記録ID: 2521572
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
甲斐駒・北岳
鳳凰三山
2003年09月06日(土) ~
2003年09月07日(日)
![情報量の目安: C](https://yamareco.info/themes/bootstrap3/img/detail_level_C2.png)
![都道府県](/modules/yamainfo/images/icon_japan_white.png)
- GPS
- 32:00
- 距離
- 23.6km
- 登り
- 2,275m
- 下り
- 2,275m
コースタイム
2日目
- 山行
- 6:40
- 休憩
- 2:00
- 合計
- 8:40
●南アルプス林道通行止め
北岳を始めとする、南アルプ北部の山への玄関口「広河原」へ通じる「南アルプス林道」が、崩落の為に夜叉人トンネルから先が、春から通行止めになっている。夜叉人トンネルの手前に車を置いて、バスで広河原へ移動、白鳳峠から鳳凰三山をミニ縦走して夜叉人峠に降りてくる計画を立てていたのだが、夜叉人峠から往復するルートに変更して鳳凰三山を目指す事にした。
この鳳凰山、深田久弥の日本100名山の完登まで後2座となり、100山目の山として至仏山への山行計画を10月に立てた事もあって、何としても9月中に登っておきたい山となっていた。至仏に上ったら「実は99山なんです。」何て事になったらシャレにならない。9月は台風シーズンでもあるし「天気の良い休日に、早めに登っておこう。」と言う事で、今回の山行となった。甲府昭和で中央高速を降り、芦安村を目指す。道が良くなった事もあって、家を出てから3時間かからずに登山口となる夜叉人に到着した。
●久しぶりの幕営山行
夜叉人から南御室まで登って幕営し、翌日に山頂を目指す今回の山行、盆休みの悪天でテントを担いでの縦走が流れた事もあり、本当に久しぶりの重たい荷物を担いでの山行だ。テント泊と言っても夏山装備での一泊山行、しかも小屋脇の幕営地と言う事で、持参するビールの本数が少ない事もあってか?、縦走山行の割には軽い...が、体が慣れるまでは暫らくかかる。夜叉人峠までの登りは、意識的にゆっくり登る。
峠に着くと、広場から北岳、間ノ岳、農鳥岳の白峰三山が良く見えた。峠からは、一旦鞍部に下った後、緩やかな稜線歩きとなる。所々で展望が開けるが、概ね樹林帯に覆われた単調な登りが続く。苺平で辻山への道を分けてからは緩やかな下りとなり、昼前に今日の幕営地「南御室小屋」に到着した。未だ今日の宿泊者は来ていない様だ。軽装小屋泊まりの登山者は、この時間帯ならば、薬師岳小屋か足の速い人ならば鳳凰小屋まで行ける時間だ。受付を済ましてテントを設営していると、途中で抜いてきた登山者が小屋で一服してから次々先を目指して歩いていった。
●白砂のプロムナード
翌日は4時に起床。ゆっくりと朝食を済ませて後、明るくなってから歩き始める。程なく東側から陽光が差込み、辺りの木立を赤く染め出した。山頂のご来光も良いが、朝日を浴びでオレンジ色に輝く樹林帯も、また素晴らしい。歩き始めて約50分、薬師岳の山頂に到着した。山頂は広々として、真っ青な空に北岳を始めとする白峰三山が映えていた。気持の良い山頂だ。薬師岳から観音岳へは、幅の広い真っ白な砂礫のプロムナードを進んでゆく。展望を楽しみながらの稜線漫歩だ。
高峰の観音岳はさすがに人が多い。山頂部は薬師岳の様に広くなく、交代で写真撮影をしていた。鳳凰山の最高標高は観音岳ではあるが、鳳凰山の象徴ともなっているオベリスクがある地蔵岳へは、ここから一旦200m程下り、再び上り返えす。
最高地点を目指す人が多いのだろう。薬師から観音を越えて地蔵を目指す人は、半分程度の様であった。観音岳からの下降ルートは、岩稜帯を進む道と、東側の樹林帯の中を進むルートがあるが、樹林帯ルートを折り始めたが木の根が張って歩きづらく、途中から岩稜帯の道へ戻って歩き進んだ。
地蔵岳の最高点はオベリスクで、かつてウエストンはオベリスクの上に立ったと言うが、現在オベリスクの上への道は付いていない。オベリスク手前のコルに「地蔵岳山頂」の標識が立っていた。自分もここを山頂としてザックを降ろす。ここからは甲斐駒ケ岳がが良く見える。
展望の良い砂地に、担ぎ上げられた石の御地蔵様が林立していて、その向こうに鋭く屹立する甲斐駒ケ岳は、何やら神々しくもある。昔の人は、ここからの情景に浄土の世界を見たのかもしれない。
北岳を始めとする、南アルプ北部の山への玄関口「広河原」へ通じる「南アルプス林道」が、崩落の為に夜叉人トンネルから先が、春から通行止めになっている。夜叉人トンネルの手前に車を置いて、バスで広河原へ移動、白鳳峠から鳳凰三山をミニ縦走して夜叉人峠に降りてくる計画を立てていたのだが、夜叉人峠から往復するルートに変更して鳳凰三山を目指す事にした。
この鳳凰山、深田久弥の日本100名山の完登まで後2座となり、100山目の山として至仏山への山行計画を10月に立てた事もあって、何としても9月中に登っておきたい山となっていた。至仏に上ったら「実は99山なんです。」何て事になったらシャレにならない。9月は台風シーズンでもあるし「天気の良い休日に、早めに登っておこう。」と言う事で、今回の山行となった。甲府昭和で中央高速を降り、芦安村を目指す。道が良くなった事もあって、家を出てから3時間かからずに登山口となる夜叉人に到着した。
●久しぶりの幕営山行
夜叉人から南御室まで登って幕営し、翌日に山頂を目指す今回の山行、盆休みの悪天でテントを担いでの縦走が流れた事もあり、本当に久しぶりの重たい荷物を担いでの山行だ。テント泊と言っても夏山装備での一泊山行、しかも小屋脇の幕営地と言う事で、持参するビールの本数が少ない事もあってか?、縦走山行の割には軽い...が、体が慣れるまでは暫らくかかる。夜叉人峠までの登りは、意識的にゆっくり登る。
峠に着くと、広場から北岳、間ノ岳、農鳥岳の白峰三山が良く見えた。峠からは、一旦鞍部に下った後、緩やかな稜線歩きとなる。所々で展望が開けるが、概ね樹林帯に覆われた単調な登りが続く。苺平で辻山への道を分けてからは緩やかな下りとなり、昼前に今日の幕営地「南御室小屋」に到着した。未だ今日の宿泊者は来ていない様だ。軽装小屋泊まりの登山者は、この時間帯ならば、薬師岳小屋か足の速い人ならば鳳凰小屋まで行ける時間だ。受付を済ましてテントを設営していると、途中で抜いてきた登山者が小屋で一服してから次々先を目指して歩いていった。
●白砂のプロムナード
翌日は4時に起床。ゆっくりと朝食を済ませて後、明るくなってから歩き始める。程なく東側から陽光が差込み、辺りの木立を赤く染め出した。山頂のご来光も良いが、朝日を浴びでオレンジ色に輝く樹林帯も、また素晴らしい。歩き始めて約50分、薬師岳の山頂に到着した。山頂は広々として、真っ青な空に北岳を始めとする白峰三山が映えていた。気持の良い山頂だ。薬師岳から観音岳へは、幅の広い真っ白な砂礫のプロムナードを進んでゆく。展望を楽しみながらの稜線漫歩だ。
高峰の観音岳はさすがに人が多い。山頂部は薬師岳の様に広くなく、交代で写真撮影をしていた。鳳凰山の最高標高は観音岳ではあるが、鳳凰山の象徴ともなっているオベリスクがある地蔵岳へは、ここから一旦200m程下り、再び上り返えす。
最高地点を目指す人が多いのだろう。薬師から観音を越えて地蔵を目指す人は、半分程度の様であった。観音岳からの下降ルートは、岩稜帯を進む道と、東側の樹林帯の中を進むルートがあるが、樹林帯ルートを折り始めたが木の根が張って歩きづらく、途中から岩稜帯の道へ戻って歩き進んだ。
地蔵岳の最高点はオベリスクで、かつてウエストンはオベリスクの上に立ったと言うが、現在オベリスクの上への道は付いていない。オベリスク手前のコルに「地蔵岳山頂」の標識が立っていた。自分もここを山頂としてザックを降ろす。ここからは甲斐駒ケ岳がが良く見える。
展望の良い砂地に、担ぎ上げられた石の御地蔵様が林立していて、その向こうに鋭く屹立する甲斐駒ケ岳は、何やら神々しくもある。昔の人は、ここからの情景に浄土の世界を見たのかもしれない。
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2003年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
着替え
靴
ザック
ザックカバー
昼ご飯
行動食
非常食
調理用食材
調味料
飲料
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
食器
ライター
地図(地形図)
コンパス
計画書
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
ロールペーパー
保険証
時計
タオル
ナイフ
カメラ
ポール
テント
テントマット
シェラフ
|
---|
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:86人
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する