記録ID: 702936
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ハイキング
中央アルプス
聖職の碑を追って in 桂小場・濃ヶ池・将棋頭山
2015年08月19日(水) ~
2015年08月20日(木)


- GPS
- 32:00
- 距離
- 19.6km
- 登り
- 1,839m
- 下り
- 1,837m
コースタイム
1日目
- 山行
- 7:14
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:14
10:16
434分
スタート地点 桂小場
17:30
2661P
2日目
- 山行
- 7:11
- 休憩
- 1:33
- 合計
- 8:44
5:09
32分
2661P
5:41
5:55
50分
濃ヶ池
6:45
8:01
56分
2662p
8:57
9:00
293分
将棋頭山
13:53
ゴール地点 桂小場
右足骨折治療中の為、カメの歩みでタイムは参考にならないと思います。
天候 | ガス・小雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
新田次郎著の「聖職の碑」を若い時に読みました。いつかは、このコースを登りたいと心に秘めていましたが、中央アルプスと言えばロープウェイと人の波。それを考えたらどうしても足が向きませんでした。 でも、この桂小場からの登山道は とても静かで 上り下りで出会った人は2人だけでした。 小説と同じ時間帯から登山を始めましたが、まだ骨折が完治しておりませんので、痛みを伴った亀の歩みです。途中雨風強くなり、自分自身が遭難する可能性も出てきましたので、稜線(2661mP)でビバークしました。 夜に 不思議な出来事に遭遇してしまいました。 二日目の早朝に、濃ヶ池の横の岩穴に二日間も籠って 師弟愛を貫き無事2人とも生還を果たした場所(三つの岩からなる入り口が東を向いている岩穴)を探しました。 稜線で、助かったのは、この二人だけでした。 暴風雨の吹き付ける稜線では、本当に大変だったと思います。 当時は、草鞋に綿の防寒着 そして雨具は着ゴザでした・・・。 現代の教師はもう「聖職」などと呼ばれませんが、聖職の碑に手を合せると、教育の原点を垣間見た登山になりました。 |
その他周辺情報 | 箕輪町 長田♨ 500円 宿泊・食事や休憩場も そろっています。新田次郎氏もここに滞在して、現地の調査をしております。 |
写真
真っ暗な中、宝剣・天狗さんそうの光が・・・
そして、夜中にたくさんのご訪問があり、流石に驚きました。
テントの回りで倒れたり、ザっ ザっっと歩き回る靴音がずっとしていました・・・。
そして、夜中にたくさんのご訪問があり、流石に驚きました。
テントの回りで倒れたり、ザっ ザっっと歩き回る靴音がずっとしていました・・・。
見つけました。教師と生徒が二晩過ごした岩穴を・・・教師は自身のマントで簡易テントを張り、ローソクをつけて生徒の命を守りました。自分は、そのために外で過ごし、中では教師の為に餅を焼いていた。。。そんな信頼感で高所稜線上で助かった唯一の2人。その岩穴が…現在、中にはティッシュと汚物が散乱していました。濃ヶ池のトイレと化していました・・・
ゴアテックスの三分の一の価格のミズノの雨具。撥水、透湿、防水をマネしていますが、ゴアテックスに比べたらペラペラ感がぬぐえませんでしたが、しっかり撥水・防水・透湿を行ってくれました。後は耐久性ですね。
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
防寒着
雨具
靴
ザック
サブザック
行動食
非常食
飲料
地図(地形図)
コンパス
ヘッドランプ
予備電池
ガイド地図(ブック)
保険証
携帯
時計
ストック
カメラ
ステラリッジ1 銀マット ストーブ<br />コッヘル 夕食二日分
|
---|---|
備考 | 水は西駒山荘下に立派な給水施設があり、下から水を担ぎ上げる必要はなかったです。 |
感想
長年の希望コースをやっと歩くことができ、聖職の碑に手を合せることができました。
中央アルプスもロープウェイから駒ヶ岳を外すと 静かでいいお山だと思いました。
ただ、大正の子どもたちは、箕輪町から草鞋や雨具はゴザと言った出で立ちで、登山口の桂小場までまでも大変だったと思います。
駒が岳までは、体調と天候が思わしくなく濃ヶ池で引き返してきましが、この足の状態では十分だったと思います。
聖職という 響きが当たり前だった時代・・・
このコースを実際に歩いてみて、真の教育とは何か?
と、深く考えさせられる山行に なりました。
この夏は、骨折の為に、楽しみにしていた沢やバリエーションルートは歩けませんでしたが、読書登山やのんびりハイキングに、なぁーんちゃって沢登りに、この歴史探索登山・・・普段できない事をやれた 2015年の夏山になりました。
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コメント
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「聖職の碑」はまだ山を知らないときに読みましたが、かなりの衝撃を受けたのを覚えています。大人達の理性の崩壊に起因し、あの昔の服装で稜線の暴風雨に晒されて死んで行くなんて、ほんとに可哀想です。先生たちも無念だったでしょう。
そんな精神的に重いところに・・・鎮魂登山お疲れさまです。
湿布まだまだとれませんね。早く治るといいですね。
nanfutsu さん こんばんは。
ガスと小雨。風速10mもないのに、寒く感じました。少年たちが登ったのは暴風雨で風速は軽く30mを超えていたでしょう。早朝3時から起きて、内萱まで16kmも歩いて、標高差およそ2000mも登った挙句の果て、小屋が破壊されていた・・・。
しかも登山口より下の発電所で午後12時発です。私はてっきり午前10:30発だと思っていましたが、読み返しますと、そこで1時間半の休憩を取っていました。そして午後5時過ぎには今の宝剣山荘についています。コレは、団体登山では異例の速さで登っています。
壊れた小屋をハイマツとか着ゴザで覆う作業にかなり時間を取っています。これだけの時間があれば木曽小屋に行けたようにも思いましたが、駒ヶ岳までの風が酷かったのでしょうね。
足は、まだ登攀はできないですが、普通に歩けるようにはなってきました。ご心配ありがとうございました。・・・本当は、私も明神主稜か奥穂南陵を狙っていました。あっ、もちろん徳本峠超えは、考えもしなかったです(^^)/。
骨折した足で慰霊登山されたんですね!やはり、根性ありますね〜!根性なしの私なら、とても無理です。それにしても、岩穴の汚物は残念ですね‥‥‥‥。そこが、どう言う場所か知らないのも原因の一つだと思いますが、その近辺に、トイレがないのが、一番の原因ではないかと感じます。いざと言う時の避難所は、本当に命を守るシェルターの役割を果たします。水場、トイレ、避難所は安全に登山をする為には、欠如している箇所では、整備する必要性を感じますね。
ところで、夜中の訪問者は、誰でしょう?熊ならば、テントを間違いなく破いていますよね‥‥‥‥今回も、滝谷小屋で体験されたような方々の訪問だったんでしょうか?‥‥‥‥いずれにしても無事で良かったです(^-^)
rinaさん こんばんは。
はい、道がはっきりしていますし、いざとなれば西駒山荘もありますし、少し上は立派な小屋が三つ四つと・・・万が一はロープウェイも使えます。なので、足の悪い今ががチャンス?(笑) かと・・・
でも、登ってみて少年たちが本当に大変だったろうな・・・と思いました。私は雨具にダウンジャケット・ポリエステルの長袖シャツを着ました。もテントもマットにシュラフにシュラフカバーもストーブもカップ麺も暖かいコーヒーも有りました。
なのに 寒かったです。
それが暴風雨の中で、当時の服装では もう想像を絶する世界だったかと思いました。
ロープウェイが出来てからは、駒ヶ岳山上一帯は山で無くなりました。老若男女で賑います。トイレはロープウェイ駅か宝剣山荘・山頂小屋・木曽小屋にあります。有料なのが嫌なのでしょうか?距離的・時間的にはここ濃ヶ池にトイレを作る必然性はないかと・・・。下の西穂山荘にもトイレは在ります。なのでなんでわざわざぁ?って感じです(/ω\)
まぁ、急にもよおすとか下痢とかありますから・・・(/ω\)
寝ようと思ってシュラフに入っていたら、確実に物理的に聞こえました。足音がザッザッ ゴトっ、ドザッと荷物かひょっとして自分が倒れた音か・・・?
そして、テントの回りを歩き始めました。月明かりの下ベンチレーターから除くと、誰も居ません。熊かカモシカかぁ?
しばらくすると音は止んで。またシュラフに入ったらしつこくテントの回りを歩く数が増えています。
考えた末・・・私はテントにきちんと正座して、手を合わせ 受け入れる体制を取りました。
しかし、そのご風雨が少し激しくなり雨がテントを叩く音とテントが風でバタバタはためく音でかき消され・・・私は気が付けば眠っていました。
少年たちが歩いた稜線の直ぐ横の砂地で テントを張りましたから・・・まだ、ひょっとしてお家に帰りたくて 歩き続けているかもしれません。
足は、普通のお山ではなんとかなりそうです(^^)/ でも登攀系は痛みます。
明日で、丁度骨折から一か月。本当はこれからリハビリで歩き始めなきゃいけなかったんですがっ・・・待てませんでした・・・
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