乾徳山
- GPS
- 08:20
- 距離
- 6.1km
- 登り
- 687m
- 下り
- 671m
コースタイム
天候 | 曇り ときどきガス |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
鎌倉時代末期に高僧の夢窓国師が開いたという甲斐で最も立派な寺、恵林寺の乾(いぬい)=北西にある山、乾徳山。夢窓国師が籠ったという山岳修験道の痕跡多数あり。塩山の恵林寺は武田信玄が眠る菩提寺。
クイチさんとキコーさん、マオサさんと登る。
雲が低いが、笛吹川を上流に向かうところで乾徳山の姿は見えた。予報では少し持ちなおすと期待して登ってみる。行き止まりの徳和は急流急斜面に残る小さな集落。イワナとヤマメの養殖池や釣り堀もある。ここが乾徳の表玄関なのだが、今回は東側の大平から登る。大平は乾徳山の中腹にあるやや緩い傾斜地で、戦後、牧草地として、10件近い開拓農家が入植したが、今は一件のみ。10年ほど前に牛の放牧も無くなったそうだ。満洲からの帰還後、ここに入植したという。日本中の山腹で、そういう話を聞く。
標高1300mの大平から標高1570mの国師ヶ原に延びる登山道は、避難小屋と牧場が盛んだった頃は車が通っていた「もと車道」なので幅が広い。今は歩き易い登山道。途中山梨の名の由来になったコナシの大木のある林や、八重皮(やえひ)カンバという、ダケカンバより葉が小さく、幹のゴワゴワが激しいカンバを教わる。パタゴニアの南極ブナに似ている。ノリウツギの花が咲き、バイケイソウも盛りだ。茎がまだら模様のマムシ草がはえている。
国師ヶ原で森を抜けると、乾徳山の尖った山頂が見えた。徳和ルートとの合流点なので、少し徳和側に戻って錦晶水という水場に寄る。とてもうまいお水だ。赤いつぼみ、黄色い大きな花が咲くマルハダケブキというフキを教わる。
国師が原から斜面を登ると、前宮。ここは修験者には結界で、以前はおそらく大きな建物があったところ。立派な石垣と階段がノヅラ積みで組んである。大きな屋根状の岩があって、その下が祭壇だったのだろうか。今も独鈷を握った仏像がある。前宮の向かいには、山岳修験道の始祖、役小角(えんのおづぬ)の像がある。こうした話はすべてクイチさんが徳和の古老(95歳くらい)ナトリチカラさんに聞いた話。一般的な案内にはあまり書かれていないことだ。
結界を超えると扇平という、最高段の草原に出る。ここはよく山火事がおきるためダル(草地)になっているそうで、古老の話でも、山火事を消すのに逆サイドから火をつける術のこと等聞いたという。扇平から森に入る左側には窪んで水たまりをたたえた、手洗い石というのがある。古老に聞いて何度も探したクイチさんは今回ようやく発見したとの事。すぐ脇なのに何度来ても気がつかない事もある。古老の伝えた記憶が途切れずに済む。毎日何十年も乾徳山に通って、山仕事をしていた人の記憶が世から消えるのは惜しい事だから。このさき傾斜の増した森の中には修験道ポイントが連発して現れる。
「ヒゲソリ岩」は幅一尺、長さ18mほどの真っ平らな岩に挟まれたチムニーで、あごが擦れてヒゲが剃れそうなのである。行き止まりは絶壁の上で結構怖い。
「胎内」は前宮にあったようなかぶさり屋根の大岩の奥に、富士の胎内巡りみたいに岩の重なったトンネルがあって、その裏側に抜けられる場所。ここも雨除けに良い。
「カミナリ岩」は見上げたときにジグザグの岩模様が見えるからそう呼ぶのだと、古老が云ったそうだ。ここには鎖が下がっているが、その中間部にはひときわ古い鎖がある。60年前にその古老が背負って揚げたとの事。今は擦れて連結部の太さが半分近くになっているが、鍛冶屋が手で鍛えた手作りの鎖だそうで、そこらの安ものとは違うとの事。なるほどなあ。聞かなきゃ知らず通り過ぎるもの。確かにこの鎖は味があるよ。
最後は山頂直下に鎖の垂れた高さ15mくらいのジェードル岩がある。スパイク地下足袋で摩擦は無しだが、クラックにつま先ねじ込んで登ると楽なもの。山頂にはやはり古老が60年前に担ぎあげたと云う、花崗岩の祠があり、手を合わせる。こりゃ100キロはあります。
ガスの晴れ間を待っていたが、時折奈落の底が垣間見えるだけで、大きく変化はなし。あれこれ話をして腰を上げると、山ガール2人組が登って来た。初めての登山との事でとてもうれしそうだった。視界がきかなくても、ガスでも、楽しいものだよ山は。下りは堂満尾根を下る。堂満小僧の伝説を聞きながら。
大平は、徳和より300m以上高い。大平から笛吹川の谷底までは結構な急斜面に作った道をくねくね下って行く。笛吹川の対岸には山に張り付いた地すべり地形の上に甲斐風建築の兜造りの民家の残る山里が張り付いている。集落名を聞けば雷(いかづち)とか。良い名前だ。1月15日には良い祭りがあるとか。それにこの近くの山村には国師岳に今も修験登山をするお講があるとか。
最後はキコーさんの車で山梨市駅まで送ってもらって汽車で甲府へ帰る。なぜ山梨市は山梨市というのかという長い歴史絵巻を聞いて、すっかり謎が解けた。こういう話って地元以外は誰も知らないしあんまりどこにも書いていないのです。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人