アゲグチ峠・出口峠
- GPS
- 18:21
- 距離
- 26.1km
- 登り
- 1,886m
- 下り
- 1,900m
コースタイム
天候 | 15日晴、16日晴れ、17日晴れのち雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
復路:宮ノ平より又口まで車で、又口からサンギリ林道経由で河合へ、河合より橿原神宮前駅まで車 |
コース状況/ 危険箇所等 |
【出口峠・アゲグチ峠】 1.出口橋の登山口から出口峠までは、古道がよく残っている。ところどころに石積みや石垣、石階段があらわれ、尾根の登りでは細かくジグザクを切って登っている。 2.出口峠を柳ノ谷側へこえてからは、駒ノ滝展望台までは、古道がきれいに残っている。駒ノ滝展望台をすぎ、小沢の水場を横断した先から難所が3箇所あらわれ、通過か難しくなる。第一の難所は、古道の法面が崩壊している箇所で、慎重に下れば問題がないが、われわれは10mほどのがけを懸垂下降した。2番目の難所は古い吊り橋で、橋桁がすべて落下しており、渡ることができない。さいわい吊り橋の骨格を構成している太いワイヤーは切れておらず、人間一人の荷重には耐え切れそうであったので、ロープをフィックスし、ワイヤーをスタンス・ホールドにしてわたった。三番目の難所は、岩盤の間にできた細いルンゼ状の沢を横断する箇所で、ルンゼをわたる桟道が消滅してわたれない。固定ロープをはりつつつ高巻きをして、何とか渡ることができた。人数が多かったので、難所の通過に2時間以上を費やした。出口峠道とアゲグチ峠道との合流点は、地形図「河合」では、柳ノ谷の支流の沢上にあることになっているが、実際にはその手前(北側)の尾根上にある。 3.出口峠・アゲグチ峠道の合流点からアゲグチ峠までの古道も比較的よく残っている。ただし、地形図(河合)では、黒破線路が谷ぞいに描かれているが、実際の古道はその谷の左岸の尾根上を走っている。この道も細かくジグザクを切りながら尾根を登り。標高800mあたりから尾根をトラバースしてアゲグチ峠に到達する。 4.アゲグチ峠から坂本ダムへ下る道は、地形図「河合」ではいったん主稜線を1054mピークに向けて70mほどのぼり、ピークの手前で尾根をトラバース気味にくだっているが、実際の古道は峠から稜線を登らずに、ただたちに尾根をまくようにして下っている。峠からしばらくは古道がよく残っているが、だんだんと荒れ始め、何ヶ所か沢を横断する地点では道が崩壊している。また倒木で道がおおわれている箇所も少なからずあった。 5.古道は途中から古い作業道となり、道上に重機が放置してある箇所を通過する。つまり、途中から古道は拡幅され、作業道に置き換わってしまうのである。ただし、この作業道は、使用されなくなって久しいようで、かなり荒れている。 6.アゲグチ峠から坂本ダムにくだる古道およびそれを拡幅したとみられる古い作業道は、主稜線上の1167mピークから西へのびる支尾根の南側をまくように走っており、地形図「河合」に記されている黒破線路をほぼなぞるようになっている。古い作業道は標高750mあたりで支尾根の稜線と交差するが、そのあたりで新しい作業道に出る。こちらは最近できたようで、よく手入れされている。支尾根上の標高点715mまで新作業道も黒破線路をなぞるように走っているが、標高点をすぎると、黒破線路から離れ、南西にのびる支尾根の稜線をジグザグを切りながら下っていく。地形図に記された黒破線路は、支尾根を巻くようにして西方向にまっすぐ坂本ダム湖へ下っており、これがかつての古道の跡と思われるが、道は完全に消滅しまっている。 7.新作業道は大きくジグザクを切りながら標高520mあたりまで、支尾根をくだっていくが、そこから大きく南へ曲がり、国道450号線上の古川取水口の方向にむかい大きくトラバースをはじめる。この 長いトラバースが終わると、国道に出る。 【又口からアゲグチ峠・出口峠分岐まで】 1.又口から作業道の入口までは柳ノ谷林道を歩く。20分ほど歩くと左手山側に作業道が上がっていくので、そこに入る。 2.傾斜のある作業道は何度かジグザグを切って登っていくが、標高480mあたりで、小さな沢にさしかかり、そこで作業道は大きくカーブして東方向に反転する。この作業道の屈曲点が古道との分岐になるのだが、もとより道標などあるわけない。作業道がつくられたことによって、古道は寸断されてしまっており、沢の対岸にある古道の入口を見つけることは容易でない。沢を覆っている倒木の1本に赤テープが巻いてあるのが数少ない目印となる。 3.赤テープを目印に崩れやすい作業道の側面を下って沢におり、沢をわたって籔をこいでいくと古道の入口が見つかる。しばらくは灌木におおわれて道がはっきりしないが、少し進むと明瞭な古道の跡が見つかる。古道であることを示す石積みも残っている。この道は地形図の黒破線路をほぼなぞるようにして尾根の側面をトラバースしていえる。 4.地形図の黒破線路は、次の沢に出会った地点で、アゲグチ峠にむかって沢を登る道と出口峠にむかう道とが分岐しているが、これは誤りであって、実際にはアゲグチ峠への登り口となる分岐点(道標地蔵のある)は、沢をこえてさらに進んだところにある。 |
写真
感想
上北山村の東ノ川区域から尾鷲方面にむかう古道は、江戸時代にはオチウチ越と龍辻(越)の2本があったらしいが、明治になって新しい道が整備されるとともに、この二つの道は完全な廃道となってしまった。
尾鷲の熊野古道センターの橋本博氏のご教示によると、明治中期から大正初めにかけて、この地域で自然林の大規模な伐採がおこなわれ、林業が活気を呈してくると、上北山村と尾鷲を結ぶ生活道が再整備され、立派な石組の道がつくられるようになる。そのメインルートは、尾鷲→坂下峠(隧道)→矢所→又口→アゲグチ峠→出口→西の谷右岸→サンギリ峠→河合というものであった。昭和初期から中期にかけて発行された数々の道路地図や観光地図、登山地図にもこのルートが描かれており、当時の東の川の住民からの聞き取り調査でもそれが裏づけられるとのことである。
1911年測量、1957年修正の五万分の1地形図では、アゲグチ峠道の他に出口から出口峠をこす道が里道レベルで描かれているが、橋本氏によれば、出口峠道は当初は木馬道として開削されたのが、やがて東の川の出口地区の住民と又口との往来が必要となり、桟道やつり橋が設置され、生活道として確立されていったという。
まとめると、上北山村から尾鷲方面に通じる生活道としては、
‐橡→荒谷峠→荒谷を経て→出口→出口峠→又口
河合→サンギリ峠→西ノ谷右岸→坂本または出合→アゲグチ峠→又口
の二本が、重要な生活道として地域住民や登山者などに歩かれていたと推定できる。なお、橋本氏の調査によれば、「行商人」「嫁入り行列」「赴任される先生」「修学旅行生」「登山者」「郵便配達人」などが、これらの生活道を往来した記録が残っているとのことである。
しかしながら、1957年に水力発電用のダム湖出現と資材運搬のための道路が完成し、人々の移動が徒歩から車へと移行したことにより、これら急峻な地形に刻まれた峠道は廃れていったのであった。
以上のようなご教示と橋本氏が実際に調査のため歩かれた軌跡図とをいただいて、それを参考に、アゲグチ峠道と出口峠道を歩いてみた。当初の計画では1日目に入山、2日目にアゲグチ峠道を又口まで歩き、3日目には出口峠道を歩き、又口に行かずに、途中からアゲグチ峠道を戻って宮ノ平に戻る予定であった。しかし、天気予報では3日目の午後から雨となるのはほぼ確実だったので、予定を変更し、2日目に出口橋〜出口峠〜出口峠道・アゲグチ峠道合流点〜アゲグチ峠〜出合橋を歩き、3日目に又口から合流点まで往復するという計画にあらためた。結果的にはこの変更が大成功であった。出口峠〜合流点の間にある3箇所の難所の通過に2時間以上の時間を要し、2日目の行程は13時間をこえてしまった。もし当初の計画どおりに実施していたら、3日目に帰阪するのは難しかったであろう。
実際に歩いてみると、立派な石組の古道が残されていて、往時この地域における林業の隆盛ぶりと職人達の技術の高さがしのばれる。荒谷古道でもそうであったが、このような奥深い山中にみごとな石積みの道があるのを見ると、感動をおぼえざるをえない。近代の産業遺産として何とか保存できないだろうかとも考えたりする。
両方の峠道を歩いてみて気づいたのは、かつてのメインルートであったアゲグチ峠道は、古川出合側と又口側双方において作業道ができたために、古道が大きく改変されており、むしろ出口峠道の方が古道の残存状況がよいという点であった。ただ、出口峠道の難点は、出口峠と合流点の間に通過困難な難所のあることで、朽ちた吊り橋と桟道が消失したルンゼはそれなりの事前準備と技術がないと通過は困難だと思われる。
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