大雪山(過去レコです)。
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- GPS
- 32:00
- 距離
- 15.6km
- 登り
- 1,141m
- 下り
- 1,640m
天候 | 雨のち曇り。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2008年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
飛行機
|
コース状況/ 危険箇所等 |
とくに危険個所はありません。 |
写真
感想
2008年7月16日から3日間、札幌で学会が開催されるのを利用して、大雪山に登ることにした。18日(金)の朝10時からポスターセッション11題の座長を終え、スーツ姿から登山服、登山靴に着替え、駅に向かう途中で学会用の荷物を宅急便に預けた。旭川までのスーパーカムイに乗車。旭川で乗り換えて上川へ。上川からはバスで層雲峡温泉へ。朝陽亭にチェックインし、早速大浴場で汗を流し、部屋で夕食。エクストラで頼んだカニもすっかり平らげ満腹となって熟睡。
目が覚めると、外は大雨。カッパに雨用の帽子、スパッツ、ザックカバーを着け、朝飯の弁当を貰っていざ出発。傘をさして黒岳ロープウェイの層雲峡駅まで歩く。天候不順で引き返さないといけないかも知れないと思いつつ、1000円也の片道切符を買う。6時20分発のロープウェイ、101人乗りのゴンドラの中にはわたしと男性二人連れのみ。こんな雨の中、わたし以外にも登る人がいることで勇気づけられる。五合目駅に到着すると空は少し明るくなり、雨も小降りとなっている。「大雪山黒岳五合目」と彫られた大きな柱の横に、「ヒグマに近づかないように」、「もしもヒグマに出会ったら」という、環境省の注意書きがある。成る程ここはヒグマの世界、ザックにぶら下げたカウベルを揺らす。黒岳ペアリフトは片道400円、係員に聞くとすでに上がっていった団体さんがいて、旭岳まで行くと云っていたとの事。気がつくと雨も止んでいて、これなら縦走出来そうだと気分が楽になる。リフトはゆっくりと、わたしを7合目まで運んでくれる。七合目登山口の小屋で登山届けを提出し、6時50分、いよいよ登山道に入る。よく整備された登山道ではあるが急坂で、じきに汗が出始める。20分ほど登ると団体さんが休んでいて、わたしも衣服調整、カッパの上着を脱いで長袖シャツとなる。団体さんよりお先に出発。急登の登山道ではあるが今が盛りの高山植物が咲き乱れ、疲れを感じることは無い。ウコンウツギ、エゾツツジ、エゾノコザクラ、エゾノリュウキンカ、本州ではお目にかかれない花が次々と現れる。登山道の石の階段では、背中に縦縞が入ったエゾリスがわたしを先導してくれる。ウコンウツギやエゾキンバイソウが惜しげも無く群れ咲いている。これから先の長丁場を考え、ゆっくりゆっくり登っているが、途中で夫婦連れとおぼしき二人組を追い越して、七合目から1時間半ほどで黒岳山頂に到着。赤茶けた岩だらけの頂上は、霧がかかって展望は全く得られ無い。お腹がすいてきたが、黒岳石室までもうひと頑張りして、そこで朝食を摂ることにする。高山植物保護のため、両側にロープの張られた瓦礫の道を下る。イワヒゲ、チシマツガザクラ、エゾノツガザクラ、エゾコザクラ、チシマノキンレイカと、チングルマ以外は見たことが無い蝦夷地の花が咲き競っている。広大なお花畑が広がり、あきることを知らない。所々に雪渓も現れ始めると、間もなく黒岳石室に到着。その名のとおり石で出来た小屋で、避難小屋とはいえバイオトイレもあり、番人もいる立派な小屋である。小屋の前の広場で大勢の人が休んでいる。わたしもベンチに腰掛け、朝食とする。ホテルで作ってくれた弁当は昼飯用に残しておき、昨夕コンビニで買ったオムスビを食べるがパサパサで不味い。小屋の窓にリスが二匹現れ、戯れている。背中に縦縞が入ったエゾリスは、小さくて可愛いく、これぞ絵本に出てくるリスである。ゆっくり休んでいると身体が冷えてきて、再びカッパを着込む。中岳か北海岳か、どちらを巡るか。間宮岳までの所要時間が20分ほど早い北海岳へ向かうことにする。北海岳まで2.7km、およそ1時間半、標高差250mの登りで、そうたいしたことはなさそうである。お花畑へ入らないよう、道の両側はロープで囲われているが、いかにも北海道という広々とした緑広がる大地に道が続き、所々に残った雪渓がアクセントをつけている。雪解けで水嵩の増した川幅の広い赤石川、転石を伝って渡る。目指す北海岳は雲の中。雪渓を下って北海沢の丸太の橋を渡り、広大なお花畑の中の道を進む。雨も止み、再び汗も出始め、カッパを脱いでザックに収める。這い松の中の道は徐々に斜度を増し、北海岳頂上に到着。赤茶けた広い山頂に数人が休んでいるが、ガスのため展望はゼロ。記念写真を撮って早々に出発。硫黄の臭いが漂う広い尾根をゆるやかに下り、ちょっとしたふくらみに至る。標識が倒れていて、何か字が書いてないかとひっくり返して見るも、何も見えない、おそらくここが松田岳だろう。江戸の末期、石狩川の水源地帯を調査した函館奉行所足軽、松田 市太郎に因んで名付けられたという。ちなみに松田はこの地に始めて足を踏み入れた和人で、層雲峡温泉の発見者としても知られている。広い尾根をのんびり歩いていると、ガスがさーっと流れ、右手眼下に御鉢平が姿を現す。御鉢の底は草の緑と雪渓の白、その中に露出した茶色や灰白色の岩肌が緑を拒み、ここは大火口、有毒ガスが立ち込めていることを物語っている。御鉢平の向こうに中岳が、中岳の左手の稜線には人の影も見える。という間もなくガスがさーっと立ち込めて視界は無くなる。間宮岳との鞍部でひと休みして、トラバース気味に中岳から間宮岳への稜線を目指して登る。間宮岳の分岐に登り付いた時は丁度12時、先程朝食を摂ったばかりのような気がするが、ホテルが作ってくれた朝飯用の弁当を取り出して昼食とする。ベンチに腰掛け食べていると、旭岳からも中岳からも人がやってきてこの分岐で皆さんひと休み。こんな山の中ではあるが結構賑わしい。しっかり休んで出発。赤茶けた荒野の軽いアップダウンが終わり、雪渓登り。階段状に踏み固められているので滑る心配は無いが、かなりの斜度の急登である。雪渓を登り切ると砂礫の急登となり、小幅でもズリズリ。小刻みにジグザグを繰り返し、旭岳山頂に到着。展望の無い広い頂上には、大勢の人が腰を下ろして休んでいる。ガスが晴れるのを期待して、ここでもう大分長い時間を過ごしている人もいるようだ。「一等三角点 選点100年記念」と彫られた大理石が埋め込んであり、そこには旭岳とは書かれておらず、「瓊多窟(ぬたっく)」とある。和名の大雪山となる前、この山はアイヌ語でヌタックカウシベと呼ばれていたことによるものと思われる。深田久弥は、大雪山という名が一般に流布し出したのは大正に入ってからだろう、とその著「日本百名山」に記している。興味を持って調べてみると、大雪山の名付け親は鳥取県出身の松原岩五郎と云う人のようである。岩五郎は徳富蘇峰の国民新聞社に入り、下層社会の生活をルポルタージュした「最暗黒之東京」という連載を出した人である。国民新聞社を辞め、明治31年に博文館の「日本名勝地誌」の北海道の部を執筆。そのときに見たヌタックカウシベの山容が、岩五郎の故郷の大山に似ていたことから、雪に覆われた大山という意味で「大雪山」と名付けたということのようだ。明治32年に発行された「日本名勝地誌」第9編「北海道の部」に「大雪山(たいせつざん)」が初めて登場し、上川中学の理科の教師として赴任していた「大雪山の父」と云われる小泉秀雄によって世に広められ、その名が定着したものと思われる。ちなみに、小泉の名を冠した小泉岳が白雲岳の横にある。また、大雪山は今は「だいせつざん」と呼ぶのが一般的であるが、「たいせつざん」と呼んでも間違いではない。しばらくガスが晴れるのを待っていたが、一向にその気配はないので出発。あんなに沢山のお花はどこへ消えたのか、赤茶けた岩礫の急坂、滑ってスッテンコロリン。以後は慎重にゆっくり下る。ガスも晴れ、始めは左手下に緑におおわれた溶岩台地を見ながら下る。やがて右手に地獄谷が荒々しい火山の姿を現す。下から湧き上がってくるガスが地獄谷を埋める。下るにつれ、ガスはガスでも、あちこちから噴出する火山性ガスであることが判明。シューシューと噴出する音も聞こえ、硫黄の臭いも立ち込める。勢い良く吹き上がる噴煙は、ここが間違い無く活火山であることを物語っている。眼下に姿見の池が見えるようになっても、これがなかなか近づいて来ない。振り返って見上げれば、旭岳の頂上付近は依然として雲の中。今日はいつまで待っても雲が取れることは無さそうだ。岩礫のスリッピーな道は最後まで続き、膝がガクガクになって来た頃、姿見の池に降り立った。姿見の池の前、「500~600年前、激しい爆発により山頂部が手前に大崩壊し、火口内部が露出した」と記されている。成る程、この地獄谷は火口の中で、噴煙が上がっている所が火口の最深部というわけである。
旭岳ロープウェイ、姿見駅の売店で地ビールを飲みながらひと休みしてからロープウェイで山麓駅へ。今晩の宿、グランドホテル大雪までは歩いて15分。部屋の窓から見える旭岳の山頂は、まだ雲がかかったままだった。始めて登った北海道の山は雄大であった。
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