5時半起床。7時半頃発。序盤はサクサクっと進む。高嶺への登りはガスで視界が悪く、景色を楽しむことはできない。霧に囲まれた風景が好きならばともかく。たまにガスが晴れて景色が見えたりもするのが救いである。鳳凰三山辺りで式典をしたいのだが、この様子では楽しみも半減してしまうかもしれないと思われた。
Lにとっても二年ぶりの地蔵山はガスで包まれていた。ミニ地蔵がたくさんある愉快なところなので個人的には是非、式典をやりたかったのだが。ここで取る昼食のおかずの唐揚げは腐っており、泣きっ面にしかめっ面がプラスされることとなった。
観音までの行程では雨が降ったり止んだりを繰り返す。濡れと蒸れに対しては無類の苦手意識をもつ者には精神的に応える。観音山頂近くでも晴れ間よりもガスが目立ち、式典どうなるかな、と景色に関して期待していなかったのだが、自称晴れ男・一年米山の特性と鳴海の妖しい神性が発揮されたのか、オベリスクも見える晴れ具合となった。甲斐駒も見えるのでは?と思わせるほどである。この景色と、そこでの式典・スイカ割り観賞を心に留め、観音を後にした。
最後の休みの後には、隊員みんなが歌を披露しだした。最後の一本ではあるが、激励・鼓舞よりも楽しむ雰囲気が強い気がする。精神・体力的に余裕ができたということだろうか。
16時半南御室小屋着。行動時間約9時間(含休憩70分)。鳴海曰く、「今日、まだ9時間しか行動してない」
確かにそうだが。そういえば巨大缶詰、まだ消費していない。
6月6日(月) 南御室小屋−夜叉神峠小屋−夜叉神峠登山口−山渓園=甲府駅
5時起床、7時前発。前日までの行程で「人に出会ったか?」と質問されれば、記憶をひっくり返して自問自答を繰り返さなければならないほどに、隊員以外のヒトにはお目にかからなかったのだが、この日の行程ではたくさんのヒトとすれ違った。それだけ町に近く、合宿も終わりに近いということだろう。夜叉神で予定していた吐露絶叫(パオーン)は、衆目にさらすには迷惑極まりない音量なので、中止となった。
Lが不調なのか、他の隊員が好調なのかは不明だが、何故かLよりも前の隊員の脚が速く、Lが後れをとる事態もあったが、10時過ぎに夜叉神峠登山口着。山渓園着は12時40分。行動時間5時間50分(含休憩50分)。
この四日間の一日の平均行動時間は約9時間半、平均睡眠時間は5時間56分であった。睡眠は副交感神経活動の高まりによる脳・身体の疲労回復・エネルギー蓄積に重要であり、翌日の運動にも影響するので、みんなは睡眠をしっかり取りましょう。
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