いろいろあってこちらにやってきました。うじてるくん、今日はヨロシクね!
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10/28 8:20
いろいろあってこちらにやってきました。うじてるくん、今日はヨロシクね!
北条氏照は滝山城から新たに八王子城を築城。秀吉の小田原攻めでは小田原城にいて、開城後は兄氏政とともに切腹。こちらは八王子城で奮戦して死した中山勘解由(家範)の孫信治(水戸藩家老)が百年忌追善供養で建立。
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10/28 8:29
北条氏照は滝山城から新たに八王子城を築城。秀吉の小田原攻めでは小田原城にいて、開城後は兄氏政とともに切腹。こちらは八王子城で奮戦して死した中山勘解由(家範)の孫信治(水戸藩家老)が百年忌追善供養で建立。
「青雲院殿透岳関公大居士 天正十八庚寅年七月十一(烏)」(1590)」両脇は家範と信治の墓みたい。中山氏と聞いて「飯能の中山」が頭に浮かんだ方はかなりの奥武蔵通です。
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10/28 8:31
「青雲院殿透岳関公大居士 天正十八庚寅年七月十一(烏)」(1590)」両脇は家範と信治の墓みたい。中山氏と聞いて「飯能の中山」が頭に浮かんだ方はかなりの奥武蔵通です。
背面には「元禄二己巳天七月十一日/北條陸奥守氏照公/現住信庵(叟)海音造立之」(1689)とありました。
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10/28 8:32
背面には「元禄二己巳天七月十一日/北條陸奥守氏照公/現住信庵(叟)海音造立之」(1689)とありました。
背後には墓石や墓碑の石仏が点在しています。薬師如来と観音様。
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10/28 8:36
背後には墓石や墓碑の石仏が点在しています。薬師如来と観音様。
墓所のある尾根をそのまま登ってみました。地形図破線は右に下っていますが、そのまま尾根通しに行くと、
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10/28 8:46
墓所のある尾根をそのまま登ってみました。地形図破線は右に下っていますが、そのまま尾根通しに行くと、
難なく三叉峠に出ました。
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10/28 8:51
難なく三叉峠に出ました。
この先は一般登山道で八王子城を目指します。
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10/28 8:51
この先は一般登山道で八王子城を目指します。
道標では「つつじ台」、
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10/28 8:53
道標では「つつじ台」、
山名板では「深沢山342m」、城山の深沢山とは別物?
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10/28 8:54
山名板では「深沢山342m」、城山の深沢山とは別物?
「ガイダンス東尾根」?分岐。こちらからでも氏照墓所まで行けるみたいですが、倒木、ヤブ、不明とあります。
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10/28 8:58
「ガイダンス東尾根」?分岐。こちらからでも氏照墓所まで行けるみたいですが、倒木、ヤブ、不明とあります。
少し進むと「大六天、休息場」
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10/28 9:02
少し進むと「大六天、休息場」
纏のリス君がお仕事中。
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10/28 9:03
纏のリス君がお仕事中。
「松姫巡礼の道」が気になる。
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10/28 9:07
「松姫巡礼の道」が気になる。
ここを直登すれば九合目に行けそうですが、寄り道があるので、道標に従います。
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10/28 9:12
ここを直登すれば九合目に行けそうですが、寄り道があるので、道標に従います。
「八合目」石のある柵門跡。
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10/28 9:16
「八合目」石のある柵門跡。
判りづらいですが、左のヤブに霊神碑があります。
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10/28 9:17
判りづらいですが、左のヤブに霊神碑があります。
「鐵船無心霊神」碑(享保元年丙申十一月吉日、1716)もちろん御嶽以前の物。前回は時間がなく紀年銘の確認だけでしたが、興味深い銘文がありました。後で紹介いたします。
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10/28 9:19
「鐵船無心霊神」碑(享保元年丙申十一月吉日、1716)もちろん御嶽以前の物。前回は時間がなく紀年銘の確認だけでしたが、興味深い銘文がありました。後で紹介いたします。
こちらは御嶽関連だと思います。「東京和合講社先達 邨井天界霊神」(大正十四年、1925)
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10/28 9:32
こちらは御嶽関連だと思います。「東京和合講社先達 邨井天界霊神」(大正十四年、1925)
そして三大講祖の霊神碑(明治十九歳九月吉日、1886)も御座いました。中央上部に「覚明霊神」その両脇下部に「普寛霊神 一心霊神」左端に「権少教正梶原利正書」下部に願主銘列刻。
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10/28 9:34
そして三大講祖の霊神碑(明治十九歳九月吉日、1886)も御座いました。中央上部に「覚明霊神」その両脇下部に「普寛霊神 一心霊神」左端に「権少教正梶原利正書」下部に願主銘列刻。
矜羯羅童子だと思われます。左の台石(納)に乗っていますが、本来は右(奉)の台石にあったのでしょう。
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10/28 9:41
矜羯羅童子だと思われます。左の台石(納)に乗っていますが、本来は右(奉)の台石にあったのでしょう。
そしてドーハン君の所に不動明王が祀られた不動三尊像があったのでしょう。
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10/28 9:49
そしてドーハン君の所に不動明王が祀られた不動三尊像があったのでしょう。
主要路に戻って少し登ると、「九合目」石。側面に「東京五大講 浅草山谷町 木部茂吉」とあります。
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10/28 9:54
主要路に戻って少し登ると、「九合目」石。側面に「東京五大講 浅草山谷町 木部茂吉」とあります。
この辺りは高丸と言うみたい。その先に境界石標があり、近づいてみると、
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10/28 9:57
この辺りは高丸と言うみたい。その先に境界石標があり、近づいてみると、
何と宮標石でした。しかも年代物の宮ちゃんみたいです。背面には「界一九九」、さらに左右の側面に
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10/28 9:58
何と宮標石でした。しかも年代物の宮ちゃんみたいです。背面には「界一九九」、さらに左右の側面に
「武蔵國南多摩郡」
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10/28 9:59
「武蔵國南多摩郡」
「恩方村( )恩方」
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10/28 9:59
「恩方村( )恩方」
ちょっと裏道を経由してからハ王子神社。石燈籠は「明治二十九年丙申四月十五日(1896)」。本殿覆屋の左に横地社とその由来碑、さらに左に大天狗が立っています。
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10/28 10:13
ちょっと裏道を経由してからハ王子神社。石燈籠は「明治二十九年丙申四月十五日(1896)」。本殿覆屋の左に横地社とその由来碑、さらに左に大天狗が立っています。
本殿。延喜十六年(916)に華厳菩薩妙高行が牛頭天王と眷属神の八人の王子を祀る。この八王子権現を氏照が築城の際にその守護神とした。八王子の地名に由来となった。
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10/28 10:14
本殿。延喜十六年(916)に華厳菩薩妙高行が牛頭天王と眷属神の八人の王子を祀る。この八王子権現を氏照が築城の際にその守護神とした。八王子の地名に由来となった。
「横地社由来記」
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10/28 10:16
「横地社由来記」
「城山開山二十年/天狗堂創業紀念 昭和十二年三月二十一日建之東京市瀧ノ川区田端新町 納主 長谷省一 先達 金子常吉」(八王子千人町)の落款。
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10/28 10:17
「城山開山二十年/天狗堂創業紀念 昭和十二年三月二十一日建之東京市瀧ノ川区田端新町 納主 長谷省一 先達 金子常吉」(八王子千人町)の落款。
松木曲輪(二の丸、中の丸)、中山勘解由家範が前田利家と奮戦、助命の申し出を断り、夫人と刺し違えて死したという。その勇猛ぶりを聞いた家康は遺児を家臣にする。武田遺臣しかり、こういう懐の深さが幕藩体制の礎になったのですね。
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10/28 10:25
松木曲輪(二の丸、中の丸)、中山勘解由家範が前田利家と奮戦、助命の申し出を断り、夫人と刺し違えて死したという。その勇猛ぶりを聞いた家康は遺児を家臣にする。武田遺臣しかり、こういう懐の深さが幕藩体制の礎になったのですね。
松木曲輪に建つ「八王子城祉碑」(大正八年晩秋、1919)
篆額:北條氏恭 撰文:中山信實 各先祖は主従の関係、改めて歴史は連綿と続いていることを実感します。
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10/28 10:20
松木曲輪に建つ「八王子城祉碑」(大正八年晩秋、1919)
篆額:北條氏恭 撰文:中山信實 各先祖は主従の関係、改めて歴史は連綿と続いていることを実感します。
同じく曲輪の一画に「見晴・」石標
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10/28 10:21
同じく曲輪の一画に「見晴・」石標
「東京五大講南千住通新町石工飯塚四方吉」
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10/28 10:22
「東京五大講南千住通新町石工飯塚四方吉」
古地図を元にしたレリーフの案内板を見ると、興味深い表記に気づきました。御嶽神社が現在の小宮曲輪ではなく、その下段にあります。
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10/28 10:24
古地図を元にしたレリーフの案内板を見ると、興味深い表記に気づきました。御嶽神社が現在の小宮曲輪ではなく、その下段にあります。
現在の松木曲輪は長閑な休息地で、古の壮絶な戦など微塵も感じさせません。
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10/28 10:24
現在の松木曲輪は長閑な休息地で、古の壮絶な戦など微塵も感じさせません。
たしか「頂上/東京五大講 南千住町 森田兼吉」石標があったと思い出して、少し下ってみました。妄想ですが、かつてはこの辺りに御嶽社があったのではないでしょうか。合目石が御嶽関連だとすればここに頂上表示があるのにも合点がゆきます。
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10/28 10:30
たしか「頂上/東京五大講 南千住町 森田兼吉」石標があったと思い出して、少し下ってみました。妄想ですが、かつてはこの辺りに御嶽社があったのではないでしょうか。合目石が御嶽関連だとすればここに頂上表示があるのにも合点がゆきます。
さらに妙にポツンとある手水鉢も納得がいきます。「明治十七年四月十五日(1884)上恩方川井ノ村 世話人 石井伊賀之助 小澤治兵衛」
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10/28 10:31
さらに妙にポツンとある手水鉢も納得がいきます。「明治十七年四月十五日(1884)上恩方川井ノ村 世話人 石井伊賀之助 小澤治兵衛」
そこから東屋裏から登って、小宮曲輪(三の丸)。狩野一庵が守っていたので一庵曲輪とも呼ばれた。上杉景勝の奇襲で落とされたという。そこには、
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10/28 10:35
そこから東屋裏から登って、小宮曲輪(三の丸)。狩野一庵が守っていたので一庵曲輪とも呼ばれた。上杉景勝の奇襲で落とされたという。そこには、
一対の狛犬さん。2年前は朽ちかけた社殿がありましたが、撤去されたようです。奥に石祠もあります。
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10/28 10:35
一対の狛犬さん。2年前は朽ちかけた社殿がありましたが、撤去されたようです。奥に石祠もあります。
お気に入りの狛犬です。
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10/28 10:36
お気に入りの狛犬です。
「東京 日本橋區 薬研堀町 宇田川又兵衛」
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10/28 10:36
「東京 日本橋區 薬研堀町 宇田川又兵衛」
毛並みが凄い。
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10/28 10:38
毛並みが凄い。
立派な尻尾とセクシィはお尻。「八王子 久島町森川八兵衛 同 森川佐市 同 坂本源左衛門 同 加藤徳治郎 同裏宿 高見清治郎」
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10/28 10:40
立派な尻尾とセクシィはお尻。「八王子 久島町森川八兵衛 同 森川佐市 同 坂本源左衛門 同 加藤徳治郎 同裏宿 高見清治郎」
社殿があった後方にある石祠「明治廿九丙申年四月十五日(1896)」には、
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10/28 10:43
社殿があった後方にある石祠「明治廿九丙申年四月十五日(1896)」には、
「御嶽山」とあります。「先達 小林金一郎 木下盛國」世話人の中に覚明霊神碑の願主の「小坂小三郎 稲村國太郎」の銘がありました。
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10/28 10:44
「御嶽山」とあります。「先達 小林金一郎 木下盛國」世話人の中に覚明霊神碑の願主の「小坂小三郎 稲村國太郎」の銘がありました。
いよいよ山頂へ。「八王子城本丸址」碑と牛頭天王の小社があります。
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10/28 10:49
いよいよ山頂へ。「八王子城本丸址」碑と牛頭天王の小社があります。
やっぱり地酒(小澤酒造場)ですよね。
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10/28 10:52
やっぱり地酒(小澤酒造場)ですよね。
本丸跡、横地監物吉信が守っていたそうですが、落城寸前に奥多摩に落ち延びたとあります。
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10/28 10:52
本丸跡、横地監物吉信が守っていたそうですが、落城寸前に奥多摩に落ち延びたとあります。
馬冷やし
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10/28 11:08
馬冷やし
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10/28 11:10
石積が見えてきました。
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10/28 11:20
石積が見えてきました。
詰城、「天守閣跡」と伝わる所ですがその形跡はないとのこと。
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10/28 11:21
詰城、「天守閣跡」と伝わる所ですがその形跡はないとのこと。
大堀切、楼門があったのでしょうか。
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10/28 11:27
大堀切、楼門があったのでしょうか。
新しめの宮ちゃんがありました。
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10/28 11:41
新しめの宮ちゃんがありました。
そして富士見台の一画に上ると、古めの宮ちゃんです。
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10/28 11:48
そして富士見台の一画に上ると、古めの宮ちゃんです。
「恩方村字瀧澤」
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10/28 11:49
「恩方村字瀧澤」
「八王子村字城山」
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10/28 11:49
「八王子村字城山」
富士見台556m
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10/28 11:53
富士見台556m
「小下沢(悪路)」こちらを下ります。
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10/28 11:54
「小下沢(悪路)」こちらを下ります。
植林の急傾斜地
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10/28 12:02
植林の急傾斜地
「八王子市裏高尾町」という地番みたい。
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10/28 12:10
「八王子市裏高尾町」という地番みたい。
歩きにくい沢床の道になりました。滝場の手前で登りの方とスライドしました。
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10/28 12:11
歩きにくい沢床の道になりました。滝場の手前で登りの方とスライドしました。
こちらから林道木下沢線に下りました。特に案内表示はなし。この後、梅林横を通り、中央道、中央本線下を通過して、
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10/28 12:29
こちらから林道木下沢線に下りました。特に案内表示はなし。この後、梅林横を通り、中央道、中央本線下を通過して、
日影沢キャンプ場で休憩です。
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10/28 12:51
日影沢キャンプ場で休憩です。
お昼は持参してませんでしたが、オレオとミカンがあって良かったです。
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10/28 12:56
お昼は持参してませんでしたが、オレオとミカンがあって良かったです。
背面は確認できませんでしたが、見出標には「1」とありました。
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10/28 13:03
背面は確認できませんでしたが、見出標には「1」とありました。
ツリフネソウが頑張って咲いていました。
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10/28 13:05
ツリフネソウが頑張って咲いていました。
小宮神社。新しい石燈籠に隠れるように、
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10/28 14:05
小宮神社。新しい石燈籠に隠れるように、
先代の燈籠(単基)がありました。「小山大明神/安政四丁巳歳十一月吉日(1857)」
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10/28 14:06
先代の燈籠(単基)がありました。「小山大明神/安政四丁巳歳十一月吉日(1857)」
摺指第二踏切を渡ります。
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10/28 14:12
摺指第二踏切を渡ります。
八王子JCT越しに高尾山駅の展望台が見えます。
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10/28 14:19
八王子JCT越しに高尾山駅の展望台が見えます。
中央道沿いに擬木階段の道をしばらく歩き、分岐から「富士見台・八王子城山」方面へ。
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10/28 14:23
中央道沿いに擬木階段の道をしばらく歩き、分岐から「富士見台・八王子城山」方面へ。
急登を頑張って尾根に乗りました。どちらに行こうか迷いましたが、未踏の尾根を下ることにしました。
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10/28 14:37
急登を頑張って尾根に乗りました。どちらに行こうか迷いましたが、未踏の尾根を下ることにしました。
ちょっとしたピークに宮ちゃんがありました。
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10/28 14:47
ちょっとしたピークに宮ちゃんがありました。
見上げると太鼓曲輪ノ頭410mの山名版もありました。
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10/28 14:47
見上げると太鼓曲輪ノ頭410mの山名版もありました。
さらに下ると「御料局三角點」(見出標「271」)
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10/28 14:49
さらに下ると「御料局三角點」(見出標「271」)
ここが尾根の分岐のようです。この時は予備知識がなく少し不安でしたが、
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10/28 14:50
ここが尾根の分岐のようです。この時は予備知識がなく少し不安でしたが、
「太鼓曲輪尾根」道標や案内テープのある極上の尾根道でした。
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10/28 14:52
「太鼓曲輪尾根」道標や案内テープのある極上の尾根道でした。
こちらの尾根にも道の真ん中のどんと宮ちゃん(界二三五)がありました。
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10/28 15:00
こちらの尾根にも道の真ん中のどんと宮ちゃん(界二三五)がありました。
右「字御霊谷」
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10/28 15:01
右「字御霊谷」
左「字城山」
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10/28 15:01
左「字城山」
そして大きな堀切がいくつもあらわれます。
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10/28 15:03
そして大きな堀切がいくつもあらわれます。
結果的に城址遺構の残る尾根道を歩くことになりました。
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10/28 15:04
結果的に城址遺構の残る尾根道を歩くことになりました。
この辺りが曲輪だったのかな?レリーフ地図には太鼓曲輪の所に「景勝従是攻」とあります。
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10/28 15:12
この辺りが曲輪だったのかな?レリーフ地図には太鼓曲輪の所に「景勝従是攻」とあります。
ここも堀切。
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10/28 15:13
ここも堀切。
さらにここも。
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10/28 15:16
さらにここも。
さらに切れたった堀切。
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10/28 15:21
さらに切れたった堀切。
分岐、左「城跡入口」へ行きます。右は「バス停宮の前」。
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10/28 15:25
分岐、左「城跡入口」へ行きます。右は「バス停宮の前」。
古道(大手道)に出ました。
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10/28 15:29
古道(大手道)に出ました。
城山川に復元された曳橋。当時は、いざという時に壊して敵の侵入を防ぐため、簡単な木橋でが架けられていたようです。
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10/28 15:32
城山川に復元された曳橋。当時は、いざという時に壊して敵の侵入を防ぐため、簡単な木橋でが架けられていたようです。
右から斜め三分の二ぐらいが当時のままの石垣だそうですが。
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10/28 15:36
右から斜め三分の二ぐらいが当時のままの石垣だそうですが。
虎口(曲輪の出入口)。この上の踊り場には櫓門跡の4つの礎石と排水の石組側溝があります。
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10/28 15:36
虎口(曲輪の出入口)。この上の踊り場には櫓門跡の4つの礎石と排水の石組側溝があります。
冠木門
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10/28 15:39
冠木門
庭園
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10/28 15:42
庭園
会所(宴会などを行った場所)。床が再現されています。
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10/28 15:44
会所(宴会などを行った場所)。床が再現されています。
敷石通路。この後、御主殿の瀧へ。
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10/28 15:44
敷石通路。この後、御主殿の瀧へ。
「南無阿弥陀仏」名号塔。当然落城悲話にまつわるものかと思ったら全然関係なく下流の河川工事で危機一髪救われて、ここに移設されたみたい。第2の人生というか石生はこちらの情景にピッタリですね。
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10/28 15:50
「南無阿弥陀仏」名号塔。当然落城悲話にまつわるものかと思ったら全然関係なく下流の河川工事で危機一髪救われて、ここに移設されたみたい。第2の人生というか石生はこちらの情景にピッタリですね。
御主殿の滝。落城の際、武将や婦女子らが滝の上流で自刃し、次々に身を投じ、その血で川の水は三日三晩赤く染まったと伝えられます。
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10/28 15:55
御主殿の滝。落城の際、武将や婦女子らが滝の上流で自刃し、次々に身を投じ、その血で川の水は三日三晩赤く染まったと伝えられます。
八王子は養蚕や織物が盛んだったので「桑都そうと」と呼ばれたそうです。
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10/28 16:03
八王子は養蚕や織物が盛んだったので「桑都そうと」と呼ばれたそうです。
エッヘンドヤ君が働き過ぎて、シルエットになっちゃってます!
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10/28 16:04
エッヘンドヤ君が働き過ぎて、シルエットになっちゃってます!
ミツウロコ。子供の頃一番好きな戦国大名が北条早雲でした。
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10/28 16:10
ミツウロコ。子供の頃一番好きな戦国大名が北条早雲でした。
ガイダンス施設で復習をして今回の山旅は終了です。
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10/28 16:29
ガイダンス施設で復習をして今回の山旅は終了です。
そして今回の最大ミッションがこちらのお花でした。
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そして今回の最大ミッションがこちらのお花でした。
アケシュスちゃん!
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アケシュスちゃん!
実はこちらのウサちゃんがこのお花をイメージして作られたと聞いて、どうしても逢いたくなったのです。
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実はこちらのウサちゃんがこのお花をイメージして作られたと聞いて、どうしても逢いたくなったのです。
まさに白とほのかな曙色が共通しているようです。
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まさに白とほのかな曙色が共通しているようです。
御対面できて良かったです。
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御対面できて良かったです。
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