記録ID: 282139
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ハイキング
四国
愛媛屈指の絶景峠と幻の洞窟(高森山とその周辺)
2013年03月31日(日) [日帰り]
- GPS
- 11:21
- 距離
- 5.5km
- 登り
- 499m
- 下り
- 444m
コースタイム
11:20登山口-11:42作業車道-11:53〜12:05法華津峠-12:53〜13:26高森山-14:04〜14:22法華津峠-途中、滝状の流れを鑑賞-14:41登山口
法華津トンネル南口から穴ノ御前登山口までは徒歩10分ほど。車なら数分だが、農道の幅員が狭く、待避所も少ないから、農家の軽トラが対向して来ると厄介。
法華津トンネル南口から穴ノ御前登山口までは徒歩10分ほど。車なら数分だが、農道の幅員が狭く、待避所も少ないから、農家の軽トラが対向して来ると厄介。
天候 | 晴れときどき曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
地形図=伊予吉田 登山口前に3、4台ほど駐車可 |
コース状況/ 危険箇所等 |
法華津湾背後に聳える一等三角点峰・高森山(634.9m)のコースガイドは二人ほどの会員が投稿しているが、ハイカーは西の上り口にあたる法華津峠(396m)から登るケースが多い。それはその峠が昔から「南予随一の絶景峠」と言われているからであり、市販の観光ガイド書にも紹介されるほど有名である。峠に立てば、法華津湾から宇和海、そして晴天日には九州まで見渡せるその眺望に誰もが感嘆の声を上げることだろう。 が、車道化されている峠からではなく、下の国道の登山口から登った訳は、その登山口から「幻の鍾乳洞」『穴ノ御前』上り口までも徒歩で行けるからである。尤も「幻」となったのは平成以降のこと。昭和期は地元の子供たちの遊び場となっていた。しかし昭和後期、入口に鍵付の扉が設けられたことにより、人々の足は遠のき、そこに至る道も途中から廃道化したのである。 尚、帰宅後、撮った写真を見て気づいたことだが、洞窟内部、扉が設けられている箇所は女性の陰部に似ている。だからこそ、この洞窟名が命名されたのだろう。因みに四国では、最も高知市の朝峯神社の御神体である岩陰が「それ」に酷似している。 その法華津トンネル南口(標高約220m)からのコースは「四国のみち」の別路として整備されており、案内図板も建てられているのだが、その前には廃屋があり、登山道も荒れ気味で、利用者は極めて少ない模様である。 登山道は法華津峠に食い込む谷を何度か渡り直しながら上って行くが、最初の左カーブ辺りの右手に小さな洞穴がある。背をかがめて入ることができるが、時間的な余裕がないため、やり過ごす。尚、法華津山脈の野福峠から遍路道である歯長峠までの区間の山腹には、いくつもの洞窟があると言われている。これは石灰岩の地層が多いことや、稜線南下を仏像構造線が走っていることが影響しているのかも知れない。その特徴を表すかのように、登山道沿いには切り立った岩盤や巨岩が随所にある。 コースは峠南に切れ込む谷の北の尾根を過ぎると一旦下りになるが、ほどなく上りに転じ、藪っぽい草地を抜けると未舗装の作業車道に出る。この道は地形図には記載されていない。そこは右折する。 道は支尾根側面に突き当たると左に急カーブを描くが、そのまま直進して尾根の突端に乗れそうだったので、尾根上に出ると、そこはパノラマが広がる岩場になっていた。法華津峠よりも眺望が優れ、東西に長い法華津湾から宇和海、法華津地区のみかん山群が視界一杯に広がる。弁当ポイントに最適である。 岩尾根を登るとすぐ展望台やベンチのある法華津峠で、行楽客が食事中だった。桜の木も何本かあり満開だった。因みに四国では愛媛は高知に次いで二番目に開花期が早い。 北に行くと稜線を走る道路に出るが、ここが本来の峠で、こちらにも峠碑が建立されている。四国のみちの道標は、目指す高森山へは道路を東に向かうよう、示しているが、東屋背後の碑から東に未舗装林道が付けられており、そちらの方が近道になるだろうと思い辿ってみた。そうすると案の定、切通し部に高森山を示す道標が立っていた。 登山道は尾根上やその直下を伝っているが、周囲の植生は殆ど植林である。しかし陽が差し込んでいるので陰気さはなく、軽やかに登って行ける。 高森山は東西に伸びやかな稜線を持っているだけに、感覚的には思ったより山頂が遠く感じられる。 山頂直下にも展望舎やベンチが設置されているが、年々周囲の木々が育ってきているため、展望は言うほどではないが、東に少し下れば、南方や法華津湾の展望もある程度望める。 広場横の石積みは石仏の祠のものだが、山の上という場所的なことと、石仏の大きさの割には石積みの規模が大きい。炭焼き窯か戦時中の防空監視哨の聴音壕(愛媛では佐田岬半島の伽藍山山頂のものが保存状態が良い)位の規模である。 展望舎で弁当を食べ、大休止すると来た道を引き返すが、途中、左上の稜線の岩場が目に入った。そこへ登れば山頂よりも好展望が得られるに違いない、と思い、上がってみると、案の定、法華津湾が眼下に広がっていた。 登山口に引き返すと車に乗り、穴ノ御前登山口に向かうが、道らしきものは確認できなかった。地元の農家によると、穴ノ御前から流れる湧水が沢となって農道へ至っている、という話だったから、てっきり沢沿いにあるものと思い、最初は沢を直接歩き、それが不可になると東側のみかんの段々畑を適当に這い上がって行った。 吉田町誌では、標高280mの所にある旨記述されていたと記憶しているが、高度計の高度が320mを超えても一向に現れない。仕方なく、沢沿いを下っていると、ふと、西方に巨大な絶壁岩盤があるのが目に入った。もしやと思い、沢を渡ってそちらに行ってみると、その岩盤下部に穴ノ御前が開口していたのである。目印は入口右横の不動明王の石仏である。高度計高度は240mになっている。 町誌によると、かつて180mほど内部探査されたことがあるが、全容は分かっていないという。地元の城主、鳴谷兵庫守が没落の折、この洞窟内で自刃したという伝説があるが、この武将の名は記録には出てこない。 不動石仏がある位だから、昔は修験者の行場となっていたのだろう。 この洞窟は鍾乳洞だけあり、開口部は奇妙な形をしている。洞は入口の奥ですぐ右に折れる。地面の割れ目の下には取水されている地下水が流れており、気を付けないと落下してしまう。 その先には錆びついた扉があった。役場支所に照会すると、鍵付扉が設置されているため、奥には入れない、ということだったが、鍵は錆びつき、扉は開いている。が、そこから先へは進めない。扉を抜けると洞道は左手下方に開く穴に入るようになっているが、その穴は腹這いにならないと通過できない。ネオ一眼レフのカメラシューにビデオライトを取り付けている状態では到底、通り抜けることは不可である。 そこで諦めて洞を出たが、確か町誌か何かの本に、穴ノ御前には「下ノ穴」と「上ノ穴」とがある、という記述があったことを思いだした。この穴は前者だろう。そこで岩盤を探ってみると、北に回り込んだ所にあった。地面からは3m以上の高さにある。岩盤を登ってみたが、滑り易い土のため、滑って肘を強打、おまけにカメラのフィルターに疵が付いてしまった。最早引き返すしかない。 そこで道なき沢沿いを下っていると、沢の取水パイプ以外に東側斜面にもパイプが走っているのが見えた。これを伝えば下り易かろうと辿ってみると、みかん畑に出る手前は藪化していたが、畑の際に建つ小屋からはうっすらと踏み跡がみかん畑の中を縫って下りていた。これがかつての穴ノ御前への登路だろう。モノラックのモノレールを何回か跨ぎながら、農道に下りることができた。 尚、ヤマレコの穴ノ御前のコース図は、この正規ルートを記している。 この雪辱を晴らすためにも、次回は通り抜けのできる洞窟に入洞しようと思うが、この翌日、高知県香南市の月見山に登った際、偶然陸軍の横穴壕や竪穴壕、山砲壕、交通塹壕等を発見することになるのだった。 |
写真
撮影機器:
感想
[四国のみちと桜情報]
四国のみちは歯長峠から高森山を越え、野福峠東方の鞍部から七本松バス停まで整備されているが、なぜか自治体等では俵津トンネル南口辺りを「野福峠」と呼んでいる。野福峠は桜が有名、ということを聞いていたので、投稿者は知らずに稜線にある「本当の」峠に行ってみたのだが、桜の木は一本もなかった。地名は正しく呼ぶべきだろう。地名は歴史の一部なのだから。
この日、もう時間がなかったので、「偽・野福峠」周辺の桜に寄ることができなかったが、どうしても桜群を見たかったから、車での帰り道、市立明間小学校の川向かいに咲く桜並木を暗くなっていたが撮影した。その南方にも洞窟が二つあるが、地下水が多いため、入洞はできない。
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