妙高山・海谷三山《日本百名山》
![情報量の目安: S](https://yamareco.info/themes/bootstrap3/img/detail_level_S2.png)
![都道府県](/modules/yamainfo/images/icon_japan_white.png)
![](https://yamareco.info/include/imgresize.php?maxsize=90&crop=1&fname=%2Fuploads%2Fyp194a190f66a3f1a.jpg)
- GPS
- 17:42
- 距離
- 39.1km
- 登り
- 4,505m
- 下り
- 5,146m
コースタイム
- 山行
- 6:47
- 休憩
- 1:04
- 合計
- 7:51
- 山行
- 8:48
- 休憩
- 1:03
- 合計
- 9:51
天候 | 1日目(10/10):晴れ一時曇り 2日目(10/11):雨一時曇り 3日目(10/12):曇りのち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2008年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
下山:大神堂入口BSからタクシーで姫川・ひすいの湯(\3,830) |
その他周辺情報 | ひすいの湯入浴(\1,000) |
写真
感想
1日目(10/10):晴れ一時曇り
いつも空いている急行“きたぐに”自由席が何か大きなイベントがあったらしく満席。大阪から乗ったので何とか同行者の席も確保することができ一夜を過ごせた。直江津から乗換えた信越線の車窓は素晴らしい。妙高山から火打山の稜線が遮るものなく視界の中に入り、期待が高まる。関山駅からタクシーで関温泉に行く予定だったが、タクシーは出払っており帰って来ない。結局42分後の路線バスに乗る羽目になり朝の貴重な時間を無駄にしてしまった。
神奈山登山口(標高900m)は旅館裏の関温泉スキー場から始まり見つけ難い。作業道でリフト下をトラバースするように進み尾根に乗りリフト上部から漸く登山道となった。ゲレンデ内の道は見晴らし良く関川の対岸南東方向には斑尾山と野尻湖が望めた。その後には志賀高原の山並み、岩菅山から草津白根の稜線が横たわっていた。
関温泉から直線距離2.6劼1,000m登る急登の道を只管登った。高度を上げるに従い秋真っ盛りとなってきた。輝く黄金色の中に真っ赤に色づいたナナカマドが一際鮮やかに青空に映えている。妙高山の頂に雲が掛り始め神奈山山頂に着く頃には白いベールに覆われてしまった。妙高山は独特の形をした山で西側から見ると主峰をふわりと抱き込む着物の襟のように外輪山が取り巻き西側を北地獄谷、南地獄谷の流れで開かれている。関山辺りから見る妙高が一番美しいのではないだろうか。外輪山の一峰である神奈山(1,909m)は3等三角点「神奈山」があり主峰を北から見ることができた。
外輪山の稜線を西へと進んで行くと黒沢ヒュッテに繋がっている。しかし妙高山に行くには一旦カルデラに下り登り返さなければならない。三峰分岐で稜線と別れ急斜面を下った。眼下に大倉池があり周りの紅葉と相まって美しい。急斜面で標高差120mを下り大倉池分岐で燕温泉からの燕新道に合流した。大倉池には垣間見るだけで近づくことはできなかった。
何処から流れてくるのか硫黄臭を感じながら谷筋の道を進み妙高山と大倉山の括れに乗り上がると長助池の湿原に達した。点在する小さな水面に大倉山の山裾が映り赤、緑、黄色のコントラストが見事だ。丁度お昼時ベンチに座り休んでいると天狗平経由で妙高に登って来たという男性がカメラを出して今年の紅葉は素晴らしいと褒め称えていた。
15分程歩くと火打山方面の縦走路分岐点、ザックをデポし妙高山に向った。核心部の急登で等高線は詰り標高差は400mあるが空身になると足取りは軽い。さっきの男性と同じルートで妙高に登って来た人たちがどんどん下りて来た。流石は日本百名山、ラッシュとまで行かないのがせめてもの救いだった。標高が増すに連れ火山らしい景観となってきた。
山頂手前に1等三角点「妙高山」(2,446m)がある。立派な山頂標識があり標高2,454mと表示しているがこれは間違い。岩場の先100mほどの地点が最高所で祠のあるところがそうだ。先ずは“山頂”に登頂、上空に青空はあるが薄いガスが覆い展望は利かない。三角点に戻り記念撮影をして下山開始、数パーティーを追い越し、分岐点に戻ると登りですれ違ったにぎやかな小母さん一行に追いついた。
大倉乗越への道に踏み出すと小母さん一行の中から若い女性が後から着いてきた。できれば我々と同じ高谷池ヒュッテまで行きたいという。完全予約制が建前のこの小屋、泊めてくれるかどうかは分らない。外輪山を巻くように登り大倉乗越に達する頃、太陽輝き大倉山に日が差し、紅葉がコントラストを増した。雲に覆われていた妙高山も姿を現し感動的な眺めを味わうことができた。外輪山は北に大倉山、南に三田原山・赤倉山と連なるが藪に覆われ登山道はないようだ。妙高と反対側を見るとガスが纏わり付いているが火打山の姿も見ることがた。
外輪山を乗越して黒沢池に向けて下りとなった。黒沢ヒュッテはドーム型をしたユニークさで小屋前には人々が寛いでいた。黒沢池は笹ヶ峰に流れ落ちる黒沢の源の広い湿原でこれまた紅葉が素晴らしい。茶臼山への登りは160m程あり疲れた体には少々辛い。しかし左手には壮大な黒沢池とその向うに高妻山が聳える素晴らしい景観は、力を与えてくれる。振り返れば外輪山越に妙高山が頭を出し言うことは何もない。茶臼山(2,171m)山頂は展望もなく知らずに行き過ぎそうな所で、薄れた山頂標識があるが目立たなかった。
茶臼山から標高差60m程をだらだらと下ると木道が現れると本日の宿泊地高谷池ヒュッテが見えて来た。今日はテントを背負って来たが小屋に泊まる。1泊夕食付5,500円は安い。カレー、ハヤシライスが食べ放題だった。同行者持参の富士山の焼酎(今年添乗で10回登ったという)を飲んでいると、先ほどの女性が到着し仲間に入った。松戸に住むS藤さんで、八ヶ岳の頂上山荘でアルバイトをしていたという元気なかわいい女性だった。
食後高谷池・火打山の周辺風景、花のビデオが放映された。18:50の天気予報でテレビはお終い。明日は雨、夜行列車の疲れもあり早々に寝に着いた。同行者はとっくに夢の中。
2日目(10/11):雨一時曇り
やはり予報通り雨になった。雨具を着けて6時出発。小母さんが一人5時に出発して行った他はまだ皆小屋にいる。山はガスで何も見えない。天狗の庭の紅葉も素晴らしいが、小雨の中写真を1枚撮るのが精一杯だった。黙々と歩き火打山(2,462m)に達するが濃いガスの中で何も見えない。3等三角点「火打山」にタッチしこの山域の最高峰登頂を確かめた。
ここまでは8年前に来た道。この先は処女ルートだ。昭和49年7月焼山が突然噴火し幕営していた大学生4人が犠牲になった。その噴火以来登山が禁止されていたが平成18年、32年ぶりに登山解禁された。整備は十分でなく自己責任で行くようにとの看板もあり気を引き締めて踏み出した。西の稜線上に影火打(2,390m)があるが山頂標識もなくこの天気では周りより高いことで山頂であることを知るだけだった。長い稜線をどんどん下って胴抜けキレットと名のある最低鞍部(標高約2,025m)に到ると道は明瞭だが泥濘み滑りやすい。ここは焼山の直下、等高線が犇めくように詰り恐ろしく急登だ。
山頂に近づくとガスの臭いが漂い活火山であることを知らされた。上から朧げな人影が近づいて来る。すれ違ったのは小屋を1時間前に出発した小母さんだった。一人でこの悪天候の中、焼山をピストンして戻るところだった。雨は止んだが風が出てきた。焼山(2,400m)の山頂に達すると先ずは2等三角点「焼山」が迎えてくれた。山頂標識は無いかと探すとその先にしっかりした標識があった。三角点の標高が山岳標高とされているが実際は西側30mほどの所に岩場があり三角点より5mは高そうだ。非公認ながら実際は2,405mの高さがありそうだ。
焼山から西への下山路が岩稜帯で不明瞭、慎重にルートファインディングしていると、同行者は強風にめげて座り込み前に進めずにいる。しかし山頂域を脱しないと風は収まりそうに無く励まして進んだ。お釜を右回りに1/3周回りこむように進み岩の切れ目に垂れた鎖に縋って下る。岩場の中を目印のペンキを頼りに下って行くと風が弱まり、同行者の元気も蘇ってきた。泊岩の分岐も明瞭で簡単な標識もあった。右に曲がれば笹倉温泉に到る。縦走路は左に曲がり富士見峠へと進んだ。同行者は「休憩!」と手を上げるがもうすぐ峠だからと引っ張って行き富士見峠で大休止を取った。笹ヶ峰へ下る真川ルートが南西に分岐するがこれも難路のようだ。
富士見峠の先は刈払いが不十分との情報だったが、恐らく今年刈払われたばかりのようで、稜線の道は快適になっている。感謝の気持ちを持って雨飾山への縦走路へと踏み出して行った。稜線を忠実に辿っていた登山道が右側に逸れだすとどうやら裏金山。北側を巻いているとの情報だったのでここはネマガリタケの薮に突入し背丈を越すところもあるが藪漕ぎとしては中級程度の難度で10分余りで裏金山(2,122m)山頂に到着した。僅かに平らな地面が露出し360°見通しがありそう。青いビニールシートの切れ端に山名と標高が書かれ垂れている。これだけでもあれば嬉しいものだ。もたついていた同行者も登ってきて、「これで裏金をガッポリ稼いだ」とほくそ笑んでいた。
下りは西方向やはり薮を漕ぎだすと止んでいた雨がまた降り出した。無事登山道に復帰し先へと進み2,050mの鞍部まで下った。金山へと200mの登りは刈払いされているが難路であることに変わりはない。P2106の南を巻いた所で南に90度向きを変え小ピークを一つ越えると最後の登りで金山(2,245m)山頂に到った。開けた山頂で小休止を取った。
縦走路は西に90度曲がるが真直ぐ行く道もある。指導標がないので注意が必要だ。真直ぐ進むとブナタテ尾根を笹ヶ峰小谷林道に下りてしまう。縦走路は700mの大下り。途中にある茂倉峰(1,650m)、白倉峰(1,585m)、黒沢峰(1,550m)はいずれも小さなピークで山頂標識が無く知らずに通り過ぎてしまいそうだ。黒沢峰の先で最低鞍部(1,530m)となり雨飾山への登り返しが始まる。
1,574mの標高点を過ぎ暫く行くと今日の宿泊地、大曲り(標高1,610m)に到着した。水場が近く、雨飾山と海谷三山の分岐点となっている。まずはテントを張って、荷物をデポして雨飾へピストンの予定だったが、同行者は疲れたのでもういいと言い出した。以前にも登っているのでこの天気では行っても仕方がない。同感ではあるが、ここで止めれば前回小谷温泉から雨飾に登ったルートと繋がらないのが口惜しい。一人で小谷温泉への分岐まで行ってくることにした。
分岐点はすでに雨飾山(1,963m)の山頂域で1,894mの標高点、分岐の標識があり、8年前に来たのだなと思い起こすが、雨の中では余りにも寂しい。時刻は15:34もう誰もいない。あと20分もあれば山頂に行けるが、同行者がお腹を空かして待っているので引き返すことにした。テントは一人用、荷物用にチェルトを張り雨から逃れ中に入るとやっと落ち着くことができた。18時前に就寝、雨は夜なっても降ったり止んだりしていた。
3日目(10/12):曇りのち晴れ
4時起床、雨は止んだがガスは濃い。いよいよ海谷三山(鋸山・鬼ヶ面山・駒ヶ岳)へと分け入った。昨日の縦走路の厳しさで弱気になった同行者はどうしようかと気持ちがふらついていたが雨が上がったので行くことに決め5:37歩き出した。雨飾山から北東に流れる尾根へと急斜面を這い上がった。暫く小さなアップダウンが続いた後、急降下が始まった。梯子、ロープが現れ、海谷三山の導入部らしい険しさだ。ガスが薄れだして上空には青空が覗き始め海谷三山の稜線も朧げに見え出した。今日は天気が良くなる!
雨飾山と鋸岳の鞍部(1,260m)で雨飾山荘へのトラバース道が分岐している。コースタイムは1時間と見込んでいたが1時間23分掛かった。一旦は意を決して縦走路に踏み出したが同行者が脱落宣言。導入部の険しさに恐れを為し一人で雨飾山荘へと転進した。山口からのバスは13:10発、此のバスで合流と約し別行動となった。この険しい道をあと6時間で縦走しなければならない。一人になりピッチを上げて縦走を続けた。鋸岳への標高差は370m前面に壁のように立ちはだかっている。進むに連れて傾斜が増し、鎖・ロープが連続している。岩場に出ると眼下に雨飾山荘が見え、以前は秘湯だったここの都忘れの湯も平成11年に車道が通じてしまって、マイクロバスが止まっているのまで見えた。岩場の傍らにはアサギリソウが張り付くように名残に咲いていた。
山頂域に乗りあがると縦走路から東に20m程入ったところが鋸岳(1,631m)山頂。3等三角点があるが傾いていた。三角点名は何故か「鬼ヶ面」、鬼ヶ面山は次の山だ。天気は粗回復した。雨飾山のガスも薄れ全体の姿は分るようになった。焼山の北西から流れる尾根上にある昼闇山(ひるくらやま)、鉢山、阿彌陀山は海谷渓谷を挟んで直ぐ北側にある。これらも厳しい山塊だ。
山頂域のギザギザ部分を進み先端に達すると急激な下りが始まった。そして最大の難所は垂直の岩壁を下る20m梯子。おっかなびっくりで下りるが梯子の下にもまともな足場はない。固定ロープに摑まり岩にへばり付くようにして乗り切った。ほお〜同行者来なくてよかった。
鞍部は1,420m、前面に鬼ヶ面山が立ちはだかっている。またまた険しい道で南の小ピークからは鬼ヶ面山はよく見える。しかし山頂(1,591m)への道はなく西側を巻いて通り過ぎてしまう。この山容では藪コギで一寸寄り道という訳には行かず諦めてそのまま登山道を辿った。次に立ちはだかる山は駒ヶ岳東峰(1,498m)、国土地理院の「日本の山岳標高一覧(1003山)」にはここが駒ヶ岳として記載されている。中腹部に岩盤があり、一体どこに登山道があるのだろうか?想像もつかない。超難路が続きその岩壁に達すると果たして体重を全てロープに預け殆ど足掛かりのない岩盤を這い登らなければならない。手を滑らせると止まる所はない。命の縮む思いでクリアし漸く達した山頂は山頂標識もなく登山道が通るだけで山頂の雰囲気はなくがっかり。
駒ヶ岳西峰までの間は難路に加え笹が被り横に這う木が五月蝿い。ここで登山者と遭遇、この山域の凄さを語り励ましあった。難行軍の末辿り着いた駒ヶ岳西峰(1,487m)山頂には3等三角点「駒ヶ岳」があり山頂標識や祠、ベンチもあった。一応こちらを海谷駒ヶ岳本峰とすることにした。すっかり晴れた雨飾山や焼山、火打山を望み海谷三山征服を一人で祝った。今日我が山岳会のI上さんとY田さんは向かいの雨飾山に登っている筈だ。予定通りならもう山頂にいる頃だ。目を凝らしてもその姿が見えないのが残念だ。地元のグループが登って来た。「縦走はとてもとても、ここで引き返す。」と言う。
バスまであと2時間余りゆっくりもしていられない。地元グループの登って来た大神堂への道を下った。少し穏やかになったがまだ楽な道とはならない。オーバーハングの岩の下を通り、登山道はやがて駒ヶ岳の特徴である大岩壁のバンドに出る。眺めは壮大でも足元は危険、慎重に進み樹林帯に入り、標高610mで登山口に達した。後で分ったことだが2.5万図の登山道と現地はかなり違っているようだ。ずっと登山道で山口BSの近くまで下りる筈が標高も随分上で、林道に飛び出し、この林道に別の林道が交差していた。これぞと思う方向に進むとなんと林道が途切れてしまい往復30分もロスをしてしまった。この時点でバスに間に合わないことが確定し、連絡しようにも携帯は圏外!
仕方なく林道を後戻りし正しい道? を進み里に近づき電波が入るようになると、同行者に電話を試みるが、通じない。昨日雨で携帯が濡れ電源が入らなくなったと言っていたのでやはり無理なのだろうと諦め、約束のバスで“ひすいの湯”へ行っているだろうと予測しタクシーを呼んだ。バス停に着いたが同行者はやはりいない。ふとバス停の看板を見ると「山口」だと思っていたのになんとそこは「大神堂入口」と書いてある。一体何処を通ってきたのだろう。一つ糸魚川寄りのバス停だった。(地図のルートは推定)
ひすいの湯に着いたが同行者のいる気配はない。もう一度電話をしてみると繋がった。まだ山口バス停で待っていると言う。雨飾山荘の温泉に入ったと言うので糸魚川で合流することにして一人温泉に入った。入浴料は1,000円、広くてしかも空いていた。糸魚川で無事同行者と合流、JRに乗り継ぎ帰京した。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する