椹島より悪沢岳(荒川三山)、赤石岳、小河内岳、三伏峠
- GPS
- 103:00
- 距離
- 60.5km
- 登り
- 4,808m
- 下り
- 4,556m
コースタイム
畑薙第一ダム→椹島
<7月25日> 晴れのち曇り
椹島→蕨段→千枚小屋
<7月26日> 晴れのち曇り
千枚小屋→千枚岳→悪沢岳→荒川中岳→荒川小屋
<7月27日> 晴れのち雷雨
荒川小屋⇔赤石岳、荒川小屋→荒川前岳→高山裏避難小屋
<7月28日> 晴れのち曇り
高山裏避難小屋→小河内岳→烏帽子岳→三伏峠→塩川小屋→奥沢井
アクセス |
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写真
感想
大学浪人時代、暑い都内で燻っていても気が滅入るばかりだったので、
高校の同級生KKと南アに登ることにしました。
目的地は憧れの荒川三山・赤石岳に。
東京駅23:20発の大垣行き夜行列車に乗り、金谷で下車。
寝過してしまうとまずい、ということが頭にあり、ほとんど寝られませんでした。
その後、大井川鉄道とバスを乗り継ぎ、終点畑薙第一ダムに到着。
いよいよ椹島までの長い林道歩きのスタートです。
この当時は東海フォレストの送迎バスはなかったため、約5時間の行程を歩くしかありませんでした。
歩き始めて30分ほどすると、左手にあの「畑薙大吊橋」が見えてきました。
当時の吊橋の幅は写真を見てわかると思いますが本当に狭く、
大荷物を持って渡るのはかなり怖そうでした。
(この4年後に渡ることになりましたが・・・)
この林道歩きはある程度覚悟していましたが、単調で参りました。
こんな時に限って晴れていたし、寝不足もたたってグロッキー寸前でした。
そして多分行程の2/3ほど歩いたころ、東海フォレストの車が通りかかって、
情けないことに助けてもらい、乗せてもらいました。
この日は感謝を込めて、テントを張らずに椹島ロッジの自炊棟に宿泊することにしました。
今は本当に便利になりましたね。
2日目は千枚小屋まで。
特に急な登りはありませんでしたが、ほとんど展望もなく長く感じました。
ただ時折、樹間より赤石岳や荒川三山が見え、気分は徐々に高揚してきました。
そしてダラダラと6時間ほど歩いて到着した千枚小屋周辺は、お花畑に囲まれた素晴らしい場所でした。
3日目、千枚岳でモルゲンロートの赤石岳を眺め、いよいよ3000mの稜線歩きです。
メインイベントの始まり!
千枚岳から西に向かうとチョッとした岩場があり、これを越えると悪沢岳への登りとなります。
ライチョウが姿を現わし、途中から大きな岩の間を登るようになり、間もなく山頂に到着しました。
1977年当時は3143mの高さだった山頂からは360°の大展望!
特に赤石岳の姿は千枚岳から見たものよりスマートで、秀逸でした。
山座同定を楽しんだ後、急坂を駆け降りるようにしてコルに降りると、荒川中岳への登りが待っています。
この登りからガスが発生し、中岳も前岳も全く展望なし。
仕方なく荒川小屋に向かいました。
この間にあるお花畑は素晴らしい、と聞いていましたが、
シナノキンバイ、ハクサンイチゲの白と黄色の絨毯はガスの中とはいえ、感動的でした。
そして小屋に到着後しばらく様子をみていましたが、
ガスが取れそうもないので、赤石岳登頂は翌日にまわし、マッタリすることにしました。
4日目、いよいよ念願の赤石岳に向かいます。
日の出前に出発、ダマシノ平でご来光を仰ぎました。
荒川三山のシルエットがいい感じです。
行く手の赤石岳のまだ陽の当らない斜面をひたすら登り、小赤石岳の肩にたどり着くと、
そこからは稜線漫歩のはじまり・・・
左手には富士山、右手には中央アルプス、そして正面に赤石岳本峰が・・・
本当に贅沢なひと時でした。
最後のジグザグの登りを終えると広々とした赤石岳山頂に到達!
ここに立つことが夢だったので、念願叶い、360°の大展望を楽しみながら暫く2人で満足感を味わいました。
当時は南ア南部に入る登山者も少なく、山頂に1時間ほどいましたが、ほとんど人に会いませんでした。
帰りは下りになるため、ルンルン気分で荒川小屋に戻ります。
正面に見える荒川三山の写真を何枚撮ったことでしょうか?
下りきった大聖寺平でも再びまったりした時間を過ごしました。
さて荒川小屋に戻ると再び重い荷物を担いで、昨日あれだけ下った道を登り返します。
あのお花畑を観賞しながらの登りはさほど苦にならず、前岳と中岳の中間に到着。
残念ながら赤石方面は雲の中で、仕方なく北に進みます。
この日は当初の計画では三伏峠まででしたが、赤石登頂をこの日にずらしたため、
高山裏までとしました。
下り始めは荒川前岳の崩壊壁のへりについている道を進み、
いよいよ600m差の大下りです。
ここはまだガスられておらず、直射日光の降り注ぐ中、下りでも喘ぎながら歩き、
やっと下り終えても、そこから避難小屋までの樹林帯の道が長かったことを記憶しています。
そしてやっとのことで高山裏避難小屋に到着。
とてもテントを設営する気にもなれず、また避難小屋も当時は管理人のいない文字通り避難小屋で無料だったので、
こちらを使わせてもらうことになりました。
宿泊者は我々のほかに2名。4名でちょうどいいくらいのこじんまりとした小屋でした。
その後夕食も終わり、寝袋に入ると、ものすごい雨が降り出しました。
寝場所は屋根裏なので、トタンにあたる雨の音が凄く、すぐに寝付けませんでした。
でもこの日はテン泊でなくてよかった、と思っていました。
5日目、最終日のスタートは樹林帯の地味な道がしばらく続きました。
振返れば昨日下った荒川岳の斜面が見え、正面には小河内岳が見えてきます。
再び森林限界を超え、ハイマツの道を登ると小河内岳の山頂に着きました。
が、楽しみにしていた塩見岳方面は雲に隠れて見えず。
仕方なく、当時はおんぼろ小屋だった小河内岳避難小屋で小休止。
ここで相棒と今後どうするか相談。
三伏峠でもう1泊し、塩見の雄姿を見るか? もう下山するか?
2人共まともな飯と風呂に入りたかったので、塩見岳見物をあきらめ塩川方面に下山することにしました。
結局正面に見えそうで見えない塩見岳の幻を見ながら、三伏峠に到着。
何を食べたか覚えていない昼食をここでとり、塩川までの急坂を一気に駆け降りました。
塩川に降りると一気に夏の気候です。
この当時はここまでバスが来ていなかったので、林道を奥沢井までダラダラと歩き、
ここでバスに乗り、次の鹿塩で下車。
飛び込みでしたが良さそうな宿を見つけ、料金を尋ねると2食付きで 1人3,700円。
財布の中を覗き込み、何とか足りそうだったのでお世話になることにしました。
この宿の名前は「山塩館」。
今では立派な温泉宿になっていますね。
こんな山中で塩の味がする不思議な温泉だったことを記憶しています。
翌日はバスと電車を乗り継ぎ、辰野まで。
ここで腹が減り、2人の財布の中身を合計すると2000円ほどしか・・・
昼を抜いて急行に乗るか?それとも昼を食べて鈍行で帰るか?
もちろん若い2人は空腹に耐えきれず、後者を選択。
食べたのはカレーライスだったことの記憶があります。
その後何とか無事に地元にたどり着いたときには、2人の残金は合計100円もありませんでした。
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