南奥駈道(持経宿〜玉置神社〜熊野川渡渉〜本宮)
- GPS
- 33:21
- 距離
- 63.5km
- 登り
- 5,066m
- 下り
- 5,218m
コースタイム
- 山行
- 5:23
- 休憩
- 0:06
- 合計
- 5:29
- 山行
- 9:07
- 休憩
- 2:55
- 合計
- 12:02
- 山行
- 12:48
- 休憩
- 1:28
- 合計
- 14:16
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
帰り 本宮大社よりバス |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険箇所もあるが鎖などよく整備されている |
その他周辺情報 | 渡瀬温泉 |
写真
感想
前回、持経宿より池原ダムへ下山し、奥駈道を中断。
今回、同所より玉置山まで行き、十津川温泉へ下山する予定であったが、思ったよりも進みが良く、満業する事ができた。とは言え、最後は時間が無く、金剛多和にて下山しショートカットとなったが。
少し渡渉点は違うものの、熊野川を渡渉する事も出来た。
8/10 1日目
11時前。池原にてバス下車。林道を3時間歩く。ここ最近、雨が少なく、どの沢も涸れている事に気付く。前回GWに、下って来た時は、どの沢も水が溢れていた。今回、奥駈道へ入れば尚の事、水補給がままならないかもしれない。南奥駈道はただでさえ水場が少ない事から難度が高いのだ。林道を2/3程歩いたところにある沢が唯一水が出ており、予備で持ってきた2Lペットボトルへ給水した。都合、手持ちは6.6Lへ。
14時。持経宿へ到着するも、本日は誰も居ない。汲み置きの水も殆どなく、近くの水場へ。
予想通りかなり水量は少ないが、かろうじて0.6Lのペットボトルを満タンに出来た。水6.0L→6.6L
15時。そのまま奥駈道へ。池原からの林道コースは、そのまま終着点が奥駈道なので、急登せずに道をダラダラ歩いて高度1000mまで上がれるのが良い。
1日目は、平治宿まで行ければOKだ。それにしても右膝の筋が僅かに痛む。いつも左膝なので、無意識に庇いながら歩いていた弊害か。泊まりの過剰な荷物(20kg)の負担が早くも出たか。歩くペースが上がらず、コースタイムで歩くのがやっとだ。少し痛みを感じたら右膝を伸ばし休み休み歩いた。
17時。平治宿へ到着。先客も居らず、一人で使えた。テントを張らなくて良いのは気分的に楽だ。これで志納金2000円は納得の値段。開設、維持してくださっている山彦グループに感謝。急ぎ夕食の春雨スープと、持ってきたおにぎりを食べ、すぐに寝た。
水6.0L
8/11 2日目
5時。朝食のアルファ米、春雨味噌ラーメン、魚肉ソーセージを食べ、出発。GWなら4:30でも薄く日が出て居たが、8月とは言え日が遅くなった事を感じる。
転法輪岳、具利加羅岳と歩く。やっぱり奥駈道の山々は、いちいち名前がかっこいい。登ってみると、大した事ない小さなピークにまで、いろいろ名前がついている。それにしても登り始めは水の消費が激しい。最初の1時間で1L飲んだ。以降は1時間で0.5Lのペース。
8時半。行仙宿に降りてきたあたりで、またもや右膝の痛みがかなりのものになってきた。しかし去年のように撤退だけはゴメンだ。とは言え、行仙宿からなら浦向へ降りられる。ここを降りなければ、笠捨山を越え、葛川辻までは下界に降りられない。
9時。迷ったが、続けることにした。行仙宿には水の汲み置きがあり、2週間程前のものだったが、気にせず2Lを補給した(水4.6L→6.6L)。これからの難所超えのためだ。とりあえず、笠捨山は越えることにした。それから判断しよう。今日の予定では葛川辻迄行ってテント泊だ。ゆっくり歩くことにし、ペースは標準コースタイムの1.2倍ほどになった。休憩もいつも5分で切り上げるのを10〜15分取る。これで良いのだ。これが自分の老いとの付き合い方なのだ、と思った。
笠捨山の登りは長かった。実に単調な登りが行けども行けども続く。笠捨山は南奥駈道の難所の一つと言える。途中に、誰かが落とした、笠状の帽子が落ちていた。私は拾って頂上まで持っていくことにした。
ようやく頂上に着くと、その帽子を立て札の下に掛けた。まさに笠捨。下らない事だが、その昔、役行者がこの山のしんどさを嘆き、遂に笠を捨てたと言う。確かに登りは単調でしんどかった。しかし、私に取っては下りの方が難儀であった。右膝に、下りで少しでも負担をかけると、外側の筋に痛みが走る。去年は左膝をこの状態のまま焦って、早く歩こうとしたため、歩けなくなる寸前まで痛めてしまった。今回は学習した。とにかくゆっくり下る。今回は左膝をメインで使う。右膝を先に下ろし、両ストックと左足で体を支えながら、降りる。この繰り返し。下りの時間は2倍かかるが、続けるためにはこれしかないのだ。
そうして歩いていると、痛みが治まる30分〜1時間がある事に気付いた。私はこの時間を魔法の時間と呼ぶ事にした。右膝に負担をかけるような歩き方をすると痛みは振り返すが、ストックをフル活用し気を付けていれば、登りはいつものペースだった。
12時葛川辻に着いた。合流してくる逓信道の荒れており、そちらを行かなくて正解だったと悟る。予定ではここでテント泊だが、余りに時間が早い。右膝はそれほど痛くはない。ここからは南奥駈道における最大の難所と言われる地蔵岳がある。何でも10mの岩壁を鎖で降りると言う。少し迷ったが、どうせ明日超えないといけないし、七曜岳やアルプスなんかは鎖場だらけだ。そんなわけで登ることにした。隠し玉であった、コーラを飲んだ。これはかなり効果的だった。糖分が多い為、以降の登りが明らかに30分ぐらいラクになり、眠気もスッキリした。どうやら激しい運動で血中糖度が下がり過ぎると、脳と言う最もエネルギーを使う組織を省エネ化する為に、身体は眠気を誘発するようだ。
槍ヶ岳は下の電源道を通って微妙に巻き、いざ地蔵岳へ。ここは当に行場。コーラパワーを発揮し、木の根、草の根、岩、鎖。何でも掴んで登って下さいコースだった。奥駈道で同様の登りは、七曜岳と、釈迦ヶ岳だろう。登頂後、下りに現れた10mの懸垂下降。過去に読んだ本では、鎖の左右の岩の窪みを利用しながら降りると上手くいく、とあったので、大変参考になった。その本では、この岩壁の巻き道を開設し始めている件について触れていたが、巻き道の丸木橋は苔だらけになり、進入禁止の看板が掛けられていた。巻き道作るのもラクではないと言うことだ。
15時。そのまま歩いていくと東岳に着いた。四阿宿跡があり、絶好のテント場だ。明日は玉置山まで行って十津川温泉へ降りる予定だが、もう少し歩いても良い。時間もあり、右膝も何とか治まっている。
しかし30分程して、膝の痛みが強くなった。東岳からは下りが続く為、膝への負担が大きいのだ。両ストックを駆使しても、カバーが難しい。これは遂に、昨年の様な、登るも降りるも激痛でびっこ引きながらの状態になるか。暫く座り、休む。最悪無理なら二十一世紀の森で下山すれば良い。そこまでならあと2時間あれば着く。既に今日は、予定だった葛川辻から3時間も歩けている。膝の故障を抱えながらもここまで来られた自分は上出来だ。結果的に当初の計画よりもハイペースで進めているのだ。
しかし、もし痛みを騙し騙し行けたら本宮まで行けるのではないか。
こんなところで膝の痛みごとき何をへこたれているのか。私は高校、大学共に山岳部の主将を務めた。今の自分を見たら仲間は「なに日和ってんだよ」と笑うだろう。この一連の思考は、私を奮い立たせるに十分だった。私は歩き出した。
17時。香精山を巻き、また急な下りを降り、塔ノ谷峠に着く。すぐテントを設営した。さすがに疲れた。東岳以降、蚊取り線香が切れたことも有り、アブに4カ所も刺された。悔しい。しかもテントに入ってからも、テントの中に入ろうと、布地へ懸命なアタックを続けていた。とは言えそんな事は気にしていても進まない。腹が減ったので夕食を準備する。いつも春雨味噌ラーメンに、鯖の煮物のパウチなのだが、今回はシャンタンの素も持参した。スープに脂味が増すので、体力回復にはもってこいだ。夕食を食べくつろいでいると、後から登山者が来た。後にも先にも今回の奥駈道で出会った唯一の登山者だ。なんと17時の今から、玉置神社まで歩くそうだ。右膝痛む自分には無理なことだった。残り水4.6L
8/12 3日目
5時。朝食 アルファ米、春雨味噌ラーメン。魚肉ソーセージは食べ忘れた。テントを畳んで行動開始。少し登ってからは、長い下りが続く。香精山以降の奥駆道は、下りが多い。徐々に終点へ続いている証拠なのだ。長い下りが続いたあと、植生が変わった。地元の低山のような雰囲気になり、葉の厚い木、背の低い草、ツル、ジメッとしたキノコ等が増え、森も少し暗くなった。1000mを下回るルートだからなのだろう。単調な山道をそのまま3時間は歩いた。横風が涼しい。
昨日は、行仙宿以降、水を補給出来無かった。行動開始の1時間で1Lは飲んだが、幸いあと3.6Lは持っている。
そうして歩いていると、車道に出た。これは玉置山への道だ。私は膝に負担を掛けぬためにも車道優先で歩くことにした。
8時。玉置神社駐車場に着く。登山者のオアシスの異名を持つが、到着時間が早すぎて、うどん屋がやってなかった。自販機のジュースをがぶ飲みし、スポーツドリンクを4本も買って、2Lペットボトルを満タンにした。ここでケチってはいけない。命に関わる。水2.6L→4.6L
9時。トイレ休憩を含め少し長居したか。予定ではここから十津川温泉へ降りる計画だったが、このまま本宮まで歩くことにした。しかし、玉置山を登っていては時間と膝のHPを消耗するので、そのまま神社を出て奥駈道へ。このままのペースで行ったとして、七越峰までは難しいだろう。19時以降になる。金剛多和からのショートカットルートなら、何とか熊野川に出られそうだ。そこを目標に満業を目指した。
10時半。大多分岐。玉置神社からの長い下りが終わり、林道へ出た。林道は歩きやすいが、周りの木が伐採されており日差しが強い。そうして歩いているとすぐに脇道の森へ入った。
11時。最後から2番目の難所、大森山登り。地味に長い。登れど登れど頂上が見えない。登山道も最初は厚い葉の枯葉が多く、地元の低山感が溢れていた。玉置神社から700mも降りたのにまた1000mへ登り返すとは。しかし途中、植林帯の尾根へ出ると、そこから見える展望は素晴らしかった。台風が近づいている影響か、風もあり、まあ涼しい。行動水をスポドリに変えたのも効果的だった。真水やお茶より明らかに、登りの踏ん張りが効く。
12時。大森山登頂。展望は無し。そこからは急な下りの連続で、右膝にとって厳しいコースだった。お助けロープの連続。まず右ストックを下へ突き、次に両ストックで身体を支えながら左足で踏ん張りつつ右足を下ろし、最後に左足を下ろす。左右に足を踏み出せないので2倍時間がかかる。ゆっくり行くしかないが、下り切ったら13時半だった。コースタイムの55分は到底無理であり、膝への疲労蓄積が伺えた。
14時半。五大尊岳。お助けロープも掴みながら、この岩をよじ登って行く感じが、最後の「行場」っぽさが溢れている。頂上の標高は850m程度であり、すぐに登頂できた。熊野川の蛇行する雄大な流れが見えるのが、終点の本宮大社が近いことを伺わせる。そこからの下山はまたもや急なお助けロープの連続であり、右膝への痛みを堪えながらのものとなった。
16時半。金剛多和。石組みの祠に、役行者が祀ってある。これはなかなか手間がかかっているな。ここから峰歩きを続ければ、七越峰まで4時間半。本宮着は21時程度か。既に日没が迫る。右へ曲がれば、上切原への下山ルートであるが、下の車道を使えば本宮へ出られる。時間的、体力的な制約から、迷わず右への下山ルートを選択した。
下山ルートは、ここ10年ほど歩く人が減っているのか、落ち葉と土砂崩れの連続であったが、石垣や道の形自体はハッキリしており、何百年にもわたり人々の生活が、この奥駆道に関わって来たことを想起させた。途中、地図上では崩落迂回の記載のあった箇所は、コンクリで大規模に修復され、コンクリも打設から10年程度は経過しているようであった。地図の更新が遅れているようだ。下に近づくに連れ、アブが増えてくる。蚊取り線香の終わりも近いだろう。そんな時に、1本の杉の大木から湧き水が出ていた。アブにまとわりつかれるなか、給水。降り切るまであと30分程度か。不要な給水だったかもしれないが、山で水は貴重だ。下りるほど、道は更に落ち葉だらけになり、人が入らなくなった里山そのものであった。
17時半。土砂崩れ防止の金網を越えると、人家に出た。庭先のお婆さんが、ここは上切原だと。私は計画通り降りられたようだ。彼女が言うには、最近は若い人が山に入らなくなり、道は荒れていく一方で、猿や猪も増えている、あなたの様な30代の若い男は珍しい、とのことだった。何とお茶を頂いたので、一気に飲み干し、礼を言って後にした。
18時。熊野川の河原。できるだけ流れの緩やかそうなところで、持ってきたサンダルに履き替える。奥駆道で渡渉するのは夢だったのだ。自宅を出るときに、何故かサンダルを持っていかなければと言う気持ちになっていた。反面では余計な重量になるし、いつもは持たないのだが。そういった虫の知らせに助けられたと言える。
夕方でも暑さ極まる中、川の中は涼しく気持ちが良かった。水位も15cm程度か。水不足によりかなり水量が減っている。そのままゆっくり渡っていたら、洗剤の泡のようなものが流れてきた。そうだここは上流の生活排水もそのまま流れてくるのだ。私は渡渉を急いだ。
渡り終え、靴に履き替え、持ってきたウイスキーをスキットルで飲む。蚊取り線香のニオイを1日中かぎ続けたせいで、ラフロイグ特有の煙たさが半減したが、それでも美味い。何より甘い。こんな味わいは人生でも早々ないだろう。
18時半。上の道へ登る。九鬼橋の右岸は擁壁ばかりで、その上が森。森の奥に車道であった。しかし擁壁の切れ目の沢から森へ入ると、規則正しい石垣が何段にもついていた。どうやらここは集落の跡であり、何十年も前に人家が退いてから森へ還ったようだった。車道へ登ってから、本宮への道を歩いた。途中で日が暮れたが風も無く、暑かった。道路が昼間の日射を蓄熱しており、夜も道路が熱を放射しているようだ。途中、大向だったかの集落の方に挨拶頂いた。子供が居る家は皆、大阪ナンバーのファミリーカーが停めてある。皆、都会へ出ていき、盆休みの今、里帰りしているようだった。
19時半。日も暮れた本宮大社前。本宮は閉まっている。唯一のスーパーであるコーナンも丁度閉まる。泊まりどころを探していたが民宿も無いので、とりあえず飲み屋に入ることにした。そのまま飲み屋で旅の祝杯を上げる。刺身定食を頼んだが、何を食べても美味かった。
20時半。板前の兄ちゃんも、伊勢路の熊野古道を歩いたのだと言う話をしていると、女将さんから、何と民宿も経営している、安くするから泊まっていかないか、と話を頂く。この際値段はどうでも良い。二つ返事だった。
21時半。女将さんの旦那さんが迎えに来て、民宿へ送って頂いた。現代にこれほど、人の温かさが残っていたとは…。その晩は温泉にも入れたお陰で、3日間汗だくだった身体を遂に綺麗に出来た。
8/13 4日目
6時半。支度が終わり宿を出ようとすると、女将さんが、朝ご飯食べてきない、と一言。何かもう、普通に他人様のお宅へ泊めていただいたかのような、このアットホームな感じが良かった。
旦那さんにお礼を言って、宿を出、本宮行きのバスに乗った。ここは渡瀬温泉と言う、本宮の周りに3つある温泉地の一つのようだった。
7時半。本宮大社前に着。鳥居前で記念撮影をする、ヤマレコ起動。長い石段を登るが、やはり右膝が痛む。それにしても外国人多い。こんな山奥とは言え、修験道と言う日本の神秘性の一端を垣間見られるこの神社は、外国人にも人気なようだった。
境内に着き、やっと参拝を済ませられた。3年前に奥駆道を思い立ち、吉野から苦節6回を繋いで来た道であった。最後のおみくじは中吉。中身は、これから責任ある立場に成るようなことが書いてあった。ほんまかいな。
仕事が忙しく成っても、また奥駆道行きたいなぁ。
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