那岐駅から因美線に乗って、美作滝尾駅に向かう。
因美線の智頭〜東津山間は、100円稼ぐのに1,963円のコストがかかる超赤字路線。
それでも、因美線が全線開通した90年前は、黒尾峠を越えて因幡(鳥取県東部)から美作(岡山県北部)へ行くのは(もちろんその逆も)大変な労力を要したはずなので、因美線全線開通は双方にとって悲願だったのだと思う。
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5/3 5:58
那岐駅から因美線に乗って、美作滝尾駅に向かう。
因美線の智頭〜東津山間は、100円稼ぐのに1,963円のコストがかかる超赤字路線。
それでも、因美線が全線開通した90年前は、黒尾峠を越えて因幡(鳥取県東部)から美作(岡山県北部)へ行くのは(もちろんその逆も)大変な労力を要したはずなので、因美線全線開通は双方にとって悲願だったのだと思う。
列車がやって来た。
因美線は非電化なので、ディーゼル車。
もちろん1両編成。
ボタンを押して後ろのドアを開け、バスと同様に整理券を取ってから席に座った。
那岐駅から乗ったのは自分ひとりだったが、すでに何人か乗客が乗っている。
なぜか少しほっとした。
列車は、しばらく山里の風景の中を走ったあと、間口の狭い物見トンネルの中に吸い込まれていった。
トンネルを抜けると、そこはもう岡山県だった。
列車は、両側から木々の枝が間近に迫る山間の線路を、時には自転車くらいにまで速度を落としてゆっくりと走っていく。
まあでも、こんなのんびりとした旅も悪くはない。今の世の中、ちょっと急ぎすぎだと思う。
美作加茂駅ですれ違いの列車を待つ間に、どうしてこんなにゆっくりなのか運転手さんに訊いてみた。
過去に落石のあった箇所はゆっくりと走ることになっているのだそうだ。
山間の区間は、台風や豪雨による土砂崩れ等で、過去に何度も不通になっている。
そんなことがあるたびに、ゆっくりと安全に注意しながら走らざるを得なくなったのかもしれない。
そのうち3時間くらいかかるようになるよと、運転手さんは笑った。
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5/3 6:26
列車がやって来た。
因美線は非電化なので、ディーゼル車。
もちろん1両編成。
ボタンを押して後ろのドアを開け、バスと同様に整理券を取ってから席に座った。
那岐駅から乗ったのは自分ひとりだったが、すでに何人か乗客が乗っている。
なぜか少しほっとした。
列車は、しばらく山里の風景の中を走ったあと、間口の狭い物見トンネルの中に吸い込まれていった。
トンネルを抜けると、そこはもう岡山県だった。
列車は、両側から木々の枝が間近に迫る山間の線路を、時には自転車くらいにまで速度を落としてゆっくりと走っていく。
まあでも、こんなのんびりとした旅も悪くはない。今の世の中、ちょっと急ぎすぎだと思う。
美作加茂駅ですれ違いの列車を待つ間に、どうしてこんなにゆっくりなのか運転手さんに訊いてみた。
過去に落石のあった箇所はゆっくりと走ることになっているのだそうだ。
山間の区間は、台風や豪雨による土砂崩れ等で、過去に何度も不通になっている。
そんなことがあるたびに、ゆっくりと安全に注意しながら走らざるを得なくなったのかもしれない。
そのうち3時間くらいかかるようになるよと、運転手さんは笑った。
列車は、那岐駅からの23kmの距離を、ちょうど1時間かけて美作滝尾駅に到着した。
下車して列車を見送り、料金420円を整理券と一緒に駅の料金箱に入れて駅を出た。
この駅も那岐駅と同様、もちろん無人駅。
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5/3 7:27
列車は、那岐駅からの23kmの距離を、ちょうど1時間かけて美作滝尾駅に到着した。
下車して列車を見送り、料金420円を整理券と一緒に駅の料金箱に入れて駅を出た。
この駅も那岐駅と同様、もちろん無人駅。
昭和初期の風情を今に残した、どこか懐かしい駅。
映画「男はつらいよ 寅次郎紅の花」の冒頭シーンのロケ地にもなった。
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5/3 7:27
昭和初期の風情を今に残した、どこか懐かしい駅。
映画「男はつらいよ 寅次郎紅の花」の冒頭シーンのロケ地にもなった。
駅からの山形仙。(手前)
奥に見えるのは、公郷山かな?
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5/3 7:29
駅からの山形仙。(手前)
奥に見えるのは、公郷山かな?
線路の踏切のすぐ側にある登山口。
標識には「明神様へ約壱時間」とある。
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5/3 7:40
線路の踏切のすぐ側にある登山口。
標識には「明神様へ約壱時間」とある。
これがその明神様らしい。
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5/3 8:39
これがその明神様らしい。
山形仙山頂の電波反射塔。
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5/3 9:37
山形仙山頂の電波反射塔。
地図上の山頂は、ここではない。
だけど、声ヶ?から登った場合、ここが山頂だと思うだろうな。
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5/3 9:42
地図上の山頂は、ここではない。
だけど、声ヶ?から登った場合、ここが山頂だと思うだろうな。
山形仙中腹の展望所は、木々が成長して展望はあまりよくない。
それでも、次に目指す広戸仙が望めた。
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5/3 10:12
山形仙中腹の展望所は、木々が成長して展望はあまりよくない。
それでも、次に目指す広戸仙が望めた。
広戸仙山頂に向かう途中にある岩のテラス。
泉山の”のぞき岩”のような展望が広がる。
なぜかここへの案内板はない。
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5/3 11:33
広戸仙山頂に向かう途中にある岩のテラス。
泉山の”のぞき岩”のような展望が広がる。
なぜかここへの案内板はない。
広戸仙山頂から、次に向かう滝山を望む。
その間には、キレットのようなギャップがある。
たぶん、今日一番のつらいところになるだろう。
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5/3 11:58
広戸仙山頂から、次に向かう滝山を望む。
その間には、キレットのようなギャップがある。
たぶん、今日一番のつらいところになるだろう。
滝山を越え、今日の縦走の最高点である那岐山を目指す。
広戸仙〜滝山間のような大きなギャップはないので歩きやすい。
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5/3 13:50
滝山を越え、今日の縦走の最高点である那岐山を目指す。
広戸仙〜滝山間のような大きなギャップはないので歩きやすい。
那岐山山頂。
何十回も来てはいるのだけれど、まあ一応お約束で。
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5/3 14:49
那岐山山頂。
何十回も来てはいるのだけれど、まあ一応お約束で。
933.6mピーク。
昔の地図では、932m になっている。
1m以上も高くなったのか?
「大切にしましょう三角点」ってあるけど、こんな登山道もないところには滅多に人は来ないと思う。
自分のようなかなりの物好きだけだろう。
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5/3 16:02
933.6mピーク。
昔の地図では、932m になっている。
1m以上も高くなったのか?
「大切にしましょう三角点」ってあるけど、こんな登山道もないところには滅多に人は来ないと思う。
自分のようなかなりの物好きだけだろう。
なんか盆栽のような風情のスミレが咲いていた。
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5/3 16:36
なんか盆栽のような風情のスミレが咲いていた。
雲?(うんだわ)のお地蔵さまがいらっしゃった。
初めてお会いするのに、どこか懐かしさを感じてしまうのはなぜだろう?
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5/3 16:41
雲?(うんだわ)のお地蔵さまがいらっしゃった。
初めてお会いするのに、どこか懐かしさを感じてしまうのはなぜだろう?
柔和なお顔立ちのお地蔵さま。
遥か昔に人の往来も絶えて、今はまるで時間が止まってしまったかのようなこの場所に取り残されて、いったい何を思っていらっしゃるのだろう。
「お地蔵さま、さみしゅうはないですか?」
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5/3 16:48
柔和なお顔立ちのお地蔵さま。
遥か昔に人の往来も絶えて、今はまるで時間が止まってしまったかのようなこの場所に取り残されて、いったい何を思っていらっしゃるのだろう。
「お地蔵さま、さみしゅうはないですか?」
お地蔵さまのすぐ横には、その由来を書き記した立札があった。
文政五
年頃(約200年前)、因幡で伝染病が流行り、旅人も村人も薬がなくて大変困ったので、旅人の安全と村人の無病息災を祈願してこのお地蔵さまをここに建立したそうな。
近隣の村々から約150名と炊き出しの女性たちで、大変な苦労の末、7日間かけて麓から引き上げてここに設置したそうな。
欠損部分があって詳しくは不明だが、おそらく修羅(ソリのようなもの)にお地蔵さまを乗せて、孟宗竹のコロを敷いて、カズラや麻縄で引いて引き上げたのだろう。
お地蔵さまの本体と台座は分割したとしても、お地蔵さまだけで500kgくらいありそうで、しかも急な山道だから、その苦労は想像もできない。
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5/3 16:40
お地蔵さまのすぐ横には、その由来を書き記した立札があった。
文政五
年頃(約200年前)、因幡で伝染病が流行り、旅人も村人も薬がなくて大変困ったので、旅人の安全と村人の無病息災を祈願してこのお地蔵さまをここに建立したそうな。
近隣の村々から約150名と炊き出しの女性たちで、大変な苦労の末、7日間かけて麓から引き上げてここに設置したそうな。
欠損部分があって詳しくは不明だが、おそらく修羅(ソリのようなもの)にお地蔵さまを乗せて、孟宗竹のコロを敷いて、カズラや麻縄で引いて引き上げたのだろう。
お地蔵さまの本体と台座は分割したとしても、お地蔵さまだけで500kgくらいありそうで、しかも急な山道だから、その苦労は想像もできない。
「文政七(1824)年四月二十四日」
「泉州石工 忠衛作」
「因州 奥早野村、作州 馬桑村」
「費用 金六両二分一朱四十九文也、
米六俵 麦ニ俵」
とある。
大阪からわざわざ石工を呼び寄せて、当時の貧しい山村にとってはかなりの大金をかけて、一大事業だったのだろう。
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5/3 16:43
「文政七(1824)年四月二十四日」
「泉州石工 忠衛作」
「因州 奥早野村、作州 馬桑村」
「費用 金六両二分一朱四十九文也、
米六俵 麦ニ俵」
とある。
大阪からわざわざ石工を呼び寄せて、当時の貧しい山村にとってはかなりの大金をかけて、一大事業だったのだろう。
雲?(うんだわ)に一番近い奥早野村(おくわさのむら)の石からお地蔵さまが刻まれたらしい。
ついでながら、司馬遼太郎氏によれば、早野村の辺りは山が間近に迫って日照時間が短いので、早稲(わさ)を植えるしかなかったのが村名の由来だそうだ。
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5/3 16:44
雲?(うんだわ)に一番近い奥早野村(おくわさのむら)の石からお地蔵さまが刻まれたらしい。
ついでながら、司馬遼太郎氏によれば、早野村の辺りは山が間近に迫って日照時間が短いので、早稲(わさ)を植えるしかなかったのが村名の由来だそうだ。
お地蔵さまのお体に積もった枯れ葉や枯れ枝を取りはらい、用意してきたお供物を差し上げて、そっと手を合わせた。
「お地蔵さま、草大福餅を召しあがれ」
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5/3 16:48
お地蔵さまのお体に積もった枯れ葉や枯れ枝を取りはらい、用意してきたお供物を差し上げて、そっと手を合わせた。
「お地蔵さま、草大福餅を召しあがれ」
件のお地蔵さまの右隣りにも、小さな(と言っても、これが普通の大きさかもしれない)がいらっしゃった。
おそらく、こちらのお方が初代だと思う。
件のお地蔵さまもひとりぼっちではないようだ。
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5/3 16:40
件のお地蔵さまの右隣りにも、小さな(と言っても、これが普通の大きさかもしれない)がいらっしゃった。
おそらく、こちらのお方が初代だと思う。
件のお地蔵さまもひとりぼっちではないようだ。
お地蔵さまの左手は広く平らに整地されたようになっていて、お地蔵さまはちょうどその端っこの方に座っていらっしゃる。
きっと、昔はここに茶店があって、旅人を癒していたのだろう。
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5/3 16:55
お地蔵さまの左手は広く平らに整地されたようになっていて、お地蔵さまはちょうどその端っこの方に座っていらっしゃる。
きっと、昔はここに茶店があって、旅人を癒していたのだろう。
先の2体のお地蔵さまからだいぶ離れたところに‥‥、これはもしや?
ここにも1体のお地蔵さまが、台座から外れて倒れていらっしゃる。
なんとむごいこと。
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5/3 16:55
先の2体のお地蔵さまからだいぶ離れたところに‥‥、これはもしや?
ここにも1体のお地蔵さまが、台座から外れて倒れていらっしゃる。
なんとむごいこと。
元の台座に収めてはみたが、右肩から向かって右斜め下に袈裟斬りされたかのように、首から上がなくなっていらっしゃる。
辺りを探してみたが、それらしきものは見つからなかった。
不憫だけれど、手を合わせて立ち去るしかない。
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5/3 16:56
元の台座に収めてはみたが、右肩から向かって右斜め下に袈裟斬りされたかのように、首から上がなくなっていらっしゃる。
辺りを探してみたが、それらしきものは見つからなかった。
不憫だけれど、手を合わせて立ち去るしかない。
雲?(うんだわ)から黒尾峠に続く小道が、東へ向かって伸びている。
お地蔵さまたちに別れを告げて先を急ぐ。
またいつか来ますよ。
この次は、手ぼうきとお花を持ってこよう。
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5/3 16:58
雲?(うんだわ)から黒尾峠に続く小道が、東へ向かって伸びている。
お地蔵さまたちに別れを告げて先を急ぐ。
またいつか来ますよ。
この次は、手ぼうきとお花を持ってこよう。
旧道の黒尾峠。
昭和46年に黒尾トンネルが開通するまでは、ここを車が通っていた。
雪の積もる冬は、通行不能だっただろう。
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5/3 17:09
旧道の黒尾峠。
昭和46年に黒尾トンネルが開通するまでは、ここを車が通っていた。
雪の積もる冬は、通行不能だっただろう。
雪のない時期でも、細く曲がりくねった未舗装の道を車で走るのは大変だっただろう。
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5/3 17:17
雪のない時期でも、細く曲がりくねった未舗装の道を車で走るのは大変だっただろう。
路肩が崩れないように、道路下の斜面は石垣を積んで補強してあった。
大変な工事だったと思う。
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5/3 17:25
路肩が崩れないように、道路下の斜面は石垣を積んで補強してあった。
大変な工事だったと思う。
谷をまたぐ橋。
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5/3 17:28
谷をまたぐ橋。
その下を現在の国道53号線が通っている。
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5/3 17:30
その下を現在の国道53号線が通っている。
橋の名前は“のん谷橋”
なんかかわいい名前。
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5/3 17:29
橋の名前は“のん谷橋”
なんかかわいい名前。
そして、“国道53号線”の表示。
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5/3 17:29
そして、“国道53号線”の表示。
“竣功昭和44年12月”とある。
同じ年に黒尾トンネルも竣工し、2年後の昭和46年に開通している。
この橋が国道としての役目を務めたのは、わずか2年ほどだったのか。
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5/3 17:30
“竣功昭和44年12月”とある。
同じ年に黒尾トンネルも竣工し、2年後の昭和46年に開通している。
この橋が国道としての役目を務めたのは、わずか2年ほどだったのか。
法面も昔は石を積んでいたんだね、今はコンクリートで覆うのが普通だけど。
何十年も崩れずに残っているのがすごい。
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5/3 17:48
法面も昔は石を積んでいたんだね、今はコンクリートで覆うのが普通だけど。
何十年も崩れずに残っているのがすごい。
国道53号線の栃本大橋の下をくぐり抜けた。
車の待っている那岐駅まではもうすぐ。
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5/3 18:15
国道53号線の栃本大橋の下をくぐり抜けた。
車の待っている那岐駅まではもうすぐ。
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