記録ID: 2516450
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無雪期ピークハント/縦走
北陸
猿ヶ馬場山
2001年09月08日(土) [日帰り]
岐阜県
littletrekker
その他5人
- GPS
- --:--
- 距離
- 10.6km
- 登り
- 1,081m
- 下り
- 1,072m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 9:15
- 休憩
- 1:10
- 合計
- 10:25
岐阜県の富山県境付近には、余り人の入っていない山が数多く存在している。「猿ヶ馬場山」もその一つで、登山道が開かれていない薮山の為、入山者の殆どは残雪期に稜線づたいに登っている。この奥美濃の深山「猿ヶ馬場山」に、美濃ハイキングクラブのT氏のガイドで登ることが出来た。T氏は笈ヶ岳に13回、猿ヶ馬場に至っては22回も登っている「奥美濃の山の主」の様な人で、様々なルートから残雪期は勿論、薮を漕いでの夏山登山でも猿ヶ馬場に登った事があるとの事であった。
金曜の夜に東京を出発、中央道を松本まで走り、高山経由で国道41号、471号、360号と乗り継いで天生峠を目指したが、天生の部落で道を間違えた。Y字路の分岐を、広い道なりに左に進んでしまった。気がつくと「下小鳥湖」方面の標識が見える。縮尺の大きな地図しか持参しておらず、現在位置の確認に手間取っていると、反対側からミニバンが一台走って来た。聞けば月ヶ瀬の部落に入り込んでしまったとの事。先程のY字路迄戻って見ると、果たして右・天生峠の標識が出ていた。深夜1時近く、滅多に通らないだろう地元の車に遭遇出来なかったら、何時に峠に着いた事だろう。深夜1時頃に天生峠に到着、既に到着していたT氏と合流し、仮眠をとった。
翌朝は5時30分に起床、朝もやの中、朝食のカップラーメンをすすりながら、仮眠用に設営したテントを撤収し、登山の準備を進める。籾糠山から先の沢で使う「渓流用ゴム靴」や、長行程に備えた行動食、祝杯用のビールを入れた保冷庫を入れると、日帰用のザックは直ぐ一杯になった。準備万端整えて、6時20分天生峠の駐車場を後にした。
天生峠の駐車場から籾糠山への行程は、中部北陸自然歩道にもなっている登山道で、良く整備され歩き易い道が続いている。峠の駐車場から15分程で、天生湿原に到着。滑りやすい木道を慎重に進む。湿原から先は沢に沿って緩やかな道で、時折現れる標識で位置を確認しながら籾糠山を目指す事にした。周囲は人の手が入っていない原生林で、時折現れる巨木が素晴らしい。歩き始めて一時間位の所で、三本の巨木と出会った。根元の周囲には、ポッカリと空間が広がっている。林層は少々違うが、屋久島の巨木森を思い出す。巨木が辺りを睥睨する様は、何か神秘的ですらある。
峠から1時間20分程で、平行して流れていた沢を渡り、急登が始まった。T氏の話では、以前に籾糠山手前の稜線部からから、大瀬戸川上流部の沢筋に向かって、薮が刈られて道が付けられた事があると言う。入山者が少ないにしても、踏み跡ぐらいは残っている筈で、登山道から右に折れる踏跡を探しながら進んだのだが、籾糠山の山頂に出てしまった。山頂からは、直ぐ隣に平らな猿ヶ馬場の山頂が望め、道が付いていれば一時間もかからずに登れそうな距離に感じる。結局、沢筋への踏み跡は消えいる様で、薮を漕いで200m の坂を下り、沢筋に出るしか方法が無いことが判明した。
籾糠山に登る最後の急登が始まる付近から、意を決して薮に突入する。笹に加えて中低木が茂る中を進むのは容易ではない。平泳ぎの様に両手を突っ込み、薮を掴んで左右に切り分けると同時に足を踏み出す。一歩一歩進んでいくのに、恐ろしく時間がかかった。薮に慣れたT氏はスイスイと藪をかき分けてゆくのだが、後に続く我々5人は牛歩の歩み。正面の藪に気をとられていると、足で笹藪を斜めに踏んでしまい、片斜面を滑り落ちそうにながる。両手で藪を掴んで滑り落ちないように体を支えるのだが、今度はザックが木にひっかかり押し戻される...。こんな藪漕ぎで、籾糠山の西斜面を200m 位トラバースしてから、ほぼ直角に左折。急坂を下り大瀬戸川上流の沢筋を目指して一気に下った。
猿ヶ馬場のある奥美濃一帯は冬には大量雪が降る。この為、笹薮は雪の重みで谷に向かって寝ている場所が多く、そんな場所を下ろうとすると、踏んだ笹薮が滑り台の様になって、滑ること滑ること。何度も尻餅をついた。藪に突入して約1時間、標高差200m を下って漸く沢筋に降りる事が出来た。
大瀬戸川上流の沢筋は、籾糠山付近になると川幅は広い所でも5m位で、流れも穏やかであった。渓流用のゴム靴に履き替え、沢の遡行を開始する。流れが滞留して深い所も在ったが、概ね膝下位の水位で気持ちよく歩く事が出来る。倒木が流れを塞いでいたり、滝が行く手を塞ぎ、高巻を要する箇所は無かったものの、岩の斜面をへつって登る場面では緊張する。苔に足を滑らせ、滝壺に滑り落る場面も在ったが、滝の落差は高い所でも4m 程度で、危険な感じはしなかった。
沢筋を登ること約1時間、標高1660m付近で沢が左右に分岐していた。直進しても山頂に辿り着く事が出来るとの事であったが、藪漕ぎの距離が短い右の沢筋を進む事にする。支流に入ると直ぐに流れは殆ど無くなり、途中からは涸た沢筋となる。水の流れが無くなると、急にブッシュが増え始め、沢筋は何時しか藪道になった。上を見上げると空が低くなった感じて、稜線部と思われる付近に立つ木立や、青空が見え始めた。「もう一息。」と励ましあいながら進むのだが、深い藪に阻まれて中々進む事が出来ない。一歩踏み出しても藪に足が滑り、半分程押し戻されてしまう。前を歩く仲間を見失わないようにしながら、必死に前へ前へと進む。
沢の支流に入って約1時間、漸く平坦部分に到達する事が出来た。猿ヶ馬場頂上部だ。猿ヶ馬場の頂上部は平らで、白いビニール紐が頂上付近の藪に張ってあった。紐を辿りながら頂上部分を一周出来るそうであるが、藪漕に疲れて紐を辿って一周する余力は無かった。残雪期に登ると、この付近一帯がのっぺりとした雪原になっていて、思い思いの場所で陣取る事が出来るそうであるが、夏山時期の山頂は藪また藪で、休む場所すらままならない。紐のかかった頂上部から少し戻って、枯れた木立周囲の藪を倒して休息場所を確保。ビールで乾杯する。
金曜の夜に東京を出発、中央道を松本まで走り、高山経由で国道41号、471号、360号と乗り継いで天生峠を目指したが、天生の部落で道を間違えた。Y字路の分岐を、広い道なりに左に進んでしまった。気がつくと「下小鳥湖」方面の標識が見える。縮尺の大きな地図しか持参しておらず、現在位置の確認に手間取っていると、反対側からミニバンが一台走って来た。聞けば月ヶ瀬の部落に入り込んでしまったとの事。先程のY字路迄戻って見ると、果たして右・天生峠の標識が出ていた。深夜1時近く、滅多に通らないだろう地元の車に遭遇出来なかったら、何時に峠に着いた事だろう。深夜1時頃に天生峠に到着、既に到着していたT氏と合流し、仮眠をとった。
翌朝は5時30分に起床、朝もやの中、朝食のカップラーメンをすすりながら、仮眠用に設営したテントを撤収し、登山の準備を進める。籾糠山から先の沢で使う「渓流用ゴム靴」や、長行程に備えた行動食、祝杯用のビールを入れた保冷庫を入れると、日帰用のザックは直ぐ一杯になった。準備万端整えて、6時20分天生峠の駐車場を後にした。
天生峠の駐車場から籾糠山への行程は、中部北陸自然歩道にもなっている登山道で、良く整備され歩き易い道が続いている。峠の駐車場から15分程で、天生湿原に到着。滑りやすい木道を慎重に進む。湿原から先は沢に沿って緩やかな道で、時折現れる標識で位置を確認しながら籾糠山を目指す事にした。周囲は人の手が入っていない原生林で、時折現れる巨木が素晴らしい。歩き始めて一時間位の所で、三本の巨木と出会った。根元の周囲には、ポッカリと空間が広がっている。林層は少々違うが、屋久島の巨木森を思い出す。巨木が辺りを睥睨する様は、何か神秘的ですらある。
峠から1時間20分程で、平行して流れていた沢を渡り、急登が始まった。T氏の話では、以前に籾糠山手前の稜線部からから、大瀬戸川上流部の沢筋に向かって、薮が刈られて道が付けられた事があると言う。入山者が少ないにしても、踏み跡ぐらいは残っている筈で、登山道から右に折れる踏跡を探しながら進んだのだが、籾糠山の山頂に出てしまった。山頂からは、直ぐ隣に平らな猿ヶ馬場の山頂が望め、道が付いていれば一時間もかからずに登れそうな距離に感じる。結局、沢筋への踏み跡は消えいる様で、薮を漕いで200m の坂を下り、沢筋に出るしか方法が無いことが判明した。
籾糠山に登る最後の急登が始まる付近から、意を決して薮に突入する。笹に加えて中低木が茂る中を進むのは容易ではない。平泳ぎの様に両手を突っ込み、薮を掴んで左右に切り分けると同時に足を踏み出す。一歩一歩進んでいくのに、恐ろしく時間がかかった。薮に慣れたT氏はスイスイと藪をかき分けてゆくのだが、後に続く我々5人は牛歩の歩み。正面の藪に気をとられていると、足で笹藪を斜めに踏んでしまい、片斜面を滑り落ちそうにながる。両手で藪を掴んで滑り落ちないように体を支えるのだが、今度はザックが木にひっかかり押し戻される...。こんな藪漕ぎで、籾糠山の西斜面を200m 位トラバースしてから、ほぼ直角に左折。急坂を下り大瀬戸川上流の沢筋を目指して一気に下った。
猿ヶ馬場のある奥美濃一帯は冬には大量雪が降る。この為、笹薮は雪の重みで谷に向かって寝ている場所が多く、そんな場所を下ろうとすると、踏んだ笹薮が滑り台の様になって、滑ること滑ること。何度も尻餅をついた。藪に突入して約1時間、標高差200m を下って漸く沢筋に降りる事が出来た。
大瀬戸川上流の沢筋は、籾糠山付近になると川幅は広い所でも5m位で、流れも穏やかであった。渓流用のゴム靴に履き替え、沢の遡行を開始する。流れが滞留して深い所も在ったが、概ね膝下位の水位で気持ちよく歩く事が出来る。倒木が流れを塞いでいたり、滝が行く手を塞ぎ、高巻を要する箇所は無かったものの、岩の斜面をへつって登る場面では緊張する。苔に足を滑らせ、滝壺に滑り落る場面も在ったが、滝の落差は高い所でも4m 程度で、危険な感じはしなかった。
沢筋を登ること約1時間、標高1660m付近で沢が左右に分岐していた。直進しても山頂に辿り着く事が出来るとの事であったが、藪漕ぎの距離が短い右の沢筋を進む事にする。支流に入ると直ぐに流れは殆ど無くなり、途中からは涸た沢筋となる。水の流れが無くなると、急にブッシュが増え始め、沢筋は何時しか藪道になった。上を見上げると空が低くなった感じて、稜線部と思われる付近に立つ木立や、青空が見え始めた。「もう一息。」と励ましあいながら進むのだが、深い藪に阻まれて中々進む事が出来ない。一歩踏み出しても藪に足が滑り、半分程押し戻されてしまう。前を歩く仲間を見失わないようにしながら、必死に前へ前へと進む。
沢の支流に入って約1時間、漸く平坦部分に到達する事が出来た。猿ヶ馬場頂上部だ。猿ヶ馬場の頂上部は平らで、白いビニール紐が頂上付近の藪に張ってあった。紐を辿りながら頂上部分を一周出来るそうであるが、藪漕に疲れて紐を辿って一周する余力は無かった。残雪期に登ると、この付近一帯がのっぺりとした雪原になっていて、思い思いの場所で陣取る事が出来るそうであるが、夏山時期の山頂は藪また藪で、休む場所すらままならない。紐のかかった頂上部から少し戻って、枯れた木立周囲の藪を倒して休息場所を確保。ビールで乾杯する。
天候 | 晴れ |
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アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
今日の行程で、籾糠山迄は何人もの登山者とすれ違ったが、籾糠山から先は我々のパーティー以外とは誰も会わなかった。夏山シーズンに猿ヶ馬場を登る「酔狂な登山者」はほんの一握りで、殆どは残雪期に登っているという。我々もT氏のガイドで何とか登る事が出来たが、赤テープ一つ無い夏の藪山は、ベテランのガイド無しには進入する事が許されない領域なのであろう。奥美濃には夏道の無い山が数多くあり、残雪期に野伏ヶ岳や笈ヶ岳に登って来たが、藪をかき分けて登った夏の猿ヶ馬場は、ひときは充実感のある山であった。
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