奥穂高岳(過去レコです)


- GPS
- 56:00
- 距離
- 34.3km
- 登り
- 1,921m
- 下り
- 1,911m
天候 | 概ね雨。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2005年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所あります。 |
写真
感想
5年前から山登りをするようになり、穂高には何としても一度は登らねばならないと思っていたが、どうも腰が引けて今に至った。穂高と北岳をテリトリーとしているという大学時代の同級生である山男のB君がさそってくれたのを機会に、Sさんと3人で登ることになった。2005年9月29日、当日の朝、Sさんから「B君がヘルペスにかかり、痛みのためとても行くことが出来ないと云っているがどうしよう」と電話があった。声の調子からおもんばかるに、B君がいなくても登るぞという意気込みが伝わり、わたしも折角休みをとって準備してきたので今さら止めるわけにもいかんと、2人で決行することに決めるまで時間はかからなかった。B君に連れて行ってもらうつもりで気楽な気持ちでいたのだが、急遽穂高の地図をコピーし、上高地から奥穂まで赤線でなぞっておおよその行程を頭に入れた。午後3時に東海北陸道美濃インターで落ち合い、Sさんの車に乗り、お互いの近況を喋っている間に清美ICをおり、高山、平湯を過ぎ、沢渡に到着した。近くのホテルの立ち寄り湯でひと風呂浴びてから、駐車場の片すみで持ち寄った食べ物で2人だけの宴会をし、車の後部座席をフラットにしてシュラーフに入った。
翌朝暗いうちに起床。朝飯を作って食べ、山登りの仕度をして5時50分のバスに乗った。登山届けを出し、上高地バスターミナルを6時20分に出発。河童橋、ビジターセンターを過ぎ、静かな散策路を歩く。快晴の下、見上げれば左に明神岳と前穂高岳がそびえ、ルンルン気分で歩いていくと、45分で「穂高奥宮参道」と記された真新しい明神橋のたもとに到着。白沢出合で徳本峠への道を右に分け、歩を進めるにつれ明神岳と前穂高岳の姿も変わって来る。道端にはタカネコンギクの花が咲き乱れているが、薄青い花はなんとなく弱々しく感じられる。中には濃い鮮やかな青色を呈するものもあり、こちらは元気を感じさせる。明神橋から45分で、林の中に風格のある徳沢ロッジが見え、その先の徳沢園で休憩をとる。徳沢からも同じような散策路が続き、左にパノラマ新道へ向かう新村橋を分け梓川に沿って歩く。横尾までおよそ50分、秋の花々を楽しみ、始めて見るゴゼンタチバナの赤い実を見つけては喜びながら歩く。上高地バスターミナルから横尾までの標高差は僅か120mでほとんど疲れることは無いが、これからの行程に備えて横尾山荘前の広場で小休止をとる。梓川にかかる立派な横尾大橋を渡って横尾谷に入り、ようやく登山道らしくなったが緩い勾配の道を、左手に屏風岩を仰ぎながら登る。まだ穂高は見えない。沢沿いを登ること1時間少々で本谷橋に至り、ゆらゆら揺れる吊り橋を渡って川原に降りる。川原では大勢の人が休んでおり、われわれもそこで一服。川の水は冷たく、周囲の山はうっすらと色づいて秋の気配を漂わしている。ここから本格的な登山道となり、屏風の頭を半周するようにトラバース気味に登る。やがて奥穂高岳と吊尾根が、そしてその下に白いカールが広がっているのが目に入るようになり、その手前、峠のように見えるところに、涸沢小屋の赤屋根もかすかに見える。もうすぐだと思いきや、道はまだまだ続き、途中幾度も休憩をとる。野猿の群れが木の実を求めて目の前を移動している。いつしか石畳の道となり、涸沢小屋と涸沢ヒュッテの分岐を過ぎると間もなく本日の宿泊地である涸沢ヒュッテに到着。本谷橋から1時間50分、上高地から6時間の行程であった。
早速生ビールを買い、テラスで飲み干す。さらにおでんを昼飯代わりに、もう一杯。ついで持参のウイスキーを空ける。晴れ渡った空を背景に、荒々しい岩肌を剥きだしにした山々、左から北尾根、前穂、吊尾根、奥穂、涸沢岳、涸沢槍、北穂がわたし達を取り囲むように聳え、白出のコルには穂高岳山荘が小さく見える。それらの山々から扇状に白いカールが落ち込み、その底の林では紅葉が始まり、色とりどりのテントが華を添える。テラスは満員で、わたしのようなデジカメではなく、重そうな三脚をつけて本格的なカメラを構えている。夏の最盛期ではないが紅葉ねらいの人達が押し寄せ、小屋は定員以上の人であふれていた。
翌朝暗いうちに朝食を済ませ小屋から出て、東の空を見渡すと、真っ黒な屏風の頭の上の空が空け始めている。西の穂高の峰々には雲がかかり稜線は見えないが、カメラマン達のカメラはご来光ではなく穂高に向いている。わたしはいわし雲がピンク色に染まって群れているのを眺めていたが、しばらくすると歓声があがってシャッターを切る音が鳴り響く。振り返ると、稜線が灰色の雲でかすんだ黒い穂高連峰、その下に広がるカールの中腹が帯状にモルゲンロートで染まり、そこだけが輝いている。始めて来たのに何と運の良いこと、あわててデジカメを取り出す。
カメラを構えている人達の間をすり抜けカールに下り、大石が階段状になって登山道となっている涸沢パノラマコースを登る。初夏にはさぞかしきれいなお花畑が見られるのだろ、ミヤマキンポウゲは草紅葉になっても品がある。ヒュッテのテラスからはパノラマコースは緩やかに見えたが、振り返ると涸沢ヒュッテとキャンプ場のテントが下に見え、結構な登りである。屏風の頭の右側から常念岳が姿を見せ始める。カールをトラバースすると常念岳は徐々にその全容を現し、端正でそれでいて迫力あるな姿を見せて呉れる。涸沢小屋からの道と合流し、大石の上を渡り歩く。途中で前穂から続く北尾根を眺めながら一服。白い瓦礫のカールに一筋の盛り上がった部分があり、涸沢岳に続いている。氷河で削り取られた岩石がカールを埋め、支尾根が頭だけ出している状態と思われる。ザイテングラードと記している書物があるが、ザイテングラート(横っちょの山の背)が正しいのではなかろうか。ガレ場をトラバースしてザイテングラートに取り付く。大石が重なった尾根の登りは、短い梯子も一箇所あるが、たとえ踏み外しても滑落するような所もなく恐るるに足らず。とは云えこの年の7月、52歳の男性がザイテングラートから300m滑落し、ヘリで病院に収容されたが頭を打って死亡するという事故が起きているので慎重に。途中もうひと休みし、急登を這い上がるとビシッと引きつめられた石畳があり、穂高岳山荘に到着。涸沢ヒュッテからおよそ2時間40分の行程であった。 今夜の宿泊手続きをし、山荘にザックをデポし、サブザックを担ついで頂上を目指す。雨まじりの強風が吹きすさび、道端に立ち止まって雨具を着込む。梯子と鎖場が続き、これを慎重に登る。緊張はするが、恐怖感は無い。数本の梯子を登ると、頂上までもう梯子にも鎖にも出会うことはなく、1時間ほどで頂上に到着。うず高く石が盛られ、その上に祠が置かれており、奥穂の山頂3190mは何処なのか疑問が湧く。祠の反対側にも石が盛られ、周囲の山々の案内板が埋め込まれているが、山頂は乳白色の世界で眺望はゼロ。涸沢はあんなに混雑していたのに、頂上にはわれわれ2人がいるのみである。風がビュウービュウー吹き、手袋は濡れ、手がかじかむ。長居は無用、雨に濡れた岩を、滑らないよう気をつけて慎重に下り、1時間弱で山荘に帰り着いた。ま10時半前。これから何をして過ごそうかと、とりあえず缶ビールを注文する。何も見えはしなかったが、奥穂の頂上に立った喜びに浸り、もう一本。さすが山荘と云うだけあって山小屋とは違って風格がある。山の本ばかりの本棚の前の椅子に座りぱらぱらと頁をめくり、時々部屋に戻ってうたた寝をし、ロビーで穂高のビデオを見たりして時間を潰し、夕食後、7時前には布団に入った。
翌朝は雨であった。朝食をたっぷりと摂り、雨具を着込み下山開始。岐阜県側から強い風が吹いてくるが、登りと同じルートを涸沢に向かって降りるので風は遮られる。涸沢まで一気に下り、涸沢小屋で一休み。駆けるように山道を下り何人かを追い越すが、狭い登山道で団体に追いつきその後に従うことになる。本谷橋の川原で休憩をはさみ駆け出すが、再び団体にはばまれる。横尾、徳沢で休憩し明神館でおでんにビール、そこからはゆっくり歩き、頂上から7時間程で上高地バスターミナルに戻った。沢渡のホテルの日帰り湯に立ち寄り、夕方5時に帰宅したときにはもう足の痛みが始まっていた。
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