記録ID: 5252849
全員に公開
積雪期ピークハント/縦走
日高山脈
カムイエクウチカウシ山〜札内岳
2023年02月27日(月) ~
2023年03月06日(月)
- GPS
- 176:00
- 距離
- 46.6km
- 登り
- 3,449m
- 下り
- 3,413m
コースタイム
1日目
- 山行
- 7:30
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 7:40
2日目
- 山行
- 9:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 9:00
6:00
540分
C1
15:00
八の沢左岸尾根c1450=C2
3日目
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
8:00
0分
C2
8:00
c1750=C3
4日目
- 山行
- 7:00
- 休憩
- 3:00
- 合計
- 10:00
5日目
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
6:00
0分
Ω4
6:00
Ω4=Ω5
6日目
- 山行
- 6:40
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 7:30
6:00
180分
Ω5
9:00
9:20
120分
1917峰
11:20
11:40
60分
春別岳
12:40
12:50
40分
ナメワッカJP
13:30
10.5の沢カール上=C6
7日目
- 山行
- 11:00
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 11:30
8日目
- 山行
- 0:40
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:40
10:10
最終除雪地点
.團腑Ε織鵑梁譟組の沢左岸尾根末端=C1(7h45m)
本来4人で入山するはずであった本山行。Mが直前で肩を脱臼し急遽3人での入山となった。
そのMにピョウタンの滝まで送ってもらい、計14日分の荷物が肩に食い込むのを感じながら八の沢出合いに向けで出発する。
序盤はトンネルが頻繁に出てくるので板を外してツボで歩く。トンネルは 700m 以上あるにもかかわらず電気が一切ついていないのでとても怖い。札内ヒュッテを過ぎてからはトンネルもほとんどなくなりシールで歩く。七の沢以降の沢はすべて氷結しており渡渉は問題なかった。
八の沢出合いはラジオが入らないが平らで快適。初日から結構疲れてしまった。稜線上はなんだか風が強そうだった。
C1〜尾根上 c1450=C2(9h15m)
この日は c1000 を一気に上げる、気合の一日である。6:00、左岸尾根にとりつく。地図を見てもわかるように序盤がかなり急であり、Bush もうるさい。2h30m 経って地図を見るとなんと c100 しかあげていない。疲労からかこの衝撃的な事実になんの感情も生まれなかった。もはや諦めの境地だ。
昼が近くなると気温が上がり、雪が腐り足元が崩れ、さらにシールに下駄が出来る。時折つくため息が皆深い。c1200 以降は若干傾斜もゆるくなり、c1300 あたりから疎林になるが、結局この日は c1450 で息絶えた。750m 登るのに8h30m かかるという体たらくである。
斜めな地形を整地して幕営する。体の節々が痛むし疲労感がとてつもない。ほかの団体や過去の記録はこれほど難儀していないようだったが、雪が悪いのか、荷物が重いのか、我々が弱いのか。おそらく全部なのだろう。夜は風が強かった。
C2〜尾根上 c1750=C3(2h)
天気予報的にも気圧配置的にも好天は望めないということで、今日は本来の予定テンバであった樹林限界の c1750 まであげて行動をやめにしようということになった。溜まった疲労の回復という意図もあった。この日はなんだか全員調子が悪い。L は頭痛、sLは鼻水とめまい、Mは腹痛と鼻水と寒気とフルコンボだった。
c1570 からはパヤパヤしたカンバが生え、平らな波打つ尾根となる。目星をつけていた斜面は白抜けていて楽しそうだったがこの日は固そうであった。c1750 付近のくぼ地で10:00 幕営。風にはあまり強くなさそう。各自読書タイムへ。L「ナショナルジオグラフィック 驚きの大地セレンゲティ」、sL「東野圭吾著 素敵な日本人」、M「並木浩一、奥泉光共著 旧約聖書がわかる本」である。Mが旧約聖書の天地創造の部分を読み聞かせてくれたがなかなかいい。
ダラダラしたのちMはパブロン服用して寝る。どうやら恋煩いらしい。
C3〜尾根分岐〜カムエク〜尾根分岐付近=Ω4(8h30m)
朝、Mのお腹からとんでもない音が聞こえる。結局最終日までおなかの調子は悪かっ
たようだ。後々方針として使うために枝を 10 本切って出発。
c1850 くらいから SE に換える。振り返ると雲海が沢を埋め、そこを突き破るようにいくつもの山がそびえていた。薄いガスの向こうに見える景色はまるで水墨画のようで、どこを見渡しても山しか見えなかった。ずいぶん深くまで来てしまったなあというちょっとした恐怖感みたいなものが心地よかった。
c1850 の屈曲からアイゼンを装着。c1903 までの岩稜は少し緊張するが九の沢側を巻ける。以降分岐までは特に難しいところはない。4 日目にしてようやく主稜線に到着。しかしこの頃には全く視界はなく、せいぜい 50〜100 くらい。カムエク At.したかったが、とりあえず分岐の 30m ほど南側にΩを掘ることにする。掘っている最中もガスっていて、今日カムエク行けないのか…などと思っていたが、Ω完成直後から徐々に視界が開けてくる。行ける!急いで At.装備を作っていると雲がどんどん押し上げられて、さっきまで真っ白だった空間に徐々に巨大な山の姿が。こんな近くにカムエクはあったのか、と圧倒される。心躍らせながらいざピークへ。
c1900 付近までは容易で、日高側にブッシュが出ていて方針は必要ない。シールは使えそうになかったのですべてアイゼンで行ったのだが、sLの矜持で全員シートラでピークに行くこととなった。c1900 からはブッシュがなくなるので乱打気味に木を打つ。この辺りで局所的に岩の巻きがあるが、カムエクの登りで緊張するのはそのワンポイントのみだ。因みにカムエクルンゼは崖だし細いし、これ滑るのはやばいな、と 3 人で話していた。この辺りではガスは晴れ、360 度見渡せるようになっていた。
そしてカムエクピークに立った。南に続く主稜線と頂、これから臨む 1917 峰、春別岳、札内岳まで見えた。ずっと立ちたかったピーク、ずっと見たかった景色を前にただただ感無量であった。
暖かいし風もないのでのんびり撮影大会をした。何度も振り返りながらピークを離れ、Ωへ帰る。テンバから改めて見るカムエクの容姿はやはり荒々しく美しい。一瞬の晴天を突いた素晴らしい At.であった。贅沢な疲労感を味わいながら就寝。
ウ4=Ω5
6:00 に外に出るも視界 50 ほどでとりあえずΩに戻る。7:00、7:30 と外に出るが変わらず少し風も出てきた。最後まで粘っていたsLも折れて今日は完全停滞とする。
各自読書や昼寝に興じる。sLは自分の銀マットの凹部分全てにナイフで穴をあけていた。停滞特有の破壊欲求だろうか(凹部分に水がたまるのが嫌だったらしい。効果は本人に聞いてみるといいでしょう)。Mの聖書の読み聞かせはノアの箱舟、バベルの塔まで進んだ。旧約聖書の面白さに気が付いてしまったらしい。
Ζ5〜c1917〜春別岳〜ナメワッカ JP〜10.5 の沢上=C6(7h)
6:00 にΩを出るが昨日と景色は変わらない。今日もダメか…と思いながら一応パッキングを進める。するとカムエク、分岐、主稜線が消えたり現れたりして視界が開ける気配がし始める。20 分もするとすっかり雲もなくなり幌尻岳まで望むことが出来た。意気揚々と出発する。
分岐直後に大きな岩があるが、十勝側をトラバース気味に突破した。上も行けそう。ここから最低コルまでは容易。九の沢カールは、地図上の 1903 ポコ側の斜面は岩やブッシュが露出していて滑れそうにない。滑るとしたら 1732 コル側、もしくは一個 1917 峰寄りのカールが良いだろう。カールは艶やかな白いパウダーを湛えておいでおいでしていたが、色々あって今回は滑れないのであまり見ないようにして通過する。
コルから c1800 までは、昨日の風雪の影響もあってか雪稜チックになっていた。右によれば踏み抜き、左によれば滑落でさようならなので緊張した。sLがこの辺りで雪庇を崩していた。ここでトップを交代し、ピナクルへ向かう。ピナクルは十勝側の 5m ほどのルンゼを登ったのだが、吹き溜まっていて斜度もきつかったので雪崩が怖い。一歩一歩緊張した。
ピナクルを超えると難しいところはなく、ピークだと思ったらポコだった、を 4 回くらい繰り返して 1917 峰に立つ。脳死スロープを見るのを忘れてしまった。春別岳とのコルまでは広く容易だが、ズボズボしていてだるい。ここから 1791 ポコまでの登りは岩稜がずっと続くので、どこでどっち側を巻いたなどいちいち覚えていられない。ちなみに稜線は九の沢カール上から NJP まで、基本的に全て赤岩の巻道のような感じでそこに時折八剣山の7pit.や 9pit.が出てくるような感じである。雪庇と雪崩と滑落に気を付けてひたすらこなしていく。
それ故に変な慣れが生まれてしまったのか、トップで歩いているときに滑落しかけた。見ていたMは 5 割くらいの確率で死んだと思ったらしい。危うく札内川のイワナたちの餌になるところであった。
春別岳は日高側にブッシュが生えているので、ピークの 30mほど下をトラバースして直接コルにいった。この辺りになると疲れが溜まってくるのに加えて、視界が悪くなり風が出始めたのもあって、パーティのテンションもさがってくる。
ナメワッカ JP までの登りもこれまでのように岩を巻く、バリズボ、足を引き抜く、の繰り返しで発狂しそう。c1831 は八剣山の 9pit の拡大版といった感じだった。ナメワッカ JP に着くころにはみんなくたくたで、風も強くなり、ヘロヘロで 10.5 の沢カールまで。
最低コルまでの下りは容易。Ωの予定だったが、吹き溜まらなそうで風もしのげるいい感じの場所があったので幕営。疲れた。
C6〜札内 JP〜札内岳北東尾根〜ピリカペタヌ沢〜トッタベツヒュッテ=C7(12h30m)
高気圧が来る予報だったので、一発モルゲンロートカールスキーをキメてやろうと 5:30 にテントを出る。濃紺な空に赤い地平線が良く映える。本山行で唯一の朝焼けだ。カール上から滑れそうなラインを模索するも、風が強くウィンドスラブの懸念があったし、雪がガリガリであり全視がとれそうな良いラインがなかった。今日の行動時間が長いこともあってスキーは諦めることとする。
札内 JP までは全て SE で行った。広く岩なども出ていないので容易だが、カリカリで段差もあるので苦手な人はアイゼンの方が無難だろう。天気はいいのだが風が強く、西から絶え間なく気にならない風が吹きつけて寒い。寒いので、EP に換えて札内 JP からもそそくさと東西稜線へと進む。主稜線さようなら、ありがとう。
c1850 付近は岩が出ているのでパヤパヤカンバの北側を巻くが、ズボズボだし板が引っかかるしとても不快。懸念していた東西稜線の雪庇は大きく発達しているものはなく、基本南側に出ていて両面雪庇という感じでもなかった。今年は雪が少なかったのだろうか。アイゼンのズボズボが辛すぎて c1816 からはスキーにする。沈まない!やはり板は偉大だ。Schi heil. 結局札内まで全部スキーで行けた。
最低コルあたりでようやく風が弱くなり、ほっと一息。札内ピークまでは尾根も広く容易で、何度も振り返りながら歩いた。ピークについて写真撮影。札内は日高の展望台と言われるだけあって日高の稜線が全て見渡せる。去年歩いた稜線、自分たちが昨日歩いてきた稜線、まだ歩いたことがない稜線。7 日間目覚ましで使っていたブルーハーツの歌が自然と頭の中で流れる。ようやく会心の「青空」であった。
今日頑張ればヒュッテまで下せるのではないか、ということになり気合で北東尾根を下まで降ろすことに。日高の稜線さようなら、ありがとう。
序盤の急なところはツボでおろし、あとは c1590 の尾根頭までシール。他にも下降尾根はあるのだが、昨年小山行で使った尾根だったのでここを使うことにした。
今までの緊張感や疲れが一気に来たのだろうか、ここにきて LsL ともに戦闘不能状態に。今までトップを歩かず体力を温存していたMが引っ張ってくれて助かった。ここからピリカペタヌ沢までのスキーもただただしんどい。4 年間で初めて下山スキーしたくないと思った。ここでもMが引っ張ってくれて何とか沢へ。もう登らなくていいし、もう滑らなくていいんだという解放感と、日高の深部から安全圏まで帰ってこられたんだ、という安心感で、すっかり脱力して座り込んでしまった。
しっかりと休憩した後、ラテルネをつけてヒュッテまで。Mと握手を、sLと抱擁をした。中に入って薪ストーブをつけて、久しぶりの暖かさを享受した。残った飯をいっぱい食べて、寝ながら 7 日間の出来事を 3 人で話した。夜はどんどん更けていった。こうして山行は、部活は終わっていくんだな、と思った。
C7〜最終除雪地点(30m)
朝、ヒュッテの外は春の陽気だった。下界に降りてきたんだな、と感じてうれしく思うのと同時に、もう少し居たかったなという思いも芽生えてきた。去年は 6 日目にもなると下界が恋しかったのに、今年は帰りたいと思うことはほとんどなかった。
最終除雪地点まで歩くと、また脱臼Mが迎えに来てくれた。温泉に入って飯を食っておしまい。ありがとうございました。これからも頑張ろう。
本来4人で入山するはずであった本山行。Mが直前で肩を脱臼し急遽3人での入山となった。
そのMにピョウタンの滝まで送ってもらい、計14日分の荷物が肩に食い込むのを感じながら八の沢出合いに向けで出発する。
序盤はトンネルが頻繁に出てくるので板を外してツボで歩く。トンネルは 700m 以上あるにもかかわらず電気が一切ついていないのでとても怖い。札内ヒュッテを過ぎてからはトンネルもほとんどなくなりシールで歩く。七の沢以降の沢はすべて氷結しており渡渉は問題なかった。
八の沢出合いはラジオが入らないが平らで快適。初日から結構疲れてしまった。稜線上はなんだか風が強そうだった。
C1〜尾根上 c1450=C2(9h15m)
この日は c1000 を一気に上げる、気合の一日である。6:00、左岸尾根にとりつく。地図を見てもわかるように序盤がかなり急であり、Bush もうるさい。2h30m 経って地図を見るとなんと c100 しかあげていない。疲労からかこの衝撃的な事実になんの感情も生まれなかった。もはや諦めの境地だ。
昼が近くなると気温が上がり、雪が腐り足元が崩れ、さらにシールに下駄が出来る。時折つくため息が皆深い。c1200 以降は若干傾斜もゆるくなり、c1300 あたりから疎林になるが、結局この日は c1450 で息絶えた。750m 登るのに8h30m かかるという体たらくである。
斜めな地形を整地して幕営する。体の節々が痛むし疲労感がとてつもない。ほかの団体や過去の記録はこれほど難儀していないようだったが、雪が悪いのか、荷物が重いのか、我々が弱いのか。おそらく全部なのだろう。夜は風が強かった。
C2〜尾根上 c1750=C3(2h)
天気予報的にも気圧配置的にも好天は望めないということで、今日は本来の予定テンバであった樹林限界の c1750 まであげて行動をやめにしようということになった。溜まった疲労の回復という意図もあった。この日はなんだか全員調子が悪い。L は頭痛、sLは鼻水とめまい、Mは腹痛と鼻水と寒気とフルコンボだった。
c1570 からはパヤパヤしたカンバが生え、平らな波打つ尾根となる。目星をつけていた斜面は白抜けていて楽しそうだったがこの日は固そうであった。c1750 付近のくぼ地で10:00 幕営。風にはあまり強くなさそう。各自読書タイムへ。L「ナショナルジオグラフィック 驚きの大地セレンゲティ」、sL「東野圭吾著 素敵な日本人」、M「並木浩一、奥泉光共著 旧約聖書がわかる本」である。Mが旧約聖書の天地創造の部分を読み聞かせてくれたがなかなかいい。
ダラダラしたのちMはパブロン服用して寝る。どうやら恋煩いらしい。
C3〜尾根分岐〜カムエク〜尾根分岐付近=Ω4(8h30m)
朝、Mのお腹からとんでもない音が聞こえる。結局最終日までおなかの調子は悪かっ
たようだ。後々方針として使うために枝を 10 本切って出発。
c1850 くらいから SE に換える。振り返ると雲海が沢を埋め、そこを突き破るようにいくつもの山がそびえていた。薄いガスの向こうに見える景色はまるで水墨画のようで、どこを見渡しても山しか見えなかった。ずいぶん深くまで来てしまったなあというちょっとした恐怖感みたいなものが心地よかった。
c1850 の屈曲からアイゼンを装着。c1903 までの岩稜は少し緊張するが九の沢側を巻ける。以降分岐までは特に難しいところはない。4 日目にしてようやく主稜線に到着。しかしこの頃には全く視界はなく、せいぜい 50〜100 くらい。カムエク At.したかったが、とりあえず分岐の 30m ほど南側にΩを掘ることにする。掘っている最中もガスっていて、今日カムエク行けないのか…などと思っていたが、Ω完成直後から徐々に視界が開けてくる。行ける!急いで At.装備を作っていると雲がどんどん押し上げられて、さっきまで真っ白だった空間に徐々に巨大な山の姿が。こんな近くにカムエクはあったのか、と圧倒される。心躍らせながらいざピークへ。
c1900 付近までは容易で、日高側にブッシュが出ていて方針は必要ない。シールは使えそうになかったのですべてアイゼンで行ったのだが、sLの矜持で全員シートラでピークに行くこととなった。c1900 からはブッシュがなくなるので乱打気味に木を打つ。この辺りで局所的に岩の巻きがあるが、カムエクの登りで緊張するのはそのワンポイントのみだ。因みにカムエクルンゼは崖だし細いし、これ滑るのはやばいな、と 3 人で話していた。この辺りではガスは晴れ、360 度見渡せるようになっていた。
そしてカムエクピークに立った。南に続く主稜線と頂、これから臨む 1917 峰、春別岳、札内岳まで見えた。ずっと立ちたかったピーク、ずっと見たかった景色を前にただただ感無量であった。
暖かいし風もないのでのんびり撮影大会をした。何度も振り返りながらピークを離れ、Ωへ帰る。テンバから改めて見るカムエクの容姿はやはり荒々しく美しい。一瞬の晴天を突いた素晴らしい At.であった。贅沢な疲労感を味わいながら就寝。
ウ4=Ω5
6:00 に外に出るも視界 50 ほどでとりあえずΩに戻る。7:00、7:30 と外に出るが変わらず少し風も出てきた。最後まで粘っていたsLも折れて今日は完全停滞とする。
各自読書や昼寝に興じる。sLは自分の銀マットの凹部分全てにナイフで穴をあけていた。停滞特有の破壊欲求だろうか(凹部分に水がたまるのが嫌だったらしい。効果は本人に聞いてみるといいでしょう)。Mの聖書の読み聞かせはノアの箱舟、バベルの塔まで進んだ。旧約聖書の面白さに気が付いてしまったらしい。
Ζ5〜c1917〜春別岳〜ナメワッカ JP〜10.5 の沢上=C6(7h)
6:00 にΩを出るが昨日と景色は変わらない。今日もダメか…と思いながら一応パッキングを進める。するとカムエク、分岐、主稜線が消えたり現れたりして視界が開ける気配がし始める。20 分もするとすっかり雲もなくなり幌尻岳まで望むことが出来た。意気揚々と出発する。
分岐直後に大きな岩があるが、十勝側をトラバース気味に突破した。上も行けそう。ここから最低コルまでは容易。九の沢カールは、地図上の 1903 ポコ側の斜面は岩やブッシュが露出していて滑れそうにない。滑るとしたら 1732 コル側、もしくは一個 1917 峰寄りのカールが良いだろう。カールは艶やかな白いパウダーを湛えておいでおいでしていたが、色々あって今回は滑れないのであまり見ないようにして通過する。
コルから c1800 までは、昨日の風雪の影響もあってか雪稜チックになっていた。右によれば踏み抜き、左によれば滑落でさようならなので緊張した。sLがこの辺りで雪庇を崩していた。ここでトップを交代し、ピナクルへ向かう。ピナクルは十勝側の 5m ほどのルンゼを登ったのだが、吹き溜まっていて斜度もきつかったので雪崩が怖い。一歩一歩緊張した。
ピナクルを超えると難しいところはなく、ピークだと思ったらポコだった、を 4 回くらい繰り返して 1917 峰に立つ。脳死スロープを見るのを忘れてしまった。春別岳とのコルまでは広く容易だが、ズボズボしていてだるい。ここから 1791 ポコまでの登りは岩稜がずっと続くので、どこでどっち側を巻いたなどいちいち覚えていられない。ちなみに稜線は九の沢カール上から NJP まで、基本的に全て赤岩の巻道のような感じでそこに時折八剣山の7pit.や 9pit.が出てくるような感じである。雪庇と雪崩と滑落に気を付けてひたすらこなしていく。
それ故に変な慣れが生まれてしまったのか、トップで歩いているときに滑落しかけた。見ていたMは 5 割くらいの確率で死んだと思ったらしい。危うく札内川のイワナたちの餌になるところであった。
春別岳は日高側にブッシュが生えているので、ピークの 30mほど下をトラバースして直接コルにいった。この辺りになると疲れが溜まってくるのに加えて、視界が悪くなり風が出始めたのもあって、パーティのテンションもさがってくる。
ナメワッカ JP までの登りもこれまでのように岩を巻く、バリズボ、足を引き抜く、の繰り返しで発狂しそう。c1831 は八剣山の 9pit の拡大版といった感じだった。ナメワッカ JP に着くころにはみんなくたくたで、風も強くなり、ヘロヘロで 10.5 の沢カールまで。
最低コルまでの下りは容易。Ωの予定だったが、吹き溜まらなそうで風もしのげるいい感じの場所があったので幕営。疲れた。
C6〜札内 JP〜札内岳北東尾根〜ピリカペタヌ沢〜トッタベツヒュッテ=C7(12h30m)
高気圧が来る予報だったので、一発モルゲンロートカールスキーをキメてやろうと 5:30 にテントを出る。濃紺な空に赤い地平線が良く映える。本山行で唯一の朝焼けだ。カール上から滑れそうなラインを模索するも、風が強くウィンドスラブの懸念があったし、雪がガリガリであり全視がとれそうな良いラインがなかった。今日の行動時間が長いこともあってスキーは諦めることとする。
札内 JP までは全て SE で行った。広く岩なども出ていないので容易だが、カリカリで段差もあるので苦手な人はアイゼンの方が無難だろう。天気はいいのだが風が強く、西から絶え間なく気にならない風が吹きつけて寒い。寒いので、EP に換えて札内 JP からもそそくさと東西稜線へと進む。主稜線さようなら、ありがとう。
c1850 付近は岩が出ているのでパヤパヤカンバの北側を巻くが、ズボズボだし板が引っかかるしとても不快。懸念していた東西稜線の雪庇は大きく発達しているものはなく、基本南側に出ていて両面雪庇という感じでもなかった。今年は雪が少なかったのだろうか。アイゼンのズボズボが辛すぎて c1816 からはスキーにする。沈まない!やはり板は偉大だ。Schi heil. 結局札内まで全部スキーで行けた。
最低コルあたりでようやく風が弱くなり、ほっと一息。札内ピークまでは尾根も広く容易で、何度も振り返りながら歩いた。ピークについて写真撮影。札内は日高の展望台と言われるだけあって日高の稜線が全て見渡せる。去年歩いた稜線、自分たちが昨日歩いてきた稜線、まだ歩いたことがない稜線。7 日間目覚ましで使っていたブルーハーツの歌が自然と頭の中で流れる。ようやく会心の「青空」であった。
今日頑張ればヒュッテまで下せるのではないか、ということになり気合で北東尾根を下まで降ろすことに。日高の稜線さようなら、ありがとう。
序盤の急なところはツボでおろし、あとは c1590 の尾根頭までシール。他にも下降尾根はあるのだが、昨年小山行で使った尾根だったのでここを使うことにした。
今までの緊張感や疲れが一気に来たのだろうか、ここにきて LsL ともに戦闘不能状態に。今までトップを歩かず体力を温存していたMが引っ張ってくれて助かった。ここからピリカペタヌ沢までのスキーもただただしんどい。4 年間で初めて下山スキーしたくないと思った。ここでもMが引っ張ってくれて何とか沢へ。もう登らなくていいし、もう滑らなくていいんだという解放感と、日高の深部から安全圏まで帰ってこられたんだ、という安心感で、すっかり脱力して座り込んでしまった。
しっかりと休憩した後、ラテルネをつけてヒュッテまで。Mと握手を、sLと抱擁をした。中に入って薪ストーブをつけて、久しぶりの暖かさを享受した。残った飯をいっぱい食べて、寝ながら 7 日間の出来事を 3 人で話した。夜はどんどん更けていった。こうして山行は、部活は終わっていくんだな、と思った。
C7〜最終除雪地点(30m)
朝、ヒュッテの外は春の陽気だった。下界に降りてきたんだな、と感じてうれしく思うのと同時に、もう少し居たかったなという思いも芽生えてきた。去年は 6 日目にもなると下界が恋しかったのに、今年は帰りたいと思うことはほとんどなかった。
最終除雪地点まで歩くと、また脱臼Mが迎えに来てくれた。温泉に入って飯を食っておしまい。ありがとうございました。これからも頑張ろう。
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2年間焦がれた白いカムエク
延々と続く主稜線
月明かりの下歩くピリカペタヌ沢
一生忘れない山行になりました
ありがとうございました
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ありがとうございます
kneetateさんとtaanabeさんのお陰です
ありがとうございます。
報告書送らせていただきます
(普通はデポする笑)
ようやく行けて良かった
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