遠すぎた駅_大無間山南稜で脱臼_ヘリ撤退
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- GPS
- 35:50
- 距離
- 10.6km
- 登り
- 2,041m
- 下り
- 681m
コースタイム
4日:幕営地点(5:55)-2098mピーク-(8:30)三ッ合(救助要請・ヘリ収容)-(11:15)静岡ヘリポート〜救急車
天候 | 3日:快晴 4日:晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
田代の諏訪神社から小無間小屋を経て小無間山へ至るコースが最も整備されて歩かれているコースだと思いますが、鋸歯のP1と小無間のコルにあるガレが拡大して南北のガレが結合してしまいました。 両側が切れ落ちボロボロな地質の傾斜したナイフリッジを数メートル渡ります。 確実な手掛かりなど無く、石と共に滑落の危険大です。特に下り。 強風時や雨中雨後は特に危険だと思います。 ナイフリッジを通過しても北側のガレは大きく、暫くはガレの上にオーバーハングした道を登るので、出来るだけ短時間で通過しガレに寄らないでください(木の根だけで庇を支えている状態)。 そう遠くないうちにこのコースは通れなくなるでしょう。 巻き道を作れそうな地形ではなく、P1から吊橋を掛けるか、明神谷方面の尾根を本コースにでもしないと根本解決は望めそうにありません。 小⇒大無間の中間、中無間山でコースが曲がりますが、地図より顕著にほぼ直角に向きが変わります。 トラロープが張ってありますが、帰り(大⇒小無間方向)に直進しないように。 標高2100m位から上は残雪があります。人気の無いコースなのでルート取りは確実にしてください。 一旦溶けた雪が凍った斜面がありキックステップでは歯が立ちません。軽アイゼンでも有る無しで歩行が違います。 |
写真
井川オートキャンプ場の県道を挟んだ向かい側にあります。
綺麗な水洗トイレがありますが夜間の照明がありませんでした。(器具は付いているのですが…)
そこを右折(北進)して間もなく諏訪神社の鳥居脇に水場があります。
大無間山系で最初で最後の確実な水場でしょう。
静岡市街から見ると小無間山は一反木綿が稜線から頭をもたげたような形をしています。
東の角が小無間山で西の角が唐松薙の頭。
名前からすればメインなはずの小無間山の方が標高で10mほど低く、なぜか双耳峰とも呼ばれません。
感想
最初に、今回自分のレジャーでの不始末に対し、最高の技術と真心で対応してくださった静岡市消防航空隊、救急隊、静岡病院救急センターのスタッフの皆様にこの場をお借りして厚くお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
事の次第は後記します。
今年の山行はこれが初めてになります。
冬靴が経年劣化で漏水するようになり、17年も使ったクラシックな皮の登山靴では残雪期は無理なのでシリオ662を新調しました。
そのため金欠になり、高速を使わず比較的近場で登り応えのある大無間山塊を選びました。
普通の山頂往復ではなく、大無間から南に延びる南稜を歩き尾栗峠から井川線の尾盛駅へ出る計画としました。
通常なら1泊2日の行程ですが、ルートファインディングすることも踏まえて2泊3日分の水5Lと食料を持ちました。さらに必要ならもう一日使える時期を選びました。
時間は押しましたが井川・田代から大無間の山頂までは小無間手前コルのガレを除けばほぼ問題無く歩けます。
大無間南稜ですが、一般ルートでないにも関わらず、想像した以上に踏跡や幹のリボンが付いています。
下草は無いのですが針葉樹の幼木が生長して足元を悪くしています。
なるべく尾根の中央を通るようにすれば道迷いも少ないのですが、樹木に視界を遮られて尾根筋を外し易い場所があります(特に緩斜面)。
この点を注意すれば経験のある方なら歩ける印象です。
三ッ合までしか行けなかったので全て歩いていませんが。
脱臼の顛末
大無間山頂で午後3時を大きく回っていましたが、幕を持っているので欲が出て少しでも進んでおこうと思いました。
南稜に入り前無間を過ぎて標高2200m辺りから道がやや急傾斜になります。
特段危険な斜面でもないのですが、足を滑らせて尻餅を着きました。そのとき持っていたストックを離したのですが、ストックのストラップに手首を通していました。
右側のストックは地面から抜けずに突っ張ったのですが、躯は滑ったため右手首だけで宙吊りのような体勢になったのです。そのとき肩がゴキっと。
立ち上がりましたが右腕に全く力が入りません。この傾斜では幕を張れないので何とか斜面を下って僅かな平地を探し幕営しました。
もうこんな時間だし、自分の不始末で簡単には救助要請してはいけないと思い、翌日歩けるだけ歩くつもりでシュラフに入りました。
食欲は無く夜中に一度戻しました。熟睡は出来ませんでした。
翌朝、撤収に手間取り朝6時に行動開始。肩が前日より痛くなっており、ザックを背負うには地面に寝かしたザックに腕を通し、腰ベルトをしてから腹筋と左ストックで立ち上がるしかありません。
2098mピークを過ぎ、いよいよ肩が痛くなってきました。もうザックを背負っていられない。かといって空身で駅へ着けず日没になったらより情況がまずくなる。
次のピークである三ッ合まで行って救助要請することにしました。
救助要請
三ッ合山頂での電波状況は悪く、圏外からアンテナマークが出る間の状況でした(au)。棒は1本も立ちません。
8時半に電話で最初の119番救助要請をしました。呼び出し音が続く場合と、呼出し後にプープーと電話が切れた状態になる場合があります。僅かに繋がる可能性がありました(呼出しが途中で切れるということは、一瞬は繋がってすぐ切れている)。
そして一度だけ通話出来た瞬間がありました。
「こちら消防本部です。火事ですか?救急ですか?」
「山岳救助を要請したいのですが…」これだけ言って切れました。
その後の通話は何度やっても満足に繋がりません。
しかし一瞬でも繋がるのなら、メールで短文なら届くかもしれないと。
カミさんに宛てて「救助要請」「現在地」「怪我の状況」をメールしました。幸いにも何回目かで送信が出来ました。
「現在地」は地形図から分かっていました。
GPSはロガーを持っていましたが現場では座標が分かりません。
最新のスマホなら座標情報まで送れると聞きます。(私のはガラケー)
このメール以前に自宅へは消防本部から確認の電話が入っていたそうです。
携帯番号から自宅を割り出し、本当に本人からの救助要請なのかの確認です。
カミさんが、私が家に置いていった登山計画書を消防本部へFAXしたそうです。
一回目にメールで伝えた状況は、
「救助が必要であること」「現在地」「怪我の状況」です。
その後、私宛の確認メールが来ますが、なかなか本文まで受信出来ません。
折り返しの確認メールは、消防本部から現場状況(私の居るところ)の問い合わせをカミさんが転送したもので、
「歩けるか?」「何色の服を着ているか?」「ヘリで吊り上げられるか?」でした。
ようやく受信して回答を返信しましたが、最後の吊り上げに関しては答えられませんでした。肩の状況で吊れないかと思ったためです。
しかし質問の真意は
「吊り上げて救助するのに邪魔なもの(具体的には立木など)の状況」
を聞きたかったそうです。
携帯は電波状況と低温で見る間にバッテリー残量が下がっていきます。人肌で温めながら操作しました。
最後の質問には答えられなかったものの、程なくして神様の爆音が響いて来ました。でもすんなりとは行きませんでした。ここは深南部の密林なのです。
手にヘッドランプを持ち、出来るだけ樹間の広い場所へ移動してヘリが接近したときに大きく手を振ります。しかしなかなか気付いてくれません。
隣のピークへ移動したり、また戻ったりを繰り返しています。私が着ていた緑色の合羽は最悪の色だったでしょう。腕さえ簡単に動けば脱ぐべきでした。
あるいは車検のたびに交換する発炎筒をお守りで持っていれば良かったと。もちろん安易には使えませんが。
3順目くらいでようやく見つけてくれました。立木を縫って隊員が降下してくれます。開口一番「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」と謝りました。怒られるものと思ったのです。
返って来た言葉は意外でした。「ご心配ありません。」もう嬉しくて。
すぐに吊り下げるためのハーネスを装着してくれます。幸い股下のループで保持するもので肩に負担はありません。
ザックはどうしたら良いか尋ねると、貴重品だけ持って…と言い掛けて上と連絡してくれています(ヘリの爆音と強風で聞き取れません)。そして「私が背負います。」と背負って来てくれました。
ストックも持ってきてくれたのですが、「これはこの場に残していっていいですか?」と聞かれました。私は「はい」としか言えません。
ホイストで吊るとき、私と隊員が向き合い、両手でブレないように確保してくれます。最善の配慮なのです。ストックを持てない理由が分かりました。上の隊員が立木に当たらないようにワイヤの位置を微妙に変えてくれます。そして風があるのにピンポイントの正確なホバリング。救助を要請しながら勝手ですが、惚れ惚れと感じ入ってしまいました。
沼上のヘリポートまでたった15分。連携良く待機してくれた救急車に乗せて貰い病院へ。上着や靴を脱がせてもらい、重いザックまで運んで貰えました。
ここから脱臼の処置です。整形外科の先生と看護婦さんが渾身の力で嵌めてくれました。もう痛いの何の。でも自業自得なのです。
聞けば脱臼は緊急を要する怪我だそうで、時間が経つほど組織が移動して元の位置に戻りにくくなるそうです。
これでダメなら手術という前段階でようやく嵌まりました。
(たまたま当直の先生が整形の先生だったのです。これはもう幸運としか言いようがありません。)
脱臼が完治するまでの2ヶ月間は山へ行けません。が、その前に今までの自分の山行を再確認する時期かと思いました。今回の件で負傷はしながらも命まで奪われませんでした。今後はどうするべきなのか?よくよく考えてみます。
注)完全固定に1ヶ月。その後リハビリになりますので2ヶ月程度ではまだまだ自由に動くには程遠いです。(後記)
最後に。静岡市には素晴らしい救助体制があります。
不謹慎ながら、目にとても格好良く写りました。
こちらを安心させてくれる揺ぎ無い信頼感がありました。
本当にありがとうございました。
静岡市に生まれて良かったです。
コメント
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ご無沙汰しています。
久しぶりにJA11Vさんのレコだと思ったら、何やら気になるタイトルが・・・
何と言葉を掛ければいいのか・・・
足が滑ってストックで支えようとする・・・ よくあるシチュエーションですよね。
私も昨年槍穂縦走時に岳沢でつまづいてストックで支えようとして転び骨折しました。幸い救助要請には至りませんでしたが、これは運があったかなかったか程度の差であり、人ごとではない出来事です・・・
確かに周囲の方々に迷惑を掛けたのは事実でしょうし、家族の心配を考えると当面は山へは行けないと思いますし、私も要救などを経験するとたぶん家族がもう山へ行かせてくれないんじゃないかと考えますが、願わくば完治されて山に復帰されることを望みます。
それにまだ北方稜線という宿題が残っているではありませんか。
またストックを回収して今回の山行を完遂しリベンジというのも、勝手ながら私なら考えます。
かくいう私も最近は行きたい山・ルートを行き尽くした感があって山に対するモチベーションが上がらずにいますが、まずは怪我の完治を優先してお大事になさって下さい。
自分も深南部や南アルプスの南部が大好きです。
静かで人がいない・・・
でも、逆になにかあると本当にたいへんですね。
今回は本当に大変なことだったと思います。
レコを拝見させていただいて冷静な対処の仕方が、とても勉強になりました。こういう準備や連絡の仕方があるんだと。緊張状態の時は中々思いつかないかもしれないのでこういう方法があるかもというのは本当にためになりました。
お怪我大変だと思いますがゆっくり完治させてください。お大事になさってください。
この度は大失態をしてしまいました。
自分の遊びなのに自己完結出来ないこと。やっぱりこれは情けないです。
救急関係者の方々にご迷惑をお掛けしたこともかなり悪いですが、登山という趣味の大前提が自己の能力で歩くものと考えていました。
それが自分の手に負えないことになってしまい、自己嫌悪の状態です。
それでも人間現金なもので、ヘリの爆音が聞こえてきたときは涙が出てきました。
今はどうやって仕事に穴を開けないようにするか気になっています。
山の復帰に関しては養生後に気持ちがどう動くか確認します。
BIMOTAさんも、どうか何でも無いようなところで油断なさらぬようお気を付けて。
暫くはヤマレコ読者になります。
レスありがとうございました。
レスありがとうございます。
冷静な対処などとんでもございません。冷静な方はそもそも足が滑らないものです。
深南部…言葉の響きも含めて静かで良い場所ですね。
山に分け入るという雰囲気いっぱいで。
しかし裏を返せば営業小屋やエスケープルートが無く行程も長いです。同一行程者も極稀で。
今まで入院・骨折・脱臼・救急搬送を経験したことが無いのでバテることはあっても五体のどれかが故障するなど夢にも思いませんでした。
そして仕事や装備の更新などで山行間隔が開いたのに大盛り目のコースを設定してしまったこと。すでに背景がキナ臭いことを感じるべきでした。
万が一の事でも事が起これば一が全て。それが身に滲みました。
登山ポストにも記入しましたが、家族の理解を得るために家に置いてきた計画書が保険になりました。
山行自体が非日常なのですが、その山行の中でも危機管理をすることが長い趣味の継続のために必要だと思いました。
当面は仕事に影響を与えないことが目標になります。
どうぞ安全に山を楽しまれてください。
ありがとうございました。
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