淀川登山口~宮之浦岳~白谷雲水峡
- GPS
- 17:30
- 距離
- 29.7km
- 登り
- 2,078m
- 下り
- 2,669m
コースタイム
- 山行
- 1:41
- 休憩
- 0:01
- 合計
- 1:42
- 山行
- 7:46
- 休憩
- 1:19
- 合計
- 9:05
- 山行
- 6:34
- 休憩
- 0:46
- 合計
- 7:20
天候 | 1日目 曇り~雨 2日目 曇り~晴れ 3日目 雨~晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
船
鹿児島港~宮之浦港 フェリー屋久島2 宮之浦港~紀元杉バス停 バス 白谷雲水峡~宮之浦 バス 宮之浦港~鹿児島港 トッピー |
コース状況/ 危険箇所等 |
水たまりや泥道多数 |
その他周辺情報 | 宮之浦港付近の土産屋で飛魚ラーメンを食べた 前泊後泊温泉は今回は無し |
写真
感想
前々回のくじゅう17サミッツの山行記録でも述べた通り、宮之浦岳を含む屋久島縦走の日がやってきた。回を重ねるごとに長大化する感想だが、自分で思い出しながら感慨に浸っているところもあるので、時間のある方はどうか最後までお付き合い願いたい。
宮之浦岳に登頂すれば残す九州の日本百名山は開聞岳だけとなる。日本百名山めぐりのためというのもあるが、今回の二泊三日の縦走は目的でもあり、過程でもある。より厳しい行程を自らの力で完遂することで、今後の脊振山系縦走や祖母傾縦走、日本アルプスの山々への挑戦の足がかりにもなると考えているからである。そんな屋久島には実は幼い頃に行ったことがあり、行列をなして道をゆく大人たちに紛れて荒川登山口からウィルソン株まで歩いた。初めて屋久島に入ったときの匂いは忘れられない。そして同時に当時疑問に思ったことがあった。なぜ自分たちと同じ道を歩くのに、自分たちとは比べ物にならないくらいの巨大なバックパックを背負った大人たちがいるのだろう、と。約15年の時を超えて、今回私はその巨大なバックパックを背負う側となり、屋久島縦走を行うことになる。
入山前日、熊本から鹿児島まで3時間かけて自家用車を走らせて、向かった。当初は4:30に熊本発で8:30のフェリーに乗ってその日のうちに淀川小屋まで行く予定だったが、運転と移動に思いの外体力を消費したので、前泊してよかった。
1日目、8:30のフェリー屋久島2で宮之浦港まで向かった。トッピーだと早く到着するが、できるだけ安く済ませたかったのでフェリーを使った。船内で昼食を取る予定だったが、うどんやそばを提供していたはずの軽食ブースは営業しておらず、その日の夜に食べる予定だった弁当を食べることに。前日の行程の最終確認が重要だと改めて気づかされた。盆地で育ったので海が珍しく、フェリーで外に出て風を感じていたが、潮風でベタベタしてきたので、後はもっぱら音楽を聞いていた。デス・ストランディングというゲームがあり、ゲームのシステムに、地形によって歩きやすさが変わるという若干の登山要素があるのだが、そのサウンドトラックが好きで、それをイヤホンで聞きつつうとうとしていた。すると4時間はあっという間で、屋久島が見えてきた。地図で見るよりも大きくて、壮大だった。洋上のアルプスと呼ばれるのもわかる。山頂付近には雲がかかっており、予報通り雨が降りそうな気配を感じた。
下船後は途中1回の乗り継ぎを行い、紀元杉バス停まで向かった。相変わらずバスの運転手の運転技術はすごいもので、断崖絶壁1車線での離合をやってのけた際には、バス車内もどよめいた。ほとんどの客が縦走装備を背負っており、ほとんどの客が終点の紀元杉バス停で降ろされた。ここから48時間は自分の足で歩いて、島の反対側の白谷雲水峡を目指すことになる。紀元杉はバス停から逆方向にあったらしいのだが、小屋は早めについておかないと混みだすとの前情報だったので、車窓からの一瞥を以って見学したことにして、先を急いだ。バス停から淀川登山口まで歩くて、車中泊をしている方もいた。自分もいつか島に車を持ちこんで車中泊をしながら大陸横断などしたいなと思いつつ、淀川小屋へと向かった。話に聞いた通り、すでに何張かテントがあり、宴会を始めている方々もいた。幸運にもテント場のスペーズに空きはあり、水は溜まりそうだが平坦な場所を見つけて、テントを張った。小屋に泊まるか迷ったが、2日目は確実に強い雨が降るとわかっていたので1日目にテントを張って、2日目に小屋泊をすることにした。前回よりもうまく張れた上に、もってきた『カレーメシ』も予定通り美味かった。その日は寒くもなく、何度かおきたが、夜らしい夜を送ることができたと思う。ナルゲンに入れてきたポテトチップスも美味しかった。
2日目、軽く雨が降っていたのでテントを急いで撤収し、今回の縦走の山場となる宮之浦岳に向かった。来てみてわかったのだが、全ルートに通じて、木製の階段や板などで整備されている区間が多く、さすがは世界遺産だと感じた。そういう階段はつまらないといえばつまらないが、人の存在を感じることができ、たまに見かけると嬉しく感じる場面もあった。ピンクの蛍光色のテープ、岩に塗られた黄色のペイント、道しるべ、階段、避難小屋、ロープ、ケルン、沼地に点々と置いてある岩、踏み跡、そして他の登山客(特にソロ登山客、理由は前々回の記録を参照)に出会うと、元気が出る。
まず分岐があり、黒味岳へ向かった。荷物をデポして、向かったわけだが、途中にロープ場がいくつもあり、それも今まで経験したよりも急で長く、ほぼ垂直な岩もあり、初めての経験となった。頂上に近づくにつれて岩を横切るような道が増え、稜線に至ると暴風が吹き荒れていた。ガスガスで景色も見られなかったが、頂上では立ち上がると風で体勢を崩しそうになり、しゃがんでとりあえず黒味岳の標の写真に収めることしかできなかった。ロープ場でいつも感じることだが、下りは高さを感じた。
再び荷物を背負って宮之浦岳へ向かった。昨日雨が降ったからか、普段からそうなのか、小さな川のようになっている泥の道や岩の表面をガンガン進んでいく道が多く、序盤は踏み入るのに躊躇していたが、一度水たまりをよけようとえぐれた道の両端を歩いて滑り、堂々と水たまりに入ることにした。すると思いの外、登山靴に水が入ることはなく、改めてgoretexの能力の高さを知った。腐葉土が沼のようになっているところでも、それは痛感した。宮之浦岳への道は自分が登ったことのある山だと、市房山のような樹林帯が続き、見慣れた景色に感じた。しかしふと顔を上げて遠くを見ようとすると見えるのは海。自分は南国の山間部にいるのだと再確認した。登った人なら誰もがわかるであろう大きめのロープ場を超えて、宮之浦岳に登頂した。頂上にはすでに多くの登山客がおり、皆、ガスガスの中で一瞬の晴れ間がやってくるのを待っているようだった。私も晴れ間を待とうかとも思ったが、携帯食を食べている間も一向に晴れる様子はなかったのと、またしても暴風が吹き荒れており体力を奪われると思ったので、頂上を降りて、永田岳へ向かった。
永田岳とは焼野三叉路で分岐するが、何を思ったか、往復2時間くらいはあると考えて荷物を全部持って登り始めてしまった。これがきつかった。しかし宮之浦岳以降は雲が風で流されて、見通しが良くなった。現れたのは海と空の青を背景に映える緑の山々。そこには奇岩群が「太古の昔に存在していた未来技術の遺跡」とでも形容できるように点在していた。異様とも言える景色目を奪われて、立ち尽くすうちにみるみるうちに雲は消え、永田岳山頂が見えた。山頂手前で、降りてくる方とすれ違い、高度感があって危ないので荷物はおいていったほうがいいかもしれないと教えていただいた。荷物をおいて進もうとするのは現れたのは岩に1本のロープ。黒味岳のロープ場で準備運動をしていたので少しの度胸でクリアできた。しかし頂上の標がどうも奥の方に見える。眼の前は笹で下がどうなっているのかわからない。少しかき分けて、急斜面がありそうだと判断した。前回、ルート取りを間違えて危うい場面があったので冷静になって岩を登って標にたどり着いた。普段山を歩くときは安全のために勢いをつけないようにしているのだが、頂上の大きな丸い岩を超えなければならないと判断し、勢いをつけて登った。標を遠くから写真撮って帰ろうかとも一瞬思ったが、ここまで来て先へ進まずに帰るのは勿体ないと、安全にたどり着ける道を探した。慣れている人からみたら大したことではないのだろうが、元来臆病な身であるため、このように逡巡しながらも岩を乗り越える決心をした。一方の側によろければ滑落は確実な状況だったので、臆病だと自覚した上でより安全な選択をして標にたどり着けたのは我ながらいい選択だったと思っている。とここまで書いて、実はもっと安全なルートがあったと分かれば恥ずかしいが、もしあったのならどなたか教えていただきたい… ともあれ永田岳に登頂した。風こそ吹いていたが、雲は無く、景色は抜群だった。先程乗り越えた岩の上で立ち上がれば、360℃の絶景が拝めただろう。しかしさすがにそれは自分ではできなかった。だがそれでも口永良部島と思われる島や永田いなか浜と思われるビーチが見えた。岩の上で寝転がり、しばらく風を感じていた。
永田岳を降りると空腹に襲われた。行動食としては定番の柿の種をもって来ていたが、私は柿の種が苦手なので、腹の虫は収まったが調子はあまり良くない。結局行動食の自分にとっての正解はなんだろうかと思いつつ、次の宿泊地である新高塚小屋まで急いだ。途中で何やら巨大で、それこそ古代の宇宙船のような見た目の岩が現れた。すれ違った登山客が写真を撮っていたので地図で確認すると坊主岩と呼ぶらしい。しかし最近のSF映画で登場する宇宙船は曲面で構成されていることが多いので、自分にはどうにも宇宙船にしか見えなかった。命名した人はそう見えたんだな、と星座を見たときと同じような感想を抱き、転がるように小屋までひたすらに歩いた。そして新高塚小屋に到着した。
新高塚小屋はテント場やトイレ、水場、小屋、食卓から構成されており、淀川小屋よりも広々とした場所に設置されていた。到着が14:00過ぎということもあり、日は出ていて、昼下がりをゆっくり楽しめた。2日目の夜は雷雨の予定だったので小屋に泊まることにした。小屋につくとまず食事をとった。天気がよかったので外の食卓で調理したのだが、木々を抜ける風が気持ちよかった。前日の夜に取っておいた『カレーメシ』の容器に同種の別の商品の中身を移し替え、再利用。味が濃くて美味かった。そして取り出したのは『一番搾り』。フリーズドライの中身をジップロックに入れるくせに350mLの缶をわざわざ持ってきた。家を出る直前に考え直してバックパックに追加したのだが、これは正解だった。くじゅうのときのビールが気持ち良すぎて、持ってこようと思ったのだった。常温だが構わない。最高の食事となった。一人宴会の準備をしていると両隣に他の登山客の方が食事のためにやってきた。やはりビールについて指摘されて、それからしばらく話が弾んだ。こういう交流があるのもソロ登山の醍醐味なのかもしれない。雨が強いときは場合によっては渡渉が危険なこともあり、荒川に降りたほうがいいという情報も得た。自分の情報収集の甘さを思い知ったのと同時に、日頃から登山客同士で挨拶するのはこういうためだと実感した。ともあれ酒は強くないのでそうそうに酔っ払い、シュラフにこもった。実は睡眠導入剤としての役割も兼ねてのことだった。初めての小屋泊だったが、結局床が板ということで土のときよりも眠れず、割と辛い夜を過ごした。睡眠についてはもっと快適さを追求したいと思った。夜中から雨脚が強まり、雷雨となった。
3日目、時間的にそろそろ出発しないと全行程を完遂することはできないと思い、レインウェアを着込み、ヘッドライトを付けて小屋を出た。ピンクのテープを頼りにゆっくり暗闇の中歩いた。初めて雷雨の中を歩いたのだが、ここでもまたgore-texの性能を思い知った。次のランドマークである高塚小屋までは1時間だったが、木の階段なども多く、想像よりも安定して歩けた。とはいえ心細いことには変わりなく、歩みを進めることで気を紛らわしていた。途中で高塚小屋方面から歩いてくる登山客とすれ違い、高塚小屋まではたどり着けることがわかった。高塚小屋に着くと、登山客がいた。
高塚小屋から縄文杉はすぐだった。巨大な杉の上部には「小さな森」が形成されているらしく、様々な植物が繁茂していた。正直に言って、今後見る有名な観光地は、観光地だなあ、という感じで、これまでの圧倒的な屋久島の自然に劣るとは言わないものの、努力補正が入っているからか、景色に対する感動よりは2泊3日、27km、の行程がもうすぐ達成されるという高揚感が勝っていた。縄文杉を過ぎると、大王杉、ウィルソン株と名所が続いた。数ある名のついた杉の中では大王杉が印象深かった。その後トロッコ道にさしかかった。このあたりから白谷雲水峡や荒川登山口からのツアー客が増えてきた。ガイドの方に「雨が大変だったでしょう」「縦走ですか?いい経験になりましたね」などと声をかけていただきながら、半ば凱旋のような気持ちでトレッキングポールの加速を得ながら進んだ。途中で屋久鹿にも出会った。トロッコ道は北沢という川に沿って敷かれており、川の音と木漏れ日の中を歩くのは気持ちよかった。分岐が現れると最後の急登、辻峠に向かった。
行動食を食べる気が起きず予定よりもカロリーを摂取できていなかったこともあってか、最後の急登はかなり堪えた。一歩一歩ゴールに向けて歩みを進めると途中に太鼓岩への分岐が現れた。ここで前日の小屋でお話した方の1人とちょうど行程が同じだったので、これまでも意識はしていたが、ここに来て一緒に山行を進めることになった。後半ではかなり励みになった。太鼓岩の分岐で荷物をおいて岩に登るとこれまた高度感のある場所で、山々を一望できた。峠を降りると後は下りで、ガイドの方にも「ここからはご褒美みたいなもんですよ」と元気づけられた。苔むす森を抜けて白谷山荘を横目に三本足杉を通る迂回ルートを選んだ。単純にまっすぐ帰るのは勿体ないと考えて遠回りするルートを予定に組み込んだのだが、これが大正解だった。そのルートには登山客が全くおらず、人が踏み入ったような形跡もあまりなかった。これぞ屋久島というような景色だった。小川と苔むす岩と木々、背の高い杉の間から漏れる陽の光とそれを反射し輝く雫。たびたび立ち止まって周囲を見渡し、空気を吸って、思い出したように写真を撮る。そうやって通過に時間をかけた。もとの道に合流する地点が近づくとなにやら裏向きの看板が下がっていて出ることができないようになっていた。予想はついたが裏返すと立入禁止を示すものだった。増水のため危険と示す看板を見て、同行者の方と笑った。実際渡渉箇所がいくつかあり、これ以上水位が上がっていたら渡るのに危険が伴う場所もあった。最後は弥生杉を見て、白谷雲水峡にゴールイン。長いようであっという間だったソロ2泊3日屋久島縦走が終わった。やりとげた。
今回の山行全体を見て、天気には恵まれていた。渡渉可能だったり、雨で登山道全域が小さな川になっているということもなかったり、と雨がふらなかったことの恩恵もある。しかし屋久島に関しては晴れが続くよりは雨で草木が濡れていたほうが雰囲気があるというのもあって、一瞬雨が降った今回の2泊3日は絶好の屋久島日和ではなかったのだろうか。天気以外は正直自分の事前の準備にすべてかかっていると思う。事前に準備したり調べたりしたら結構な困難は対策ができる。そういう意味で天気に恵まれたということが今回最もよかったことだった。初めての2泊3日の縦走でいろいろ反省点は残ったが、今は達成感と筋肉痛を全身に感じて悦に入っている。これからもより困難な課題に、少しずつステップアップしながら、挑戦していきたい。本当に楽しかった。帰りのバスでは喪失感で呆然としていた。宮之浦に着いて、お土産を買い漁り、トビウオラーメンを食べた。次回屋久島に行くときは民宿に泊まって海のアクティビティや林道ドライブもしたい。また来ると屋久島の山々に誓って、高速船に乗り込んだ。
最後に大学生という身で、経済的な面では両親に頼ったところが多くありました。感謝しています。また途中で出会った皆さん、元気をもらいました。ありがとうございました。次はどの山に登ろうか。
完
*諸事情で一緒に登った人の欄に名前がありますが実際にはソロで登りました。
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