板橋からチャリでスタートです。前日の疲れと、当日は暑くなりそうなので、マリンちゃんを導入しました。
3
7/2 10:40
板橋からチャリでスタートです。前日の疲れと、当日は暑くなりそうなので、マリンちゃんを導入しました。
まずは石神井川を少し遡って氷川町の氷川神社へ。
3
7/2 10:44
まずは石神井川を少し遡って氷川町の氷川神社へ。
御由緒と富士塚の説明
2
7/2 10:45
御由緒と富士塚の説明
塚にはいくつもの境内社が集められていました。夫々の参道が数本があります。向かって右手前から厳島神社、その奥に古峯神社、お狐と石鳥居の先は稲荷神社、
5
7/2 10:51
塚にはいくつもの境内社が集められていました。夫々の参道が数本があります。向かって右手前から厳島神社、その奥に古峯神社、お狐と石鳥居の先は稲荷神社、
稲荷社は「笠間稲荷大明神」が勧請されているようです。
2
7/2 10:54
稲荷社は「笠間稲荷大明神」が勧請されているようです。
塚の中央にある一番立派な社は天祖神社です。
4
7/2 10:56
塚の中央にある一番立派な社は天祖神社です。
いいお顔の狛犬さん(安政六年、1859)です。
4
7/2 10:57
いいお顔の狛犬さん(安政六年、1859)です。
「氷川町氷川神社富士塚」食行身禄の高弟、永田長四郎(心行長照)を講祖とする永田講中(板橋宿仲宿・平尾宿、上板橋宿の一部の人を中心に構成)による造成。
2
7/2 11:00
「氷川町氷川神社富士塚」食行身禄の高弟、永田長四郎(心行長照)を講祖とする永田講中(板橋宿仲宿・平尾宿、上板橋宿の一部の人を中心に構成)による造成。
石鳥居の手前に庚申塔のある石段(参道)、途中左手にあるのは三峯神社のお社。
3
7/2 11:02
石鳥居の手前に庚申塔のある石段(参道)、途中左手にあるのは三峯神社のお社。
入口右手には永田講中が奉献した手水鉢があります。右側面に「世話人 中組講中」左(紀年銘)は確認できず。石段奉納碑「中宿/奥州屋玉吉」には「弘化四未」(1847)とあります。
2
7/2 11:06
入口右手には永田講中が奉献した手水鉢があります。右側面に「世話人 中組講中」左(紀年銘)は確認できず。石段奉納碑「中宿/奥州屋玉吉」には「弘化四未」(1847)とあります。
そして「<講紋 山に永田>紺屋童子」の講碑(大正十一年、1922)。石工銘もあり「当町 石初刻」
3
7/2 11:07
そして「<講紋 山に永田>紺屋童子」の講碑(大正十一年、1922)。石工銘もあり「当町 石初刻」
山上(塚の山頂部左端)に浅間神社の石祠があります。台石の正面には「永田 同行」、側面には「當所 中宿」の願主銘列刻。
3
7/2 11:11
山上(塚の山頂部左端)に浅間神社の石祠があります。台石の正面には「永田 同行」、側面には「當所 中宿」の願主銘列刻。
祠の右に「于時安政二卯歳夏六月朔日(1855)」、左「五穀豊穣家内安全」とあります。
2
7/2 11:11
祠の右に「于時安政二卯歳夏六月朔日(1855)」、左「五穀豊穣家内安全」とあります。
そしてさらに左斜面には
3
7/2 11:16
そしてさらに左斜面には
「小御嶽石尊大権現/安政四丁巳年六月吉・(1857)/願主 伊勢谷利(右衛門) 綿屋萬・・・」が祀られています。
3
7/2 11:15
「小御嶽石尊大権現/安政四丁巳年六月吉・(1857)/願主 伊勢谷利(右衛門) 綿屋萬・・・」が祀られています。
本社(氷川神社)の参道。(石燈籠)台石に「平尾 願主萬屋利助」
2
7/2 11:18
本社(氷川神社)の参道。(石燈籠)台石に「平尾 願主萬屋利助」
粉犬の台石には「弘化二年乙巳年四月吉日(1845)/當所中宿・・利右衛門」とありました。
2
7/2 11:21
粉犬の台石には「弘化二年乙巳年四月吉日(1845)/當所中宿・・利右衛門」とありました。
通りがかりの子易神社、御祭神が「木花開耶姫命」とのことで立ち寄ってみました。
2
7/2 11:33
通りがかりの子易神社、御祭神が「木花開耶姫命」とのことで立ち寄ってみました。
旧金井窪村の鎮守、安産・子育ての神として信仰を集め、富士信仰ともかかわりがあるとのこと。境内に子安観音、入口に身代地蔵尊があります。
3
7/2 11:36
旧金井窪村の鎮守、安産・子育ての神として信仰を集め、富士信仰ともかかわりがあるとのこと。境内に子安観音、入口に身代地蔵尊があります。
狛犬さんはどちらも躍動的で飛びかかってきそうです。
6
7/2 11:36
狛犬さんはどちらも躍動的で飛びかかってきそうです。
残念ながら塚らしきものはありませんでしたが、貸切で茅の輪くぐりをしてから退社しました。
4
7/2 11:37
残念ながら塚らしきものはありませんでしたが、貸切で茅の輪くぐりをしてから退社しました。
そして本日のメインの池袋氷川神社。
3
7/2 11:47
そして本日のメインの池袋氷川神社。
何度も来ていますが、登拝は初めてです。こちらにも茅の輪がありました。
2
7/2 11:49
何度も来ていますが、登拝は初めてです。こちらにも茅の輪がありました。
御祭神と御由緒
1
7/2 11:49
御祭神と御由緒
お山開きの時だけにか登拝できません。山頂がとても狭く数人の交替制なので、待ち時間がありました。
4
7/2 11:52
お山開きの時だけにか登拝できません。山頂がとても狭く数人の交替制なので、待ち時間がありました。
柵の外にあった「月三講」奉納の手水鉢。池袋富士塚は月三 十七夜講によって明治四十五年(1012)に築かれたそうです。
3
7/2 12:07
柵の外にあった「月三講」奉納の手水鉢。池袋富士塚は月三 十七夜講によって明治四十五年(1012)に築かれたそうです。
入口から入るとすぐに狛猿的な神使いの猿像(合掌と子抱)。そして「一合目」石。お隣は「鈴原大神」かな。
5
7/2 12:11
入口から入るとすぐに狛猿的な神使いの猿像(合掌と子抱)。そして「一合目」石。お隣は「鈴原大神」かな。
「<山に護>元講社/小石川 牛込 神田」「<月三講>惣元講/落合」
3
7/2 12:11
「<山に護>元講社/小石川 牛込 神田」「<月三講>惣元講/落合」
「<月三講>富士嶽神社」「<月三講>十七夜元講」
3
7/2 12:11
「<月三講>富士嶽神社」「<月三講>十七夜元講」
「富士子社」? 「御座石」神が依りつく神聖な石。角行の修行地。
3
7/2 12:11
「富士子社」? 「御座石」神が依りつく神聖な石。角行の修行地。
「<月三講>十七夜同行/金井窪」、奥に「三合目」石。
3
7/2 12:11
「<月三講>十七夜同行/金井窪」、奥に「三合目」石。
「<ヤマに丸仙>神田講社」
3
7/2 12:11
「<ヤマに丸仙>神田講社」
「間無妙法蓮華経」題目搭。日蓮上人が法華経を納めたとされる“経ヶ岳”を示すものと思われます。
3
7/2 12:13
「間無妙法蓮華経」題目搭。日蓮上人が法華経を納めたとされる“経ヶ岳”を示すものと思われます。
「猿田彦大神」分かりずらいですが線刻像もあります。
4
7/2 12:14
「猿田彦大神」分かりずらいですが線刻像もあります。
「御中道」石標と「七合目」石。その上に見えるのは烏帽子岩かな。
3
7/2 12:14
「御中道」石標と「七合目」石。その上に見えるのは烏帽子岩かな。
急峻な池袋富士の山頂部。登拝者の安全確保のため、命綱をつけた係員の方もおります。暑い中ご苦労様でした。
8
7/2 12:15
急峻な池袋富士の山頂部。登拝者の安全確保のため、命綱をつけた係員の方もおります。暑い中ご苦労様でした。
富士講開祖角行像でしょうか。
4
7/2 12:15
富士講開祖角行像でしょうか。
山頂から登山口方面の眺め
3
7/2 12:17
山頂から登山口方面の眺め
次の登拝を待つ方々
3
7/2 12:17
次の登拝を待つ方々
本日は晴天なり
3
7/2 12:17
本日は晴天なり
山頂には浅間神社の石宮と「浅間大神」碑。
5
7/2 12:18
山頂には浅間神社の石宮と「浅間大神」碑。
裏手に下山道もありますが、危険なため立入禁止になっています。
2
7/2 12:18
裏手に下山道もありますが、危険なため立入禁止になっています。
登山路下り、別の経路先にある「小御嶽山」。残念ながらこれ以上近づくことはできません。右に大天狗、左に小天狗像があります。
3
7/2 12:20
登山路下り、別の経路先にある「小御嶽山」。残念ながらこれ以上近づくことはできません。右に大天狗、左に小天狗像があります。
「<丸参?>伊藤講中」
2
7/2 12:20
「<丸参?>伊藤講中」
「泉瀧」泉ヶ滝もありました。
2
7/2 12:20
「泉瀧」泉ヶ滝もありました。
「<月三講>中丸講」
3
7/2 12:21
「<月三講>中丸講」
子抱の猿さんに挨拶をして下山完了。
5
7/2 12:21
子抱の猿さんに挨拶をして下山完了。
お山開きの御朱印(500円)をいただきました。この後、次の目的地に向かいましたが、ちょっと分かりづらかったです。巡回のパトカーも分からないとの事。
5
7/2 12:24
お山開きの御朱印(500円)をいただきました。この後、次の目的地に向かいましたが、ちょっと分かりづらかったです。巡回のパトカーも分からないとの事。
そして豊島長崎の富士塚、長崎富士です。月三椎名町元講によって文久二年(1862)に築造されたと考えられているそう。
2
7/2 12:47
そして豊島長崎の富士塚、長崎富士です。月三椎名町元講によって文久二年(1862)に築造されたと考えられているそう。
石鳥居(大正六、1917)の先の石燈籠(昭和十五、1940)は厳重にガードされています。手前にはフリーの
2
7/2 12:47
石鳥居(大正六、1917)の先の石燈籠(昭和十五、1940)は厳重にガードされています。手前にはフリーの
月三講奉納の手水鉢。こちらの方が歴史的価値はありそうですが・・
4
7/2 12:47
月三講奉納の手水鉢。こちらの方が歴史的価値はありそうですが・・
「五郎久保中/文久二壬戌年六月吉日(1862)」
2
7/2 12:48
「五郎久保中/文久二壬戌年六月吉日(1862)」
「月三 椎名町元講社」石標。普段は富士は柵の中ですが、本日は登拝できます。
5
7/2 12:49
「月三 椎名町元講社」石標。普段は富士は柵の中ですが、本日は登拝できます。
「<月三>椎名町元講社」(昭和十四年、1939)
3
7/2 12:51
「<月三>椎名町元講社」(昭和十四年、1939)
神使いの猿さんかな。台石に「板橋御法(會)中」
4
7/2 12:51
神使いの猿さんかな。台石に「板橋御法(會)中」
「<月三>當所元同行」歌碑、「文久二年壬戌春・・(1862)」
2
7/2 12:52
「<月三>當所元同行」歌碑、「文久二年壬戌春・・(1862)」
月三講碑「明治十三年七月(1880)建之/願主同村西原 小川甚五郎」
2
7/2 12:52
月三講碑「明治十三年七月(1880)建之/願主同村西原 小川甚五郎」
山頂に集う方々
6
7/2 12:54
山頂に集う方々
「<月三>下落合元同行」
3
7/2 12:54
「<月三>下落合元同行」
「奉納<月三>三合目」
2
7/2 12:54
「奉納<月三>三合目」
“経ヶ岳” 題目搭「<丸に四つ目菱>南妙法蓮華経」。「池植金」とは?造園関係?
2
7/2 12:55
“経ヶ岳” 題目搭「<丸に四つ目菱>南妙法蓮華経」。「池植金」とは?造園関係?
不動三尊坐像。台座に「雲切不動」、台石に「奉納 西向中」。右脇侍に矜迦羅童子、左に制咤迦童子。小天狗
3
7/2 12:56
不動三尊坐像。台座に「雲切不動」、台石に「奉納 西向中」。右脇侍に矜迦羅童子、左に制咤迦童子。小天狗
隠れるように首なしの大日如来像がありました。台石には月三講紋があります。もしかしたら頂上の大日尊の先代かな?
2
7/2 12:57
隠れるように首なしの大日如来像がありました。台石には月三講紋があります。もしかしたら頂上の大日尊の先代かな?
小天狗(烏天狗)像(大正六年、1917)。後ろには太郎坊の石塔が見えます。
4
7/2 12:57
小天狗(烏天狗)像(大正六年、1917)。後ろには太郎坊の石塔が見えます。
もちろん大天狗像も。
4
7/2 12:58
もちろん大天狗像も。
「太郎坊大権現/大天狗 小天狗」(文久二壬戌年春、1862)富士の南側を守護、一方北側を守護するのが小御嶽正真坊だそうです。「小日向隆慶橋 願主冨永正五郎/源直徳/同 隠居/世話人當所大和田 儀右衛門」
3
7/2 12:58
「太郎坊大権現/大天狗 小天狗」(文久二壬戌年春、1862)富士の南側を守護、一方北側を守護するのが小御嶽正真坊だそうです。「小日向隆慶橋 願主冨永正五郎/源直徳/同 隠居/世話人當所大和田 儀右衛門」
五合目石
3
7/2 12:59
五合目石
「<月三>奈加井同行」
2
7/2 12:59
「<月三>奈加井同行」
六合目石
2
7/2 13:00
六合目石
「北口元祖<永田講>板橋惣同行/大先達長四郎」他世話人数名と歌(文久三、1863)。本日最初に訪ねた富士塚の講ですね。
2
7/2 13:01
「北口元祖<永田講>板橋惣同行/大先達長四郎」他世話人数名と歌(文久三、1863)。本日最初に訪ねた富士塚の講ですね。
「亀岩 八大龍王神」がありました。
2
7/2 13:01
「亀岩 八大龍王神」がありました。
こちらは「小御嶽大権現/大天狗 小天狗」
3
7/2 13:03
こちらは「小御嶽大権現/大天狗 小天狗」
七合目石。順路案内はありますが、かなり複雑?
2
7/2 13:03
七合目石。順路案内はありますが、かなり複雑?
「日御子様 再建 下・・」
3
7/2 13:04
「日御子様 再建 下・・」
九合目石はちょっと隠れた所にありました。
2
7/2 13:05
九合目石はちょっと隠れた所にありました。
山頂より登山口方面の眺め
4
7/2 13:05
山頂より登山口方面の眺め
この時は、まだまばらの人出でしたが、次第に人が増えてきました。
3
7/2 13:05
この時は、まだまばらの人出でしたが、次第に人が増えてきました。
山頂の片隅に薬師如来坐像。久須志嶽(薬師堂、久須志神社)を示していると思われます。
4
7/2 13:06
山頂の片隅に薬師如来坐像。久須志嶽(薬師堂、久須志神社)を示していると思われます。
そして頂上石宮(文久二年、1862)。「地元篠直次郎」銘があります。そして祠内には
3
7/2 13:06
そして頂上石宮(文久二年、1862)。「地元篠直次郎」銘があります。そして祠内には
大日如来坐像が祀られています。浅間大神(木花咲耶姫命)の本地仏が大日如来です。
3
7/2 13:07
大日如来坐像が祀られています。浅間大神(木花咲耶姫命)の本地仏が大日如来です。
ただ台石には「<月三講>昭和・・土木建築請負業新井勝見」とあるので新しいものかもしれません。山頂に大日・薬師像がある富士塚は初めてです。
2
7/2 13:07
ただ台石には「<月三講>昭和・・土木建築請負業新井勝見」とあるので新しいものかもしれません。山頂に大日・薬師像がある富士塚は初めてです。
北(裏)側には急峻な下山路がありました。こちらは通禁にはなっておらず、お嬢ちゃんがたっての希望で挑戦していました。
2
7/2 13:07
北(裏)側には急峻な下山路がありました。こちらは通禁にはなっておらず、お嬢ちゃんがたっての希望で挑戦していました。
小天狗さんの羽。大天狗さんのはもう少し大きめでしたがボケちゃいました。
3
7/2 13:10
小天狗さんの羽。大天狗さんのはもう少し大きめでしたがボケちゃいました。
浅間神社本殿横にある月三椎名町元講社の奉納額
2
7/2 13:12
浅間神社本殿横にある月三椎名町元講社の奉納額
拝殿の奥には三峯神社、
2
7/2 13:13
拝殿の奥には三峯神社、
弁財天、
2
7/2 13:15
弁財天、
「石尊大権現/大天狗 小天狗」もありました。太郎坊、小御嶽、石尊の大天狗小天狗が揃踏みですね(笑)。
2
7/2 13:16
「石尊大権現/大天狗 小天狗」もありました。太郎坊、小御嶽、石尊の大天狗小天狗が揃踏みですね(笑)。
登拝者が増えてきました。帰り道には富士に向かう街歩きツアー御一行に遭遇、いいタイミングで登ることができました。
6
7/2 13:18
登拝者が増えてきました。帰り道には富士に向かう街歩きツアー御一行に遭遇、いいタイミングで登ることができました。
麓の隅に石造が集められていました。右は入口近くにあったお猿さんの相棒でしょうか。左は行者像(角行?身禄?)のような気がします。
3
7/2 13:19
麓の隅に石造が集められていました。右は入口近くにあったお猿さんの相棒でしょうか。左は行者像(角行?身禄?)のような気がします。
ショケラ持ちの青面金剛「宝暦十一年辛巳三月吉日」(1761)は当然後の移設ですね。
3
7/2 13:19
ショケラ持ちの青面金剛「宝暦十一年辛巳三月吉日」(1761)は当然後の移設ですね。
精悍な不動明王坐像。迦楼羅炎が燃え燃えです。
6
7/2 13:20
精悍な不動明王坐像。迦楼羅炎が燃え燃えです。
「<月三講>當山再建/文久二秊壬戌 旾(1862、春)」
1
7/2 13:21
「<月三講>當山再建/文久二秊壬戌 旾(1862、春)」
御胎内
1
7/2 13:22
御胎内
壮観な富士塚です。
6
7/2 13:23
壮観な富士塚です。
浅間神社では獅子舞やお囃子が奉納されていました。
3
7/2 13:26
浅間神社では獅子舞やお囃子が奉納されていました。
この後、境内の見物人の頭を噛んで周りました。
5
7/2 13:31
この後、境内の見物人の頭を噛んで周りました。
最後は大天狗小天狗のツーショットでお別れです。黒ボク使いの姿形といい、石分といいとても充実じた富士塚でした。来年も是非登拝したいものです。
3
7/2 13:33
最後は大天狗小天狗のツーショットでお別れです。黒ボク使いの姿形といい、石分といいとても充実じた富士塚でした。来年も是非登拝したいものです。
東上線大山駅近くの『マナカマナ』、1998年創業のカレー屋さん。
2
7/2 13:50
東上線大山駅近くの『マナカマナ』、1998年創業のカレー屋さん。
ランチバイキング(1150円)、以前は良く来ましたが、久しぶりです。食べ過ぎ要注意です。
2
7/2 13:50
ランチバイキング(1150円)、以前は良く来ましたが、久しぶりです。食べ過ぎ要注意です。
ターメリックライスにアチャール、ネパール風唐揚げ、カレーは上からキーマ、ダル、チキン。
4
7/2 13:55
ターメリックライスにアチャール、ネパール風唐揚げ、カレーは上からキーマ、ダル、チキン。
中のカレーはベジタブル。
5
7/2 14:04
中のカレーはベジタブル。
珈琲、ネパールアイスティもお替り自由。デザートはフローズンヨーグルト?。やっぱり食べ過ぎちゃいました。
5
7/2 14:13
珈琲、ネパールアイスティもお替り自由。デザートはフローズンヨーグルト?。やっぱり食べ過ぎちゃいました。
暑いし、石分もお腹いっぱいになったので、ゴールにしました。
3
7/2 14:29
暑いし、石分もお腹いっぱいになったので、ゴールにしました。
<オマケ>赤羽台斜面のカサブランカ。咲くのはもう少し先みたいです。刈られる前にお花が見たいものです。
3
7/2 14:53
<オマケ>赤羽台斜面のカサブランカ。咲くのはもう少し先みたいです。刈られる前にお花が見たいものです。
<追記>咲いています!
0
7/13 18:16
<追記>咲いています!
今年も花期は草刈りまで、となるのでしょうか。
0
7/13 18:21
今年も花期は草刈りまで、となるのでしょうか。
タイトル勝手に借用させてもらって申し訳ありません。
現代でもそうですが、やはり江戸の人たちにも富士は憧れのお山で、気軽に旅行や、ましては登拝ができなかった時代には、身近な富士塚がさぞかし信仰や癒しの場になっていたのでしょうね。地縁や信仰心もますます希薄になる世の中ですが、富士塚のお山開きの伝統は残ってほしいものです。同じく件のカサブランカも残ってほしいものです。無事に開花したらまたご報告いたします。それでは。godohan
どこの富士塚も大賑わいですね。お山開きしか登れないとは。待っていた方々が沢山いるのですね。豊島長崎の富士塚は、迫力も、見応えもあってすごいですね。富士塚に登りたくなりました。獅子舞も好きなんですが、ずいぶん見てないです。頭を噛んでもらいたいです。子易神社の飛びかかってきそうな狛犬も可愛いですね。飛びかかってきたら、抱きしめちゃいますね。
都内にはいくつか登拝日が限られた富士塚があるので、山旅のすき間で登って見たいと思います。
長崎富士は山頂の石宮に大日様がいらしてホント感動しました。さらにその脇には薬師様まで。なかなかここまで揃えてくれる富士塚はないと思います。ただ首のない大日様が隠れるようにポツンとされていたのには、ちょっと涙してしまいました。獅子舞も良かったですが、個人的には篠笛の方に気を取られてしまいました(笑)。松島トモコさんもビックリですね。それでは。 godohan
関東と違ってそもそも富士山が見れない九州では富士山信仰はありません(多分)ので、富士塚と言う存在自体を知りませんでした。富士塚が近くにあってもいつでも登れる訳ではないのですね。目の前にあっても開山日だけしか登れないとか何とも特別感があって期間限定大好きには堪らない設定ですね。
先日たまたま最近マイブームのやさしい民俗学#39で今回の池袋の富士塚が話題の一つとして取り上げられていました。ここ最近2回の富士講レコの写真を見ていたおかげで話の内容が具体的にイメージできました。
あの信長さえ富士を見たのは、武田と戦った帰り道だったそうですから、ましてや当時の九州の方には“富士”と言われてもピンとこなかったでしょうね。全国に流布するのは参勤交代や交通網が整備さててからなんでしょうね。
やさしい民俗学、おもしろそうですね。わたしの石分補給も信仰よりは民俗学的アプローチなので、少しでもお役に立てたのなら良かったです。 それでは。 godohan
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する