5日前(1/14)のゴール地点から再スタートです。「関東ふれあいの道」神奈川県コース番号9「弘法大師と桜のみち」を行く。
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1/19 8:01
5日前(1/14)のゴール地点から再スタートです。「関東ふれあいの道」神奈川県コース番号9「弘法大師と桜のみち」を行く。
この「瓜生野入口BS」の瓜生野とは何か不明だったが、あとで謎が解けることになる。
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1/19 8:02
この「瓜生野入口BS」の瓜生野とは何か不明だったが、あとで謎が解けることになる。
脇道に入り、弘法山に向かう。
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1/19 8:06
脇道に入り、弘法山に向かう。
弘法山へ初めて行ったのは、秦野に通勤していた大昔、始業前に行った覚えがある。通勤靴で登れる公園というイメージ。
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1/19 8:16
弘法山へ初めて行ったのは、秦野に通勤していた大昔、始業前に行った覚えがある。通勤靴で登れる公園というイメージ。
こちらからのアプローチは初めてだが、住宅街の急勾配を登っていくのでつらい。
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1/19 8:18
こちらからのアプローチは初めてだが、住宅街の急勾配を登っていくのでつらい。
車が多い車道にぶつかると、浅間峠まではすぐだ。このルートはお勧めできないな。
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1/19 8:26
車が多い車道にぶつかると、浅間峠まではすぐだ。このルートはお勧めできないな。
浅間峠にあった地図。下の右方向からやってきた。秦野駅からは、左から登る。こちらは階段の多い散策路だ。
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1/19 8:30
浅間峠にあった地図。下の右方向からやってきた。秦野駅からは、左から登る。こちらは階段の多い散策路だ。
せっかくだから、少し秦野駅方面に戻る。朝の散歩にはよさげ。
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1/19 8:35
せっかくだから、少し秦野駅方面に戻る。朝の散歩にはよさげ。
浅間山です。浅間山って、日本にいくつあるのだろう。これは曽屋浅間山(せんげんやま)。
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1/19 8:43
浅間山です。浅間山って、日本にいくつあるのだろう。これは曽屋浅間山(せんげんやま)。
浅間峠に戻って、権現山へ。
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1/19 8:48
浅間峠に戻って、権現山へ。
権現山まではひと登りだ。
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1/19 8:51
権現山まではひと登りだ。
権現山です。
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1/19 8:57
権現山です。
かつて権現堂があったから権現山ということらしい。山城もあったんだな。
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1/19 9:02
かつて権現堂があったから権現山ということらしい。山城もあったんだな。
だからなのか、展望台は仏塔を模しているようだ。
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1/19 8:55
だからなのか、展望台は仏塔を模しているようだ。
富士山が見えるはずだが、今日は残念。写っているのは秦野市街です。
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1/19 8:59
富士山が見えるはずだが、今日は残念。写っているのは秦野市街です。
続いて弘法山へ。ここには何度か来ているはずだが、記憶にないなあ。こんな広い道だったっけ。
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1/19 9:05
続いて弘法山へ。ここには何度か来ているはずだが、記憶にないなあ。こんな広い道だったっけ。
民俗行事の説明板があった。「瓜生野入口BS」の瓜生野とは集落の名前だったんだ。確かに地図を見るとこの山の一番近い麓の集落にその名を見つけた。
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1/19 9:09
民俗行事の説明板があった。「瓜生野入口BS」の瓜生野とは集落の名前だったんだ。確かに地図を見るとこの山の一番近い麓の集落にその名を見つけた。
弘法山へもほんのひと登り。
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1/19 9:13
弘法山へもほんのひと登り。
なかなか趣のある山頂だが、記憶からは欠落している。はるか昔だからな。
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1/19 9:14
なかなか趣のある山頂だが、記憶からは欠落している。はるか昔だからな。
弘法山です。
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1/19 9:14
弘法山です。
鶴巻温泉方面の展望が良い。
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1/19 9:16
鶴巻温泉方面の展望が良い。
弘法山は、弘法大師が千座の護摩を修めたという信仰の山と説明がされる。弘法大師とあるお堂がある。
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1/19 9:18
弘法山は、弘法大師が千座の護摩を修めたという信仰の山と説明がされる。弘法大師とあるお堂がある。
弘法大師。この建物は釈迦堂といって、かつては釈迦如来像も祀られていたそうだ。
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1/19 9:18
弘法大師。この建物は釈迦堂といって、かつては釈迦如来像も祀られていたそうだ。
鐘楼もあったりしてお寺みたいだな。(今回訪ねたところは、ことごとく鐘楼があったのが印象に残った。この鐘は1801<享和元>年に再鋳されたものという)
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1/19 9:18
鐘楼もあったりしてお寺みたいだな。(今回訪ねたところは、ことごとく鐘楼があったのが印象に残った。この鐘は1801<享和元>年に再鋳されたものという)
さて、下山だ。
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1/19 9:21
さて、下山だ。
ここから、やっと自然林っぼくなる。そういえば、この辺りでクマも目撃されている。丹沢とは山つづきなのだ。
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1/19 9:24
ここから、やっと自然林っぼくなる。そういえば、この辺りでクマも目撃されている。丹沢とは山つづきなのだ。
イヌシデ。
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1/19 9:24
イヌシデ。
「関東ふれあいの道」は、ここからR246に降りるルートだが、せっかくだから、高取山を目指してルートを変えることとする。
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1/19 9:31
「関東ふれあいの道」は、ここからR246に降りるルートだが、せっかくだから、高取山を目指してルートを変えることとする。
少し行くとまた分岐。右が、吾妻山をへて鶴巻温泉に出るコースでかつて歩いたことがある。今日は、左へ、ここから初めて辿る道だ。
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1/19 9:37
少し行くとまた分岐。右が、吾妻山をへて鶴巻温泉に出るコースでかつて歩いたことがある。今日は、左へ、ここから初めて辿る道だ。
少し降りると、御夜燈というのがある。1827年に旅人の峠越えの安全のため、菜種から採った油をともしたという説明があった。よく残っているね。
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1/19 9:39
少し降りると、御夜燈というのがある。1827年に旅人の峠越えの安全のため、菜種から採った油をともしたという説明があった。よく残っているね。
そのすぐ下が善波峠。この道は矢倉沢往還だという説明板がある。
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1/19 9:41
そのすぐ下が善波峠。この道は矢倉沢往還だという説明板がある。
R246はトンネルでこの善波峠を潜っているし、市道もトンネルだから、矢倉沢往還は山道で残っているわけだ。矢倉沢とは足柄峠の手前、南足柄市の関本の先にある関所。矢倉沢往還の旧道歩きも楽しいかもしれない。
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1/19 9:41
R246はトンネルでこの善波峠を潜っているし、市道もトンネルだから、矢倉沢往還は山道で残っているわけだ。矢倉沢とは足柄峠の手前、南足柄市の関本の先にある関所。矢倉沢往還の旧道歩きも楽しいかもしれない。
善波峠を超えてから、自然林が続く。
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1/19 9:46
善波峠を超えてから、自然林が続く。
コウヤボウキがたくさんあった。
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1/19 9:47
コウヤボウキがたくさんあった。
意外に常緑樹も多い。まだ標高低いしな。何の樹だろう。
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1/19 9:55
意外に常緑樹も多い。まだ標高低いしな。何の樹だろう。
イズセンリョウ。
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1/19 9:52
イズセンリョウ。
こちらはアラカシだな。
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1/19 9:55
こちらはアラカシだな。
シカ・イノシシ柵と説明があった。このあたりだとイノシシは多そうだ。
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1/19 10:03
シカ・イノシシ柵と説明があった。このあたりだとイノシシは多そうだ。
ウラジロガシ。
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1/19 10:07
ウラジロガシ。
そう登らずに念仏山です。
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1/19 10:09
そう登らずに念仏山です。
ベンチで休憩。目も前に指導標。大山蓑毛という表示が紛らわしいな、大山経由蓑毛でもあるし、途中で蓑毛に降りられるはず。(と、方向を確認したはずなのだが)
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1/19 10:09
ベンチで休憩。目も前に指導標。大山蓑毛という表示が紛らわしいな、大山経由蓑毛でもあるし、途中で蓑毛に降りられるはず。(と、方向を確認したはずなのだが)
後方奥にあった説明看板に、ここらの山はみんな信仰の山なんだなと感心して、うっかりと、、、
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1/19 10:11
後方奥にあった説明看板に、ここらの山はみんな信仰の山なんだなと感心して、うっかりと、、、
そのまま奥に進んでしまった。この柵を越えて、すぐ気づいたので良かったが。(道としては良好そうだった)
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1/19 10:19
そのまま奥に進んでしまった。この柵を越えて、すぐ気づいたので良かったが。(道としては良好そうだった)
戻って、正規の道をしばらく行くと、急登となる。このあたりは人工林なので黙々と登る。
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1/19 10:28
戻って、正規の道をしばらく行くと、急登となる。このあたりは人工林なので黙々と登る。
写真ではわかりにくいが、直線的な登りがかなり続く。
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1/19 10:31
写真ではわかりにくいが、直線的な登りがかなり続く。
巻道となってホッと一息。いつもピークが気になるんだが、このピークはパス。
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1/19 10:39
巻道となってホッと一息。いつもピークが気になるんだが、このピークはパス。
微小ピークをいくつか越えると、、、
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1/19 10:48
微小ピークをいくつか越えると、、、
ミヤマシキミですね。グレープフルーツの匂い。
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1/19 10:52
ミヤマシキミですね。グレープフルーツの匂い。
こちららは雄株かな。この樹は西大台でみかけ、自然度の高い環境に生えると思っていたので意外。このあたりは低山ながら自然度高いかも(調べてみたらこの樹は低山に多いという)。
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1/19 10:53
こちららは雄株かな。この樹は西大台でみかけ、自然度の高い環境に生えると思っていたので意外。このあたりは低山ながら自然度高いかも(調べてみたらこの樹は低山に多いという)。
あれが、目指す高取山だ。
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1/19 10:56
あれが、目指す高取山だ。
ここから2度目の急登。
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1/19 10:56
ここから2度目の急登。
左から巻けそうだが、ここは一気に直登だ。
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1/19 10:58
左から巻けそうだが、ここは一気に直登だ。
山頂が近いと分かったので、樹の根の階段をグイグイ登る。
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1/19 11:02
山頂が近いと分かったので、樹の根の階段をグイグイ登る。
分岐を過ぎれば、、、
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1/19 11:05
分岐を過ぎれば、、、
あとは木の階段をひと登りだ。
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1/19 11:06
あとは木の階段をひと登りだ。
高取山です。登り甲斐がありました。
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1/19 11:10
高取山です。登り甲斐がありました。
大山がどかーんと目の前に。鞍掛山から見た岩手山みたい、とは言いすぎか。
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1/19 11:11
大山がどかーんと目の前に。鞍掛山から見た岩手山みたい、とは言いすぎか。
このまま尾根伝いに大山に行くともできるが、今日は「関東ふれあいの道」シリーズだ。聖峰から伊勢原市比々多に降りて合流する。
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1/19 11:14
このまま尾根伝いに大山に行くともできるが、今日は「関東ふれあいの道」シリーズだ。聖峰から伊勢原市比々多に降りて合流する。
この道もかなり急だが、階段がよく整備されいて、、
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1/19 11:22
この道もかなり急だが、階段がよく整備されいて、、
大展望が開けていて、しばし立ち止まる。真ん中が江ノ島。
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1/19 11:23
大展望が開けていて、しばし立ち止まる。真ん中が江ノ島。
目立つ道路が新東名かな。午後はあのあたりの史跡巡りなのだ(「関東ふれあいの道」神奈川県コース番号10「太田道灌・日向薬師のみち」)。
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1/19 11:23
目立つ道路が新東名かな。午後はあのあたりの史跡巡りなのだ(「関東ふれあいの道」神奈川県コース番号10「太田道灌・日向薬師のみち」)。
正面奥に都庁も見える。
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1/19 11:28
正面奥に都庁も見える。
ミヤマシキミはここにもある。
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1/19 11:39
ミヤマシキミはここにもある。
聖峰が見えてきた。
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1/19 11:46
聖峰が見えてきた。
不動堂とある。
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1/19 11:47
不動堂とある。
不動明王ですね。
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1/19 11:48
不動明王ですね。
ここからも急降下だが、九十九折に道が整備されている。地形図にない道なので、最近拓かれたのかもしれない。
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1/19 12:14
ここからも急降下だが、九十九折に道が整備されている。地形図にない道なので、最近拓かれたのかもしれない。
登山口。
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1/19 12:30
登山口。
ここからは車道歩き。
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1/19 12:31
ここからは車道歩き。
沿道に掲示されていた手書きの地図。聖峰世話人会とある。ここ栗原地区の方々によって整備されているようだ。
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1/19 12:40
沿道に掲示されていた手書きの地図。聖峰世話人会とある。ここ栗原地区の方々によって整備されているようだ。
里山の風景を楽しんで歩くと、、、
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1/19 12:48
里山の風景を楽しんで歩くと、、、
関ふれ10「太田道灌・日向薬師のみち」に合流する。
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1/19 12:52
関ふれ10「太田道灌・日向薬師のみち」に合流する。
三之宮比々多神社です。相模国三宮だ。一宮は寒川神社、二宮は川勾神社(二宮町)。三ノ宮も比々多も地名となっている(比々多は広域)。
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1/19 12:53
三之宮比々多神社です。相模国三宮だ。一宮は寒川神社、二宮は川勾神社(二宮町)。三ノ宮も比々多も地名となっている(比々多は広域)。
ここにも鐘楼(今日、二つ目)。
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1/19 12:54
ここにも鐘楼(今日、二つ目)。
お神輿の展示があり、3つもあった。
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1/19 12:57
お神輿の展示があり、3つもあった。
国府祭とあるのが、5日前の「関ふれ(1)」、大磯の鷹取山の麓の神揃山で行われる古くからの祭りのことだろう。ここから大磯までこの神輿が行くのだ。(調べたら途中バスを使うようだ)
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1/19 12:57
国府祭とあるのが、5日前の「関ふれ(1)」、大磯の鷹取山の麓の神揃山で行われる古くからの祭りのことだろう。ここから大磯までこの神輿が行くのだ。(調べたら途中バスを使うようだ)
神社の境内は広いようだが、社叢林に古い樹はそうない。次は上粕屋神社に向かう。
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1/19 13:03
神社の境内は広いようだが、社叢林に古い樹はそうない。次は上粕屋神社に向かう。
関東ふれあいの道は農村を行く。
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1/19 13:04
関東ふれあいの道は農村を行く。
丸石の道祖神だ。
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1/19 13:07
丸石の道祖神だ。
伯母様村観音とある。伯母様って何だろう?
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1/19 13:12
伯母様村観音とある。伯母様って何だろう?
中には着飾った観音様。
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1/19 13:12
中には着飾った観音様。
伯母様とは、地名だった。普通におばさまと読む。
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1/19 13:14
伯母様とは、地名だった。普通におばさまと読む。
道は住宅地に入る。新しい住宅地みたいだ。
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1/19 13:19
道は住宅地に入る。新しい住宅地みたいだ。
七人塚。解説板にはこうあった。江戸城の築城で有名な太田道灌が、主君上杉定正に「道灌 謀反心あり」と疑われ、定正の糟屋館に招かれ、刺客によって暗殺されました。そのとき上杉方の攻撃を一手に引き受けて討ち死した道灌の家臣7名の墓で「七人塚」と伝えられています。この塚は、上粕屋神社の境内の杉林の中に7つ並んでいましたが、明治の末に開墾するとき一つ残された伴頭のものといわれ、今でも七人塚と呼ばれています。
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1/19 13:28
七人塚。解説板にはこうあった。江戸城の築城で有名な太田道灌が、主君上杉定正に「道灌 謀反心あり」と疑われ、定正の糟屋館に招かれ、刺客によって暗殺されました。そのとき上杉方の攻撃を一手に引き受けて討ち死した道灌の家臣7名の墓で「七人塚」と伝えられています。この塚は、上粕屋神社の境内の杉林の中に7つ並んでいましたが、明治の末に開墾するとき一つ残された伴頭のものといわれ、今でも七人塚と呼ばれています。
太田道灌の墓がすぐ近くにあるので行ってみよう。
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1/19 13:49
太田道灌の墓がすぐ近くにあるので行ってみよう。
太田道灌公霊地。洞昌院の境内となるが少し離れてポツリと見捨てられたかのようにあった。
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1/19 13:34
太田道灌公霊地。洞昌院の境内となるが少し離れてポツリと見捨てられたかのようにあった。
宝篋印塔という供養塔である。この太田道灌の墓は、胴塚と呼ばれている。ということは、もう一つ首塚があるはずだ。(この後、ルート外だが行ってみよう)
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1/19 13:31
宝篋印塔という供養塔である。この太田道灌の墓は、胴塚と呼ばれている。ということは、もう一つ首塚があるはずだ。(この後、ルート外だが行ってみよう)
お墓の横。左の赤い帽子をかぶっているのが、明治時代までは立派な松があって、その切株だという。その前の大木が気になった。
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1/19 13:35
お墓の横。左の赤い帽子をかぶっているのが、明治時代までは立派な松があって、その切株だという。その前の大木が気になった。
これはコウヤマキだ。洞昌院は太田道灌の開基した寺と言われているが、かつては社叢林で覆われていたのかもしれない。
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1/19 13:35
これはコウヤマキだ。洞昌院は太田道灌の開基した寺と言われているが、かつては社叢林で覆われていたのかもしれない。
七人塚に戻って進むと上粕屋神社。上粕屋とは地名だ。かつては山王宮。日枝大社ですね。
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1/19 13:39
七人塚に戻って進むと上粕屋神社。上粕屋とは地名だ。かつては山王宮。日枝大社ですね。
ここにも鐘楼が(三つ目)。
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1/19 13:39
ここにも鐘楼が(三つ目)。
関東ふれ道の次の目的地は、産業能率大学だが、迂回路の表示があった。産業能率大学の正門は北側で、大回りになる。しかしバス停がそこにあるし、太田道灌の暗殺の場・糟屋館の比定地でもあるのだ。
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1/19 13:49
関東ふれ道の次の目的地は、産業能率大学だが、迂回路の表示があった。産業能率大学の正門は北側で、大回りになる。しかしバス停がそこにあるし、太田道灌の暗殺の場・糟屋館の比定地でもあるのだ。
迂回路ではなく、まずは横断できなくなった地点へ最短距離で向かった。確かに信号はあるが、横断歩道がない。この道路は手前で横断してきたので、産業能率大学に向かおうとしたら、、、
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1/19 13:59
迂回路ではなく、まずは横断できなくなった地点へ最短距離で向かった。確かに信号はあるが、横断歩道がない。この道路は手前で横断してきたので、産業能率大学に向かおうとしたら、、、
なんと、道自体がないのである。広いエリアが工事中なのだ。新東名のアクセス道路とかR246バイパスとかの工事かな(左に見えるのが産業能率大)。
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1/19 14:00
なんと、道自体がないのである。広いエリアが工事中なのだ。新東名のアクセス道路とかR246バイパスとかの工事かな(左に見えるのが産業能率大)。
どうやら遺跡調査も行っているようだ。そういえば、伊勢原の道路整備で多くの遺跡が見つかったと聞いたことがある。糟屋館も調査対象のようだ。
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1/19 14:05
どうやら遺跡調査も行っているようだ。そういえば、伊勢原の道路整備で多くの遺跡が見つかったと聞いたことがある。糟屋館も調査対象のようだ。
迷走してやっと、産業能率台の正門。今日の関ふれ道はここまで。
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1/19 14:13
迷走してやっと、産業能率台の正門。今日の関ふれ道はここまで。
ここに糟屋館の説明板があった。どうやら、建物の趾が発掘されたが、何の建物だったかは明らかにできなかったようだ。さっき見てきた太田道灌の墓の近くというのが論拠なんだな。
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1/19 14:13
ここに糟屋館の説明板があった。どうやら、建物の趾が発掘されたが、何の建物だったかは明らかにできなかったようだ。さっき見てきた太田道灌の墓の近くというのが論拠なんだな。
ここはバスの本数が多いので、次の再スタート地点にしようと思っていた。このままバスに乗って帰ってもよかったが、太田道灌の墓と糟屋館比定地はもうひとつあるのだ。伊勢原駅への帰り道でもある。
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1/19 14:14
ここはバスの本数が多いので、次の再スタート地点にしようと思っていた。このままバスに乗って帰ってもよかったが、太田道灌の墓と糟屋館比定地はもうひとつあるのだ。伊勢原駅への帰り道でもある。
以下、関ふれコース外なので、最短コースをとり、ルート説明は省略する。道としてはつまんないです。
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1/19 14:20
以下、関ふれコース外なので、最短コースをとり、ルート説明は省略する。道としてはつまんないです。
とはいえ、途中には、また道祖神。
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1/19 14:43
とはいえ、途中には、また道祖神。
こちらは、なんだ、多重塔らしきのがいくつもある。ここに集めたのかな。
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1/19 14:44
こちらは、なんだ、多重塔らしきのがいくつもある。ここに集めたのかな。
東海大学病院の前を通り、、、(ここは何回か来た。一回は救急車でだ←付き添いです。この地域の一大拠点病院)。
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1/19 15:03
東海大学病院の前を通り、、、(ここは何回か来た。一回は救急車でだ←付き添いです。この地域の一大拠点病院)。
国道246号に出る。ここは下糟屋という地名だ。
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1/19 15:12
国道246号に出る。ここは下糟屋という地名だ。
ここに丸山城址公園がある。
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1/19 15:14
ここに丸山城址公園がある。
ここは観察し易い城址として有名で、一度来てみたかった。まず、一段上がるようになっていて、、、
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1/19 15:16
ここは観察し易い城址として有名で、一度来てみたかった。まず、一段上がるようになっていて、、、
これは切岸だという。盛ったのでなくて切ったわけだ。
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1/19 15:15
これは切岸だという。盛ったのでなくて切ったわけだ。
階段を上がると、広い敷地だ。親子づれが何組かいらっしゃった。
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1/19 15:16
階段を上がると、広い敷地だ。親子づれが何組かいらっしゃった。
遠くに見えるのは、大山。
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1/19 15:17
遠くに見えるのは、大山。
説明板がたくさんあって、理解が進む。「太田道灌が活躍し、同館の主君である北条定正に関連する城(館)の可能性があります」とある。ここが道灌が殺されたという糟屋館であろうという説が浮上してきているという。
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1/19 15:17
説明板がたくさんあって、理解が進む。「太田道灌が活躍し、同館の主君である北条定正に関連する城(館)の可能性があります」とある。ここが道灌が殺されたという糟屋館であろうという説が浮上してきているという。
土塁は曲がっていて、横矢掛けとされる。
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1/19 15:31
土塁は曲がっていて、横矢掛けとされる。
反対側を降りると公園路が半周しているが、ここは空堀が発掘されている。この空堀は、隣の神社まで続いていたとあった。
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1/19 15:21
反対側を降りると公園路が半周しているが、ここは空堀が発掘されている。この空堀は、隣の神社まで続いていたとあった。
隣の神社とは、何か。この丘は、国道246号で分断されているのだ。今は、公園内から橋で渡る。(下り方面)
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1/19 15:46
隣の神社とは、何か。この丘は、国道246号で分断されているのだ。今は、公園内から橋で渡る。(下り方面)
上り方面。R246は元は、午前中にも出てきた矢倉沢往還だ。つまり中世の主要街道。この城が戦略拠点だったことが判る。左が公園だ。そして、右側には、、、
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1/19 15:46
上り方面。R246は元は、午前中にも出てきた矢倉沢往還だ。つまり中世の主要街道。この城が戦略拠点だったことが判る。左が公園だ。そして、右側には、、、
高部屋神社がある。空堀がここまで続いていたということは、城の中にあったわけだ。
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1/19 15:47
高部屋神社がある。空堀がここまで続いていたということは、城の中にあったわけだ。
高部屋神社は延喜式にも載っている古い神社。
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1/19 15:48
高部屋神社は延喜式にも載っている古い神社。
見事な彫刻。左は浦島太郎のようだ。
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1/19 15:53
見事な彫刻。左は浦島太郎のようだ。
そして、注連縄には黒いものが。海藻のホンダワラだという。「汐汲み神事」というのがあり、平安期から海岸に出向き、海水や海藻を持ち帰る。その海岸とは大磯の照ヶ崎海岸だ。
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1/19 15:48
そして、注連縄には黒いものが。海藻のホンダワラだという。「汐汲み神事」というのがあり、平安期から海岸に出向き、海水や海藻を持ち帰る。その海岸とは大磯の照ヶ崎海岸だ。
鳥居にもホンダワラ。比々多神社も大磯に行き(国府祭)、この神社も大磯に行く。大磯は国府であったから、そして、神様と言えば海から来られたという信仰があったということだろうか。
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1/19 15:55
鳥居にもホンダワラ。比々多神社も大磯に行き(国府祭)、この神社も大磯に行く。大磯は国府であったから、そして、神様と言えば海から来られたという信仰があったということだろうか。
そしてここにも梵鐘(四つ目)。
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1/19 15:54
そしてここにも梵鐘(四つ目)。
1386年。県指定重要文化財とある。
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1/19 15:53
1386年。県指定重要文化財とある。
神社(と城址)のある丘を降りると田んぼが広がっていて、びっくり。駅に近いぞ、ここは。このあたりに太田道灌のもう一つの墓があるはずなのだが。
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1/19 15:58
神社(と城址)のある丘を降りると田んぼが広がっていて、びっくり。駅に近いぞ、ここは。このあたりに太田道灌のもう一つの墓があるはずなのだが。
あったあれだ。
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1/19 16:01
あったあれだ。
太田道灌公霊地とある。 道灌の菩提寺の大慈寺(臨済宗建長寺派)から少し離れている。道灌の叔父の建長寺長老・周厳禅師が鎌倉から移して供養塔を建てたものらしい。
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1/19 16:01
太田道灌公霊地とある。 道灌の菩提寺の大慈寺(臨済宗建長寺派)から少し離れている。道灌の叔父の建長寺長老・周厳禅師が鎌倉から移して供養塔を建てたものらしい。
こちらの墓は、首塚と呼ばれてきたという。近くに墓が二つあることを昔からみんなが知っていたからかな。宝篋印塔にも五輪塔にも見える。
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1/19 16:02
こちらの墓は、首塚と呼ばれてきたという。近くに墓が二つあることを昔からみんなが知っていたからかな。宝篋印塔にも五輪塔にも見える。
田んぼを照らす夕陽が美しい。右が東海大病院、左が伊勢原協同病院(この病院も行ったことがある。かかりつけ整形外科の提携病院なのだ)。
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1/19 16:05
田んぼを照らす夕陽が美しい。右が東海大病院、左が伊勢原協同病院(この病院も行ったことがある。かかりつけ整形外科の提携病院なのだ)。
伊勢原市役所の太田道灌の像。
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1/19 16:12
伊勢原市役所の太田道灌の像。
おっ、なつかしい。焼き鳥と言えばこの店。アパートみたいだが、個室が並んでいるのだ。
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1/19 16:16
おっ、なつかしい。焼き鳥と言えばこの店。アパートみたいだが、個室が並んでいるのだ。
伊勢原駅です。ここからバスで帰宅です。今日は欲張り過ぎだったかな。
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1/19 16:24
伊勢原駅です。ここからバスで帰宅です。今日は欲張り過ぎだったかな。
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