雲取山(過去レコです)。
- GPS
- 32:00
- 距離
- 22.9km
- 登り
- 2,664m
- 下り
- 2,148m
天候 | 曇りのち雨。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2008年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所はありません。 |
写真
感想
2008年11月7日から3日間、アミューズトラベルの企画で雲取山と両神山に登る事にした。7日朝、土砂降りの中、家を出て7時半に名古屋駅に集合。参加者はオバさん9名、オジさん5名、ガイドと添乗員がそれぞれ一名の計16名だった。小型バスではあるが座席は余裕を持って、一人で2座席分を確保出来る。ガイドの杉浦さんは先日の尾瀬燧ケ岳、至仏山に連れて行ってもらったなじみのガイド、添乗員の中祖さんは始めて。中央高速勝沼ICを出て青梅街道を走る。雨はいつしか止み、青空さえ広がっている。丹波山(たばやま)村辺りまで来ると、新宿の青梅街道からはとてもイメージ出来ない山の中の狭い道、これを延々と走り「お祭り」に至る。普通はそこから後山林道を歩くのだが、この時間では暗くなってしまうので、行ける所までバスで行こうと小型バスが一台ぎりぎりで通れる程度の狭い道に入る。片側は崖、木の枝で擦られながら、オバサンたちがキャーキャー悲鳴を上げるが、ここは運ちゃんの腕を信じ身を預けるしか無い。とうとう林道はゲートで閉鎖され、これ以上進む事が出来なくなる。ここはまだ山梨県の筈なのに、「林道後山線、東京都水道局」と記された立派な木組みの柱が立っている。落石防止設備が盗難されたので、不審者を見た人は通報してくれとの「お願い」が立てられている。「東京都水道局水源管理事務所技術課林道係」と書かれているので、この林道は山梨県にありながら東京都が水源管理のために作ったものと思われる。ここは片倉橋というところのようで、後山林道はここが出発点。全員バスを降り、山登りに必要なものだけザックに詰め込んで林道を歩き始める。いつの間にか雲ひとつ無い青空、周りの山々は紅葉真っ盛り、気分良く林道を進む。杉浦さんを先頭にオバちゃん達が続き、そして男たち、わたしはいつものように最後尾。中祖さんとお喋りしながら歩く。中祖さんは福岡の出身で高校時代は甲子園を目指した球児、大学ではワンゲルに所属し6年かかって卒業したという29歳の独身の山男。両親兄弟は全員公務員、身辺調査をしているわけでは無いが、勝手に話して来る。出来ればここまでバスで来ようと考えていた塩沢橋も過ぎ、2時間以上歩くと、「東京都水源林」と書かれた石柱と、「水源地を大切に」と水系が書かれた案内板が立てられている。奥多摩の最深部である。ここから林道は終わり登山道となり、カツラやカエデの錦繍の彩りの中を登る事40分程でテン場が現れ、見上げれば小屋も見える。歩き始めて3時間弱、まだ明るいうちに今夜の宿、「三条の湯」に到着。三条の湯は1年のうち11ヶ月は水力発電で電気をまかなっているので、例のブ〜ンという発電機の音も無く静かである。小屋の煙突から煙が漂い、いかにも山小屋といった風情のある小屋である。紅葉の森に囲まれた庭先では薪をくべ、お釜で飯を炊いている、昔ながらの光景である。寝床は柔道場のようなだだっ広い部屋で、16名全員が入っても余裕がある。入り口のストーブに薪がくべてあるので寒くは無い。三条の湯というから風呂もある。鉱泉を沸かしているのだが、硫黄の臭いもする。石鹸は使えないが、風呂に漬かって汗をながせるだけでも天国だ。そして風呂上りに一杯。夕食事にも当然もう一杯、お釜で炊いたご飯も、小屋の主人が撃ったシカ肉のスープも美味い。夕食後、早々と眠りに着いた。
翌日は5時に起床、朝食をたっぷり食べる。今日は雲取山に登り、小雲取山に寄り、白岩山、霧藻ヶ峰を経て三峰神社まで縦走の予定。入念にアミューズ恒例の準備体操をしているうちに明るくなり、6時半に小屋の横から登山道に入ると、キツツキがコトコトと木をつついている音が聞こえる。天気予報ではここら辺りは曇り、夕方には雨が降るだろうとの事である。準備体操だけでじわ〜っと汗がにじんでくるのでカッパは着ない。落ち葉の敷き詰められた登山道を、見事な紅葉に嘆声を上げ、一列になって登る。わたしはやっぱり最後尾。緩やかな傾斜では隊列の間隔は開かないが、急な登りになると後ろの方は立ち止まってしまう。登り終えて緩やかになると前を行く人との開いた間隔を詰めるべく速度をあげる。先頭のガイドの進む速さは変わらないが、後に続くものは早くなったり立ち止まったり、と云うのが普通の人。でもわたしは違う。間隔が開いても速度は変わらない。緩やかな道ではわざと抑えて呼吸を整えるので、前の人との間隔は開くが、登りがきつくなるとすぐに追いく。山登りはマイペースが一番だ。「三条ダルミ」まで登りが続く水無尾根、途中何度か休憩を挟んで登る。牡鹿のカ〜ンカ〜ンと云う鳴き声が響く。小雨が降り出すが、しばらくそのまま登り続ける。登り始めて2時間半が経ち、展望が開けた小広場に着く。飛龍山から奥秩父主脈縦走路への道を分ける三条ダルミだ。ちなみにタルミとは鞍部のことを云うようである。生憎の曇り空、で山々には雲がかかって遠望は無い。谷から雲が上がって来るので晴れることを期待する。広場の一角に赤い花を咲かせた木がひと際目立つ。今頃梅が満開?と思いきや、杉浦さんがマユミの実である事を教えてくれる。ピンク色の実が少し裂けて、中から赤い種が顔を覗かせている。杉浦さんは高山植物の本を書いているほどの花の達人で、花に関しては彼の云う事に間違いはない。雨は降ったり止んだりだが休んでいると寒いので皆さんカッパを着込む。三条ダルミからすぐに雲取山荘への巻き道を分け、しばらくは緩やかな尾根の登り。尾根の急登に取り付く頃には雨はミゾレとなり、雲取山の頂上に着く頃にはすっかり雪に変わっていた。避難小屋が現れ、その横に「雲取山 山梨百名山」と書かれた柱が立っている。頂上は避難小屋を回ったすぐ先の小広場、そこには「秩父多摩国立公園 雲取山 標高2017.1m Saitama PRF」と記された大きな標識が立っている。そしてその奥、10mも離れていない場所に「雲取山 東京都」という柱が立っている。雲取山は東京、埼玉、山梨の県境、それぞれの標識がそれぞれの県に立てられているようだ。雲取山は東京都の最高峰、唯一の2000mを越す山として有名だが、標識は埼玉のものが一番立派である。眺望は相変わらず。休んでいると寒い。予定ではちょっと寄り道して小雲取山にも登る予定であるが、この寒さの中、余計な体力を消耗したくない。小雲取山に登りたいという者は誰一人いず、全員一致で中止とする。山頂から20分程急坂を下り、雲取山荘に到着した頃には雪も止み、雲間に青空も見え始める。まだ10時20分、昼食には少々早いが、朝食を食べてから5時間が経ちお腹もすいている。雲取山荘は大きな山小屋、その前の広場に腰を下ろして弁当を食べる。三条の湯、夕食、朝飯は良かったが、弁当はご飯に漬物程度のしけたものである。ここら辺りはダケカンバの林、50年程前、伊勢湾台風で森林が破壊され、その跡に生えてきたものだそうだ。森林が無くなって陽があたる場所には針葉樹は育たず、ダケカンバなどの陽地に生える落葉樹が侵入するとの事である。小屋からしばらく下ると雲取ヒュッテの廃屋がある。今にも崩れかけの建物、撤去するには費用がかかるので壊れるままにしてあるようだ。間もなく「大ダワ」に至る。ダワと云うのもタルミと同じく鞍部の事を指すようだ。ここら辺りはコメツガやシラビソの林であるが、幹がシカに食い荒らされて木肌がめくれてしまっている木が目立つ。増え過ぎたシカを駆除しているようだが、それでも被害はおさまらず、コメツガの幹は網が巻きつけられて保護されている。林の間から垣間見える山はワナクラ山。和名倉山と書くようだが別名白石山、どっちにしても聞いた事が無いが、アミューズでツアーも組まれている玄人好みの山だそうだ。ここは東京と埼玉の県境、尾根道を歩いたり、尾根道を巻いたりして「芋の木ドッケ」に到着。なんだそりゃ、と思うと案内板に説明が書いてある。「芋の木とはコシアブラの事で、ドッケとは突起がなまった言葉です。コシアブラの木の多い、とがった峰につけられた名前です」。フムフム。どれがコシアブラなのか判らないが美味そうな名前、でも腰脂はご免。丁度12時、三条の湯を出発してから5時間半が経っている。ここで西谷山方面への道を分け、県境尾根と別れて埼玉県の三峰方面に向かう。10分もしないうちに白岩山に到着。そこから急坂を少し下ると白岩小屋がある。多分小屋番であろう、掘っ立て小屋の前に汚い格好をしたおじいさんが一人座っている。玄関から中を覗くと暗い部屋に布団が敷き詰められ、いかにもジメジメした感じが漂っている。ちょっと泊まる気にはなれない小屋である。ここら辺りの岩は石灰岩、白い露岩を巻いて下り、登り返すと前白岩山。雲取山頂上から終点の三峰神社までほぼ等間隔に番号が付けられている。神社が1番、頂上が23番。前白岩山を下ると12番の標識があるのでもうすぐ中間点、というより、え、まだ半分? 前白岩の肩から緩やかに少し下ると、行く手真近かに霧藻ヶ峰が見える。この峰を登るのだが、どんどん急坂を下って行く。おいおいおい、いつまで下って行くんだと、降り立った所が「お翳拭廖H疥に泣いた炭焼きの娘お清の物語からその名がついたというお翳拭そうではなく「お経平」との呼び名もある。こちらは修験者が小石に経文を書いて埋めたという言い伝え。これから登り返さなければならない峰を考えると、そんな事はどちらでも良い。息を切らせて登った霧藻ヶ峰、展望が開け茶店が一軒建っている。幾筋もの尾根を張った紅葉の和名倉山、その向こうに明日登る両神山のギザギザした山並みが黒く連なる。山また山、秩父の山は深〜い、と実感。茶店の先の黒岩に秩父宮のレリーフがはめ込んである。「燕岩」とか「黒岩の頭」とか呼ばれていた所であるが、昭和8年8月、秩父宮が登山した時に霧藻ヶ峰と命名し今に至っていると云う、秩父つながりである。霧藻とはサルオガセの事、サルオガセとは「樹皮に付着して懸垂する糸状の地衣。全長0.2〜1m、外観はとろろ昆布に似る」と広辞苑にある。ここからは妙法ヶ岳を巻いて下り、炭焼き跡も現れ人里は近い、はずだが下りはまだまだ続く。長い尾根下りの果て、ようやく三峰神社の鳥居をくぐった時は15時43分。三条の湯から19km、およそ10時間の長行程だった。
待ち受けていたバスに乗り込み全員グッタリ。バスは山道を走り、その道の行き止まりが日向大谷(ひなたおおや)、真っ暗闇の中、今夜の宿、両神山荘の明かりが灯っていた。玄関に入ると白いイヌが寝ている。われわれが入ってきてもビクリともせずゆうゆうと眠っている。風呂に入って囲炉裏を囲んでまずビール。宿のおばあちゃんが自家製のキウリ、大根、カブラの漬物を出してくれる。一昨日放映されたという、ポチタマなんとかという番組のビデオが流れている。玄関先で寝ているイヌ、その名もポチ、これが両神山に登る登山者を先導して頂上まで行くというビデオである。録画の日に来たお客さんがポチに先導されて登るということになったが、ポチは気が乗らずすぐに帰って来てしまった。しかたなくおばあちゃんが登山客の姿をしてついて行き、ポチも安心して登ったという裏話し。夕食は物凄い量のおかず、これを全部食べ、はちきれそうなお腹をかかえて眠りについた。
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