昔の人はすごかった!秩父往還雁坂峠越え&水晶山・破風山
- GPS
- 32:00
- 距離
- 25.1km
- 登り
- 1,932m
- 下り
- 2,286m
コースタイム
- 山行
- 3:32
- 休憩
- 0:43
- 合計
- 4:15
過去天気図(気象庁) | 2015年05月の天気図 |
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アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
秩父と甲州を結ぶ古街道「秩父往還」が奥秩父の主脈を越える難所、雁坂峠越えの区間を甲州側から秩父側へと歩いてきたよー 雁坂峠自体は、2004年の奥秩父主脈縦走で訪ねたことがあるけど、そのときはガスの中で景色も何も無かったので、そのリベンジの意味での再訪でもあった。峠越えルートだけだと物足りないので、もし晴れてればついでに破風山も登るつもりで出発。 入山日の5月30日は快晴。塩山駅から西沢渓谷行きのバスは超満員で積み残しも出てた。でも半分ほどは途中の乾徳山登山口で下車。残った人のほとんども、西沢渓谷ハイキングか、西沢渓谷から甲武信に登る人で占められていたようで、道の駅みとみの近くにある雁坂峠入口に入っていく人はほとんどいなかった。静かな山歩きができそうな予感がした。 |
写真
感想
期待通り晴れにも恵まれ、また静かな山歩きと小屋泊まりが味わえるという、不満のありようもない2日間だった。
しかし雁坂越え、甲州側は(途中まで林道歩きということもあり)比較的楽だったけど秩父側の道は本当にタフだった!下りですらそう思ったのだから登りはもっと大変だろうな。もちろん、麓の標高が秩父側の方が300mほど低いということもあるけど、コースの長さ(10km)の割には「傾斜分散」があまり無くて麓寄りに急坂が集中しているということ、途中まで沢沿いで適度なアップダウンがある甲州側と違い、山腹のトラバースが主なのでひたすら登りor下りが続くというとも地味に人体への負荷が高い気がした。そんな道を、ワラジ履きで日常的に往来していた昔の人はすげえ、と思った。
さて、以下は道マニア向け余談。
雁坂越えルートは、現在では峠直下を国道140号雁坂トンネルが貫いており、秩父往還は生活や経済のための交通路としてはその役目を終えているわけだけど、「秩父往還」がそのまますんなり「雁坂トンネル」に役割を引き継いだたわけではない。1953年に「埼玉県熊谷市から山梨県甲府市を結ぶ道」が国道指定されることになったとき、奥秩父主脈を越える区間の秩父側は、なぜか今回歩いた秩父往還ルートではなく、現在で言うところの黒岩尾根ルートが指定されたのだ。もちろん、秩父往還にしても黒岩尾根にしても、当時も今も車両(自動車の他馬車なども含む)が通れるような道ではない。ただ、(古街道・杣道を含む広義の)「登山道」をとりあえず国道指定しておき、将来的にその区間を拡幅するなり代替道路を建設するなりを目標にする、というのは当時の道路行政としてはわりかし普通にあったことなので、ここでの不思議は「なぜ歴史ある秩父往還ではなく黒岩尾根が国道指定されたのか」という点にある。
ともかく、雁坂越えについては、
(1)秩父往還ルート時代(近世以前〜1953年)
(2)登山国道140号・黒岩尾根ルート時代(1953年〜1998年)
(3)国道140号・雁坂トンネル時代(1998年〜現在)
の3段階の歴史を持っているということだ。ただし、(2)の黒岩尾根ルートは20年ほど前(1995年頃だとすると、雁坂トンネル開通前である)に再整備されるまで廃道状態だったというからどの程度交通量があったのかは不明。おそらく(2)の時代も、秩父側から雁坂峠に登る人の多くは相変わらず秩父往還ルートをたどっていたのではないかと推測する。
そんなことも含め、小屋番さんや小屋のオーナーさんと、雁坂越えの主に秩父側区間について、お話をすることができた。以下のようなお話が聞けた。
・秩父往還時代、秩父側の道は孫四郎峠というところ(2018m標高点付近?)から雁坂嶺に直登しており、そこから主脈沿いに雁坂峠に下り、甲州側に下りていた。[俺注:現在でも雁坂嶺山頂には、「孫四郎峠 廃道」という指導標が立っている。それが示す「廃道」こそまさに由緒正しき秩父往還だったのだ!]
・秩父と甲州を行き来するためにわざわざ雁坂嶺の頂上を通らなければならないのでは不便だろうということで、現在のように巻き道で雁坂小屋付近に通じる道が作られた。[俺注:その「新道」の開通時期と、雁坂小屋の建設時期の前後関係については聞きそびれてしまった。また、その道を作ったのが小屋関係者なのかどうかも聞き忘れてしまった。]
・雁坂小屋から雁坂峠に出るルートについても、開設当初と現在では微妙に異なる。これは伊勢湾台風(1959年)により道が崩れてしまったためで、当時の峠は現在の場所より雁坂嶺寄りに10mほど高いところにあった。現在でもその痕跡の平場がある。[俺注:この話を小屋で聞いた翌日、峠付近を探索してみた。2箇所ほどそれらしい場所があったがどちらが「旧峠」なのかは確定できなかった。]
・秩父往還でなく黒岩尾根が国道指定された経緯については不明。そもそも、国道140号は雁坂峠ではなくその南東約4kmにある雁峠越えのルートが指定されることも検討されていた。[俺注:当時はどうだか知らないが、今の雁峠は甲州側はともかく秩父側は林道どころか登山道すら無いようなエリアだ。そこに車道を通すとなればそれは相当な難事業になったに違いない。]
・現在、雁坂小屋の水は1km近くも離れた豆焼沢から引いているが、以前はもっと近くの沢から引けていた。雁坂トンネルの掘削で、辺りの沢が軒並み枯れてしまい(本格的な工事の前に行われた水平ボーリング調査では相当な出水があったのを、小屋オーナーさんがその目で見たとのこと)、仕方なく豆焼沢から引くようにした。距離が長く、高低差も約10mしか無いので、破損で水が出なくなる(サイフォンの原理で導水しているので、途中で穴が開くと送水圧が失われてしまう)不安がつきまとい、メンテナンスも大変だ。
以上、口頭での話なので記憶違い、聞き間違いがあるかもしれず、誤りがあった場合それは俺に責任があることを付記しておく。
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