南アルプス南部縦走撤退回顧録 [百名山23](光岳〜聖平)【22.08.15作成】


- GPS
- 80:00
- 距離
- 31.4km
- 登り
- 3,283m
- 下り
- 3,273m
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年08月の天気図 |
アクセス |
写真
腹筋が痙攣し始めたので、登山道のど真ん中で荷物を投げ出して仮眠をとりました、後にも先にもこんな経験はこの時だけです。
感想
◆登山の背景
高校山岳部時代に鳥倉から便が島まで、南アルプス南部を4泊5日で縦走しました。
ひたすらきつかったが楽しかった記憶があり
いつか機会があればまた行きたいと思っていましたが
当時登山2年目にしてようやく実行に移すことになりました。
高校時代と全く同じルートでは面白くないということで逆に易老渡から入り
高校時代には行けなかった光岳の山頂を踏みながら北上。
最後に塩見岳の頂を踏んでから鳥倉へ下るという自身初となる6泊7日の計画でした。
結論から言うと『山中で食中毒になり撤退』という散々な結果に。
こんな経験は後にも先にもこの一度きりでしたが
今でも当時の状況を鮮明に思い出せるほど辛い山行となりました。
ちなみに食中毒の原因は症状から察するに
山中で食べた食品ではなく登る2日前に食べた『鶏刺し・鶏わさ(鶏の生食)』による
『カンピロバクター食中毒』と思われます。
鶏の生肉は食品に携わるようになった今となっては絶対に食べない食品ですが
当時は全く知識がなく、完全にノーマークでした。
◆登山の詳細
【1日目】
当時はまだ易老渡まで車で入れたので易老渡からスタート。
今現在は芝沢ゲートからの2時間近い歩きが追加されることを思えば当時は全然楽でした。
(2022年8月現在もタクシーを使えば易老渡までは入れます)
易老渡から易老岳まではひたすら登り。
湿度や気温が高く、かつ荷物も重かったためキツかった記憶があります。
易老岳まで登れば後は比較的緩やかになります。
イザルヶ岳からの景色は最高。
光岳の山頂を踏み光岳小屋に着く頃には身体も順応しており
ここから続く6日間の長期縦走に心を躍らせていました。
まさかこの後地獄が待っているとも知らずに。
【2日目】
朝、ビックリするほどの下痢から1日がスタートしました。
『あれ?おかしいな?』と思う暇も与えず断続的に下痢が続き…
落ち着いたかと思い歩き始めたもののすぐに便意が襲ってきて再度小屋に引き返す
というようなやり取りを繰り返し、30分近く遅延したところでなんとか出発。
かろうじて出発できたかと思いきや、水を飲むと即下痢、何か食べると即下痢という状態で
不本意ながら道中10回以上山中で下痢便を垂れ流す羽目に。
茶臼岳まで行くともう引き返すという選択肢が無くなり
否が応でも聖平まで歩ききるしかなくなりました。
何か食べないと動けないので茶臼小屋でラーメンを注文するも
即下痢ということで茶臼小屋で2度3度トイレを借りることになり状況は全く変わらず。
南岳を過ぎたあたりで腹筋が痙攣を始めたので『これはいよいよヤバイ』ということで
恥も外聞もなく登山道脇にザックを投げ出しその場で30分寝て体力を回復することに。
依然として水分や食料をまともに口にできない状態だったので
とにかく休んで体力を回復させることくらいしかできませんでした。
今思えばよく聖平まで辿り着けたもんだ…
【3日目】
下痢は止まらず、とてもじゃないが出発できる状況ではありません。
幸い日程には余裕がありましたので
3日目は聖平小屋で停滞して体調回復に努めることに。
この時点で固形物は全く受け付けず(食べてしばらくすると即下痢)
限りなく薄めたポカリスエットを人肌で温めたものをほんの少しずつ口に運ぶ
というようなことを丸一日続けてなんとか凌いでいました。
どう考えても縦走継続は不可能、この日のうちに撤退を決意しますが
栄養補給がまともにできず辛うじて少量の水分を摂取できているだけの状態で
果たして下山できるだけの体力があるのか?
【4日目】
アミノバイタルゼリー1本を摂取し、易老渡まで下山。
道中なんとか腹を下すことなく下山することが出来ました。
◆登山の感想ほか
体力的な意味ではなく、過去イチ辛い山行でした。
反省は一点。長期で山に行く際は食べ慣れないものは食わないこと。
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