24.燧ヶ岳 「遥かなる尾瀬」
- GPS
- 32:00
- 距離
- 21.6km
- 登り
- 1,008m
- 下り
- 1,115m
コースタイム
7月17日(二日目):下田代キャンプ場−龍宮小屋−山ノ鼻−鳩待峠
天候 | 雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2006年07月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
○尾瀬へのアクセスは東武鉄道の「尾瀬夜行 23:55」を利用しました。この電車は夏季限定運行ですが、23:55に東武浅草駅を出発。4:20に会津高原尾瀬口に到着します。僕は東京に着いて、浅草駅の窓口で購入したのですが、ゆったり余裕を持って座ることが出来ましたが・・・・ 眠れなかった! なお、乗車券の他にビニールで出来た枕がもらえます。 ○この時期はニッコウキスゲが最盛期なので、雨でも行く価値はあるかな? |
写真
感想
第24座 遥かなる尾瀬
尾瀬は僕がいきたかったところのひとつであった。その理由は唱歌「夏の思い出」から来ており、夏=尾瀬=ミズハショウという方程式(?)が僕の頭にあったからだ。この時期だと残念ながらミズバショウの季節が終わってしまったが、ミズバショウだけではない、色とりどりの花々が僕を迎えてくれることを期待して尾瀬に向かった。
7月15日の夜、僕は23時50分発の尾瀬夜行の電車に乗るべく東武浅草駅にいた。満員だったらどうしようと思いつつ、当日に浅草駅の窓口で問い合わせたら無事に乗車券を手に入れることが出来た。乗客はさほど多くはなく、混雑に悩まされることなく会津高原尾瀬口駅まで到着した。
会津高原尾瀬口駅からはバスに乗り換えとなる。既に6台前後のバスが待機しており、夜行電車に乗った乗客全てがバスに分乗し沼山峠へと向かった。その道中はカーブが多く、揺れが激しく寝ることが出来なかった。沼山峠に着いたときは雨が降っており、多くの登山者は雨がしのげる限られたスペースで雨具を着込み、次々と尾瀬沼へ向かう登山道に入っていった。僕も人が少なくなったときを見計らい雨具を着込んで6時45分に出発した。
僕が今通っている道は沼田街道と呼ばれ、江戸時代に整備されたとか。現在は木道が架けられていて比較的歩きやすい。1時間歩いたところで視界が開け、大江湿原とその向こうに尾瀬沼が見えてきた。湿原にはニッコウキスゲのオレンジ色の花々が咲き誇っていた。いきなりこんな絶景に出会えるとは思ってなかったので、本当に心を奪われた思いであった。僕は近くにある尾瀬沼ビジターセンターや長蔵小屋に立ち寄り、休憩した後、燧ヶ岳へ向かって出発した。
尾瀬沼を後にして、長英新道と呼ばれる登山道へ入った。ここからは木道で保護された道ではなく、ぬかるんだ道に変わった。森の中を徐々に登っていくが、比較的順調に登れるかなと思ったが、それは甘かった。進むに従い急勾配になり、登山道は雨水が流れ落ち川と化していた。僕のザックにはテント、シュラフ、マットが入っており、30〜40リットルザックを背負っている登山者が多い中、ひときわ目立ち重くのしかかった。それゆえに段差がきついところでは自分の身体を上に登りきれず、何度も足を滑らしながらもやっと登ったこともあった。いくら登っても森林限界を越えられず、この登り坂が永遠に続くのではないかと思った。
やっとのことでミノブチ岳に着いた。森林限界を越えているし、ケルンが積まれているから間違いはないだろう。雨は相変わらず降っており、晴れていれば日光連山が眺めることが出来るそうだが、それは霧の中で全く見えなかった。それどころかこの先の道すらも見えず、慎重に山頂へと続く登山道をたどった。そして13時10分にまずマナイタグラに到着した。ここは祠と三角点があるほうの山頂である。僕はここで記念撮影と三角点踏みを済ませ、最高峰がある山頂、シバヤスグラへ向かった。せっかく登ったのにもったいないなぁ〜と思いつつ降ってまた苦しみながらも登ったところがシバヤスグラである。
シバヤスグラの山頂は最高峰を示す立派な石碑があるだけで、マナイタグラと比べると地味な感は否めないが、それでも最高峰は最高峰だ。ここでも霧で何も見えなかったので、記念撮影をして山を降りた。急坂を慎重に降りつつ、見晴新道に入った。この登山道もまた川と化しており、飲み水が尽きかけていたので、足を洗うように流れるその水がおいしそうに思えた。いくら降っても見晴には着かず、ここでもこの降り道が永遠に続くのではないかと思った。見晴新道に入って2時間半はたったであろうか? やっと木道を見つけた。それにしても今日は長かった。地図の上でのコースタイムは約8時間なのに、10時間45分もかかって、約3時間のオーバーとなった。雨と重い荷物を考えたらやむを得ないところであろうか? とにかくここから下田代キャンプ場までは目と鼻の先だ。
キャンプ場の近くに燧小屋でテント設営の手続きをするのだが、その前に水場で水をがぶ飲みし、顔を洗って受付へ向かった。その前に若い男性の二人組が手続きをしていた。その会話の中で、500円を払えば小屋の風呂に入れると聞いた僕は、自分の番になると、設営料と共に風呂代も払ったのはいうまでもなかった。それにしても山の中で風呂に入れるとは思ってもいなかったので、地獄に仏とはこのことをいうのだなと思った。石鹸などは使えないが、湯船に浸かれる幸せは本当に格別だった。これで雨が降っていなかったら最高だけれどなぁ〜。
7月18日早朝、雨の降る中、テントを撤収し、尾瀬ヶ原を縦断して至仏山へ向かう形で山ノ鼻へと向かった。湿原にはニッコウキスゲが咲いていたが尾瀬沼ほど多くは咲いていなかった。龍宮小屋を過ぎたあたりで至仏山の山頂を覆っていた雲が取れて、全容が見えた。後ろを振り返ると燧ヶ岳もまた全容をさらけだしていた。深田久弥は「日本百名山」の中で燧ヶ岳は厳父で至仏山は慈母と表現していたが正しくその通りだと思った。燧ヶ岳はいかつい骨太なイメージの山容であった。左手方向の山頂にふたつコブ状の盛り上がりがあるがあれはマナイタグラとシバヤスグラであろう。そして正面を振り返ると至仏山が見えた。今回この山に登れないのは残念だが、いつかは登ってやるぞと心に誓いつつ、再び足元の木道を踏みしめ歩き始めた。
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