江股ノ頭〜池木屋山 周回
- GPS
- 10:52
- 距離
- 19.2km
- 登り
- 1,934m
- 下り
- 1,931m
コースタイム
- 山行
- 9:49
- 休憩
- 1:01
- 合計
- 10:50
天候 | 晴れ後曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
池木屋山までは全て上級者ルート 尾根に登ってからも迷い箇所多数。 但し、江股ノ頭までならば、登るのに必要な体力は迷岳の9割程度か。(踏み跡が極めて薄い為、テープ探しに苦労する。) |
写真
感想
前々から温めていた、周回ルートの計画を実行。
香肌イレブン最難関の池木屋山と、香肌イレブンに入れなかったもう一つの健脚向きの山である江股ノ頭を縦走する意味は大きいと思う。どちらも過去に遭難者を出している山であり、特に江股ノ頭は、数年前の他の方の記録でも道迷いから遭難しかかっている方や、水越テン泊で2日かけて踏破する方もおり、私も体力があるうちにこの周回ルートに挑戦したいと考えていた。
しかしソロである以上、リカバリー不能なリスクは取れない。よって高滝ルートは対象外とした。
江股ノ頭までは順調だったが、水越の下りは、他の方の記録でも有るように、前半の50〜100mが特に急だった。お助けロープ無しではきっと落ち葉で滑落していただろう。再度登るのは不可能に近い落差もあり、実に気が抜けなかった。しかも江股ノ頭以降は、踏み跡はほぼうっすらとあったり無かったり、テープもほぼなく、先人たちもだいたいのところを迷いながら歩かれているのがよくわかった。
その後、水越から東尾根は、途中でいくつか方向転換点があるのだが、低木のせいで藪漕ぎしたり、そのせいで何度かルートを外れたり、そしてどこも踏み跡が無い為、ヤマレコGPSが無ければ、私も確実に遭難していただろう。
特に水越から南のピークへ上がる尾根の途中、西の1223ピークと東の1245ピークへ別れる分岐点(西へ行く)、並びにそこへ至る尾根は、踏み跡は不確かで、低木も多く、常に迷い易い箇所だった。
東尾根へ入ると池木屋山までは真西へ一直線であり、植生もほどほどであり、歩きやすかった。
池木屋山登頂後、宮ノ谷までの帰りは、ルート上の踏み跡がはっきりしており、迷うことはまず無い。やはり東尾根縦走ルートは人を選ぶルートなのだと実感した。
これでも去年、初めて池木屋山に登った時は、他の香肌イレブンと比して、この山のルートの踏み跡の薄さに驚いていたのだが。
12時間にわたる山行のせいで、8時間超えたあたりから膝が痛くなり、大幅ペースダウン。泊まりの荷物は背負って居なかったが、GWの大峰山奥駈道以降、膝の痛みグセがついてしまったようだ。
正直言って、またこのルートに挑戦するかは、とても迷う。中級者程度の実力しかない自分には、読図能力を中心に過ぎた挑戦だったが、実に達成感のある山行だった。
下山後に地元の方に周辺の話を聞くことが出来たので以下
山中にはところどころ古く錆びたワイヤーが放置してあるが、これは索道の跡であり、戦後10年の1950年代から1960年代まで、林業の為に設置されたものだそうだ。当時は旺盛な復興需要や、電柱、鉄道枕木、製紙会社のパルプ調達などの用途から、一帯の原生林が次々と拓かれたと言う。特にミズナラやブナと言った堅い木材は、枕木用に需要が高かった。つまりこの辺の登山道は、殆どが営林道だったと言うことだ。江股ノ頭の入口の渡渉箇所にある鉄枠は索道のカゴの残骸、また道中、獣檻の手前にある炭焼き窯(円状の石垣)、またそこへ行く20分手前の植樹帯入口の炭焼き窯では、伐採後も売り物に成らない端材や、大木を運ぶ上で切り倒した小木等の商品価値が低い木材を木炭に変え、都市部へ売っていたらしい。他にも登山口にある渡渉箇所から江馬小屋谷の沢沿いに伸びる平地は、林道の跡。翁の話では当時、蓮ダム入口にあった集落の家から、炭焼き窯まで片道1時間半を歩き、叔父と一緒に窯の番をし、長じてからは、長鋸やチェーンソー片手に一帯の巨木を狩りまわった。当時は電柱1本分切ると、数日分の日当が払われ、良い稼ぎになった。そう言えば桧塚(※近隣の山で、香肌イレブンの1座。三重県内単独最高峰)では、直径2mはあるブナを切り倒したが、木の重量は2tを超えるため、まずその場でチェーンソーにより、2つに割ってから、索道を使い下へ運んだ。また索道は、無線や電話も高級品だった当時、現場での意思伝達手段としても機能していた。索道の鋼製ワイヤーを鉄棒で思い切り叩くと、ブンブンと音がする。滑車へ材木などの荷材を載せ、滑走スタートなら2回叩く、停止や緊急時の取りやめなら打ち鳴らす、と言った具合だ。材木や、炭など、山から出荷物が多いと、索道の滑車が混んでくるので、下の荷受けが捌けず、索道を打ち鳴らして一休みとなる。そんなぐらい山の上から「成果物」をどんと降ろせた日は、実に誇らしかった。あれから桧塚や、江馬小屋谷、宮ノ谷などの植樹帯は、全て自分達が植え直し、50年以上をかけて育て直したが、今の材木価格の暴落では、山を世話し、生計を立てるのは不可能。近年の木材需要増程度では焼け石に水で、1反で年間25万円程度の維持費が重荷だ。と、一登山者として、山の恵みを享受するだけの自分にとっては考えさせられる、貴重な話を頂いた。
コメント
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木に名前が書いてあったのを見て、何だろうと思っていましたが、得心が行きました。
ワイヤーなどの残置物も、索道の話を聞くと往時がしのばれて興味深いものです。
ありがとうございました。
お読み頂きありがとうございます。
台高山脈、香肌イレブンにはところどころに錆びたワイヤーや滑車が残置してありますが、話を聞くまでは私も目的がわからなかったです。同様の物は大峰山脈にも有り、紀州の林業が如何に大規模で、今の登山道や林道がそれらの名残も多く残しているのか、合点の行くお話が聞けて、実に貴重な体験だったと思っております。
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