白峰南嶺南部縦走《日本二百名山》
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- GPS
- 68618:42
- 距離
- 40.1km
- 登り
- 4,169m
- 下り
- 3,851m
コースタイム
- 山行
- 7:46
- 休憩
- 0:33
- 合計
- 8:19
- 山行
- 10:33
- 休憩
- 1:08
- 合計
- 11:41
- 山行
- 9:26
- 休憩
- 1:19
- 合計
- 10:45
天候 | 3日間晴れ、最終日曇りのち雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
復路:新田温泉からしずてつジャストラインバスでJR静岡駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
人のいない静かな道 残雪期が歩き易い |
その他周辺情報 | 新田温泉黄金の湯\700 |
写真
感想
1日目(4/26): 上柳島古屋入口〜小笊ヶ岳東P2261 晴れ
身延に行くには“サンライズ瀬戸・出雲”に限る。富士に5:09着10分の接続で身延線の始発に乗れる。奈良田行のバスは山交タウンコーチが撤退した後、早川町営のマイクロバスが走っている。乗客は私一人だけ、随分時間が掛ると思ったら富士川を渡り下部温泉駅に立寄る遠回り運行だった。上柳島古屋入口で下車すると後は無人、恐らく奈良田まで新たに乗る人はいないのだろう。
早川の上流域は山襞をひどく蛇行している。半島のように突き出した柳島の括れはランカン尾根の先端、取り付きたいが道路沿いの斜面は切通しの壁で無理、この尾根の上空は送電線があり必ず道はある筈だ。登路を探し北側に回り込みフェンスの切れ目から入り斜面に取り付いた。道は無いが無理矢理急斜面を這い登った。稜線に達すると送電鉄塔があり巡視路が現れた。巡視路は恐らく東側の張り出しから始まっていたのだろう。4日間の雪上テント泊のザックは重く23圓硫拿鼎澄0貘硫申茲泙嚢圓韻襪世蹐? 第2鉄塔から第3鉄塔に掛けては尾根が一直線に伸び電車の架線のように送電線が走っている。
乗り上がった第3鉄塔には平成24年9月26日に設置された4等三角点「大上双里」(746m)がある。新し過ぎるのか国土地理院のHPにもまだ掲載されていなかった。大島からの尾根と合し進行方向が西に向くと傾斜はなだらかになり第6鉄塔で送電線は雨畑湖方面に下って行った。稜線が広がり明るい所に飛び出すと戸屋林道で、3年前は猛暑の日に雨畑の老平(ろうだいら)から歩いて来た道だ。結果的には今日のルートの方が距離は短かったようだ。あの時は戸屋平三角点にも挨拶に行ったが今日はまだこれから厳しい道になるのでパスして林道を進んだ。所々展望が利き、雨畑湖や七面山、大谷嶺、小河内岳などを見せてくれた。
標高900mとなるとヤマザクラはまだまだ美しい。アセビやツツジ、足元にはタチツボスミレが咲いていた。2月の大雪は早川町にも大きな被害をもたらし雨畑等長期間孤立した集落があったそうだ。大雪は林道にも被害を及ぼし崩れた個所が散見できた。恐らく下の戸屋集落より先は通行止になっているのだろう。大金山の麓に達すると谷に雪渓を見てひと曲がりするとゲートがあった。その先の荒れ方は更に酷い状態で、ヘアピンカーブを繰り返して高度を上げて大金山(おおがねやま1,310m)の直ぐ東に到った。藪に入り最高所に立つが山頂を示すものは何もなく林道の端で昼食タイムとした。
此処まで標高差900m、結構疲れた。此処からもう少し先で林道は途切れる。ランカン尾根は2.5万図に道は書かれていない。獣道のような踏み跡は枝が張り歩き難く傾斜が増してヒソダイラへの急登となった。標高1,800mまでの250mはかなり急で、傾斜が落ち着くとヒソダイラに到り3等三角点「青閊」(1,828m)が置かれていた。此処は3年前にテントを張った場所でイワカガミの葉が光沢をもって地面を覆っていた。あの時は猛暑で水を呑み過ぎ、翌日の朝には1.5ℓしか残らなかったので笊ヶ岳登頂を諦めて泣く泣く南尾根を下った。今日は大丈夫、暑くもなく、時間も早いし水もある。
三角点名は「点の記」を閲覧すれば読み仮名も分かるのだが「青閊」三角点の「点の記」は明治の手書き縦書きのものしかなく振り仮名が打たれていなかった。一般的な漢字の読みでは「あおつかえ」となるのだが正しい読みかどうかは不明だ。地元の集落名から付けたのは確かで当時の住所「山梨県甲斐国南巨摩郡都川村大字保字青閊 俗称ヒソダイラ」が記されている。山名がないのが悲しいので俗称の「ヒソダイラ」を山名として頂くことにした。
“ヒソダイラ”を過ぎると登山道に残雪が現れ、標高2,000mを越えると雪を踏まねば歩けなくなった。明瞭なピークを3つ越えると「大ギャップ」とでも名付けたい括れがある。南側は薙ぎ、非常に危険な場所だ。登り返してP2261に到ると時刻は16:12、ピークの雪の上に平らな所を見つけてテント設営、木立の中で風もない、疲れた! 笊ヶ岳まで行けるかと目論んでいたが全然無理だった。ランカン尾根は予想以上に厳しい尾根だった。
2日目(4/27): P2261〜青薙山分岐 晴れ
標高2,261mの雪の上はやはり寒い。夜は随分冷えた。今日はアイゼンを付けて5:00に出発、日の出は4:51もう昇ってしまっただろう。すっかり明るくなっている。ランカン尾根はいきなり凄い下りとなり、昨日の“大ギャップ”に勝るとも劣らない括れとなった。樹林越しに朝焼けの山々が見える。“第2ギャップ”を越えると小笊ヶ岳への一貫した登りで、標高差400mを稼がなければならない。積雪1〜2mは確実にあり、張り出す枝を避けることも出来ずグイと押しのけるとポキっと折れる。ザックの頭がぶつかり背を屈めると余計な力が必要となる。雪は締っているようでも緩い部分が潜んでいる。時には50僂皀張椶魴,襪海箸發△蠅なり疲れた。
P2261のテン場から2時間掛かって小笊ヶ岳(約2,620m)山頂に到着した。展望は素晴らしく、この先縦走する布引山や青薙山、小河内岳は元より南アルプスの主稜線や富士山も見える。ただ山頂を示すものは何もない。夏に登った人の記録を見ると確かに山頂標識はあるが這松や石楠花の密林のようで展望は得られなかったようだ。今それらは雪の下、となると一体積雪は何mか? 笊ヶ岳は双耳峰で、小笊ヶ岳と対を成し遠くからでも屹立した山容がよく分かる。険しい山でアクセスが長く日本二百名山の中で最難関の部類に属する山だ。40m余り下って登り返した。遂に今山行最高峰の笊ヶ岳(ざるがたけ2,629m)に到着した。そして因縁のランカン尾根を制することができた。11年ぶりの笊ヶ岳、我が山岳会の友人が最期の日を迎えた山、そっと手を合わせ彼の冥福を祈った。
H15.5.4登頂時の写真を見ると東海パルプ社製の立派な山頂標識を写しているが、今日は全く見えない。山頂標識や2等三角点「笊ヶ岳」は全て雪の下に眠っていた。2月の南岸低気圧による大雪は里ではすっかり消えているが山ではその痕跡を残している。笊ヶ岳は南アルプス白峰南嶺にあり、西側には南アルプスの主稜線が連なる。天気が良く全部見ることができた。南から光岳、上河内岳、聖岳、赤石岳、荒川三山、塩見岳、仙丈ヶ岳、北岳他白峰三山どれも真っ白、この展望が笊ヶ岳最大の魅力。南の方に目をやるとこれから縦走する稜線が複雑に入り組んで連なっていた。白峰南嶺と安倍奥の山々を繋ぐ山伏は山腹を林道が横切り目印となる。東を眺めると小笊ヶ岳の後ろに富士山が朝靄に包まれ佇んでいた。
笊ヶ岳の南にある布引山(2,584m)も大きな山体で、170m下降して登り返さなければならない。これがまた厳しく笊ヶ岳から1時間半ほど掛ってしまった。山頂からは双耳峰の笊ヶ岳が優雅な姿を見せてくれた。此処でも山頂標識や3等三角点「大布引」は雪の下に埋もれていた。山頂の南側で道が分かれ、南東に下れば、前回歩いた檜横手山を通り広河原、雨畑へと下山する道だが、今回は西に進み白峰南嶺の果ての稜線へと踏み出した。布引山の南斜面はガレ場でその縁を慎重に下った。400mも下って登り返すと所ノ沢山(しょのさわやま2,210m)で1.3劼竜離に1時間20分を要してしまった。山頂には何の表示もなく先に進んだ。所ノ沢越まで行って昼食と思っていたがもう限界、次のピークで大休止を取り昼食にした。
所ノ沢越は標高2,039mと随分下ってしまったものだ。大井川中ノ宿吊橋に下る道が分岐するが稲又山を巻き込むように道が付けられているので残雪期には危険だろう。所ノ沢越で初めて露出した標識を発見した。東海パルプの立派な標識で地面も露出していた。ここから登りとなり稲又山を目指した。昭文社地図には「道不明瞭、低木密生地ヤブ漕ぎ状態」と書かれ距離1.5辧標高差370mに3時間のコースタイムが書かれていた。既に体力を消耗しており正念場だ。
長い登りは辛い、歩幅を小さくゆっくり歩いた。藪が被り歩き辛いことに変わりはない。北斜面は残雪が深く、午後になると雪が緩み沈み込みも辛いところだ。樹林帯を黙々と進み2時間16分を要し稲又山(2,405m)に達した。疲労困憊し20分休憩、もう15時近くになり次の青薙山までは無理だろう。昭文社地図には「青薙稲又間は所々道が低木に覆隠れて分かりにくい。コースタイム2時間」と記されていた。明日の事を考えるとできるだけ進みたい。大きな括れはないので最後の気力を振り絞って先に進んだ。
16時を過ぎるともうそろそろテン場を探さなければと思いながらも中々平らな所が見つからない。歩き続けて1時間50分、遂に平坦なところに達した。此処は何処? と確認すると何んと青薙山の分岐まで来ていた。今日は風があり、しっかりテントを固定しなければならない。立ち止まると途端に寒くなり、テントの中に潜り込み一息つくが疲れ過ぎた所為か食欲がない。それでも何も食べない訳にはいかないのでカレーライスを無理矢理食べて早々に寝に着いた。
3日目(4/28): 青薙山分岐〜山伏小屋 晴れ
夜中風が吹き荒れテントが随分揺れていたが朝になると風は収まり穏やかになっていた。何処かでご来光を見ようと3時に起きて準備を始めたが撤収にモタモタして陽が射し始めた。テン場の木立の隙間からご来光を見た。縦走路の下降点にザックをデポし、西に飛び出した青薙山(2,406m)に向かった。南から巻き込むようにして山頂に到る複雑な地形で最も高そうな地点に立つが標識、3等三角点「青瓦裂」は雪の下、一つだけ何も書いていない白いプレートがあったが文字が薄れてしまったのだろうか? 山頂標識ではないのかも・・木立の向こうには南アルプスの稜線が顔を覗かせていた。
分岐点に引き返しザックを背負い東の尾根を下った。青薙山の東面は崩壊激しくその縁を下り、小ピークを2つ越えると東河内の源頭が食い込むように飛び出した笹原の鞍部に到った。気持ちの良い笹原で、これから行くイタドリ山と青笹山、其れに
谷のずっと先には大無限山を見ることができた。登り返してイタドリ山(2,059m)に達すると初めて露出している山頂標識を見ることができた。ただし展望は得られなかった。徐々に高度を上げて青笹山(2,209m)に達すると山頂標識が雪面から15儡蕕鮟个靴討い拭2討忙られた写真を見ると1.5〜2mの位置にあるようだ。やはり体力は消耗している。20分休憩し呼吸を整え南への縦走を続けた。明日は雨になるようなので今日はできることなら山伏まで行き小屋泊りにしたい。青笹山南稜線は笹原で南アルプス主稜線を背負って青薙山が美しい。大無限山、大根沢山もしっかり見えていた。目指す山伏が近づいて来た。まだ9時過ぎだが今日も疲労感が強い、下りは問題ないが登りになると牛歩でないと息が切れそうだ。
青枯山(2,160m)には山頂標識はなく通過、標高2,042mの鞍部から60m程登り返すと三ノ沢山(2,107m)だが二重稜線帯で登路の見極めに注意を要する。山頂には標識の残骸の鉄板が木にぶら下がっているだけだで樹林帯で展望は得られなかった。水無峠山へも複雑な稜線で県境に沿って進むがこの稜線上に山頂標識を見つけたがこれは間違っている。東側の2,080m標高点の位置が本当の山頂で、間違いを指摘するように木に巻かれたテープにマジック書きの表示があった。広い山頂域を持っているが展望はなく、写真を撮っただけで直ぐに進んだ。鞍部に下りると小河内岳への登り返しに気が滅入り大休止を取った。
小河内岳は三つのピークを持ち東側から喫、曲、景と並び、先ずは景(2,060m)に登った。疲れた体に鞭打ち90mを登り返した。山頂を示すものは何もなく、東に少し行くと展望地があった。曲の左肩に富士山が乗っかり癒された。曲(2,076m)には3等三角点「水無峠」があり露出していた。今山行ではランカン尾根の低い所で見て以来だ。山頂北側の薙ぎは展望が良く、この3日間歩いて来たランカン尾根から笊、布引、稲又、青薙、青笹の各山、ヘロヘロになりながらも良く歩いて来たものだ。もう大丈夫だろうとアイゼンを外した。最高峰の喫は2,079mの標高点で、井川湖越しに七ッ峰(1,533m)が見られた。
東に進みどんどん高度を下げ1,822mまで下った。P1881に登り返し山伏山麓を通る井川雨畑林道の大笹峠(1,840m)に達した。残雪多くしかも土砂崩れもありまだまだ開通できなさそうだ。車で来て大笹峠から登れば30分で山伏山頂に立つことができる。12年前大無限山の帰りに展望を見に来たことがある。此れで甲斐駒ヶ岳西の鋸岳から安倍奥のアツラ沢の頭まで縦走路を繋げることができた。
山伏の東面は崩壊地があり治山工事が行われ、その縁を通っていた登山道が一部変わっている。斜面をジグザグに行くので雪に覆われた部分の通過が何度もありアイゼンなしでは不安があり、折角外したアイゼンを再び履いて進んだ。この時前方50mに黒い影が動く。熊か! と緊張するがニホンカモシカだった。人を恐れることもなく悠然と立ち去って行った。崩壊部分を過ぎると傾斜が落ち着き山伏(2,013m)山頂に到った。日本三百名山且つ山梨百名山の山伏で締め括り、今山行3日間の縦走路を一望し感慨に耽った。北の方を見ると当初目論んでいた安倍奥縦走路の大谷嶺(おおやれい)が顔を覗かせていた。南斜面に大谷崩れを伴っている。大規模な崩壊地は富山県大鳶崩れ、新潟県稗田山崩れと合わせて日本三大崩れと呼ばれている。
ここまで3日間誰にも会わなかった。15時を過ぎているのでもう今日も人に会うことはないだろうと思いザックを背負おうとしたら何んと男性が一人登って来た。「日帰りですか?」と聞くと小屋に泊ると言う、同宿者がいた。小屋に先行し8年ぶりの山伏小屋は2人で広々と使え、標高1,860mまで下がっているのでそれほど寒くはなかった。水場は直ぐ近くで久しぶりに新鮮な水で食事ができた。男性は井川の人で地元の山岳会に所属し今日は数日前に開いた井川峠への林道から登山道の様子を見に来たと云う。井川の山岳会は趣味登山の活動ではなく、消防団のように社会貢献活動を主に活動しているそうだ。耳寄りな話として大無限山から大根沢山、信濃俣を通り光岳への登山道を整備する計画があるとの事だった。
4日目(4/29): 山伏小屋〜新田温泉黄金の湯 曇りのち雨
今日はもう山には登らない。西日陰沢への下山路から梅ヶ島新田温泉黄金の湯を目指して下山する。天気予報では低気圧の動きが遅く、静岡県の西部では既に雨が降り出しているが東部は午後からだという。できるだけ早く下りて雨に遭いたくない。しかし温泉の始まる時間は普通10時頃、其れに合わせて6:30に出発の心算をしていたがテントの撤収がないので用意が早く済み6:19に出発した。天気はまだ大丈夫だ。
昨日下って来た道を100mほど登り返すと分岐点に達した。此処からは下りばかり東に続く急な尾根をジグザグに下ると直ぐに雪が薄くなりアイゼンを外した。蓬峠(1,480m)で一息入れ谷筋へと入って行くとガスが出てきた。登山道には悪場が幾つもある。やがて西日陰沢の本流に沿い出した頃、ポツポツと落ちて来た。真新しい木橋で本流を渡る処に滝がありいい感じだ。7:50写真を取ったついでに此処で雨具を付けた。沢石で滑らないよう注意し下って行った。本流を都合3回渡るがいずれも立派な木橋が整備され問題ない。
30分程で登山口に達するとスミレの花が迎えてくれた。此処からは林道歩きで西日陰沢から大谷川に沿って3.4辧大谷川橋からは県道29号に入り少し上り気味に1.6卻發い拭Aる車も疎らで9:29黄金の湯に到着した。静岡行のバスが丁度到着したが、どうしても温泉に入りたいので2時間後のバスに乗ることにした。温泉はと云うと9:30から営業でドンピシャだった。地元の人たちが続々とやって来た。ナトリウム系のぬるっとした温泉でゆっくり時間を過ごし併設の食堂で笊ヶ岳に因んで“笊”蕎麦を頂き、清水から来たという男性に進められて食べたおでんも美味しかった。
11:32しずてつジャストラインのバスはたった2人の乗客を乗せ安倍川沿いの細道を静岡へと向かった。疲労困憊で苦しい登山だったが無事に終えられたことに感謝、安倍奥の縦走は次回の課題としよう。
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